人工知能は職を奪うか
ICTで遅れた日本はロボット革命重視
日本の現在の仕事の49%は自動化が可能
創造性と意思疎通力要する職業に転換を
日本の長期停滞が世界的に注目される中で、労働力人口の半分近くはいずれ自動化可能という状況にある。「ロボット革命」にどのように対応していくかが日本経済の命運を分けることになろう。
1970年代以降、コンピューターが急激に安価になると同時に高性能化した結果、企業にとっては労働を資本で代替する誘因が強まった。まずは製造業の労働が自動化され、次にサービス業が自動化されている。ほんの10年前までは人間の仕事とされてきた領域に、セルフサービスのレジや人間的な対応のできるロボットなどが進入している。
欧米の専門家は、知能と自己学習機能を備え自律的に行動する「スマートマシン」の大量出現で、拡大中の所得格差が一層深刻化するのではないか、また労働需要が全体として減少するのではないかと懸念している。筆者らは、2013年に「コンピューター化の影響を受けやすい未来の仕事」と題する論文の中で、米国の労働人口の47%は今後10〜20年以内に自動化される可能性があると指摘した。
自動化技術が日本の労働力人口に及ぼす影響はさらに大きいだろう。ただし日本の問題点は、省力化技術への投資が少なすぎることであり、多すぎることではなかった。自動化は日本の労働力不足を解消し、長期停滞からの脱出にも貢献すると考えられる。長期停滞の背景にある日本経済が抱える問題の大半は構造的なものだ。日本の人口は時限爆弾を抱えている。65歳以上人口は全体の25%で、60年には40%に達するという。
生産的な労働者の数が減れば、それを埋め合わせる生産性の急上昇がない限り、経済成長の鈍化は避けられない。外国人労働者を呼び込む選択肢はあるが、日本の文化が世界で最も均質であることを考えると、効果はあまり期待できない。女性の労働参加促進はもう一つの選択肢だが、これまであまり進んでいない。
経済産業研究所によると、日本の平均成長率は70〜90年が実質4・4%なのに対し、90〜11年は0・9%である。成長率低下の大部分は、技術進歩などを映す全要素生産性(TFP)が1・5%から0・2%に落ち込んだことで説明がつく。米国の生産性が急伸した90年代後半になぜ日本の生産性は落ち込んだのか、ということが問題になる。
米経済学者ロバート・ソロー氏は87年に「コンピューター時代の到来を各方面で目にするが、生産性の統計では目にしない」と述べた。だがその後、企業が新技術に適した組織再編に取り組み始めた結果、ついに米国の生産性は急激に伸びる。特に注目すべきは、95年以降の米国では情報通信技術(ICT)の製造部
門だけでなく、ICTを活用する部門でも全要素生産性の伸びが加速したことだ。
これに対して日本では、95年以降、ICTを活用するサービス部門で全要素生産性の伸びが大幅に鈍化した。日本は新技術への適応で米国に大きく後れを取った。その理由としておそらく最も重要なのは、日本では起業家精神が旺盛でないことだ。若い企業ほど積極的にICTに投資する傾向があるが、日本では企業の新規参入・退出率が低い。
活力に乏しい事業環境を助長したのが日本の銀行だ。銀行は「ゾンビ企業」と呼ばれる非効率で債務の多い既存企業への金融支援を続け、そうした企業の属する業界の生産性の低下と新技術への投資不足を招いた。さらに長期雇用を保障しているため省力化技術の実現が進まなかったことや、日本のICT部門で長期間ソフトウエア技術者が不足していたことも一因である。
ICT革命で出遅れた日本はロボット革命では先頭を走ろうと決意する。安倍晋三首相は15年、スマートマシン活用を推進する計画(ロボット新戦略)を打ち出した。ロボット技術は、労働力不足などの社会的課題を解決するとともに、製造、医療、介護から農業、建設、インフラ保守まで多様な部門で生産性を向上させる可能性を秘めている。筆者と野村総合研究所の推計によれば、日本で労働の自動化が進む可能性は極めて高い。近年の機械学習やロボット技術の進歩により、10〜20年以内に現在の仕事の約49%が自動化可能だ(図参照)。日本で最も自動化の可能性が高い職業は、鉄道の運転士、会計・経理事務職、税理士、郵便窓口、タクシー運転手、受付などである。自動運転車が公道を走るのはまだ先としても、自動運転技術の一部はすでに実用化されている。
自動化は驚くほど安上がりだ。シティグループの推定によると日本の自動車産業でロボットを導入した場合、1年足らずで元がとれるという。理由の一つは、ロボットの組み立てをロボットでするようになったことだ。シティグループ証券のグレーム・マクドナルド氏が指摘する通り、日本の大手ロボットメーカーではロボットの製造がほぼ完全に自動化されている。
今後数十年でスマートマシンの導入が急拡大すれば、日本の労働市場は重大な分岐点を迎えるだろう。労働力不足を解消し生産性を押し上げる効果を期待できる一方で、リスクもはらんでいる。新技術の導入に伴い、労働者が持つ技能の一部は自動化され廃れていくだろう。米国では、コンピューター技術の導入中間所得層の労働者の消滅、特に未熟練労働者の就労率低下を招くと懸念されている。
80年代のコンピューター革命以降、欧米では賃金格差が急拡大したが、日本では比較的格差が小さい。となれば、ロボット革命を推進する一方で平等な社会を維持することが、安倍首相の課題となる。
それにはロボット革命と並行して技能開発や訓練に投資することが必要だ。様々な新しい技術が登場しているが、一部の国では高度な教育を受けた労働者の供給も大幅に増えたため、熟練者と未熟練者の賃金格差が縮小している。
特に必要なのは、労働者が自動化される可能性の低い職業に転換できるよう、再教育に力を入れることだ。そうした職業には、創造性やコミュニケーション能力といった社会的スキルを要するという共通点がある。ソフトウエア開発者、判事、看護師、高校教師、歯科医、大学講師などが該当する。
ただ、これらの職業は自動化されにくいとはいえ、技術の変化と無縁ではない。例えばトヨタ自動車は遠隔操作が可能な生活支援ロボットを開発中だ。実用化されれば、離れたところからでも高齢者を見守り、支援することが可能になる。また、米IBMのコンピューター「ワトソン」はすでに人間の医師よりも効果的に医療診断ができる。安倍首相は創造性やコミュニケーション能力などに加え、技術的な能力の習熟も教育の重点項目とすべきだろう。
現在日本は労働力不足に直面しているが、自動化の潜在性は極めて大きいため、新たな雇用機会の創出に失敗すれば失業を増やしかねない。従って日本経済の再生のためには、新技術の導入を奨励する一方で、起業に有利な改革を実行することが欠かせない。今後20年間でテクノロジーは日本の労働力不足を解消し生産性を高める可能性を秘めている。日本の労働者がこの「セカンド・マシン・エイジ」に対応するために必要なスキルを身につけられるかどうか、そして日本の起業家精神をよみがえらせて新規雇用を創出できるかどうかは、安倍首相の手腕にかかっている。
人工知能(AI)が多くの人々の仕事を奪うのではないか。そんな懸念が急速に広まっている。コンピューターが、
やルーチン(規則的な活動)ワークを代替しつつあることは以前から指摘されてきた。それがAIの発達により、かなり知的能力を必要とする仕事にまで及び、広範囲な仕事がAIに取って代わられつつあると言われる。
今や、働く環境は急速に変化している。こうした時代に求められる能力とはどのようなものだろうか。
実は、仕事を奪うのはAIそのものでなく、その裏側にいる人間だ。ロボットがプロ棋士に勝ったというニュースはAIの発達の成果としてよく例に挙げられる。しかしプログラムを作成したのは人間であり、しかもそこで用いられたデータは過去に人間が指した棋譜だ。言ってみれば、ロボットを駆使した人間がプロ棋士に勝ったにすぎない。
SF的な未来を考えない限り、コンピューターやロボットが人間から完全に独立して、自らの意思を持って仕事をし、人間の仕事を奪うことはあり得ない。従ってAIやロボットが仕事を奪うのではなく、それを使う人間が他の人の仕事を奪うのだ。
この点は少なくとも2つの重要な含意を持つ。一つは、使う側の人間は高所得を獲得する可能性が高いので、両者の間に大きな所得格差が生じかねない。それが固定化すれば結果として不平等度合いが大きくなる可能性がある。もう一つは、AIやロボットを活用する側に回れれば、そこには大きなチャンスがある。
AIやロボットを活用するには、コンピューターに必要な情報と要求を伝える能力が必要となる。広い意味ではコンピューターと人をつなぐ能力ということになる。プログラミングはそのための基本的ツールだ。加えて作業内容を論理的に整理し、どこまでをどうコンピューターに処理させるか、AIにどのような学習をさせるかなどを総合的に判断する能力も必要となる。
どのような仕事がAIに代替され、奪われてしまうかについては注意深い検討が欠かせない。そこから今後必要とされる能力も見えてくる。筆者は、「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトを主宰する新井紀子・国立情報学研究所教授、労働法学者である大内伸哉・神戸大教授らとともに、総合研究開発機構(NRA)で、AIが労働市場に与える影響と必要な制度整備のあり方を検討している。
例えば、弁護士という仕事が代替されるか否かと問われると、多くの人はノーと答えるかもしれない。しかし、弁護士が手掛ける業務内容は多岐にわたる。書類を整理したり過去の関連判例を探したりする作業は、AIに任せたほうが、効率的にできる面も多い。一方、相手方との交渉を完全にAIに任せるのは難しいかもしれない。多くの産業で起きるのは、このように一つの仕事・職業が、代替される業務と代替されない業務に分かれていく変化だ。
AIは決められた範囲の中から過去のデータに基づき、最適な選択肢を選び出すことは得意だ。だが、全く新しい組み合わせを考えることや、個別性が強く過去のデータが活用しにくい問題の検討は、人間のほうが相対的に有利性を持つ。よってAIの導き出した結果を活用しつつ、そうした有利性を生かして新たな付加価値を追加するような業務は代替されにくいし、そのための能力が求められよう。
必要とされるもう一つの能力は、人と人をつなぐコミュニケーション能力である。A
が見事な解を導き出したとしても、それをコンピューターが直接人に伝えるのと、人が人に伝えるのでは、受け取る側の印象は大きく異なり得る。生物としての人間が伝えられる情報ははるかに豊かであり、そこにはAIにはない有利な点がある。
人間同士のコミュニケーション能力が重要になるという視点は、デービッド・デミング米ハーバード大准教授や経済協力開発機構(OECD)などが、今後必要とされる能力として、社会技能(Socia−skill)を重要視しているのと整合的だ。AIに代替されにくいのは、人間間のコミュニケーション能力やチームワークなどの社会技能であり、実証的にもそれを必要とする仕事が増えているという。
日本企業では、長期雇用に基づいたチームワークや、暗黙知を活用した経営が重視される傾向にあり、社会技能は高いと考えられ、その面では有利な状況にある。ただし今後必要とされるのは、企業の枠を超えたコミュニケーション能力であり、企業外の人とうまくコミュニケーションをとる能力が一層求められる。
いずれにせよ、求められる業務内容が大きくしかも速く変化する時代には、自分が活躍できる場所に迅速に移動できることがポイントとなる。
人口が減少していくのでA
が人間の仕事を代替してくれれば好都合だという議論が時々聞かれる。しかし、いくら人手不足の産業があるからといって、そこで働く能力や技能がなければ働くことは難しい。従って移動に決定的に必要となるのは、求められるスキルの獲得だ。AIで代替されてしまう能力ではなく、必要とされる能力や技能を積極的に身につけて、自分自身が活躍できる場所に移れるよ
にすることが欠かせない。
かっては、将来必要なスキルは、会社側が身につけさせてくれると楽観的に考えられる時代もあった。しかし、変化の波が大きく会社自体の存続も保証されない時代には、そうした期待はしにくい。
変化のスピードが速いことも大きなポイントだ。変化が大きくてもゆっくりならば、過去に身につけた能力で十分に働き続けられ、新たな世代が新たに必要な能力を獲得すればよかった。しかし変化が速くかつ寿命も延びている以上、いくつになっても、その時々で必要とされる能力を身につけなければならない。
この点は、個人の意識改革が求められると同時に、制度整備・制度改革が必要な分野でもある。新たな能力開発を促す財政的支援や教育機会の提供、スキルを得た人が働き場所や働き方をより変えやすくなるような多様な正社員を認める法制度改革などを進めて、労働市場を一層整備していくことが重要だ。
必要な能力が大きく変化している現在、子どもや若者に対する学校数育も当然、抜本的に変えていかなければならない。現在の学校教育では、前述のような今後必要とされる能力が十分に養成されていない。従来の学校教育や入試制度はAIやコンピューターが比較的代替しやすい能力を養成してきた傾向がある。かっては、それでよかったし、またそれが必要でもあった。
しかし今後は、教育内容を改めていかなければ、AIにどんどん仕事を奪われてしまう。その際、理系、文系という区切りは一刻も早くやめるべきだろう。いま求められているのは、社会的な問題についてAIをうまく活用しながら解決していく能力である。それは理系と文系の融合が欠かせない能力である。
そもそも学校教育はかなりの長期投資であり成果が出るには時間がかかる。そのため、必要とされる能力はどうしても後追いになりがちだ。だからこそ、かなり先の将来を見据えて必要とされる能力を教育していくことが、今後一層求められる条件となろう。