「国立大文系再編」通知−の狙いは
下村文科相に聞く
国立大学に教育学部や人文社会系学部の縮小や組織再編を求めた文部科学省通知に対する反発が、広がっている。下村博文文科相に狙いを聞いた。
ーー今回の通知の狙いを。
通知は2016年度から始まる国立大学の第3期中期目標・中期計画の策定に向けて出した。組織の見直しを求めたのは、国立大学は社会の変化に柔軟に対応する自己変革が必要だからだ。
これからは、将来予測がますます困難な社会になる。社会が大きく変わる中で、単なる知識の暗記ではない、判断力や思考力、創造力といった「真の学ぶ力」が必要になる。答えのない問題に自ら取り組み解答を出す力や、リベラルアーツ教育による人間性の厚みが重要になる。それには大学教育の質の転換が欠かせない。旧態依然たる大学のままで、新しい時代に対応する教育は難しい。
しかも関係者に聞くと、今の学生は昔より学力は落ち、他国と比べ学習時間も少ないという。これは個々の学生の問題というより、大学教育全体の問題だ。国立大学は学生が進んで学ぶように厳しく指導教育すべきだ。そのためには今の組織のままでいいのか、大学自ら見直してほしいというのが通知の狙いだ。
――教育系と人社系を狙い撃ちにしているという批判も強い。
文科省は国立大学に人社系が不要と言っているわけではないし、軽視もしていない。すぐに役立つ実学のみを重視しろとも言っていない。
教育系と人社系を取り上げたのには訳がある。教育学部には教員免許の取得を義務付けない「新課程」があるが、その時代的役割は終わっており、廃止すべきだ。人社系学部は養成する人材像を明確にし、それを踏まえた教育課程に基づく組織になっていることが重要なのに十分ではない。大学教育の質を転換する上で、どちらも改善の余地が大きい。
既に複数の国立大学が地域の人材育成のために組織改編を進めている。例えば16年度に地域デザイン科学部をつくる宇都宮大学。教育学部の定員を40人、工学部からも70人程度移して、社会制度や防災など重層的な地域課題に対応できる人材を養成する計画と聞いている。
地方国立大学は、地域人材を地域の自治体や企業に供給している。学生は別に学者になるわけではない。法学部を出て自治体に就職したら、法学系の専門知識も必要だが、それだけでは足りない。経済学や社会学などをはじめ、広い意味でのリベラルアーツも求められる。より幅広く学ばせようという思いが、既存学部を統廃合し新学部をつくる動きに表れている。
――大学をサラリーマン養成機関にするのかという批判もある。
非常に偏った見方だ。産業界の要請で通知を出したわけではない。時代は情報化社会に向けて進んでいる。情報化社会に必要なのは、創造性や主体的に課題に取り組む力、コンピューターやロボットが発達しても到達できないであろう人間的な優しさや感性、慈しみなどだ。大学はそういう能力に資する教育をしているのか。それは本人の問題だと言うなら、教育研究機関としての責任の半分を放棄している。
――人社系など文系教育の多くは私立大学が担っている。本気で人社系を改革するなら、中央教育審議会などで国公私全体の文系教育をどう変えるのか、議論が必要ではないか。
正論だが、反発は大きいだろう。人社系改革は国公私共通の課題だが、言えば言うほど反発が強まり、あるべき方向に進まない。大学の自治や学問の自由がある中で、国立でも国にそこまで言われる筋合いはないと思っている関係者は多い。私立はなおさらだ。まずは国立に問題提起をし、国立が変わる中で、立も自ら改革しないと生き残れないという方向に持っていきたい。
我々には大学のガバナンス改革で経験がある。本当は学長選の在り方など私立にももっとメスを入れたかったが、十分な理解が得られず、まず国立から改革した。その結果、私立側もマネジメント能力があるトップが大学運営をやらないと生き残れないという意識を持つようになった。
――私立には国立は主に理系を担い、文系は自分たちに任せてほしいという声もある。
今も国立大生の7割は理系で、私立はその逆だ。だからといって国立文系をなくそうとは考えていない。ただ、文理融合の新学部はありうる。
――国が大学に介入しすぎだという不満も出ている。
反対する人の理由は分かる。皆、自分の学部の廃止・縮小には総論賛成・各論反対だからだ。ただ、あくまでも判断するのは大学自身。国が国立も含め全大学を一斉に動かす権限を持っているわけではない。組織再編に取り組む大学には運営費交付金や競争的資金などの財源的支援を考えるが、各大学が時代の変化への対応を自主的に考えてもらわないと、日本はますます停滞する。
――教育学部の縮小を求めながら、教職大学院をつくれとも言う。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようだ。
国立大学に教員養成の機能は絶対に必要だ。教員の専門性を高めることが大切で、教職大学院は大学院段階の教員養成の中心として質と量の両方を充実させる。教育現場は複雑化高度化しており、学部教育だけでは間に合わない。学校現場は教員次第だ。教職大学院はより重要になるし、ならないといけない。
問題は、学部卒も大学院卒も、採用条件や処遇はほとんど変わらないことだ。2年間余分に勉強し、それだけの知識を身につけたにもかかわらず、それに見合う処遇を提供していない。これでは優秀な人が大学院に進まない。これは日本の社会全体の問題でもある。