池上彰の大岡山通信 若者達へ
日本を思う70年の夏
まもなく戦後70年を迎えます。第2次世界大戦後、日本は憲法9条で「戦争放棄」を掲げて国際社会に復帰し、今日の繁栄を築き上げました。国会では、政府が認めてこなかった「集団的自衛権」を使えるようにする新たな法案が議論されています。そこで今回は、憲法が果たす役割と、東西冷戦終結から四半世紀を経て、新冷戦時代に入ったともいわれる戦後世界の歩みを改めて考えます。
まず、憲法の役割について整理してみましょう。憲法とは国家の最高法規のこと。世界で民主主義の精神が育まれる過程で、権力者の側の力を制限し、国民の権利を保障するルールとして発展してきました。
権力者は憲法の規定に従って国家を統治しなければなりません。たとえば立法、行政、司法の三権分立ですね。このように憲法の下で国家を運営する考え方を「立憲主義」といいます。日本の憲法が世界から注目されるのは、自衛のための手段を除いて「戦争放棄」を表明してきたからです。
自衛権巡り議論
今、争点である安全保障関連法案のポイントは「自衛権」です。自衛権には「個別的」と「集団的」の2つの考え方があ.ります。個別的とは自国が攻撃された際、防衛のために反撃できる権利。集団的とは自国が攻撃されなくても、仲のよい国が攻撃されたり、危機に陥ったりした場合に共同で反撃できる権利です。
集団的自衛権は国連憲章でも加盟国に認められています。ただし歴代内閣は、権利はあるけれども「現憲法の下では行使できない」という1972年の政府見解を基準に判断してきたのです。
方向転換したのは2014年7月のこと、安倍晋三政権が憲法解釈そのものを変え、集団的自衛権を容認する閣議決定をしたのです。安全保障環境の変化に伴い「必要最小限度の自衛のための措置として憲法上許容される」と結論づけました。
さらに59年の最高裁判所による「砂川事件判決」を補強材科にしています。裁判は米軍基地に入り込んだデモ隊の刑事責任を巡り、旧安保条約に基づく米軍基地の合憲性が争点でした。最高裁は当時、「憲法は自らの存立を全うするために必要な固有の自衛権を否定していない」と判断していたという理由です。
衆院での審議では、多くの憲法学者が「砂川判決は集団的自衛権まで争点になっていない。安保法案は憲法違反」と批判しています。これに対し与党は「憲法の番人は最高裁」と反論。審議は参院へと移ったのです。
これまでの議論を見る限り、残念ながら多くの国民が結論を出せるほど理解が深まっているとはいえません。「政府が強調する危機とは何か」という疑問や、「日本が戦争に巻き込まれるのではないか」という不安が解消されていないのです。
新冷戦の時代
なぜ、政策見直しを急ぐのでしょう。日本を取り巻く安保環境の変化に加え、同盟国・米国に協力する狙いがあります。
少し現代史を振り返りましょう。米ソ首脳が東西冷戦の終結を確認して四半世紀。米国はその後もテロとの戦いなどに膨大な軍事費を投じ、おびただしい犠牲者を出しました。オバマ大統領は、米国が「世界の警察官」として貢献する役割を手放そうとしています。
たとえば中東です。91年の湾岸戦争を経て、国際テロ組織「アルカイダ」のような米国を攻撃するイスラム進数派が台頭。イラク崩腰や、内戦状態に陥ったシリアの間隙を突いて、新たな過激派組織「イスラム国」(IS)が出現しました。
欧州はウクライナを巡り深刻な事態にあります。ロシアが去年、クリミア半島を編入。親ロシア派と政府軍はにらみ合ったままです。米国とロシアが軍備拡大に言及、対峠する状況は新冷戦≠ニも指摘されています。
アジアでも尖閣諸島や南沙(スプラトリー)諸島を巡って、日本や東南アジア諸国と、中国との間でにわかに緊張が高まっています。地球規模で戦後世界の枠組みが変わろうとしているのです。
日本は米国の軍事力の傘の下で経済大国の地位を築いた面があることも事実です。これまで自衛隊は湾岸戦争をきっかけに、海外での復旧、補給など人道的な支援活動で実績を上げてきました。
私はこうした取り組みに加えて外交や経済協力を通じ、地域紛争や民族対立を生まないような土壌づくりの努力を積み重ねることも大切ではないかと考えます。
戦後を築いた「憲法9条」の重みを知り、日本の進路と役割を考える暗が訪れているのです。