国立大学に教員養成系や人文社会系の学部・大学院の廃止や改組を求めた文部科学省の通知が波紋を広げている。大学関係者の受け止めを2回にわたって掲載する。初回は通知に異論を唱える一方、改革を進める佐和隆光・滋賀大学長。



国立大 文科省通知の波紋


人文知 民主主義支える



 去る6月8日、全国86の国立大学法人に対し、文部科学省は「教員養成系学部や人文社会系学部・大学院を、組織の廃止や社会的要請の高い分野に転換する」ことを求めるべく通知した。

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 昨今の文部科学行政は産業競争力会議の意向がほぼ完壁に反映されており、こうした通知が出たからといって驚くに値しない。教育学部と経済学部から成る一地方大学の学長を務める私にとっては、「想定内」の公式通知がいよいよ来たかと思うにすぎなかった。
 理系の研究は技術革新や産業振興を通じて国益に寄与するが、文系の研究は役に立たない。1.1兆円の運営費交付金(国税が原資)の効率的配分という観点からすれば、文系学部の学生定員・教員数を減らして浮くお金を理系の研究に回すべきである――。議長の安倍晋三首相ほか閣僚8人、企業経営者7人、大学教授2人(工学と経済学)から成る産業競争力会議が、このように考えるのは、ある意味、至極もっともなこととうなずける。
 そういえば、全く同じようなことを半世紀余り前に聞いたことがある。1960年3月、岸信介内閣の松田竹千代文部相(当時)が「国立大学の法文系学部は全廃して理工系を中心とし、法文系の教育は私立大学に任せるべきだ」と言ってのけた。60年安保闘争に参加した大学生の多くが国立大法文系学部生だったことと、理工系振興への経済界からの熱い要望が、大臣発言の背後にあったのだ。同年12月、池田勇人内閣は「所得倍増計画」を公表し、「今後10年間で国民所得を倍増するために、理工系学部に重点的に資金配分する」との施策を打ち出した。
 ソニーの創業者井深大氏は「これからは国会議員の大半を理工系学部出身者が占めるようになるだろう」と語り、理工系全盛期の到来を予言した。残念ながら、井深氏の予言は当たらなからた。今もって国会議員の大半は文系出身、理系出身者が中央官庁の事務次官に就任する例は極めて少ない。
 皮肉なことに井深氏の予言が的中したのは、旧ソ連や中国においてのことだった。旧ソ連共産党書記長(ゴルバチョフを除く)、そして中国国家主席は、代々工学部出身者である。
 なぜ井深氏の予言は日本で的中しなかったのだろうか。答えは簡単で、日本は民主主義国家だからである。
 自由主義・民主主義の本家本元、欧米先進諸国においては、文系学科の存在感は極めて大きい。とりわけ欧州では人文社会系の学識が指導者にとって必須の素養と目されている。日本の経営者が見れば「役立たず」の典型である歴史学科出身の官僚・政治家が少なくない。昨今(文科省が唱える「思考力・判断力・表現力」を養うには人文社会系の学識が不可欠なのだ。
 民主主義国家では、企業であれ官庁であれ、旺盛な批判精神を有する人材を求める。人文社会系の学識なくして批判精神なしなのだ。ゆえに全体主義国家は必ずや人文社会知を排斥するし、人文社会知を軽視する国家はおのずから全体主義国家に成り果てる。

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 安倍政権が目指す「日本の10大学を世界のトップ100以内に」を達成するには、人文社会系の研究振興が欠かせない。ランキング上位にいる英米の大学は、人文社会系の分野で高得点を稼いでいる。人文社会系に特化するロンドン経済政治学院の順位は34位。23位の東京大学には及ぼずとも59位の京都大学をはるかにしのぐ。
 世界大学ランキング3位のオックスフォード大学では、学士課程学生の過半が人文系を専攻している。英国の司法、行政、政治、経済の分野で指導者になるには、人文社会知が必須であることを示して余りある。同時に、人文社会系分野での研究者の層の厚さゆえに、同大は世界3位にランクされるのだ。
 ランキング1位のカリフォルニア工科大、6位のマサチューセッツ工科大には、人文社会系学科が盛りだくさんあり、研究水準は超一流であることをも付記しておこう。
 このたびの文科省通知は想定内だったと先に書いたが、人文社会系の2学部から成る滋賀大学が何もせずに手をこまねいていたのでは、既存の資源(学生定員と人件費)を削り取られることは必至と見てよい。滋賀大学という一地方大学の学長としての私は、文科省通知にある「社会的要請の高い分野」とは何なのかにつき思いを巡らせ、たどり着いたのが「ビッグデータ時代の人材養成」を目指すデータサイエンス学部の創設(2017年度予定)だった。
 滋賀大は未来志向と文理融合を改革の理念に掲げている。ビッグデータの大半は広義の社会データであり、人文社会系の学識とデータ解析能力を「融合」した人材養成が産業振興のために不可欠なことを、産業競争力会議員の諸兄姉によろしくご理解いただきたい。
 こうした取り組みは、滋賀大学だけではない。文科省通知を先取りする格好で、多くの地方大学が人文社会系の学識を生かした資源の再配分、すなわち新学部の創設を競っているのである。
 スティーブ・ジョブズの名言で本稿精をしめくくろう。11年3月、iPad2の発表会でジョブズは、こう語って多くの聴衆を魅了した。「人々の心を高嶋らせる製品を創るには、技術だけでは駄目なんだ。必要なのは人文知と融合された技術なのだよ」 

 

 

社会に役に立つ  性急すぎる要請

 「大学は社会に役に立つ人材を送り出す必要があるが、最近は近視眼的で性急な要求も多い。もっと温かい目で見てほしい」。15日、里見進・国立大学協会長(東北大学長)は記者会見で、教育学部や人文社会系学部の見直しを求めた文科省通知を批判した。
 同席した副会長も「理工系単科大学でも、歴史や社会を知らない学生は困る」 (大西隆・豊橋技術科学大学長)、「実学系学部の学生も人文社会学系を副専攻にできる仕組みにしている。多様性が重要」 (高橋姿・新潟大学長)などと訴えた。
 一方で、文科省の威光≠バックに、遅れがちの改革を進める動きも出ている。 

 

 

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