「正義」が不確かな時代
他者の理解先ず会話から
「実用主義」と訳される19世紀米国生まれの思想「プラグマティズム」が、研究者や作家の間で注目を集めている。立場の異なる人々が、互いの「正義」を主張し合うのではなく、継続的な話し合いを持つ重要性を説いているのが特徴。宗教的原理主義がもたらす紛争など、対立的な思考の枠組みの広がりに歯止めをかけようとする試みだ。
「哲学では長く『対話』が重視されてきたが、現代は『会話』が必要」と主張するのは大賀柘樹・聖学院大学非常勤講師(34)。答えを見つけて議論を終わらせることを目指す「対話」ではなく、異なる考えの人ともおしゃべりを続けようとする「会話」が求められているとの見方だ。
論理を読み取る
こうしたプラグマティズムの思想に基づき、今年1月には「希望の思想 プラグマティズム入門」(筑摩書房)を刊行した。「異質な意見の持ち主にもその人なりの論理がある。理解できないと思ってもあきらめてはいけない」と大賀氏。プラグマティズム実践の一例として挙げるのが、意外にもマンガ同人誌の即売会であるコミケ。「様々な立場の人々が、自主的なルールが必要な共同体作りに参加しており、それが習慣化している」
現代社会と自由の関係を論じた「『自由』はいかに可能か」 (NHK出版)を昨年刊行した苫野一徳・熊本大学講師(35)は、プラグマティズムは「伝統が崩壊する価値観の移行期において、考え方のフォーマット(基本的な構成)になる」と話す。ただし、異質さを認め合う「相互承認」はすぐにできることではなく「経験の蓄積が必要」とも付け加える。
「空気を読む」などの流行語に見られる通り、日本の教育・社会環境では強い同調圧力が働く傾向にあるといわれる。それが排他的な価値観を生み、極端な場合、他民族へのヘイトスピーチ(憎悪表現)につながることも。苫野氏は規律ではなく討議の経験を重視するカリキュラムを教育現場に提案、教員向けの講演活動を続けている。
多様性を認める
プラグマティズムの起源は、米ケンブリッジの若手知識人パース、ジェイムズらが集った1870年代の私的サークル「メタフィジカル・クラブ」にさかのぼる。奴隷制をめぐる互いの正義が対立した南北戦争への反省から、絶対的な真理の把握を目指す伝統的な西洋哲学の姿勢を批判。人は間違いを犯す存在ととらえ、行為と結果をたえまなく検証することを大切にした。
多様な価値観を認める多元主義に立つ。
日本でも北村透谷、夏目漱石、西田幾多郎、柳宗悦ら、プラグマティズムに連なる思想に影響を受けた作家や哲学者は多い。ただ、立場によってプラグマティズムのとらえ方は異なり、定義付けは難しい。
作家の黒川創氏(53)は「プラグマティズムは答えのない問題に対する態度」という。2001年に「編集グループSURE」 (京都市)を共同で作り、プラグマティズ
ム研究で知られる思想家、鶴見俊輔氏(92)を囲んだ講義録や書籍の刊行を続ける。
鶴見氏らが創刊した雑誌「思想の科学」の編集執筆を手掛けた黒川氏は「決して楽観的な思想ではない。仲間や共同体作りへの悲観を含むもの」と話す。イスラム過激派によるテロ事件が続発するが、敵を殺すことを至上の名誉とする者の説得は容易でない。「無力をかんじつつも、背景の理解や議論に向けコーランを読むことから始める人は1%はいるはず。その1%を相手に仕事をする」
昨年は「プラグマティズム古典集成」(作品社)、「プラグマティズム入門」(勁草書房)など基礎文献の出版も相次いだ。学会でもプラグマティズムを参照して、それぞれの研究に新たな光を当てる動きが出ている。
辛抱強をを磨く
主にヘーゲルらドイツ哲学の研究者で構成する「一橋大学哲学・社会思想学会」は昨年、「ネオ・プラグマティズムの現在」と題するシンポジウムを開催した。発起人の一人、大河内泰樹・一橋大学准教授(41)は「真理を具体的な社会プロセスを踏まえた上で判断する点に、ヘーゲルの思想とプラグマティズムの近さを感じた」と話す。
こうした動きを「正解のない時代の生活実感に合った思想としてとらえ直されている」と見るのは宇野重規・東京大学教授(47)。自著「民主主義のつくり方」(筑摩書房)では、若者の地域おこしなどを例に、プラグマティズムによる社会変革の可能性を示した。
価値観の相対的な時代において虚無に陥らず生き抜くには「根底にある迷いを引き受け、『暫定的な真理』へとにじり寄る姿勢が必要」と宇野氏は説く。プラグマティズムは不満を消し去る特効薬ではない。ただ、互いの信じるところを認め合う共存に向け、個々が辛抱強く取り組む大切さを教えてくれる。