池上彰の大岡山通信 若者達へ
仏週刊誌の風刺画問題、権力批判、民主主義の根幹
イスラム過激派組織「イスラム国」を巡る問題が連日ニュースになっていますが、フランスの新聞社「シャルリエブド」が襲撃された事件も忘れるわけにいきません。新聞社は再び預言者ムハンマドの風刺画を載せた新聞を発行しました。
この問題について、 私の講義を履修している東京工業大1年生約120人に意見を聞きました。
シャルリエブドの方針を「支持する。 理解できる」という人は挙手を。 目分量でだいたい15%くらいでしょうか。
では、「そこまでやるのはやりすぎ、信者の宗教的な思いを傷つけるべきではない」という人は? 80%くらいかな。どちらともいえない」は5%くらいでしょうか。
まず、「支持する」という人の理由から聞いてみましょうか。
学生A 規制することはできない。表現の自由があるから責めることはできないのではないか。 政府とは違う民間企業の行動は認めるべきではないでしょうか。
学生B 風刺が人を傷つけることがあります。 日本も大震災の後、原発事故に関して風刺画を掲載され、特に被災地の人々が傷ついたわけで、悲しいことです。ただ 風刺によって、世界は原発について、そういう不安を抱いているのだということがわかるのも事実です。描かれることによって、我々も初めて気づくことができるのです。だからいいことだと思うのです。
では、「風刺画を再び載せたのは、やり過ぎだよね」と考えた人の声も聞いてみましょう。
学生C 再び載せれば、また人が死ぬかもしれない。犠牲者が出る可能性が大きくなると予想される時点で、掲載はやめるべきだったのではないでしょうか。
学生D イスラム教を信じる人々には、ムハンマドは生きがいであり すべてだと思うのです。 行き過ぎた人権侵害ではないでしょうか。
学生E フランスで天皇が風刺の対象になったら日本人はどう思うのか、と考えました。やはり再び載せたことは、やり過ぎだったのではないかと考えています。
学生F これまでの議論を聞いて、私は宗教を別の視点で考えました。 かって「地動説」を唱えたガリレオはキリスト教に批判され、認められなかった。科学の進歩に大きな問題を残しました。 新聞社がテロに屈して掲載をやめたら、結局、宗教に負けたことにならないでしょうか。だから風刺画の掲載は続けてよからたと思います。
君の意見は、中世キリスト教社会では、「地動説」が否定されて、科の進歩が大きく遅れたという指摘ですね。
そもそも表現の自由、 言論の自由がなぜ大切かというと、かって権力者の下で人々の権利が抑圧され、失われている自由を取り戻すという苦難の歴史があったからです。 人々に批判する権利があることで、権力者の問題を指摘し、改善していける。まさにこれこそが民主主義を発展させていく根幹となるのです。
表現の自由か、宗教への配慮か――。両者が衝突しそうになったら、どちらを優先するのか。自分なりの考えを持ってもらえたらと思います。