現代音楽を聴くヒント

 

望月京

 

 夏の音楽祭がたけなわとなり、現代音楽に接する機会も増える。現代曲は難解だと敬遠する聴き手も少なくないが、勘所を押さえることで魅力がみいだせるはず。作曲家の望月京さんがここ100年間の傑作を聴きこなすポイントを解説する。

 さまざまな感情や記憶を喚起させるメロディー、ハーモニー、リズム……。なじみ深い音楽の諸要素は、数百年ものクラシック音楽の歴史の中で確立された。それはジャズやロック、ポップスといったポピュラー音楽にも受け継がれる、人類の「偉大な共有資産」だ。

 それを革新しようという試みである「現代音楽」は、当然、多くの聴き手の反発を招いた。だが、新たなものへの興味や探求ゆえに、人間の意識や可能性が変革・拡大されてきたのも事実だ。20世紀、さまざまな技術革新が私たちにもたらした「豊かな暮らし」の変遷はそれを如実に物語る。

 

音の機会均等に


 1913年、アメリカのフォード社が、生産工程にペルトコンベヤーを取り入れ、車の大量生産を実現したのは象徴的だ。分業制と機械による自動組み立て作
業が可能にした大量生産は、国民の多くが中流意識を抱くような消費社会や経済的発展を導いた。
 こうした繁栄の鍵となる「分業制」、すなわち全体の分断は芸術にも及ぶ。それまで、宗教や日常生活、個人の感情などと結びついて成立していた音楽が、用
途や目的、感情、慣習などから切り離された「自立」の道を模索しはじめた。シェーンベルクとその弟子のベルク、ウェーベルンら「新ウィーン楽派」が開拓した、
「12音技法」が代表例として挙げられよう。
 1オクターブ(例えばドからその上のドまで)を、ピアノの鍵盤で数えると、白鍵、黒鍵合わせて12個の音がある。この12個をどのような音程(音と音の間の距離)で組み合わせるかによって、音楽における、楽しげ、悲しげといった雰囲気が決まる。同時に鳴らせば和音、ばらばらに鳴らせばメロディーになるが、その際、出現する音の頻度にはばらつきがあることが多い。その偏りがその曲の調性や雰囲気を特徴づける。
 「12音技法」は、12の音が全部出揃うまでは、1度使った音を繰り返さないことで、12音間のそうした出現頻度のばらつきを是正した。いねば「機会均等法」を適用した、「音の上に音を作らず」の実践である。
 さらに後年、フランスのブーレーズなどにょって、リズム、強弱、音色など、その他の音楽の構成要素も分断されていく。


 本能突き動かす


 こうした技法によって、聴き手がそれまでよりどころとしてきた、メロディー、和声、調性、拍動などの「秩序」は解体され、物語性や感情とも切り離された。か
くて、現代音楽は、多くの人にとって、「難解」との熔印を押されるとになったのだ。
 入門者には、ウェーベルンの(オーケストラのための5つの小品》 (1913)をお薦めしたい。12音技法としては未完成だが、全曲通して5分未満。ほぼ同時期、
同じウィーンで活躍したマーラーとは対極の音楽世界を享受できよう。
 同じ13年の作品、ストラヴィンスキーの(春の祭典)も、初演時は、ウェーベルンやシェーンベルクの作品同様、無理解による大騒動が起きたという。しかし、難度の高い変拍子の連続にもかかわらず、今日、アマチュアオーケストラもしばしばとりあげる人気作だ。その理由は、誰もが体感できる力づよい拍動が喚起する原始性や儀式性など、人間が古くから培つてきた様々な知識や体験が、私たちの本能をつき動かすからだと思う。「難解な現代音楽」ながら、過去の記憶や身体性と分断されていない。
 無味乾燥と思われがちな現代音楽だが、「機会均等」や「平等主義」と同様、多種多様な表現の共存という、20世紀以降の社会の志向も反映しているのだ。時
代や社会背景も鑑みて聴けば、現代音楽の面白味は倍増するはずだ。

 「現代音楽=難解」とのイメージは、主に、前回とりあげた「12音技法」と、その変種によってもたらされたものだと思う。これらの手法は、調性、拍動、旋律、和声など、聞き慣れた音楽の構成要素から、音楽も聴き手も解放した。が、聴き手にとっては、いきなり無秩序の森に、地図もなく迷い込んだようなもの。記憶や感情とも結びつかない、 「自立した音楽」の無機的な響きに、最初は困惑するだけだろう。
 12音技法によって、1オクターブに含まれる12個の構成音の登場頻度が均一化された。かわりに、頻度の「格差」によってもたらされていた調性感は失われた。「無調音楽」といわれるゆえんだ。
 「無調」は現代音楽の代名詞かのように思われているが、そのありようは実はさまざまで、必ずしも「難解な響き」とセットではない。
 たとえば、グレゴリオ聖歌などに代表される古来の教会旋法。あるいは、ジャズにも見られる、複数の調の同時共存。日本の民謡によくある5音階。これらはすべて、「確固たる調性をもたない」という意味で「無調」である。無調性が現代音楽の難解さの「元凶」ではないことがおわかりいただけるかと思う。


 新しい聴取体験


 エリックーサティの音楽は好例であろう。12音技法の台頭と同時期の音楽だが、一聴したところ、対極にあるようなゆるゆると心地よい響きだ。しかし、非常に先鋭的なアイデアが実践されている。たとえば、教会旋法をとりいれた、ノスタルジックな無調性。《ひからびた胎児》(1913)。《犬のためのぶよぶよとした前奏曲》 (1912)など、実際の曲の印象とはかけはなれた奇抜な曲名をつけることで、タイトルが音楽内容を示唆する「標題音楽」の伝統の裏をかく。レタリングを施した、デザイン画を思わせる楽譜に、添えられたナンセンスポエムのような語句、へたうまイラストなどと併せ、聴き手の好奇心や想像力を刺激し、文学、絵画など、異分野にもつながるような、脱力感ある「しかけ」が楽しい。
 意識的に聴くのではない音楽をめざした《家具の音楽》(1920)や、1分ほどの音楽を840回繰り返す《ヴェクサシオン》(1893〜95)では、合理的音楽形式や、妥当な演奏時間といった「予定調和」を裏切ることで、新しい聴取体験がもたらされる。
 こうした斬新なアイデアは、ドビュッシーやラヴェルなど同胞の同輩から、世界の後進まで、多くの影響を与えたが、彼の音楽が「前衛」、「難解な現代音楽」との印象を与えることはないだろう。メロディー、リズム、拍子などの「秩序」が、昔ながらに存在するためだ。


 似た響きを量産


 一方、過去と決別した「12音技法」は、サティの没年(1925)に生まれた、同じフランスのブーレーズなどが、そのシステムをさらに発展させた。音の高さだけでなく、それ以外の音楽の諸要素(音の長さ、強弱、音色など)にもそれぞれ12種類のバリエーションを与え、1〜12の番号列による「機会均等法」で、その登場順や頻度を管理する。「総音列技法」と呼ばれるこの手法は、番号列を決め、それに12種の各要素をあてはめれば、ある程度、自動的に作曲できる。いねば、音楽上の「分業制」と「オートメーション化」の徹底だ。産業界同様、この2つのキーワードによって、似たような響きの音楽が量産れたことは興味深い。
 この手法により、音楽の内外の相互関連はすべて断ち切られた。潔いまでに推し進められた革新的技と、あらゆる縁を払拭し、「自立した音楽」の凛とした響きは、それまでのどんな音楽とも一線を画し、20世紀前衛の王道として君臨する。
 同時に、「行き過ぎた自立」の、とりつくしまのない響きは、聴き手を遠ざけ、現代音楽の孤立にもつながることになった。その孤立は現在も続くわけだが、作曲家たちは、さまざまな方法で、「失われたつながり」を求めて試行錯誤を重ねてゆく。

(作曲家)

 

 

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