霊魂が漂う時季
山下柚実
ついさっきまで明るく青みがかっていた空が、
どろりと墨を加えたよう
な暗さを増している。夕
方から夜へと変化してい
くこの時間帯のことを、
私たちの祖先は「逢魔が時」と名付けた。魔に逢
うなんて、ずいぶんおどろおどろしいことばだ。
辞書には「大禍時」が転
じたとあるが、もっと怖
い。不意に魔性に出会い
そうな、大きな禍いが起こりそうな怪しい時間帯
だと、多くの人が感じて
きたのだろう。
でも、今日の私はちょ
っと違った。暗闇は「魔」「禍」に出会う恐ろしい時間ではなかった。
蛍を待っていたから
だ。
東京都文京区の関口に
ある椿山荘の庭園は、都
心には珍しく豊かな湧水
がある。秩父山系から自噴する地下水や隣の邸宅
を水源とする幽翠池もあり、水車
の回る音、
滝の音、せせらぎの音が涼しげ
だ。
耳を澄ませて蛍を待った。初夏の日は長く、なかなか暮れ
きらない。午後七時半頃、
やっと夜のとばりが降り
た。湿った草むらの中で金緑色の小さな光が瞬き始める。
かすかに光り、また消
え、光る。呼吸している
かのように。しばらく明滅を繰り返したその光
は、ある時ぐんと輝きを増した。そして一気に
暗闇の中へと舞い上がっ
た。
柔らかな円弧を描く
光。かと思うと、空気の流れに乗って水平方向へ
すすっと移動していく。
一段高い枝の方へふわり
と上昇し、重力に引き寄
せられるように落ちていく。
「もの思へば沢の蛍も我
が身よりあくがれ出づ
る魂かとぞ見る」
あの蛍は、男への思いにふける私の身から彷徨
い出てきた魂ではないの
か――。和泉式部はそう
詠んだ。
予測できない不安定な
光の軌道が、よけいに、誰かの魂のように見えるから不思議だ。
この歌の下敷きには
「遊離魂」の思想がある
といわれる。人や動植物
の魂が、体から離れて彷
徨うことを言う。死んだ
時だけではない。生きた体からも魂は彷徨い出て
いく。私たちの祖先はそ
うした霊魂観を、自然な
ものとして受け取ってき
た。現代の私たちも、千
年前の歌に共感して自分の魂を蛍に重ねてみたり
する。「遊離魂」という
感性は、人々の中にちや
んと生き続けている。
この庭園は遠い昔、椿が美しい「つばきやま」
という景勝地だった。目白台地の崖線にあり、江戸時代には松尾芭蕉も隣に棲んでいた。「椿山荘」と命名したのは明治の政治家、山縣有朋だ。私財
を投じて作り上げた庭と屋敷は、その後男爵・藤田平太郎の手に渡った。
戦争でかなり焼けたそう
だが、戦後に高級総合宴会場として開業した。一
時期は外資系ホテルと提
携していたが、今は「ホ
テル椿山荘東京」という
名称になっている。
二万坪にも及ぶ起伏の
ある庭園は、大都会の幽谷だ。樹齢五百年のご神
木、重なりあって繁る枝々、その間から見え隠れ
する石仏、三重塔、茶室。
独特な雰囲気に惹かれ
て、ホテルや結婚式場に
人がやってくる。でも、
かつてここに能舞台があ
ったことは、あまり知ら
れていない。
「益田鈍翁や団琢磨は椿
山荘の主だった藤田家と
三井家一族の舞台でも、
毎月素人の能が催され
た。能には『子方』 (子
役)がつきものだから、
私もその度に招かれてお
相伴になった」と白洲正
子は自伝に書いている。
子供だった白洲がここで
どんな能を舞ったのか詳
細はわからない。でも、そもそも能という芸自体
が、さまよえる霊魂と深
く関係していることはた
しかだ。二百数十番ある
謡曲の大半は、すでにい
ない人が主役となる夢幻
能なのだから。
「主人公はおおむね幽霊
で、生前この世に思いを残して死んだ人びとが、
夢うつつの間に還ってき
て、恋の想い出を語った
り、犯した罪をざんげし
たりします」と『能の物
語』の中で白洲はかみく
だいた解説をしている。
それは、他の演劇には
見られない能の特徴的な
構成と言ってもいいのだ
ろう。「遊離魂」の表現
を得意とする芸能に、四歳の時に取り憑かれ夢中で稽古してきたという彼女は、日本の女性で初めて正式な能舞台に立った人でもあった。
椿山荘の闇に漂う蛍を見ながら、この人の霊は今、どこを彷徨っているのだろうと思う。東京という舞台の上でその霊を追いかけてみたい、とも思う。
関東では他の地域より一ヵ月早く、七月半ばにお盆に入る。地獄の釜の蓋があき、先祖の霊が帰ってくる。霊が迷わないよう迎え火をたき、「家はここよ」とサインを出す。考えてみれば実にユニークな年中行事だ。霊を迎え入れ、数日間飲食をともにして、ちょっと切ない思いとともにまた送り火であの世へと送り出す。
たとえ肉体を失っても、居なくなった人とどこかでつなかっている、やりとりや行き来ができる、という感覚が、私たちの中にはたしかにある。お盆が相変わらず二十一世紀の今に存続しているのは、「遊離魂」という独特な感性のおかげかもしれない。
「椿山荘の蛍は、人工飼育したものを放つただけなんでしょ」 知人は私のノスタルジツクな口調を揶揄して笑った。そりゃそうだ。蛍が自生する環境なんて、東京の大半からすでに失われている。でももし、椿山荘の木々が伐採され湧水が枯れて、土地が平らに整地されてしまったら? 沢の蛍の幻想的な風景を楽しむことはできなくなる。魂に思いを馳せることも無くなるだろう。そう思うとこの風景がかけがえのないものに思える。
たとえ土地は所有できても、風景は誰か一人の物ではない。過去と未来、あの世とこの世。暮らしの記憶、居なくなった人の記憶、土地の記憶、すべてを含んでいる。私たちが今見ている風景は、幾重にも積もった時の層の上にある。人に履歴があるように、風景にも履歴がある。
ノスタルジーに浸るのではなく今を生き抜く知恵として、目に見えない風景を繊細に感じ取りたい。そのためにも、私は「五感の力」を磨きたいと思った。
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