団塊ジュニア世代の作家、平野啓一郎さんは同世代のストレスに危機感を抱く。悩む人に「本当の自分」幻想を捨て「分人」として生きようと説く。
「本当の自分」は幻想
「分人」として生きる
僕の世代は、小中学生の頃から「個性的に生きろ」と言われ続けてきた。1980年代、中央教育審議会で「個性の尊重」が目標として掲げられたからだ。しかし一方で、僕の世代は就職難で、個性を生かす場を見つけにくかった。結果、「自分は何者なのか?」と、アイデンティティ・クライシスに陥る人が多い。
しかも、価値観の多様化やインターネットの普及などで人々はこれまで以上に高いコミュニケーション能力を求められている。対人関係に悩み、その中で「本当の自分」「個性」を維持しなくてはという強迫観念を持っていると苦しくなる。さらに、30代は結婚や子供の誕生、自宅の購入などライフイベントが殺到する。その疲労と精神的ストレスで、死を選ぶ人もいる。失職などの生活苦による自殺は社会保障などで救済できるが、仕事も家族もあるのに自殺する30代が多いことに、僕は危機感を抱いている。
■年齢も死について考える契機になったという。父親は36歳で他界した。同じ年齢に自分がさしかかった時、東日本大震災が起きた。
たくさんの方が肉親の死に直面した。身近な人の死とは何だろうと改めて考えた時、目の前から消えてしまう、ということではないかと思った。自殺への衝動も、「死にたい」というより、「消えたい」「こんな自分を消したい」という感覚なのではないか。
でも、「消したい」と思う自分以外にも自分はいる。例えば「いじめられている自分」以外にも、家族や友人と幸せに過ごす「自分」はいるわけで、それを見つけられれば自分の全存在を消す必要はなくなる。これが僕の「分人」の考え方。僕たちは友人や仕事の同僚、両親、子供など対人関係によって、さまざまな「分人」となって生活している。それらはすべて本当の自分であって、唯一無二の「自分」は存在しない。
■昨秋、刊行した「空白を満たしなさい」は36歳のサラリーマンがある日、目を覚ますと同僚や妻子に「おまえは3年前に死んだ」といわれ混乱する。サスペンスタッチでありながら、死生観や幸福の意味についても深く考察した小説だ。
個人「individual」の原義は「分けられない」であり、一神教の神であるイエス・キリストと相対する人、あるいは論理学上の「個体」の意味だ。日本人はこの原義を理解しないままに言葉を輸入し、近代化の中で、一人ひとりが「個人」として自我を確立すべきだという考え方が広がった。
それゆえ、明治以来の日本の文学の多くも「自分とは何か」を考えることを主題にしてきたが、今やその種の小説では救われない若者も多いのではないか。こうした人々に、安易な癒やしや根性論ではなく、本当の意味で効果的な薬となるような、新しい文学を提示していきたい。
作 家
平野啓一郎さん
(ひらの・けいいちろう)1975年愛知県生まれ。京大法卒。作家。「日蝕」で芥川賞。ほかに「決壊」 (芸術選奨文部科学大臣新人賞)、「トーン」 (ドゥマゴ文学賞)、「葬送」 「私とは何か」など。