近代秀歌

永田和宏 選

 

恋・愛

 

やわ肌のあつき血汐(ちしほ)にふれも見でさびしからずら道を説く君

与謝野晶子

 

髪ながき少女(をとめ)とうまれしろ百合に(ぬか)は伏せつつ君をこそ思へ

山川登美子

 

人恋ふはかなしきものと平城山(ならやま)にもとほりきつつ堪へがたかりき

北見志保子

 

人妻をうばはむほどの強さをば持てる男のあらば()られむ

岡本かの子

 

君がため死なむと云ひし男らのみなながらへぬおもしろきかな

原阿佐緒

 

相触れて帰りきたりし日のひるま天の怒りの春雷ふるふ

川田順

 

 

青春

 

われ()の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子ああもだえの子

与謝野鉄幹

 

不来方(こずかた)のお城の草にねころびて空に吸われし十五の心

石川啄木

 

石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし

石川啄木

 

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる

石川啄木

 

清水(きよみづ)祇園(ぎおん)をよぎる桜月夜(さくらづきよ)こよひ逢ふ人みなうつくしき

与謝野晶子

 

 

命と病い

 

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が(いのち)なりけり

斎藤茂吉

 

草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ

斎藤茂吉

 

われの眼のつひに見るなき世はありて昼のもなかを白萩の散る

明石海人

 

今朝(けさ)の朝の露ひやびやと秋草やすべて(かそ)寂滅(ほろび)の光

伊藤左千夫

 

もの忘れまたうち忘れかくしつつ生命をさへや明日は忘れ無む

太田水穂

 

 

家族・友人

 

隣室に(ふみ)よむ子らの声きけば心に沁みて()きたかりけり

島木赤彦

 

其子等に捕へられむと母が(たま)蛍と成りて夜を来たるらし

窪田空穂

 

たはむれに母を背負ひてその余り軽きに泣きて三歩あゆまず

石川啄木

 

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ

石川啄木

 

時代ことなる父と子なれば枯山に腰下ろし向かふ一つの山脈(やまなみ)

土屋文明

 

老ふたり互いに空気となり合いて有るには忘れ無きを思はず

窪田空穂

 

 

日常

 

かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ

若山牧水

 

白玉の歯にしみとおほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり

若山牧水

 

ふるさとの(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく

石川啄木

 

篠懸樹(プラタナス)かげ行く()らが眼蓋(まなぶた)に血しほいろさし夏さりにけり

中村憲吉

 

 

社会と文化

 

りんてん機、今こそ響け。うれしくも、東京版に、雪のふりいづ。

土岐善麿

 

新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど

石川啄木

 

はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る

石川啄木

 

ただひとり吾より貧しき友なりき金のこと(まじはり)()てり

土屋文明

 

遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし

土岐善麿

 

鎌倉や御仏(みほとけ)なれど釈迦(しやか)牟尼(むに)は美男におはす夏木立なか

与謝野晶子

 

垣山にたなびく冬の霞あり我にことばあり何か嘆かむ

土屋文明

 

 

 

(いく)山河(やまかは)越えさり行かば寂しさの()てなぬ国ぞ今日もゆく

若山牧水

 

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

佐佐木信綱

 

大門(だいもん)のいしずゑ(こけ)にうづもれて七堂(しちだう)伽藍(がらん)ただ秋の風

佐佐木信綱

 

ああ皐月(さつき)仏蘭西(ふらんす)の野は火の色す君も雛罌栗(こくりこ)われも雛罌栗(こくりこ)

与謝野晶子

 

はつなつのかぜとなりぬとみほとけはをゆびのうれにほのしらすらし

會津八一

 

 

四季・自然

 

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはやかに春雨のふる

正岡子規

 

池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる

伊藤左千夫

 

高槻(たかつき)のこずゑにありて頬白のさへづる春となりにけるかも

島木赤彦

 

うすべにに葉いちはやく萌えいでて咲かむとなり山桜花(やまざくらはな)

若山牧水

 

牡丹花(ぼたんくわ)()(さだ)まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ

木下利玄

 

向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ

前田夕暮

 

金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に

与謝野晶子

 

馬追虫(うまおい)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひ見るべし

長塚節

 

曼珠(まんじゅ)沙華一(しゃげひと)むら燃えて秋陽(あきび)つよしそこ過ぎてゐるしずかなる(みち)

木下利玄

 

 

弧の思い

 

やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

石川啄木

 

白鳥(しらとり)(かな)しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

若山牧水

 

つけ捨てし野火の烟のあかあかと見えゆく頃ぞ山は悲しき

尾上紫舟

 

おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の葉深く

伊藤左千夫