主が導いたチェロの音色
ベアンテ・ボーマン
3月11日、東京都内の自宅でチェロの練習をしていたら、身体が左石に激しく揺れた。思わず外に飛び出した。30年以上、日本で暮らしてきたがこれほど大きな地震は初めてだった。
私はスウェーデン出身で、東京交響楽団で3月まで首席チェロ奏者を務めていた。一方、宣教師として、東京近郊を中心に全国の教会へ出かけ、演奏や話をした。阪神大震災や新潟県中越地震の時は、現地の教会でチャリティーコンサートや物資の援助などを行った。いずれ東北へも行くつもりだ。岩手県の釜石市や大船渡市など日本キリスト教団の奥羽地区の教会でコンサートをしたことがある。親しくしている牧師がいる。
震災で出国の意思なく
今回の東日本大震災と原子力発電所事故で、私の母国からは、出国を希望するなら東南アジアまでの航空便を手配すると知らせが届いた。確かに多くの外国人が出国したが、私は日本政府の発表を信頼している。海外メディアのニュースばかり見ている人が、恐怖感を募らせているのだと思う。
ファルンという森に囲まれた小さな町に生まれた私は母国やドイツ、フィンランドでチェロを学び、1979年に宣教師として来日した。でも就労ビザがなかったので、職を持ちたいと思った時に、東京交響楽団でオーディションがあった。その会場だった東京の矯風会館は、キリスト教関係の施設で十字架があった。入ってみるとドイツ時代の同級生が団員でいた。やはり何かの導きがあったのだろう。私は楽団の後ろの方で弾くつもりでオーディションを受けたが、チェロの首席奏者として採用された。チェロの首席は、コントラバスやファゴットなど低音楽器のまとめ役だ。
山岳写裏家の顔も
オーケストラの仕事の合間に教会へ出かけた。登山も好きで、息子が小学生の頃から日本人の妻と家族で日本アルプスに登りキャンプをした。山の写真も撮っている。私はチェロ奏者であると同時に宣教師でもあり山岳写翼家でもあるのだ。
すべての活動が、良い影饗を与え合っている。私がオーケストラの首席奏者だと知ると、多くの人が演奏を聴きに教会に集まってくれる。たいてい満員で、半分は初めて教会を訪れる人だ。
教会で、作曲家や作品についての話もする。すると自然にキリスト教の話になる。クラシック音楽とキリスト教は密接につながっているからだ。
そして演奏中は、山で見た光景を時折イメージする。日本の山は風景が変化に富んでいる。自然が生み出す光景、神の創造の素晴らしさに深い感動を覚えたことが幾度もあった。山小屋のオーナーに頼まれてヘリコプターでチェロを運んで山で演奏したこともある。
オーケストラの仕事で忘れられないのは、まず指揮者のアルヴィド・ヤンソンス。ブルックナーの交響曲のクライマックスで、指揮をしながら「ハレルヤ、ハレルヤ」と歌っていた。歌の場面ではない。私はヤンソンスが、ブルックナーと信仰との関係を深く理解していると思った。
朝比奈隆先生のゆっくりとした指揮も、演奏に深い感動をもたらした。若い頃の若杉弘さんも素晴らしく、私は彼が指揮したマーラーの交響曲第2番「復活」で演奏申に涙したことがある。
退団後も練習に熱
慣れ親しんだ東京交響楽団を定年で退団したと同時に震災にあった。10年近く楽団が拠点にしてきたミューザ川崎シンフォニーホールも、客席天井の建材が落ちる被害があった。ホールやオーケストラの今後が心配だ。
でも私の心は前を向いている。実は地震の少し前、目の前に大きな壁が立ちはだかったような感覚に陥った。定年を前にした不安である。しかし新しい人生の始まりだと心を切り替えて、学生時代に戻ったつもりでバッハの大曲、無作葵チェロ組曲の練習を始めた。
震災後は、中でも難曲の第6番の2楽章を毎日のように弾いている。今の状況にあまりに合った曲なのだ。哀歌であり、人の心を支える音楽でも一ある。今後、東北などの教会でチャリティーコンサートをする機会があれば、哀悼の意を込めて演奏したい。
人生では避けられない困難や悲劇に直面することがある。しかも人間は自分の力だけで心の平安
東京交響楽団には今後も客演などの形で関わりを持つだろう。残りの人生を日本で過ごすつもりだ。
(チェロ奏者)