やさしい仏教教室

 

29回「良医のたとえ」



 これまでいろいろな仏さまのお話を取り上げてきた『やさしい仏教教室』は、次号で最終回となります。そこで、最後として『良医のたとえ』というお話を、今号と次号の 2 回にわたって取り上げます(本稿では1回に纏めました)。

「ひーにょーろういー。ちーえー・・」と、唱えてみてください。なんだか口に覚えがありませんか? そうです実はこのお話は、キミが読んでいるお経、『妙法蓮華経』如来寿量品第十六の中に書いてあるのです。だからキミは、いつもこのお話を読んでいるんですね『良医のたとえ』を通して、お題目を唱える大切さと仏さまの慈悲の深さに触れていきましよう。

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  むかしむかし、ある国に、どんな病気も治してしまうすばらしいお医者さんがいました。このお医者さんにはとてもたくさんの子どもたちがいました。

ある時、このお医者さんは遠くの国で仕事ができたので、しばらく家を留守にすることになりました。

そうしてお父さんがいない間、留守番をしていた子どもたちは、まちがって毒を飲んでしまいました。お腹が痛くて、頭も痛くて、息も苦しくてどうにもなりません。地面をころげまわって苦しんでいました。

そこへお父さんが仕事から帰ってきました。子どもたちはみんなとても喜びました。

「お帰りなさい、お父さん。よく帰ってきてくださいました。実はぼくたちはお父さんがいないうちに勝手なことをして、まちがって毒を飲んでしまいました 。 とても苦しいです。なんとか救ってください。このまま死ぬのはイヤです」

「わかった! まっていなさい! 今すぐ最高の薬を作ってやるぞ!」

お父さんは薬のことならなんでも知っています。必要な薬草をすぐに集めてくると、さっそく薬を作り始めました。

まず、それらをすりつぶして粉々にしました。次に、ふるいにかけていらないものを取りのぞきました。最後に、ふるいの上に残った薬草の成分を練り合わせて一つのすばらしく良い薬が完成ました。

そして、お父さんは言いました。

「子どもたちよ。この薬を飲めば毒の苦しは必ずなくなる。それに色も味も香りも最だ。さあ、これを飲みなさい」

しかし、子どもたちの中には、この薬を飲んだ子と飲まない子がいました。

薬を飲んだ子は毒の苦しみがすっかりなくなって元気になりました。そしてこれからも毒に苦しむことはありませんでした。

その一方、薬を飲まなかった子は苦しんだままです。なぜ飲まなかったのでしようか?

実はこの子どもたちは、毒が体の奥深くにまでまわってしまい、わけがわからなくなってしまっていたのです。だから、お父さんの言うことを素直に聞けないし、色も香りも味もすばらしいこの薬を飲む気にもならないのです。

「なんてかわいそな子だ。どうにかしてこの薬を飲ませてやらなくては ・・・」と、お父さんは思いました。

そこで、子どもたちに薬を飲ませる手だてを考えたお父さんは、次のように言いました。

「子どもたちよ。これからまた仕事で遠く の国へ行かなくてはいけない。苦しんでいるおまえたちを置いていくのは心許ないがどうしようもないのだ。

出発する前に伝えておかねばならないことが二つある。 よく聞きなさい。

知っての通り、私もずいふんと年をとった。死を迎えるときもそう遠くないだろう。今回は無事に帰ってくることができるかわからない。よくよく覚えておきなさい。

もう一つ。こここばらしい薬を置いてくよ。どうかこの薬を飲んでおくれ。そうすれば毒の苦しみは必ず治る。何も心配するとはない。くれぐれもこの薬を飲みなさい。」

そうまで言い終えお父さんは遠くの国へ旅立っていきました。次の日、遣いの人が子どもたちのところへやってきました。そして言いました。

「大変です。みなさんのお父上がお亡くなりになりました !」

毒に侵されて苦しんでいた子どもたちは、お父さんが亡くなったという知らせに大きなショックを受け打ちひしがれます。

「なんということだ。ぼくたちを残して、お父さんは遠くの国で死んでしまわれた。きっと生きていらっしゃれば、今までと同じようにぼくたちをやさしくやピンチの時には守って救ってくれたにちがいないもうぼくたちは誰にもたよることができないんだ・・・」

子どもたちは父の死にはげしくなげき悲しみました。しかし、しばらくそうして悲しみに暮れているうちに、少しずっ子どもたちの心は毒気から覚めていきました。

(・・・ここにすばらしい薬を置いておくよ。どうかこの薬を飲んでおくれ。そうすれば毒の苫しみは必ず治る・・・)

子どもたちは、お父さんの言葉を思い出し始めました。

(・・・何も心配するこはない。くれぐれもこの薬を飲みなさい・・・)

失った本心を取り戻した子どもたちは、お父さんの残してくれた最咼の大良薬をついに飲んだのです。そして完全に毒の苦しみはなくなり、すっかり元気になりました。

「ああ、お父さん薬を飲みました。苦しみはなくなりました。なんとありがたいことだろう。お父さん、ありがとうございます。」

毒の苦しみから解放された子どもたちはお父さんへの感謝の気持ちでいつばいでした。その様子を見届けた遣いの人は、お父さんのもとへ報告に戻りました。

「お子さまたちは大良薬を飲み、苦しみがすっかり治りました」
 そうです。お父さんは生きていたのです!実は、お父さんが亡くなったと子どもたちに伝えたことは、子どもたちを苦しみから救うための"方便”だったのです。

お父さんが考えた通り、子どもたちは正気を取り戻し、薬を飲んで元気になりました。お父さんは子どもたちのもとへ戻り、子どもたちの苦しみからの快復と再会を喜び合いました。

ここまで「良医のたとえ」を話された仏さまは、聞いていたお弟子たちに聞きました。

「良医は子どもたちを救うため、生きているのに死んだと遣いの者に伝えさせました。この良医がウソをついたと責める人はいるでしようか?」
 「いえ、そんな者はいません」
 「そうでしよう。この良医の方便が子どもを苦しみから救うためであるように、私の説法もまた同様なのです 

 私が仏となってから数えきれないほどの時間が経っています。その時々において苦しむ人々を救うため、実に多くの手だてをもって説法してきました。時に異なる仏の姿で現れたこともあったし、あるいは仏ではない姿で現れたりしたこともありました。

その一方で、永遠の寿命があるにもかかわらす、あえて死ぬ姿を示したこともありました。なぜなら、仏がずつと一緒にいたならば、人々はいつでも説法を聴けると思い、安心を通りこして怠けてしまうからです。

私は人々に、いつでも一生懸命に正しい心で誠実に生きてほしいのです。正しいものの見方を獲得して、私と同じく仏となってほしいのです。だから.、一人一人にびったりな教えを説いてきたのです。どうか、私の本当の心と願いをみなさんが素直に信じ、速やかにこの上ない幸せを得ること、仏となることをいつも祈っています。」

 


今の世でみんなを救うお題目

教えてくださる日蓮大聖人さま

仏さまか説かれたお経はたくさんありますが、その中でも『妙法蓮華経』如来寿量品第)十六を私たちは普段のお勤めで読んでいます。それはなぜでしょうか?
 答えは れもが幸せになるた めに一番大切な教えが書かれているお経だからです。その中に今回取り上げた「良医のたとえ」というお話があります。だから、このお話を知ることはとても大事で、とても良いことです。


【 4 人の登場人物】

さて、今回のお話には 4 人の人物が登場しました。

その 1 人目はすばらしいお医者さん。子どもたちのお父さんですね。

2 人目は薬を飲んだ子どもたち。 毒から救われて元気になって良かったですね。

3 人目は薬を飲まなかった子どもたち。毒が深く入ってしまって苦しんだままです。

4人目はわかりますか? 「遣いの人」です。お父さんの死を子どもたちに知らせに来てくれた人ですね.

【お医者さんとは仏さまのこと】

さて、留守の間に毒を飲んでしまった子どもたちを救うため、お父さんは薬を作ることになります。子どもたちの苦しみはひどいもので、そんよそこらの薬では治せません。よほどすばらしく良い薬、つまり「大良薬」でないと救うことができないのです。
 子どもたちを毒の苦しみから救うために、最高のお医者さんであるお父さんが、最高の大良薬を作りました。最高のお医者さんとは仏さまのこと。つまり、仏さまが私たちを苦しみから救うため、最高の教えを説かれたことを意味します。


【大良薬の作り方】

そしてお父さんが集めてきた「薬草」とは、人を導いて救っていくたくさんの良い言葉のことです。
 そうして集めたいろいろな種類の薬草を粉々にするということは、これらの種類という壁を突き崩して差別をなくし平等にすることです。要するに、誰が言っても、どこに書いてあっても、悩み苦しむ人を救う言葉は全て仏さまの教えそのものだということです。


【大良薬とは妙法蓮華経のこと】

粉々になった薬草から要らない成分をふるい落とすのは、いろいろな成分の中から、誰であっても救うことができる最高の成分を取り出すことです。こんなことができるのは仏さまだけです。
 こうしてすばらしい最高の成分だけでできた大良薬の名前を「妙法蓮華経」といいます。「南無妙法蓮華経」というお題目を唱えることは、どんな毒の苦しみも必ず治すことができる大良薬を飲むということです。
 実は毒を飲んで苦しんでいた子どもたちとは、いつも悩み苦しんでばかりいる私たちのことです。お題目を唱えることが何よりも大切だということがわかると思います。
 さて、遣いの人が子どもたちに知らせました。「みなさんのお父上かお亡くなりになりました」と。薬を飲まない子どもたちは転げまわって苦しんだままです。このあと一体どうなってしまうのでしようか ・・・

 

飲んだ毒に侵される苦しみと、お父さんを失った悲しみ。子どもたちはどれほど辛かったことでしよう。自分にに置きかえ、ちょっと想像してみましよう。たとえば、キミは重い病気になって入院し苦しんでいます。そんな時、お父さんとお母さんが仕事先の故で亡くなったとの報せが届きます。悲しくて心細くてどうしようもありません。周りからの中途半端ななぐさめはかえって逆効果。むしろ心を逆なでされたように感じ、怒りすらわいてきて、もっと心を乱す結果となるでしょう。そうしてしばらくは立ち直れないことでらしよう。
 しかし、悲しみに暮のれているうちに、お父さんやお母さんの在りし日の姿を思い出してくるのです。優しかっえたこと嬉しかったこと。ほめてもらったこのと。頭をなでてもにらったこるとや抱っこしてもらったこと。あるいは、キミのために話してくれたこと。キミを思い叱ってくれたこと。言い聞かせてくれたこと。

一つ一つの思い出を思い起こし、心の中を整えていくことで、悲しさや辛さのあまり乱れてしまった心を見つめ、失った本心を取り戻していくでしよう。

さて、本心を取り戻した子どもたちは、お父さんの言葉を思い出し、留め残してくれた最高の大良薬を飲むことができました。苦しみから救われたのみならず、亡くなったと信じ込んでいたお父さんにも再会することができた子どもたちの喜びはいかばかりだったことでしよう。こうして子どもたちは元気を取り戻したのでした。

【遣いの人】

このお話で、"お父さんは仏さま、"大良薬"は仏さまが悟られた正しい教え「妙法蓮華経」のことてあると前回触れました。また、"毒で本心を失い大良薬が気に入らす、飲まずに苦しんでいる子どもたちは、いつも悩み苦しんでいる私たちのことであることも触れました。

さて、最後の登場人物である、「お父さんが亡くなった」という報せを子どもたちに伝えにきた人、つまり大良薬を飲むきっかけをくれた"遣いの人"とは誰のことを示しているのでしようか?
 すばらしいお医者さんであるお父さんがこしらえた大良薬を、お父さんになりかわって子どもたちに飲ませる役目を実行した人と言えましよう。
 実はそれが、人々を"遣いの人”がいたからこそ子どもたちが救われたように、人々を苦しみから救うという仏さまの役目を実行するため、お題目を唱えることを人々に教え広めた日蓮大聖人さまがいらっしやったからこそ、私たちは苦しみから救われるのです。
 だからキミが「南無妙法蓮華経」と唱えることは、キミが大良薬を飲んで苦しみから救われることなのです。

逆に言うならば、さまざまに感じる苦しみは、大良薬を飲むためのきっかけ、お題目を唱えるためのチャンスとも言えるのです。

仏さまは、キミが仏さまと同じようにこの上ない幸せを得られるよういつも願って下さっています。

日蓮大聖人さまは、キミが幸せになるための教えをたくさん教えてドさっています。

キミがますますお題目を大切に唱えて、日蓮大聖人さまの教えを信じて、元気で幸せでいることを願って、「やさしい仏教教室」を終えたいと思います。

 

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