やさしい仏教教室

 

第24回  「父王の遺言」

 

正しい教えのお題目

         いつも心の おおもとに

 

 今年も残すところあとわずか。振り返ると、たくさんの思い出づくりの場を新型コロナウイルスの流行によって失いました。連動会、学芸会、修学旅行、部活動やその試合!。それでもみんなで前を向いて進むしかありません。

 試練にあったときに必要なのはご正しい教えとそれを信じる心の力です。

 

 

 むかし、ひとつの平和な国がありました。王さまは、仏さまの教えを守って国を治めていました。

 ある日、となりの国の欲深い王が突然、国境へ攻めてきました。大臣たちは王さまに兵を出す許しを求めます。

 王さま「わたし一人を守るために、多くの民を死なせるわけにはいかない」

 大臣「そのような王さまだからこそ命がけでお守りしたいのです」

 王さまは黙って引きこもり、王子を呼びました。

 王さま「勝っても負けても、戦えば多くの犠牲者がでる。わたしは身を隠して国を大臣に任せようと思うが、どうか」

 王子「わたしも父上と一緒に城を出ます」

 こうして王さまと王子は、その夜のうちに山奥へ姿を隠しました。

 急に王さまと王子を失った大臣たちは、くやし涙をこらえ、王の心をうけて、戦わずに降伏しました。

 王さまはやがて静かにこの世を去りました。

 「怨んではならぬ。怨みはまたもっと大きな怨みを生むだけだ」

 父の王さまの遺言を胸に刻んで、王子は山を下りました。

 わずかの間に様子が変わったふるさとの国を歩いていると、新しい王の野菜畑で働き手を求めていました。粗末な身なりの王子は、だれにも怪しまれずに雇われました。

 王子はよく働きました。まもなく王の食事係になり、ついには王のそばに仕えるようになりました。

 あるとき、王は言いました。

 「この国の前の王は戦もできない弱虫だったが、その王子はわたしを怨んでいるにちがいない。いつ攻めてくるかもわからないから、おまえはわたしのそばをはなれず、しっかりと守るのだぞ、よいな」

 王子はだまってうなずきました。

 さてある日のこと、王は狩りに出かけました。いつになく熱中して森の深くへと迷いこみ、家来ともはぐれて王子と二人きりになりました。

 疲れた王は、王子のひざを枕にして眠ってしまいました。

 「(いまこそ父上の怨みをはらすときだ)」

 王子が剣に手をかけたとき、王は目を開きました。

 「前の王子がこの森にいる夢を見た。疲れのせいだろうか」

 そう言って再び眠りました。

 「早くしなければ。こんなチャンスは二度とない)」

 王子が剣をぐっとにぎると、また王が目を開きました。

 「妙だ。また同じ夢を見た。油断するなよ」

 王は再び眠りました。

 「(よし、今度こそ)」

 王子が剣を抜き、王の首を貫こうとした瞬間、”王子よ、怨んてはならぬ”と、父王の声が心に響きました。

 王子はうめきながら剣を地面に深く突きたてました。そのとき、王はびっくりして跳ね起きました。

 王「何ごとだ?!」

 王子「王さま、実はわたしが前の王の王子です。今、お命をいただくところでした。さあ、わたしを討ってください」

 あっけにとられている王の前に、王子は自分の剣を差し出しました。

 王「なぜ討たなかった」

 王子「父上の遺言を破れなかったのです」

 王は遺言を聞くと、ガックリとひざをつきました。

 「そうであったか!」

 王はしばらく目を閉じ、深く考える様了でした。

 やがて二人は馬を並べて城へ帰りました。

 次の日の朝、王は王子に国を返して、自分はもとの国へ引き上げることを発表しました。

 王子よ、いや、王よ。わたしの償いは今から始まる。どうかわたしとわたしの国を見ていてほしい」

 2人の王は、朝日に包まれキラキラと輝いて見えました。

 ふるさとを失い、父王を失っな王子。どれほどつらくて悲しかったことでしょう。となりの国の王をどれほど怨みたくなったことてしょう。

 しかし、父王の遺言「怨んではならぬ」という教えを胸にして、王子はかつてのふるさとで生きていくことにしました。

 まじめに懸命に働き、信頼を得て、ついには王のそばに仕えました。そして、父王の仇をとるチャンスを得ました。しかし、そこで父王の遺言によって王子は思いとどまります。

 もしそこで王子が剣で王を殺していたらどうなったでしょう。となりの国だって、自分たちの王が殺されては、だまっているわけにはいきません。きっと戦争が起こってたくさんの人が死んでしまったことでしょう。遺言には「怨みはもっと大きな怨みを生むだけだ」とあります。

 命をとられずにすんだとなりの国の王は、王子から父王の遺言を聞いて、欲深い自分の心を反省しました。

 王子が「さあ、わたしを討ってください」と剣を差し出したにもかかわらず、殺すどころか王子に国を返して、自分の国に戻りました。

 王子は父王のあとを継いで、もとの国の王となりました。そのあとも、となりの国と仲良く協力して平和をたもっていったことでしょう。

【教えが守ったもの】

 さて、父王の遺言「怨んではならぬ。怨みはまたもっと大きな怨みを生むだけだ」という教えは、たくさんのものを守りました。

・自分の国の民

・となりの国の民

・王子の心と命

・となりの国の王の命と心

 父王は山の中で静かに息を引きとりましたが、その心と教えは王子の心の中で生きていました。そして王子から遺言を聞いた、となりの国の王の心にも、その[怨んではならぬ]の教えが届きました。

 「教え」は、目には見えませんが、いつでも、どこでも、だれの心の中にても生きつづけるものなのですね。

 父王は仏さまの「教え」を信じてぃましたから、「怨んではならぬ」は仏さまの「教え」と言ってもよいでしょう。

 仏さまはみんなの幸せを願って、いろいろな教えを説かれました。だから、その教えを信じて生きると、みんなか幸せになれるのです。

 逆に、仏さまの教えを信じなかったり、まちがった教えを信じてしまうと、とても苫しんでしまうんです。みんな一人で生きているわけではありませんから、周りの大切な人まで巻き込んて、苦しみの輪がどんどん大きくなってしまいます。これではたいへんです。

 

 

【おおもと【大本】

 「宗教」という言葉の「宗」という字を辞書で引くと「おおもと」という意味が出てきます。

 心の中のおおもと、つまり考え方の根本にどんな教えがあるのか、目の前の出来事をどんな物語として捉えるのか、これはとても大切なことです。

 だれだって悩むことはあります。勉強のこと、友だちのこと、習い事のこと、家族とのことなどなど。そのたびに腹を立てたりイライラしたり、怨んだり憎んだり、つまんない顔をしていると、それがその人の根本、心の中のおおもとの考え方として定着してしまいます。これほど苦しいことはありませんね。

 悩みや苦しみは、成長するためにあるのです。人の気持ちがわかるやさしいキミになるためにあるのです。

 たとえ、キミがイヤだなと思う人がいたとしても、ひょっとしたらキミを強く大きく、やさしく成長させてくれるきっかけになるかもしれません。

 キミがそのことを深く信じられたなら、相手へのイヤな気持ちを乗り越えられることでしょう。そして相手のキミヘの態度も変わることでしょう。

 そのとき、キミも相手もきっとキラキラしていることでしょう。朝日に包まれて輝いて見えた二人の王のように・・・

 心のおおもとに仏さまの正しい教えがあると、とても素敵な人になれます。その正しい教えが「南無妙法蓮華経」のお題目だと日蓮大聖人さまは教えてくださいました。

 来年も、しっかりとお題目を唱え、「南無妙法蓮華経」を心の中のおおもとに据えていきましょう。どうか素敵なキミになれるよう祈っています。

 

 

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