やさしい仏教教室
第19回 「美しい人」
いつでも、どこでも、だれにでも
通用するのは「心の美しさ」
「きれいなお姉さんは好きですか?」
これは、かつて使われていたある企業の美容家電のキャッチコピーです。たしかに、きれいな人やかっこいい人には憧れますよね。
今回は、レングというきれいなお姉さんのお話です。ひょんなことからレングは自分よりも美しい美人と出会いました。二人は仲良くなって一緒に歩いていたのですが・・・。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昔、レングというとても美しい女性がいました。レングの美しさといったら他に比べようもないほどでした。
あるとき、レングはふとしたことから善い心をおこして、仏さまのお弟子になって正しい修行者になりたいと思いました。そして弟子にしてもらうために仏さまのもとへ出発しました。
しばらく歩くと、きれいな川がありました。レングは川の水をすくって飲もうとしたときに、水面に映る自分の顔を見ました。そしてその美しさに惚れぼれとしてしまいました。
「私はなんという美人でしよう。この美しい姿を捨てて、なぜ修行者になろうなんて思ったのかしら。イヤだイヤだ。この美しさならば、いくらでも楽しく生きていけるわ。やっぱり修行者になるなんてバカバカしいからやーめた!」
こうしてレングは、歩いてきた道を引き返して家に帰ることにしました。
仏さまは神通力という不思議な力で、その様子を見ていました。芽生えかけたレングの善い心を助けて伸ばしてやるのは、今がチャンスだとお考えになりました。そして神通力を使って、レングよりも千万倍も美しい美人に姿を変え、先回りをしてレングを待ちました。
さて、修行者になることをやめたレングは、何をして楽しもうかとあれこれ考えて歩いていると、見知らぬ美人にばったりと出会いました。この美人も家に帰る途中だと言います。二人はたちまち仲良しになり、いっしよに歩いて帰ることにしました。
2人は途中でひと休みして、あれこれと楽しくおしゃべりをしていました。その美人は、レングのひざを枕にして、いつしか眠ってしまいました。しばらくしてふと見ると、その美人の息は絶えていました。そしてその死骸はみるみるうちに腐りだして、臭いは鼻をつき、皮膚は破れて内臓が出てきて、ウジ虫がうようよと這い出しています。髪も歯も抜け落ち、手足はバラバラになって、実に見るにたえない姿となってしまいました。
レングは真っ青になってしまいました。
「これほどの美人でさえ、死ねばたちまちこのとおり。私なんていつまで美人でいられるか、わかったもんじやないわ。やっぱり仏さまのもとに行って、救っていただきましよう」
決心したレングは、再び仏さまのもとへ向かいました。そして仏さまにお会いして、いま見てきたことの一部始終を申し上げました。すると仏さまは、やさしいまなざしでレングを見つめ、この世では願っても得られない4つのことを教えてくださいました。
@青年も壮年も必ず老いること。
Aどれほど強健な人でも必ず死ぬこと。
B親しい人が集まっで楽しむことがあっても、必ず別れの時が来ること。
Cどれほどお金持ちになっても、その宝はいつかは離れてしまうこと。
レングはこの身がいつまでもあるものではないこと、仏さまの教えと悟りのみが永遠の法であることがわかりました。そして、レングが弟子になることを仏さまが認めてくださると、レングの黒髪はたちまち落ちて修行者の姿になりました。
やがて修行に修行を積んで、レングはすばらしい仏さまのお弟子になりました。
男性も女性も、かっこいい人や美人に憧れることはよくあります。でも、その基準は人それぞれですよね。君はどんな人に憧れますか?
たとえば、背が高くてスラッとしている人に憧れる人もいれば、背が小さくてかわいらしい人に憧れる人もいるでしょう。体型がほっそりしている人が好きな人もいれば、ぽっちゃりしている人が好きな人もいるでしょう。ぱっちり大きな二重まぶたに魅力を感じる人もいれば。すっきり切れ長の一重まぶたにときめく人もいるでしょう。
また、時代によっても美しさの基準はさまざまです。一昔前に流行っていた服装や髪型、化粧の仕方などを見ると、今の流行とずいぶんちがっています。でも、たしかにその時代にはその特徴が魅力的でした。さらに、場所や国によっても美しさの基準はちがうでしよう。
要するに、美しさとは、かなり不ぞろいでバラバラな感覚なのです。だから当然、みんなちがって、みんないいわけです。親からいただいたありのままの自分を大切にしたいものですね。
さて、今回のお話に出てきたレングはどんな美人だったのでしようか。君が思いつく絶世の美人を想像してみてください。その美人のレングは、自分よりもウンと美しい美人と出会いました。この美人とはだれだったでしょうか? そう、仏さまでしたね。美しさとはいつまでもあるものではないことを、レングに教えるために神通力で姿を変えられたのです。
レングのひざもとでその美人は死に、腐り、見るにたえない姿になってしまいました。もちろんこれも仏さまの神通力によるものです。美しさが失われていく様子を目の当たりにして、レングは美しさがいつまでもあるものではないと知りました。そして仏さまのもとへ向かったのです。
仏さまはレングに4つのことを教えられました。上記の@〜Cです。もういちど読んでみてください。なにか気づいたことはありませんか?
実は、この4つの仏さまの教えは、「いつでも」「どこでも」「だれにでも」言えることなのです。
先ほど述べた美しさとは、言わば「見た目の美しさ」。これは人によっても、時代によっても、場所によっても変わります。どれほどの美人でも、いつでも、どこでも、だれにとっても美しいとは言いきれません。また、お話の中にあるように、その美しい姿はいつまでも続くものではありません。「いつでも」「どこでも」「だれにでも」通用する仏さまの教えこそが、いつまでも変わらず君を守り、君を飾つてくれるのです。
そのことを知つたレングは仏さまのもとで熱心に修行し、教えを自分の心にしっかりと染みこませました。この時のレングは、きっとんな美人よりも美しかったことでしょう。なぜなら本当の美しさとは、[見た目の美しさ]ではなく「心の美しさ」だからです。
心を美しくするにはどうすればよいでしょうか。それは仏さまの教えを素直に信じること。そしてその誓いの言葉がお題目です。
仏さまは「いつもそばにいるよ」「君を助けて導いているよ」とおっしやっています。だから、どんなときも「仏さまがついていてくさっている」と信じ、安心してお題目を唱えましょう。
お題目を唱える君は、「いつでも」「どこでも」「だれにでも」美しく映り、何よりも君を飾ってくれます。
この仏説では、無常にして儚い表面的な美しさや価値観に囚われるのではなく、正しい道理とそれを照らす仏法の智慧に基づいて、本当に大切にすべきものを見出すことを教えられています。
日蓮大聖人は「命終りなば三日の内に水と成りて流れ、塵と成りて地にまじはり、煙と成りて天にのぼり、あともみへずなるべき身を養はんとて、多くの財をたくはふ」(『松野殿御返事』全集1389頁』、「身の財より心の財第一なり。・・・心の財をつませ給ふべし」(『崇峻天皇御書』同1173頁)、「さいわいは心よりいでて我をかざる」(「重須殿女房御返事』同1492頁」と朽ちることのない心の大切さを示されています。
自身の成道はもとより、縁ある人々に本当に大切なものを説聞かせていきたいものです。