〈6〉第128号        妙 風(みょうふう)  令和4年(2022)11月1日発行

 

第6教区座談会

 

第6教区では例年、第6教区法華講大会を開催していましたが、コロナ禍以降は中止せざるを得ない状況が続いていました。

そこで今年、法華講大会に代わる企画としてウェブ上で座談会を開催し、「まなぼう法門、かたろう信心」の活動方針に沿いながら意見を交換し合いました。

【名 称】令和4年度第6教区内座談会

【日 時】6月26日(日)午後1時

【場 所】Zoom

【進行役】吉田真道(第六教区代表)

【参加者】内海勝利(広島県三賞院議頭)      

秦 秀治(広島県興立院議頭)      

園富将嗣(広島県信敬寺講頭)      

吉田康博(  同 副講頭)      

原田信男(山口県蓮興院議頭)

 

○ コロナ禍での信心

 

【進行】  このコロナ禍で、生活やお仕事は勿論のこと、法人正信会においても全国大会が中止または延期となったり、各寺院においても法要や行事が中止と.なったり、ご信徒も菩提寺への参詣がままならない状況が続いています。

 各寺院や法華講、また皆さんご自身において、コロナ禍で信心をしていく上で何か工夫をきってることがあれば是非教えて頂けたらと思います。

【原田】  個人的には、寺院の法要や行事には必ず参詣することを心がけています。参詣する時には、感染防止のため必ずマスクを着用して、家内と共に参詣させて頂いています。

 蓮興院では、ご住職や執事さんも感染防止のため、勤行やご法話、控え室で会話する時には必ずマスクをしておられます。本堂の玄関受付には自動の消毒器が設置されています。

 講中では、職場で感染者が出たり、県外出張された方は、家庭での自粛期間を守り、ご家族も参詣を自粛されたりしていますが、自粛期間が過ぎたら必ず参詣されています。

【内海】  国や市からコロナの緊急事態宣言や蔓延防止が発令されていた時 には、住職から「集会等をしては駄目だ」という指導があり、その時期はお寺への参詣はできませんでした。解除されてからは各自の自由参詣ということでやっております。

 私事に在りますが、嫁さんが入院することになった時に、病院から「家族の方はお寺への参詣や藷の集会への参加は控えて下さい」という病院からの指示 がありまして、私自身、参詣を控えたこともありました。

【秦】  興立院ではコロナが流行りだした2020 年から総会が中止されており、これで3年目です。御会式は奉修されていますが、人数を減らす目的で土・日の2日間に分け、半数ずつ参詣して頂くようにしています。

 窓を少し開けて換気扇を回し、換気を良く. しています。また、手指を消毒したり、間隔を空けて座って頂いたりもしています。

【吉田】  信敬寺では、お寺に集まる時は「マスク」「手の消毒」「座席は間隔を空けて座る」というようを対応をしています。御会式や総会、毎月の御講については中止とせず基本的に実施されています。

 私生活では、以前に比べると外出が減りました。デパートなど人混みは避け、外に出る時も公共交通機関にはあまり乗らないように気をつけています。

【国富】  昨年末、信敬寺建立20周年法要を、会食を含めて奉修しました。

 ある程度距離を取って千鳥配置で座って頂いたり、入る時は自動検温器で測ったり等の対策をしました。

 ただ、コロナ禍の影響で参詣者が激減している状況にあり、お寺にとっては死活問題と在っています。

 この原因には、コロナ禍に加えて、信徒の高齢化をど考えなければいけをいことはいっぱいあり、吉田副講頭とも「どういう工夫をしていけはいいのか」ということを考えている真っ最中です。

【進行】  どの寺院でもコロナ禍で参詣者が減り、特にお年を召した方はリスクを避けるため、自ら参詣を自粛する方が大勢おられます。

 お寺への参詣も、一度足が遠のいてしまうと「参詣する」という習慣を戻りづらく承ります。特に年配の方は、お寺への足が遠のくと家に引きこもってしまう傾向があります。

 何とかしたいと思うのですが、かと言って年配の方にこうしたオンライン上での活動に誘うことも難しい状況がございますから、お寺としても工夫を重ねつつ、その一方で一日も早くコロナの状況が落ち着いて、また以前のようを生活に少しで旦戻って欲しいと祈っているところです。

 

○ 信仰によって得られた学びや悦び

 

【進行】  法人正信会では、令和4年から新活動方針「まなぼう法門、かたろう信心」に沿って活動を進めています。

 その一環として、『妙風』の123号・12 4号にて僧侶による座談会の模様が掲載されました。当門流の法門や信心、また正信覚醒運動の歴史について、読者の皆様に提示されています。

 まず「かたろう信心」ということで、ご自身の信仰の中で学ばれたことや信心の悦びについて、教えて頂きたいと思います。

【内海】  日々小さを出来事に感謝し「有難いな」という気持ちがあり、これも信仰しているお蔭だと思っています。

 それから「護られている」という実感がものすごくあります。胃ガンを患ったことがあるのですが、早期発見で済んだことです。最初は「胃を3分の2取ります」とお医者さんも言っていたのですが、精密検査をすると「内視鏡で除去できます」とのことでした。

 ですから、お腹を切らずに済みました。

 また、前立腺ガンもやりましたが、それも早期発見でした。こちらも手術云々と言っていた時に、放射線専門の先生から「内海さんの場合は全体ではをく片一方だけだから線で焼いたらどうか」という提案を頂きました。数週間入院するはずだったのが数日で済み、仕事に早く復帰できて助かったことがあります。

【進行】 大病を患っても不思議と早期発見という軽い状態で見つかり、治療も軽く済み、命を救われたのですね。

「護られていることへの感謝」ということですが、この「感謝」は、言うは易く行うは難しで、この感謝の気持ちを持ち続けられるようにするのも信仰の目的であろうと思います。

【原田】 私は20歳の時から病気の連続でした。ネフローゼやC 型肝炎、冒ガンなどを患ってきました。

その都度、ご住職からご指導や御祈念をして頂いたり、御書を拝読してお智慧を頂戴したり、同志の方々から激励を頂いたり、今日まで乗り越えてくることができました。本当に感謝しています。

 ご本尊様へはお願いばかりで申し訳ないと思っていますが、晩の勤行の時には「今日は有難うございました」という気持ちでお題目を唱えています。

【国富】   病気の時は、本当に”困った時の神頼み”という感じで「南無妙法蓮華経」と唱えてしまうことは無くは無いのですが、やはりお題目が最後の拠り所という気持ちはあります。

 自分自身の生き方の中では、親がやっていたから私もこの信仰をしているのですが、その中でも「信仰していて良かった」と思える瞬間は確かにあるので、私自身の意思でこの信仰を続けさせて頂いているということもあります。

 そもそも、この信仰との出会い自体が運が良かったのかをと思っています。人として生きて行く中で「ちゃんとして生きていける」と言うか、まともを考え方を維持していけているというのが、この信仰のお陰であると思っています。   【進行】  世間では「世法と仏法は別のものである」 とか、「宗教と科学は対立するものである」とか、「宗教は特殊で目に見えをい心の世界を扱うものだ」という考えから、実生活と信仰を切り分けて考える節もあります。 

 宗教界は宗教界で、摩詞不思議な教えや拝めば儲かる的をことを説いたり、困った時の神頼み的な信仰観で、「この信仰をすれば病気が治りますよ」「お金持ちに蒸れますよ」というような現世利益を説く宗教が乱立しています。

 勿論、信仰に縁するきっかけとして「困った時の神頼み」から始まって入信される方は大勢おられ、それは自然をことです。ただ、そこから信仰を一つ一つ昇華させていって、眼前の苦しみや悩みをどう捉えるのか、という気持ちの持ちようの方に重きを置けるようになっていくことが仏教の目的です。

 私たちが信仰する仏教、特に日蓮大聖人様の教えでは「世法と仏法は切り離すことのできないもの」「仏法を元として世法や実生活を見ていく」「実生活の中にこそ仏法が現れてくる」とされ、日夜唱える『法華経』の自我偶の中にも「常住此説法」(仏様は常に私たちのそばで法を説いて下さっている)と説かれています。それを確認して常に心に留めることができるような心持ちに承っていくのが妙法の信仰だと思います。

【吉田】  仕事を終えてから夜にお題目を唱えていると、自然と心が落ち着き、「また明日頑張ろう」と思えように承ります。「拠り所」「安心感」が持てるというのがすごく大事だと思っていますし、有難いことだとも思っています。

【進行】  目先の欲望とか仕事とか生活に振り回されていると、なかなか自分を省みることができずに悩みを深くしてしまうのが凡夫です。

 出版社「三省堂」の社名は論語の「日に三度我が身を省みる」から来ていますが、一日に三度は我が身を省みようという古諺です。朝晩に読経唱題するのも、一日に2回は仏様の御前で自分の心を見つめて、「自分の信仰や心が欲望で曲がってい老いか」「人生がおかしくなってい寿いだろうか」と生活や信心を省みる大事を時間であろうと思います。

 御本尊は「明鏡」とも申しまして、お仏壇の前に座り手を合わせた時、御蔓奈羅を鏡として自分自身の心を見つめ、自身を省みる時間となるわけです。人生の拠り所とをっていくのが信仰であり御本尊様をのです。

【秦】  3年前、町内会の役目で赤十字の募金のため各家庭を回った際、1軒だけが呼び鈴を押しても出て来ませんでした。耳が悪かったようで「何度目かの訪問でようやく出て来られました。私よりもかなり年上の方で、以前は私の母とも付き合いが

あり、それから30年程経っていたわけです。そうして30年ぶりに話していたら、前年にご主人を亡くされたとの話も聞きまして、30 年前のことがついこの間のことのように思い出され、私にとってもその女性にとっても30 年という時間が経ったんだをと思いました。一期一会を大事にしたいと思いました。

 そのことがあってから、仏法に出会うということもそういうことではをいかと思えるようになりました。そう思えるようになったのも信仰のお陰だと思っています。

【進行】  私たちは何度も何度も生死流転を繰り返して、ようやく今、この人生において妙法に巡り、会い信仰しています。まさに一期一会の仏縁を大事にして頂きたいと思います。

 そして、人生で出会う信仰の同志方も皆一期一会です。会話して信心を語り合う中で互いが善知識と承り、励まし導き合っていくことも信仰の醍醐味であろうと思います。

 

○ 法門の学び方やおでの取組み

 

【進行】   もう一点の活動方針「まなぼう法門」も信仰していく上で欠かせ老い大事をことです。

 皆さんの法門の学び方、お寺での取組み等について教えて頂けるでしょうか?

【内海】  お寺では毎月1日の御縫目と13日の御講、19日の題目講、お盆やお彼岸や正月の法要等の時に説法して頂けるのですが、そうして参詣した時にできる限りご法門をお聴きしようということしかきておりません。

 それ以外に独自でとなると、『妙風』新聞を読んだりするくらいで、自分も若くないので勉強しようという気が起きにくいです。

【吉田】  1年程前くらいから「やはり御書を勉強しをいといけをい」と思うようになりました。しかし、御書をそのまま拝読するのは大変ですし、理解するのもなかなか難しいです。ですので、『法悦の日々』と、興風談所・池田令道師が書かれた『明日をひらく言葉』を日々読んでいます。

 御講では住職がA3 用紙の資料を作られ、そこにびっしり書かれた長文に沿い50分ほど法話を聞かせて頂いたり、『妙風』新聞を読んだりしています。

 それからお願いと言いますか、今は電子書籍も増えてきており、御書も電子書籍やネット上で読めたら有難いなあと思っています。

 異風談所で作られている御書システムをパソコンで見たこともあります。内容自体はすごく良いものなのですが、起動するにはデータベースソト「桐」が必要なので、一般的をソフトで誰でも見られるようにをれば有難いなあと思います。

【進行】  僧侶にとっては御書システムは必須でして私自身も日々使っています。ただ、御書システムを使いこなす上では「桐」の機能が必要でして、現状では御書システムは「桐」上でしか動かせません。

 一方で、ネット上や電子書籍等のデバイス上で御書を拝読できるような形に工夫していくことも時代が求めていることです。数年前から若手僧侶の中でも試行錯誤しているところです。

【原田】  電子書籍を使って、年配で目が悪い人には字を大きくできるようにしたり、耳が悪い人には大きを音で聴けるようになれば良いをと思います。

 個人的を勉強方法としては、大聖人様の御書や、正信会が発行している書籍の『法のしらべ』、『折々にふれて』、『中国報』、『御書目訓』、『明日をひらく言葉』、『法華ごころ』、そして機関紙『妙風』新聞と蓮興院から毎月発行されている寺報を繰り返し読んで勉強しています。

 また、、お寺にお願いして全国大会の音声をCDにして頂き、家や車の中で繰り返し聴いています。年寄りですから、耳で聴いた方がよく分かりますし、一人でも勉強できます。若い人は若い人をりに、年寄りには年寄り向けに工夫して頂けたら有難いです。

 「耳根成仏」といって、耳から聞いたり、人と人とが真心をもって話していくのが勉強にも繋がっていくと思います。

【秦】  興立院では、毎月の御講で勤行後に御書のご一節をご住職が読んで下さいまして、それについていろいろを話をして下さいます。帰宅しましたら、そのご一節の前後を拝読したり、違う御書を拝読したりと、自分なりにやっております。NHKのテレビとかラジオとかでも宗教関係の番組の「こころの時代」が流れていれば観たり聴いたりしています。何かしら役立つものもありますので、そういうことを自分をりにやっております。

【進行】  お寺で聴聞する法門も勿論大事なことですが、世間で放映されている基本的な仏教の知識に触れことも、お寺で法門を聞いていく上で必要な基礎知識になっていくと思いますので、大事をことであろうと思います。   【国富】  基本的には御講の後の住職からの御法話であるとか、『妙風』新聞の記事を読んだりするくらいで、実はあまり勉強できておらず恥ずかしい限りです。います。

 ご住職の御法話の内容は「ああ、そうなんだ」と思うことがたくさんありますので、それを参考にさせて頂いています。

【進行】  自分だけで法門を学ぶことは難しいことです。僧侶ですら日々の法務や私生活の中であらためて時間を取って0勉強することは難しいことですから、ご信徒であれば尚更難しいこ000000とでありましょう。

 当院の話ですが、毎月1日の勉強会では化儀や仏教用語や法門を解説し、御講では御書のご一節を皆で拝読して、御書の解説を通して説法をしています。法華講総会や年中行事の法話では、大聖人様の御事跡や歴史上の史実等についてのスライドを作成し、スクリーンに大きく映しながら話をしています。

 眼から入る情報は耳に比べ桁違いの情報量があるので、折々に触れてスライドを用いて話をすることで、なるべく分かりやすく皆様に法門を伝えようと工く夫を重ねています。

(次号へ続く)

 

○ 法門が実生活に活かされたエピソード

 

【進行】  法門の学び方について、いろんな工夫や、お寺での取り組みを聞かせて頂きました。そうして学んだ法門が信仰や実生活の上において活かされたエピソードがあれば教えて頂きたいと思います。

【原田】  悩んだ時にご住職からご指導を頂いたり、 大聖人様の御蕾の御文に触れることで病を克服できたり、僕が悪すぎたせいで悪かった夫婦仲が良く法ったり、以前に比べれば感情的になったり怒ったりすることも少なくなりました。本当に有難く思い感謝しています。

【内海】  私が学んだことは2つございます。  1つは、まだ創価学会に所属していた若い頃の話ですが、・「臨終只今にあり」(『生死一大専血脈抄全集1337頁)・「臨終の尊を轡ひて云々」(『妙法尼御前御返事』全集1404頁)という御蕾の御文に触れ、「若かろうが年寄りだろうが、どうせ死ぬのなら、いかに生きるべきか」ということを教えられました。

 もう1つは四恩(父母の恩、一切衆生の恩、国主の恩、三宝の恩)についてです。

 私が住んでいる広島県福山市はバラの町.を謳っています。定年後、市が運営するバラ大学へ3年ほど通いバラについて学びました。それを活かして、小学校・地域・友達・介護施設をど6ヶ所の花壇にバラを植えたり、管理したりするようになりました。

 それプラスで老人会の会長もやっており、公園の清掃をしたり、小学校の子供たちと昔の懐かし遊びなどで遊んだりしています。四恩の中の「一切衆生の恩」を、私は「地域の恩」と解釈し、地域への貢献と思って長い間続けています。

【進行】 i 定年後に学び趣味となったバラを通して、これまでお世話になった世間に恩返ししようと今取り組んでいらっしゃるのですね。

【秦】  大聖人様の御書に、「心の師とは承るとも心を師とせざれ」(『兄弟抄』全集1088頁)とございます。信仰においても、普段の生活においても、何事にも自分の心をコントロールできるように、そのお言葉を拠り所とし、それを自分の心の中に置いて生きて行きたいと思っています。

【国富】  「自分の力ではどうにもならない大観を超えたものが存在する」 ということを認識させて頂いたことが、信仰をして来た中で得られたことと思います。  ですから、仕事がうまくいったからと言って、それが全て自分の努力のお陰だと思わなくなるようにをり、それ故に感謝をする気持ちが生まれ、自分の人生や行為を客観的に見ることで、変に偉そうにしなぐても済むようにもなりました。

 もう一つは、こうしてご法門に触れている中で、そういうことに触れている人と出会うことが不思議と多く、そういう人とはお互いにいい関係が築きやすいことです。これを仏縁と呼ぶのかどうか分かりませんが、そう感じることがあります。

【進行】 私たちの命の流れというものは濁流のようなものでして、流れに逆らおうというのが暴走する欲望です。命の流れに逆行して突き進もうとすると大変苦しくなる。実はこれが欲望から生じる苦しみです。逆に、流れ.に沿って自然と下流に流れていくように自分の心をコントロールして行けば、流れに逆うことによる苦しみは生じなくをるわけです。

その流れというものは、信仰をしていくと段々と見えてくるようになります。この因果の道理を説いたのが仏教なのです。

ですから、この因果の道理に則って、過剰を欲望を抑え陰徳を積んでいく、それが命の流れに沿って生きて行くということです。 そういう生き方をしていけば、いろんを苦しみや悲しみ、辛さから解き放たれますし、いざぶつかったとしても濁流の中の岩をスルリとかわしていくように乗り越え、そうして自然と護られながら生きて行けるのです。

【吉田】  「病によりて道心はをこり候か」(『妙心尼御前御返事』全集1479頁)というご一節をよく聞きます。

私は2年前に骨折で1ケ月ほど入院しました。それまで仕事優先の生活でしたが、入院して仕事から離れ、いろいろと考える時間を与えて頂きました。

その中で御書を拝読したりしていたのですが、「自分の信仰のやり方を変えないといけない」と気付かされました。今までは自分のためだけに信心をしていたのが、「話中の皆さんとお寺のためにやっていかなくてばいけない」と気付かされ、少しずつ取り組んでいるところです。

 やはり自分一人で信心していると、幸いことがあった時に、そこで断念したり信仰をやめてしまったりする方もおられると思います。講中の皆で力を合わせて異体同心でやっていく大切さは御書にも書かれています。

【進行】  非日常に置かれた時に、あらためて、もしかしたらその時に初めて、「人間がいかに弱い存在か」ということを自覚しますが、それは半面、いかに普段から周りの人に支えられ協力し合いながら生きているか、ということに気付かされるということでもあります。

 「人」という漢字は人と人とが支え合っている姿を表した字とも言いますが、逆に言えば、人と人は支え合わなければ成り立たないということです。一人だけでは倒れてしまうのです。支え合うからこそ、お互いが倒れずに済むのです。100万人と関わり合い、支え合い、ようやく人間一人が生きられるそうです。五体満足で健康を時にはをかなか気付けをいことに病気やケガを通して気付かされますね。

 

○ 次世代へ伝えたい信仰観と法門の学び方

 

【進行】  都会は勿論のこと、地方においでも核家族化が進み、親から子へ信仰が継がれをい、また法門も学べない、という状況が増えている世の中です。

 信仰や法門は人生を正しく歩んでいく中で欠かせないものです。信仰や法門はお年を召してからではなく、逆に若い内にこそ是非触れて頂き、若い時から仏の智慧でもって人生を正しく歩んで行ってもらいたい、というのが僧侶の願いですし、皆様も同様の思いでおられると思います。

 そのためにも、今後の世代の方たちに伝えたい信仰観、どういう姿勢で信仰していけば 良いのか、どうやって法門を学んでいけば良いのか、そのようなアイデアがございましたら是非お知恵を出して頂きたいと思います。

【秦】  興立院議中でも若い人が少なくをっておりまして、法燈相続が課題となっています。

 私自身もそうでして、息子が2人いるのですが、小さい時には一緒にお寺へ連れて行ったりしていたのですが、ある程度歳を取って来ると行かをくなってしまい、自分の好きをことや友達との遊びの方向に流れていってしまいます。ですから、信心もうまく伝わっていをいなと思います。

まずは自分の家庭から法燈相続をきちんとやって一余裕があればと言えばおかしいですが、それから講中へも働きかけて、皆さんの援助ができるように哀れはやっていきたいなと思っております。

【進行】    自分の家族や子供に信仰を伝えていくことが、簡単をようで一番難しいことではをいかと私も思います。家族だからこそ、また親だからこそ、「言えない」「気恥ずかしい」「遠慮してしまう」ということもあります。また、「強く言うことで、かえって家族の仲が悪くなってしまうのではをいか」という心配もあります。

 ただ、昔から「法華三代」と申し、法華経の信仰が三代にわたり継がれていけば信仰の基盤が磐石と承り、それ以降の世代にも自然と信仰が伝わっていくと言われています。

人生を正しく幸せに生きて行く簡憩が説かれた妙法の信仰を適すことが一番の財産であり一その財産を遇そうとする親の気持ちはお子さんたちにも必ず伝わるはずです。どうか諦めずに続けて行って頂きたいと思います。

【原田】 蓮興院に参詣して、ご住職や執欝さんから法話を聴聞することの大切さを折に触れて伝えていきます。

 若い世代には法門を正しく学ぶことによって、思いやりや助け合いの心を養い、損得で行動するような人間ではなく、正しい振る舞いができる人間になって頂きたいです。

 これらは全て求道心が元となります。求道心をもって諾い世代の方たちに信仰してもらい、より良い人生を歩んでいってもらいたいと心から念願します。

【進行】  「法門を学ぼう」「お寺へ参詣しよう」という求道心から信仰も繋がれて行きます。

 この道を求めることは大変難しく、生涯続けて行くことです。「道」とは「仏道」であり「人生」であり「命そのもの」です。

 自分を省みる気持ちを常に持つことで「お寺へ行って悩みを桐談してみよう」「仏教の教えに触れてみよう」ということから信仰のきっかけになるでしょうし、お寺とはそのようを場であることを若い世代へ伝えていって頂けたらと思います。

【吉田】  「自分の子供に法燈棉続していかねばいけない」と撮近特に感じていますが、どのようにやっていけばよいのか非常に難しいです。

 私には子供が2人いますが、もう2人とも家を離れています。小さな時はお寺へ連れて行っていましたが、大きくなると段々と行かをくなってしまい、今はと言うと、撮替り.の正信会のお寺に所属していないので、ちゃんとした法燈相続が出来ていない状態です。

 今後どうしていくか非常に難しい問題ですが、折に触れて信仰の大切さや自分の経験を話していくしかないをと思っています。

 私は生まれた時から信仰をさせて頂いていますが、親は折に触れて信仰の大切さや大聖人様のご法門を話してくれました。その頃は自宅で座談会があって住職様がいらっしゃって、集まった近所の方と法話を聞く機会もありましたし、お寺へも参詣していました。

 しかし、少なくとも私の子供たちはそういう経験が非常に少をいので、法燈相続は大変だをと思はいるのですが、自分の役目だと思って法燈相続していきたいと思います。

 先程、「法華三代」と言われましたけども、私の子供で3代目になるので、何とか是が非でも私が死ぬまでに必ず法燈欄続しをければと思っています。法燈相続は化儀や行轟などの亜要なこともしっかり伝えていかねばと思っています。

【進行】 化儀も伝えて いくべき事柄ですね。

 そういう化儀を学び教えることから次世代へ信仰が伝わっていくこともあるでしょう。

【内海】  ひ孫が3人いますが、子や孫への法燈相続に悩んでいます。

 若い頃、子供たちがお祭りの子供御輿を担ぐとかクリスマス会をするとか、そういう時には「断じて許さん」とだけ言って絶対にさせませんでした。正信会に入ってから、その話も出しながら「法燈相続で頭を抱えているんです」とご住職に相談申し上げると、「をぜお祭りに行ってはいけないのか、なぜクリスマス会に行ってはいけないのか、その理由をきっちり説明しておくべきだったでしょうね」と言われました。

本当にその通りです。

 私には子供が3人いますが、当時あまりにも私の語句がきつかったせいか、卒業したら誰も実家には帰って来ませんでした。時には孫を連れて来ますが、家内が優しく「ご本尊様に手を合わせなさいよ」と言い聞かせて、今は自然に手を合わすようにをりました。

 しかし、なかなか法を伝えるという法燈相続まではできていません。もう泣きたく承ります。そこら辺が私の一番の悩みですね。

 それから、若いど僧侶に是非ともお願いしたいのが、例えば御薔講義にしても、勤行帽題にしても、いかに現代の世の中に沿った形にしていくかを考えて頂き、それを跡を継いで行く借着や僧侶へ伝えていって頂きたいということです。正信会自体の今後の行き先も考えて欲しいですね。

【進行】  正信会は「神道の恢復」「宗風の刷新」を掲げ、大聖人様のご法門に立ち返り本来の正しい信仰を求めようと正信覚醒運動を興しました。ただ、700年前の大聖人様の時代を現代にそのまま当てはーめ、当時と全く同じ様一桐で信仰しようということではありません。

 仏教とは、時代や人間に合わせて教えも柔軟に形を変えて行くものです。令和の時代に沿った教え・法門・教学を打ち立てていくのが僧侶の役目であろうと思っています。僧侶自身が仏教の初心に立ち返るためにも覚醒運動が興り、段々とその目的も昇華されて来ているわけです。

 そのような努力を私たちもこれから日々重ね、今の時代に、また皆さんご自身に合った形で、気持ちよく信仰して頂けるよう、いろんを形で法門を説いて行きたいと思います。

【国富】  参詣者の高齢化が進む一方で若い方が来られをくなってしまってっおり、御講の時も参詣の人数がどんどん限られて来ています。危機感自体は我々もあるのですが、対策は正直まだ手探りの状況です。

 コロナ禍前にそのようを話が出て、昔ながらのやり方で御講の後の茶話会を復活させようとし始めたところでコロナ禍になってしまい、参詣自体もままをらをい形になってしまいました。お寺に来ている方同士がまず交流をはかり繋がりを持った上で、そこから少しずつ若い方に来て頂ける機会を設けていければと思っています。

 若い方がどうしてお寺へ来たくないのか、来ないのか、という理由や原因も考えなくてはいけないのですが、「若い方が来たくなるようを雰囲気作りをしていかなければいけをい」ということは役員さんの中でも共有している課題です。

 若い方も我々と同じように、困ったこととか悩んでいることとか結構あるんですよ。でも、日々の生活に追われたり、困ったことを自分で認識せずに目を背けても何となく生きていける世の中になって来ています。

 お寺とはそれを見つめ画す場であると思いますし、お寺に来れば 悩みが解決する機会も見つけられるのではをいかと思うんです。生きている人間の精神は昔も今も変わりませんので、そこにこそチャンスはあるんじゃをいかと考えています。諦めずに繋がっていく努力を講としてやっていこうと考えています。

【進行】  昨今の宗教離れや寺院離れにコロナ禍が更に拍車を掛けてしまった感があります。正信会だけでなく、日本全国の宗教界や仏教界、大寺院であっても同様の悩みを抱え、いろんを工夫をそれぞれ重ねているところで、ボンと解決策が出るわけではございません。

 ただ、人間は老若男女や時代を問わず四苦八苦に悩むことに変わりはありません。エジプトの遺跡で出土した石碑を解読してみたら「最近の若者は礼儀を知らをい」と薔かれていたそうです。数千年前から人間は基本的に変わっておらず、大昔から人間は四苦八苦に日々悩み苦しんでいるんですね。

 その苦しみを少しでも和らがせて、より前向きに生きていけるような智慧を仏様は説かれたのであり、その教えを弘め修行する場がお寺です。

 お寺へ足を運ぶことは、その第一歩が大変難しいですが、一度でもお寺へ足を運んで教えに触れれば、若い方たちも人生のヒントをお寺の中で得ることができると思います。

 コロナ禍ということでお寺へ足を運び幸い状況にありますが、本日のようをオンラインや、印刷した配布物、竃子蕾籍で読める資料等、そのようを技術を用いて、仏様の教えに触れる機会を多くの方に広めたいです。

 私たち僧侶も工夫していきたいと思いますし、皆様方ご信徒の中でも講中でいろんを憲鬼を交わし合いながら工夫を重ねていって、より良い方法があれば全国の同意の方たちへも伝えていって頂けたらと思います。

 

○ 今後の自身の抱負

 

【進行】  最後に、お寺や講にとどまらず、ご自身のことも含めて、今後どのような気持ちで信していきたいか、その抱負を教えて下さい。

【内海】  抱負というものは正薗特にございません。今まで通りやっていけばいいんじゃないかと思っています。

【進行】  今まで通りを続けて行くことが実は一番難しいことです。例えば、泳いでいる時は水をかかなけれ沈んでしまいます。つまり、努力を重ねていかなければ、今までと同じ状態を保てないわけです。

今後も今まで通りの信仰をしたいとのお言葉は、今まで通り精進していく、また今まで以上の精進を重ねていくという抱負でありましょう。

そのようなお気持ちで、これまで通りの変わらぬ信仰を、どうか持っていって下さい。

【秦】 私の抱負は「法燈相続」「話中の活性化」です。醗車を維持していくだけでもやっとかもしれませんが、今言われたように、一生懸命に水をかくように頑張っていきます。

【国富】 参詣著が減っていることが一番重要な課題だと考えています。

そこを改善していけるようを茶話会等を通じた交流会などを行いながら、話中の一人一人と繋がっていけるような話の雰囲気作りができるように、少しでもお寺に行きたいなと思ってもらえるような形に持って行けるように、知恵を絞っていきたいと考えています。

【進行】  一人一人の力は小さくても、2人3人、5人10人になれば大きな力になり、その力はお互いの信仰の支え合いにもなります。是非とも横の繋がりを大革にしながら、お寺の運営や支え合いを講として続けていって頂きたいと思います。

【吉田】 法門の研顕というこ とで、自分でしっかり勉強していきたいと思います。

法燈相続ということで、まずは自分の子供へ法燈相続をしたいです。講車の法燈相続に対しては具体的な取り組みを考えてやっていきたいと思います。

本日、オンラインの座談会を開催して頂きすごく有難いと思っています。こういうやり方を活用しながら具体的な取り組みも考え、ご僧侶の替さんと協力していきたいです。

【進行】  宗門や学会、顕正会もそうですが、宗教活動において、いかに信徒を増やし、大規模な大会を開き、自他へその勢いを見せつけるがということに重きが置かれてきました。

 信仰とは本来一人一人のものです。横の繋がりも大誌ですが、基本を忘れるとただの烏合の衆となり、組織のための信仰になってしまう危険性があります。コロナ禍によって本来の各自の信仰姿勢に立ち返ったような気もします。

【原田】 今後の抱負ですが、 ・生涯、求道と報恩感謝の心を持ち続けていくこと。 ・「無財の七施」の1つの「和顔施」、つまり笑顔でいつもいられるよう心がけること。 ・行住座臥にお題目を唱え、正しい行いをすること。 の3点です。 私の願いと喜びとすることは、他の人が正しい信仰により幸せになることです。それが 私の人生の、lそして信仰の醍醐味であると思っています。

【進行】  笑顔は自分の心が丸くなっていないと、また幸いことにも耐えられる強い心でないと出て来ないものです。是非、日々の信仰でお題目を唱えながら心を鍛え、丸い心で笑顔を常に持ち続けていってもらいたいと思います。そのような中で、”共に悦び、共に悲しむ.という菩薩の心も生まれてきます。れが信仰の目指す一つの姿だと思います。個々の信仰に励み、また共に法門を学び合いをがら、信仰の醍醐味を味わえるよう精進し合ってまいりましょう。 (以上)

 

 

もどる