戦後史の「夢」の行方
英語
文＝上野昻志
なに、英語？ 英語が、戦後史の夢とどう関係あるんだ？ と訝しく思われる方もいられるだろう。受験英語の悪夢なら、わからなくはないが、と。
だが、あるのだ。日本人の心性に関わるモノとして。
まず、戦後史を振り返って、わたしが、最初に不思議に思った出来事が…天皇の終戦の詔勅が放送された昭和２０（1945）年８月１５日からちょうど１ケ月後に、誠文堂新光社から『日米会話手帳』が出版され、瞬く間に、３６０万部の大ベストセラーになったということである。そして、翌年２月１日からは、「カムカム・エブリボディ」 で親しまれる平川唯一の英語会話がNHKラジオから流れ出す。
つい１ケ月前までは、「鬼畜米英」などと言っていたのに、戦争に負けたとたんに、アメリカさんと英語で会話しましょうとなる、この豹変ぶりは、なんなのだ？ というのが、あとからこれを知った、わたしの率直なギモンだったのだ。日本人の変わり身の早ざというか、長いものには巻かれろイズムの現れというか、
これには、同じ日本人として、忸怩たる思いを噛みしめたのである。まあ、占領軍総司令官のマッカーサー元帥を、「父」と慕うような気分とも重なっていたのだろうかと。
むろん、日本の一般大衆の心情に踏み込んでみれば、「鬼畜米英」 のスローガンに唱和していたものの、具体的な存在としてのアメリカを、怖れてはいても、憎むという感覚は希薄だったかもしれない。だから、上からの圧力が消えれば、目前の利害に合わせて変わったとも考えられる。但し、そのことは、日本の権力者を超越する権力者であるアメリカになびくことを意味するのだが。
ともあれ、敗戦直後から始まった英米語熟は、１９６０年代から７０年代にかけて沈静化し、もっぱら受験の一科目として塾や予備校を潤すにとどまる。これには、高度経済成長と、その延長である「ジャパン・アズ・ナンバーワン」 による日本人の自信回復が作用していたのだろう。
その空気がさらに変わるのが、ここ２０年ぐらいだろうか。いまでは、企業の公用語を英語にすべし、と言うにとどまらず、特区を設け、域内は英語を公用語にしよう、そうすれば日本もシンガポールのように繁栄すると、バカな主張をする企業人まで現れる始末だ。日本がシンガポールになって、なにが嬉しいのか！
まあ、一企業内のことなら、お好きなようにというしかないが、問題は、小学校の低学年から英語を必修化しょうという運動である。言うまでもなく、現在の英語熟は、アメリカ主導のグローバリズムへの追随がもたらしたものだが、所詮一つのツールでしかない英語を押しつけられて、肝腎の母国語に習熟しないで育った子どもは、日本語という、日本人としての基本的なアイデンティティーを喪失するしかない。戦後から７０年を経てもなお、英語という悪夢は続いている。