時間医学の扉(9)
生命の質を支える生体リズム
地球上にはさまざまな環境と暮らしがあり、生活圏は宇宙空間にまで広がりつつある。それらをパースペクティヴに捉えることで、あらためてみえてくるものがある。
文=大塚邦明(東京女子医科大学名誉教授)
都会の乱れた生活リズムは、生体リズムを壊していた。里人の生括はどうなのだろう。
今回は、日本の里、ヒマラヤに暮らす里人の生活と健康に目をむける。そして宇宙空間で生活するとどうなるか。自然とともに生きることの意味を、ここでもう一度考えてみたい。
豪雪地域の町で
野に咲く花の生態は、植木鉢からはみえてこない。健康のあり方や病気の実態も、診察室からはみえていない。
そのように考えた私は、2000年夏、決心して北海道の浦??町を訪れた。樺戸連山と石狩川の間にひろがる、人口2500人を超えるほどの小さな農村で、冬の平年降雪量が10メートルに達するという豪雪地域である。里人は、独自の生活様式を開拓してきたが、今、高齢化率は35パーセントを超える。
医学調査を開始するにあたり、当時時間医学研究のリーダー的存在だったミネソタ大学のハルバーグ教授を迎え、40戚以上の住人に24時間血圧の7日間連続測定を行った。
血圧は早朝、起床後2時間が高い。そのため心筋梗塞や、脳梗塞は朝に多い。里人の早朝血圧を7日間比べてみると、月曜日に高かった。
月曜日には、高血圧の薬を飲み忘れないことの大切さを訓えている。
温暖な山村で
2004年には、高知県の土佐町を訪れた。
四国の真ん中にある人口5000人ほどの町で、里人は温暖で恵まれた自然環境の中で暮らしている。ここでも7日間の24時間血圧に映る、里人の生体リズムを調査した。体内時計は、加齢とともにその働きが弱くなる。45威から55歳の里人には、明瞭な生体リズムがみられたが、65歳以上の人では、10人に1人の頻度で、生体リズムが消失していた。
四国の山村にも文明の弊害がおしよせていた。
35歳前後の働き盛りの里人も、20人に1人の頻度で、生体リズムが乱れていた。仕事に精を出し過ぎ、生活リズムが乱れていることが原因だった。
ヒマラヤ高地で
2001年には、標高4500メートルの高所、ラダックを訪れた。南にヒマラヤ連山、北にカラコルム高峰がそびえる、インダス河源流域の峡谷にある。
上下水、電気も普及が十分でない、文明途上の地域である。住民は近代医療の恩恵をほとんど受けていない。高地で酸素が薄いため呼吸は速く、そして日常の生活をゆっくりと過ごしている。
かれらの生活リズムには、極めて明瞭な生体リズムが観察された。太陽が昇るとともに目覚め、バスも車もないため歩き、日没とともに静寂と闇黒の中で眠る。自然とともに暮らすことで、現代人にはみられないみごとな生体リズムを産みだしていた。そして幸福感に満ちた生括を送っていた。
宇宙時間に住むとき
国際宇宙ステーションに滞在すると、無重力に近い微小重力の環境で生活するため、宇宙飛行士の健康に様々な弊害が現れてくる。
視力や聴力の低下、めまい、味覚の異常、腸の動きの悪化、さらに自律神経系や免疫力が低下。心臓や循環系の働きが弱まり、筋肉は衰え、筋力が低下する。骨からカルシウムが溶けだし、重度の骨粗寮症になる。そのため、地球に帰還した時は身体のバランスが保てず、自力歩行もおぼつかない。
JAXAの向井千秋さんとともに、そこに滞在する宇宙飛行士の健康と、生体リズムを調査してきた。乱れていた生体リズムは、滞在が長くなるとともに回復し、地球上よりもはるかに明瞭なサーカディアンリズムが現れてくる。睡眠の質が改善し、自律神経、ホルモン、免疫系は、強くリズミカルに働いていた。
ヒマラヤと宇宙の教訓
生活リズムが乱れると、生体時計が狂ってきて病気になる。
病気にならないためには、規則正しい生活習慣が大切である。
2012年、米国ソーク研究所の羽鳥恵博士は、食事の時刻を決めて規則正しい食事をさせると、高脂肪食を与えてもメタポリック症候群にならないというマウスの実験を報告した。
高脂肪食を自由に摂取できる環境におくと、昼夜の別なく食べ続け、時計遺伝子のリズムが乱れ、肝脂肪順
メタポリック症候群、血管の炎症などの病気になってしまう。
そこで夜の時間帯だけ摂取できる環境に設定すると、同じカロリーの食事であるのに時計遭伝子にサーカディアンリズムが復治し、多彩な病気から回復した。
ヒマラヤと宇宙の研究結果は、大都会に生活する人々に勇気を与えてくれる。どこに生活していても、工夫し努力すれば正しい生体リズムが維持できることを訓えている。