常識から何も生まれず、挑み続ける強さを



自分に由る生き方  篠田桃紅さんに聞く


 自らに由って独立独歩で自由に生きてきた 

 3月28日に満102歳になっ美術家の篠田桃紅さんは、今東京・南青山の自宅兼アトリエでほぼ毎日、主に午前中に制作している。
 「昔の中国の人がこう言っています。『筆執れば思い生ず』。その通りで、筆を手にすると私が思う線や形が自然に流れ出てくる。この歳ですから大作を刷り終えるとさすがに少し疲れますが、無心で作品に立ち向かっています」
 「アート(芸術作品)って何だろうと考えることがありますよ。世の中の価値観は変わっていくから、私の作品は後世に残るのか消えてしまうのか、誰にも予測できません。でもね、やりたいことを自分流にやってきた私の作品を受け入れ、何かを感じ、カにしてくれる人たちがいる。だから一生懸命に取り組んでいますよ」
 書道の団体にも美術の団体にも属さずに創作を続けてきた。ずっと独身だ。
 「自由に生きてきました。自らに由って独立独歩で作品をつくり、生きてきたのです。20代で第2次世界大戦が始まった。不自由な時代でした。日本全体が何だか窮屈で、女性は結婚して家庭に入るのが決まり事みたいになっていました」
 「女学校のとき、北村ミナさんという英語の先生がいて、生き生きした女性で憧れました。そのころ日本文学全集が出て、北村透谷の巻に透谷がミナさんに宛てた恋文が収録されていて、学校中が興奮に包まれました」
 「ミナさんは代議士の一人娘で、親が決めた許嫁を嫌って若い詩人で文芸評論家の透谷と駆け落ち。彼が26歳で自死した後、単身アメリカに渡り、皿洗いから始めて学位を取ったのです。母に『特別な人なのよ。まねしてはだめ』とくぎを刺されましたが、憧れが強まりました」
 仕事にした書の世界でも、自由への憧憤と決まり事への反発は強まった。
 「24歳で実家を離れて自活しました。先生にお許しをいただき、お弟子さんを取って書道を教え始めましたが、間もなく、この世界の決まり事に退屈してしまって。そのころは平安時代の名書を写すのが書の常道でした。でも自分の線が引きたくなった。川の文字は3本線。でも無数に線を引いてもいいんじゃないの。そんな思いがわき起こってきた。造形でもそうでした。約束事に縛られずに思うままに書きたい。自分に由る生き方の出発点でした」

常識は創造とは無縁です

書家として独り立ちしたものの、苦難の連続。戦争中、死病と言われた結核を患い九死に一生を得た。33歳で終戦。独自の水墨芸術はなかなか評価されなかった。
 「戦前、書道展に出品すると、才気換発だけど根っこがない、と批評されました。書の常識を踏まえていないからこその酷評ですが、私の根っこは私の中にあると信じていました」
 「幼いころから接してきた家にある軸、額、書、紀元前の甲骨文字、古今集などあらゆる古典。文字以外でも影響や感動を与えてくれたもの、拒絶したものだって私の根っこです。だから根なし草という悪口は気にしませんでした」
 「常識を軽んじるわけではありませんが、常識からは何も生まれない。創造とは無縁です。常識はね、繰り返しなので安住できる。何かに挑んで新しいものをつくり出す力にならないのです」
 「戦後はゼロからの出発でしたが、大げさに言うと、戦争に負けた日本を芸術と文化で背負うんだという使命感がありました。思いを共有する若い仲間たちがいて、気概にあふれていましたね」
 気鋭の芸術家として注目され始めた1956年、43歳で単身ニューヨークに渡る。
 「戦争でヨーロッパが疲弊して先進国の中でアメリカだけにパワーがあった。世界中の文化、芸術、芸術家が集まって、しのぎを削っていました。抽象、前衛が台頭していてアーティストたちが自由に自分の芸術を追究していた」
 「発表の場は与えられるんです。2年間いて、私の作品もある程度は評価されました。でも一重の垣根だけでなく二重三重の垣根を越えないと一流とは認められない。人類普遍の強さ、美しさ、深さが要るんです。厳しいけれど自分の表現を自由に追い求めていい、と確信できました」
 今年、数えで103歳になり、4月に出た「一〇三歳になってわかったこと」 (幻冬舎)が好評だ。芸術ひと筋に生きた山あり谷ありの人生を振り返り、まるで高僧の説法のような箴言にも満ちている。
 「人生を枠に収めずに自分を頼りに、やっておきたいことはどんどんやる。人は何歳からでも何かを始められるから。できなかったことを悔いてはだめ。この程度でちょうどいいと思えるかどうかが幸福になるポイントです」
 「唯我独尊で1世紀以上生きてきました。でもね、富士山を眺めると謙虚になります。独立峰の雄大さを前にすると、私はなんてちっぽけな存在なんだろうと思うんです」

 

 

箴言集

 

◆生まれて死ぬことは、考えても始まらない。
  ――人間の知能の外、人の領域ではないこともある。
◆自らに因れば、人生は最後まで自分のものにできる。
  ――意に染まないことはしない、無理もしない。
◆自らの足で立っている人は、過度な依存はしない。
  ――そもそも介入しない、期待もしない、負担にならない。
◆自分という存在は、どこまでも天地にただ一人。
  ――自分の孤独を、客観視できる人でありたい。
◆日々、違う。生きていることに、同じことの繰り返しはない
  ――老いてなお、道なき道を手探りで進む。
◆体の半分はもうあの世にいて、過去も未来も俯瞰するようになる。
 ――まあいいでしょう、とあきらめることを知る。
◆長く生きたいと思うのは、生き物としての本能。年老いるとそうなる。
 ――103歳だからわかる。生きているかぎり、人生は未完成。
◆杭に結びつけた心のひもを切って、精神の自由を得る。
 ――自分の年齢を考えて、行動を決めたことはない。
◆自然の一部として生まれてきただけ、と思えば気負いがなくなる。
 ――少しずつ自信をつけて、人はようやく生きている。
◆考えるのをやめれば、なにも怖くなりただ「無」になる。
 ――歳をとるにつれ、日常に「無」の境地が生まれてくる。
◆夢中になれるものが見つかれば、人は生きていて救われる。
 ――頭で納得しよう、割り切ろうとするのは思い上がり。
◆受け入れられるか、認められるかよりむ行動したことに意義がある。
 ――人の成功を見届けてからの、あと出しじゃんけんではつまらない。
◆予定や目標にとらわれると、ほかが見えなくなる。
 ときには、その日の風まかせにする。
 ――自分に規律は課さないし、外からも課せられない。
◆幸福になれるかは、この程度でちょうどいいと思えるかどうかにある。
 ――いいことずくめの人はいない、一生もなし。
◆真正両だけではなく斜めからも見てみる。新たな魅力があるかもしれない。
 ――人と人の関係も、うしろからもよい、横からもよい。
◆知識に加えて、感覚も磨けばものごとの真価に近づく。
 ――虫が知らせる、虫が好かない、を大切にする
◆時宜に適って、人は人に巡り合い金の言葉に出逢う。
 ――医者の「治りますよ」で、私は死病から生還した。
◆運命の前では、いかなる入も無力。だから、いつも謙虚でいる。
 ――どんなに愛する人でも、いつ奪われるかわからない。

 

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