時間医学の扉(2)

健康は時を知ることから

文=大塚邦明(東京女子医科大学名誉教授)

 

時計遺伝子とは何か
  
地球の自転と人の体内時計とを比較すると、1時間のずれがある。
その差を縮め、生体リズムを司るものこそが、時計遺伝子だ。


体内時計の在り処

 夜になると眠くなり、朝が来ると目が覚める。それもだいたい同じ時刻。まるで、からだの中に24時間の時計があるようなので、私たちはそれを体内時計(あるいは、生物時計)と呼んでいる。
 生物時計を持たない生物は、少なくとも地球上にはいない。そこで1960年、ドイツの植物学者エルヴィン・ビュニング(1906〜1990)は、それを生物が地球の自転に適応して造りあげた仕組みであると考えた。
 1972年、その在り処が発見された。自律神経やホルモン分泌を調節する、脳の中の視床下部というところ。その中のわずか米粒くらいの大きさの左右一対の細胞集団が体内時計だった。そこを壊すと1日のリズムが消え、そのあと移植するとリズムが回復することから、それが在り処だと証明された。

人の体内時計は25時間

 時を刻む仕組みには、奇妙な工夫がある。
 時刻を知る手掛かりのない暗闇の洞窟の中で生活すると、生活リズムのテンポは遅くなり、からだのリズムと地球のリズムは少しずつ離れて行く。そこでは約25時間のリズムで、体内時刻が刻まれる。地球の自転よりも1時間ほど長い約25時間周期で、リズムを奏でていることになる。
 ミネソタ大学のフランツ・ハルバーグ(1919〜2013)は、地球の・日伝と1時間ずれたそのリズムのことをサーカディアン・リズムと名づけた。サーカとは「概そ」、ディアンとは「1日」を意味するラテン語である。
 人はこの1時間のずれを、太陽光を用いて調整する。太陽光を朝に浴びることが必要である。光の中の青色のスペクトル成分にその働きがあった。
 それではなぜ1時間ずれているのだろう。
 地球の自転の速さは、わずかずつ遅くなっている。月や太陽が、地球の海水に影響して、ブレーキをかけているらしい。珊瑚の化石に刻まれた柄模様の構造を解析してみると、100年当り1・4ミリ秒のペースで1日の長さが長くなっていた。
 生命が急速に多様化した約5億年前のカンブリア紀は、1日の長さは約21時間だった。霊長類が誕生した約3500万年前の1日の長さは23・5時間くらいだった。人をはじめとする生物はそれを察知して適応し、光を浴びることで体内時計の針を合わせるという、奇妙な仕掛けを、遭伝子の中に組み込んだ。

時計遺伝子の役割

 1997年に、時を刻む遺伝子が発見された。柱時計が振り子の揺れを利用して時を刻むように、体内時計は遺伝子から時計蛋白への化学反応の擦れを利用して時を刻んでいた。
 崎を刻むのが任務のはずの時計遺伝子には、もう一つ重大な任務が課せられていた。
 時計遺伝子に異常がある哺乳動物は、成長とともに肥満になり、糖尿病になった。コレステロールや中性脂肪が増え、骨が脆くなった。老化が速く進み、がんになりやすくなり、寿命が短くなった。
 地球に棲み、生き延びていくために、なぜ体内時計が必要だったのか? その答えはここにある。体内時計には、病気の発現を抑え、老化のスピードを遅くして、健康寿命を長くするという特別な任務が与えられていたからである。

生命システムとしての時計遺伝子ネットワーク

 今では、時間を刻む仕組みの、ほぼ全貌が明らかにされている。
 朝、昼、夜の3つの時刻を中心に、20数個の時計遼伝子がネットワークをつくつている。互いに連絡を取り合うことで、まず薄明(夜明け)と薄暮(夕刻)という2つの時刻を創りだす。そして5つの時刻を基に、人が生きていくために必要なエネルギー源を醸し出す仕組みと協同することで、老化を抑え若返りを図るべく働いている。
 5つの時刻のうち、生体リズムの主役は朝である。朝の時刻を担当する時計遺伝子を壊したときだけ、リズムが消えてしまう。それゆえ健康を維持するための基本は、規則正しく朝を迎えることにある。6時半頃に、規則正しく起床し、朝食を摂り、出勤する。この当たり前の生活スタイルを、もう一度思い起こしてほしい。
 20数個の時計遺伝子は、本来は何の関連もない独立した遺伝子である。それがわずかな時間遅れで振動するという仕組みが組み込まれただけで、多様のリズムが創出される。この仕組みは、混沌からリズムを生み出すためのアートであり、ここに体内時計の真髄がある。
 生命とは何か? なぜ私たち人類は、あたかも偶然の如くにこの地に誕生し、宇宙の長さに比べれば一滑ほどの短い一生を過ごしていくのか? その答えが、この辺りにあるように思われてならない。

 

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