「色法と心法」(上)


山上 弘道

はじめに


去る昭和56年8月25日の教師講習会において日顕師は、次の如く述べている。

 このことについて『百六箇抄』の”脱の本迹勝劣”という、即ち釈尊仏法についての本迹勝劣の重に「心法ノ即身成仏の本迹」と「心法ノ妙法蓮華経の本迹」が示されてあります。その「心法ノ妙法蓮華経の本迹」について、

「山家の云く、一切の諸法は本より已来、生ぜず滅せず性相凝然たり、釈迦は口を閉ぢ身子は言を絶す云云。方便品には理具の十界互具を説く、本門に至っては顕本理の上の法相なれば、久遠に対して之を見るに、実相は久遠垂迹の本門なるが故に色法に非ざるなり」

と示されて、脱益釈尊の化導の場合には妙法は心法の悟りであることを示されております。

 ところが本門下種の方はどうかと申しますと、「色法の即身成仏の本迹、乃至、涌出品より已後我等は色法の成仏也」 (百六箇抄・新定3・2708 全集・862頁)あるいは「色法の妙法蓮華経の本迹」(同頁)等と、はっきりとお示しになっております。これは本門が色法中心であることをお示しになったものです。

あるいは、

「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ」 (経王殿御返事・新定2・1006 全集1124頁)

とも仰せであります、”墨に染め流す”ということは色法ではありませんか。そこに宗旨をきちんとお立てあそばされておるにもかかわらず、何が目に見えない存在であり、心法だと言うのでしょうか。これではまるで釈迦仏法に逆戻りであり、全く大聖人の御法門ではありません」 (大日蓮9月号・P31)


 教師講習会の日顕師の講演の中で、教義についての内容と受け取れる、数少ない内の一つである。

 この色法と心法ということについては、先に在勤教師会として問題提起された『事の法門について』において、事理に二重の意があることが述べられているが、それと同じく、決して平面的に考えてはならない。御講聞書に(新定3・2917)

「一、色心を心法と云う事」

という項目があるように、色心にも二重の意があるのである。

 日顕師が

「本宗の法門は、十界の因果の実に融通無解な、事相理相(性の誤りか)、事法、理法、その他あらゆる面にわたって教観二門を縦横に開拓されている云云」(大日蓮9月号・P6)

と自ら云われている如く、ここを整理しない限り、真実当家の法門は解らない。残念ながら日顕師の言葉の中には、この縦横なところを、少しでも開拓した話はなかった。

 一体に現在の宗門の教学の軽薄さは、目を覆うばかりで、それは事理や色心の如く、法門の根底をなす重要なところを、創価学会なみの素人的な考えで、通り抜けようとするところに起因している。

 近来は教学の研鑽が、信をないがしろにするという、考えてみればバカらしい風潮も実際あって、それをすることには、何か暗いイメージがつきまとうが、当家の御先師方には上代より、他に誇るべき大学匠、勤勉家が非常に多く、こういった考え方は是非とも排さなければなない。

 訳がわからぬから、まあ信じようというのが、どれ程立派な信なのだろう。他宗他派からの論難や、己れ自身の疑問を、苦労をしながら一つ一つ解き、解決させていくことが、我々僧侶としての責任であり、本当の信なのではないだろうか。

 そういう意味では、今日このように事理・色心を始め当家伝統の法門の何たるかが、真剣に論ぜられる機運が生じたことは、全く不幸中の幸である。

 せっかく、話題として色心の法門が俎上に乗せられたのであるから、これを好機と考えて、当家の法門における色法・心法のあり方を少しく整理し、大方の批判を受けながら、当家伝統法門の再興に倶したいと思う。

 

1、二重の色心


 「はじめに」において触れたように、当家においては二重の色心を考えなくてはならない。

 1つは釈尊仏教と大聖人の仏法とを此較して、その法門の基盤・立脚点の相違を示す色心である。これは先に『事の法門について』に述べられた、事迷と理悟と同意であって、説くところの法、或は悟りが、煩悩を待った凡夫を肯定したところに立っているか、それとも、あく迄煩悩を否定したところに立っているかということである。解り易くいえば、我々五欲煩悩を持した凡夫が、生きながらにして、この色体を持した侭成仏ができるか否かということで、それを可として、五体色決を肯定したところに立てられた法門を事迷の法門、色法の成仏といい、五体色法を離れたところに成仏を説くを理悟の法門、心法の成仏というのである。

 勿論大聖人の仏法は、民衆仏法といって事迷の凡夫の上に立てられ、色法肯定の成仏を説き、釈尊の仏教は貴族仏教といって理悟の仏の上に立てられ、色法否定、即ち心法の成仏を説く。この基本的な立場の相違を示す、色法、心法が先づ第一の色心である。

 尚、ついでながら、民衆仏法の民衆・貴族仏教の貴族の語が、一部に誤解されているようであるから、一言付言する。

 我々の云う仏法上の民衆とは、決して現実社会の下層階級とか、貧民等をいうのではなく、又貴族というのも上流階級とか富貴な人達の意ではない。貴賎道俗に関係なく、煩悩を持した衆生を民衆といい、煩悩を持さぬ仏を貴族というのである。

 日寛上人は六巻抄末法相応抄に(286)

「若し久遠元初とは但本因名字に限って、尚お本因の初住に通ぜず、何に況んや本果に通ぜんおや」

と述べられて、当宗の云う名字凡夫とは、初住巳上、本果妙竟に通じて行く名字凡夫ではなく、本因名字の凡夫つまり妙竟に登って行かぬ、名字凡身の侭に当位即妙不改本位の成仏を遂げる本因名字の凡夫であることが説かれているが、この本因名字の凡夫をもって民衆といい、そこに建立される法門を民衆仏法といっているのである。逆に、本果妙竟、乃至、妙竟位に通ずる、本果の中の歴劫修行途上の凡夫も含めて、これを貴族といい、そこに建立される法門を貴族仏教といっているのである。

 要は現実社会の民衆・貴族とは関係なく、一切の煩悩を持した凡夫に、即身成仏を許すか否かの問題で、それを許すを民衆仏法といい、あく迄断惑證理・不退の成仏を求め、凡夫色身を認めないのを貴族教というのである。くれぐれも現実社会と混乱されぬようお願いしたい。

 さて、話を色心に戻して、第二の色心とは、釈尊仏教と人大聖人の仏法との立場の相違を踏えた上で、大聖人の事迷の法門の中の、色法・心法である。

 それは、たとえ凡夫色身を認め、当位即妙不改本位を説くからといって、即座に凡夫その侭で成仏たり得るのか。又、色体そのものが、何の約束ごどもなしに、常住といっていいものかどうかという、実に素朴な疑問にかかわる問題であって、詳しくは後述する。

 とにかく、今はこの二重の色心二つは釈尊仏教と大聖人の仏法との立場の相違を示す色心、そして二つにはそれを踏まえて更に大聖人の仏法においての色心があるということを示すに止め、以下、それぞれの色心について順々に述べようと思う。

 

(1) 釈尊仏教と大聖人の仏法の立場の相違


  先に簡略に示した如く、釈尊仏教と大聖人の仏法との基盤の根本的な相違は、仏道を成ずる上において煩悩を持した肉身・色体を肯定するか、否定するかにある。結論から云えば、大聖人が百六箇抄の脱の上の本迹勝劣において

「心法ノ即身成仏ノ本迹、中間今日モ迹門ハ心法ノ成仏ナレバ華厳・阿含・方等・般若・法華ノ安楽行品二至ルマテ円理ニ同スルカ故二、迹ハ劣リ本ハ勝ルル者也」(新定3・2700)

と仰せの如く、釈尊の仏教は五時おしなべて、心法の成仏、換言すれば、我等のこの肉身、色法を否定したとこに成仏を立てる。それに対し、同じく百六箇抄・種の本迹勝劣において

「色法ノ即身成仏ノ本迹、親ノ義也父ノ義也、自リ涌出品巳後我等ハ色法ノ成仏也。不渡余業ノ妙法ハ本、我等ハ迹也」(新定3・2708)

と仰せの如く、大聖人の仏法は色法を肯定したところ、即ち我等のこの肉身を持った侭の成仏を立てるのである。

 そもそも釈尊仏教の成仏観とは如何なるものであるか。細かなことはさておいて、我等の色法をどう見ているか更にもう少し大きな観点に立てば、仮諦そのものをどう扱っているのか。天台の五時八教判に従って、簡略に考えてみたい。

 釈尊の説教を、教義内容の次第から考えると、蔵・通・別・円の所謂化法の四教となるが、その始めの一般に小乗教といわれる蔵教においては、天台が玄義に

「しかも通じて無常を説く」

といわれる様に、この世の総てを無常な物・仮りの物と見て、悟りはこの無常な物を滅したところにあるとする。これが空である。基本的に総ての物は無常であると説くので、当然我が肉体も無常なものであって、これを滅しない限り悟りは無い。灰身滅智とは二乗の人が、小乗の悟り阿羅漢果を得る最後に、身を焼き心を滅することというが、これを端的に表わしている。要するに小乗教においては、仮諦は無常なもので、それを滅したところの空諦が真実と説き、成仏も肉体及びそれに付随する心(煩悩)は無常であるから、これを滅したところにあるとするのである。これが釈尊の教理の出発点であって、それより次第して、通教にては空を説くも一歩進んで、仮に即して空を説き、別教においては隔歴三諦が説かれる。この隔歴三諦とは、一切万法には実体がなく、実体とは空であって、種々の因縁で仮諦があるという迄は、蔵通と基本的には同じであるが、この体空も仮有も共に方便であるとして、更に仮有にも非ず、仮空にも非ざる中道を説き、この中道を観じて始めて成道を得るところが一段発達したところである。しかしこの別教でも、色法が無常なものには変りなく、蔵・通・別にわたって、基本的に色法は認められていない。

 次に円教においては、円融三諦が説かれ、空・仮・中の三諦は互いに円融し、即一であるから、三諦共に常住であるとする。ここにおいてはじめて、仮諦、色法は認められ、理論的には色法の成仏があることになるのだが、実際面において、はたしてどうか。

 例えば六即という語があるが、これには理論上の平等と実際面の差別とが双方込められている。即ち「即」の義において、理即から究竟即迄、悉有仏性であるから、仏道を成ずる素質においては、煩悩を持した者も皆平等であることが説かれ、「六」の義において実際面においては成仏への厳しい段階が示されているのである。この相反した考えの、どちらに重きがあるかといえば、六の義にあることは明白である。

 たとえ理論において平等を説いても、その成仏が理即・名字即と次第して、最後究竟妙覚・不退の成仏である以上、生身に成仏を遂げることは不可能である。彼の天台大師でさえ、終生観行即であったというが、智の勝れ、行体堅固な大師にして観行即であることが、何よりも生身・色法の成仏を否定していることの証明である。

 かくの如く釈尊仏教は色法成仏を目指し、理論的には円教において示されたが、実際はあく迄悟りを不退妙覚位におき、又それに至る歴却修行を放棄していないので、結局基本的には小乗に説く灰身滅智の姿勢、つまり生身の凡夫に悟りはないという姿勢をくずしていないのであるから、色法を否定した理悟の世界、心法の成仏ということになるのである。

 それに対して大聖人の仏法は、当位即妙不改本位の成仏を語られている。南部六郎三郎殿御返事に(新定2・1004)

「法華経ノ心ハ当意位即妙不改本位卜申シテ不シテ捨テ罪業ヲ成スル仏道ヲ也」

と仰せられた如く、罪業、煩悩を帯した侭、即ち五体色身を持しながらの成仏である。この立場において建立された法門を事迷の法門という。

 しかし乍ら同じく成仏といっても、釈尊仏教における不退の成仏を生身に得る訳にはいかない。若しそれを云えば天台の如き不毛の論に終る。事迷の法門に説く成道とは刹那成道に限るのであって、それは煩悩を帯した侭その煩悩の中に、信の一字、受持の一行によって刹那に菩提を成ずるのである。これを煩悩即菩提という。釈尊仏教では、煩悩を完全に断じたところを菩提というので煩悩即菩提ということは考えられないから事迷の法門においてのみ使われる言葉である。


この当位即妙不改本位、刹那の成道。更にその成仏を得る為の受持の一行こそが、仮諦の常住、我等が色身を事実の上で認めたところの成仏観であり、修行である。この当家事迷の法門の内容については、次項にゆずることにする。

 以上、第一重の色心、釈尊仏教と大聖人の仏法の立場の相違を要約すれば、


(釈尊仏教)


@ 成仏とは煩悩を断じ尽した、不退の悟りのことである。

A 成仏の為には、凡夫から不退の成仏までのコースを必ず歴却修行しなければならない。(従因至果)


B 天台などでは、理論的には三諦の円融を説き、仮諦の常住なるを説くが、生身に不退の悟りを得ることは不可能であるから、それは不毛の論であって、結果的には生身の凡夫、即ち色法を否定した心法の成仏である。


C 不退の悟りを求めるので、釈尊仏教を理悟の法門といい、本果妙という。

 

(大聖人の仏法)


@ 成仏とは当位即妙不改本位といって、煩悩を持した侭の悟りである。しかもこれは不退の悟りではなく刹那の成道である。(煩悩即菩提)


A 凡夫がその侭に、因位において悟るのであり、成道も刹那であるから、修行は歴劫修行ではなく、受持の一行ばかりである。(従果向因)


B 生身の色法を認めた上に成仏を立てているので、色法の成仏という。


C 煩悩の迷いを持した侭の成道を説くので、大聖人の仏法を事迷の法門といい、本因妙という。


ということになるのである。

 

(2) 大聖人の仏法における色法と心法


 先の釈尊仏教と大聖人の仏法との基盤の相違を示す色法、心法が、第一重の色心とすれば、ここに示す色法、心法は、第一重の相対的な色法、心法を踏まえた上で、今度は大聖人の仏法の中で、絶対的な立場での色心である。
 大聖人の仏法が・仮諦・色法・煩悩を肯定的に見るという基盤に立脚していることは、先に示した通りである。そしてそれは、小乗教において極単な空の論理、心法の成仏が説かれ、現実否定がなされたが、その現実否定を補なう為に、通教已降仮諦に目がむけられた時から、最終的には必然として到達すべき、仏法の極地であった。

 だが、これが仏法の極地であると同時に、一歩間違えば外道と変りない、限りなく外道に近い形であることも見逃してはならない。現実を肯定的に見る点、煩悩を認める点、色法の常住を説く点において、非常に危険があるのである。 同じ事迷の立場にある中古天台に理即本覚という考え方があるが、煩悩を持った侭の姿が、その侭で何もせずに成仏であるというもので、煩悩即煩悩などと説かれることもある。これなどは最早、仏法などではなく、外道と何ら変りのない、単なる世間主義である。

 そこで真の民衆仏法、色法の成仏において最も大切なことは、成仏を釈尊仏教の不退妙覚位から、名字即迄さげる(観行即は不退の因位とされる)パワーであり、同時に、それを理即の凡夫迄さげぬブレーキである。

 つまり事迷の立場が示されても、ただそれだけでは中古天台の理即本覚であって、そこに信の一字、受持の一行があってこそ、真の大聖人の仏法なのである。凡拉に宗旨が建立されながら、同じ凡位でも理即でなく、名字即にあることが’それを表わしている。これを事行といい、五重圓記にはここのところを、

「本門ノ観心ノ円卜ハ者事ノ一念三千ノ円也、本門ノ元意ノ円卜ハ者事行ノ妙法蓮華経是也………事ノ三千事行ノ妙法二重ノ不同唯授一人口傅有リ之云云」 (歴全1・41)

と示されているのである。

 即ち事迷の立場が事の三千によって示され、その立場において更に受持の一行によって事行の妙法が成ぜられる。五重の円の内先の三重の円、即ち示前の円、迹門の円、本門の円を文上、心法、理の三千とすれば、それに相対して当家は文底・色法であることが、四重の円、事の三千で示される。これが先づ第一の色心である。そして更に事迷の立場において、受持の一行、信の一字によって己心に久遠名字、事行の妙法蓮華経が建立される。この事行の妙法こそ己心の法門、心法であって、ここに第二の色心を見るのである。

 これを図示すれば下の如くである。

 当家の法門は最終的には、受持の一行、信の一字の己心に建立されている。もし立場において色法を肯定する当家が、己心を無視して、色法の上に色法を重ねるならば、それは無節操な外道と等しく、理即本覚、煩悩即煩悩をたてる堕落した中古天台本覚思想と何ら簡ぶところがない。


 事の法門とは、理悟に対した場合には、確かに色法成法、事迷という意において、色法であるが、更にもう一歩進んで、受持の一行、信の一字によって、己心に事行の妙法蓮華経が建立されたところを宗旨とするのであるから全体をもって云えば、己心の法門というべきである。このところを総じて法体の事といい、この法体の事にもとずいて、化儀に顕わされたり、教理として説かれたりして当家が存在しているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

「色法と心法」 (下)

 



2、現在の宗門の混乱した色心観


 上述の如く、当家の事の法門は二重の色心からなっている。そしてその法門にもとずいて化儀が顕わされる。故に当家の法門は法体そのものが事なのであって、色形に顕われたから事の法門という訳ではない。まして当家法門の勝れる所以が、色形に顕わされているからであるとするなどは問違いも甚しい。事相・色形に顕わすことが立派というなら、事相のない宗はまずないから、特別当家が勝れる理由にはならない。それどころか東大寺をはじめ、その他色相に重きを置いて荘厳を競う宗派はいくらでもあるから、それらは当家より、ハるかに立派ということになるだろう。

 事の法門が事相に顕わされて、はじめて我々の信仰が成り立つことは確かだが、かといって事相に顕わされたから事の法門という訳では決してなく、法門そのものが事の法門であることを間違えてはならない。

 日寛上人が六巻抄文底秘沈抄(202)に


「故に知ぬ、(天台は)理を事に顕すことを、この故に法体猶お是れ理なり、故に理の一念三千と名づくるり・・・・若し当流の意は事を事に顕わす、是の故に法体是れ事なり、故に事の一念三千の本尊と名づくるなり」

と仰せられている如くである。

 それでは形に顕わすところは事行であるかというと、これもそうではない。先に述べた如く、事行とは我等が信の一字を指していうのであって、姿形に顕われた唱題の姿、本尊書写をいうのではない。ここのところを日寛上人は観心本尊抄の講義において、

「事行卜者天台ノ如ク末法ニハ理ノ十乗ヲ観スル事不ル能ハ故ニ題ノ妙法ヲ口唱スル故ニ事行卜云フ也。此日辰ノ義不可也、今謂事行卜云フハ久遠元初ノ自受用報身宗祖ノ色心ノ全体ヲ事卜云也。顕シテ此ヲ本尊卜行スル此ノ事ヲ故ニ云フ事行ト也、是法体モ事也、行モ事也、故ニ事行卜云フ也、未夕全ク非ス謂フニハ事ニ口ニ唱へ手ニ珠数ヲ行スルト、上ノ御本尊ヲ事ニ書キ顕ス故ニ非云ニハ事行ト、法体ノ事ヲ事ニ行スル故ニ事ノ一念三千ノ本尊卜云フト同シ勝手也」 (研数12・558)

と講ぜられている。


 いづれも今日の考え方の誤ちを鋭くつかれた御文である。

 事相に顕わすことは確かに事であるには違いない。そのこと自体を否定するつもりは毛頭ないが、当家の法門が事といわれ、事行といわれる所以と混同してはならぬということを知らなければならない。

 本尊を顕わすことが事の法門ではない。事の法躰を一幅の本尊と顕わすのである。題目を唱えることが事行というのではない。事行の妙法を口唱するのである。

 以上のことがらと、更に先に示した二重の色法・心法とを踏まえて、では今日の宗門の考え方の何処がおかしいのか、具体的に指摘したいと思う。今日の宗門の考え方は、先の教師講習会の日顕師の講演によく顕われているので、そこにある問題点を2・3ひろってみることにする。



(1) 百六箇抄の文の取り違え


 先づ第一に、百六箇抄の本門は色法の成仏であるとの記述をもって、直ちに当家の法門は色法中心であると述べられているが(大日蓮九月号P31)これはあまりに短絡すぎる。

 この御文は釈尊仏教が断惑證理、不退の心法成仏を説くに対して、凡夫即極、未断惑の色法成仏を示されたお言葉であって、始竟に対する本竟の立場を示されているのである。この立場において、当家は色法の成仏、即ち凡夫色身を肯定した当位即妙不改本位の成仏を説くことは事実であるが、これで当家の法門の全てが顕わされたことにならぬことは先に示した通りである。

 同じ凡夫の上に建てられた法門でも、理即の凡夫か名字即の凡夫かによって天地雲泥の差があるのであって、当家は勿論、名字初信の凡夫の信の一字、受持の一行の上に建立されているのである。

 日顕師がここを理解された上で、色法成仏を云われるならば全く問題はないが、我々の「当家の法門は信のI字、受持の一行の己心の上に建立されている」との主張を、「これではまるで釈迦仏法(心法成仏)に逆戻りであり、全く大聖人の法門ではありません」といって批判しているところをみれば、明らかに混乱しての弁であることが解る。

 先に示した二重の色心の図を見ていただければお解りの通り、当家の己心の法門は釈尊仏教の心法とは全く次元の違うものである。にもかかわらず、その立て分けが理解されていないが故に、これを同次元のものとして扱って、当家己心の法門を釈尊仏教に逆戻りということはまさに時節の混乱である。



(2) 御本尊を事相に顕わす故に当家の法門は色法であるということについて


 日顕師は更に、先の百六箇抄の色法の成仏と並列させて、

「あるいは『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ』とも仰せであります。"墨に染め流す"ということは色法ではありませんか」

と述べて、御本尊が事相に顕わされるから、当家の法門は事(色法)の法門であるとされているのである。

 そもそも色法の成仏の「色法」と、法体の事を事相に顕わすところの「色法」とを同次元に置いて、何の区別もなされぬまま、ただ色法々々と論じたてること自体が、全くナンセンスである。

 そして勿論、いうところの御本尊を事相に顕わすから当家の法門は色法中心であるという考え方も大いに誤りである。

 日寛上人は、

「是法体モ事也。行モ事也。故ニ事行卜云フ也。未夕全ク非謂ン。ハ事ニ口ニ唱へ手ニ珠数ヲ行スルト上ノ御本尊ヲ事ニ書キ顕ス故ニ非ス云ニハ事行ト、法体ノ事ヲ事ニ行スル故ニ事ノー念三千ノ本尊卜云フト同シ勝手也」

と仰せられて、事というも事行というも本尊の書き顕わされたからではないとされている。

 又一口に本尊といっても単に物体のみをもって本尊の全体とするのは間違いである。

 日寛上人の御文中「御本尊を事に書き顕わす云云」の御本尊を、以下の「法体の事を事に行ずる故に事の一念三千の本尊と云」といわれる本尊とを如何に会通すべきか。更に日宥上人の

「無始ノ罪障消滅戒壇ノ本尊ヲ代々上人写シ之、我等ニ授ケ給ヘハ我等力己心ノ本尊ヲ眼前ニ顕シ給ヘルト無疑日信、明了臼解卜信心第一也」(観心本尊抄記・歴全3・374)

等の御文は如何に意得れば良いのか。

 現在の宗門が事の法門を単に「事相の法門」と取り違えることによって、どれだけ当家伝統法門に大きを狂いを生ぜしめているかということを、ここは一つ、自他彼此のセクトを越えて、大いに考え論じていくべきと思う。ともかく日寛上人は本尊を事相に顕すから事の法門、事行の法門というのではないと示され、日顕師は本尊を事相に顛わすから当家の法門は事であるといわれる。どちらに従えばよいかは論ずる迄もなかろう。

 勿論これをもって当家の法門では事相を無視するとか、姿形に顕われた御本尊、或は口唱題目をないがしろにするなどと勘違いされては困る。図顕された御本尊によって、始めて大聖人の民衆仏法、師弟一箇、事の一念三千久遠元初の自受用報身を拝し、信ずるのであるから、不可欠であることはいうまでもない。口唱題目によって我々の信心いよいよ強盛となることは事実である。

 しかし、形に顕われたところだけを本尊と考え、口唱の題目をもって真実絶対とする訳にはいかないのである。

 信のある者は唱題をする。(勿論事情によって信はあるが題目を声に出せない人もいるが)、しかし唱題をする者が必ずしも信があるとは限らない。事の法門を本尊として色形に顕わせば必ず一幅の曼荼羅本尊となる。しかし、曼荼羅本尊と願わされれば、それが総て事の法門を顕わしているかといえばそうではない。他宗他門に唱題の声は消える間もなく、更に何百幅の曼荼羅のあるやもしれぬ。

 安易に形をもって絶対とすれば、そこには思わぬ落し穴を生ずることにをる。

 他宗他門の人が大聖人の曼荼羅本尊にむかい、南無妙法蓮華経と唱題する姿と、当家のそれと姿形においてどれ程の違いがあるのか、第三者が外相からみれば、さしたる遠いはないだろう。では何が違うのか。


1には曼荼本尊の内奥たる法門の相違である。一般日蓮宗は大聖人を宗祖と仰ぐが仏は釈尊であれば、法門は釈尊仏教、理悟の法門である。勿論当家は事迷の法門である。


2には、妙法を唱える我等が信心の相違である。彼等の曼荼羅本尊を通して釈尊の魂、理悟の法門を信じ、我我は大聖人の魂・事迷の法門を信ずるのである。

 かくの如く、本尊とは本来この総てをもっていわれるのであり、ここのところを大聖人は「日蓮がたましひをすみにそめ流して書きて候ぞ、信じさせ給へ」と仰せられているのである。「日蓮が魂」とは大聖人の民衆仏法・事の法門、換言すれば内證本尊である。「墨に染め流して書きて候」とは、その事の法門・内證の本尊を一幅の曼荼羅として図顕されることである。そして最後に「信じさせ給へ」と仰せられて、受持の一行・信の一字によって、刹那に己心に本尊が建立されることが示される。このところを事行という。形と顕われるのは「墨に染めをがす」ところだけで、その前後に文字通り目に見えぬ事の法門、信の一字(事行)があって、この全体をもって、はじめて大聖人の御法門、本尊観といえるのである。

 再度くり返すが、私は何も曼荼羅本尊は真実でないとか、単なる仮りのものであると主張しているのではない。

 唯、法門は全体観をもって語られをければならないのであって、近来の唯物的発想からなる本尊観には、無理があると主張するのである。

 ついでながら、昨今貫主が何が何でも絶対であるという理由として「では誰が本尊を書写されるのか。貫主以外にはありえないでではないか」という言葉が切り乱のように使われているが、これも唯物的発想からくる偏見である。

 本尊書写は確かに貫主一人に限るであろうが、本尊を書写する権能があるから貫主に法門的間違いはないとか絶対であるというのは、どう考えても理屈にあわない。

 本尊書写の権能を振り廻して、無意味な貫主正統論をくり返す前に、貫主とて宗開三組の内證に対し奉り、信を取るべき御方、否一切衆生に対し、其の信心の手本を示すべき御方であれば、先づもって大聖人の内證諾、事の法門を体得し、信心無二の仏道修行を示され、率先して「我等が己心の本尊を眼前に顕し給へると無疑臼信、明了臼解と信心第一也」の手本を見せることこそ肝要ではないか。

 又、血脈というも、貫主には何をしても血脈法水が存するという様をものではなかろう。

 「信といい、血脈といい、法水という事は同じことをり」と日有上人が仰せられる如く、一切衆生の手本として、無二の信を示されるところにこそ血脈は存するのである。

 当家はあくまでもこの信の一字の上に法門が建立されていて、絶対なのは人ではなく、法であり信である。そういう意味では若し貰主が正しく法門を示さず、宗開三祖の内證に信を取ることもなく、謗法を誡しめることもないのなら、衆議はためらいもなくそれを不可としなければならない。

 もしあくまで血脈法水が貰主一人の所有物であるかの如くいい、そしてその貫主一人に信をとることが当家の信心のあり方であるというのなら、当家の根本宗是である依法不依人はどうなるのか。

 当家においてはどこまでも宗開三祖の内證が法なのであって、この法に対する信の手本をみせ、その信の中に法水血脈のあることを示すべきである。それでこそ真の手続の師たり得るのである。

 日顕師は日有上人第五百遠忌御題目講の法話で

「(有師化儀抄の)『又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし』 の文は日有上人自らのことを仰せであり、当代の法主のところに高祖・開山の法水血脈の流入するを信ぜよとの御意であります]

と述べちれて、自分に信を取ることを強調されているが、その前に御自分が三世諸仏高祖巳来代々上人の御法門に対し、忠実をる信を取らねばならぬ立場であることを、自覚して頂きたい。宗開三祖の内證に信を取り、富士の立義に聊かも違うことのない時、血脈法水は流れるのであって、若し、富士の立義に違背するようであれば、「それを諌め、用いずんば捨つべき」が富士門流の伝統である。貫主がこの立場にたって自らこの信のあり方を示される時、我々はそこに手続の師として信のあり方を拝し、それを見習って宗開三組の御内證並びに当代貫主に信を取る。そこに又血脈法水は流れるのである。

 ここをもって日有上人は「(私が高祖巳来代々に信を取ったと同じ様に) 又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし」と仰せられたのである。

 常にこういう正常を状態であることを我々は願うが、もし貫主が手続きの師匠たり得ぬ場合は、即ち宗開三祖並びに富士の立義に違うようをことがあれば、そこを糾していかをければならぬことは日興上人遺誡置文に示される如くである。

 大聖人は「上人の (誤った)言について少人の実義を捨つる」を依人不依法とされているが、間違っても、実義を捨てても、貫主には血脈が流れているのだから逆らってはいけないというのは、依人不依法以外の何物でもない。

 法の世界、信の世界においては貴賤相続の差別はない。勿論貫主といえども、真実の信を持って始めて血脈法水が流れるのである。そういう意味においては、我々の様を平憎であろうが、一介の信徒であろうが、何等変りはないのである。

 「信といひ血脈といひ法水といふ事は同じ事なり云云」(要1・64)と示され、更に「信は公物なるが故なり」(要1・70)と示されるごとくである。




(3) 大聖人の御内證と外相について



 日顕師は

「大聖人の御肉身は、それがたとえ我々の凡眼には見えなくても、永遠に三世常住あそばされるところなのでありまして、これは『寿量品』の説法と全く変らないのであります。その御肉身を分けて、眼に見えないところが本体だとか、眼に見えるところは流転門だなどと(在勤教師会では)言いますがそのようをばかげた話はありません。大聖人の御肉身、今日より七百年前の御一期の御化導を離れてどこに御本仏様がありますか。御肉身そのままが御本仏であり、もし強いてその法相を宛てるならば、流転の当体即常住なのです。」(大日蓮9月号P40)

と述べている。

 この辺の間違いも、当家事の法門を、事相の法門と勘違いしているところに起因しているものと思われる。

 事相が勝れるというのであるから、したがって大聖人も又御肉身が最重要とをる。そこでこのようを「大聖人の御肉身は、それがたとえ我々の凡眼には見えなくても、永遠に三世常住あそばされる」ということになったのであろうが、これは法門以前の問題で常識を越えた発言である。

 だいたいそれが凡眼であろうが仏眼であろうが、目に見えぬ肉身などありえる筈がないのである。寿量品においても、インド応誕の釈尊の肉体は滅するが、その内證が常住であると説かれているのであって、(現有滅不滅)肉体が常住であると説かれている訳ではない。大聖人におかれても御肉身は弘安5年10月13日に滅せられたけれども、その御内證は常住不滅であると説かれているのである。

 鎌倉時代、宗祖御在世の時は宗祖の御肉身は信不信にかかわらず拝することが出来た。しかし滅後においては御肉身はお亡くなりになるので、不信のものは文字通り大聖人は滅せられたと思う。それは不信のものは、肉身の大聖人の存在しか知らないからである。

 しかし真に大聖人を信ずるものは、たとえ御肉身は滅せられても、その御内證の常住不滅なることを拝することが出来る。その常住不滅の大聖人の御内證を、日興上人が信の一字の上に体得されて、そこに富士門流の伝統の源がある。

 日顕師の言葉は、少々不謹慎ないい方かもしれをいが、大聖人は764歳の御高齢で、我々の凡限には見えないが現におわすのであり、それが信じられぬ者は信心がないからだという風に聞こえる。これでは信じられる方がよっぽどおかしいと私は思うが、それは不信心なる故だろうか。

 私はあく迄大聖人の御内證、師弟一箇の事の法門が常住不滅なのであって、しかも我々が常住不滅の大聖人を拝せるのは、信心無二に仏道修行の信心の上においてのみであると主張するのである。

 但し、このことが直ちに「700年前の御一期の御化導を離れ」ることと勘違いされては困る。大聖人の仏法を知るには大聖人御一期の御化導を根本としなければならぬのは当然のこと。しかしそのことと、大聖人の御肉身が常住であるということとは話が別である。そこにははっきりと流転・還滅の立て分けが必要であり、流転の事相が常住たりうるのは、還滅の世界、信の一字よりたち還って、はじめていえることなのである。

 結局、「流転の当体即常住なのです」ということになるのも、全くこのところの整理がついていないからであって、流転の当体が即そのまま常住という発想は、先にも示した如く中古天台埋即本覚の発想と全く同じである。

 そこには当家の信の一字の入りこむ余地は全くない。あるのは、無常をものを無理に常住であると信じるという「いわしの頭も信心から」同様の不疑曰信の信ぐらいなものである。




(4) 観念論ということ



 日顕師は己心の法門を処々において観念論として退けられている。

「したがって、彼らは自分で事の法門などとおこがましく言っているが、所詮理の法門に逆戻りしているのであって、当家の事の法門たる所以は全く解っていないのであります。その証拠は、その所論に一貫する観念論と、つじつまの合わぬこじつけになるのであります」(大日蓮9月号P32)

「どこまでもその人を御本尊様によって救ってあげようという慈悲が、そのように生意気な観念論ばかりを言う人間にあるのか、あるならば真剣に行じてみなさい………その結果を、現証をもって示しなさい、と私は言いたいのです」(同22)

 我々は観念論といわれること自体は、何ら異存はない。それどころか過分の評価をいただいたと喜こばねばならをいと思っている。

 但し、現今使われる西洋的を意味での観念論といわれ
るならばそれは困る。

 抑も、同じく観念論といっても、西洋的を意味と東洋における意味とでは根本的に相違がある。一般に今日使われているのは、いわゆる西洋的を意味で、具体、実在に対する空想という程の意味である。唯物的発想の西洋においては、観念ということは否定的に使われるのであって、現実ばなれをした考え方、頭の中でのみ物事を考える教条主義のことをいう。

 それに対し東洋においては、仏教の観念という考え方が根底にあるので、だいたいが肯定的を意味で使われる。

 仏教における観念とは観心・観法と同義であって、真理を観ずるの意である。

 仏教においても又、更に台家の観念と当家の観念との不同があって、大聖人は持病抄に(全998)

「一念三千の観法に二つあり、一には理、二には事なり、天台・伝教等の御時には理なり、観念すでに勝る故に大難色まさる」

と仰せである。当家・台家の観念は、当然天地雲泥の違いがあるが、観念という語が、最上最勝のものを示しているということは双方共通している。

 今日ではここの処にも誤解があって、天台は観念だから理で、当家は事相に顕すから事であるといわれるが、それも短見である。六巻抄文底秘沈抄に(202)

「妙楽云わく、本久遠なりと雖も観に望むれば事に属す云云。寛が云わく、本久遠をりと雖も観に望むれば理に属す云云」

と仰せられているように、双方観心・観念に真実があるという点においては同じであるが、天台は理悟の法門なる故に理観といい、当家は事迷の法門の上にたてられる観心なる故に事観というのである。

 観念という語をこのように整理してみると、日顕師の言葉には二つの間違いがあることがわかる。

 1には、仏法では観念というのは、観心と同義であって、そういう意味では当家はまさに観念の仏法であるにもかかわらず、観念という意味を単なる西洋的な空論ぐらいにしか考えていないこと。

 2には、事の法門を事相の法門と勘違いして、己心観心の法門は埋の法門であって、観念論(教条的を意味)であるとしていることである。

 当家の法門は事相の法門であると思っているから、当然己心・観心の法門は、具体・実在に対する空想の考え方であるとし、そういう発想にもとずいて、当家事の法門は己心観心の法門なりと主張する我々の意見を「彼等は自分で事の法門などとおこがましく言っているが、所詮理の法門に逆戻りしている」と批判するはめになるのである。

 この観念という語の解釈は、はからずも以前西洋思想によって、御法門の解釈が大部曲解されたという我々の主張の、一つの裏付けとなるように思う。


お わ り に


 昨年の教師講習会での日顕師の講演には実に多くの問題がある。今回は表題の如く色法・心法に関する問題のみを取り上げて考察を加えた。

 それにしてもありがたいのは、我々平僧ごときを支えて頂ける御法門である。大聖人が老病御書に「いづくにても候へ、法門を見候へば心のなぐさみ候ぞ」と仰せられたそのありがたさが身にしみる思いである。

 日興上人が御消息で盛んに弟子に対して勉強をせよと述べられているのは、やはり御法門が宗の命であり、又あらゆる艱難辛苦を乗り越えるための杖となるからであろう。

 法門の研鑽は進めば進む程、又年を取れば取る程したくなるものらしく、日目上人は

「年カヨリテ仏法ノサハクリタク候。今年モ四月ヨリ九月廿日此マテ無闕日御書談候了」

と仰せられている。

 智の勝れ、行の勝れる日目上人にして、この様に努力されているのである。才智のとぼしき我々が、その驥尾にしがみつくには、一生懸命の精進、努力しかあるまい。

 

 

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