三秘の解釈について
関 慈謙
はじめに
昨年一月、久保川法章師が今日の宗門教学に対して、その矛盾を指摘して以来、種々を形で本来の日蓮正宗の法門のあり方が論義されて来た。この論争を通して宗務当局の自己矛盾はその極に達し、最近の周章狼狽ぶりは目を覆わんばかりである。特に宗門の教学振興に永年功績のあった川澄勲氏への批難中傷などは、被害妄想に陥っていると云う他はない。
彼等の主張は、戒壇本尊・血脈相承の外相だけに異様に執著し、板漫荼羅や金口相承の外相の持つ無常性の一面を無理に常住と思い込み、この思い込みを信の一字と錯覚しているに過ぎない。しかも理論的には色(物体)が常住であるはずもなく、この矛盾を会通できないところに彼等の混乱がある。
反面、内証本尊・内証血脈という戒壇本尊・血脈相承の本質は全く理解されないまま、自分自身は外相を内証と勘違いして内証内証と盛んに吹聴し、二重三重の混乱を来してしまっている。にもかかわらず、自らはその矛盾にも気が付いていない。全くおめでたい人達である。
この彼等の矛盾は、本尊観・血脈観ともに唯物的思考に陥り、内証本尊・内証血脈を忘れたところに起因するが、その裏付けとして理論的中核をなしたのは三秘各別の教学である。実はこの三秘各別の数学も宗祖大聖人、日興上人の御書、中興有師寛師等の歴代御先師の指南を安易に唯物的解釈を施した結果の所産といえるが、ともあれこの三秘各別の教学が彼等の法門の根本となっていることは間違いない。この教学による限り、本尊といえば板漫荼羅鼻の外相、戒壇といえば建築物としての戒壇堂、題目といえばロ唱の題目だけしか存在しえない。しかしこのような安易な解釈では、彼等自身も解決できないように、その無常性を克服することはいかにしても無理なのである。
確かにこれらの事相に顕われる本尊や題目、もしくは広宣流布の暁に建立されるべき戒壇堂も三秘には違いない。しかしそれは、これ等各別の三秘の内証本因、即ち三秘相即の一大秘法の確認がをされた上で、始めて云えることである。単に各別の三秘自体を論ずれば、「人即法の大曼茶羅」、「事の戒壇」、「口唱(行)本果の題目」と云われるように、むしろ法門的には六義の性格を有するものと考えられる。
また彼等が特に強調する「究寛の法体たる戒壇本尊」、「唯受一人の血脈相承」も、本来は内証本尊(戒壇本尊)を受持証得することが唯受一人の血脈(この内証血脈を宗祖へ推功有在して本仏日蓮大聖人という)であつて、もとより別個のものではない。それをわかりやすくするために、一往人・法に約して唯受一人の血脈・戒壇本尊というのであって、これは六義の中の人法本尊に他ならない。このようなたて分けを彼等自身はわかっているかというと、どうもそうではないようである。彼等の主張には、この両者を全く別個のものと解釈している節が多々見受けられる。
要するに一秘、三秘、六義の関係がよく理解されていないことから起る混乱と思われるので、この小論ではその点について私見を述べてみたい。
易解と得意
本題の三秘を論ずる前に関連があると思われるので、易解と得意の三諦について触れてみたい。玄義二に
「分別して解し易からしむ、故に空仮中を明かす。意を得るの言を為せば、空即仮中なり。」
と。これは玄義二で、易解と得意を以て空仮中の三諦を説明する段である。即ち空仮中の三諦は、本来一にして別々に名を有して存在するものではない。しかし一往これを師が弟子に説くときは、解り易く空・仮・中と別々に名を設けて三諦を説明するが、弟子が理解するときには、三諦円融と意得べきものであるという意味である。易解の三諦は方便、得意の三諦は真実である。
易解の三諦の典型的なものは隔歴三諦である。隔歴三諦は空仮中の三諦を別々に説くもので、別教所説の三諦である。対して得意の三諦は所謂円融三諦であり、円教所説の三諦である。
我々は、別教所説の隔歴三諦と円教所説の円融三諦に勝劣があり、隔歴三諦は方便、円融三諦は真実であるということは良く知っている。これと同じことが各別の三秘と相即の三秘とには云えると思われる。つまり各別の三秘は師が弟子を導く為の善巧方便であり、真実は三秘相即ということである。
わざわざ三秘を論ずる前に、三諦の易解と得意の例を出したのは、この易解と得意の説明のパターンが三秘の各別と相即との関係と何等変わるところがないということと、易解と得意の三諦に勝劣があるように、各別と相即の三秘にも勝劣があるということを確認したかったからである。
各別と相即(一秘、三秘、六義の関係)
依義判文抄に云く、
「問う、若し爾らば三大秘法開合の相如何。
答う、実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり、此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分かって三大秘法と為すなり。又本尊に人有り法有り、戒壇に義有り事有り、題目に信有り行有り、故に開して六義と成り、此の六義散じて八万法蔵と成る。(中略)當に知るべし、本尊は万法の総体なり、故に之れを合する則んば八万法蔵は但六義と成り、亦此の六義を合する則んば但三大秘法と成り、亦三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成る。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり。」
と。少々引用が長くなってしまったが、これは寛師が六巻抄の第三依義判文抄に三秘開合の相を示す段である。ここに明らかをように、三秘とはもとの一秘を戒定恵の三学に約して本尊・戒壇・題目としたもので、六義は三秘を解り易くするために、更に本尊を人・法、戒壇を事・義、題目を信・行の六に開してより具体的に説明したものである。
さて、この一秘、三秘、六義の中で戒壇本尊を談ずる場合、常に三秘が中心となる。それは報恩抄文段に、
「故に三大秘法を若し合する則んば一大秘法なり。若し開する則んば六大秘法なり。然るに常に三大秘法と云うは広すれば則ち教(智)をして退せしめ、略すれば即ち意周からぎる故に処々に説いて三大秘法と云うなり。」
と仰せの如く、六義で戒壇本尊を論ずれば、法門が広がりすぎて焦点がしぼりにくく、却って本尊の元意を失なわしめる危険性があり、一秘で論ずれば、簡略すぎて難解になってしまうからである。けだしこれは当然のことであって、本来一秘は「三秘総在の戒壇本尊」或いは「三秘総在の妙法蓮華経」、また「戒壇の本尊の南無妙法蓮華鐙」と称されるように、三秘を得意するところ、所謂内証観心の所談であるゆえに、一秘を以て本尊を論ずることはできない。一秘を以て一秘の所談などできようはずもない。
これらに比べて、三秘は上は一秘に通じ、下は六義及び八万法蔵に通ずるゆえに、本尊所談の際は最も適している訳である。したがって三祖及び有師寛師事も盛んに三秘を用いるのである。
そしてこの場合、三秘が一秘に通ずる時は相即の意となり、三秘が六義及び八万法蔵に通ずる時は各別の義となる。ここに三秘に各別と相即の両義が存する所以がある。
ところで宗開両祖の御書、中興の有師寛師等、御歴代先師の撰述の中には、盛んに三秘を以て、しかも一見すると各別に三秘が説かれている。これをそのまま文字通り受けとめ、各別の三秘を真実の三秘と勘違いして理解しているのが、残念ながら現在の阿部日顕師等の宗務当局の姿であり、また創価学会、妙信講、万年講等の人々の姿である。
それでも創価学会や妙信講等が、法門を曲解しているのは、決して許さるべきことではないが、その在家教団という性格上致し方のない一面もある。しかし僧侶、特に阿部師の場合は教学の専門家でありながら、実際には在家と同等の教学しか持っていないというのは一体どういうことだろう。本来ならば教学面においては、彼等を善導しなければならをかったはずである。阿部師は在家の創価学会、妙信講より罪が重い。御書や文段に、三秘が一見すると各別に説かれているからといって、それをそのまま鵜呑みにしたのでは誠に情けない。相承を受けた受けたと力説する前に、ではその受けたはずの大聖人以来の大石寺伝燈の法門の一分でも示してもらいたいと思う。その方が権力を以て大衆及び信徒を抑えるよりも、はるかに明確を証明になると思うのだが。
少なくとも当家は文底家と称している。その名の通り御書の文の底に秘められた元意を知り、それを認識した上で、文の上の三秘に接しなくてはならないと思う。依義判文抄には、
「明著は其の理を貴び閤者はその文を守る。苛くも糟糖に執し橋を問う、何の益かある。」
と仰せである。
附文と元意
次のようを話がある。
昭和49年2月16日、当時創価学会会長の池田大作氏が、大聖人の出家された清澄寺を訪れた際、境内の千年杉の木肌をなでながら、感慨深げに、
「久し振りだね。700年ぶりだねえ。」
と。また小松原法難の際に疵を洗ったと伝えられる疵洗いの井戸のところで、同様に、
「あの時は確か14人だったかなあ。」
と。これを聞いていた側近が、また、
「これは間違いない。七百年前のことを覚えていらっしゃる。」
と語ったそうである。作り話ではない。実際のでき事である。実際のでき事であるところがまた面白い。もし師弟共に冗談で云っているとすれば、これ程面白い冗談もあるまい。それにしても、どんを顔をしてこういうことを云うのだろうか。想像する度に吹き出さずにはいられない。
しかしこの話も、そう笑ってばかりいられをい一面がある。というのも、三大秘法抄に、
「この三大秘法は二千余年の当初、地涌干界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。」
と。また南条抄に
「教主釈尊の一大事の秘法を霊常山にして相伝し日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。」
の文がある。池田大作氏等の前の発言は、この三大秘法抄や南条抄(勿論この他に多々あるだろうが)に代表される己心の法門の文を、文字通り解釈し、それを自己流にアレンジした結果、あのようをことになったのではないかと思われる。御書を読み誤った悪い例の代表であろう。一体に、最近は信徒でさえも教学がなければ一人前の日蓮正宗の信徒ではないという風潮があるが、悪しき傾向である。また教学を知りたげに知識をあたりかまわず披歴する信徒も、あまり感心したものではない。教学をやりすぎて、池田大作氏のコピーが氾濫してもこまる。
御書の読み方の悪い例をもう一つ挙げてみたい。所謂妙信講である。妙信講は日本国立戒壇の建立を主張するが、その依拠としているのは、三大秘法抄の
「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是なり。三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇なり。」
の文である。この文を文字通りに解釈すると、確かに国主の勅宣によって戒壇を建立しなければならない。では仮りに日本の国主が妙信講の折伏によって、実際に戒壇を建立したとする。ならば三大秘法抄の文には、その時大梵天王・帝釈天王が来下してくることになっているが、この大梵・帝釈の両天王をどう招来するのか、国立戒壇建立以上に難解を問題であるように思う。妙信諸にとってはよけいをお世話かも知れないが、老婆心ながら心配している。
三大秘法抄には、寿量文底の三秘密の法を「己心の大事」と示されている。とすればこの文も当然己心中所行の法門として理解しをければならをいはずである。更に同抄には、
「今日蓮が時に感じ此の法門広宣流布するなり。」
と仰せになっている。妙信講は広宣流布を国主が勅宣を下す時といい、宗祖大聖人は既に 「広宣流布するなり」と仰せである。この相違をどう会通するか。これもまた、妙信講にとって難問のように思われる。
三大秘法抄の全体を己心中所行の法門とみれば、前の
「二千余年の当初、地涌千界の上首として日蓮僅かに教主覚世尊より口決相承せしなり。」
の文も、また大梵天王・帝釈天王の来下のことも、或いは 「広宣流布するなり」 の文の意も容易に納得することができる。もしこれを文字通りに受けとめたらどういうことになるか。先の池田大作氏の如き時代錯誤に陥ることもさりながら、大聖人自身を滅茶苦茶なことを云う誇大妄想の人間にしてしまう結果となるのだから、大いに気を付けなければならないと思う。
末法愚迷の凡夫が、己心に信の一字を以て三秘相即の本尊を建立するとき、その土は既に十界互具一念三千の仏国土であり、その相貌は図顕の十界曼茶羅に説き明かされているように、そこには大梵・帝釈の両天王も妙法五字の光明に照らされて本有の尊形とをって成道の姿を示している。日女御前御返事にも、
「此等の仏菩薩、大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明に照らされて本有の尊形とをる。これを本尊とは申すなり。」
と仰せである。
さて、池田大作氏の清澄寺等の一件、また妙信講の例を挙げたのは、宗祖大聖人や御開山の御書及び相伝書の読み方について触れたかったがゆえである。
これは仏教一般にも通ずることであるが、特に当家は依義判文、或いは文底が家と称し、その意を大事にする。即ち附文と元意の読みのたてわけである。附文は文字通りの読みであり、また文上、依文判義と云う。元意は文字の奥に秘められている意を証得すること、また文底、依義判文とも云う。当然のことではあるが、附文の辺は浅く、元意の辺は深い。つまり一往、再往の関係にある。
附文の辺に執して元意を忘れ、仏法から大きくはずれた例を前に紹介したので、ここでは附文と元意の読みについて、その相違が如何をるものであるかということを富士山の例を以て述べてみたい。
一期弘法抄に云く、
「日蓮一期の弘法白蓮阿闇梨日興に之れを付属す、本門弘通の大尊師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。」
と。ここに富士山に本門寺の戒壇を建立すべき旨が説かれている。この文を文字通り読むと、静岡山梨両県に跨る富士山の一角に戒壇堂を建立しをければならないことになる。妙信講などは、前の三大秘法抄の文とこの文とを以て、だから富士山に国立の戒壇堂を建立すべきだと主張している。確かに妙信講の主張も、日本国立の語は余計ながら、戒壇堂建立については一期弘法抄の文をそのまま受けているわけであるから全面的に間違いとは云えない。また寛師等の撰述の中にも同様の記述があり、一方的に否定するわけにもいかない。ただしこれは附文の辺の解釈であつて、この辺だけに執すればどうしても富士山といえば通途の日本第一の名山ということになってしまうのである。ここに御法門の難かしさがある。妙信講はすっかり法門の落し穴に入ってしまったようである。一口に富士山と云っても、単に通途の日本第一の名山というようを簡単を解釈だけで終りではない。当体義抄文段に云く、
「故に知んぬ、末法下種の三宝は即ち是れ我等衆生の胸間の八葉の白蓮華なり。亦復大師の王舎城観に准ずるに今此の末法下種の三宝の住處富士山亦是れ我等衆生の胸間の八葉の白蓮華なり。故に大日蓮華山と名づくるなり。」
と。又云く、
「大日蓮華山とは即ち是れ八葉の白蓮華なり。当に知るべし、蓮祖は是れ本果妙の仏界なり、興師是れ本因妙の九界なり、富士山は即ち是れ本国土妙なり。若し爾らば種家の本因本果本国土三妙合論の事の一念三千にして即ち是れ中央の本門の本尊なり。」
と。すなわち、一は、富士山は別名大日蓮華山と云うが、これは頂上が八葉蓮華に似ているからで、衆生の心性の八葉蓮華を譬喩を以て富士山と云うものであり、二は、この八葉蓮華は本因本果本国土の三妙に約すれば、本国土妙であるゆえに、本国土を事に託して富士山と云うものである。これは元意の解釈である。大石寺の山号を多宝不二大日蓮華山と云うのも、元意の解釈に則り、化儀即法体を表している。富士山とは即ち大石寺であり、それはまた法華経の行者の己心中の八葉蓮華、本国土を意味する。
寛師を始め上代の御先師は、この元意を弁え、その上で富士山に本門寺の建立をすべきであると仰せにをっているのであつて、真意は己心中の仏国土に建立する戒壇のことを仰せなのは云うまでもない。
化城喩品に宝処と化城の譬えがある。これは釈尊が、真実の涅槃を忘れて、沈空儘滅を真実の涅槃と思っている二乗に対して、仏の涅槃を宝処、二乗の涅槃を化城に喩えて二乗の涅槃の偏執なることを説いた譬喩である。この宝処と化城の誓喩は、そのまま富士山の附文と元意の解釈に当てはまるようである。化城が宝処に至る前の方便であるように、現実の富士山は己心中の大日蓮華山の方便である。元意が明らかになれば、化城は化城でそれなりの価値を見い出すこともできる。しかし所詮は化城に過ぎない。さしずめ妙信講は、化城を宝処と思い込んでいるようをもので、真実の涅槃を忘れた二乗に良く似ている。
このように富士山の語一つにしても、附文と元意の解釈では大変な相違があることがわかる。まず元意を知った上で御書や相伝書に接しなくてはならないと思う。怖いのは自己のものさしで宗祖大聖人や日興上人の御書の意を測り、それが宗開両祖の法門の全てであると思い込むことである。
三秘について
三秘について、前に各別と相即の両案があることを述べた。しかし正確には、各別の三秘というのはもともと存在しない。ただ三秘の説明をするときには、どうしても各別にならぎるを得ないがゆえに、言葉として便宜上あるに過ぎない。それも三秘相即の一大秘法が確認された時、始めて三秘と云えるものである。
そもそも三秘は、依義判文抄に、
「実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり。」
とあるように、本来一大秘法である。しかしまた、法華取要抄文段に、
「一大秘法と云うと雖も自ら三大秘法を含む。」
というように、一大秘法に既に自ら三秘を含んでいる。所謂三即一、一即三の関係である。依義判文抄に、
「本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり。」
とあるのはこの意による。
この一大秘法を、寛師もそうであるが、我々は普通戒壇本尊と申し上げる。ただし寛師は報恩抄文段に、
「当に知るべし、玄文の意如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即ち戒壇の本尊の南無妙法蓮華経と能々思うべし。」
とも云われており、厳密にいうならば、戒壇の本尊の南無妙婆蓮華経が正しいかも知れない。少なくとも戒壇本尊の名称を用いる場合でも、このことを念頭に置いた上で用うべきであろう。
さて、「戒壇の本尊の南無妙婆蓮華経」と表現されてみると、三秘結在、三即一、一即三という意もよりはっきりしたものにをるように思われる。また、この三秘総在の南無妙法蓮華経とは、報恩抄文段に、
「当に知るべし、本因名字の所證とは即ち是れ三大秘法総在の妙法蓮華経なり。」
とあるように、久遠名字の妙法に他ならない。
ところで阿部日顕師は、昨年の教師講習会の席上、久遠名字の妙法と戒壇本尊は同じでないと発言されている。師の云わんとするところは、久遠名字の妙法は宇宙の大霊であり、戒壇本尊は現に板曼茶羅として正本堂に安置されているから、この両者が同じものであるはずがないではないか、というものであろう。確かに久遠名字の妙法を宇宙の大霊と把え、戒壇本尊の内証本因を認めず、色(物質)だけに本尊を求めるならば、そういうことになる。久遠名字の妙法、戒壇本尊ともにその理解の仕方が見当はずれで、お粗末の一言に尽きる。
久遠名字の妙法は、前の報恩抄文段の文に於いても、
「本因名字の所證」
と表現され、また同文段には、
「久遠名字の妙法を本法と名づく。」
ともあって、本法と云われるものである。この本法を衆生が己心中に信の一字を以て受持証得した時、それが三秘総在の本尊であるから、この意味では久遠名字の妙法と戒壇本尊とには、本法(事の一念三千) と還滅(事行の妙法)との立て分けがあるであろう。しかしそれは阿部師の云うようを相違ではない。法体と本尊であり、本来同一のものである。
また久遠名字の妙法を宇宙の大霊と考えているようであるが、実に荒唐無稽を説である。妙楽大師の文句記一に、
「太虚を名づけて円仏と為すと謂うには非ず。」
とあって、既に仏教の範疇とは云えない。
久遠名字の妙法と、戒壇本尊とを別物だと断定した阿部師の勇気には敬意を表するが、できうればその勇気の一分でも、池田大作氏の最近の自画自讃の講演を中止させる方へ向けていただけないものだろうか。また丑寅勤行を終えて一人になったときにでも、真面目に御自身の発言の内容を検討していただきたい。そして事の重大さに気付いたら、その敬意を表する程の勇気を以て訂正されることを念願する。
さて、一大秘法を証得するとき、何故三秘を以て説くかというと、戒定恵の三学に約すからである。宗祖の四信五品抄には
「法華を修行するには必ず三学を具す、一を欠いても成せず。」
と、仏法修行における三学の必要性を説かれ、また寛師は撰時抄文段に
「此の中戒定恵とは一代及び三時に通ずるなり。若し末法にあつては文底深秘の三箇の秘法なり。」
と、また依義判文抄にも、
「三大秘法とは即ち戒定恵なり。」
と、その三学とは末法にあっては三大秘法であると仰せになっている。
そしてこの三学は、同じく依義判文抄に、
「凡そ戒定恵は仏家の軌則なり。故に須臾も離るべからず。」
とあるように、須臾央も離れることがない。つまり三学一体なのである。この三学一体のところを伝教大師は、学生式問答に、
「虚空不動戒、虚空不動定、虚空不動恵、三学倶伝名曰妙法。」
と云われ、当家も上行所伝三大秘法口決、同裏書等盛んにこの文を用いるが、すべてこの三学一体を云わんがためである。
なお三学については、三学次第、即ち戒定恵、定戒恵恵定戒ということがあって、それぞれ修行次第、説教次第、法門次第の意がある。また特に戒定恵には相即、定戒恵には各別の意が含まれており、法門的には重要を意味を持っているか、この点についてはまた別の機会に触れてみたいと思う。
さて、この三学一体の妙法、即ち三秘相即の妙法はどこに建立されるものかというと、日女御前御返事に、
「此の御本尊全く余所に求むることなかれ、只我等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますをり、是れを九識心王真如の都とは申すなり。」
と、宗祖は仰せである。我等衆生の信の一字の処、即ち己心の仏国土に戒壇本尊は建立されるものなのである。寛師もまた当体義抄文段、観心本尊抄文段、報恩抄文段等処々にこのことを明示されているが、いま当体義抄文段の一文を出すに、云く、
「我身全く本門戒壇の本尊と顕わるなり。其の人所住の所は戒壇を證得して寂光当体の妙理を顕わすなり。」
と。これが究覚中の究覚といわれる戒壇本尊であり、その相貌を顕わしたのが、図顕の十界曼茶羅である。大曼茶羅に示された十界互具一念三千の姿は、実は衆生の己心中の信の一字にあるということを覚知することが、我我が信仰する目的なのであり、ここに元意の法門の真髄があると思うのである。
おわりに
現在宗門は、実に深刻を法門上の問題を多数かかえている。創価学会の謗法、阿部日顕師の貫主詐称及び法門曲解、国立戒壇論、万年救護本尊問題等、さまぎまなしかもどれ一つをとっても日蓮正宗の根幹に関わる問題であるが、詮ずる所三秘の解釈の問題に端を発しないものはなく、すべてが同趣一根のものと思われる。
これ等の問題はもともと突発的に起った訳でもなく、宗内の三秘の解釈に問題があったからに他ならない。幸い久保川論文によって従来禁句とされていた問題にメスが入れられ、ようやく法門再興のきぎしが見えるようになった。それもこれも創価学会、阿部日顕師の謗法を因としているわけであるから、見方をかえれば彼等は善知識と云えなくもない。しかしそれは今後宗内全体が三祖及び有師寛師等の上代の法門を復興成しえていえることであって、そうなっていただくためにも我々は一層の法門研鏡をしなければならをいと思う。滅劫御書の
「大悪は大善の釆たるべき瑞相なり。」
の文の心を現実のこととする時が来ているようだ。