広宣流布観の見直し 

 

関 慈謙

 

 昭和47年7月12日池田大作会長は、青年部最高幹部会の席上、次のような重大発言を行った。云く、

「いま、われわれの化儀の広喜流布、王仏冥合の実践をば、其(舎衛の3億)の方程式にあてはめてみるならば、学会員が日本の総人口の3分の1となり、さらに信仰はしないが、公明党の支持である人達がつぎの3分の1となり、あとの3分の1は反対であったとしても、事実上の広宣流布なのであります。王仏冥合の実現は、この舎衛の3億を築けはよいのであります」と

更に10日後の本部幹部会に於いて、会長は広宣流布と、その暁の大儀式についても言及し、

「どんなに公明党が発展しょうが、広宣流布は、これは御仏智である。そしてまた猊下の御一念であられるのです。広宣流布の時には、不開門(あかずの門)が開きます。その時は、どういう儀式になるか。それは私ども凡下(ほんげ)には測りしることはできません。国が最高に繁栄した時が広宣流布の時であり、1国のためにも、国民のためにも幸福の時です。そうした背景のもとに広宣流布の儀式が行なわれるのです。それが創価学会の究極の目的の1つです。その時には不開門が開く。1義には、天皇という意味もありますが、再往は時の最高の権力者であるとされています。すなわち公明党がどんなに発展しょうが、時の法華講の総講頭であり創価学会の会長がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます(大拍手)後々のためにいっておかないと、狂いを生ずるからいうのです。私は謙虚な人間です。礼儀正しい人間です。同士を、先輩をたてきっていける人間です。そのため、かえってわからなくなってしまうことを心配するのです。そうなれば、こんどは皆さん方が不幸です。本山にも不祥事をしてしまう。その意味において、今日は、いいたくないことでありますが、将来の将来のために、私はいっておきます。私が御法主上人猊下様、大聖人様に、不開門を開いて、このように広重流布いたしましたと、現下をお通し申して、一間浮提総与の大御本尊様にご報告することが究極の、広宣流布の暁の、その意義なのであります。それまでがんばはりましょう。(大拍手)」

 大作氏の謙虚さにはいつもながら感心せずにはいられない。思うに大作氏は心底謙虚な人間なのであろう。ただし1般的に考えられている社会通念上の謙虚とは違うようである。大作氏の言う謙虚とは、自分が慎しみ深く、同志や先輩をたてきっていく性格なので、広宣流布の暁に開く不開門の主役が誰かわからなくなってしまう、そんなことになったら会員や本山、日本の為にも不幸だから、この際云いたくはないが、不開門を開くのは会長であるといえることであるようだ。

 さて謙虚の解釈はともかく、この会長発言は創価学会(会長)の広宣流布観、及びその儀式について重要な意味を持っている。すなわち、それまで近代宗門、及び創価学会の教学に於ける広宣流布観は、日本国の国民全てが正宗(学会)信徒になって、如説修行抄の、

「終に権教権門の輩を1人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成て妙法独り繁昌せん時、代は義農の世となりて今生には不祥の災難を払て長生の術を得、人法共に不老不死の理顕われん時を各々御覧ぜよ

の文そのままの状態を広宣流布の定義とし、三大秘法抄の、

「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ云々」

の文によって、その時に勅宣並びに御教書を以て、国立戒壇を建立し広宣流布の達成としていた。このような日本国民が全て日蓮正宗及び創価学会の信徒となつて、国民の総意を以て戒壇堂を建立する論を、特に国立戒壇論と称している。この広宣流布観が、当家本来の広宣流布観を正しく云い得ているかどうかについては、詳しくは別の機会に譲るとして今一言を以て云えは、国立戒壇論に代表される広宣流布観は、宗祖の御書即ち如説修行鈔三大秘法抄等の文を何の咀嚼もなく、未消化のままの論に成り立つものであって、決して当家広宣流布の根本を云い得ていない。要するに読みの浅さからくる誤解である。

 さて先の会長発言によると、広宣流布とは日本国の3分の1の人が学会の会員になり、公明党が政権奪取した時であるとされているが、このような広宣流布観は明治以降の近代宗門の誤解の上に更にもう一重誤解を重ねる結果となる。

 ではなぜ創価学会が従来の国立戒壇論を捨て、舎衛の3億の故事に当てて、日本国の3分の1の信徒によって建立される戒壇堂が完成する時を広宣流布とし、その暁には池田大作氏自ら不開門を開くなどと強調するようになったか。云うまでもなく、この年の10月に集める予定忙なっていた戒壇堂建立の資金集めを円滑に成立させる為であり、戒壇堂、即ち創価学会によって建立される正本堂を本門事の戒壇として決定できるようにする為の布石にしたかったからである。ともかくこうして創価学会の中では、広宣流布とは公明党・創価学会が政権奪取して、池田大作氏が日本国の最高権力者となり、正本堂建立を以て完結ということになってしまうのである。

 創価学会、厳密には池田大作氏個人と云った方が良い、その他田氏が頭にえがいた理想的な形としては、正本堂建立までに公明党が政権を取ることが望ましかった。しかし実際には言論問題に端を発した政教分離(有名無実)、更に昭和47年の総選挙の大敗によって、その可能性が絶望的となるや、窮した学会は却って強引に広宣流布を達成しようとする。即ち舎衛の3億の論理は一往たな上げし、現時点で日本国全体を創価学会色にすることは不可能だが、800万世帯の参加のもとに建立される正本堂建立は宗祖の遺命なのだから舎衛の3億の実現の有無にかかわりなく、正本堂建立を以て広宣流布であると巧妙に論理のすりかえを行なうのである。もっともこのような強引な論理は、さすがに日達上人にも認めがたく、上人は訓諭で「事の戒壇たるべき」としてしまい創価学会の広宣流布は舎衛の3億においても、戒壇建立においても譲歩に譲歩を余儀なくされることになる。もともと舎衛の3億の論理は、正本堂建立を以て広宣流布とする為に引っばり出されたものである。にもかかわらず、達成できなかったはかりか、舎衛の3億を唱えることによって、実質的に国立戒壇論を捨てたことは、後に妙信講問題等、種々の問題を引き起こす原因となる。

 さて何故に創価学会が以上の如く広宣流布について、強引なまでにその定義をくるくると、まるで猫の目のように変えていったかといえは、前にも述べた如く、創価学会、とりわけ池田大作氏によって宗祖の遺命である広宣流布は達成されたとしたいが為に他ならない。もっとも氏の広宣流布とは自分が日本の最高権力者となることであって、宗祖の教えとは似ても似つかぬ、野望のかくれみのに過ぎないことは周知の事実である。しかも氏をしてかく云わしめるものは、自分達こそ地雨の戦士であり、広宣流布は創価学会によってもう間近まできているという思いあがった意識である。この意識には自ら八百万世帯と称する膨大な会員数が根底にあるが、その会員数は所謂折伏によってなされたものである。

 折伏とは「法華折伏破権門埋」といい、自他共にその権門の埋(真実に非ざるもの、譬えば名聞名利)を破すことの意である。創価学会では自己への折伏はさておき、宿命転換の必須条件として折伏は他に対してのみ行使された。この結果、会員数の増加にはなったものの社会からは暴力宗教との強い批判を浴びることとなる。

 ところで創価学会では折伏とは自行を忘れ、ただ創価学会員を増やすことだと理解されているが、これは御書や寛師の文段抄を短絡して解釈した所産である。そして学会を数の論理にかりたてたものは法体の折伏(広宣流布)、化儀の折伏(広宣流布)という創価学会独自の教義である。云く、

「大聖人様は、七百年前に御出現になり法体の広宣流布をなさった。その時は、正法像法二千年間には、もちろん未曽有の大折伏であり、それにともなう大難もあったのであるが、しかし法体の広宣流布は、いまだ、現代会長池田先生の下に、創価学会が化儀の広布に向かってあらゆる分野で、折伏教化、または選挙戦における権力と戦っていることに対すれは、摂受になる」

創価学会の自分達だけが地涌の戦士であり、広宣流布は創価学会によってのみ達成されるという自信、そしてその先頭に立つ池田大作氏は現代の地涌の菩薩であるという所謂会長本仏論にしても、すべては法体・化儀の広宣流布論によるものと云っても過言ではない。現在、数々の謗法行為、或いは社会的不正、スキャンダル等によって会長神話はくずれた。けれども、このような中にあって、今なお失なっていないのが、広喜流布に対する自信であり、かつ阿部日顕師の学会擁護もつまるところはここに尽きる。

 さてこの法体・化儀の広重流布とは、まず法体の広主流布とは、また逆縁広布といい、宗祖大聖人御在世の三大秘法建立(但し学会では三秘各別であるから厳密には二大秘法と云うべきか)を云う。化儀の広宣流布とは、順縁広布とも云い、大聖人の仏法を世に流布し、現実の学会員だけの社会を実現することを云う。その具体的な推進策としては、折伏戦、選挙戦、文化活動等である。この場合法体と化儀の広宣流布の関係は、

「日蓮大聖人こそ折伏を行じられたものと思っていたが、折伏を現ずる時は賢王に生まれるという。摂受を行ずる時は僧となるという仰せである」

と解釈している如くであって、これを図にすれは、

               【僧)
  法体ー逆縁広布ー宗祖一代−宗祖一人ー摂受


               (賢王)
  化儀ー順縁広布ー宗祖以降ー創価学会ー折伏


となる。1見してわかるように、学会の折伏に対すれは宗祖大聖人の折伏と雖も摂受となる。これが創価学会独自の折伏・広宣流布観であるが、このような解釈では、

「(宗祖大聖人は)、それ(法体の広宣流布)以上の順縁広布や、本門戒壇の建立は、滅後の弟子へ付属されたのである」

と述べているように、必然的に宗祖大聖人以上の折伏行となってしまう。かつての、

「宗祖は一代、我々は万代云々」

の会長発言にみられる下剋上に似た宗祖大聖人以上の本仏気取りも、この数学的裏付けが云わせるのである。

 しかしこれは宗祖大聖人を冒?しているとしか云いようがない。池田会長や創価学会幹部は自ら宗祖大聖人を見下していることに気付かないのだろうか。もっとも見下すつもりでしているのかも知れないが。ともかく、他門ならいざしらず、否他門忙於いてさえも宗祖大聖人の折伏を摂受とし、自らの修行を大聖人以上の折伏としているのを私は管見にして知らない。日寛上人は当家三衣抄に、

「此くの如き三宝を一心忙念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云々。行者謹んで次第を超越する勿れ勢至経の如きんは妄語の罪に因って地獄に堕つべし、亦復母珠を超ゆること勿れ」

と仰せである。この「次第云々」とはすなわち師弟の筋目を違えるなということである。云いかえれは弟子が師を越えてはいけないということである。勿論ここでいう師弟とは貫首と大衆、大衆と信徒のことではない。師とは宗祖大聖人であり、弟子とは開山日興上人を頂点とし、目師以下自余大衆及び信徒である。更に「母珠を超ゆることなかれ」とは、当家の智父(日蓮)、境母(日興)、菩薩の子(日日)という相伝を当てれは、目師は境母日興を越えてはいけないということである。寛師は当家は宗祖大聖人を本師とし、日興上人を弟子の頂上とするが故に、目師以下貫首は決して日興上人の分を越えてはならないことをこの文で仰せなのである。

 ところで日興上人の分を越えることは一体何を意味するのか。それは本師即ち宗祖大聖人と同等になることであり、また自ら本仏であると主張しているのに等しい。「妄語の罪云々」の妄語とは、この日興上人を越えて大聖人と同等になることを指し、そしてこの妄語を犯せは地獄に堕ちることを勢至経を以て示されているのである。私達は日蓮正宗に入信する時、必ず僧より戒を受ける。その第3に、

「爾前迹門の不妄語戒を捨てて、法華牽本門の不妄語戒を持ち奉るや否や」

の成文があり、受戒者は能く持つことを誓う。この不妄語戒とは単に世間の中の嘘を云うのではない。「私は本仏であり、絶対に誤りがない」というような仏法上最悪の妄語を決して云わないことを意味しているのである。しかるに創価学会の、

「宗祖大聖人は摂受、我々は折伏」

という説や、池田大作氏の、

「大聖人の場合は人数も少なかった。時代も違う。弟子も少なかった。信者も少ない。その意味から言えは、楽である。我々の場合には時代は激動である。ー中略ー「そこでこれだけの大波動をつくった。闘争した。大変なことである。しかし1代で終らない。大聖人の場合には1代で一応終られた。我々の場合にはなおさらズーツと延長、拡大していかなくてはならない」

という発言は、ただ日興上人を越えて、大聖人と同等になっているだけではない。更に大聖人以上の本仏と豪語している訳だが、これが妄語でなくて何であろう。会長本仏論というようなことは創価学会の末端で、池田大作氏を尊敬するあまり云われたことで、公式には決して云われてはいないと学会本部では釈明した。けれどもこの広宣流布に関する仏教哲学大辞典、或いは会長発言を見る限り、どこをして会長本仏論がないと云えるのか、自ら吹聴しているではないか。

 ところが宗祖大聖人と対等、否それ以上になりきっているのは池田大作氏だけかと思ったら、実はそうでもなく、阿部日顕師も同じである。当家歴代貫首は、

「日蓮聖人の弟子日興の遭弟日道」

「日蓮聖人の弟子日興の遺弟等」

「日蓮聖人の弟子日興の遭弟日有」

という如く、日興上人の弟子分でなけれはなかない。万一阿部師が貫首であるにしても、謗法与同の阿部師には道師行師有師等のような、自分は日興上人の弟子であるという意識はないようだ。阿部師のやること為すことすべて狂っているのも、この意識の欠如によるものと思われる。これもまた池田大作氏に劣らぬ妄語である。日寛上人は更に、

「母珠を超ゆるの罪何んぞ諸罪に越ゆるや、今謂わく、蓋し是れ名を忌むか、孔子勝母忙至り暮る、而も宿らずして過ぐ、里を勝母と名づくれば曽子入らず等云々、外典尚お然り、況んや仏氏をや」

と仰せである。これは孔子がある時、勝母という地名の里へ至り、日が暮れた折、しかもそこへ止まらなかった。理由は勝母(母に勝る)という名を忌みたからである。弟子の曽子もその里へ入ることはなかった、との中国の故事を引いて、宗祖大聖人さえも自ら完全無欠の仏とは仰せにならず本因の行者と仰せである、まして日興上人においてをや、ということを云わんとしているのである。池田大作氏や阿部日顕師は、単に日興上人のみならず宗祖大聖人さえも越えるという二重の誤りを犯し、宗開両祖を冒涜している。儒家でさえも勝母を忌みている。仏家ならばよくよく懺悔すべきである。もう一度、この御指南の深意を心眼を刮いてみてほしいものである。

 

 

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