本仏観について
開 慈謙
法門に外用・内証、観心・教相等の二門の立て分けがあることは、ただ我が日蓮正宗のみならず、台家においても通例である。文底秘沈抄に、
「但吾が蓮祖のみ内証外用あるには非ず、天台・伝教も亦内証外用有り。」
と仰せのごとく、台当の区別なく内証外用の立て分けがあることは寛師の言を侯つまでもない。内証とは観心・還滅門、外用とは教相・流転門でもある。ただ台当の違目は、台家所立の内証・外用ともに当家の観心・内証の法門からみて、教相・外用と簡ぶところにある。観心本尊抄文段に云く、
「観心の言、豈教相を簡ばざらんや、故に観心の本尊と点ず。まさに教相の本尊を簡び観心の本尊を顕すベきなり。」
と。また文底秘沈抄に云く、
「しかりと雖も、台家内証の深秘はともに釈尊とこれ一体なり。他流の輩は内証深秘の相伝を知らぎる故に外用の一辺に執するのみ。」
と仰せなのはこの意である。
さて、当家所立の日蓮大聖人についての内証・外用の立て分けはどうであるかと言うと、同じく文底秘沈抄に云く、
「若し外用の浅近に拠れば上行の再誕日蓮なり。若し内証の深秘に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり。」
と示されているごとく、外用浅近は上行菩薩の再誕、内証深秘の辺に拠れば久遠元初自受用身の再誕ということである。そこで、『大日蓮』9月号誌上における阿部日顕師御指南を拝見すると、
「日蓮大聖人、日興上人に流転門もあると言うのですが、君達はこのような法門を聞いたことがありますか。私は御先師のお言葉にもまず、ないと思います。」
と論じている。在勤教師会が論じた還滅門・流転門の立て分けは内証・外用と同じ意であるが、果して先師の御指南にないだろうか。御自身が知らないからといって、御先師まで知らなかったとするのは暴言過ぎはしないだろうか。少なくとも寛師の六巻抄を虚しうしないで御指南をしていただきたいと願うばかりである。日顕師は更に続けて、
「大聖人の御肉身は、それがたとえ我々の凡眼に見えなくても、永遠に三身常住あそばされるところなのでありまして、(中略)その御肉身を分けて、眼に見えないところが本体だとか、眼に見えるところは流転門だなどと言いますが、そのようをばかげた話はありません。大聖人の御肉身、今日より700年前の御一期の御化導を離れてどこに御本仏様がありますか。御肉身そのままが御本仏であり、もし強いてその法相を宛てるならば、流転の当体即常住なのです。」
と御指南されているが、語るに落ちたとの感はいなめない。この中で日顕師は、大聖人の御肉身は我々の眼にみえなくとも常住なのだと強弁されている。師は宗祖大聖人の御肉身が弘安五年十月十三日、武州池上にて入滅せられたのを知らないのだろうか。日興上人の御遷化記録を一体どう説明するのだろう。また師は「御肉身は眼にみえなくとも常住」と述べたかと思うと、一方で本尊については、
「宗旨というものは目に見えないものだと言うのですよ。けれども目に見えなかったならば拝することもできないし、信仰もできません。また、末法の愚人が救われることなどできません。」
と述べている。同じ処で、同じ時に述べたことが、こうも自語相違しては指南される方もたまったものではない。本仏観を論ずるときには眼にみえなくても常住といい、本尊観のときには眼にみえないと救われないと論じている。日顕師の御指南によって眼にみえない御本仏を拝した場合はどうなるのだろう。それとも日顕師のお考えには本仏と本尊は別立をのだろうか。自己矛盾の極みという他はない。
これらの阿部師の矛盾は、どこにその原因があるかというと、つまるところ日蓮大聖人に内証・外用の二辺があることを知らないがゆえの混乱のためと思われる。宗祖は関目抄で、
「日蓮と云いし者は去ぬる文永八年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂塊佐渡に至りて云云」
と仰せである。この御文は古来より当家において、内証外用の法門の文証として重要視している。ここで宗祖は、御自身が首を斬られていないにもかかわらず、身は斬首され、ここにいるのは魂塊だと仰せなのであるが、云わんとするところは、たとえ身は法難によって滅することがあっても、魂塊は滅することなく常住であるということであると思う。
また御会式は日蓮大聖人の滅不滅なることを事に示した化儀であると昔から伝えられている。滅とは生身の日蓮大聖人を意味し、不滅は魂魄としての日蓮大聖人を意味していると言えるのではなかろうか。日顕師御自身が、
「そこに本宗の御会式において大聖人を久遠の本仏と拝する儀式があるのです。」
と確認されているように、たしかに御会式は日蓮大聖人を御本仏と拝する化儀には違いない。けれども師の言うようを御肉身を御本仏と拝するというよりも、やはり大聖人の内証己心中の魂魄を御本仏と考えるべきではなかろうか。寛師、当家法則文抜書等に云く、
「御入滅は無明即明を本とするなり。十二日(発迹顕本)は明なり。十三日は無明なり。名字即仏の無明即明と信を取るべきなり。」
と仰せである。御入滅は生死流転の故に一往無明であるが、その無明に即して明を見出す、この明とは生死流転のない還滅の意であり、滅不滅の相でいえば不滅を指す。この不滅を、発迹顕本の後の大聖人の魂魄と拝するのは決して誤りではないと思う。いま、これを図に示せば、
滅−流転−御肉身−無明
不滅−還滅−魂塊−明
となる。
また同じく寛師の末法相応抄には、要法寺広蔵日辰の、本門の教主釈尊を蓮祖聖人とする、当家立義への論難として、云く、
「日辰重ねて難じて云わく、正しく此れ曲解私情なり、若し蓮祖を以て本尊とせば、左右に釈迦・多宝を安置し、上行等脇士と為る可きなり、若し爾らば名字の凡僧を以て中央に安置し、左右に身金色の仏菩薩とならんや云云。」
を挙げ、これに対する寛師の反論は、云く、
「答う、日辰未だ富士の蘭室に入らず、如何んぞ祖書の妙香をかぐことを得んや。今謂わく、御相伝に、本門の教主釈尊とは蓮祖聖人の御事なりと云うは、今此の文の意は自受用身即一念三千を釈するが故なり。誰か蓮祖の左右に釈迦・多宝を安置すと言わんや。」
である。寛師は更に続けて、云く
「日辰但色相に執して真仏の想いを成す。若し経文の如くんば寧ろ邪道を行ずるに非ずや。法蓮抄に云わく、愚人の正義に違うこと普も今も異ならず、しかれば則ち迷者の習い外相のみを貴んで内智を貴まず等云云。豈日辰の見計正しく蓮祖の所破に当たるに非ずや。」
と。ここで、日辰は、日蓮大聖人を本仏とする当家に対して、生身の凡僧を本仏とするならば、宗祖の左右に釈迦・多宝を安置し、上行等の四菩薩を脇士としなければならないが、それは非常におかしな立義なのではないのかと云い、これに対して寛師は、日蓮大聖人という本仏は生身の宗祖を意味するのでない、日蓮大聖人と言えばすぐ生身の宗祖と考えるのは早計であると仰せになっている。そして更に、当家で日蓮大聖人という場合、鎌倉時代に生まれた生身の日蓮をいうのではなく、宗祖の内証己心中の久遠元初自受用報身を指していうのであり、外相に執着して内智を貴ばないのは、普も今も変らぬ愚人の習いであると仰せである。これらの文をみるに日辰の誤解は、そのまま日顕師に通ずるようである。寛師の破折はそのまま現在に生きている。
また人法体一についても、日顕師は生身の宗祖と板曼茶羅とが人法体一とお考えのようだが、これも至当とは思われない。当家において人法体一と立てるのは、妙楽大師の言を以て云えば、
「本時の自行は唯円と合す。」
と云う如く、本時の自行(人)と、円(法)とが合したその円においてであり、故に五重円記には、云く、
「本門の元意の円とは事行の妙法蓮華経これなり、本時自行唯円と合すの円これなり。」
といい、末法相応抄には、云く、
「若し本地自行の自受用身は倶にこれ能生にして人法体一なり、これ本地難思境智冥合する故なり。」
というのである。日顕師が考えているような色相に顕われた板曼茶羅と、生身の宗祖とが体一なのではない。戒壇の本尊の南無妙法蓮華経と、久遠元初の自受用報身とが体一なのであって、これを法に約して戒壇の本尊、人に約して南無日蓮大聖人というのである。人法の本尊といっても、所詮久遠名字の妙法を人法に約して閲したまでで、実体は同じものである。
ところで、師は、戒壇の本尊と久遠名字の妙法とか別物のように言われている。結論だけいえば、これも妥当とは言えない。これについては、紙面の都合上別の機会に譲るとして、今回は本仏観だけに止めたい。ともかく、日顕師におかれては、もう一度じっくりと六巻抄等に説かれる当家伝燈の内証法門を検討していただきたい。その上で、我々に再び御指南をされんことを念願する。