受持一考
                  

大谷 吾道


はじめに



 過日、お墓参りに来た際、受付に立ち寄った学会員の婦人からこんな質問をされた。云く、

「御本尊様が欲しいんですが、おいくらぐらいでしょうか。」

 最近は接する機会も余り無いので、こんな言を聞くことは無かったが、そういえば以前はよく似たようをことを、受付に座っていると質問されたものである。

 聞けば、御本尊が古くなってボロボロになったので、学会員の幹部に指導を受けた処

「お寺に行って、取り換えてもらえ。」

 と云われたそうである。それ故、たまに来たお墓参りのそのまたついでに、もしかしたら売ってくれるかもしれないと思い、受付に立ち寄って件の質問となったのである。この言葉一つにしても、学会員の信心のあり方、御本尊に対する考え方を窺うに充分であると思う。

 即ち、御本尊を即物的に拝するということであり、その考え方を根底にして、

 ○お金さえ出せば、いつでも手に入れられる。

 ○古くなったら、新しいものに換えればいい。

 等の考え方があるのだろう。御本尊を単なる掛け軸か何かの、ものとしか見れないのだ。そのくせ、現世利益的を願いごとだけは、一所懸命五つも六つも並べたてるのだから困ったものだ。

 当人には、少々お話をしてお引き取り願ったが、今更ながらに学会的な御本尊の受持ということに、疑問を感ぜざるを得なかった。

 しかしながら、この御本尊の受持についての、即物的な考え方は、一人学会員のみならず、現今の宗門の中にも広く蔓延しているものと思われるので、今これを機に現今の御本尊の受持、特に受持観についての誤りと、当家本来の受持のもつ意味について少々考えてみたい。

 


1、現今の誤った受持観(即物的受持観)


 まず、学会及び宗門における現今の受持観について考えてみたい。

 最初に思いつくのは、御授戒の際、終了後直ちに御本尊を下附される場合が多いが、この下附されることをもって、御本尊の受持だとする考え方である。


この件については、以前から僧侶間では疑問が持たれており、かって心ある僧侶方が、授戒の後直ちに下附するのを妥当でないとして、受戒者に対し一定期間を経た後、その信仰心を確認した上で、下附を許可するという御本尊を大切に思うが故の行動を試みた。これに対し、早速学会より宗務院に苦情が届き、これを受けて宗務院が、それを中止せしめるべく、授戒後直ちに下附するよう院達を発するということがあった。これは、そんなに古い話ではない。

 このことなどは明らかに、学会及び現宗門が、御形木本尊の下附をもって、御本尊の受持としたことの証左であろう。

 受持が、信心の上で語られず、本尊という御物体の持不によって論ぜられるという今日の風潮の中で、家庭の事情等により、直ちに下附を受けられない初信の方々は「内得信仰」の人と言われ、あたかも御本尊を受持しない、半人前の信徒の如く考えられ、冷遇されていたのである。

 しかしながら、大聖人の仏法を求め、御本尊の前に端座合掌し、御受戒される方に半人前とか、一人前の差別などしていいのであろうか。そんをことは、決して許されることではないと思う。

 このような、即物的な御本尊の持不という現今の受持観、特に学会の受持観については、学会版の観心本尊抄の講義に、

「信じ受持することによって、御本尊の因行果徳を譲り与えられて、歓喜の境涯に住することができるのである。」(日蓮大聖人御書十大部講義第4−313)

などと記し、御本尊を信ずるのと、物体としての曼荼羅本尊を受持するのを別個に考えていることでも明らかである。まさに、学会の即物的受持観の文証ともいうべきものであり、受持の何たるかを把握していないことを公けにしている。

 こういう考え方は、総て受持という語が、信心の世界の上におかれず、曼荼羅本尊という御物体を持っているか否かという、現物の世界の上でとらえられるという、誤った風潮に起因するのである。

 本来の受持観については後述するが、このような御本尊受持に対する、即物的な考え方は本当に良いのだろうか。これは極論すれば、一幅の曼茶羅本尊を各人が授与されなければ成仏できないのか、ということである。逆に云えば、授与されればどんな信心でも成仏ができるということにもなりかねない。

 しかし、このような考え方は到底あり得ペきでない。何故なら、受持とは信心の上で論ぜられる問題であるからだ。曼荼羅本尊という御物体を下附されているか否かという問題ではよもやない。あくまで大聖人の仏法を信ずるか否かということであり、これが受持するか否かということになるのである。以下、この即物的受持観についての、現実的を面での誤りを考えでみたい。

 現実問題として、まず考えをければならないのは、即物的受持が御本尊にランクをつけているようにうけ取れることである。

 聞く処によると、昨年の宗祖七百遠忌に際して、日顕師の曼荼羅が、特別御形木御本尊は、36万体も全国にばらまかれたそうである。どんな人でも、一応何らかの役職があれば、B長でも大B長でも、一口一万円の御供養さえすれば、以前の御形木様と交換に戴けたそうである。又常住御本尊も、その実数は不明であるけれども、相当数が大幹部や、座談会等への会場提供者、又学会への貢献が著しい者に対して下附されたそうである。

 これなどは、信心(実は学会への忠誠心とゴマスリであるが)にランク付けをし、それによって下附される御本尊も、御形木御本尊から特別御形木御本尊へ、次いでもう一段上がって特別御形木御本尊から常住御本尊へ、更にはお守り御本尊へと信心のランクアップに従って、御本尊が順次変わっていき、ついには最高位の信心にみあった板御本尊を戴くことを究極の目的とするという、御本尊へのランク付けであり、こんな考え方の中で板御本尊を戴いた者は常住御本尊の人に対し、又常住御本尊を戴いた者は特別御形木御本尊や御形木御本尊を戴いている者に対して、自分の方が「いい御本尊を受持している。」と、悦に入るのである。

 しかし、その信心が何であるかというと、あくまで学会や池田先生への信心ということであり、それに対する論功行賞として、御褒美として御本尊を戴くのであれば日興上人の門流として、勘違いも甚しいことであり、大変な誤りを犯していることになる。


日興上人は、富士一跡門徒存知事において、

「於テハ日興ノ弟子分ニ者、在家出家ノ中ニ或ハ捨テ身命或ハ被リ庇ヲ若ハ又在所ヲ追放タレテ、一分信心ノ有ル輩ニ忝モ奉リ書写シ授与スル之ヲ者也。」(歴全1-22)

と示される通り、大聖人の仏法に対して不自惜身命の者、又は正法を信ずるが故に、「数々見擯出、及加刃杖」と経文にあるように、傷つけられたり所を追われたりする程の信心有る者に対してのみ授与されるのが御本尊である。その御本尊を、いとも簡単に何万休も何十万休も、それも学会流の信心に対して下附するなどもっての外であり、日興上人の御本尊に対する信心とは余りにも懸け離れており、ただただ唖然とするばかりである。

 これなどは、本来の信仰次元での御本尊受持ではなく受領といった方が当っている。一枚受領書でも提出してもらいたいくらいだ。

 次に、大聖人の現存する曼荼羅本尊が、僅かに120余幅しかないという現実を考えなければならない。

 大聖人が、果して何幅の曼荼羅本尊を御図顕されたのか、ということは現在においては全く知る由もない。先に引用の門徒存知事の次上に、日興上人は、

「(五人)一同ニ此ノ本尊ヲ奉ル忽諸ニシ之間、或ハ曼荼羅也卜云テ死人ヲ覆テ葬ムル輩モ有り、或又沽却スル族モ有り、如ク此ノ軽賊スル間多分ハ以テ失ヒ畢ヌ。」 (歴全1-21)

と記され、五老系においては死人と共に葬ったり、売り払ったり、又盗まれたりしたために、多くは無くなってしまったと嘆かれている。それ故、大聖人の自筆の御本尊が曽っては相当数存在したものと推測できるが、仮りに現存数の2倍、3倍に及んだとしても、果して当時の御門下の全僧俗の方々に、それぞれに授与される程多量に卸図顕されたとは、とうてい考えられない。

 実際、新尼御前御返事等の御書によれば、名越家の新尼(嫁)という方と、大尼(姑)という方が、共に身延の大聖人にお手紙で、御本尊の下附を願ったのに対して、大聖人は新尼には授与されたものの、大尼に対しては不定の信心の故に、としながらも実際に授与されていないことが明らかである。これは、大聖人直機の信徒であっても、必ずしも御本尊を与えられていないということである。

 これより推するならば、初信の信徒や、大聖人の孫信徒とも言うべき、各御弟子方の教化された御信徒全員にそれも入信の際直ちに御本尊を授与されるなど到底考えられない。

 ましてや、門徒存知事にみられるような、日興上人の御本尊に対する厳しい態度を拝する時、御本尊を授与されることが如何に難しいかを、ひしひしと感ぜざるを得ない。

 又、入信後間もない、あの熱原の農民達が――御本尊を直接授与されることもなかったあの三烈士が、大聖人の正法へ殉教したという事実は、正に信心ある者が必ずしも、曼荼羅本尊を授与されるとは限らない、という証明でもあると思う。

 上代にして然りである。宗門700年の歴史の中で何時の時代に、現今のような、授戒後直ちに御本尊を下附することを是とした時があったであろうか。私は寡聞にして知らないが、思うにたかだか3、40年位前にしか遡れないのではないだろうか。

 現今の宗門のあり方は、門徒存知事の、

「以テ御筆ノ本尊ヲ形木ニ彫ミ、不信ノ輩ニ授与シテ軽賊スル由諸方ニ有リ聞エ、」 (歴全1-22)

との仰せを含めて考えると、大聖人や日興上人の御精神に、二重三重にも背いているように思えてならない。

 更に、もう一方の見方、即ち曼荼羅本尊を授与された者、必ずしも信心があるとは断定できない、という側面について考えてみたい。

 一つに、五老僧の一人民部日向の例がある。富士年表(26頁)によると、大石寺に現蔵されている、弘安三年五月の御本尊は、日向に授与されたと記されている。現在五老僧の一人といえば謗法の僧というイメージがついつい頭に浮ぶが、この日向は少なくとも、一時は日興上人に信順して、更に信頼を得て身延山久遠寺の筆頭にまで任ぜられている僧である。又大聖人御在世中も、一応の御奉公を示したが故に、御本尊を授与されたのであろう。

 然るに、この日向にして、原殿抄や門徒存知事による迄もなく、大聖入滅後には、大聖人の立義に違背し、日興上人に離反したのは周知のことである。

 次に、日興上人の書かれた、弟子分本尊目録がある。学会などでは、この弟子分張をもじって、広布の新弟子の名簿、即ち池田先生の弟子分張としているが、本来は門徒存知事に、

「一、於テハ日興弟子分ノ本尊ニ者一一皆奉ル書キ付イ事、誠ニ以テ風筆ヲ直ニ頬一f聖筆ヲ事最雖有ト其恐レ、或ハ親ニハ以テ強盛之信心ヲ雖賜フト之ヲ子孫等捨テけ之ヲ、或ハ師ニハ酬テ常随給仕之功ニ雖授与スト之ヲ弟子等捨ツ之ヲ、依テ之ニ或ハ以テ交易シ、或ハ以テ為ニ他ノ被ル盗マ、如キノ此之類其数多也故ニ書キ付クルハ所賜之本主ノ交名ヲ為メ後代ノ高名ノ也。」(歴全1-22)

と記されるように、日興上人が後世のことを慮られて、大聖人の御本尊を弟子に与えたものを目録としてまとめ残したのがこの書である。この目録には、

「一、富士下方市庭寺ノ越後房ハ者、日興ノ弟子也。仍テ所二申与フル如シ件ノ。但弘安年中背キ白蓮ニ了ス。」(歴全1-90)

との記載がある。この越後房とは、下野公日秀と共に、熱原一帯の農民を教化指導し、かの熱原法難勃発に際しては、自坊を頻出せられても尚信徒を励まして活躍した越後房日弁である。又家中抄によれば、波木井実長謗法の時、日興上人の使いとして、実長を教訓し改めないのを見るや日興上人と共に身延離れをしたとも記されている。これ程の越後房も後に、天日と義を同じくして日興上人に背いているのである。

 その他、弟子分帳には、御本尊を授与されつつも背いた僧には、泉出房・因幡房・肥前房・大夫房・治部房・筑前房の名前が奉げられている。更に松野殿等の俗弟子等をも加えれば、かをりの人数が御本尊を授与されつつも、背いたという現実があるようだ。
 七百年の歴史の中においても、これに似たようなことが度々あったと考えるのが自然であろうし、実際もっと身近に、我々の回りにも御本尊を下附されておりながら信心の無い輩のなんと多いことか。

 これらの実例は、かって日顕師が学会擁護のために、「御本尊を持つものに、基本的に謗法は無い。」などと言った言葉がいかに虚しいものであり、曼茶羅鼻本尊を授与された者必ずしも有信とは断定できないということを証するに充分と思う。

 以上、ここにおいては、

1、信心あるもの必ずしも御本尊を授与されるとはいえない。
                           
2、御本尊あるもの必ずしも大聖人の正義を持っているとはいえない。

との二点について述べ、一幅の曼荼羅という、即物的な御本尊の受持観を排した。

 これは言いかえれば、我々は本来曼荼羅本尊の下附を受ける為にのみ信心しているのではないということである。あくまで自らの信仰のめぎす処を即身成仏においているのであり、その意味で如何にして成仏をなし得るかということを考えなければならない。そしてその時、改めて即身成仏が、大御本尊への無二の信をもって、妙法蓮華経の五字を持つこと以外にないということを知るのである。これは、あたかも日有上人が、

「末法ノ時ハ本法ノ五字ヲ我等凡夫ノ愚者迷者ノ衆生力又無餘念・受持スル処力即身成仏也、是ハ但信ノ一字是也。」(下野阿闍梨聞書、歴全1-389)

と、即身成仏は受持の一行、信の一字にあると教示されている通りである。

 然るに、この一文は更に、受持とは信の一字にあたることをも示している。そこで次項においては、有師の御文にある信の一字信、受持の一行について、当家本来の把え方について考えてみたい。

 

 


2、当家における受持観


 当家における修行とは、受持の一行であり、又この受持には、総別の二義があるのは今更述べるまでもない。而して、受持そのものの持つ意味が充分把握されていないがために、現今の宗門の様な受持観が横行しているものと思われる。そこで、この項においては、当家本来の受持観について考えてみたい。

 先に、有師の御文によって、受持とは信の一字にあたることを示したが、これは何も有師に始まるのではなく、大聖人も御義口伝において、

「信受トハ者受持也」(新定3-2782)

と、既に言われる通りであり、更にこの御義口伝の最後の部分には 「受持成仏」(所定3-2868)との語をも見ることができる。

 このほかにも、受持が信に当ることについては、寛師が、如説修行抄筆記に、

「信卜者受持ノ義ナノ(研教9-481)

と述べられ、東師・忠師等も本尊抄の聞き書に、それぞれ、(研数12-464・同671)

「受持卜者信力ノ故ニ受ノ故ニ是レ信心ナリ」

等と、同様の記述をされている。

 これらはいずれも、受持の一行が信の一字に収まることを示している。信と、行たる受持が、詮じつめるところ一体となるということである。

 では、何故当家において信と行が一体となるのか、ということが問題になるが、これは当文底家と文上釈尊仏教との修行の立て方の相違ということである。即ち、釈尊仏教の歴劫修行と、当家の直達正観の違いである。

 釈尊仏教においては、台家の六即を以て、不信理即から、名字即に信を立て、後観行即よりを行として、相似・分真即と次第して、最後に究竟即に到るをもって、妙覚(成仏)と配するのである。これは、信と行と成仏を、それぞれ各別に、三段階を設けるということである。

 これに対し当家は 受持即観心、直達正観といい、又即身成仏というように、名字初信のところが成仏である。

 これは、有師が化儀抄に、

「下種卜者一文不通ノ信計リナル所ロガ受持ノ一行ノ本也、夫卜者信ノ所ハ種也」(歴全1-367)

又、下野阿闍梨の聞書に、

「我等凡夫名字初心ニシテ無ク餘念ノ事モ南無妙法蓮華経卜受ケ持ツ処ノ受持ノ一行即一念三千ノ妙法蓮華経也、即身成仏也(中略)即チ信ノ一字ニテ即身成仏也、妙法蓮華経也。」(歴全1-397)

と、それぞれ仰せのように、一文不通の信の処、即ち名字初信の処が、信であり行であり成仏なのである。

 この様に、名字即の処に当家は、信と行と成仏が一体に摂ぜられるのである。我々は、この信・行・成仏についての、台当の相違をまず認識しをければならない。

 この当家の修行、つまり信と行と成仏が、受持の一行に収まるところの受持観を言うと、あたかも当家は信のみで、何らの修行も無いのかと考えるかもしれないが、決してそうではない。この信の一字、受持の一行と言われる受持観の上に、当家の行には、本因の行と本果の行があることを知らなければならない。即ち当本因家における本因修行と、本果修行ということであり、これは又受持が中の、信と唱題ということである。

 これについて、まず寛師は本尊抄文段に、

「受持トハ者正シク当ル信心口唱ニ(中略)受持正ンク当ルトハ信心口唱ニ者、信心ハ即ナ是レ受持カ家之受持ナり口唱ハ即チ是レ受持カ家ノ読誦也。」 (研教8-693)

と釈され、受持を仮に分別すると、信心とロ唱にそれぞれ配することができることを示されている。これは又、宥師が、

「一念信本因 口唱本果」 (歴全3-395)

「一念信解ハ発心本因妙也、立行首、口唱本果妙也」 (歴全3-409)

と、信を本因、口唱を本果に配するのと同様である。

 しかし、この受持を信と口唱に配するのは、あくまで一応の形であり、結句は本尊抄文段に

「信心ハ是レ唱題ノ始メノ故ニ本因妙也、唱題ハ是レ信心ノ終リノ故ニ本果妙ナり是レ則チ刹那始終一念ノ因果ナリ。」

と、示されるように、仮に信心口唱と別立するとしても、それは本因本果の相違であり、これは刹那の一念に摂ぜられるべき因果であることが知れるのである。

 更に、この刹那一念の題目、因果倶時の題目は、詮ずるところ、当流行事抄に、

「刹那半偈の成道も吾が家の勝劣修行南無妙法蓮華経の一言に摂尽する者なり云云」 (六巻抄329)

と示されるように、方便・寿量、そしてロ唱の題目を読み捨てた処に建立される、一言摂尽の妙法蓮華経、本門の題目なのである。

 これらを整理すると、本門の題目、一言摂尽の題目として詮ぜられるためには、必ずその根本に、本因としての一念信、信の一字が無ければならをいということであり、そこに即身成仏もあるということである。

 現今の学会や宗門のように、口唱(本果)の題目だけをもって、本門の題目であるがごとき感を抱かせるよう にしているのは適当とは言えない。  

 かえって、信の裏づけのないカラ題目とも言うペきで あり、行にすら当らないかもしれない。こんな題目は松 野殿御返事に、

「聖人の唱へさせ給フ題目の功徳と、我等が唱へ申ス題 目の功徳と、勝劣あるべからず候。但し此経の心に背 て唱へば其差別有べき也。」(略抄・所定2-1558)  

又、寛師が法華取要抄文段に。

「本門ノ題目卜者信行具足スル也、何ソ止唱題ノミナラン乎、他流 輩ハ雖口ニ唱フト妙法ヲ只是宝山ノ空手也。」  

と言われるのと同様な唱題と、指摘されてもしかたがな いであろう。  

 故に、あくまで我々においては、カラ題目との誹りを 受けないためにも、信の一字に収まる受持を行じたいも  のである。  

 今、一応与えた形で受持を、本因修行(信) と本果修 行(唱題) に分別してみたが、あくまで当家は本因家で あるのは論を俟たない。そして、この立場に立つからこ そ、先にも述べたように、信と受持、又成仏が一体とな り、信の一字に収まるのである。この立脚点によって更 に、受持の本因修行としての信、即ち受持即持戒、及び 受持即戒壇について述べてみたい。  

 これについて、日興上人は三大秘法口決に、「応受持斯 経」の文を釈して、(聖典376)  

「応受持  持戒清潔、作法受得の義。

 斯経   三大秘法の中の本門戒。」  

又、同裏書に、(聖典376)

「受持即受戒なり。経に云わく、是れを持戒と名づく、 持経の処即戒壇なり、法界道場云云。涅槃には若樹若 石、法華には若田若里。」  

等と示されている。文の意は、受持とは持戒にあたり、 その持つ戒は三大秘法中の本門戒である。又受持とは受 戒、持戒であり、本門戒を持つ処は即ち戒壇であり、法 界道場である。そしてその処とは、樹や石でもいいし、 田んぼや人里でも、どこでもいいというのである。言い 換えれば、どこであっても本門戒を持つ処、受持の処が 戒壇ということである。  

 これと同様に寛師も、

 

「応受持斯経とは三大秘法の中の本門の戒壇なり。裏 書に云わく、受持即持戒なり、持戒清潔作法受得の義 なり等云云」(依義判文・六巻抄230)  

又同抄に、  

「受持は即ち是れ本門の戒壇なり」 (六巻抄232)

等と、受持とは持戒であり、その受持、持戒の処が三大

秘法中の本門の戒壇であることを示されている。  

 これらの示すところは、戒壇とは、何も戒壇堂という 建て物にこだわるものではなく、受持の処が戒壇である ということである。そして、上代における受持のあり方 考え方、又持戒及び戒壇についての把え方が、外相のみ に促われるものではなく、多分に己心の上の所談である ことを示唆しているものと思われる。  

 更に又、寛師は同抄の次下に、受持即戒壇の義より、 受持について戒壇を中心に三大秘法に開いて釈されて、

「若し汎く之れを論ずれば受持の言に則ち三意を含む。

一に所持の法体に約すれば即ち是れ本門の本尊なり。

二に能持の信行に約すれば即ち是れ本門の題目なり。

三に受持の儀式に約すれば即ち是れ本門の戒壇なり。」  

と、受持は三大秘法たる本門の本尊・題目・戒壇に配さ れることも示されている。  

 この受持は、受持の一行、信の一字といわれるもので あるから、当然のことながら三秘は各別ではなく、三秘 相即の一大秘法の本尊を受持することに集約されるのは 論を侯たない。言い換えれば、三秘同時の建立は、受持 の処で、信の一字、即ち己心にしかあり得ないというこ とである。  

 これについて、宥師は観心本尊抄記に、(略抄)  

「無疑奉持所ハ本門大戒壇也。戒壇ノ本尊ヲ代々上人 写シ之我等ニ授ケ給へハ我等力己心ノ本尊ヲ眼前ニ顕シ給ヘル也。」 (歴全3-374)  

と述べられ、受持即戒壇とは、戒壇の本尊を己心に受持 することであることを示されている。受持とは本尊を下 附されることではなく、又戒壇とは建て物を建てること だけではないことが、これをしても知れる。  

 受持即戒壇とは、戒壇を中心に三秘を受持することで あるが、これは受持が受戒とか、作法受得等と言われる ように、師(本果・仏界)より授与された三秘を、弟子 (本因・九界)が受持する処に本義がある。故に、我々 弟子分が三秘を受持する処、即ち戒壇(己心)を中心に 三秘が論ぜられるのである。寛師が戒壇を中心に受持を 三秘に配して述べられたのもこの意と考えられる。

 又、この三秘とは依義判文抄に、

「三大秘法とは即ち戒定恵なり」(六巷抄232)

とあるように、三学のことであるが、今因みにこの三学の次第について附言してみたい。

 この三学の次第に、師(授与) の方と、弟子(受持)の方に相違があるということである。

 これについては、三位日順の雑集に、

「一、戒定恵ノ事、戒走恵卜下ル事ハ仏法修行ノ儀式也。定戒恵卜下ルハ説法ノ儀式也」 (研教1-500)

と、説法(師)と修行(弟子) の違いが三学にはあることを示している。前者は、文底秘沈抄に、本門の本尊(定)戒壇(戒)題目(恵)と次第して記される処であり、各別の三秘である。これに対し後者は、三大秘法口決に示される戒定恵の次第であり、又六巻抄の第三依義判文抄を戒として、第四を定、第五を恵とする三学次等であり、この時こそが、

「凡そ戒定恵は仏家の軌則なり、是の故に須臾も相離るべからず。」

とあるように、須臾も離れることのない 「三学倶ニ伝フルヲ名テ曰ク妙法ト」(所定3-2789)といわれる三秘であり、相即する三秘である。

 これらは即ち、師の方は定戒恵の次第であり、弟子の方は戒定恵と次第するということである。師の方は、丁度授戒の際に、導師が、本門の本尊と戒壇と題目を持ち奉るや否や、と定戒恵と次第する様に本尊が中心であり、三秘を弟子に授与する側である。これに対し弟子の側は戒定慧と次第し、戒壇を中心に三秘相即の本尊を、受持する処に重きが置かれるのである。これは又、前に引用した宥師の観心本尊抄記のとも同じである。

 以上、当家の受持観について述べたが、詮ずる処受持とは信の一字、受持の一行といわれるように、我等凡夫が余事余念なく南無妙法蓮華経を信ずる名字初信に、信も行も成仏も又戒壇も摂ぜられるのである。そして、その時に我等の己心に三大秘法が同時に建立されるのであり、即身成仏があるのである。

 



おわりに



 先にも引用したが、日顕師の
 「御本尊を持つものに基本的に謗法は無い。」
との言は、師の前後の 「お言葉」なる話の中に、自己矛盾があることは既に指摘される処であるが、誠に迷言の極みともいえる。

 師は、即物的本尊の受持観を以ってゴリ押しされているが、この受持に本因と本果、己心内証と外相の立て分けがあるのを全く無視されての、この言では到底納得できない。なる程、己心本因の受持の処には、謗法語などあろうはずは無い。しかし外相本果の本尊受持のみでは、直ちに信不信は判定できない。現在の混乱の元凶は結局受持を唯物的次元でのみ把えるところにあると言っても過言ではないであろう。

 当家の法門とは関係の無い法門を、貫主が提唱するのである。そこら辺の大B長ぐらいの言ならば、こんな混乱は無いであろうが、一宗の貫主がこんなえせ法門を言えば、混乱しない方がおかしいのではないだろうか。

 もう一度言うが、当家の言う受持には、信と行と成仏が備わっているのである。そしてそれは本因の受持と、本果の受持が、受持の一行に摂ぜられる時、即ち因果一念の題目の時にのみ言えるのである。よもや本果だけのカラ題目や、即物的受持などは、受持とも言えないし、成仏も無いのである。

 この小論を書き終えようとしている時、大日蓮記の二月号が届いた。今号は、十一名の方々の績斥処分の件等興味を持つ記事が二、三あったが、自分としては、日顕師の無任所教師初登山の際のお言葉が興味深かった。云く。

「狭い境界から間違った考え方をもって勉強することは大変にまずいことだと思うのであります。そうであるならば、むしろなまじの勉強をしない方が良いとも思います。」(32頁)

と、あたかも勉強しないことを勧めるが如き言を発し、更には学″に執われ、学を強調すると、日蓮正哲、もしくは日蓮正学になってしまうというようをことを、平然と言ってのけているのである。この記事を見て、一瞬唖然とした。そして、初登山に参集した方々は、一体どんな顔をしてこの言葉を聞いていたのか、を想像してみて少々恐しく感じたものである。

 我々は何も、日蓮正哲や正学を目指して、勉強している訳ではない。むしろ、本当の日蓮正宗、大聖人の御法門を、もっともっと知りたいだけである。無疑曰信の信を、即身成仏を目指しているだけである。又その為の勉強と考えている。

 現在のような、不疑曰信の信を強要し、不学をお勧めのままに納受してしまったら、貫主本仏論がまかり通ることになるであろうし、それこそ日顕宗になってしまうであろう。

 実際、この受持ということ一つを取っても、ただ日顕師の言葉のみをうのみにしていたら、有師や寛師の意に背くのみならず、大聖人の正義にも背くことになることは、今述べてきた通りである。

 我々は、只々今後も、正法を求めて勉学に励まなければならないと思う。

 

 

 

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