不 審 条 々               

 

在 勤 教 師 会

はじめに


 『大日蓮』9月号、謹んで拝読致しました。

 先般、私達が提出しました「主張並びに要求書」に対する回答とも思われましたので、期待をもって読ませていただきましたが、かえって多くの法門上の誤りを見い出す結果になり、少々残念な気持でおります。

 日顕師は、かつて池田大作氏に「僧侶をどういうふうに練成したらよいか」と聞かれたり、「池田先生の教学は完璧です」と称讃されたと風聞していますが、その頃培われた創価教学、創価思想がこのたびの講義にも遺憾なく発揮されておるようです。

 師は創価学会を称して不思議なる団体″とよくいわれますが、創価学会なしには日蓮大聖人の仏法は語れないと真剣に考えられているようです。しかし、それにしても、


「まだまだ君達の中にも学会に悪いところがあったんだとか、あるんだというふうに思っている人がいるかもしれませんけれども、意外にそうではないと思います。(中略)池田名誉会長の問題にしてもはっきりしてくると思いますし、はっきりしてみれば何ということもないと思います。
それらは結局、正しいことをきちんと守り、本当に正しい仏法を守っていこうとする人に対しては、悪口を言う人間がいるということであります」

 等の言葉は、明らかに言い過ぎ、贔屓の引き倒しで、見識ある人々の失笑を買うことになるかと思います。

 また指南中、不軽菩薩をけなしてまで「現証」や「実証」等の言葉で成果主義を打ち出されておりますが、やはり大聖人の仏法は昭和の創価学会によって証明されるわけではないのですから、大石寺法門は大石寺法門として学会をはずして考究すべきではないかと思います。
日顕師は、私達を「極悪の野心が一念の心底」にあると一方的に憶測されていますが、私達は先の「主張並に要求書」のとおり、現在の混迷を「仏法の存亡にかかわる問題」と把え、為法為宗の思いより、やむなく上げているのであります。確かに非礼をかえりみずということはありましょうが、「陋劣」だとか「卑劣」だとか怨念のこもった言葉を投げつけられるような、やましい心は一点もありません。

 以下、同じく日顕師指南に対して、不審の条々を述べさせていただきます。ご賢察のほど、よろしくお願い致します。

 


1、 御肉身本仏について



「日蓮大聖人、日興上人に流転門もあるというのですが、君達はこのような法門を聞いたことがありますか」(40頁)

「大聖人の御肉身は、それがたとえ我々の凡眼に見えなくても、永遠に三身常住あそばされる」(40頁)

「御肉身そのままが御本仏であり、もし強いてその法相を宛てるならば、流転の当体即常住なのです」(41頁)

 これらの説は、大聖人の発迹顕本を虚しくするものです。

 日顕師自ら「仏法では流転は生死である」といわれたとおり大聖人も日興上人も有漏(=世間表の人、凡夫)の依身をもって鎌倉時代(時)娑婆世界(空)にお生まれになったのであり、これが時空の制約をうけた、いうところの流転です。この流転を環滅に切換えるために発迹顕本があり、それを当家では、関目抄の、

「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此は魂醜佐土の国にいたりて」(新定1−814)

 の御文に求めております。ゆえに寛師は、それをうけて、関目抄文段に、

「一、九月十二日文。御法則抄二云ク、十二日ハ環滅の十二因縁ヲ表ス也云々」(要集4-324)

と述べられ、俗身をたたれた12日を環滅と表わされております。左京日教師の『類聚翰集私』も御法則抄についての記述ですから、日有上人からの聞書ともいえるもので、上代より当家は、発迹顕本に流転、還滅の法門をあてていたことは間違いありません。

 日蓮大聖人、日興上人に流転門がないというのは、宗開両祖に生死・肉体を認めない暴論であります。ゆえに発迹顕本も有名無実となりましょう。そんな馬鹿げた話はありません。

 生死流転の身は、竜ノロにおいて頸をはねられたのであり、佐渡に渡られたのは「日蓮が魂醜(己心)」であります。そして当家は流転門ではなく、発迹顕本の後の己心環滅に法門をたてているのであります。御書に、

「爰真に貴辺と日蓮とは師檀の一分なり、然りと雖も、有漏の依身は国土に随うが故に此の難に値わんと欲するか、(中略)設い身はこの難に値うとも心は仏心に同じ」(新定3-22)

「王地に生れたれは、身をは随えられたてまつるようなりとも、心をば随えられたてまつるべからず」(新定2-1281)

 これらの御文も、身は様々な制約があって有限だが、流転を環滅に即時に切換えられ、己心に法をたてられていることがわかります。

 日顕師がいわれるように、大聖人の御肉身が常住なのではありません。大聖人の魂魄が常住なのであります、肉身が常住であろうはずがありません。
 また、「御肉身そのままが御本仏であり」ともいわれていますが、当家は久遠元初自受用身について本仏をたてるのであります。「流転即環滅」だと強引にいわれますが、これも流転イコール還滅、御肉身そのまま御本仏と使われては話にもなりません。これは流転に即して還滅をみるということで、元初自受用身を確認するためにいわれることであります。寛師の末法相応抄に説くところよって、『仏生』26号に「誤った本仏観」を論述しましたので、再読願います。



2、師弟一箇の妙法について


「かの連中が師弟を論じた中に『大聖人お一人でなく日興上人と師弟相寄って建立されている』のが戒壇の大御本尊であり、『この師弟一箇こそが事迷の法門、大聖人の仏法の真髄であって、戒壇の大御本尊、久遠名字の妙法の正体である』と言っております」(37頁)

「日興上人がそこに弟子としておられ、そして師弟相寄って事の一念三千を成ずるということを盛んに言っております」(38頁)

 日顕師は、ただ流転、環滅でさばくのはいけないというだけで、私達が師弟子の法門について論じた箇所を具体的には破折されておりません。師も認められているとおり、私達は「日有上人の御文を引き、あるいは他の御先師方のものを引いて師弟一体の問題を論じ」たわけですから、日有上人および御先師の御文にまで遡って、御文の説明もしくは私達への折伏をしていただきたいと思います。日顕師の指南が有師並び御先師への論難にならなけれは幸いです。寛師も、

「大弐云ク脱家ノ本因本果等ハ文ノ如シ、種家ノ本因本果トハ本果ハ即是蓮祖聖人、本因即是開山上人師弟冥合則事ノ一念三千也、其ノ事ノ一念三千トハ即中央ノ本尊也」研教書9-766)

と仰せです。

 日顕師は日興上人を「伝承」のために「一番の元に立たれた」方とのみ把えられておりますが、法門としての日興上人の存在があることを忘れてはなりません。日顕師のごとくならば、あえて師弟子の法門とはいわずに、師の法門とされた方が良いような気がいたします。また、目師までを三祖と特別にすることもなく、二世、三世でも充分よろしいかと思います。



3、不軽菩薩について


「不軽菩薩の行法を行っていくことが慈悲の折伏だと言うのです。なるほど、それはそうかもしれませんけれども所詮、観念論に過ぎません。では不軽菩薩の行った形をそのまま、今の末法の時代でやれるのか、また日蓮大聖人の化儀、化法からいってそのようなことが良いのか、悪いのか」(21頁)

 これにはいささか驚かされました。宗祖の御一代は「日蓮は是れ法華経の行者なり、不軽の跡を紹継す」(新定2-1091)の御文をまつまでもなく、不軽の行を行体の上に顕わされております。御自らも、

「日蓮は即ち不軽菩薩為る可し」(新定1-728)

と仰せられ、門下にも、

「末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此れなり、各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ」(新定3-2216)

と厳命されました。これは不軽の礼拝行を折伏行ととり、それを当家の受持正行にあてたのであり、当家の折伏行は妙法の受持正行ともいえるものです。ゆえに有師は化儀抄に、

「法華宗は不軽の礼拝一行を本となし、受持の一行計りなり、不軽は威音王仏の末法の比丘、日蓮聖人は釈迦仏の末法の比丘なり、何れも折伏修行の時なり」(聖典979)

と明かされております。不軽の礼拝行は四衆に対するものではありますが、あくまで毒鼓の縁を結ぶ自行です。宗祖の折伏行も詮ずるところ受持正行のことですから、他には逆縁を結ばしむるのであり、自行であります。寛師も当然のごとく、折伏行を受持正行とされておりますから、如説修行抄筆記に、


「常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思はずんば心が謗法に同ずる也、口に謗法を言はずんば口が謗法に同ずる也、手に数珠を持ちて本尊に向かはずんば身が謗法に同ずる也、故に法華本門寿量文文底下事の一念三千南無妙法蓮華経と唱る時、身口意の三業に折伏を行ずる也。是れ則ち身口意三業に法華経を信ずる人也云云」(要集4−412)

と仰せになりました。

 初めに、身口意の三業の一々に謗法厳禁を示し、次いで、それはとりもなおさず妙法の受持正行をすることであると説かれております。そしてその受持正行こそが身口意の三業にわたっての折伏にあたるといわれています。

 化儀抄の、

「事の即身成仏の法華宗を建立の時は、信謗を堅く分かちて身口意の三業に少しも他宗の法に同ずべからず云云」

等の御文も同意であり、信謗堅く分かつところに折伏行、即ち受持正行を立てられているのであります。つまり、これらの御文は化他としてではなく、自行として説かれているのであり、人のことではなく、自分のこととして示されているのであります。そして当家では自行即化他ですから、自行に即して化他をみるのであり、自行を切り離して化他はないのであります。

「末法二入テ今日蓮ガ唱ル所ノ題目ハ前代ニ異ナリ、自行化他ニ亘リテ南無妙法達筆経也」(新定3−228)

の御文もこの意かと存じます。

 しかるに、今は折伏を化他行と勘違いして、員数増加、勢力拡大を旨としており、「信謗を堅く分」けるはずの逆縁の宗旨がすっかり揺いでしまった感があります。日顕師も「人一人救えるかどうかやってみること」だとか、「最後には決を取り」と盛んに実証を示せといわれておりますが、その学会的な発想、成果主義は、やはり不軽の行とはかなり距離がありそうです。なぜならば、宗祖や不軽の行は、”修一円因感一円果“の言葉で表されるごとく、共に因位の修行であり、結果にとらわれていないからです。

 また、折伏を化他行として把え、内を忘れて外に向い、成果を追うようになれは、それが陰に陽に周囲に対して、外圧的、侵略的候向を帯びざるをえなくなることは仕方ないことかもしれません。

 ともかく、現今、折伏が受持正行であることが忘れられて、信徒・会員を増やすことであると誤認されていたから、『事の法門』 でそれを指摘したのです。

 少々気になるのですが、日顕師は、学会員はすでに救われていると思われているようですが、会員が救われているかどうかは、かなり疑問ではないでしょうか。実のところは仏法という門の遥か手前で、今なお八風に侵されて、悩み苦しんでいるようにも思われるのです。



4、二箇相承写本について

「左京日教師の写本にも二種類あるのです」(34頁)

「けれども、左京日教師の写本には何ら文献的な権威はないのであります」(35頁)

 左京日教師の二箇相承の写本はご指摘のとおり二本あります。一本は日辰本のようになっており、もう一本は九月、十月が逆になっていることもご指摘のとおりであります。

 しかし、これが日教師の九月釈尊五十年の説法、十月日蓮一期の弘法をとらない根拠にはいささかもなりません。かえって、それが私達の説の意を強めるのです。

 なぜならば、日辰本と同形になっている書写本は『百五十箇条』に収められているのであり、この本は日教師が住本寺在住の時、本是院日叶の名で著述されたものであるからです。その後、日教師は住本寺を退出し、日有上人の門に帰されたのであり、そこで御法則文について当家の深義を事書(=箇条書)にされたのが『類聚翰集私』であります。ゆえに本書所収の二箇相承写本は、上代より有師まで伝えられていたものと考えられます。同一人が同じものを書写して九月、十月を間違えて逆さまに記したなどとは考えられず、尊門と当家に伝承されたものの差異がそのままあらわれたとみる方が妥当かと思います。

 また、広蔵日辰が「そのとおりに書写した」ということについて確実性があるといわれておりますが、日辰は天文法乱の時期を生きた人であり、京都の日蓮門下は教義改変を否応なく迫られていたことを考えあわせれば文献的にも信頼がおけるということはないのであります。何よりも要法寺流を好んで日辰師を持ち上げ、大石寺のものを消していかれるのは、合点のいかないところです。

 また、二箇相承を外相と内証に分けることにも疑義をはさまれているようですが、これも私達の新義ではありません。

 元禄五年の西山本門寺由緒書には、釈尊五十年の説法は外用相承、日蓮一期弘法は内証と、すでに明確に記されており、当時にあっては、別段珍しいことでも何でもなかったのであります。それこそ日顕師のいわれる「狂った見方で物事を見れば正しいものが狂って見える」ということが、現今の考え方には多々あるようです。


5、本尊書写について


「彼らは”日興上人の立場にたってというような変な言い方をしますが、実際には日興上人の御意を深く拝し、その御意の上から誤りなく書写申し上げるということです。もし日興上人の御意を拝さないで書写したならば、他宗のあの日朗や日昭や、その他の連中が書いているような本尊になってしまいます。例えば”自分がこの南無妙法蓮華経の本体になりたい”と思ったら『南無妙法蓮華経』の下に自分の日号を書けばそれで済みますが、それでは身延派等の本尊になってしまいます」(43頁)

 これは、今年正月に提出しました「お伺い書」に委しく論述したとおりで、幾分かでも、お認めいただけたことを有難く思っております。

 即ち、その時の「お伺い書」には、

 「しかし、宗祖即歴代の立場にたたれた曼荼羅本尊ならば、身延流の、

 南無妙法蓮華経  歴代花押

の方が筋が通るような気もいたします。何故に当家にあっては『日蓮在御判と嫡々代々と書くべし』と相伝せられ、

南無妙法蓮華経  日蓮在御判
          歴代花押

 となるかが肝心がと思うのであります。これはあくまで本尊七箇相承の、

『日興は浪の上にゆられて見へ給いつる処の本尊の形なりしを能く能く似せ奉るなり、仍て本尊書写の事、一向に日興之を書写し奉るべきこと勿論なるのみ』(聖典380頁)

の御文にのっとられ、歴代上人は開山上人の立場にて本尊を書写されることの証しであります。宗祖即歴代として師(宗祖)の立場にて本尊を顕わされるか、弟子(日興上人)の立場にて本尊を書写されるかは、身延派の教学を所持するか、当家の法門を所持するかの岐路に立つことではないでしょうか」と述べたのであります。

 しかし、日顕師は賛文については、いまだに、大聖人に二十余年と三十余年の両方があるということが非常に問題だとされ、大聖人が二十余年としかされないのに対して、日興上人が三十余年とされたというならば、「ここにはっきりとしたけじめもあるし、その意味での拝し方が必要になってきますが、そうではないのであります」と、師弟の立分けを否定されております。次いで、寛師の本尊抄文段を引かれて、大聖人の賛文が、いつから三十余年になるとか、なぜそうなるかとの論証をされておりますが、これは何か私達の主張を勘違いされているのかもしれません。

 大聖人の御一代の御本尊に、二十余年と三十余年があるのは当然のことであります。寛師の本尊抄文段も宗祖御一代の上で展開されており、異存があろうはずがありません。その上で、さらに、御本尊七箇相承にあるように、大聖人と日興上人の師弟のなかで二十余年と三十余年の立分けをみることができると論じたのであります。

 問題は、戒壇の本尊を書写するにあたって、なぜ二十余年を三十余年と改められるのかという、弟子日興上人の立場にたっての所論です。少なくとも七箇相承には、

「仏滅度後二千二百三十余年の間、一閻浮提の内未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるる儀に、書写し奉るこそ、御本尊書写にてあらめ、之れを略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」(聖典379頁)

と記されているわけですから、日顕師のように、はっきりしたけじめはないとか、三十余年を「基本とすべきこと」という説よりは、明確に「弟子は三十余年と書写すべきこと」といった方が筋が通っているのであります。

「御歴代の中には時々、二十余年と御書写になっておる方もあります。これは書写の基本ではないが、大聖人の大曼荼羅境界を拝された日興上人の御意を拝しつつ、そこを元として、その中に含まれた特別の境地を拝されたものであります」

 これは一体、何でしょうが。大変神秘的すぎて、まったく意味不明です。もっとも「そんなこと平僧が知る必要なし」と日顕師はいわれるでしょうか。

 また御伝土代の二十余年については、「種々御振舞御書の引用」ということから一蹴されておりますが、御伝土代を安易に読んでしまえば、大石寺法門は何一つ出て来ません。追々詳述することになりますが、御伝土代は歴史書から法門書に切換えて考究すれば、三師の法門が構成されていることは、まず間違いないのであります。




6、事理についての誤謬


「現実に見えないものが宗旨だなどというのは決して大聖人の教えではありません。したがって、彼らは自分で『事の法門』などとおこがましく言っているが所詮”理の法門“に逆もどりしているのであって、当家の”事の法門“たる証は全く解っていないのです。その証拠は、その所論に一貫する観念論と、つじつまの合わぬこじつけにあるのであります」(32頁)

 この事理の誤謬こそ、在勤教師会が『事の法門について』以降、一貫して指摘してきたことであります。尾林師もいわれた、目に見えるものが事で、目に見えないものが理だという事理の立分けが、当家根本の事理と相違するといわれているのは日寛上人であります。私達がおこがましく「事の法門」などと言っているのではありません。どこがどう私達が"理の法門"に逆戻りしているというのか、更には、当家における事理についても日有上人、日寛上人の仰せに従って明示されることを、日顕師にはお願い致します。

 私達は、尾林師他の論文の破折にあたって、諸処に当家の事理を論じましたので、再読されることを強く要望します。いま、その一つを挙げれば、「観心本尊抄冒頭に止観第五の一念三千の文を示されているのを、漫然と見過してはならない。

『此の三千、一念の心に在り、若し心無くんば、やみなん。介爾も心有れば、即ち三千を具す。乃至所以に称して不可思議境と為す、意此に在り等云云』

『故に序の中に説己心中所行法門と云ふ。良とに以へ有る也』

 この一念三千の文が観心の本尊の依文であり、一念三千法門が『己心の法門』であることは論ずるまでもない。

 寛師はこれを文段抄に、

『観心の文に此三千在一念心等と云ふは、此の一念三千の本尊は全く余処外に在ること無し、但我等衆生の信心の中に在す故に此三千在一念と云ふ也。若し信心無くんば一念三千の本尊を具せず、故に若無心而已と云ふ也。(中略)宗祖の所謂、此の御本尊は只信心の二字に収れりとは是れ也』

と説かれている。一言の説明の余地もないが、今流の本尊観とは全く違っている。宗祖や寛師は究極的には本尊は余所に求めるものではなく、衆生の信心の中にあると示されている。つまり流転門の相対の世界で考えられていた本尊が、還滅門に切換えられ、我が身にひき当てられた時、はじめて当家の本尊があらわれるというのである。本尊を、

『日蓮が身に当てて一期の大事』

『本尊とは法華経の行者の一身の当体なり』

『日興が身に宛て給わる』

 といわれたのも、流転(理)から還滅(事)の切換えをあらわし、衆生の己心の上に信を以って証得する本尊を明かされている。つまり当家では己心に法体の事を定めた上で、更に信不信をもって事行をあらわしている。

 これが『事を事に行ずる』といわれる所以であり、事の法門とは『己心の法門』の異名である。

 尾林論文では、事行をあくまで現実の行為、事象に執着して、題目を口唱するとか、本尊を事物に書き顕わすとかの天台の事理に陥った記述がみられたが、それを当家の事理と混同するのは問違いである。明文を挙げれば、寛師は本尊抄の講義のなかで次のように云われている。

『さて事行とは天台の如く、末法には理の十乗を観する事能わざる故に、題の妙法を口唱する故に事行と云ふ也、此の日辰の義不可也。今謂く、事行と云ふは久遠元初の自受用報身宗祖の色心の全躰を事と云也。此れを本尊と顕わして、此の事を行する故に事行と云ふ也。是れ法体も事也。行も事也。故に事行と云ふ也。未だ全く事に口に唱へ手に珠数を行すると謂には非ず、上の御本尊を事に書き顕わす故に事行と云ふには非ず、法躰事々に行する故に事の一念三千の本尊と云ふと同じ勝手也、若し日辰の如く云はば所行の法躰は理なれども事に行するが故に事と云はば返て天台勝れ宗祖の事行は劣ると云ふべき歟』

翻って尾林師は、

『久保川説によれば、究極の御本尊は凡眼に写らぬ大聖人の魂を拝むのだと言う。これでは法界の理の上の法相にとらわれる観念論であって、到底事を事に行ずる文底独一本門事の一念三千の仏法とは言い得ない』と述べられているから、全く日辰流といえるものだが、残念なことに、これは一人尾林師の説というものではなく、近年汎く宗内をおおって、宗門人の多くが事行の法門を誤解している。すなわち、天台通途の事理より一重たちいったところに当家でいう法体の事理が存することの区別がついていないのである」(以下略、水島・尾林論文の稚説を破すE参照)と論じたのであります。

 この論をして、観念論だとが御本尊の否定だとかいう人がいますが、見当違いも甚だしいといわねばなりません。

 私達は、戒壇の本尊は眼に映る映らないにかかわらず、証得するものであり、そのためには本来秘蔵し遥拝すべきだと論じているのであります。また、書写されし一機一縁の曼荼羅についても、元初自受用身の裏付けがあってはじめて本尊といえるのであり、眼に映る曼荼羅と裏付けになる元初自受用身を法門の上から立分けて論じたのであります。それは日寛上人の六巻抄に、

「其の本尊の為体とは且く是れ今日迹中脱益の儀式なり。而るに妙楽の曰わく、若し迹を借らずんば何ぞ能く本を識らん云云。又云わく、雖脱在現具騰本種と云云」(聖典879頁)

とあるのをまつまでもなく、具さに本種に騰ずるところが当家の宗旨であるからであります。

 「その所論に一貫する観念論と、つじつまの合わぬこじつけ」といわれていますが、私達の論旨は日顕師のそれに較べれば、随分理か通っているように思えます。日顕師はあわぬつじつまを無理に合わせて、大聖人の御肉身は目に見えないけれども常住だとか、板曼荼羅の板そのものが永遠常住だといわれています。道理にあわないことを、無理に信じ込むことこそ観念論というのではないでしょうか。


7、色法・心法について



「『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて侯ぞ。信じさせ給へ』(新定2-1006)とも仰せであります。”墨に染め流す”ということは色法ではありませんか」(32頁)


 これはまた、極度に次元が低くなりましたが、日顕師は以前にも似たような論議をしております。しかし、その時の言い分は今の主張と少し違うようであります。すなわち教学部長時代に、

「『日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ信じさせ給へ』と示された文も、墨そのものが日蓮の魂だと解釈するのは余程唯物観にとらわれて仏法の道理のわからぬ者である」(昭和52年蓮華別冊号)

といわれているのが、それであります。墨が唯物で、板が唯物ではないという言い逃れをしても、その主張は容易に首肯できません。

 また「百六箇抄」の色法の即身成仏の本迹を引いて、本門は色法中心であるから云云と論を進められていますが、この文は当家の成仏、すなわち、当位即妙不改本位、草木成仏等と明かされる故に、本門は色法の即身成仏といわれたのであり、ここにいう色法とは法体のことと同義であり、本尊が色法だといわれたのではありません。 また日顕師は色といえば物質、心といえば観念(この観念もどのように定義されているかわかりませんが)と至極簡単に断定されているようですが、この辺も再考の余地がありそうです。色心といっても、一通りではありません。御講聞書には「色心を心法と云う事」という項もあるように、二重の色心を混雑させてはまともな法義にはなり得ないでしょう。



8、禅宗について

 

「もしも日に見えないものが宗旨だというのであれば、それは禅宗であります」(10頁)

 宗祖の禅宗破折は、教外別伝・不立文字ということにあり、釈尊の教の外に別に伝えるという説や経の文字を立てないということの破折であります。それに対して、宗祖の教えは、釈尊の法華経をうけて、その文の底に事の一念三千の妙法を見い出すのであって、文字をはじめから捨てたり、教相はいらないということではありません。そして、文底の妙法は「文に非ず、義に非ず、一部の意ならくのみ」といわれるように、凡眼に映る映らずにかかわらず、行者の己心の上に信の一字をもって建立されるものです。ここのところを水島・尾林論文の破折に、

「当家は、まず釈尊の教え(流転門)をうけてその形骸を捨て去った文底に日蓮一期の弘法(還滅門)すなわち久遠名字の妙法をみるのであり、二箇相承は流転から還滅への切換えを教えているのである」(稚説を破すB)

 日顕師は更に「けれども目に見えなかったならば拝することもできないし、信仰もできません。また、末法の愚人が救われることなどできはしません」(同頁)と断定されていますが、これが本当ならば、実際に盲目の人(目の不自由な人)の救いはどこにあるのでしょうか。僧侶の発言ともおもえぬ乱暴な発言であります。

 そもそも日顕師のように唯物論や現証を振りまわすような信仰では、口に南無妙法蓮華経と唱えられない人や、耳に妙法が聞こえない人には救いがないか、もしくは五体満足の人の信仰に比してハンディがあるようではありませんか。そんな馬鹿な話が信仰の世界、特に己心に法を立てる大聖人の教えにあるはずがありません。くり返すすようですが、

 「此の三千、一念の心に在り、若し心無くんばやみなん。介爾も心有れば即ち三千を具す」

 どんな芥子粒のような小さな心でも、生きとし生けるものには、大聖人の慈悲は平等にそそがれているのであり、それを衆生が平等に信受できるからこそ、民衆仏法というのであります。

 

9、宗旨分・宗教分について



「宗旨は必ず三大秘法、宗教は教・機・時・国・序の五綱教判ということに決まっておるのでありまして、このようなことは皆さんもご承知の通りだと思います」(10頁)

 私達は、宗旨分・宗教分としての意義・考え方を提示したのであって、今更ながら誰もが知っている宗旨の三箇・宗教の五綱の名目をあげて、論旨を故意にスリ替えられては、まともな論議は望むべくもありません。宗旨とは法体に関する所談であり、宗教はそれを弘むるための所談である故に、宗旨・宗教を混乱せずに立分けなくてはならない、といったのが私達の主張であります。貫主を自認する人らしくもない的はずれの反論ではありませんか。

 すなわち前の論文において、既に、

「当家の法門はといえば、宗旨の三箇・宗教の五箇と答えるように、まずもって宗旨と宗教の相違を習わなくてはならない。日寛上人は六巻抄に、

『宗旨の三箇経文に分明なり、宗教の五箇の証文如何。(中略)答う、今略して要を取り応に其の相を示すべし、此の五義を以って宜しく三箇を弘むべし云云』

といわれている。即ち、宗旨とは三秘・法体に関する所談であり、宗教とは三秘を弘むる為の所談であるとされている」(稚説を破すC)
と論述したのであり、その線にのって宗旨分・宗教分の立分けを論じたのであります。またそれを、『事の法門について』では、

「法門そのものに関するところを宗旨分と言い、それを踏えてなお、現実問題として必要最低限の世間への妥協を宗教分と言うのである」(同冊子18頁)

と述べたのであり、宗旨分には妥協はないが、現実に生きていく我々には宗旨分を踏えた上で、必要最低限の妥協があるのは当り前ではないでしょうか。「妥協」という言葉が、それほど嫌いであれば、「連絡」でもかまわないのであります。




10、六巻抄について



「『依義判文抄』は”義に依って文を判ずる“という上に立っており、その前の『文底秘沈抄』は”文底において三箇の秘法を沈む”という、その三箇の秘法についてお示しになってあります」(17頁)

 日顕師は、題号というものが内容を拝する上においての基本だといわれています。そのこと自体にさして異存はありませんが、それならば、もう少し題号から、内容を深く拝することができないものでしょうか。

 例えば、『当家三衣鈔』が題号から拝して「資具論」であるというのは大変浅はかな読み方で、当家の三衣が一体何を指しているのか、内容に一歩立入ってこそ、法門といえるのではないでしょうか。日顕師は、『文底秘沈抄』も”文底において三箇の秘法を沈む”、だがら、三箇の秘法についての所論とされているといわれますが、それでは日寛上人御自身はどうでしょう。日寛上人の文段には、

「此の中に戒定慧は一代及び三時に通する也、若し末法に在ては文底深秘の三箇の秘法也、具に依義判文抄に曽つて之を書する如し」

 とあって、むしろ寛師は三秘についての所論は依義判文抄に示されていると仰せられているようです。敢えて『文底秘沈抄』を題号より解釈すれば、この抄は文上つまり文をそのままとるな、文底を拝せといわれているようであります。

 いずれにせよ、六巻抄は、一巻一巻を別個に考えては、寛師の御意に背くこと必然であります故、六巻全体をもって法門を探ることを提起いたします。

 また六巻抄における三秘、各巻の役割、相即と別立等について、述べなくてはならないことが多々ありますが、紙数の都合上、別稿に譲ります。



11、貫主本仏について



「最近の『大日蓮』で貫主本仏が宣揚されていると思いますか。私はそのようなことはないと思います」(51頁)

 破折論文に挙げたように、「与等なきを仏といふ」「能見・能照・能分別」という仏様を示す言辞を日顕師にあてていることや、太田慈晃師が当体義抄の一文を引いて「正師」を貫主にとり日顕師を信ぜよというのは、明らかに貫主本仏ではありませんか。

 また「久保川論文の妄説を破す」にも貫主に懺悔滅罪せよといわれていますが、懺悔滅罪とは御本尊の前にするものではないでしょうか。「信の一字の大事」を貫主にあてている個所もありましたが、これも貫主本仏にあたりましょう。

 最近では、宗務院達などの公式文書にも、「大慈大悲の日顕上人」とこれ以上ない最高の讃辞をもって讃歎されていますが、日寛上人は当家三衣抄の観念文に

  「久遠元初自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師」(聖典971頁)

とされております。「大慈大悲」は当宗においては、一般の「お慈悲溢るる」とは違った意味を持つものではないでしょうか。寛師は大聖人の「大の字」でも、大慈大悲の「大の字」でも、報身如来の意味をもたしているようですが、いかがでしょうか。

 とにもかくにも、私達は朝晩、「大慈大悲の宗祖日蓮人聖人」と観念しております故、何から何まで、最高最大の讃辞を日顕師へおくられては、御本仏を讃歎する言辞が次第になくなってしまうような気が致します。日蓮大聖人も日顕上人も同じだからいいんだというのならば、やはりそれは貫主本仏論に違いありません。

 それから「私も随分、あちらこちらで話をしますけれども、自分を仏だと言ったような覚えもなければ、そのようなことを思ってもおりません」(53頁)といわれていますが、こんなことは当り前で「自分は御本仏です」というような馬鹿げたことは、かの池田大作氏でさえ否定しているではありませんか。

 日顕師も池田大作氏も口を揃えて、そんなことがいわれたり書かれたりすれば「私自身が迷惑であります」といわれていますが、私達が指摘しているのは、その文言ではなく、思想であります。せめてこのぐらいは不毛の論議にならないように、我が身に振りあてて考えていただきたいと思います。

 大日蓮9月号及び不審条々を読まれた方には、すでにお気付きのことかと思いますが、日顕師の教師講習会での御指南は、在勤教師会の論述をよく理解されないまま、なされてしまったようです。

 指南中、「何だか訳が解りますか」と聴衆に訴えたり「変なことを言い出し」たとか「理解に苦し」んだりしているようですが、もう少し法門的に突込んだ、まともな話が聞けると信じていた私達は、いささか落胆いたしました。

 そういう中で「まるっきり狂っているということです」「めちゃくちゃな話」「生意気な観念論ばかりを言う人間」「既に頭が狂っている証拠」とのべつに罵られ、聴衆に私達がさも狂っているがのように印象づけようとされていますが、果して狂っているのは私達でしょうか。

 ”自分が理解できないのは相手が狂っているがらだ“というのでしょうが、それにしても、もう少し筋道の立った話をしなければ、いずれ自らの言葉に倒れることになりはしないかと危惧しております。流転・還滅や宗旨・宗教についても、全く頓珍漢です。私達は、水島・尾林論文の論理的矛盾や欠陥、あまりの節操のなさを破折し、ごく簡単に説明するために宗旨・宗教、流転・還滅の法門を用いたのであります。それに対して日顕師は、仏教辞典から引いてきたような一般仏教的な解釈を、いたずらに振り回しているのですがら、論旨がかみ合わないのは当り前です。

 私達は日寛上人の裏付けをもって、大石寺法門における流転・還滅、宗旨・宗教を用いたのでありますから、日顕師もはやく通仏教から脱却して、当家の考え方を明示していただきたいと思っております。少なくとも、宗教を「いくら説いたからといって、それで終ってしまったならば何にもなりません。最後には決を取り」「御本尊を受持せしめていくということ」が宗旨ですというような、学会の大B長さんが言いそうな、宗旨・宗教だけは勘弁願いたいものです。それから私達を論難する前に、水島・尾林論文の論理的矛盾や欠陥を見直し、修復することが必要ではないでしょうか。遡れば、山内有志、四国有志の論文にも数多くの矛盾や誤りが指摘できました。それらの一々に蓋をして真面日な考究もせず、ただ声が大きい方が勝ちとか、力によってねじ伏せた方が正しいというようなことだけは、今後は避けていただきたいものであります。

 最後に蛇足を許していただければ、「教学部・総監」宛に差し出されたものは、やはり当局が返答に立つべきではないかということです。何でもかんでも一番上の人がでて口を開けば、単純に一番効き目があると思っているのでしょうが、ことが法義の決定ということにもなれば、対外的にも後々まで禍根を残すことになるのは、ひをみるよりも明らかです。

 

 

 

 

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