私見二題



池田令道

  
(1)



 文選に
                        
 「国は一人のために興り、先賢は後愚のために廃る」という言葉がある。国は一人の偉大を人によって興隆するが、その出現した先賢は、後にでた一人の愚かもの、つまり後愚によって廃れてしまうのが世の常だというのである。後愚の浅い考え、貧困な思想をもって先師を評価するのだから、いくら先師を奉って、調子ばかりをあげても、肝心なところがザルみたいに抜けてしまうのは当然である。そればかりか、かえって自分の身に不都合をことばかり目につきはじめると、次第に先師の跡を破滅するようになる。

 現在の宗務院・日顕師の様子をみれば、なる程と思わせられる。宗関両祖の精神も、七700年来の富士の法門も、後愚の為にいま廃れようとしている。折角、御戒壇様まします富士のお山に住まれていても、今の日顕師や宗務院の役僧方には「信なくして宝の山に入る」ようをものである。

 さて、日顕師が貫主を自称されて、すでに3年の月日が流れようとしているが、その間、私達が見聞きしたことは、甚深の法門からは程遠い、およそ品性を欠いた話ばかりで、聊か情無い気持ちにさせられている。たとえば、大書院といえば聞えはいいが、大奥に宴会するだけに必要のようを建物をつくって、事ある毎に学会幹部と宴会に興じられているとか。また、お酒がすすむせいか、気候のせいか、貫主の勤めである丑寅勤行もあまり満足になされないということらしい。酒気おびあり、六壷の前でしばし遽巡されて、そのまま大奥へさがることもあると聞えてくる。最近ではヤレ桜を切った、ハトを殺したと人間性を疑われるまでになった。何トカという暴行行為が表沙汰になってから、学衆課や所化には絶対手をだすなと厳命したものの、御自分は分っていても止らをいのか、二六時中、怒りぽくって中啓でパンパンと威勢のよい音をたてているとも聞く。本尊抄には 「瞋るは地獄」とあるから慎しむにこしたことはない。それにもめげず、ひたすら貫主に合掌礼する小僧さんは、差しずめどんな人にも内に仏性ありと敬う不軽菩薩か、いとあわれである。不軽々毀の四衆は永く阿鼻の炎にむせいだと聞くが。

 そういえば以前、私達が、折伏とは不軽菩薩の行であり、学会みたいにただ数を集める成果主義は当家の本因修行に相いれないと主張した時も、「何を言ってるんだ不軽の行も所詮観念論だ、学会がこんなに弘めたんだ、偉いんだ、立派なんだ、有難いんだ」と手放しで賛歎されていた様子。よくよく不軽菩薩が嫌いで、学会が好きなようだが、宗祖が随所に 「日蓮は不軽の跡を紹継す」といわれた御意を踏みにじって、相承をうけた貫主とどこまで無理押しできるだろうか。 「確かに承けたんだ、信じろ!」というまえに、相承された当家の法門の一分でも、振舞いにあらわされたらどうだろう。

 御本尊にしてもそうである。いくら700遠忌の記念だからといって、先師の御本尊を何万幅も回収して焼却し、新たに日顕花押の特別御形木を下附する必要は何処にもない。はたして、これは先師、本尊への不敬にあたりはしないだろうか。

 思い起せば、私達が所化として大坊に在勤し、年表室でダンボールに何杯も山と積まれた返却本尊をまのあたりにした時、学会の折伏の誤りを感ずるよりも前に、それを良しとする僧侶の信心のなさや、このように積まれた本尊とは一体何だろうという素杯を疑問が胸に残った。当番にあたった者が、くる日もくる日も、それを焼却した。ギラギラ照りつける暑い夏の日などは、曼茶羅を燃す炎が、我が身にまとわりつくように熱く感ぜられ、炎の中に燃えてゆく曼茶羅を炉の中に認める時、思わず口の中でモゴモゴと題目を唱える。これは信仰者がみれば、不安な、異様を光景である。これを見て、何も感じないのは信仰心のカケラも、見る人にないからである。

 ある日、当番をしたものが、頭をコンクリートの壁にぶつけて何ハリも縫う事件がおこった。それから、一辺に曼茶羅を焼くものがいなくなった。おおげさではなく、血のりのベッタリついた壁を見てから、誰れもが焼却するのを嫌って、当番をするものがいなくなったのである。焼却番が特別罪深いというわけでもなかろうが、やはり曼茶羅を焼くのは、それがたとえ返却本尊でも、あまり気持ち良いものではない。本尊には「若悩乱者頭破七分」とある。

 ましてや、今は高額な供養料をうけて、自らの曼茶羅を流布せんが為に、先師の本尊を回収して焼却するのである。名聞名利をかねあわせて、更に先師の跡を破滅するような行為は、どこからみても良い結果をもたらすわけがない。御本尊だけのことでもない。日顕師は例の如く「先師の跡をついで」と口ではいうが、悉く日達上人色を消し去ろうとしていること、今になれば一目瞭然である。それも、まるで怨念でもあるかのようにである。

 仏法は怨念の入りこむ余地のない世界である。日有上人も


「名聞名利は世事をり、仏法は自他の情執のつきたるところなり」

 といわれている。早く自他の情執つきて、妙法へ帰入されんことを祈るばかりである。俗にも


「人を呪わば、穴二つ」

人を呪うことは、自分が落ちる穴も一緒に掘っているようをものをのだから。


     
(2)


 大日蓮5月号の 「現時の誤った教学観について」を読んだ。支院長会議の際に大村教学部長が発表されたものである。表題をみて、現在の宗務当局及び教学部が反省をこめて、自己総括でもするのかと思ったが、とんでもをい思い違いだった。内容は相替らず無に等しいが、その言辞はますます品性を欠いたものになってきている。追いつめられた小人が、無闇矢鱈に悪口雑言しているのに似ている。

 「正信会と称する者達の考え方の根本的を誤りについて」指摘すると初めにことわりながら、中味は川澄勲氏個人に対する悪口中傷で、とても論難とか破折とかいえるようなしろ物ではない。もちろん、現時の教学観の説明にもなってない。その挙句に、正信会報14号の拙文をも、故意に川澄氏の論文の如き印象を与へようとされているが、そんをつまらをいことに精を出すより、内容について感情、利害を越えた純粋を批判・反論を展開してもらいたい。これでも、指摘されて納得しうるものは改むるに吝かでない気持ちで論文を書いている。いままで在勤教師会が提出してきた論文にしても、私達は「是ならば是、非ならば何故非であるのか、御法門をもって御回答下さる様、御願い致します」と要求までしているのだから、まともな宗務当局・教学部であるならば、陰口を叩くのではなく、公的且つ正当を論陣を張るべきではなかろうか。在勤教師会の論述については殆んど棚上げし、根底に卑劣なものがあるとか、彼等の第一のねらい云云と勝手に憶測されているが、大聖人は


「智者に我が義を破れずば用いじとなり」

と仰せなのである。それこそ卑劣も、根底も棚上げにして、本題に入ってもらいたい。


「かかる邪義が通るならば大聖人の御法義は完全に崩壊し、日蓮正宗は潰滅し、更に、無慈悲にも一切衆生は永久に無間大城を栖とせぎるを得ない」

 と随分、危機意識をあおられているようだが、自ら迷っていることに気付かずに、一切衆生が救えるかどうか、悲壮感さえ漂う文面をみて、聊か聯しらけている。こういう言葉は、相手論者を大概漏らさず論破すれば、いわずにもすむものである。平家の公達は水禽に驚き、関東八十萬の軍は、藁人形を兵とみたというが、本題に入る前に、あわてたり、下司の勘ぐりに終始するのは、あまりみっとも良いことではない。

 かって宗務院が「久保川論文の妄説を破す」を刊行した時、在勤教師会では水島・尾林論文をとりあげて反論し、水谷慈浄師の論文については捨て置いた。それは、師の論文が先の両師に此して尚、稚説であり、法義的には、取りわけてこれを破折すべき価値を認めをかったからである。ようするに、感情や利害をもって憶測を重ねる法義以前のくだらない内容だったのである。

 あれから一年有余を経過して、いままた一宗の教学部長を任ずる大村寿顕師から、破折にもあたらなかった水谷論文と軌を一にするようを発表をみたことは慨嘆このうえないことである。「今後、教学部に一結して破折をいたしてゆく覚悟」は分りましたから、教学部長にもー刻も早く、数学的批判にたえうるようを厳正を論文を望むものである。

 とりあえず『正信会報』第14号の拙文に対してと思われる箇処について一往の弁明を施しておきたい。前述した通り、大村教学部長の適正を欠いた表現やスリカエの為に、何処から何処までが私への批判か、よくわからないが、あまり気にせずに教学部長の発言の不審点を筆にまかせて書きつらねたい。

○「日蓮大聖人の御書を心肝に染めるということよりも、むしろ日有上人や日寛上人の文書、及び御歴代上人の聞書や聴聞類を大切にし」

 といわれているが、教学部長は何か感違いしているのではなかろうか。私達は御書を心肝に染める為に、日有上人、日寛上人の文書、及び御歴代上人の聞書や聴聞類を大切にしているのである。凡そ日蓮門下であれば、身延でも、朗門でも、八品派でも御書を心肝に染めようとしている。しかしながら他門においては、悲しいかな己が智分をもって御書を拝して、迷路におちいるのである。富士門流たらんとするものは、有師、寛師の文書をたよりに御書を拝するのは当然であり、私達が有師、寛師の意より御書を拝して論文を作成するのも、蓋し当然のことである。それを無理に独善をもって「自分のいうことを聞かないのは謗法だ!」とゴリ押ししているのは他をらぬ日顕師である。悲しいかな、我が心を師として、他門が陥るべき穴に当家の自称貫主がおちているのである。相承に疑義がはさまれるのも無理からぬことではないだろうか。

 日興上人が十大部に「法華本門」の四字を冠された所以も、興門の読みを明確にされんが為である。報恩抄の 「ノの字の口伝」も関目抄の「しうし父母」も「丑寅法門」も他家に伝わらぬ、富士門独歩の法門である。これらが珠玉の如くに埋っている有師、寛師の文書をたよりに御書を拝することが、当家の御書を心肝に染めるといぅことではないだろうか。教学部長の発言としては、あまりにもお粗末なような気がする。

○「古来、史伝書と呼ばれておりましたものを教義書とみなし」

 といわれているが、これは三師伝・産湯記等のことについていわれたものと思われる。詳しい発言がなされていないので、現段階では反論することも出来ないが、明確を指摘があれば、論接をあげて反証したいと思う。

 因みに、現行の日蓮正宗聖典では、御伝土代も産湯記も史伝書扱いをされているが、産湯記などは一見して史実を伝えるを旨とする書ではないことぐらい誰れにでもわかる。御伝土代についても、子細にみれば、同様なことがいえるが、此の方は少々説明を要することでもあり、いずれ論述したいと思う。

○「孫引きをして、出典を明らかにせずに相伝書や歴代先師の文を挙げるというやり方」

 それ程、目くじらをたてるようなことでもない。泣きごとのようにもとれる。数学部長が自門の相伝書や歴代先師の文が何処にあるかわからないこともないであろう。大先輩相手に、一々出典をあげることはかえって潜越なことともいえる。ないものならいざしらず、当家のものといえば、研究教学書か歴代全集に殆んど所収されている。もしくは、現在私達が登山禁止されている本山に所蔵されているものばかりである。自分の家の中にあるものを、何処にあるんだと騒れても、応待に当惑思する。 ある日、在勤教師会あての破折論文を執筆するという住職の一人が 「君達ずるいよ。出典を書いてくれをきゃ僕達はなんだかんだお寺の仕事で忙しいんだから」と論争相手の私達にあきれたことを言っていた。こういう人達には、沢山の学会員に囲まれて、毎日塔婆書いて法事をしているうちに、自分が何処の宗派の何を信仰しているのかさえ、わからなくならなければ幸いとみるべきなのかもしれない。それ以上のことを望むのが、すでに無理をのかもしれない。

○「利用できるものは相伝書はもちろん、切り紙に至るまで何でも使い、時節に不利を文証は一切無視し」

 これも、先程から述べている通り、大石寺法門を語るのに、相伝書等をたよりにするのは当り前で、別段不都合もない筈である。日純上人から日厳上人への切り紙も、丑寅法門の大事を示し、御開山以来の戒壇本尊遥拝の意を伝えている、の主張の何処に間違いがあるのであろう。大石寺法門からはずれていることがあれば、もっと具体的に指摘し、破折し、もって自説を宣揚すべきではないだろうか。

 抑、「久保川論文の妄説を破す」や大日蓮巻頭言をみても、本因・百六箇をはじめとする相伝書から、有師、寛師、因師、穏師等他にも多数の文書、聞書を少々的はずれではあるが.引用しているではないか。自分が引くときは、いつでも正当で、相手が引く場合は 「利用できるものは何でも使い」となるのは、少し我田引水が過ぎはしないだろうか。

 後半の「時節に不利を文証は一切無視している」というのは一体どういうことをのだろう。何の時節なのか、また時節に不利を文証とは何なのか、この文章はサッパり意味が分らない。一度、大村数学部長に解説してもらはなくてはならない。それとも何だか意味がわからないまま、発表でもしているのだろうか。


○「現御法主上人の御指南や行政を、無理に日精上人や要法寺出身の御歴代上人と関連づけようと試みている」

 別段、無理に関連づけようとしたことは一度もないが、どうしても無理にみえるのであれば、どこが無理なのか論点を定めて具体的に破折すべきではないか。日顕師の貫主本仏的を振舞い、及び宗務当局がその権威をもって難局を乗り越えようとする行為を改めない限り、精師の時代に次第に酷似することは止むを得ないかと思う。

 しかし、水島論文を読んだ時も疑問をもったが、一方では日精上人には謗法はなく、その威徳は内外の尊敬を集めていたと書きながら、精師の時代と現在の状況が同じだという指摘をうけると「よくもぬけぬけと言えたものである。(日精上人と日顕師の)どこが全く同じなのか。御当代上人が要山出身とでも言いたいのか。それとも造像読議論者とでも言うのか。衆生をいかに善導すべきかと大慈悲の立場から心を砕かれる御当代上人のどこが全く同じをのか、頭を冷やしてよく考えてみてはどうか。」と急に興奮して、一辺に精師は要山流の造像読請論者になり、衆生のためにはいささかも心を砕かれない慈悲のカケラもをい上人に早変りしてしまうのである。どちらが本当をのだろう。精師の時代が大石寺法門にも叶った素晴らしい時代であれば、日顕師の指南や行政がどれ程、精師に近づいても、それ程毛嫌う必要もないし、かえって喜ばしい限りではないだろうか。どうだろう。

 数行のうちに、日精上人の人格が変ったり、持ちあげたと思ったら、退けるというのは、あまりに身勝手すぎはしないだろうか。他を破折するまえに自己矛盾を整理する必要がある。宗祖も

「人のおほくきかんところにて、人をけうくんせんよりも、我身をけうくんあるべし」

 他に向うまえに我が身を振り返れと仰せである。

 自家撞着をおこしている数学部長も、やはり自分の意見を定めることから始めなければならをい。そして、日精上人の時代を当家の行鉢や法義の上から充実していたという輩にこそ、大村教学部長は立ち上って破折すべきをのである。そうしなければ、教学部長仰せの「大聖人の御法義は完全に崩壊し、日蓮正宗は潰滅」するという事態も遠からず起りうることでもある。

 また、行鉢と行政では全く次元が違う言葉だが、同じような用い方、一体、行鉢と行政はどういう関係にあるのだろう。これも再考すべきではないだろうか。


○「日蓮上人の時代、更に現御法主日顕上人の時代について、これらは総じて外相中心、流転門中心の時代であったから数量的、物理的発展をしたのだ、と批判している」

 いままで何回となく論述したように、私達は流転門や宗教分がいけないと主張するものではない。己心内證をふまえ、宗旨分を明確に確認した上で、宗教分はあるべきだと論じたのである。その宗旨とは何かを論じている時に 「こんなに発展したのは誰のおかげだ」といわれるから、それは宗旨と宗教の混雑、スリカエである、とこれも幾度か論じたのである。

 日達上人の時代も、教学部長の言葉を借りれば「数量的・物理的」に多大を発展を遂げた。しかし先師は、この発展を宗旨分を弁えてないものと下して、「日蓮大聖人の仏法でないものがいくら弘まっても、広宣流布でも、何でもない」 「百姓してでも、一人でもお山を守りたい」と憤り嘆かれた。反対に日顕師は「総本山の灯燭をお守りしていてくれるのは、実質的に学会員」だといって憚らず、「数量的・物理的発展」に執着されている。これは大きを差異ではあるまいか。私達は、先師日達上人と日顕師を並べて批判する愚などおかしていない。寛師の仰せに、

「問ふ、今時は巳に如来の滅後二千六百余年也、後五百歳の時巳に過ぎたり、然るに爾前の諸経未だ陣没せず、仍諸国に盛んなり、法華の三箇未だ流布せず、但吾が一門のみ也。如来の玄鑑虚しきが如し、無虚妄の説徒らなるに似たり如何、答ふ、利生の有無を以って隠没流布を知る可き也 何ぞ必ずしも多少に拘らん耶」

 と。早く学会涜の広宣流布観から離れ、まず利生の有無をもって流布をはかるべきである。何百何千万にふえても、それは一人の一切衆生という法の世界もある。まず数量で云云される余地のない所に当家の広宣流布をたてるべきではないだろうか。

 また 「信徒への本尊流布」も、本尊の何たるか、大石寺法門の何たるかを確認せずに行なわれるならば、前申すように本尊への不敬へとつながっていくのではあるまいか。私達の論をして、事相にあらわされた曼茶羅本尊をないがしろにしているが如きことをいう人がいるが、とんでもない考え違いである。己心の本尊(つまりこれは戒壇本尊である)を確認せずに、曼茶羅本尊を授与することが、宗旨分を忘れて、宗教分に執着することになり、ひいては、これが本尊への不敬となって山と積れて焼却することにもなるのである。

 また、私達が「本門戒壇の大御本尊は、内拝するよりも、遥拝が本来の姿である」と論じる有様だといわれているが、これは少々違う。内拝とは、本来凡眼に写らざ、る御内証を拝するということであり、単なる室内に入って拝するから室内拝で内拝だと解釈を格下げしてはならないと思う。つまり内拝は遥拝につをがるものである。私達がいうのは直拝である。文字通り直拝は戒壇本尊の拝し方ではないというのである。文章をかえて、意味を違えておいて、「この様に論ずる有様」だといわれてもハタ迷惑を話である。

 戒壇本尊の直拝と遥拝、どちらが大石寺法門に叶い、どちらが大石寺本釆のものであるか、論ずるまでもない。正しく直拝なのであれば、丑寅法門も己心の法門も有名無実になるであろうから、それこそ昭和の新法門でも「構築」するしか道はないのではないか。

 二三、気にかかったところを大村数学部長の発表からひろって、疑問を呈してみた。発表全体が、空虚な漫語をただ並べてある様なものなので、こちらの応待も漫然と流れて、本題に入るべくもないのは遺憾に思う。くり返すようだが、相手論者に公式に応待することなく、仲間うちで悪口雑言するのは、破折ではなく井戸端会議である。

 しかし、これで破折がすむをら、確かに法門の研鑽も何もいらないのかもしれない。並いる宗務支院長クラスが、この教学部長の発表を聞いて、素朴を疑問もわかないのだから、かなり重傷なのだろう。もっとも疑問を顔にだすことも、今の日顕師のもとでは許されないことであろうが。すべては貫主を信ずる「信の一字」。これでは住職、所化学衆に宗学研鎖・学問への情熱が湧かないのも無理からぬことである。本来、当家の信は独一本門をあらわすのであろうが、現在は、極端に程度の低い俗信が独善となってあらわれ、そちらの若手教師は正信会僧侶を謗法の僧侶として呼び捨てにする。私よりも更に若い教師に 「久保川がどうの」と面と向って聞かされた時、日蓮正宗はこのままでは大変を宗旨になってしまうと実感した。聞けば、謗法の僧侶は呼び捨てにするのが宗義に叶うそうである。阿部日顕師は周囲を怒鳴り散し、大村教学部長は宗門外の人を口汚く呼び捨てにし、若手教師は老僧を呼び捨てにする。貫主が振舞い、教学部長が率先し、教師が励行することなら、それが今の宗義なのかもしれをい。内なる悪しき思想は、好むと好まぎるとにかかわらず必ず表面化する。これは一つの現証である。

 

 

 

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