大橋問答への不審と質問



                 大黒 喜道


はじめに


 過日、『大日蓮』昨年10月号所収の大橋問答に就いて感想文を書きましたところ、今度測らずも大橋師御自身より破折問答を頂戴致しましたので、御報恩のためにも一筆啓上する次第です。

 まず、昨年から今年にかけて『大日蓮」や『暁鐘』等において発表された一連の大橋師の著述は、総て奇妙なAB問答形式でなされています。これは、読者の理解に便ならしめんとする著者の親切心より案出されたものと推察されますが、どういうわけか、全く非論理的にして難解なものになりはてています。かくの如き結果が著者の意図に適ったものであるかどうかは本人のみ知るところでありましょうが、ともあれ論理の明快さを身上とする大橋師には相応しからぬものであり、また読者をして徒らに困惑させるだけと思われます。よって、今後は従来のAB問答形式を通常の論文形式に改められまして、その上で御高説を開陳されんことを切に御願い致します。

 さて、前回の感想文の冒頭に、「『阡陌陟記の法門的欠陥を語る』とはあるが、それでは一体真実の大石寺法門とは如何なるものか、それは一向に示されていない」と記しましたところ、ある烱眼の士より、「何を言ってるんだ、大橋師独特の大石寺教学は充分に語られているじゃないか」との指摘を頂戴しました。なるほど、そういえば今度の破折問答でもそれが自由奔放に語られているようですが、不透明を論旨と奇妙を問答形式がその表面化を阻んでいるようです。よって、今は次の三点、


 1、種脱及び事理に就いて


 2、己心に就いて


 3、相即と各別に就いて


に焦点を絞って、まず当方なりに捉えた大橋師の見解を示し、それに対する当方の意見を述べて行きたいと思います。そして、最後に数ヶ条の質問を改めて大橋師に提出し、その応答をお待ちするということにしたいと思います。大橋師にとりましても、実の無い自問自答よりも、当方との真摯な問答の方が余程有益なのではないかと拝察致します。




1、種脱及び事理に就いて



 まず、

 この一段は、前回当方が福重照平師の種脱に対する解釈を″本同益異″の邪義であると主張したのに対して、今回大橋師が福重師の所論を解説されて、それが日忠や日辰の本同益異の説とは、「言葉は同じようでも意義は全く異なる」 ことを論証されている箇処であります。しかし、重要を問題を論ずるにしてはどうも解説が短兵急なるためか、両者の相違が明確にされておらず、この一段を読む限りでは、共々に本同益異の邪義に堕していると思わざるを得ません。

 抑も、文上脱益と文底下種との立て分けは、当家の本尊が独一たることを主張する上で最も重要を事柄であり、なかでも両者の法体の相違を確認することは、当家法門修得の第一歩であるといえます。然るに、またそれは第一の深義なるがゆえに難解であり、もし一度誤ったならば最後いくら技巧を弄したところで、その上に組み立てられたものが結局似て非なるものにおわることは免がれません。このように考えたならば、彼の妙蓮寺日忠や要法寺日辰等の本同益異″の説を、

「是れ大謗法の濫觴、種脱混乱の根源なり」

と、何時になく強い口調で批難された寛師の心情も理解出来ると言うものです。即ち、『観心本尊抄』の、

「在世の本門と末法の始は一同に純円なり、但し彼は脱此れは種なり、彼は一品二半此れは但題目の五字なり」

の御文を解釈した妙蓮寺日忠の

「在世の本門と末法の本門と其の体二つ無し、故に一同純円と云ふ (本同)、誓えば菓と種と不同無きが如し、但し地に下すを種と云ひ梢に結ぶを菓と云ふ、此の不同を判ずる時、被れは脱此れは種と云ふなり(益異)」

という義に対し、寛師は柿核と柿実の譬喩を以て、種脱の法体が体一にあらざることを明快に説明されています。

 ところが、福重照平師は『日蓮本仏論』に、

「又『彼脱此種』の四字を体同益異と解するものが大多数である、理に付して諭すれば体同と云ふことが出来るが、事体行体として論ずるときは正しく体異である」

と述べて、性徳理体としての法体は種脱体同であると明言されているのです。勿論、後述の如く、法体に於いて右のようを抽象と具体″等という通常の事理の分別をあてること自体適当ではありませんが、今与えて論じたとしても、寛師の御意趣からすれば、仮令「理に付して論じても」 「事体行体として論じても」種脱の法体が体同でないことは明白であります。よって、日忠の義と今の福重師の所論は、その表現こそ相違すれ、所述の義は同様に本同益異″と認めざるをえません。

 また、今回の大橋師も、前掲の一段に加えて、

等の言葉から判断しますと、その所説の法体(埋体・一念三千・本体論)は釈尊も天台も、そして宗祖においてもそれは同一であるが、ただその修行論においてのみ相違があると考えられているようです。これもまた、種脱の法体の体異を否定する本同益異の邪説ですが、こうもあからさまに主張され、しかもその上で「宗祖は本体論よりも修行論が中心だ」などと平気でうそぶかれては開いた口も塞がりません。更に、「修行段は特に″時≠ェ重要である」と実しやかに述べられていますが、宗祖が時を択べ″と強調されたのは、文上脱益の権法を捨てて文底下種の妙法を択び取れと言う意であり、それこそ正に″本体論″における所談なのであります。

 さて、このようを種脱の法体同の主張は、取りも直さず法体の事理の混乱に他なりません。それは、寛師が本同益異義が犯す五箇の迷乱の一箇に、「事理の三千の迷乱」を挙げられていることからも承知されます。そして、宥師の『本尊抄記』には、


「事行は只口に唱ふるのみに非ず、当流の事とは事の法体を事に行ずるが故に事なり。謂く、本尊とは自受用蓮祖の色心の全体南無妙法蓮華経なるが故に事なり。是れを事に行じ事に顕わすが故に事なり。若し他流の心は理を以て事に顕わす故に事と云ふ、是れは叶わざるなり。……よって他の本尊を事と云ふことは還って理なり」

と示されて、”理論と実践″ ″抽象と具体″ 観念と実体″と言うように分別される天台通途の事理とは別に、もう一重立ち入った所に当家独歩の法体の事理(種脱の法体の区別)があることを教示されています。

 では、その当家独歩の法体の事理とは一体如何なる分別であるのか。その詳細は先に在勤教師会が発行した『事の法門』に譲りますが、今結論をもっていうならば、『三大秘法口決裏書』や『有師談諸聞書』等に示される事迷と理悟″の法体の事理を以て種脱の法体を区別して行くのであります。よって、「当流の事とは事の法体を事に行ずるが故に事なり」と記される如く、事迷の法体(下種の法体)を事に行ずる、即ち具体化し実践化して行くところに当家の事″の宗旨たる所以があるのです。それに対して、他流、即ち釈尊仏教では理悟の法体(脱益の法体)を具体化・実践化するのを自ら″事"とは言ってはいますが、しかし当家の ″事の法門″から見たならば、それは法体自体が理(理悟・脱益)なるが故に、いくらそれを事に行じたとしても所詮は理の法門″であると判ぜられているのであります。即ち、当家の事理の中には、天台通途の事理に加えて当家独歩の法体に関しての事迷と理悟の事理があり、この二重の事理によって法門が構成されていることが分かります。

 ところが、昨今は種脱の法体の区別が曖昧になるとともに、何時しか事迷と埋悟の法体の事理が消失し、事理はといえば、他門と同様、理論と実践″等として分別される、通途の事理一重のみとなり果てました。そしてこの一重の事理をもって、本来二重の事理で構成されている当家の法門を解釈せんとした結果、そこに摩阿奇怪な教学が出現したという次第です。前に引用した福重師の所述などは正にその典型と言えます。即ち、「(種脱の法体は)理に付して論ずれば体同と云ふことが出来るが、事体行体として論ずるときは正しく体異である」と記されて、天台通途の事理を以て法体の事理(本来、事迷と理悟で分別すべき事理)を解釈されていますが、全く苦し紛れの産物といわぎるをえません。思うに、本同益異と言う大本の誤りがその上に二重三重の混乱を招き、その結果殆ど収拾不可能な状態となってしまったのでありましょう。

 このようを福重師の混乱は、それを信奉する大橋師に確実に継承されています。即ち、

と述べて、普遍的万物共通の理体としての法体を理、それに対して信受(化導・修徳)に約した法体を事として、そこに事の法門の 事″たる所以を求められています。これは全く福重師の混乱と同一轍であり、同時に寛師の本尊抄の講義(研数12・558頁)を見ますと、彼の要法寺日辰流の事理観でもあることが了解されます。全体、このような一重の事理観のみでは、有師の『下野阿闍梨阿聞書』に、


「難じて云く、絶待妙とは無可対待独一法界故名絶待と観じて絶待妙と云ふは独一法界の内証にして理にて候なり、争てか事の宗旨と云ひながら絶待妙の処に宗旨を建立あるべきや。答う、絶待妙に於いて事理の絶対これあり、面々申さるる処の絶待は理の絶待なり、さて当宗建立の絶対は事の絶待なり」

と明かされる ″事の絶待″の解釈は付かないのではないかと心配致します。この一節などは、当家の宗旨が事迷の法体の上に建立されていることを明確に示しています。また、大橋師のように信受・修徳を以て事の法門なるを論じたならば、凡そ修徳を論じない宗門は皆無であり、その意味では還って他門こそ″事の宗旨″ということができましょう。よって、当家法門の特徴が事″と称される所以は、まさに事迷の法体にあることを充分に肝に銘じてゆかなければならないと思います。

 さらに、大橋師は『当体義抄文段』の「信受に約した法体」こそ事の法門の事″であると仰せですが、正確にいえば、『当体義抄文段』には「信受に約した法体」などというものはありません。ただ、寛師は『当体義抄』を解釈するに際し、その前半たる「所証の法を明かす」段をさらに三段に大分され、その第一段を「法体に約す」、第二段を「信受に約す」と題されています。そして、その両者の不同に就いて、

「前に法体に約する意は、信と不信とを簡はず、十界の依正を通じて妙法蓮華の当体とするなり。今は信受に約する意は、不信謗法の類を簡び捨てて、但妙法信受の人を以て別して妙法の当体とするなり」

と述べられて、通別を以て両者を分別されているのです。ですから、寛師はこれをもって法体の事理とはされておりませんので、宣しく御承知おき下さい。

 全体、大橋師はよっぽど天台教学を研鑽されたとみえて、勢い法体までも天台流、迹門流になってしまったようです。正しく、「義道の落居無くして天台の学文すべからざる事」でありましょう。


2、己心に就いて

 

 この一両年、宗務当局の諸師が入れ替わり立ち替わり、盛んに己心″を否定され、しかも今迄その理由が判然としなかったのですが、今回の大橋問答の指摘によってそれが少しく明らかになりました。即ち「己心とは所謂”心であり、心の所作は観念・理に他ならないから、それは天台的であり当家の与かり知らぬところである」というのが″己心″攻撃の教学的理由と思われます。

 これは、何とも驚きました。己心をただの心と誤解されては全くのお手上げです。何故なら、『六披羅密経』にも、

「心の師とはなるとも心を師とせざれ」

と誡められているように、ただの心はこれ煩悩の塊(かたまり)でありますから、其処に法門を立てることは出来ない相談なのです。ですから、己心はただの心ではありません。それは己心″がまたは″内証″と言われ、その″内証″とは心内の証(さとり)であることからも容易に了解出来ると思われます。

 抑も、いくら癇に障るからといって、当家の法門から己心″を追放しょうというのはちと無茶というものです。それは、宗祖の諸御書や諸先師のお書き物を一度でも拝見した者なら、当然の想いでありましょう。その中でも、宗祖が当家本書の依文の意を以て『観心本尊抄』の冒頭に示された止観第五の一念三千の文は、当家の法門が己心の法門と称される随一の依拠と言えます。即ち、


 「夫れ一心に十法界を具す、…‥…此の三千・一念の心に在り、若し心無くんば而巳(やみなん)、介爾も心有れば即ち三千を具す」

と記されており、天台ではこの「一心」に就いて古来より種々の論義がをされていますが、当家の解釈はと言えば、宥師は、


「夫一心とは元初の自受の一心なり。此の一心は南無妙法蓮華経なり。録外に云く、題目は魂なりと云云。在一念心の文の事、末法我等が一念として好し、此の自受の三千・一念の心に在す事。芥爾無心等の文の事、我等信心無んば一念三の具せず。心は刹那の一心、信心の事として好し、池の水に依って月の浮不の譬、芥爾も信有れば三千を具す、依ってましますの意なり」

と教示されています。この御文に依れば、一念三千の「一念・一心」とは久遠元初の自受用身の一心にして南無妙法蓮華経であり、それは同時に末法我等が一念(己心)であるとともに、また一念の信心でもあることが理解されます。そして、この一念信が介爾も有れば其処に三千を具し、結果本尊も具足すると示されるように、三大秘法を含めた総ての法門がこの一念・己心の上に於いて論じられているのであります。それは、『六巻抄』に三大秘法開合の相の例文として引用されている『宋高僧伝』の、

「一心とは万法の総体分かって戒定慧と為り、関して六度と為り、散じて万行と為る」

という一文からも充分理解出来ると思われます。然るに、自家の本尊の所居すら確認出来ない現宗務当局は、己心イコール観念に基づく己心追放運動を躍起になって展開していますが、それがそのまま自宗の本尊を否定し、かつ自らの成仏への道を塞ぐ行為であることには露も気付いていないようです。法門の狂いの恐ろしさを目のあたりにして、正しく慄然とする想いであります。

 また、己心はそのまま内証に置き替えられることは既に述べましたが、今回大橋師は内証・外用の立て分けに就いて、次のように述べられています。

 どうも、かなりの混乱があるようです。先ず師は、内証・外用の立て分けは脱益色相荘厳の身に就いて外用の色相荘厳を迹として嫌い、その内証の尊貴を言う必要からの区別であり、下種仏は内証イコール外用であるからそんを立て分けは無いと考えられているようです。しかし、残念ながらこれは全く逆の話です。大体、脱益の色相荘厳の仏に内証・外用の立て分けがあるなどと言う話は、未だ曾て聞いたことがありません。若し、大橋師の「外用を否定されたのは脱益の外用を色相荘厳は迹”と言われた」 (昨年10月号『大日蓮』57貢)との御発言が、『御義口伝』や『六巻抄』等の御文を解釈された上でのものでしたら、それは全く誤った解釈です。当家で色相荘厳は迹″と言うのは、何も脱益の仏に内証と外用を分かってその外用を迹とすると言う意ではなく、脱益の仏そのものが下種の本仏と相対した時、それは迹なるが故に当家に於いては色相荘厳″として嫌うのであります。それに対して、宗祖の場合は、


「若し外用の浅近に拠れば上行の再誕日蓮なり、若し内証の深秘に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり」

との寛師の御示しの如く、その内証と外用を厳然として分かち、「外用の浅近」を払って 「内証の深秘」に拠って宗祖を久遠元初の自受用報身と拝して行くのであります。もし、この立て分け無くして鎌倉日蓮を見るならば、宗祖はどこまでいっても名字の凡身たることは否定出来ません。よって、寛師は末法の本仏を詮じ顕すために、その著述の随所においてこの内証己心と外用の立て分けを明示されたのであります。今回の大橋師の発言は、そのようを寛師の御意趣を一言のもとに踏みにじるものでありますが、自らの数学を、「寛尊の法義に寸分も相違するものではありません」と自負される大橋師は一体何処へ行ってしまわれたのでしょうか。

 また、色心不二なるが故に一仏(宗祖)の体内においては己心(内証)も肉体(外相)も一体不二であると述べられているのを見ると、師は己心を色心の心″と捉えておられるようですが、既述の如くそれは誤解です。いま明証を提示するならば、寛師は『当体義抄文段』に、


「問う、因果倶時不思議の一法とは其の体何物ぞや、答う、即ち是れ一念の心法なり。………当に知るべし、この一念の心法とは即ち是れ色心惣在の一念なり、妙楽が惣在一念別分色心摂別入惣等と云うは是れなり」

と説かれています。即ち、この「一念の心法」とは自受用報身の一心であり、既出の宥師の御文に拠れば、それはまた末法我等が一念・己心に当たるのであります。そして、この 「一念の心法」(己心) は正しく「色心総在の一念」であると示されているのです。よって、色心に就いて大橋師は、鎌倉宗祖において内証己心を心、肉体を色と立て分けておられますが、寛師の御意によれば、外用浅近の肉身を払って宗祖の内証己心を自受用身と拝し、そこに色心は惣在していると理解すべきであります。どうも寛師は、大橋師のように色心不二の色を鎌倉宗祖の肉体とし、そこに内証己心と同等の価値を認めるという考えをお持ちではなかったようです。まあそれは、肉身は決して常住でありえをいと言う常識を持つ人ならば、当然のことではありましょうが………。

 さらに、大橋師は下種仏は倶体倶用の無作三身であるから内証イコール外相であるとし、その論拠として 『当体義抄文段』を見よと指示されています。それは多分、宗祖が、

「正直に方便を捨てて但法撃経を信じ………」

に始まる有名を一文に示された「倶体倶用無作三身」のことを指すと思われますが、よくよく文脈を見なくてはなりません。この御文の最初たる右文、即ち「正直に方便を捨てて但法華経を信じ南野妙法蓮華経と唱ふ」とは取りも直さず一念信″ のことです。ですから、それに続く「三道を三徳に転ずる」とか 「三観三諦即一心に顕われ」、また 「倶体倶用無作三身」や「本門寿量の当体蓮華仏」等は総て宗祖及び我々の一念信、即ち内証己心の上に論じられているものであることがわかります。このように、当家の法門は一から十まで内証己心における話なのです。特に、重要な御書を拝読する場合はこの事柄に留意すべきでありましょう。『三大秘法抄』を一依拠として国立戒壇論を主張する妙信講の姿などは、正に内証己心を忘失した一典型と言えます。

「愚人の正義に違うこと普も今も異ならず、然れば則ち迷者の習い外相のみを貴んで内智を貴まず」

との宗祖のお叱りが今にも聞こえる思いです。



3、相即と各別に就いて

 

 今度の大橋問答に論理の明快さが著しく欠落していることは冒頭で触れましたが、その中でもこの三秘の相即と各別、そして師弟の不二と而二に就いて述べられた処は、実に難解の極みであります。いま、どこまで大橋師の考えを解きほぐすことが出来るか、その当否は師の返答論文を待って判断するほか仕方が無いようです。

 まず、右引の前文に依れば、三秘の相即・各別に就いて大橋師は、その相即とか円融は法体や理法に約して言うのであり、それに対して戒壇とか板曼荼羅は信受に約して論ずるものであるから三秘各別である、と述べられているように受け取れます。建築物としての戒壇、物体としての板曼荼羅が三秘各別であるとの意でしたら、それは当方も大賛成です。しかし、右引の後文では宗祖が唱えた題目は三秘相即で.あると言明されており、また他処の論調から見ても、物に現われた戒壇・本尊・題目はそれぞれ三秘相即であると考えられているようです。

 抑も、三大秘法を中心とした当家の法門が、総て内証己心と言う基調の上で語られていることは、既に述べた通りです。然るに、この内証己心とは一体如何なる世界かと言えば、それは信の一字によって現わされる絶待平等の世界であります。それに対し、外相・現実は、

「世間とは即ち是れ差別の義なり」

と示されるように、それはどこまでいっても相待差別の世界なのです。いま、有師の御言葉に依ってこれを立て分ければ、

「貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり(内証己心)、然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか(外相・現実)」

となろうかと思われます。そして、この両者(これを換言すれば、宗旨分・宗教分となります)はどのようを関係にあるかと言えば、誓えば院師の御手紙に、

「所詮三聖の御内証違背無き様に善巧方便有らん者か」

とあるように、内証己心(三聖の御内証)は宝処たる独一法界であり、一方、外相・現実はその為の化城、即ち内証己心の裏付けを待った善巧方便であると考えられます。よって、内証己心に違背し遊離した外相・現実は善巧方便にもあらぎる邪義と言わぎるをえません。

 いま、三大秘法に就いでこれを見るならば、まず伝教大師の、

「虚空不動戒、虚空不動定、虚空不動慧、三学倶に伝うるを名づけて妙法と云う」

との御言葉や、寛師の、

故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり」

等の御示しに拠れば、三学及び三秘はそれらが相即し総在しているところに本義があることが知られます。そして、この相即・円融とそれに相対する各別・隔歴との間には、厳然と勝劣があることもまた否定出来ません。それは、別教所説の隔歴三諦と円数所説の円融三諦とに勝劣があり、隔歴三諦は方便にして円融三諦こそが真実義とされることからも分かります。よって、これに準ずれば各別の三秘と相即の三秘の間にも、各別の三秘があくまでも師が弟子を導く為の善巧方便であり、その真実は三秘相即にあると言う両者の関係を認めざるを得ません。しかも、この相即と各別の三秘は、そのまま前述の内証己心(宗旨分)と外相・現実(宗教分)との立て分けにあてはまります。即ち、三秘の相即・総在が絶待平等の内証己心における所談であるのに対し、外相・現実は相待差別の世界なるがゆえに三秘はどうしても各別にならぎるを得をいのであります。

 大橋師は、前回の問答でも「宗祖がお認めになる御本尊」や「宗祖が口唱の題目」という外相・現実における産物を総て三秘相即と規定されていますが、いまの説明でそれが不可能であることが御理解頂けたでしょうか。このようを師の考えは、全く宝処たる内証己心を忘失し、その結果本来は化城にすぎない外相・現実の産物をこれこそ真実の宝処と誤見している姿に他なりません。一体全体、宗祖(別に我々でもよいのですが)が口唱の題目に、どのようにして他の戒壇や本尊が相即・円融するのですか。一度、師にその具体的を相貌を示してもらいたいものです。

 さらに、大橋師は師弟の不二而二に就いての所述においてもこれと同一轍の誤りを犯されています。即ち、

と記して、当方の主張が相即・不二ばかりであって、そこには各別・而二の面が欠落していると言う興味深い指摘をされています。前の三秘に於いては自分達が三秘相即論者なることを盛んに強調されていましたが、今は一転して各別論者に変身されたようです。これも、本来相即・不二を論ずべき内証己心を自らの手で排斥した結果であり、外相・現実の一本化が各別・而二の面を偏重することとなったのではないかと察せられます。

 然るに、師弟一箇が末法我等の即身成仏の要道であることは、『本因妙抄』に、

「伝教の云わく、仏界の智は九界を境とをし、九界の智は仏界を境とをす。境智互いに冥薫して凡聖常恒なる、是れを剃那成道と謂う。三道即三徳と解すれば諸悪儵ちに真善なり、是れを半偈成道と名づくと」

と記され、また『御本尊七箇之相承』には、

「真実の十界互具は如何。師の曰わく、唱えられ給う処の七字は仏界なり、唱え奉る我等衆生は九界なり。是れ則ち四教の因果を打ち破りて真の十界の因果を説き顕わす云云。此の時の我等は無作三身にして住寂光土の実仏なり」

と明かされて、仏界の師と九界の弟子が互具し境智冥合したところに当家の刹那半偈の成道があると示されていますから、それは大橋師とて否定されないと思います。しかし一つ誤解の無きよう、前の三秘の相即・各別でも述べたように、今の師弟一箇も、あくまでも内証己心における話であります。それに対し、現実の師弟の在り方がどこまでも而二・各別なるは当然であり、もし其処に一箇を論じようとすればかなり下卑た話になりさがります。内証己心を否定される大橋師などは、その危険性が多分にありますからくれぐれも用心して頂きたいと思います。

 また、一連の宗務当局側の主張に則って、大橋師も板曼荼羅と久遠元初の自受用身との人法体一を高言しておられますが、諸学に精通して常識豊かを師が「物体」としての板曼茶羅を常住と考えられているとは信じられない思いです。何の為の学問なのか、つくづく残念でなりません。


質 問



 大橋師に対しまして、左記の質問を提出致します。なお、最初に記しましたように、返答は通常の論文形式で認められまして、必ず『大日蓮』誌上にてお願い致します。


1、種脱の法体は同か、異か。


2、有師が言われる「事の絶待妙」、寛師が言われる 「法体の事」をどう解釈するのか。


3、「本果妙が劣っており本因妙が優れていると本宗でいうのは何故」か。


4、前回、当方は『末法相応抄・上』にある時節混乱の失″の一段に対する大橋師の解釈が間違いであることを指摘したが、それについて訂正するのか、しないのか。


5、建物としての戒壇、物体としての本尊、口唱の題目は三秘相即か、各別か。若し相即というならば何故か。

6、日忠・日辰の本同益異義と福重師の義が全く異なることを明快に示してもらいたい。


7、寛師が『六巻抄』等で宗祖について内証・外用を立て分けられているのを、どう会通するのか。


8、宗旨・宗教に対する当方の解釈を「大謗法の法義」といっているが、それでは大橋師の言う正義を述べよ。


                     以上


  
お わ り に




 俗に「ボタンの掛け違い」と言って、最初のボタンを掛け誤るとその後は次々と違ってしまい、結局どこまでいってもそれは正しい形に戻らないのです。

 今回、大橋師の破折問答、及びそれに関連して福重師の『日蓮本仏論』を拝読して、そこに語られている教学が全くこの類であることを痛感しました。即ち、第一の根本である法体での混乱が、そのままと言うよりは一層増幅して次々と連鎖反応してゆき、結果的にはその数学全体を本来の正義とは似てもつかない姿に変貌させてしまっています。よって、それを正常化しようとするならば今あるものを総て捨離し、その上で一からやり直す以外に方法はありません。

 聞くところに拠りますと、大橋師は若い頃より福重師の所説に傾倒され、その理解の為に大変努力されたようですが、抑もそれが誤りでした。それほどの情熱をお持ちをら、何故直接有師や寛師に取り組まれなかったのでしょうか。少しでも寛師を繙けば、忽ちにして福重師の数学が混乱の教学であることが知られましたのに。師はその混乱の数学を正義と誤認し、更にその上に自らの混乱をも招かれてしまいました。これもまた「ボタンの掛け違い」であります。

 大橋師におかれましては、若僧の戯言と思われず、『事の法門』を一度精読されんことをお勧め致します。多分、それが「ボタンの掛け違い」を正す、その第一歩になり得ると思い鼓すから。

 

 

 

 

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