大橋論文の混乱に思う


大黒 喜道


はじめに


 今回、「大日蓮」10月号所収・大橋慈譲師著「阡陌陟記の法門的欠陥を語る」を通読しまして、粗次の三点を感じました。

 先ず第一点は、「阡陌陟記の法門的欠陥を語る」とはしながらも、それでは一体真実の大石寺法門とは如何なるものか、それに就いては一向に示されておりません。これは何も今回の大橋論文に限らず、一連の論戦に於ける宗務院側の一貫した姿勢でありますが、これでは同じ「大日蓮」10月号『編集後記』の、「この論文を一読されることによって本宗の根本的を法義の一端を解していただければと思い」との折角の意図も叶わず、と心配致します。

 第二点は、大橋師の所論が専ら後述する所の明治教学に依拠しており、正宗僧侶ならば当然拠り所とすべき有師・寛師の仰せを全く用いていない、と言うことです。但し、碩学の誉れ高い大橋師ですから「六巻鈔」はよく勉強なされているとみえて、「時節の混乱」に就いての寛師の考えを説明されていますが、後述の如く、根本的な誤解をされていることは実に残念であります。

 そして第三点は、意識的か否かは判然としませんが、法門を語るに相応しからぬ哲学用語を駆使したり、又は「阿含経」等を重用したり等々、かなり混乱されています。況してや、当家法門の大原則たるべき釈尊仏教と宗祖の民衆仏法との立て分けなどは殆ど無視されており、甚だ危険と憂慮せぎるを得ません。

 全体、大橋師は西洋哲学や中観哲学に深く通暁されているようですが、それがその侭当家の法門と結び付くことは、頗る困難と思われます。今回の論文も7頁の短篇ながら、このようを混乱が全体に横溢しています。よって、本論文に基づく講義が教師講習会の席上、堂々と1時間に亙って行なわれたというのはどうも理解に苦しむと共に、現宗門教学の混乱をも垣間見る思いです。今は、自らがこのような混乱に引き込まれるのを恐れながらも、要点を絞って思う所を述べてみたいと思います。


明治教学への疑義

 大橋師は「明治仏教」と記されていますが、多分「明治数学」を誤解されたものだと思います。

 抑も、現宗門教学の混乱とそれに伴をう創価学会の諸問題の根源は、明治時代に勃興した新教学に求めねばなりません。言うまでもなく、明治時代は日本人が西洋文明の荒々しい洗礼を、開国によって初めて受けた時代です。そしてこの荒波は、それまで日本宗教界の主導的地位を保持して来た仏教界を特に驚愕させ、キリスト教並びに西洋哲学との対立・調和と言う問題が仏教界を席巻したのが、この時代でありました。確かに、仏教界はその荒波の中で自身の近代化を遂げて行ったのではありますが、悲しい哉、西洋文明は物質偏重の文明でありました。その為、その洗礼を受けた仏教自身が自然と彼の傾向を帯びたであろうことは容易に想像されるところであり、それは明治30年代、その物質偏重の時代思潮を憂えた清沢満之の創唱に依る精神主義等の出現によって理解されます。この種を仏教界全体の趨勢の中で当宗のみ例外という塩梅には行きません。曽て、他宗他派が激烈な宗教闘争・政治闘争の中で次々と失なっていったにも関わらず、歴代諸先師方とそれを外護する大衆との努力によって600年間守り伝えられて釆た当家の内証己心を基調とした法門は、この巨大を物質文明の影響によって次第にその内証己心を忘失し、結果外相中心の数学へと変貌して行ったのです。それが明治教学であります。この明治数学は一体我々に何をもたらしたか。彼の教学が無意識の内に捨ててしまった内証己心とは、所謂文底・元初であり、それは又末法愚悪の衆生の成仏の場であります。よって、三秘総在の戒壇の大御本尊並びに末法本仏の日蓮大聖人も此処に御座す。然るに、その肝心の場が消失してしまったのですから大変です。勿論、民衆の成仏は叶いませんし、又本尊及び本仏もその住処を奪われたが故に、仕方無く外相へと迷い出てしまったのです。ここで登場するのが板曼茶真偽論であり、宗祖肉身本仏論であります。今はその一例として、宗祖肉身本仏論を取り巻げてみることにします。

 先ず、堀日亨上人の「三重秘伝鈔」の注解には、


「人法体一とは、名は一つで義は広いのであるが今は凡身と一念三千との人法一箇、宗祖大聖と妙法との人法体一とを取るのである。併し此義は凡情に超絶するから諸門家多く此を肯定せずして此の人法を隔離し空漠の理想に走り仏祖の命根を割くやうを有様に陥っておる」

 と記され、久遠名字の妙法を法本尊、凡身の宗祖を人本尊と配されています。又、福重照平師の「日蓮本仏論」には


「所詮末法の法華経の行者日蓮を凡身の真仏と認めるに於て、初めて九界に籍を置く事本覚の出尊形仏を拝し得られるのである。(中略)聖祖は凡夫身の仏陀である、凡夫身の本仏である」

 と述べられて、鎌倉出現の宗祖をその侭本仏と規定されています。曽て、「己心の法門」に対して「それは観念論だ」との批判を頂戴しましたが、このようを宗祖の肉身を以て本仏と考える方こそ正に観念論と言わぎるを得ません。何故なら、仮令宗祖と言えどもその肉身は三世常住ではありませんから。当家の宗祖本仏は、実に内証己心の上での所談であります。それは、宗祖御自ら「開目抄」で、


「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて」

 と仰せになって、凡身・外相を払われ、魂塊・内証己心に於ける所談と強調されていることからも知られましょう。「日蓮といゐし者」(外相・肉身)が本仏なのではありません。当家では、「魂塊」(内証・己心)の上に本仏自受用身を拝して行くのであります。この立て分けが確然となされなければ、次の「末法相応鈔」の一段は理解出来ません。即ち、要法寺日辰が、


「著し蓮祖を以って本尊とせば、左右に釈迦・多宝を安置し、上行等脇士と為る可きなり、若し尓らば名字の凡僧を以って中央に安置し、左右は身皆金色の仏菩薩ならんや云云」

 と述べて、若し肉身日蓮を本尊としたならば、その左右の脇士の釈迦多宝等が金色では可笑しいではないか、と難じたのです。それに対して、寛師は、


「今謂わく、御相伝に、本門の教主釈尊とは蓮祖聖人の御事なりと云うは、今の此の文の意は自受用身即一念三千を釈するが故なり。誰が蓮祖の左右に釈迦・多宝を安置すと言わんや」

 と述べられて、当家に於いては鎌倉出現の宗祖の内証たる元初自受用身を、本門の教主釈尊とも称して本仏と立てるのであって、鎌倉出現の宗祖そのものを以て即本仏と見做すのではないと教示されています。「六巻鈔」全体を拝すると、そこには日蓮大聖人の呼称に就いて、蓮祖・蓮祖聖人・蓮祖大聖人・南無日蓮大聖人等の立て分けが意識的になされていますが、当文に於いても「蓮祖聖人」と「蓮祖」との呼称及び内容の相違を把握しなければならないと思います。寛師は、右文に続いて十四の反語を以て日辰の邪難を破されていますが、その中の、


「日辰如何んぞ但示同凡夫の辺を執して本地自受用の辺を抑止するや」


「日辰但色相に執して真仏の想いを成す」


「法蓮抄に云わく、愚人の正義に違うこと昔も今も異ならず、然れば則ち迷者の習い外相のみを貴んで内智を貴まず」

 等の諸文は、内証己心を忘失して外相中心となってしまった明治数学の宗祖肉身本仏論が多分に要法寺日辰流であり、それは又、当家法門の中興たる寛師の所破に当たることを表わしています。

 更に、このようを内証己心の喪失に依る混乱は、宗祖と不軽菩薩の関係にも累をおよぼしています。即ち、福重師の「日蓮本仏論」を見ると、


「第一聖祖と不軽の相違は多々あります。彼は初随喜、此は名字。彼は像法、此は末法。彼は悪口罵詈、此は死罪遠流。彼は二十四字、此は五字七字等です。位といひ、時といひ、受難といひ不軽と聖祖とは同等とは考えられません。(中略)そこで聖祖は不軽を借りて本因妙を説明せられた、根本下種を証明されました」

 と述べられて、宗祖と不軽菩薩との相違を強調されています。然るに、宗祖御自身は、


「日蓮ハ是法華経ノ行者也。紹継スルカ不軽ノ跡ヲ之故ニ、軽毀スル人ハ頭破レ七分ニ信スル者ハ福ヲ積マン安明」


「法華経ハ三世説法ノ儀式也。過去ノ不軽品ハ今ノ勧持品、今ノ勧持品ハ過去ノ不軽品也。今ノ勧持品ハ未来ニ可ル為不軽品。其時ハ日蓮ハ即可シ為ル不軽菩薩」

 と仰せになって、不軽菩薩は即日蓮たることを明かされています。但し、これは宗祖の外相の所談であって、即ち鎌倉出現の宗祖はどこまで行っても折伏修行の”法華経の行者”であると言うことです。この意味で、自身は不軽菩薩であると示されたのであります。よって、この意を踏まえたならば、内証上行・外相不軽と立て分けることが出来ます。そして、「化儀抄」を始めとする有師談諸聞書等に見られる、威音王仏末法の不軽即釈迦仏末法の日蓮、不軽の礼拝即日蓮の題目等の趣旨も、この立て分けの上に成り立つのであります。このように見てくると、福重師の「聖祖は不軽を借りて本因妙を説明せられた」という考えは、内証己心と外相との混乱に他なりません。実際、鎌倉宗祖の肉身を本仏と見立てたならば其処には不軽菩薩などは入る余地が無い訳であり、その意味からすれば、最近の不軽無視の方向も大方理解出来るというものです。

 因みに、今回の大橋論文の中に「時間について」と題されて、「末法相応鈔」(上)で一経読誦の許否に就いて日辰が不軽菩薩を例証として起こした疑難に対し、寛師が″時節混乱の失″と反語されている一段を大橋師が解釈されています。即ち、「寛尊が不軽菩薩について『時節の混乱』と言われたのは、同じ折伏でも、不軽の折伏は威音王仏の像法(脱益)であり、宗祖のは下種益の折伏であるとして、種脱相対しての時節を問題にされたのです」と述べておられるのですが、全体何か感違いをされているのではないでしょうか。当段に於いて寛師は、要法寺日辰が多劫を隔てる威音王仏の不軽菩薩と雲自在王の不軽菩薩を混同していることを指摘して”時節混乱の失”とされているのです。よって、当段に関する限りは宗祖や種脱相対等を論ずる必要は無いと思われます。念の為、悪しからず。


 今は、本来当家の法門がその基調としていた内証己心を捨離した明治教学が、専ら外相に執着して作り上げた宗祖肉身本仏論を少しく検べてみました。結句、肉身本仏とは当家所立の本尊・本仏がその本来住処たるべき内証己心を剥奪されて、仕方無く宗祖の肉身へと迷出してしまったと言う具合ですが、流石に肉身だけでは心元無かったと見えます。もう一度、「日蓮本仏論」に目を投じてみると、


「此の本仏は単に個体性の仏陀ではありません。個性と逼於法界普遍的の大霊体の結付です」


「さうして一切衆生に、無意識ながら無始以来常住に受用しつつある宇宙の大霊体を確認せしめ、方法同帰寂光の実を挙げ其の即身成仏を成就せしめんと、念々不退に思惟し化導してゐられるのが釈尊と聖祖、二而不二の本仏だといふことになる」

 等の記述が見られ、どうも福重師は当家の本尊並びに本仏の本拠を宇宙・虚空の大霊体に求められているようです。これは、一つには久遠実成と久遠元初の立て分けの不成立の所産とも推察されますが、何分妙楽大師の所判に、


「非謂ニハ太虚ヲ名テ為円仏」とありますから、甚だ危険と言わぎるを得ません。今の大橋師の論文には、


「本書は一体に、なにかこう、宗祖の外に別に観念的に全知全能なキリスト教的創造神のような久遠元初の自受用身を想定しておりますね。(中略)仏教では、そのような宇宙創造主のような実体論を排除いたします」

 と述べられていますが、宇宙の大霊体に本仏を求める福重師の所論の方が、余程キリスト教的宇宙創造神のようなものを想定していますし、又それは観念的なのではないでしょうか。ともあれ、右のようを宗祖肉身本仏論や宇宙の大霊体の強調は、我々末法の衆生と本尊・本仏との隔絶に他なりません。この辺りから、


「けれども久遠元初の妙法五字は、釈尊の己心にも、乃至川澄氏の己心、大橋の己心にも存在しません。ただ独り宗祖の己心にのみ存在するのです」

 というようを説も出て来るのではないかと思われます。大橋師個人が、自らの己心に久遠名字の妙法が存在しないと信仰告白されるのは自由ですが、他人にそれを強要するのはちと残酷と言うものです。何故なら、宗祖は、


「此御本尊全く余所に求ムる事なかれ。只我等衆生、法華経を持チて南無妙法蓮華経と唱フる胸中の肉団におはしますなり」

 と仰せですし、第一我々衆生の己心に久遠名字の妙法が無ければ成仏が叶いません。宗祖御自身、日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外、未来までも流布して、一切衆生の無間地獄の道をふさぎぬと仰せなのにも関わらず、これでは全く虚仮の論に帰してしまいます。尚、右の文中、大橋師は宗祖の己心に久遠元初の妙法が存在すると言われていますが、他の箇処では盛んに”己心”を否定されています。どちらが真意をのか、その子細は分かりません。

 以上、明治教学の本仏観の誤りを、現在でも大きい影響力を持つ福重照平師の「日蓮本仏論」を少々引用して見てきました。そして、このようを内証己心を喪失して外相一本槍の上に立てられた明治教学は現在でも受け継がれており、それは「日蓮正宗要義」等を一読されれば分かると思います。しかも、ただその侭引き継がれているだけならまだしも、貫主本仏や会長本仏等の邪義は、全く明治教学の宗祖肉身本仏論の展開と思わざるを得ません。それは、恰も彼の清水梁山が「六巻鈔」の読み損いから宗祖肉身本仏論を提唱し、引いてはそれが「天皇本尊論」へと展開して行ったのと軌を一にしています。

 このようを明治教学の外相偏重化は、取りも直さず宗祖以来の民衆仏法の貴族仏教・釈尊仏教への回帰に他なりません。しかも、既述の如く、それは明治期という一つの時代の趨勢の然らしめた所であり、張本人である宗門人自身には殆どその意識が無かったという所に、今日の悲劇の根源があるようです。よって現宗務院側の人々は、伝説的を唯授一人血脈の付法共々、現在の宗門教学が宗祖以来の七百年間、寸分も違わず守り伝えられて来たものという錯覚に陥っています。これでは創価学会の邪義を批判し、呵責することなど出来ようがありません。何故なら現在の宗門教学も、そして創価学会数学も、共に内証己心忘失・外相一点張りの明治教学の変形・発展であるからです。今はこのようを背景を踏まえて、現今の宗門問題の源流である明治教学への疑義を簡単に述べてみた次第であります。



 
大橋論への疑義細々


 今回の大橋師の所論がかをりの混乱に満ちていることは既に述べましたが、中でも特に目に付いたものを数点拾い上げてみたいと思います。

 先ず、彼の田中智学の国立戒壇論は富士からの影響である旨を述べられていますが、現阿部体制側の一旗手たる大橋師がこのようをことを白昼堂々と高言されてよいのでしょうか。何故なら、去る10年前の昭和47年6月に阿部日顕師が教学部長時代に物された大著「国立戒壇論の誤りについて」の中で、国立戒壇論は国柱会の田中智学の創唱であること、そしてそれが大石寺に自然流入したのであって、決して富士本来の教養ではないことを明言されているからです。唯々、大橋師が擯斥などと言う馬鹿気た破目に陥られないことを祈るのみであります。

 抑も、明治期以降、宗祖は建長5年に本門の題目を、又弘安2年には本門の本尊を顕わされ、そして残った本門の戒壇に就いては後世の弟子に託されたと言う、三大秘法各別の考えが一つの常識となっています。これは元来内証己心に受持されるべき三大秘法が、既述の本仏同様、無理に外相に引き摺り出されて三大顕法となり、それに伝教大師の定慧存生・円戒滅後が一つのモデルとなって創唱されたものと察せられます。と言うのも、寛師は「依義判文鈔」で、


「凡そ戒定慧は仏家の軌則なり、是の故に須臾も相離るべからず」

 と明確に記されています。されば三学、即ち当家の三大秘法は仮令一瞬たりとも離れるべきではなく、常に相即し円融していなければならをいものです。然るに、宗祖は本門の戒壇を御在世中は建立されず、御遣命として後世の弟子に託されたと言う考えは一体どういう訳でしょう。右の寛師の三学不相離・一大秘法相即との御意趣を踏まえたならば、宗祖はその御存命中に三大秘法、即ち三秘相即の一大秘法を顕わされたと拝するのは当然であります。但し、それは内証己心の仏国土に立てられたのであって、外相現実の日本国にではありません。そして、三秘相即の一大秘法とは、


「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御本尊」


「さて熱原の法華宗二人は頚を切られ畢ぬ。その時大聖人御感有って日興上人と御本尊にあそばす」

 と言い表わされる所の、宗祖開山師弟一箇の内証本尊であります。よって、宗祖は御自ら「出世の本懐」と宣言されましたし、寛師は、「戒壇の本尊の南無妙法蓮華経と称されたのです。

 しかし此処で誤解の無き様、だからと言って寛師が富士山に建立せよと示された「事の戒壇」を否定するものでは決してありません。ただ、事の戒壇は三秘ではなく、飽くまでも六義の一つであり、それは又内証己心の三秘相即の義を踏まえた上での善巧方便(外相)である、と言うことです。ですから、事の戒壇たる富士山戒壇建立が即戒壇の本義であると考えるのは、内証己心の法門的裏付けが欠落した空論であると言わぎるを得ません。そして、事の戒壇を以て、即戒壇の本義と決定した時点で、当家本来の教養ではない国立戒壇論などが介入する隙が出来たのであり、結果的には好いように振り回わされたと言う訳です。此処にも又、明治教学の遺謬を認めざるを得ません。よって、一時期なりとも国立戒壇論などと言う下らをい邪義が宗内を席巻したと言う事実を、我々はもっと真剣に深く反省せねばならをい、と大橋師に進言するものです。


「戒壇の建物を別に建てたら戒壇が別になるとか、本尊も題目も別立になると言っておりますが、では宗祖がお認めにをる御本尊、宗祖がロ唱の題目は、唱えたその途端に三秘各別であって、三秘相即のものではなくをるのではありませんか」

 全くその通りです。但し、宗祖の場合はこれら各別の三秘の裏付けとしての三秘相即の内証本尊、即ち戒壇の大御本尊が己心に御座すから安心です。然るに、それを拝して行く方の我々がその宗祖の内証己心を忘失して外相のみに執着し、尚曽つ本来内証己心に立てられている戒壇の大御本尊を単なる板曼茶羅(三秘各別・外相)と誤見した時、その時に起こるのが板曼茶羅真偽論であります。本尊というものを全て、ただ宗祖御自ら認められて弟子檀那に与えられた板や紙の曼茶羅とのみ考えると、其処は凡情で、それでは真か偽かと言う話が出てくるのです。昨今新登場の万年講などは全くこの類です。但し、三秘総在の戒壇の大御本尊はこの範疇には御座せん。何故なら先に述べた如く、戒壇の大御本尊は宗祖開山師弟相寄って内証己心に立てられているからです。その戒壇の大御本尊が内証己心より押し出されて、単なる外相に表われた枚曼茶羅となれば、それは最早三秘相即でないことは自明の理です。況してや佐渡始顕の本尊、万年救護の本尊等に於いてをや、です。大橋師のように、全ての本尊が三秘相即と考えるならば、別に板曼茶羅ばかりにしがみつく必要は無いと思いますが、如何がでしよう。本尊とは、最終的には自らの己心に証得するものであることを、もう一度考え直して行かをければならないと思います。

  次に、大橋師は他人を救済出来なければ成仏は叶わないとの旨を述べられていますが、これは一体どこの話ですか。まさか当家のことではないでしょう。


「仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱え奉るべき者なり」


「法華宗は不軽の礼拝一行を本となし受持の一行計りなり」

 等の宗祖並びに御先師の仰せを頂戴する当家の者ならば、仮令説黙相対≠ネどと言う難しいことは知らなくとも、余行不雑の南無妙法蓮華経の受持唱題行に依ってのみ成仏が叶うことは、初信の者でも心得ています。第一、我々に他人を救済するなど、そんを大胆をことは出来ません。何しろ我々は、


「法華宗は能所共に一文不通の愚人の上に建立有るが故に」

 と示される「一文不通の愚人」ですから。此処でも又、宗祖の民衆仏法が貴族仏教への堕落を強要されているようです。ただ混乱のみと痛感します。

 又、「師弟子の法門」と題して勘所を述べられている一節は、一体何を言われたいのか全く理解出来ません。ただ、一箇は空であるから師弟一箇の強調は誤りであると述べられているようです。宗祖は、


「乞願クハ歴ー見来輩師弟共ニ詣テ霊山浄土ニ拝見シタテマツラン三仏ノ顔貌ヲ


「互為師弟歟」

 と仰せになり、開山上人は、


「なをなをこのほうもんは、しでしをただしてほとけになり候」

 と示されて、師弟相対・互為主伴の処に成仏があることを明かされています。師弟子の法門が、謂わば当家即身成仏の要道であることは疑いようがありません。よって、有師は、


「師匠有れば師の方は仏界の方、弟子の方は九界なる故に、師弟相向かう所中央の妙法なる故に、併ら即身成仏なる故に他宗の如くならず、是れ則ち事行の妙法、事の即身成仏等云云」

 等と仰せになって、他宗と相違して当家は師弟共に三毒強盛なるが故に、その師弟相向かう所に事行の妙法、即ち内証本尊たる戒壇の本尊が成ずるのであり、それが事の即身成仏であると教えられています。このようを宗祖を始めとして御先師方の御言葉を拝すれば、下らない煩鎮な解説などは今更必要無いと思います。全体、大橋師は全てを物と捉え、その外相のみを見ておられるから「存在云云」と言う話になるのです。もっと自らの胸襟をひらかれて、其処に信の一字を発見されんことをお勧めします。何故なら、それが内証己心であり、当家の法門は一つ残らずその中で語られているのですから。

 因みに、福重師の 「因果は異時現たること」と言う説明は、本因本果は一体の陰陽にして任運に循環往来するものと言う師の考えを開陳されている所にあります。然るに、このようを本因妙日蓮と本果妙釈尊が一体の陰陽であると言う福重師の説は、


「二者本果妙釈尊を中心とするか本国妙日蓮を枢軸として転ずるかの相違はあれ、其体全く一である」


「富士門流に立つる日蓮本勝釈迦迹劣の名目は本体論ではない、化導の上の話です」


 と言う考えの上に成り立つものですが、これは全く寛師が「観心本尊抄文段」に於いて、


「是れ大謗法の濫觴、種脱混乱の根源なり」

 と喝破された妙蓮寺日忠や要法寺日辰の”本同益異″の説に他なりません。寛師は、同処に於いて米籾の誓え等を引かれて種脱の法体の相違を明かされていますが、結局は事迷と理悟の法体の混乱と思われます。現在は、「日蓮正宗要義」に依る限りは本同益異″の義は見られませんが、事理の混乱に於いては福重師と同様であります。

 更に、大橋師は「宗旨分と宗教分」に就いて、そんなものは本宗に関係ないから捨て置けとのことですが、これはちと言葉が過ぎるのではないでしょうか。当家の法門はと問われれば宗旨の三箇・宗教の五箇と答えるように、当家では何はともあれ、先ずは宗旨と宗教との立て分けを以てその初門とするのであります。よって、永師はその御消息に、

「宗旨宗教両門法則無相異様二得御意・書付なといたし可被申候」

 と記され、又寛師は、


「宗旨の三箇経文分明なり、宗教の五箇の証文如何。(中略)答う、今略して要を取り応に其の相を示すべし、此の五義を以って宜しく三箇を弘むべし云云」

 と述べられて、宗旨とは内証己心の三秘・法体に関する所談であり、それに対して宗教とは三秘を弘める為の外相の所談であると教示されています。然るに現在は、このようを法門の根本に関わる立て分けは殆ど消滅しています。仮令一応の区別はあっても、宗教とは神仏を崇拝・信仰して儀式を行をう制度、又はその教義を指し、一方宗旨はその宗門の重要を趣旨、又はその宗門そのものを表わす言葉となっています。このように同じく宗旨・宗教とは言っても、現在は双方共に外相・現実の話になってしまっており、曽ての厳重を立て分けは跡形も有りません。特に「宗教」は、明治以来「レリジォン」(英)religionの訳語として一般に使用されています。しかし、「レリジォン」の語源を辿れば「再結」と言う意であり、それはキリスト教に於ける、唯一全能の神に我々の魂を再び結びつけると言う意味の語句であります。よって、「宗教」は即「再結」ではありませんが、名は体を表わすの如く、現在では多分にキリスト教的意味合いを含めて使用されています。例えば、宗教の本意はと言えば一般には「救済」とされますが、よく考えてみるとこれはキリスト教での話であります。今では全く混乱してしまって、真剣に「救済」を目的としている仏教者も多く見られますが、仏教の本意は自分自身の解脱・成仏にあるのです。このように、大なり小なり明治以降の多くの概念の中にはキリスト教的・西洋的色彩が含まれており、若し我々が無批判にそれ等を用いたならば、其処には取り返しのつかをいギャップが生ずると言わぎるを得ません。現実にその被害はあらゆる所に及んでいますが、我々はもう一度自らの身の回りを点検する必要があるようです。

 最後に、大橋師は本尊を相対的なものと解釈されたり、仏教は認識主体であると述べておられますが、そのようをことでは何時までたっても、当家の信の世界には入って来れないのではないかと心配致します。又、事理の立て分けも殆ど理解されていないようですから、恐れながらも在勤教師全発行の「事の法門」の一読をお勧めする次第であります。



 
おわりに


 昨今の宗門が露呈している種々の問題の原因が、偏に従来の僧侶の法門研錬に対する怠慢にあることは否定出来ません。そしてその根底には、明治を基点として新しく構成された教学を絶対と見倣し、其処から派生した単純な学否定・信奨励の風潮があることも、又事実であります。よって、現在の宗門問題の解決の任を一端でも担う我々としては、問題の根源を充分に直視してメスを入れて行かねばならをいと思います。

 明治教学は混乱の教学であります。今回の大橋師の場合は、その混乱の上に更に自分自身の混乱をも来たされていますので、論文の内容としては殆ど雨散雲収の態と言わぎるを得ません。当家の法門は三千を一念に収めた処に真骨頂があるのです。一念を三千に開けば、ただ在るのは衆生の迷惑のみであります。僧越ながら、「ますますのB(大橋師)の御研鑽をお祈りして、終わりといたします。多謝々々」

 

 

 

もどる