講についての一考察
始めに
前号では、準備の都合も有りまして、骨格ばかりの話で身や皮がほとんど無かったようなので、今回は中身の充実を試みました。
結果として肥満躰になったような気もいたしますが、努力に免じてご容赦の程お願いいたします。
1 来るべき世界の光と影
私が最近読んだ本の中で「これは!」と思ったものが、「歴史が見たことのない未来がはじまる」との副題を持ったピーター・F・ドラッカーの最新作「ネクスト・ソサエティ」である。
著者は「はじめに」で、次のようにのべている。
《ニューエコノミーが論じられはじめた九〇年代の半ば、私は、急激に変化しつつあるのは、経済ではなく社会のほうであることに気づいた。
IT革命はその要因の一つにすぎなかった。人口構造の変化、特に出生率の低下とそれにともなう若年人口の減少が大きな要因だった。IT革命は、一世紀を越て続いてきた流れの一つの頂点にすぎなかったが、若年人口の減少は、それまでの長い流れの逆転であり、前例のないものだった。
逆転は他にもあった。富と雇用の生み手としての製造業の地位の変化だった。製造業は、政治的には力を増大させるかもしれない。だが、もはや唯一の主役ではない。さらにもう一つ前例のないこととして労働力の多様化があった。
これらの変化が本書の主題である。すでに起こったことである。次の社会――ネクスト・ソサエティはすでに到来した。もとには戻らない。
(中略)
ネクスト・ソサエティをもたらす社会の変化が、働く人たちの役割を規定していくからである。そちの変化こそ、あらゆる組織、大企業、中小企業、大小のNPO、政府機関、アメリカ、ヨーロッパ、アジアのあらゆる組織にとって、最大の脅威であり、同時に最大の好機だからである。
本書が言わんとすることは、一つひとつの組織、一人ひとりの成功と失敗にとって、経済よりも社会の変化のほうが重大な意味をもつにいたったということである。
(中略)
しかし、急激な変化と乱気流の時代にあっては、たんなる対応のうまさでは成功は望みえない。企業、NPO、政府機関のいずれであれ、その大小を問わず、大きな流れを知り、基本に従わなければならない。個々の変化に振り回されてはならない。大きな流れそのものを機会としなければならない。
その大きな流れが、ネクスト・ソサエティの到来である。若年人口の減少であり、労働力人口の多様化であり、製造業の変身であり、企業とそのトップマネジメントの機能、構造、形態の変容である。
急激な変化と乱気流の時代にあっては、大きな流れにのった戦略をもってしても成功が保証されるわけではない。しかし、それなくして成功はありえない。》
また、「日本の読者へ」では、
《本書は何を行うべきかを言おうとするものでない。何が問題であり、何が脅威であり、何がチャンスであるかを知るうえでお役に立とうとするものである》とあくまで課題提起を目的としていると述べている。
私がこの本を読んで「これは!」と思ったのは、新たな社会では「NPOが重要な役割を果たす」という彼の主張にあった。主張の詳細は後で紹介するといたしまして、NPO・コミュニティと英語やカタカナで書くと、我々に縁遠い存在のように聞こえるが、日本語で「講」と読み替えると、大変身近なものになるからである。
これからの講のあり方を模索していくうえで、読者諸氏に是非にでも参考にしていただきたい。
彼は言う。
《これからは都市社会の文明化が、あらゆる国、特にアメリカ、イギリス、日本などの先進国にとって最重要課題となる。しかし政府や企業では、都市社会が必要とするコミュニティを生みだすことはできない。それは、政府でも企業でもない存在、すなわち非営利の組織NPOの役割となる。
第二次大戦が終わったころ、アメリカでは四分の一が田舎に住み、日本では五分の三が田舎で農業にたずさわっていた。今日ではあらゆる先進国において、田舎の人口は五%を下回る。しかも、さらに減少を続けている。
この人口構造の変化は、人類が定着し牧畜と農業にたずさわるようになった一万年前以来のことである。しかも当時は、変化に数千年を要した。これに対しいま起こりつつある変化は、たかだか一世紀の間に起こっている。
今日のような都市への人口流入は、史上例がないだけではない。いずれの国でもうまくいっていない。この新しい人間環境としての都市社会の行方は、そこにおけるコミュニティの発展いかんにかかっている。
田舎社会では、一人ひとりの人間にとってコミュニティは与件である。家族、宗教、階層、カーストのいずれにせよ、コミュニティは厳としてそこに存在する。しかも移動性はない。あったとしても下方に向けてだけである。
これまで田舎社会はいたずらに美化されてきた。欧米では牧歌的に描かれてきた。だが、田舎社会のコミュニティは強制的かつ束縛的だった。(中略)
都市社会は文化の中心だった。芸術家や学者が活躍するところだった。コミュニティが欠落していたからこそ上方への移動が可能だった。しかし、知的職業、芸術家、学者、さらには豊かな商人、ギルドの熟練職人からなる薄い層の下には退廃があった。無法、強盗、売春があった。
都市社会は田舎社会の強制と束縛から人を解放した。そこに魅力があった。しかしそれは、それ自体のコミュニティをもちえなかったために破滅的だった。
人はコミュニティを必要とする。建設的な目的をもつコミュニティが存在しないとき、破滅的で残酷なコミュニティが生まれる。ヴィクトリア朝のイングランドの都市がそうだった。今日のアメリカ、そして世界中の大都市がそうである。そこでは無法が幅をきかす。
(中略)
したがって、今日われわれに課された課題は、都市社会にかつて一度も存在したことのないコミュティを創造することである。それはかってのコミュニティとは異なり、自由で任意のものでなければならない。それでいながら、都市社会に住む一人ひとりの人間に対し、自己実現し、貢献し、意味ある存在となりうる機会を与えるものでなければならない。
第一次大戦以降、あるいは少なくとも第二次大戦の終結以降、民主国家、独裁国家いずれにおいても、都市社会の問題は政府が解決すべきであり、政府が解決できるものと信じられた。今日では、これがまったくの幻想だったことが明らかになっている。
(中略)
しかし、企業という名の民間セクターが、それらのニーズに応えられないことも明らかである。
五十年以上も前になるが、私は『産業人の未来』(一九四二年)において、職場コミュニティと名づけたもの、すなわち当時出現したばかりの大企業という社会環境に期待した。それはある一つの国でだけ機能した。それが日本だった。
しかしその日本でさえ、今日では企業が答えとはならないことが明らかになっている。
知識社会においては、企業は生計の資を得る場所ではあっても、生活と人生を築く場所ではありえないからである。それは、人に対して物質的な成功と仕事上の自己実現を与えるし、またそうでなければならない。しかし、それは、あくまでも機能を基盤とする一つの社会であるにすぎない。
ここにおいて、社会セクター、すなわち非政府であり非営利でもあるNPOだけが、今日必要とされている市民にとってのコミュニティ、特に先進社会の中核となりつつある高度の教育を受けた知識労働者にとってのコミュニティを創造することができる。
なぜならば、誰もが自由に選べるコミュニティが必要となるなかで、NPOだけが、教会から専門分野別の集団、ホームレス支援から健康クラブにいたる多様なコミュニティを提供できるからである。しかも、もう一つの都市社会のニーズ、すなわち市民性の回復を実現しうる唯一機関だからである。NPOだけが一人ひとりの人間に対し、ボランティアとして自らを律し、かつ世の中を変えていく場を与えるからである。
二十世紀において、われわれは政府と企業の爆発的な成長を経験した。だが二十一世紀において、われわれは、新たな人間環境としての都市社会にコミュニティをもたらすべきNPOの、同じように爆発的な成長を必要としている。》
著者の日頃感じている歴史・社会観を全て書き尽くしてくれているので、下手な文章を書くより適切な引用の方がベターと思い、長々と紹介しました。
読者諸氏の読後感想は如何なものでしょうか?
2 恒河の砂粒
ドラッカーの課題を受けて、現実の砂粒のような自分に注目してみましょう。
自分の人生を振り返って見ると、結構恵まれた人生を送ってこられたのだな〜と思う。高校、大学を経ていわゆる一流企業への就職。若い会社であったので、常に職場をリードする役割を負わされ、それなりの責務を果すと共に慎ましいながらも安定した生活を過ごさせて頂いてきた。
だが、人生の大半を過ごしてきた会社ではあったが、振り返れば幾許かの満足観はあるにせよ、「多忙」が大部分の印象として残る今日この頃である。
彼の言うような「企業は生活の糧を得る場所であって、生活と人生を築く場所ではありえない」ところだということを実感している。
また、恵まれていたのは、サラリーマン生活ばかりでなく、幼い頃より創価学会、その後の正信会に縁することが出来たこともあげられる。ドラッカー流に言えば、「NPOへの参加」である。
当時、二足の草鞋を履くことは、時間的にも、金銭的にも苦痛を感じることが多々あったが、幼子の二足歩行の様に、何とかうまく左右の足取りのバランスをとって、歩んできたのではないかと自負している。
このように、人様より一歩先の生活を歩ませて頂いていることについて、思い起こす毎に、ご本尊様に感謝を捧げている。
しかし、詳細に検討してみると、学会学生部での挫折、前のお寺での挫折等々思い起こされ、良い思いでばかりではない。
前の号(十八)にて、離檀のことを書きました。
《
前のお寺の住職は正信覚醒運動の中で、親とは袂を分かち、やがて奥様の実家(本山側)との対立にて離婚をされ精神を病む結果、日々の勤行・指導もままにならなくなり、住職としての勤めが覚束なくなってしまいました。私達は住職の先輩や正信会議長にも相談し、他寺住職の代勤等も検討したのですが、善後策は見つからず、結局はこの問題に真面目に取り組んでいた方々は近くの正信会のお寺に移ることとなりました。状況を把握していない方や事実を認めたがらない方々は、当然のことですが、そのままお寺に残りました。
そのお寺にも講は存在しましたが、極端に言えば何にも機能を果たさない組織体だったのです。主たる原因は(前号の)巻頭で書きましたように「僧侶が運営の中心となって」の講であったためでしょう。総代、講頭等が補間機能を果たさなかった為に、柱が倒れたら簡単に母屋も潰れてしまったのです。このような現象はどこのお寺さんにも起こりうることなのです。
》と。
異体同心の信仰集団のはずですが、現実は全く脆いものでした。大丈夫のはずとの甘えと日々の努力の欠如が厳しい現実を見せ付けたのです。悔しいことですが…
それから、新しいお寺に移ったのですが、ここでも安穏の日々は長く続きませんでした。住職の行動によって、寺内が二分された形となって多くの知り合いが去っていきました。
この話はインターネット上でも話題となっており、多くの関係者の知るところとなっております。
このような状況に何度も巻き込まれましたので、「私達は過去世で余程師匠に迷惑をかけたのだろうね。今、こんなに師と仰いだ人々に裏切られるのだからね〜」と妻と苦笑いして、慰めあっております。
池田氏、日顕氏・・・・・・
一体何時なったら愚悪の凡夫の報われる日が来るのでしょか。
他の寺院でも多かれ少なかれ同様な様子であることが、彼方此方より見聞されます。
インターネットサイトの「正信覚醒を取り戻せ」などを覗きますと、赤裸々な声がつづられておりますので、一部を紹介しましょう。
このアジ演説はウェブサーフィンをしているときに、たまたま見つけたものですが、我々講員にとり、一つの反省材料としては、なかなかのものではないかと思い引用したものである。但し、余り気持ちの良い文章表現ではありませんので、原文の一部を割愛して載せる事にしました。
《
現在、日蓮正宗で正信覚醒と言えば「正信会」を思い浮かべるのが一般的だろう。しかし、その正信覚醒が覚醒にならず、邪信迷妄に変貌していたとしたら…。
正信会が正しいという根拠、それが永遠に続くと言う保証など、実はない。それは特に人師論師によって捻じ曲げられるのであるが、法というものを第一として見ていかないと、これらの人達の嘘や迷妄を見抜くことは出来ない。それが何時の間にか、「寺院」や「僧侶」こそが仏法と思い込み、私的感情の好意を中心に、法の在り様を判断してしまう傾向がある。そんな傾向に警鐘を鳴らす必要が出てきたのである。
l
正信会信徒の有様と保身的な僧侶集団
さて、信徒はどうだろうか?
実際に活動する青年部の実数など見る影もなく、このままでは間違いなく二十年後は衰退である。創価学会アレルギーだとは思うが、僧侶は信徒同志に知恵がつき勢いがつく事を嫌い、横の繋がりも何も持たせず、ただ「寺に来なさい」では結束力が生まれるわけがない。
信徒が勝手に何かをしようとするとビクビクしながら、勝手な事をやると信心が曲がるだの姿勢がおかしいと、根拠のない批判をするのみ。必ず「あなたは学会癖が抜けていない」である。僧侶がこういうスタンスでは学会員を受け入れられるわけがない。
阿部氏や池田氏のような、欺瞞と勝手解釈でこじつけた法門で縛り付けるカリスマ性はよろしくない。しかしだからと言って、各人に責任を持って発言をさせず、皆一緒で将棋の歩兵みたいに信徒を扱うのもいかがなものか?
これでは組織批判が表に出ないよう信徒愚民化政策と言われても仕方がない。
l
信徒を遣いまわす勘違い僧侶
正信会の僧侶、特に若い僧侶はとんでもない勘違いをしていると明言しておく。宗門僧侶のように「血脈を盾に威張っている」とは思わない…しかし内実は信徒に自由な発想や行動をさせず、全て管理して、その管理下において命令して、使うだけ使ってご苦労様もなく、まるで「富士の清流を守っている僧侶を助けるのは信徒の当然の役目」とでも思っているようだが、その態度はいかがなものか?
l
正信覚醒とは何か信徒ももっと頭を遣うべき・客観的視点で状況判断せよ
信徒ももう少し頭を使って自分の立場を大事にしたらいかがであろう?と忠告したい。正信会法華講員は、「口先ばかり清流の僧侶方」に仕えているが、それで大聖人は喜ぶとでも思っているのか…葬式仏教、大会のための大会…正信覚醒運動にはなっていない。身内僧侶だけ喜ばせて何が正信覚醒であろうか?
そんな暇があったら、宗門や学会の邪義を徹底的に学び、論破せよ。と、言いたい。
l
正信会を訪れた信徒のパターン
学会や宗門の不正が嫌で正信会に来た信徒は多い。しかし大別するとたった二種類の集団が分析される。ひとつは「坊さんだって人間だから色々あるし我慢してここにいれば成仏出来る」と自分で徹底的に考えないで信服する集団。もう片方は「こんなやる気のない所は手応えがないから駄目だ」と言って、結局は本当に退転しておかしな指導者についてしまうもの。
l
正信会に残った信徒の印象と傾向
正信会で安心している前者の人達の意見を聞くと、また二つに分かれている。「学会員のように外の情報を何も見聞せず、機関誌だけでしか判断をしない硬直型」と「不満はあるが、ここしかないと決めつけてストレスを溜めてるだけの気弱型」である。随分悪く書いているが、別に恨みはない。むしろ個人個人はとても良い人が多いと感じる。
しかし、いざ正信会を少しでも批判すると学会員のように顔色がかわり、三悪道の形相になって次のように言うのである。
「信心は心でするもので頭でするものではない」。どこにそんな文証があるのか。ならば大聖人様やその御弟子はなぜにあれだけの経典を読み調べ、我々に御書を紐解いたのか? 「信行学」の「学」は以心伝心で学ぶものなのか?
それでどうやって疑念の対象を判断出来るのか教えて頂きたいものである。どうやって邪義を論破出来るのだ? 》
「まあ、よく此処まで言ってくれますね!」と呆れる程にたっぷりと厳しい批判を書いてくれております。ですが、その内容は多くの点で的を得ておりますので、忸怩たる思いに浸っております。
皆様の感想は如何ですか?
続いて、芝川に載っていた記事を引用させてもらいます。こちらは一読して同情の念に駆られると共に「ここでもか!」という義憤に駆られました。筆者の口惜しさが良く分かります。
《
学会員の組織への愛着について僧侶側は自身、一国一城の主のせいか概して無関心・無理解のように見えますが、これはよくよく熟慮してもらいたい課題です。私事を引き合いに出して恐縮ですが、小生自身、宗門の住職や法華講幹部の冷淡さには少々呆れ返っています。というのも、小生の父は数年前、心不全で急逝、その三ヵ月後には母がクモ膜下出血で倒れ手術、一命は取りとめたのですが、水頭症の影響で記憶障害、言語障害、身体不自由の三重苦に陥り、現在要介護の身で自宅療養しています。
しかしながら、入院中も退院後も、住職はじめ講幹部の誰一人として見舞いに来たことがありません。
知っているはずの前任からもいっさい連絡してきません。数名の講員の方が来られただけです。健在なときは、父と一緒に各種行事や唱題会、勉強会にと熱心にお寺に通ったり、自宅を座談会の会場に提供したりしていたのですが、倒れたとたん、このありさまです。寺から拙宅まで車でわずか十五分ほどの距離なのに、です。今、母に代わって、介護をしている姉が早朝勤行にお参りしていますが、学会のほうがよほど同志の面倒見がよいと考えることがあります。いくら血脈だ、戒壇本尊だ、富士の清流だなどと奇麗事をいっても、血の通わない、心の温もりのない寺院や法華講組織ではしかたないではありませんか。学会員が組織を抜けたがらないのも故なしとしないのです。
》
私の好きな小説に遠藤周作氏の「沈黙」があります。救いを求める信者に対して神は沈黙を持って答えます。多くの信者が死に、責任を感じて最後には神父は棄教するという大変やるせないストーリーですが、このような話を見聞する度に「信仰」の切なさに感じ入ります。
遠藤氏がこの作品を発表したとき、「なぜ身内の恥を曝す様な作品を書くのだ。もっと見栄えのする話を発表すべきだ。」と彼の所属する教会等から多くの批判が出されたそうですが後になって、「表面的な宗教かと思っていたが、教会にもあんな苦労があったのですか? こんな私でも信仰できそうですね」との話を多くの方々から聞いて「少しはお役に立つことができた」と喜んでいたそうである。
情報開示が閉鎖社会に強く要請されているこの頃ですか、正信会も大いに肝に銘ずる必要がありそうです。建前しか報道していないように見える「継命」など、よくよく編集方針を熟慮して頂きたいものである。
本当の課題や問題点がはっきり見えれば、多くの人々が様々な対応を考え、試行するものである。
「動執生疑」を生み出すような厳しい事実の報道こそが、今の「継命」に求められていると思う。
終りに、わが国の国歌「…細石の巌となりて…」のように恒河の砂粒が年月を重ねることでしっかりした巌のような講に連なっていることを祈念して、この章を結びに致します。
3 幾つかの示唆・光明
ここでは、私が調べた他門・他宗の人達がどのような努力をしているかを紹介してみたい。学会員の様に自分達のやること以外は全て謗法と罵って、自己正当化を図る積りなど全くありません。皆、各々の置かれた立場で相応の努力をなされている、尊い事だと思います。少しでも我々の改善活動に参考になるならば、素直な気持ちで取り入れたいと思います。
先ず、立正大学教授 中尾堯氏の講演録より紹介致しましょう。
《
中世の「講」は生活と密着している。貴族社会で行われる「法華八講」のような講は、貴族の枠組みをはっきり確認するもう一つの役割を果たしている。あるいは武士社会では、武士の血縁による一族の結びつきをはっきりさせるための一つの役割を宗教は果たしている。農村社会では、春には水を引き、秋には水を落としていく。そういう時折々の農事がうまくいくようにと祈る、そういう祈りを捧げるお堂で講会が開かれている。都市では非常に不安定な生活を、とにかく平安に護持しようと、不安からの救いを求めて信者たちが講を営む。そういう「講」の儀礼や組織が出来てきまして、とにかく生活と密着した形で講が行われていた、宗教行為が行われていたといえると思います。
ではそれ以前はどうであったか。中世のお坊さんは、移動性が基本になっていたと思います。
例えば、久遠成日親上人にいたしましても、あるいは日像上人にしましても、大覚大僧正にしましても、とにかく歩きに歩いているのです。もうとにかく歩いている。私が若い頃に、日親上人の伝記をまとめてみました。日親上人の遺跡を全部歩きましたけれども、大変な苦労でした。とにかく歩きに歩いた。つまり移動性を基本的にもっております。ですから、一人の僧侶は複数の講組織を指導しておりました。決して一つではありません。いくつかの講組織を指導しております。講の方も、一人ではなくて何人かのお坊さんを自分のところに呼んできて「講会」を開いております。
要するにお坊さんは、普段いつも旅をしているわけです。旅をしていて、一年に一回か半年に一回、そこを訪れて、法要をしては、またどこかに去っていくわけです。そうするとその場となったお堂とか、あるいは小さな寺院は、だれが管理しているかといえば、その地方の有力者がその祭祀権をもっていました。千葉氏の領分では、千葉の一族の人で、そこに住んでいる有力な豪族が、ある寺を管理しておりました。そこへ一年のうちの決まった日にお坊さんがやってきて、説法をし、お経を読んで、またどこかへ去っていくのです。
(中略)
さて近代についてお話をいたします。講が結合しますと、結社を構成します。池上の近在結社、神田八講、尾張千人講等という名が、大寺院のご宝前で名前入の仏具が見られるはずです。これは旦那寺を越えて結集しているのです。ですからこれらは檀家ということは関係ありません。講元を中心に運営しておりまして、霊蹟寺院との結びつきをしっかりもっています。その講元を中心に、僧侶の介入を拒否する傾向にあります。多くの人たちは、お坊さんがこの講を自分の信者にしようと思ったことはいくらもあるそうですが、頑としてききません。
講の時には導師の役目は講元が行います。完全に講元です。お寺さんが行っても講元が導師をいたします。私の立場もだんだんとわかってきますと、「ああ、先生もお坊さんかいな」といわれますが、決して私は講のところに行きましても導師はいたしません。隅っこの方に坐って、一生懸命その講のしきたりに従ってお経を読んでおります。
(中略)
寺院では寺の行事として信行会が主流になっている。これは宗門全体の運動といえましょう。ただ問題なのは、寺で信行会ということで収束されていきますと、今までおかれていた葬式組合などの組織と一緒になっていた伝統的な講が消えていく。いや、ご住職さんによれば、そういうものをかえって消していこうという動きがある。ちょっと私はどうかなという感じがしております。
というのは、寺院だけで講をやっておりますと、講の活動範囲と自主性が微小化し、矮小化していく。この影響が大きいと思います。例えば法華の講だからというので、日蓮宗のお会式には、本門寺にいって、法難会には龍口寺へ行く。ところが実際には何だかんだ言いながらも、日蓮宗以外の寺、例えば高野山に登ってみようとかいうのです。題目講で高野山や比叡山に登ったり、あるいは温泉に行ったりする。そうではなくて一ヶ寺のお寺だけになってくると、単に日蓮宗の中だけで終わってしまうのです。
そうしますと、私は宗教的な見聞ということから見て、視野が非常に狭くなっていくのではないかという感じがしております。むしろ自由にあちこち行動させておいて、それでなおかつ法華だけはという、そういう魂を入れる方が生産的ではないかと思っております。
それと僧侶指導の営講では、講が生活の実体験と遊離していくのです。お寺に行ったらお寺以外のことをしゃべるのではないと、信仰のことだけということになってくる。そうしますと、先ほどいった家賃はなんぼにするからとか、そういうことを全然話せなくなってくる。私どもの理論からいきますと、一つの信仰が、どのくらいその土地に定着していくかということは、どのくらいその生活習慣の中に入り込むかだと思うのです。例えば年中行事に入り込んだり、一生涯の節目、節目に行われる人生儀礼に入り込んだりする。それによって度合いを計っていくわけですが、そういうものからまた離れてしまうと、これはせっかくの生活体験としての講の営みが薄められていくのではないかと思います。
それからもっと大事なことは、生活の合理化と運輸機関の整備によって、講と寺院の間がだんだん隔たっていく。例えば私は二十五、六年ぐらい前に、龍口寺の調査をしました。そこに行きまして、それぞれお参りの人と一緒に一晩過ごして、芝居をみたり、ぼた餅を拾ったりしました。「ぼた餅とおはぎはどこが違うのですか」、そういう話から入っていくのです。そうすると、「どうしてごまですか」。ある講の人は、「これは日蓮聖人が首を切られようとするときに、お婆さんが一生懸命つくって、あずきは一晩かかるから、ごまをつくって捧げたのですよ」という。「あなたどこですか」、「境川のずうっと上の町田の方ですよ」。今度は違うところに行って、「これはどうしてですか」と聞くと、「おむすびをつくってお婆さんが鍋蓋に入れて捧げたところ、お婆さんがあまりにも日蓮聖人の神々しさに手が震えて、ころころところげ落ちて砂だらけになってしまった。それを拾って日蓮聖人はお食べになった」。「あなたどこですか」、「茅ヶ崎の海岸ですよ」。なるほど海岸には海岸らしい発想があるのです。それで農村部にはあずきの代わりという農村らしい発想があるのです。
お互いそういう話をしているうちに、茅ヶ崎の人と町田の人がどっちが本当か正しいか、大いに言い合いをしていましたけれども、両方本当だという話で落ち着いたようですけれども。
そういう楽しさが無くなっている。さっと来てさっと帰ってしまうのです。だからその交流の姿が無い。ですからお籠もりの風習が無くなることは、講の一つの大きな要素が無くなっていくのではないでしょうか。
そんなことをしておりますと、宗教活動が自分の旦那寺の中で完結してしまって、外に向かって延びることはないでしょう。特に今ごろの団体をみておりますと、それぞれのお寺、お寺でいきますと、すぐ近所のお寺と一緒にいっても、うちはこれだけのお寺ですからというので、他の檀家同士の話がほとんどありません。そういうところがやっぱり考えておかなければならない問題点ではないでしょうか。
こういうことが、次に教団が定型化した葬式法要と儀礼に収斂されていく。お寺は、とにかくお葬式としかるべきお会式等に行けばよいのだという事になってくると、それは極めて個人的な信仰の営みに限られてくるようになり、やがては儀礼の衰退と信仰の空洞化を招いてくるのではないか。つまり他者との対話がなくなっていくことは宗教にとって憂慮すべきことは言うまでもありません。
それから、村や町という社会生活の場に法華堂があったのが、今ごろはだんだん少なくなってまいりました。お寺だけになってしまって、お寺以外の堂が廃れてしまうことがあります。それともう一つ、「信仰の指導者を在俗に要請する」ということです。つまり僧侶以外の指導者を養成することです。日蓮宗もいろいろやっていることは当然ですが、ただ信者の輪を広げるというだけではなくて、在俗の信者たちに、信仰指導の大きな責任をまかせるということが大切です。信仰のことについてはいつも僧侶が出ていかなければ話にならないのではちょっと困るのではないか。僧侶がいくら走り回ったところで、一人の僧侶には行動の限度があります。それを越えてねずみ算式に教団を広げていこうとするならば、こういう人たちに頼らざるをえないし、それこそが広宣流布の一つの道ではないかと思います。
》
この論文にて、宗門・講の歴史や現状、更には地域性等に関する目新しい事実を沢山知ることができ、又、直面している講活性化の課題を共有することもできました。また、幾つかの示唆に巡り会えたような気がしました。
例えば、日有上人がよく本山を留守になされて、日本中を教化し歩いたとの話を聞き覚えておりますが、この論文を読んで何となく分かったような気がしました。今のように、僧侶がお寺にいて「参詣しなさい。そうしないと功徳は有りませんよ」などと言うのは、江戸時代に確立した寺檀制度の悪弊かもしれませんね。宅御講がより本来の姿に近いような感じがします。
ぼた餅論議も面白いですね。地域の特徴に根ざした話になって、生活に密着していく。此れが本来の信仰の姿ではないのでしょうか?
これが、過ぎて善からぬ慣習になってもまずいと思いますが。
僧侶がいても、講元が導師をするという話を聞いてビックリしました。今までの私達の慣習では僧侶絶対主義ではないですが、僧侶を差し置いて信徒が導師をするなんて「罰が当るとか謗法だ」とか言われ、全く考えられない行動です。
ですが、よく考えてみれば、講の自立性を示す格好の事例と捉えることができるでしょう。
続いて、駒沢大学講師 中野東禅氏の講演を紹介します。
《
生き方の解決は、恐らくかっての講、現在も講という形であると思います。現世利益は祈祷、命の落ちつきは葬祭という形になっていると思います。
それを支える集団は、教義のほうは修行や僧団的なコミュニティです。ですから、僧侶の組合としてのほうが強いと思います。人生論的コミュニティというのは講などです。現世利益的な祈祷のほうは、師檀的な、先生との関係です。命の落ちつきの葬祭のほうは、ムラ的、イエ的なコミュニティ、いわゆる寺檀的なコミュニティのほうにいくと思います。
ニーズは、教義のほうには発心、自覚に基づくところの救いの探求という方向。生き方の解決の講のほうは、現代人的な孤独な群衆的なところから出発したり、さまざまな人生の悩みということで、これは仲間を求めますから、その下の欄の宗教集団の形としては、仲間のほう、信者の自主性という方向へいきます。
こういうところでは、僧侶はむしろ共感できない人になっていきますから、私は日蓮宗の江戸時代の一代法華が明治、大正から講という形で、霊友会や立正佼成会のほうへ行ったのは当然の帰結で、僧のような宗教者を必要としなくなる。もともと仲間であった範囲。患者や家族の立場からいったら、お坊さんというのはやっぱり異質なんですね。ところが、その坊さんが同じ病人となって、痛みを持った者となったら、みんな相談したくなる。衣を着て役割で来た坊さんには用はない。生き方を求める側の特徴は、そういうところにあると思います。ですから、これは分化していく。日蓮宗なり各宗派とも、会・講に分化して、特に日蓮宗系の新興宗教の方々は、これを背負ってくださったと思います
その限界は何かというと、人間の問題です。ほとんどのお寺さんは忙し過ぎて、お坊さんは疲れ切っている。特に私みたいに教育に携わっている者ははっきり感じます。働くお坊さんはみんな疲れ切っています。マンパワーが足りない。ですから、奥さんが病気でもしたら途端にお寺の活動も停止していきます。信者がその中間を補佐できない。そこで、提言の二〜四です。
二、信者パワーの活性化
三、信者の参加と運営権の開放
四、宗教的コミュニティの活性化
信者パワーをどう活性化していくか。そして、信者の参加と運営化です。だったら、新宗教がやってきたではないかと言うかもしれませんが、構造が違いますから、新宗教のようにやったら、すぐにお寺はつぶれます。お坊さんは批判されるし、トラブルが起こります。ですから壊れてしまいます。昭和二十七年に宗教法人法の制定のときに、住職が代表権を持つという形で、すべてを持つようにしたのは、それをはっきりと知っていたからです。これは井上先生がおっしゃっていました。例えば、かつてお寺の財産を檀家の総代さんたちが食いつぶしてしまったということがあったから、会計の権限を僧侶に持たせたわけです。それが今、逆に出ているわけです。お坊さんの独占化が始まって全く裏目に出ているわけです。信者さんたちがみんな「おれたちは知らないよ」と。大きなお寺さんはいざ知らず、一般的なお寺では信者さんたちはお寺に責任を持っていません。特に活動に関しては責任を持っていません。
そういう意味では、適度に信者の参加をどうするか、僧侶の周辺部分の人材をどう活性化するかということで、宗教的コミュニティをつくり直さなければいけない。今、コミュニティになっていないと思います。特に檀家制度、お葬式中心のお寺さんはそうです。
この二〜四の土台と結びついて、提言の五、六が成り立つわけです。
五、法華教学と現実的欲求とをつなぐ生命論・宇宙論的・教化論的教学の構築。
六、「僧」の必要性は「法」の維持と「儀礼の執行力」にある。
観念としての方向づけを幾ら模索しても、ナンセンスだと私は思います。現場の経済基盤や人間の問題、宗教施設、宗教資本がどう活性化をして動いていくか。人がどう動くかという問題と理念とが同時でなかったら、全然意味を持たないと私は思います。そういう意味では、制度的な面と寺院の現場の面、そして教えの面を同時につくっていくという努力をしなければ、いつまでたっても議論で終わってしまうと思います。
基本的には僧侶主導型の限界をどう超えるかという、構造との関係を我々ははっきり意識して、葬祭仏教、祈祷仏教の持っている面の限界を、どう長所に変えていけるのかということが、はっきり言って「現代の教化を問う」一番の根幹だと思います。 》
やはり、当然と云えば当然だが、他宗でもどうやって「僧侶主導型の限界」を乗り越えるかが重要な課題となっていることが分かりました。
思うに、『僧の必要性は法の維持と儀礼の執行力にある。』というところが妥当なところなのでしょうか。
更に云えば、宗義・化儀の真剣な研鑽がある。
他門の僧侶と同じようなレベルの法話しか出来ないのでは、到底信徒の勇猛心を駆り立てることなどできない、「さすが興門流」と誉めそやされる様な質の高い・内容のある説法ができるよう、日々の研鑽・修行を期待するものである。
このような中、「興風」等を編纂・出版している談所などは、その一角を担うものとして大いに期待している。
又、「芝川」のように色々な意見や情報開示を許容するような論壇の場を提供している論文集も広い意味での法義研鑽の場と言えよう。
更に、加えて願わくば、ご本尊様の前では皆平等に徹して自由闊達に法義の研鑽が行える談所を国内東西南北に数箇所新設して、優秀な僧侶の育成を期していただきたいものである。
4 確信と希望
最後に、「A Time to Chant (唱題の時)」を紹介して、この論文の結論を迎えたい。
現代の講の形態を代表するものとして、創価学会等の在家集団の存在は無視できない。学会は日本の経済発展と共に成長してきたために、その文化には「公害」という概念に代表されるような、負の遺産を大きく抱え込んだ成長路線を邁進してきた。正本堂建築後、大きく路線を変えてきているようだが、未だ世間よりリーズナブルな評価を得られていない。ところが、イギリスでは、日蓮仏法の在家運動が今後の社会を導く理に適ったものとして、評価されている。発展の基盤の違い(時代、国柄)にスポットが当てられているが、その視点は大変参考になるものであり、出来れば(翻訳)本をじっくり読んで頂きたい。
著者の一人はブライアン・ウイルソン氏は一九二六年、イギリスに生まれ、ロンドン大学で学んだ後、カリフォルニア大学バークレー校で研究、イギリスのリーズ大学で社会学を教えた後、オックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジのフェロー、同大学社会学教授となる。一九七一ー七五年に国際宗教社会学会の会長を務める。さまざまなセクトや少翻派宗教運動の広範な現地調査を行いながら、実証的な宗教社会学の発展に大きく寄与したと紹介されている。
氏は日本語版への序文で次のように述べております。
《
ここ数十年の間、イギリス国民は、他の西洋世界の人々と同様に、世界を舞台にした日本の芸術、文学、学問、文化の重要性の高まりをますます意識するようになっています。ヨーロッパにおける日本の影響を見るうえで、日本の宗教や精神上の理念およびその実践についての知識の増大は、まだ日本製品の流入の影響ほど顕著ではないものの、決して小さいものではありません。ゆるぎない覇権を握っていた頃の西欧列強が、キリスト教という宗教文化を世界各地に輸出していたように、日本経済や産業が世界的規模で優勢を誇っている今日、日本の宗教、特に日本の仏教に多へのヨーロッパ人が興味を示したとしても、それは何ら驚くことではありません。日本のビジネスマンその他がヨーロッパを訪れる必要性が増すにつれ、彼らは自分たちの宗教文化をも携えてやって来ました
キリスト教のこれまでの流布の仕方と、今日の日本仏教の海外における成功との間には、注目すべき顕著な違いが見られます。キリスト教的西洋世界が経済や文化を支配していた頃、海外に派遣された宣教師たちの大部分が専従の聖職者であったのに対し、日本から新しい信仰をもたらした使者の多くは、宗教を専従の仕事としない在家信徒であり、在家運動の一般会員でした。キリスト教自身、躊躇しつつ、時には不承不承に、一般信徒へより重要な役割を与へる必要性を感じ始めていたときでもあり、日本からもたらされた新しい宗教運動の信徒中心主義の展開は時宜を得たもので、このことが成功の一つの要素となっているのかもしれません。
おそらくヨーロッパ人にとって新しいこれらの宗教運動の中で、最も成功をおさめ、最も熱意にあふれ、最もよく組織され、そして現在ではヨーロッパ各国にしっかりした足場を築いているのが創価学会です。イギリスにおけるこの運動の拡大していく規模と影響や、エコロジー問題、難民問題、世界平和の推進といったような顕著な社会問題との関わり合いなどが、社会学者であるわれわれの興味を引くものでした。ここイギリスでは、多くの人々の人生観や価値観の最も深淵な側面に影響を与えずにはおかない宗教的信念に重要な変化が起こっていたのです。このような変動の進展をどのように理解し、説明すべきなのか。さらに改宗の結果はどうであったのか。これらを詳らかにしようとすることは、われわれ社会学者にとってきわめて重要な学問的挑戦でありました。
その学問的解明に向けての最初の重要なステップとして、われわれは社会学の専門的立場から、実際にその運動の渦中にいる人々への調査を実施しました。
われわれはこの運動がまだ若く、メンバーのかなりの割合を調査することが比較的容易にできる段階を捉えることができました。イギリスでメンバーとなった人々が事実上第一世代の改宗者である、この若く生き生きとした運動の初期の姿について、われわれが描いたものの重要性については、おそらく歴史が判断を下すことでありましょう。このような見地からの研究が日本の社会学者のみならず、広く一般社会の人々の関心を喚起することをわれわれは希望しています。全く異なる文化的背景を持つイギリス人の新入信者が、近代的な在家信徒運動として現れた日本古来の信仰にどのように適応し、彼らの人生をどのように再解釈し、宗教的に見いだされた新たな責任をいかに担っていったのかを解明するための手掛りを提供できれば、と思います。イギリスのメンバーが抱えている問題は日本の創価学会員が抱えている問題とは異なるかもしれません。一例として彼らは日蓮正宗の僧侶に関連した問題を深く考える必要がないことが挙げられますが、一方他の面では、両国のメンバーの経験にはおそらく密接な相似性が見られるかもしれません。いずれにせよ、本書が信徒のみならず、この運動のメンバーではない他の日本人にとっても、創価学会が日本国内だけではなくより広い世界で疑いなく重要性を増しつつある社会現象であることを理解するための一助となることを望んでやみません。》
次に紹介する本文の中で、具体的な特徴として、唱題および座談会に代表される支援組織の充実さを紹介しています。
自分達の体験と重なるだけに、何となく面映い気持ちで読みました。
《
創価学会は、唱題は「無限の時間と調和」しようと努める受け身なものではなく、もっと積極的な意味を持つと主張する点で、現代の他の運動と異なっている。それは超越瞑想における単なるゆるやかな瞑想や真言の確信を超えるものである。多くの創価学会メンバーにとって、唱題は単に毎日習慣的に繰り返して行う機械的な行為ではない。メンバーたちは少なくとも、唱題を呪術的な一形式、すなわち自動的にものごとを正しい方向に向かわせる儀礼とは見なしていない。実際に、唱題の実践は御本尊との関係を確立するための意識的で慎重な努力として認識されており、それは実質的には誘導された心理療法の一形態に等しい。より深い信仰に裏付けられたメンバーは、時々、御本尊への唱題によって到達した「高められた自覚」について語っていた。彼らは、怒り(修羅界)と動物的本能(畜生界)にふけって、いかに低級な意識状態に自由な支配権を与える傾向にあるか、その結果、いかに苦しんだかを悟っている。もっと鋭敏な実践家は、自分の行動によっていかにして「自らの堕落を客観化する」ようになったかを認識している。彼らは自らの性格の最も魅力的でない側面を自覚し、それに正面からぶつかっていったのである。数人のメンバーは、唱題はまさに足のしびれる辛い経験であること、そして少なくとも何人かは、信仰を始めたころ唱題は一人の時しかできなかった、なぜなら問題に正面からぶつかっていく経験はあまりにも精神的な衝撃が大きく、他人と一緒では不可能だったからであると明かしてくれた。しかし、そのような個人のレベルでの経験が、たとえ頻繁に起こったり持続したとしても、メンバーがいつも全く孤独の中で実践したりSGIが提供する親身な支援や教学の解説を通してのカウンセリングがなかったなら、信仰の持続には耐えられないであろう。
このようなメンバーや組織からの支援は、二つの形態で行われる。すなわち、組織のさまざまな段階での会合または座談会と、それぞれの段階のリーダーによる指導である。すでに見てきたように、会合はメンバーに対して集団による支持を与えるのに役立つ。さまざまな会合は信仰体験や証言、そしてある意味での告白を相互に分かち合う機会である。座談会はどちらかというと非公式な場であり、それほど形式が定まってはいない。そこでは未入会者や一時的なゲストも含めて、出席者全員が自己紹介し、自分自身について語るようあらゆる激励がなされる。自由なリーダーシップの下でのそうした場において、各個人のさまざまな体験――御本尊の前での主観的な体験や、日常の世界での困難の克服などの客観的な体験など――が、SGI運動でよく使われる用語へと翻訳され、解釈されていく。偶発的な出来事や「不意の災難」は、業の哲学に照らして再解釈されて意味を与えられ、そして、仏法の世界がいかに作用するかについての共通の理解が伝達され、共有され、お互いの間で強められていく。唱題によってひき起こされた自己を見つめ直すつらい体験ですら、今や人々の理解の輪の中に置きなおされて特殊なものではなくなり、効果的に処理されていくのである。
指導は、さまざまな形でSGIのモットーとなっている。概念としては、それは日本的な文化、すなわち入信者と「折伏」によって入信させた者との間の関係から発展した一つの人間関係のパターンである、師匠と弟子の関係に負うところが大きい。SGIにおいては、このような関係の序列は、階段状に積み重なった組織の中で制度化されている。リーダーたちは、通常、彼らが指導するメンバーよりも信仰歴の長い人々であり、彼らは会合での論議をリードしたり、個々のメンバーに助言を与えることができる。リーダーを信頼する必要性について、総体的にはSGIの中で明確に主張されている。
質問票への回答者の一部は、彼らの支部や地区のリーダーへの賞賛を自発的に表明しており、またきわめて多くの割合のメンバーが、SGIに最初にひかれたのは、彼らが出会ったメンバーたちの生活スタイルや振る舞い、人格であると答えているが、その一方で、さまざまなレベルでのリーダーへの批判や失望、そして不満などが時おり述べられているのである。メンバーたちは個人的な指導をしばしば求めたり、また会合などで自由に指導を受けているが、指導に当たった全ての人が無条件の尊敬をかちえているわけではない。したがってある意味では、リーダーたちは師弟不二の原理に従って、メンバーに対する模範的行動を「役割モデル」として演じているが、かといって、この行動パターンが普遍的に見られるわけでは決してなく、イギリスにおいてはアメリカでの事例が示すほど明白ではない。弟子の役割についてイギリスのメンバーが暖味で多義的な基準しかもっていないということは、イギリスSGIは過度に組織化され統制されているという(時として日本の創価学会に向けられている)非難を免れることになろう。
それでもなお、指導の強調は一定の価値を組織全体に体系的に浸透させることを確実なものにする。各々の段階のリーダーは――十九世紀の学校での相互に監視しあう体制をしのばせる方法で――メンバー歴の長くない人々を指導する責任を負う。この制度は、信徒の階梯的な組織構造における権威を補強する一方で、民主主義的行動の理念にも従わせるという利点を持っている。各段階のリーダーたちは一つの連鎖をなしており、かつそれぞれの指導の背後には、運動全体の権威やその会長の権威、そして究極的には覚者日蓮の教義と助言および旦蓮が説いた普遍的法理の権威がひかえているのである。
(中略)
実際に指導は、しばしばメンバーにその体験を了解させる働きをし、不運な生の現実、不安や不確実さと、御本尊という「鏡」の前での実践において主観の中で生じることもある疑念との両者を、新たに解釈しなおすうえで役に立っている。それらの疑念は、信仰に対する自信のなさばかりでなく、唱題の実際的な効果とも関係している。一部のメンバーは、ある特定の結果はある現実の原因によって生じたのか、あるいはむしろ偶然の一致による出来事ではないのかと問いながら、彼らの疑念を公然と表明した。知的な疑問の場合は日々の生活で起こる不運な出来事の体験よりも解決が困難なのではあろうが、リーダーたちはメンバーにさらに唱題に励むよう激励することで、そうした疑念に対処しているようであろう。災難は、成長とさらなる献身の好機として、また唱題の力における達しい回復力と確信を証明する機会として再評価される。業の教義はこのような再評価を促し、ほぼ完全に近い神義論を提供する。SGIのメッセージは、まさに唱題によって主観的心理状態を変えることにより、状況や出来事をよい方向へ効果的に向かわせることができるというものである。日常生活の中でだれもが経験する災難や不運に対して、人々は挫折感を味わったり、憤激したり、または諦める。また、実際的行動に向かったり、状況の再解釈を行うなどさまざまな反応をする。そのような一連の反応の中で一創価学会は実際的な行動を避けるわけでは決してないが、まず状況の再解釈を要求する。その際、リーダーの指導はメンバーたちの主観的な態度を日々の出来事により積極的に対処する方向へと転換させるうえで、しばしば決定的な働きをするのである。
(中略)
SGIは以上のように、イデオロギーや組織の面で、現代イギリス社会のより幅広い思想的潮流の変化の過程と密接に共鳴していることは明らかである。擬人化された神への不信の増大、伝統的で形式的な宗教団体はある意味では抜け殻となった信仰内容を虚しく主張しているにすぎないという意識、信仰とその実践のプライベートな性質の強調など、これら全てが、形式化や制度化のより少ない信仰のあり方への道を開いている。命令的な道徳律の廃止あるいは放棄、救済の媒介物としての禁欲的倫理の拒否、個人の行動のすべての事柄に関して各人が満足することの大切さの強調、楽しみを追求することは正当な哲学的営みであり、恥や罪の意識を持つ必要のない日常生活での当然の態度であると一般的に支持していることは、今日の西洋的価値観の特徴的な様相であり、SGIはそれを自発的に反映しているのである。個人の自律、個人の責任というの意識の溺養、そして自己自身の努力への依存(実際上のものであれ精神療法的なものであれ)など、すべては社会主義が死滅した後の世界で発展している進取の気性に富む文化に適合しているのである。
これまで述べてきた全ての方法で、またおそらくは他の方法でも、SGIによって発展してきた日蓮仏教は今日の若い世代の願望と彼らの物事の理解の仕方にみごとに適合している。古来の信仰を現代的形式で表現することによって、SGIは今日の若者の性向の多くに正当性を与えている。革新が伝統によって裏打ちされているのである。十三世紀の経典が二十世紀にふさわしいものとなったとき、聖なる秘法は日常生活の実用主義的論理に難なく適合する。現代文化のさまざまな主題が古代の寓話と連動し、今日盛んに論議されている課題への解決が、古来の儀礼の中で、かつ現代の実際的な方法によって提出されるのである。ひたむきなメンバーたちは断言するであろう。SGIは時にかなった信仰である。唱題の時がやってきたのだ、と。
》
この論文を読んで、読者も文頭のドラッカー氏の言葉を思い起こさずにはいられないでしょう。
この英国SGIの姿こそ、彼のいう「ネクスト・ソサエティ」を担う理想に近いNPOの姿を彷彿させられます。
だが、日本での創価学会の実態を肌で知っているだけに、「教授のおっしゃることはまともに聞こえますが、なかなか信用できませんよ」と言いたくもなります。がしかし、なんか一番身近なところに学ぶべき見本があったのだな〜という感慨に改めて浸っております。
このSGIの姿で、日本の創価学会と大きく違う点について、改めて指摘しておきたい。
そうでないと、単なる学会シンパと見られてしまう恐れがありますからね。
一点は構成員について。
日本の創価学会は、戦後「病人、貧乏人、田舎者」等の差別用語で代表されるような人々が、基本構成員となって拡大していった。
そのため、功徳(これも非常に大事なのだが)も「病気が治った、金が儲かった、立派な家を建てた、いい学校に入れた」というような利己的で即物的なものが強調された。更に言えば、これらの人々に「本尊は幸福製造機」とまで貶められたとも言えよう。
創価学会を離れて既に三十年近くが経つので、現在の実態を良く知るわけではないが、偶に見聞するニュース等からも、当時とそれ程変わっているようには思えない。
これに比べて、SGIの構成員は「自立性の高い中級階級」が主体だという。日本の商社・メーカー等の駐在員などとのコネクションがある人々と言え ば、やはりそれ相応の人々になるであろう。
したがって、彼らは「病気が治った、金が儲かった」などということより、仏界を湧現することで、「自立的な人生を歩むことが出来た」、「種々のボランティア活動を通して、社会に貢献できる自分になった」ことに価値を置いている。
そのことが、混迷を極めている英国の中で活気をもって語られることが、社会学者としての筆者に感動を与えたのであろう。
だが、一方で意地悪な見方をすれば、明治以降の日本におけるキリスト教の布教に似ているかもしれない。お高く留まったインテリ教団・・・
自己満足のみで、社会の変革にはほとんど役にも立たなかった宗教と。
いずれにしても、答えは歴史がだしてくれるだろうが、さてさてどうなるやら・・・・・・
もう一点は布教について。
英国での布教の特徴は、《日本での初期の折伏運動に比べ、イギリスの創価学会の書物では他者に法を説く必要性としての「折伏」はあくどさの少ない表現で語られている。イギリスでの中心者であった〔故〕リチャード・コーストン理事長が執筆した三百頁におよぶ日蓮仏教を語った本にも、「折伏」については一度しか触れておらず、またそれもきわめて控えめな表現で訳注されている。彼は次のように記している。「この仏法を実践して得た功徳を、特にわれわれ自身の人間革命の姿として示していくことが、すなわち折伏である。そのとき、人々は南無妙法蓮華経の力を次第に確信していくのである。……日蓮仏教は、仏教が世界に広まる広宣流布を、全く自然で平和的な方法によって達成されるものと見なしている」。さらに、「日蓮仏教徒は、したがって、この仏法の実践を他人に強制する必要もなければ、他の宗教や哲学を信奉している人々に対し不寛容になる必要もない」と述べている。》点にある。
私の感覚では全くの「摂受」であり、「折伏、折伏!」で育ったものには、「これでいいのか?」と疑ってしまう程である。
加えて、ウェストミンスタープレスのエルウッドは、昔は謗法払いまがいのこともあったが、「現在では、日蓮正宗の信仰は一つの『哲学』であり、それを実践しつつも、良きプロテスタント……で有り得るといわれている」と驚くような報告をしている。
実際、「最初に感じた魅力とその後の魅力」という項目の調査結果では、一位が「メンバーの人柄(三十七%)」で、二位の「実際の功徳(十九%)」を大きく引き離している。
日蓮仏法を実践している人の魅力…自信と自立と慈悲…に溢れた人柄が多くの人を引き付けるらしい。
英国では、川澄勲氏の言うように、「日蓮の教えは宗教よりも思想としての方が扱いやすい」状況が出来上がりつつあるようにも見える。
このように、日本の創価学会との大きな違いがお分かり頂けただろうか?
そろそろ終りにするが、前にも述べたように、我々は余りにも「羹に懲りて膾を吹く」ことになってはいないだろうか?
更には、自分で考えるという事を放棄していなかっただろうか?
「無疑曰信」を学会流に言えば、「疑ってはいけない! 疑うと罰が当たるよ」だが、本当は「疑って疑って疑い抜いて、もう疑いの余地はないところに信が残る」のを無疑曰信というのである。
同様に、仏法では「無学」は学び尽くしてもう学ぶもののない境涯をいうのである。
ともあれ、謙虚に周りを見回し、良い所は素直に習得し、自身の血肉としていきたいものである。
また、広く世界を見る目を常に持ち続け、研鑽を怠らないよう心がけたい
おわり