論説
運動を客観的に伝える努力
日蓮正宗の宗門機関誌、『大日蓮』の「誌上年賀交換」を見ていたら、知らない僧侶や寺院がずいぶん増えていた。
考えてみれば当然のことで、正信会が阿部日顕師に擯斥(1980〜1982)されてから約40年が経過する。その阿部師も、昨年秋(2019)に亡くなった。師の訃報を知った正信会若手僧侶の反応は極めて醒めたもので、ずい部んと月日が流れたことを感じた。これには、一長一短がある。よい点は 宗門・正信会とも互いに、当初の反発感情が薄れつつあること。40年前の両者は「同じ釜の飯を食つた仲」で、昨日までは親しい関係にあった。しかし、創価学会の謗法問題で宗内が混乱し、その最中に日達上人が急逝された。これを機に、学会擁護の急先鋒たる阿部師は、日蓮正宗の貫首を詐称し、やがて学会に批判的な正信会を宗門より追放した。
故に私たちは、理不尽な阿部師はもちろんのこと、貫首の権威や学会の財力に服従の意を表明した僧侶に対し、少なからず叱責の情があった。だがそれも40年の歳月が落ち着かせたならば悪くはなかろう。
逆に、危惧するのはお互いが無関心になることである。宗門・正信会ともに覚醒運動草創期を知らない世代や、当時の逼迫した緊張感を体験していない僧俗は増えていよう。そこでは互いの顔や組織も知らなければ、短期間であっても共同で苦楽を分かち合う状況がないから、両者が離別疎縁になっても特段の感情はわかない。むしろ両者は初めから無関係たったと思う意識であろうか。
それを踏まえた上で正信会僧俗は、後世に正信覚醍運動の実体を冷静かつ客観的に伝える努力を、もっと強める必要がある。またこの運動は、仇討ちや報復が目的ではないと周知徹底すること。私たちは近代日蓮正宗の歴史を歩む中で知らず身にっけた、堂塔伽藍の大きさや人数の多さなどを崇拝する心を捨て、虚飾を洗い流すことを求められている。そこを基盤として将来へ進むならば、宗開三祖が示された道は自ずと開け、祖道の恢復もなるたろう。「法妙なる故に人貴し、人貴き故に処尊し」のご金言を肝に銘じ、依法不依人の精神第一で信心修行しなくてはならない。
正信会の年間テーマは。「我らこそ富士の本流」だが、その実体は「我らは富士の本流をめざそう」の自戒でなければならない。なぜならば富士の本流とは大聖人滅後も常随給仕し続けた日興上人のお振る舞いにある。それは完成を目的とする本果の思想信仰ではなく、常に精進を怠らない修行中の行者、本因妙の信仰だからである。それはとりもなおさず、法華経の修行者としての自覚でご一代を過ごされた、大聖人のお振る舞いへと繋がるものだ。
「今日死ぬことで明日生まれ変わる」という譬えがある。私たちは肉体的にも精神的にも、昨日と同じ身体や考えの自分が今日を生きるわけではない。外見は昨日から今日に継続するように見えても、皮膚も爪も考え方も昨日の自分を脱皮し毎日生まれ変わることが成長である。歳月の経過ではなく、日々脱皮した自分を意識したい。