5年間を振り返って

 

三重県・経住寺住職

古川興道議長

茨城県・要蔵寺住職

田村竜道副議長

兵庫県・興福寺住職

中谷道尊副議長

司会・編集部

 

 

運動の原点を遵守

 

新年度より、正信会議長が古川興道師より田村竜道師へとバトンタッチされます。編集部では、その前に正副議長3名をお招きしてこれまでの経過と反省を、また新議長には、新体制における抱負をお尋ねしました。 (編集部)

 

司会= はじめに、新しく議長になられます田村竜道師より、ご挨拶をお願いします。

田村= 前任の古川議長が5年間にわたり全力で会内の混乱収拾にあたられ、ようやく落着した後を受けて、私が正信会議長の大任をお受けしました。私の役目は、本来の正信覚醒運動を再び促進させることであります。どうぞ正信会の皆さまにはご協力のほど、お願い申し上げます。

 

正信会の原点と役割

司会= 新体制の船出となりますが、正信会の原点とはなんでしょうか、順番にお話し願います。

田村= 正信会の原点は護法にあります。日蓮正宗の教えと信心を護るための団体であり運動です。社会的な存在意義・役割をいえば、社会の木鐸をめざし、宗祖が仰せられたように「心の財」を求める信心に精進することだと思っています。

中谷= ここ数年続いた会内の混乱も、この原点を見失ったことが原因ではないですか。正信会の事務所・拠点作りの話に、有志の会(後の法人派)で横浜・旧妙法院の取得を提案してきました。しかし一部教区で、教区委員と教区全体の意見が対立したまま、委員会で一部委員が誘導する現象が起きました。

 そこで平成23年に古川興道師や秋田舟済師、田村竜道師などが委員会に出て会合が引き締まりました。それらの方を中心に議論を煮詰めたことが、今の正信会の原点といえます。

古川= 正信会と覚醒運動の原点は、本宗信仰の根本である戒壇の大郷本尊を厳護し、信徒の成仏を願うこと、護法とは日蓮正宗の法義を護ることです。それは本山の言いなりになることではなく、むしろ法に照らして本山の非を正すこと、その実義を示さなければいけません。貫主本仏や誤った血脈観を正すことは護法であり、覚醒運動は日蓮正宗の破壊ではなく護ることなんです。

 

5年間をふり返り

 

司会= この5年間で古川議長が特に印象に残ったこと、またやり残したことなどがあればお話し下さい。

古川= 平成23年10月に突然、岡田議長が辞任した後で各教区委員の支援もあり、私が委員会のまとめ役をさせていただきました。それと、正信会機関紙の継命新聞を継続発刊できたことが委員会の安定と、ご信徒の信頼を保持できた原因だと思います。

 また法華講全国大会は覚醒運動の足並みを揃えて邁進するため欠かせぬ行事です。我らこそ本流という意識も強く、就任当時は決してこれを途絶えさせてはならないと、強い思いで臨みました。その結果、5度の大会はみな満足できる大会だったと自負しています。

 また法人派との裁判は、裁判所の和解勧告に従い、双方が了承しました。その骨子は、

@それぞれ別個の宗教団体である

A財産については正信会が2、法人派が1の割合で分配する

裁判は世俗の問題ですが、ある意味勝訴以上の結果が得られ、これで煩わしいことも解消されました。

 それからやり残した、ことは、若い僧侶たちの布教について当初、布教部・教学部で取り組んで欲しかったのですが、裁判やら何やらで時間と労力が取られ体制作りの出来なかったことが、心残りと言えば言えます。

 

法人設立の経過と戒壇本尊について

 

司会= 会内混乱の原因でもある法人設立の経過と戒壇本尊問題についてお話し下さい。

中谷= 法人設立の経過については、今回の法人派との分裂の一因になったことは事実ですが、紙面に掲載するには短文では説明不足となり、誤解を与えてもいけませんので(関心のある方は次の2書をご住職にお借りしてご一読下さい。

 

@『検証・包括法人をめぐる軌跡』 (平成23年。北近畿教区・ 正響編集室)

A『正信会報 (平成29年正月号。包括法人をめぐる軌跡・検証インタビュー)

 

古川= 分裂前後に法人派(その当時は有志の会)は、私たちとは教義が違うと言いました。当初その意味が不明でしたが、法人派の機関紙「妙風」や「れんげ」で私たちを批判する文章を読み、その理由がわかりました。私たちは熱原法難を機縁に戒壇本尊が建立されたと理解しますが、彼らは熱原法難そのものが大聖人出世の本懐だと主張します。その理由は板蔓茶羅は大聖人の御真筆ではないという身延派などの批判と同じです。つまり板漫荼羅と結びつけたくないから、戒壇の本尊を大聖人出世の本懐ではないと否定するのです。

田村= 大聖人の仏法は本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目、すなわち三大秘法が根幹です。これについて、法人派は「題目は建長五年四月二十八日、清澄寺において昇り来る朝日に向かって初めて唱え出され、本尊は佐渡において初めてご図顕(佐渡姶顕本尊?)され、残る戒壇は、熱原法難において、入信間もない人々が、命懸けで法華経を受持し通そうとした。これこそ本門戒壇の成就である」と、彼らの機関紙・妙風に述べていますが、これでは三秘がバラバラじゃないですか。大石寺26世・日寛上人が「三秘は須臾輿も離れず」と仰せのように、「三秘相即」・「円融三諦」は仏家の軌則です。だから戒壇の本尊を三秘総在の本尊と拝し奉るのではないのですか。各別ではやはりおかしいでしょう。

しかも彼らは私たちを板漫荼羅に固執する唯物的偶像崇拝者などと非難しますが、御本尊を信じられないで、どうやって成仏を遂げるのですか。まさか座禅を組んで悟るなどとは言わないでしょうけれども、それじゃなんでお寺や信徒宅に安置された漫荼羅本尊に手を合わせ唱題しているのでしょうか。私たちを偶像崇拝者と批判するのならば、その前に自坊の御本尊を取り払ってから言うべきではないのですか。

 仏教学者の奈良康明氏が、「宗教的真実とは言葉による表現を超えている」と述べています。つまり仏の悟りとか宗祖のご内証などと言いますが、言葉の表現を超えている真実であって、凡夫の智恵で認識することなどできないのです。だから本尊が大事なのです。

 日寛上人は「文字を借りて真実を表された」のが本尊であると仰せです。その本尊を信ずる信力によって、凡夫の我々でも成仏を遂げることができるのです。御本尊を平気で物体呼ばわりする彼らは、すでに日蓮正宗の僧俗と言ないことが明らかです。

中谷= 昔から三大秘法を「成壇の本尊の題目」と表現するように、本尊だけを離し、題目だけを別に論じてはいけないんです。そして熱原法難を機縁として成壇の本尊が建立されたと伝承されるのに、板漫荼羅は偽物というような勝手な解釈はいけません。熱原法難は宗祖の教えを百姓衆が行じたことで、大聖人ご自身の本懐も成就されます。その証に戒壇本尊を顕し、師弟共に未来への布教継承・妙法の伝授が成就したのです。

古川= 日蓮正宗の宗旨の根本は熱原法難を機縁とした弘安二年の戒壇大御本尊と、二箇相承に象徴されるように日興上人への血脈相承です。これに疑義を唱えることは七百年の歴史の否定で、日蓮正宗の僧侶とは言えません、外へ出て主張すべきです。

 

入仏・開眼の意義

それと法人派は板漫荼と魂魄を別物のように言いますが、では彼らは入仏式とか開眼供養って何のためにやっているんですか、そこに魂を入れるための入仏式や開眼供養じゃないんですか? お題目を唱えて魂を入れたら、それはもうただの板じゃないでしょう、どうしてそれを否定するんですか。それとも入仏式をしても板や紙には魂が無くて、魂はどこか別のところにあるとでも言うのですか。

田村= 大聖人は「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ信じさせ給え」と仰せです。目には見えない大聖人の魂を、文字をもって書き顕わされたのですから、それを本尊と拝し大聖人の魂と信じるのは当然ではないでしょうか。

中谷= 日達上人は入仏式で「総本山の戒壇大御本尊様のお写しの御本尊様を安置し奉り、皆さまの信心の道場としたのでございますから、お寺に参詣した時は心を一にして、いささかの疑念もなくただ一心に南無妙法蓮華経と信心されることをお願いいたします」と言われ、寺院参詣の心構えをお示しです。

田村= ご信者を指導する立場の僧侶が、ご信者を迷わすようなことを言ってどうしますか。まあ私たちとは教義が違うと主張する別団体ならば、あまり立ち入ったことを言う必要もありませんが、よく分からずに付いているご信者さんもいるでしょうから、その辺はハッキリと言って納得してもらわないといけませんね。


 
信仰・社会両面における正信会のあり方

 

司会= 正信会のあり方を、信仰・社会両面からお話し下さい。

古川= 立派な指導者がいる組織なら統合体もいいですが、一般的には連合体が安全で、正信会にはゆるやかな連合体があっていると思います。信仰面では住職がご信徒の成仏を第一に考えて教化育成して欲しい。社会面では布教講演会をどんどん開き、お寺に籠もらず自治体主催の趣味や運動、ボランティアなどへの積極的参加で社会性をもつことです。

 

信徒の成仏を第一に

 

田村= 正信会のあり方とは」つまるところ僧侶の原点でもあり、それは信徒一切衆生の成仏を願うことに尽きます。それには戒壇本尊が当宗の信仰の原点なので、それを信ずることが日蓮正宗の宗旨で、今までもこれからも正信会の信仰の基本的あり方です。


 
第40回大会について


司会= 今年の全国大会は南三陸で開催しますがそれについては。

古川= 今年は物故者の7回忌です。今まで各寺院では法要をしましたが、正信会としてまとまって供養が出来なかったので、大勢の人が集まれなくても現地に足を運んで法要をと思い、東北に決めました。これはまた正信会という団体が被災地で法要を行たということで、社会的にも歴史的にも大事なことだと思います。

田村= 昨年の教師講習会で川村旺道師(本道寺)が、覚林日如の話をしました。大聖人の妙法を弘めて網地島という島に27年間流罪された僧侶です。その網地鳥に近い南三陸町で40回大会を開くということに、個人的には覚醒運動となにか因縁めいたものを感じております。

中谷= 今年はあの防災対策庁舎の建物が残る南三陸町で、大震災物故者の第七回忌と共に行います。来年以後の大会については、信徒の高齢化や開催候補地、さらに交通費など諸の負担が次第に大きくなるので、みんなでどうするかを考えればよいと思います。

 

新議長の抱負

 

司会= 最後に田村竜道師より新議長の抱負をお願いします。

田村= 古川議長が5年間努力された後、私に与えられた使命は若い人をさらに育成すること。また現在の17教区制をより現実にあったようにする機構の改革と、そのために会則の変更が必要です。

 それと布教に力を注ぐこと。現宗門や創価学会の布教は、世間的にも受け入れられないものです。折伏は抜苦与楽の慈悲行とも言うように、一人一人を救うことが目的で、組織のためのノルマではありません。

 創価学会的なご利益信心が強調されてきましたが、正しいご利益とは心の豊かさ、心の財を積むことです。それを私たち正信会が、お題目を唱えて信徒の成仏を祈念する、本来のあり方で宗門や創価学会の人々に示せるようになればと願っております。

司会= 本日はありがとうございました。

 

【註】このてい談は、

法人派機関紙「妙風」の第55・56・59弓に掲載された、@宗教法人化の経過について、A宗祖出世の本懐とは、についての反論を兼ねております。

 

 

 

もどる