閑談
埋み火をおこす
過日、宗門寺院の法華講幹事をしていたF氏の息子さんに、東京駅で偶然に出会った。
いつもハガキで近況を知らせてくれていたお父さんは、少し前に亡くなったと聞いていた。
機会をみつけて一度お参りしようと思いながらズルズルと先延ばしにしていた非礼を詫びて、お茶を濁そうとした。
だが息子さんに、「父は最後まで『正信会の僧侶に宗門へ帰ってきてもらい、宗門の立て直しをして欲しい』と話していました」と聞いた。
私は「宗門のために運動した僧俗を擯斥・追放した阿部日顕師の判断は間違っていたと、現宗門が認めて謝罪しないうちは、正信会が宗門に帰ることはないでしょう」と伝えた。
息子さんは「それは父もわかっていたと思います。しかし正信会や創価学会を追放破門した後、宗門は堂塔伽藍の整備や信徒数の倍増には力を入れますが、なにが大聖人の教えなのかよくわかりません」という。
その要旨を聞けば、学会問題で混乱していた当時の僧侶は危機感をもって、宗門の将来を真剣に考えていた。あの頃の僧侶は顔つきや目つきに覇気があった。今ではなるべく波風を立てず、穏やかに生きることが第一と考えている僧侶が多いように見えるなどなど。
いわれてみれば、正信覚醒運動は日蓮正宗に時ならぬ旋風を巻き起こした。だがその後の宗門は分離断絶によって殼に閉じこもり、以前よりも閉鎖的になり、衰退劣化している。
創価学会という横暴極まりない組織と縁が切れたことで、折伏弘教の緊張感や、弘通の志まで萎えてしまったようだ。
敵をみつけて攻撃しなければ布教意欲の萎える信仰など正しい宗教とはいえないし、不軽菩薩の跡を紹継するといわれた大聖人の教えに背く。
私は息子さんに「大聖人の教えを求める僧俗一人ひとりの熱意が、日蓮正宗に富士の清流を蘇えらせる原動力になります。宗門の中にあっても現状を歎き志をもつ人がいるならば、将来は共々に研鑽できるようになるかも知れません。志と希望は捨てないで下さい」と励ました。
そして、種火は消えたように見えても、埋み火はあるものだと、少しうれしく思った。 (蕪)