新春オンライン

 

僧侶鼎談

 

葬儀の意義役割を考える   コロナウイルスの影響

化儀は教義や思いを形に表している

 

兵庫県加東市 大蓮寺副住職  中原 寿衛師

宮崎県延岡市 久住寺副住職  兒玉 光瑞師 

東京都八王子市 常修寺執事  吉田 淳明師

司会=本紙編集部

 

 はじめに

・司会=本日はお忙しい中をオンラインて鼎談にご参加いただき、 ありがとうございま す。新型コロナウイルスの感染では、さまざまな形で行動制限を余儀なくされ、葬儀や法要などにも影響があったかと思います。

 また本日の鼎談もオンラインで実施しておりますが、それ以前との変化についてお話いただければと思います。よろしくお願いいたします。

 

1、コロナ感染

・司会=新型コロナウイルス蔓延の影響は?

・中原=コロナで社会の本質が激変とか、根本からひっくり返されたというのではなく、 これまで5年で変化進展したことが、1年に 短縮したように速くなったと思います。葬儀形式の変化や寺院参詣が減るなどの傾向は前からありました。コロ ナはそれに拍車をかけただけで、方向性はさ ほど変わらないです。 ズームオンラインなどがよく使われ始め、それを布教に利用することや遠隔地からの葬儀 参列などが、技術的には可能になりました。 むしろ私たちはその変化を受け入れ、布教や冠婚葬祭の方法を適応させることが必要だと思います。

・吉田=密葬や直葬は以前からありましたが、昨夏くらいから増えたようです。お墓参りや法要もコロナ感染者の入数で、変更や中止になる影響はありま した。

・中原=うちはお盆、 彼岸の法要はいつも1 度でしたがうコロナ対策の一環で午前と午後 の2回に分けたとこ ろ、午前の参詣者が多 く、信徒の意向に気がつい た次第です。 コロナは負の面だけではな く、新たな気づきを教えてくれました。

・吉田=常修寺にあります高尾墓園にお墓参 りにこられる人でも、 午前中に法要を行い、 その後で墓参や会食に行く人が比較的多く、 信徒にはその方が利便性があるようです。全 般的にコロテの対策意識が高まり、信徒自身で混雑の時間帯に気をつけてい良す。

 

2、葬儀事情について

 ・司会=継命新聞に連載中の「送るためには」 で、昨今の葬儀事情を紹介していますが、どうでしょうか。

・兒玉=流行りの家族葬は、密葬を真似たものでしょうが、本来の密葬とは違います。 要は、高すぎる費用を抑ええたいのだと思いま す。これは全国どこも同じだと思いますね。

・中原=新聞にもありましたが、葬儀費用は 必ずしも家族葬が廉価とは限らず、香典を葬儀費用の一部に充てるのも方法です。

・兒玉=葬儀費用や弔問客に対する接待の手間もわかりますが、真心で弔問される方々の 「見送る権利」も大切 にしたいですね。

・中原=そうですね、 密葬や家族葬を選ぶ理由に、弔問客への応対の難しさがあるのも事実です。故人の死をあまり知らせたくない遺族の気持ちや、特に大きな葬儀では、故人は弔問客を知っているが 遺族は面識がないこともあります。それらの応対で困惑するから、 身内だけで送りたいとの思いが簡素な葬儀を希望する一面は見逃せません。葬儀の主役は故人ですが、故人のためだけの儀式ではないのですから。

・吉田=葬儀を省略することには、その反動もあるようです。以前にテレビで「葬儀をしなかったことが心残り で遺骨や遺品を自宅に置いて偲ぶ人も多い」 と紹介していました。 葬儀にはそれなりの意義役割があることを、 私たちはもっと伝える必要があると思いま す。

・司会=葬儀には通禍儀礼と、悼む気持ちを形に表す両面があるということですか。

・中原=葬儀には故人を失った悲痛を、時間をかけて少しずつ鎮めるソフトランディング の役割もあります。それを知らず、葬儀省略 の理由が高額な費用などであれば考え直すべきですし、それを教えるのは私たち宗教家の責任ではないでしょうか。

・吉田=お通夜以前に行う湯濯や納棺などを葬儀社だけでなく、遺族も一緒に行うことがあります。それらの行為に時間をかけることで、少しずつ故人の死を受け入れやすくなるようです。端からは単なる儀式のように見えても意味があります。

・兒玉=師匠が宮崎県の日向定善寺の出身ですが、化儀でも大石寺 とは微妙に異なる点があります。そもそも化儀とは教義や思いを形に表したもので、形式そのものが大事というわけではないのです。 歴史的・地理的な風習、 また個入の考え方などで現在の合理的な形になっていますから、今 を生きている私たちが議論を重ね、現代社会にあった方法を模索すればいいと思います。

・吉田=コロす騒動で東京から福島の師匠のお寺へは帰りにくく自重していますが、地方にはその地域のやり方があります。例えば告別式の前に火葬(荼毘) します。そのため荼毘には参列して告別式は帰ってしまう人もいま す。また会葬者の焼香に喪主が立礼を続けるのはどうかと思いますが、それも地域の慣習や葬儀社の方式ならば、それを柾げず、遺族の気持ちも大事にする方法を模索する必要があると思います。

・兒玉=まあ、僧侶は葬儀には慣れています が、明らかな間違い以外は、あまり口出ししない方がいいとは思いますね。

・吉田=葬儀社がつけるオプションで費用が嵩むなら、僧侶が積極 的に遺族へ助言することも必要ですが、オプ ションが遺族のためになるなら、それは認めますね。

 

3、僧道について

・司会=出家して特に記憶に残る印象などがあればお願いします。

・中原=出家得度は昭和61年、中学1年生で 「親が僧侶だし、長男は跡を継ぐものかな」 と漠然と思いました。 沙弥行学講習会で、同年代の人だもの感覚が 少しズレているように思い、「自分の場所は ここじゃない」との思いが強かったです。今 振り返ると、単に自分 ひねくれていただけ のようにも思います。 大学進学で東京のお寺に在勤となり、そこのご住職や先輩後輩との出会いで、もっとこの世界で頑張ってみようという気持ちにつながりました。

 

僧道を歩んで思う

 将来の継命新聞のあり方

 

・兒玉=私は物心つい た時には、自分が僧侶 になるのは当たり前と 思っていました。もともと思想や哲学が好きなので、それを追求する仕事ができるのだか ら、とてもありかたいと思いました。その一 方で、大人になったら 師匠ができることはすべて自分もできなければならない、とのハー ドルをどこかで感じて いましたね。御書を読まなければ、お経の意味を知らなければ、庭木の選定ができなけれ ば、相手が誰であって も説法をしなければならない…など。そう思 いながら子供の頃を過ごしまし た。そして得度式の時に、生まれてはじめて母 の涙をみて「ハッ 」としました。

・吉田=私も僧侶になることに特別な 意識はなかったです。 気がついたら自然に僧道を歩み始め、ご信者さんが「淳明さん、淳明さん」といつも声をかけてくれたことが、 今思うと一番の励みに なっていたと思いま す。また、いつも教区の先輩方に恵まれた いう印象ですね。私は途中で少し横道へそれていた時があります。 それでもご信者さんは 「淳明さん、淳明さん」 といって、先輩方もやさしく迎えてくれまし だ。得度してもみんな 順調に僧道を歩めるわけではないので、途中で少し横道へ逸れてもまた戻れる雰囲気が 事だし、嬉しいです。 

  ・兒玉=教師補任式の 披露で自坊(久住寺) に戻った時、庭がとてもきれいだったのをよく覚えています。本当に草一本、葉っぱ一枚 落ちていなかった。そ の時にご信者さんの真心を感じました。自分はまわりの人に育てられたのだと、感じたことを今でも強く覚えて います。

・中原=私は皆が悲し んでいる雰囲気の中での読経が苦手で、葬儀の導師を務める時に気後れすることもありま す。しかし遺族が位牌の戒名を見て「故人にぴったりの戒名をつけ てくださり、ありが うございます」と涙な がらに感謝された時 は、自分が僧侶として そこにいる意味が感じ られました。

 

4、継命新聞のあり方 について。

・司会=継命新聞の今後についてご意見を。

・兒玉=読者離れの本 質は、若者の活字離れではないと思います。 このご時世に正面から 「キレイ事」をいえる のは僧侶くらいです。 だったら何のしがらみや忖度もなく、何でも 発言できるメディアで あるべきです。その上でネット版への移行。 これは、時代の流れで 避けては通れません。

・司会=紙面をネット 配信するのですか?

・中原=どこの新聞社 でも今はネットに記事を公開し、一部の記事を有料にするなどして 収益化しています。

・兒玉=ブログやSNSのように、テーマに ついて誰でも自由に参加できる環境が大事で す。ネットで揉まれた テーマを、紙で出版してもいいです。

・中原=紙は購読者限定ですが、ネットは正信会外部の入々にも広く読まれるので、信仰を伝えるチャンスも広がります。読み手も文 字の大きさを自由に変えられ、かさばらない メリットや、見たい時 にいつでも手元にある のです。過去の連載で 「みんなで学ぶ法華 経」(光瑞師著)を読もうとしても探すのが 大変なのが、記事を検索できます。写真、動 画、音声も大丈夫です。 経営面や布教面でも、 あらかじめ印刷部数を決める必要がありませ ん。記事の加筆訂正は 容易です。月2回の発 行にもこだわらずに済 みます。紙は読み終わ るとゴミになりますが ウェブ版なら掲載記事 すべてがストック型の資産となるのです。

・兒玉=そもそも、継命新聞のあり方そのも のが変わっていく時で 近い将来、紙は不要になります。各記事の執 筆担当者も1日・15日 の発行日ではなく、文 が完成したら随時投 稿したらいいのです。

・司会=現状の締め切り日とは異なるということですね。

・吉田=記事をすべて締め切り日にそろえてから発行するのではなく、できたものからアップすれば文章・内容 ともに、より推敲できて深みも増します。

・兒玉=およそ正論しか載せられない新聞なんて、誰も読みたくないです(笑)。それよ り気軽な意見が飛び交 い、議論が磨かれる紙面を作ることが、正信会の価値にもなると思 います。もともと正信会は権威に屈しない人たちの集まりなのですから。組織は延命治療を姶めたら終わりで す。もっと先を見通して、みんなの意見が飛び交う場になればいいですね。

・中原=どこの雑誌・ 新聞社も紙媒体からデジタルヘと移行し始 ています。現代は多くの人の情報源が紙からインターネットにつな がったPC・スマホや タブレットになり、普及しています。世代的にも紙の小さな文字は 読まれなくなっている し、紙で新聞を届ける 時代はいずれ終わるだ ろうと思います。

・兒玉=実をいうと個人的には紙の方が読みやすいとは思います。 目次を見てななめ読みができますからね。世間の流れはデジタル化 ですが、未来は逆に 聞がレアになるかも知れません(笑)。

・吉田=媒体が変わっ ても読むことはできます。本や新聞という形式でなくても主張や 事は読むし、それを摂取できます。もっとつながりやすさや、読みやすさを主体とした形式の「新聞」に踏み出す勇気をもってはどう でしょう。

・司会=編集、執筆、 読者が全員参加型の新聞作りですね。

・中原=システムの構築と運営は外注することで、編集部はもっと 内容や記事に関する作業に専念できると思い ます。

・兒玉=現在、正信会 のアイデンティティーを示すのは継命新聞と  『正信会報』といったものなどですが、その 蓄積が正信会の歴史になります。内容は大上段に振りかぶる必要はありません。もっと気軽に物をいえることが 大事です。発言が間違 ってもいいから発信することで、それに対し て交流ができる自由さを、継命新聞が作るようにすればよいので す。

・吉田=プログ式にす ればいろいろな意見が 集まり、昔の記事に対 してでもリアクションができます。コメントが増えていけば炎上も ありますが、そこは自 由に発言しながら、で もこれが絶対ではありません、という広場があってもよいと思いま す。

・中原=さまざまなコ メントがありますが、 宗派や組織の違いを気にせず思ったことを 直にコメントできる場 は必要だと思います。 それがお互い刺激にも なり、メリットもある のではないかと。継命 新聞も2、3年後には デジタル版にならざるを得ないのではないで しょうか。ただし、そ の時に経営体力があ かどうかが問題ですから、早めがよいと思い ます。

 ・司会=本日はいろいろと貴重なご発言を ただきまして、ありがとうございました。

 

  おわりに

 コロナウイルスによ り従来は当然であった ことができず、不自由 になったと考えがちで すが、まの面ばかりで ないことに気づきまし た。また、葬儀形式が変わりつつありますが ものごとは変化が起きている時にこそ、本来の意義、基本を確認す ることが大切だと感じ ました。僧道を全うするためには多くの助けが必要で、法華講のみなさまも温かな眼差しをもって、ご僧侶を見守っていただきたいで すね。また継命新聞に 対しても、たくさんのご提言をいただきまし た。みなさんのご意見を肝に銘じ、より一層信仰増進に役立つよ な新聞作りを目指 したいと思います。  (編集部)

 

正信 会は権威に屈しない人 たちの集まりなのです

 

 

 

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