信頼

 

 

 師、弟子の道を正すと読めば流転門とするさえ、かなりな抵抗がある。師、弟子の道を糾すとよめば更に異様な感じを受ける。しかし師弟子の道を糾すと読めば上行の世界即ち還滅の師弟であると考えるのに何の抵抗もない。やはり読みの浅深ということであろうか。たとえ浅いものでも極力深く読みとることは又師弟子の道の一分というべきである。師弟子の道の混乱は互いの信頼感を失うことにもなる。預めこの語を示された御深意をかみしめてみることも、あながち無駄なことでもあるまい。

 

 

 

 今は相承について色々と問題が起っているようであるが、元より在家不信の輩の云々することではない。やはり本人が間違いないということを信用するのが最も良い方法かもしれない。しかしこゝには一つの疑問がある。宗祖直伝の相承を受けている者が、宗祖の最も信頼する不軽の行を何故これほどに下すのであろう。二十四字の礼拝行のみをもって考えるのは文上読みの哀しさである。宗祖自ら日蓮紹継不軽跡といゝ、法華経の行者といわれているのも全てはこの二十四字に発するものである。折伏行もまたこの中に含まれている筈である。その不軽菩薩を下すことは、明らかに宗祖に対する不信であり不知恩であり、また増上慢であると言わざるを得ない。自分から間違いなく相承を受けているという者が、果してこの様な言葉を発するものであろうか。宗祖直伝の相承を受けながら、しかも一方でこれを否定するような不信の言葉を発することは、反って相承を受けたことを自ら否定するように受けとめられても止むを得ない。千慮の一失とは正にこのようなことを指すのであろうか。

 

 

 

開目抄に説かれた礼は仏法を明らめんがためのものであるが、巻頭言の礼は世法に限定された礼である。今も手付かずになっている仏法家の礼を明らめられると、大いに後輩を益する処があるのではなかろうか。師、弟子を糾すでは仏法家の礼とはいえない。法門とは全く無関係の故である。師、弟子を糾すでは「信の一字」も本因の本尊も共に求めることは出来ない。そこには信頼の生じる余地がないからである。しかし今の法門の立て方では師、弟子を糾すことがふさわしいようである。親しき仲にも礼儀ありでは、長幼その序を正しうする功徳はあっても、「信の一字」につながるようなことはないであろう。仏法を捨ておいて礼節のみを要求するのは世俗一片の俗談でしかない。若し世俗の上で見るのであれば、主師親の三徳の上に読み、己心の法門を見出した上で、尚余力があれば再び世俗に立還った処で改めて読み直すべきものではないかと思う。

 

 

 

必要以上に強烈な言葉を使えば、反って宗門の品格を下げるような事にもなり兼ねない。山田や水島にしても、言葉の強烈な割合に成果は上がらなかったようであった。今少し内容の強さが必要であったのである。阿部さんや水島・山田が好んで使う言葉ほどお下劣なものは、世間ではめったに聞くこともない程のものである。主師親の三徳でもあれば違ってくるであろうが、それもありそうにもない。これでは徳化というわけにもゆかないであろう。

 力による折伏が全てであるが、いつまで通用することであろうか。徳化は慈悲に通じるものであるが、慈悲がなければ信頼は起らない。そこに不協和音の起る要因がある。正信会の折伏も又同様である。力による折伏は或る期間は通用しても、いつまでもは通用しないようである。今からでも徳化方式に切り替えるべきであると思う。そのために学を励んで徳を蓄えなければならない。学はいらないと反り返ってみても民衆の反撥を買うのみではなかろうか。あまりにも自分を高位に置いたために、既に反撥が起きているように見える。そのような中で自分を本仏に近付けようとしているのではないかと思われるような処さえある。

 

 

 

現状は法華経の受持を唱えているが、それは迹門の受持であり、仏法家の受持ではない。仏法ではその上に貞観政要を通して中国上代の五帝あたりからの徳化を根本として受持し、民衆にまず徳化を以ってすれば、そこから信頼心を返してくる。そこに信の一字も成り立つものであるが、今の宗門にどれだけの施すべき徳の用意が備わっているであろうか。今は迹門方式によるが故に法華経を受持するのであるが、開目抄では久遠実成と二乗作仏に限られている。そして己心の一念三千の上に法門は建立されているのである。その中で貞観政要の徳化が大きく働いているのである。そして世法の中で大きく働きを起すのである。己心の法門が出来上がってゆくなかで、貞観政要の働きを見逃すわけにはゆかないであろう。

 

 

 

大石寺法門の中で最も要求されているのは、内に秘められた徳化力であるが、法主自ら陣頭に立っての悪口雑言方式は徳化といえるようなものではない。何はともあれ、今は法主自ら主師親の三徳の処に立ち返ってそこに仏法を見出だす時である。もしそのような事が出来るなら、その進退は全て独一であり、本仏の所作であるが、若しこれが出来なければ、それは独善といわざるを得ない。その独一はお互いの信頼感による処であり、そこに信の一字をもって得たりという本尊も成り立つのである。それが真実の世界広布である。迹門に法を立てながら広布をとなえてみても、世俗への通路は塞がれているのである。

 

 

 

宗祖は貞観政要に得たものを、そっくり民衆に渡している。それが徳化ではないかと思う。そして師弟相寄った信頼感の上に本尊を成ぜられている。それが本因の本尊であり、そこに帰依を含んでいる。しかし、今は師弟相寄った処、信頼感の上に成じる本尊は認めない。宗祖が本仏として授与することだけしか認めていないのであるから、始めから師弟各別になっている。即ち迹門の形をとっているのである。これでは師弟子の法門とはいえない。そこで本尊も対境となり、与えられた本尊に対して題目を上げるような形をとっているのであるから、現世の成道は失われ、死後の成道に移ることになる。

 

 

 

今は帰依といえば本尊であるが、開目抄では師を教えて帰依をしらしめることになっている。その師に帰依するとは師徳に帰依することであり、人徳に帰依する意味のように思われる。己心に師を求めて本尊を見出だしてそこに帰依すれば、天下太平である。民衆に対しても、徳は必ず先に施すべきものである。太宗皇帝は百姓に対して先に徳を施したために、百姓はその徳に対して信頼をもって応えたのである。太宗に百姓が帰依したのであるが、それを己心の上に現じたのが己心の法門である。

 師弟共に愚悪の凡夫の処にこの法門を具現すれば己心の法門である。折伏教化共に徳化である。それは、そのまま僧侶と信者の間にも具現すべきものであるが、今は僧と俗との距離が出来すぎている。そこに仏法から仏教への転化があり、反って救うべき者が救われる立場になり、色々と秘策を練られるとき、法門も暴走を起すことにもなる。基本線は常に仏法に居なければならない。

 

 

 

本因の本尊には仏法に通じるものをもっているが、本果と決まれば迹門に固定するので、肝心の仏法とは自動的に縁が切れるようになっている。これが計算の内に入っていなかったのである。仏法は、その源は仏教にあっても、最早、信仰信心の上に解せられるべきものではなく、寧ろ信頼信念を根本として解すべきものではないかと思う。信の一字をもって得たりという本尊は仏法の本尊を指している。それを今は迹門の上に解しているまでである。そのために魂の通じない処があるのであろう。今は専ら信仰信心の信の上に解しているようである。これはいうまでもなく在滅の時の誤りである。

 

 

 

不軽菩薩は所見の人に仏身を見るとは、不軽菩薩は常住に等しい程である。今の宗門は不軽菩薩出現担当のようである。当分種切れになるようなこともあるまい。そのために「本尊の為体」を絵像木像にする必要はないかもしれない。中央の妙法蓮華経は師弟子の法門の姿である。功徳が根に聚った姿である。また隠居法門の極意でもある。主と臣の間、親と子の間、師と弟の間、そして主と師と親の間、それをつなぐのが信であり信頼である。その信が法門となり本尊と現われるのではないかと思う。それが信の一字である。

 

 

 

興風の第五号には大黒喜道師の労作として台当異目が載せられているが、「台」は行師の写本を写した永師の肝心要義集であるが、それが後の所謂中古天台によるか四明流によるかでも、又「当」が全面的に四明流を受け入れた以後か以前かでも違ってくる。そこでは肝心要義集は比較的古い時代のものであり、永師の時代には主師以前に書かれたものも、口伝えのものも、まだまだ残っていたのではないかと思う。それによって台当を決めたことは内容的にも信頼がおけるのではないかと思う。一口に台当と称しても種々な考え方によっているものがあるから複雑である。根本を従義流によっているものと四明流によっているものとでは、台も当も同一に論じることは出来ない。

 

 

 

外相一辺の中で西洋思想を取り入れることは出来ない。今その失敗が表に出てきたのであろう。七百年前には本来同質のものが、魂魄の上に融合されたのであるから、今の先例にはならない。そこに出来たのが日蓮法門であったが、今は己心の法門も既に打ち捨てられ、日本魂も打ち消され、信の一字も見当らない。信頼感もまた失われて自我のみが育ってきた中でいじめも起っているようである。大石寺でも己心にあるべきものが、自我に変った処で宗義の再編成が行われているようなことはないであろうか。

 

 

 

己心を邪義と決めても、邪義の二字以外には何もないのであろう。己心も心も邪義なら、本仏や本尊を正義とするためには、それに代わるものを示さなければならない。それが出来なければ承服することは出来ない。信者もまた承服しないであろう。とも角、邪義であるなら信頼の出来る文証をもって証明すべきである。文証がなければ邪偽となるのは必至である。あとに本尊や本仏が控えているだけに厄介である。責任のある処をもって示してもらいたい。

 

 

 

八幡大神の処でも、神は正直の頭に宿るということになっている。正直とはまことの意である。日本で特別に発展したものであろう。やはり八幡大神が中心であろうか。正直を中に神と人とも合一すれば天皇と臣下も一体となることも出来る。そして忠君愛国とも発展してゆくものであるが、戦後はとんと無沙汰になっている。正直の処には人と人との和合も可能である。そこに相互に信を生じる。その信を根本とすることには大いに意義があると思うが、今はこの信も正直も不足している。信頼感のなさがいじめにも通じるのかもしれない。目前の対策と同時に、忠君愛国に代わるものとして信頼とか正直とかいう辺りに何物かがひそんでいる。それを引き出す時なのではなかろうか。

 

 

 

仁徳天皇が高殿から民の竈を御覧になった処は仁でもあれば徳でもあるが、民の側を見ればまことであろうし、応神天皇もまた正直であり聖徳太子の和とはまことによって生ずるもの、国初めの辺は何れもまことを根本とされているように見える。そこに自然と信頼感も出合うのであろう。これは今のいじめ対策にも通じるものを持っているのではなかろうか。

 

 

 

仏法に帰り己心の法門をもって宗を建立するなら、わざわざ信不信を分ける必要は更にないと思う。不信の輩などという語は独善の中でのみ成り立つものである。決して称えたものの教養を高くするようなものではない。只お下劣さのみを深めるものである。このような語を使うよりは、主師親の三徳によって相互の信頼を増した方が余程賢明である。信不信の不信は仏教の処にあるもの、主師親の三徳の信の一字は本因の本尊を現ずることが出来るが、信不信の信にはそのような力はない。「信の一字をもって得たり」という信は仏法の信を表わしているのであるが、今仏教の処にこれを見ているのは大きな誤りである。

 

 

 

信の一字は互いの信頼の中に出来ているが、不信の輩という立て方には自分一人が常に正であり強者であり、他は皆邪、弱者という立て方のように見える。即ち独裁者流である。しかし、このような事は永遠には続かないであろう。弱者の中からは必ず次の強者が出るのである。師を教えて帰依を知らしむという辺りを味わってもらいたい。不信の輩といわれたものは必ず帰依の心は起さないであろう。信の一字は帰依の処に始めて成り立つものではなかろうか。その故に定の処に信の一字をもって本尊が建立されるのである。定もまた互いの信頼の処に成り立つもののようである。

 主は戒、師は定、親は恵、三徳は三学でもある。その間を結んでいるのが信頼であり、その信頼の上に社会も成り立っているのであろう。その故に信をもって根本とし、そこに本尊を居えるのであろう。その師の処、信の処が世間即仏法の接触点ともなっているように思われる。社会は相互の信頼の上に成り立っていることを示されているものであろう。世間は差別の上に立った師弟や長幼の序のみをもって保てるものではない。そこは信頼に限るようである。本因の本尊はその処の機微を示されているのではなかろうか。そこへゆくと、今の不信の輩の語には、ただ信頼を毀すようなもののみしか見当らないように思われる。

 信頼の処には差別の必要はないようである。仏法とは信頼の上に成り立っており、そこには一切の差別もまた必要がないようである。しかし、今は仏教に立ち帰った故か、師弟にも差別や世俗の礼儀のみが要求されているようである。そこは信の一字の上に出現する本尊の境界とは凡そ懸け離れた処にあるようである。そして師弟子の法門も極端な差別の中でのみ考えられているようである。このような法門は全て三徳の上に考えるようになっているようであるが、今はこの本尊に示された三徳や信頼についての教えは一向に守られておらず、ただ信仰の対象としての本尊のみが考えられているようである。これは仏教に立ち帰ったための故であろうか。そのために本因であるべき本尊が本果と決まったのである。そして仏教に立ち帰って応仏を教主と仰ぐようになったのである。仏教には始めから差別をもっているのである。  

 

 

第三巻の見直しを終った処で新聞を見ると(61年4月23日付)読売新聞の朝刊に、中国にもいじめがあるという見出しがあり、日本青少年研究会の調査したものであった。そして今も父兄と教師の間に信頼があるということであった。さすがに年季が入っているだけに、文化大革命にもつぶされずに、今に信頼を伝えていることに驚いた。日本では戦後直ぐに信頼は見失ったようである。信頼があればジメジメしたいじめは起らないかもしれない。中国には生徒と師との間、生徒同志の間には今も昔ながらに残っていることであろう。これでは日本のいじめと同日に論ずるわけにはいかない。これはそれ程悪質化していないしるしである。

 

 

 

日本の場合はまず信頼を取り返すことが大変である。日蓮によると信頼の処は帰依を知らしむと表現されており、主を戒、師を定、親を恵として、そこに三徳を見、戒定恵を見、師の処にまとめている。その師の処に信の一字をもって本尊とまとめているのである。社会生活の場にこれを見れば信頼であり、一人についていえば信念である。中国ではその信の一字は今も三千年五千年前と同じように健在なのである。これは必ず立ち上るであろう。そこへいくと日本では信頼を取り返すまでが骨である。そのような方法をもって、これを取り返すか、これについて智恵を巡らすことから始めなければならない。現場で起きた事についての対策のみでは、この急場はのりきれないであろう。

 

 

 

主師親各の間の信頼を取り返すことが出来た時はじめて主師親の三徳ということが出来る。師の徳を中心に一に収まってゆくのが原則のように思われる。日蓮はその意をもって師の処に帰依を見、本尊を求めているのではないかと思う。「信の一字」はそのような意味を持っているのではないかと思う。教育の現場でもまず参考にする必要があると思う。己心の法門はそこを出発点としているのである。信頼は眼をもってたしかめることは出来ない。飽くまで秘密蔵に属するものである。仏法と仏教の接点はここにあるのかもしれない。中国の古い思想と日本の上代の思想の接点も又そこにあって新しい日本の思想を創造する原動力になっていたのが信頼なのかもしれない。貞観政要はそのような意味で日本の思想の形成の上に使われていたのではないかと思う。それを最も大きく扱ったのが従義流のようである。これを逆次に読めば必ずまず民衆が出てくるようになっており、決して宗門の希望するような衆生は出て来ない処が妙である。

 大石寺もまた信の一字から再検を始める時ではないかと思う。信の一字の処、信頼の処に己心の法門の故里があるのである。今の宗門に、相互にどれだけの信頼をもっているのであろうか。人を不信の輩といえば相手も不信の輩というであろう。自他の間は不信をもって出来ているのであろうか。

 

 

 

 師弟子の法門とは本因の本尊と殆ど変わりはないであろう。この法門の根本になるのは信であり信頼である。これが大石寺法門の根本になるものであるが、伝統法義では何を根本としているのであろうか。仏法と仏教では同日に論じるわけにはゆかないかもしれない。総てが真反対に出るからである。本因と本果では止むを得ないことである。

 

 

 

信の一字・信頼はこの境界を指して本尊と称しているのである。それが唯授一人となると異様な権威を含むようになるが、その出生からいえば、本尊抄の末文の解釈のあり方なのかもしれない。或は外相に出たためであろうか。中古天台直輸入というようなものではない。このようにしてみると、唯授一人とは己心の法門そのもののようにも思われる。宗門は今己心の法門を邪義と決めた時、唯授一人はどのようになるのであろうか。或は唯授一人の出生について何か外に名案があるのであろうか。

 

 

 

この本尊は信の一字をもって得たりという。それに心を加えて今は信心をもって本尊を得たという解釈になっている。開目抄や本尊抄は信と信頼については説かれているが、信心について説かれているかどうか、未だにそのような箇所にお目にかかることは出来ない。その信頼が孝の一字に収まっているのであろう。外典三千余巻の所詮は孝の処に収まっているのであろう。そして一切経もまた法華経という孝の処に収まっているようである。その孝から仏法は出発しているのである。

 

 

 

開目抄等の五大部十大部といわれる御書も、根本は孝の処におかれているのである。その孝の至極した処に己心の法門があり、そこから信の一字をもって本尊は出生しているのである。信心一本とならないために一度は師弟を呼び起こし、信頼を知らなければならない。本因の本尊は信頼の中に出生してるようである。或は信頼そのものなのかもしれない。時局法義研鑽委員諸公にも、その信頼の処を今一歩追求してもらいたいと思う。ここの処は仏法の立場から信を考え直してもらいたい処である。

 

 

 

己心の法門を邪義ということは、とりもなをさず仏法不信の謂である。仏法については不信の輩は反対に出るようである。これでは宗祖に対して不孝の譏りはまぬがれることは出来ないであろう。今の世上も信の一字や信頼感は極端に薄れているようである。世俗の信頼感の中に本尊が建立されているのが大石寺の本尊の特徴であるが、仏法が仏教と交替すると同時に本因は本果と成った。仏法を抛棄した証である。宗門自身がそれを明確にした処に重大な意義をもっているのである。元は世俗と密着した処に立てられたものであり、常住であったが、今は世俗と全く離れてしまった。これでは常在霊鷲山とも現世の霊山ともいうことは出来ない。事行から全く離れたのである。常在霊鷲山などは世俗の中に本尊が出現する意味をもっているのであろう。

 

 

 

中国では五千年の後にも信頼は生きているようであるが、大石寺では信の一字をもって得たりという信は信心に固定して、肝心の信頼は七百年後には奇麗さっぱりと消え去ったようである。これなどは不信の輩といえないであろうか。信心は宗教の中にのみあるもの、信頼は仏法にも世間にも共通するもの、この意味でも宗教に収まっているのであろう。しかし本因の本尊は人が社会生活をする中で最も大切なものを、宗教に准らえて示されたもの、仏法の根幹をなすものである。この故に本尊の名義を假りて示されている。即ちそれは信頼を明示されているのである。今は仏教と混同して考えられているようである。そして仏法が次第に薄れて来ているのである。

 信の一字をもって得たりということは仏法の意を示されているのである。日蓮の思想の根源は信頼におかれているのであろう。この信頼は宗教の本尊以上に、遥かに変ることなく続いてゆくものではなかろうか。人と人との触れ合いの中における信頼感には恐らく永遠の生命を持っているであろう。久遠の長寿である。そのようなものを示されているのではなかろうか。しかしこれでは御布施には通じにくい難点がある。そのために次第に仏教に転化するのかもしれない。これは中々拒み切れないようである。

 

 

 

信の一字をもって得たりということは、社会生活をする上において如何に信頼が貴重であるかということを表わされているものと思う。若し仏教であれば本尊にあたるものである。仏法を説きながら本尊を表わすことは仏教の信仰対照としての本尊ではない。その本尊に等しいという意味である。仏教と解されて既に七百年の年月を経ているのである。今更仏法に帰れるかということになるかもしれないが、やはり帰らなければ色々と矛盾にも出食わすであろう。

 戦後忠孝が消えて四十年を経ている。今一番必要なものは信頼であると思う。忠の復活については色々と問題があるかもしれないが、せめて孝と信頼位は復活してもようのではなかろうか。人が生活し乍ら互いに信頼を持たない程危険なことはない。宗門に若し信頼が根本になってをれば首を切ったり切られたりすることもなかったのではなかろうか。一日も早く仏法を復活して信頼を根本とした仏法を建ててもらいたい。その時差し迫って必要なものは信頼である。何れの国にも信頼の欲しい時である。中国では今も信頼は生きているようである。

 

 

 

 時局法義研鑽委員会とは仏教に深入りするための専門委員会の役割を持っているようである。ここで己心の法門も邪義の烙印を押されたのであろう。しかもこれは阿部さん直属機関のようである。仏法離れについての専門委員会という処である。師弟子の法門も、師、弟子を糾すでは信頼は起りにくいように思う。師弟無差別に寄ってこそ信頼も起り得るものであるが、師弟を各別に立てる今は互いの信頼を起すことが出来ないのも、元はといえば仏法を仏教と受けとめた処に根本の原因があるのかもしれない。それ程病源は深いようである。それを防ぐためにはまず師がその秘密蔵の中に徳を蓄えることが必要である。その師徳をもって無言に教化をすることは、大石寺法門の中でも大きな役割をもっている。

 

 

 

 外典三千余巻の所詮は忠孝であると記されている。そしてその忠はまた孝に収まる。そこから信の一字は出生しているのではないかと思う。今は専ら信心信仰の信に限られているが、開目抄の信は信頼の信である。開目抄のみに限らず、五大部十大部といわれる御書は全てこの信を根本に置かれているのではないかと思う。本来なら宗門全体が信の一字に収まっているべきではないかと思う。しかし今一番に宗門から斥われているのは信の一字ではないかと思う。せめて人が信頼出来る信でけは残しておいてもらいたいと思う。日蓮正宗も一宗を建立しているのであれば、信の一字位は残してをいてもらいたい。

 広宣流布も亦信の上の広布を目指してもらいたい。信の一字は奇妙に人に心の豊かさを与えるものである。信を取り返すことが出来れば宗祖に孝であるし、広宣流布も今少し潤いが出てくるのではないかと思う。若し信頼の中で広宣流布が具現するなら、それは天下太平である。昔の世直しは、その根本をいえば民衆同士の信の一字の盛り上りが根本になっているのではなかろうか。今の平和運動にどれだけ信頼が内蔵されているであろうか。信を失った処には真実の平和はあり得ないかもしれない。まず宗門に信頼を取り返してもらいたい。広宣流布とは信の一字の上にのみあり得るのではなかろうか。

 

 

 

 信さえあれば殊更平和を口にすることもあるまいと思う。今は信のない処に平和を求めようとする、そこに無理があるのではないかと思う。信があれば本尊ともなれば本仏ともなり成道とも表われる。見方によれば平和ということも出来る。人に対して不信の輩というが、その人こそ人が信頼出来ないことを表わしている。そして自分一人のみが最高位にあって唯我独尊を称えたいのではないかと思われる。

 信の一字をもって得たのは信仰対照としての本尊ではないかもしれない。信の一字こそ人が社会生活を遂げるためには仏教の本尊に劣らぬ程重要なものである。それを本尊という名を假りて表わされたのではなかろうか。今の世間は平和を口にしなければならない程不信が充満しているのであろう。今の世の中は無駄と知り乍らでも平和を口にしていなければ息がつまりそうなということであろうか。それ程不信が充満しているのであろう。

 

 

 

滅後七百年、大石寺でも本因から本果への交代も終ったような感じである。信の一字も信頼から信心に交代したようである。宗門は信頼の信を捨てることにのみ専念しているが、これまた大きな問題である。師、弟子を糾すのみでは師弟の間に、今のような世間では尚更信頼は育たないであろう。色々な面で仏法家と世間との交代は急速に行われつつあるようである。

 主師親の三徳の処に信の一字の根元は存在しているのではないかと思う。仏法を立てるために、仏教的なものを取得する際、戒定恵の処に信の一字を見るのではなかろうか。今二十一世紀を目前にして信の一字の最も必要な時であるが、宗門は直前になって捨てることにのみ努力しているかに見える。どうみてもアベコベである。

 

 

 

信は信頼、信実、信念などとつながってゆくもので、信心、信仰はむしろ特殊なつながり方である。しかし、そのつながり方はいかにも強烈である。信は第一には仏法の上にはっきりと解しておかなければならないものであるが、今は仏教に変ったために仏教的な雰囲気の中でのみ考えられ、仏法の仏教化のための大きな役割りを果たしているようである。百八十度の転換ということである。そして仏法は仏教の上に表わされて独善的なものを作り上げてゆくのではないかと思う。社会道徳的といっても儒教的というよりは忠君愛国的なものが強いようである。大石寺法門の根源は「まこと」にあるようではあるが、悪口雑言から「まこと」を引き出すことは、まことに至難の業である。そこには痕跡すら残っていないのである。

 

 

 

世間でも信頼感は次第に薄れているようである。その根本の処は大分食いつぶされているように思われる。これらも西洋の学問が教育に取り入れられたための影響ではないかと思う。その辺りに根源があるようである。特に己心の法門とは始めから相容れないものがある。大石寺法門としては全く迎えざる客である筈である。解体するにそれ程の時間はかからないかもしれない。中国の学問や思想によって長年月をかけて作り上げられた日本人の美徳美点も、僅か四十年間で殆ど解体し尽くされたようである。そこへ金が加擔して新しい教養を作りつつある時、大石寺も新教義に向かって既に発足したのであろうか。どのようなものが出来上るか、今は全く予断することは出来ないのが実状である。このような解体は大きな足跡として長く残されてゆくであろう。

 

 

 

宗門にも信の一字が備わってをれば首を切ることもなかったであろうが、当時既に信の一字は失われていたのであろう。その直前に論理学的発想が一時盛んになり、己心が消えて心が登場していたのではないかと思う。信の一字はそれ以前に信心に切り替えられていたようで、そのためにお互いに信頼感がなくなっていたのであろう。それが自然と表に表われたために首切りが始まったのではなかろうか。若し信の一字がよく検討されていたなら、首切りの必要はなかったのかもしれない。何となし法門の蓄積の度合いが分かりそうである。

 

 

 

 日蓮のといた己心の法門、文底法門を口を極めてののしるのは下の下である。浄土宗では滅後末法の法門を事に行じているように見える。ここでは己心の法門を邪義とは唱えていない。祖師と唱え乍ら、その唱えた処を邪義とは以ての外である。魂魄の法門はどこにどう収まったのであろうか。これでは祖師に見放されるかもしれない。師の説いた処をどう間違っても正義と伝えるのが師弟の道である。邪義ということはそこに信頼感が存在しない証拠である。そのために自然と師弟の道と信頼感が法門の上から消えつつあるのであろうか。これはもっての外の大事である。

 

 

 

一旦邪義と称したものを改めて正義ということも出来まい。己心の法門を邪義ときめては飽くまで本因の教主のたたきは止まないであろう。それは世間の如く互いに信頼感のなさから始まっているものである。今さら文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門こそ真実だといえる度胸が必要なのである。何ををいても師に対する不信感を拭うことである。今さらのように因果の混乱のあとがこたえるようである。師説を邪義と公言することは最も遠慮すべきことである。それだけに水島先生も追いつめられていたということであろう。一日も早く本因妙の教義を手中にすることである。これが今差し当っての大いなる課題である。

 

 

 

明治以来両抄をくっつけて考えたために思わぬ被害を受けた。ここで切り離して文底秘沈抄を考え直してみてはどうであろう。そうすれば、そこには救いがあるかもしれない。三秘抄には文底秘沈といえるようなものはいささかも見当らない。三秘抄から本仏や本尊が出るわけもない。まず本仏を求めるべきである。三秘抄を信頼して以来百年、結局は混乱を得たのみであった。今こそ改めて出直すべき時である。己心の法門を邪義とはあまりにも人が好すぎるようである。己心の一念三千法門を邪義と称して本仏や三秘を得ることができるであろうか。

 

 

 

「信じ奉る」を「信じ奉(うけたまわ)る」と読めば受持が出るかもしれない。奉は当時「うけたまわる」と読まれたものである。三大秘法は信受即ち信頼と受持の処に出るもののようである。今の立て方には一言摂尽の題目は有り得ないかもしれない。そこに不協和音が生じるのである。今の立て方では題目の処に一切諸法が摂じ尽されていない。己心の一念三千法門を真実と信じ奉った時に始めて一言摂尽の題目は有り得るのである。

 

 

 

社会の底辺にうごめく民衆の救済こそ宗教本来の仕事である。只漠然と天の父を指せば、それはやがて宇宙の大霊に身を委ねるようなことになるかもしれない。それでは救われるのは自分一人ということになる。そのために肉身を外して魂魄に限定するのである。この開目抄にお示しの魂魄なかなか守られないようである。この次の五百にはこの方式によるべきものと思われる。明治の文明開化でこの方式は根本から崩れたようで、西洋式の文明開化は二十世紀と共に終末が近付いているようである。この文明は原爆を作って我が首をジリジリしめることで終りをつける処におさまりそうである。これは自らの手で結末を付けるためには余程の勇気がいるようである。困じ果てた揚句、東西何れともなく手を握ろうとしている。ここで必要なのが信頼感である。

 

 

 

どこまで他が信頼出来るか。ここで必要なのが大乗的見地である。今の大石寺法門にも肝心のそれが失なわれているようである。小乗化の極限に混乱が来ている。ここまできて一方的に他を信頼出来る常々の修行が必要である。内々いくら他の譲歩後退を待っても相手は一歩も引かない。積み重ねた文明開化を捨てることこそ救いである。小乗を大乗に包含すれば、そこには救いが待っている。他の譲歩をのみ求めても話は進展しない。まず自らが小乗を捨てて、大乗に飛び込むことである。

 

 

 

無疑曰信も生死の中の所作である。生き乍ら生死を断ずることは魂魄に限るようである。小辞典では、煩悩即菩提・生死即涅槃といい乍ら何れも成功しているものとはいえない。生死の中に居り乍ら、生死を断じていると称している。そこにいつわりがある。そのような所から不信の輩という語もでるのである。信不信は生死の上にあるべきもの、信心は師弟子の法門として考えた方がよい。そこで信頼感を取り返した方が賢明ではなかろうか。

 

 

 

己心の一念三千法門は必ず師弟の中に受けとめるべきものである。師のみとなれば信頼感がなくなる。また受持も消える。一方的に師が高処から下り、位することになる。そのためにはどうしても智慧を仏に比した方が都合がよい。その智慧を空諦に比するようになる。自然に応身如来の振舞に近付けるようになる。そのようなことのないように寛師は御書の中から貧賤に身を処せられた例をいくつか引き出されている。これは法も身も貧賤に置いて始めてその真実を発することが出来る故であろう。

 

 

 

今は信の一字に心を付けて信心として俗身の処で大いに利用しているようで、本来は信頼として師弟子の法門の処で使われるもののようである。信心となると俗身に近いために欲心が付きまとうようである。信頼には欲心の入りこむ余地がないようである。今は本因妙のない処で大いに信心が利用されている。本因妙の処には本来欲心のあり得ない処である。そこはどうも魂魄世界なのかもしれない。どこかで何かが混乱しているのである。
 魂魄をとれば欲望の入り込む余地はあり得ないであろう。師弟子の法門はそのような処に建立されているのである。信心とは外相一辺の処、本果の処で、信心と利用されているが、本来は本因にあるべきもの。本因が消えたために今は専ら本果と密着している。師弟子の法門が薄らぐと同時に弟子との間に
信頼感が薄らいでくる。それにかわるのが信心である。それが外相一辺の処、本果の処で信心と利用されている。本来は本因であるべきものではないかと思う。そのために文の表に出やすくなり、本来の文の底に秘して沈めた魂魄の上の文が育ちにくいようである。そして俗身の上に本果の法門となり、本来の本因妙が他のために消されるようであり、そこに育つのが因果の混乱ではないかと思う。

信頼の上に因果の法門が成り立つなら、今言われているような一方的な信心はあり得ないのではないか。今のようでは本因の上の因果が魂魄の上に育ちにくいようである。そして本果の上に信心が成り立っている。それが本果に対して信心をもって強く結ばれている。若し魂魄の上に結ばれるなら、もっと柔らかくあるべでものではないかと思う。その信心が本果と結ばれ易い状態におかれ、文の底に秘して沈めた己心の法門が消されやすい状態におかれているのではないかと思う。そこでは本因は他門と殊なるために育ちにくい状態にあるのではないかと思う。

 

 

 

妙法の名は蓮花に其の名を得ているということであるが、それは本因と共に打ちすてられたようである。それを信心から信頼にとりかえてもらいたい。互いの信頼の上に事が運べば、魂魄の上の平和を求めることも可能になるかもしれない。そこがキリスト教の愛からくる平和との相違点が見えるようである。キリスト教の場合は俗身の主張する処がこまやかである。俗心の上に語られるもの、魂魄の上に語られる平和であることに注意を向けたいと思う。そこには凡俗の欲望の入りこむ余地があるのではなかろうか。日蓮が法門では初めからそれを最も警戒しているようである。そこから大乗修行は始められている。それは師弟子の法門を信じることによって始まっているのである。そこから信頼も涌いてこようというものである。

 

 

 

 

今の世上では信頼関係は次第に薄れるようである。今、平和の語が盛んに説かれるが、それは相互の信頼関係の中にあって始めて成り立つものである。ドイツ哲学では強い者が先んづることになっているのであろうか。一歩退いて待てばそこには平和があるものである。互いの力が出合えば火花が散る筈である。その時、信頼関係が欲しいのである。師弟子の法門では互いに一歩ひかえ乍ら足を進めるのである。そして師弟相寄って仏道を成じるのである。そこには謙譲の徳も在り得るかもしれない。そこに久遠の修行をも考えようというのである。

 

 

 

文の底に秘して沈められた己心の一念三千法門は、一言摂尽の妙法の袋に入れられて、生れた時に掛け与えられてをり、その時点では信心の必要は更になかったのである。それが解釈している中で、信心の中に繰り入れられるのは明治以降ではないかと思う。それ以前は信頼の中に受持したものと考える方が素直ではないかと思う。近代は専ら信心の上にのみ考えられているようである。何となくその信心も行き過ぎの感じである。そのような中でその解釈に混乱を生じている如くである。三衣とは妙法の奥深く包みこまれた事行の意を含んでいるのではなかろうか。そこから事を事に行ずるという考えが出るのではなかろうか。この三衣も事行の奥深く秘められたことさえ忘れられようとしているのではなかろうか。

 

 

 

その師弟子の法門からにじみ出ているのが本因本果の法門である。そこに蓮華因果の法門は成り立っている。その因果とは世間から受持したもののようである。そこに大日蓮華山という山号は成り立っている。そこに過去遠々からの久遠元初の上に文の底の己心の一念三千法門は成り立っているのである。それを信の一字を持って受持する。それは決して信心ではない。信頼感なのである。それは鎌倉以来師弟子の法門として伝持されている。それの受持された処に観心がある。これを受持即観心という。それは師弟子の法門の一角なのである。これらは全て文の底に秘して沈めた己心の一念三千法門といわれるものなのである。その師弟子の法門は今に受持されているのである。それを説き明かそうとせられたのが六巻抄である。これは決して本果の法門を説かれたものではない。しかもそこから出るのは応迹の法門という感じである。そこから日蓮が法門は拡大されている。それは専ら他門から、各時代の変り目毎に移入されたもののようである。

 

 

 

今は事行の上の師弟子の法門を斥っているようである。宗開三の頃には大量の馘切りの話は伝えられていないようである。その点、今は異様にクビ切りが多いようである。それだけに宗内が不安定ということなのであろうか。大量に僧侶や衆生が首を切られては、何とも世上は不安定である。そのような処に平和がある筈もない。そしてその処を二十億の豪邸をもって威圧しようという算段なのかもしれない。いくら威厳をもってしても威圧のみをもって弟子を引き付けることは出来ない。人を引きつけるためには、まづ信頼感を養なはなければならない。酒をのめばつい言葉も荒くなる、態度もあらくなる。昔から酒をのむことは破戒として、ついいましめられてきているものである。威をもって人を引きよせることは出来ないであろう。僧が癇癪筋を立てている処はあまり見られた図ではないと思う。宗祖自身では、自らは予は一宗の元祖でないといわれ、常に身を底下におかれていたようである。

 

 

 

当体義抄、総勘文抄等も古くからよく使われているが、これらの御書は警戒を要するものである。唱法花題目抄も同様である。御義口伝等も警戒した方がよいのではなかろうか。その意味では開目抄、本尊抄、撰時抄、報恩抄、法花取要抄等は信頼出来る御書の随一である。法花初心成仏抄、ウラボン経御書等は最も信頼出来ない御書の随一のようである。平成元年説法はこれに三秘抄も加えて説法されているのである。これらの三秘には宗祖の御存知ないお考えが充満しているかもしれない。それが何のためにそれらの御書を取り出されたのかはまず考えなければならない。

 

 

 

天台の一隅運動にも、実は宗祖と同じ師弟一ケの上の平和を持っているのである。それらを含めて止観第五の法門で、それこそ南宋直伝の甚深の平和法門である。アインシュタインが遺言したものもそのような平和の上にあるものではなかろうか。そこには双方の信頼感が根本にあるようである。今の宗門のあり方にはどう見ても本尊には不信頼感のみということのようである。客殿の内はすべて信頼をもって固められているもので、その信頼が信心と替えられて、それが不信頼に拍車をかけているようである。信心とは本来、止観第五の中に秘そかに含められているもののようである。信心と或る種のおどしが、ひとつになって大いに利用されているようである。そこには信頼感の失なわれているように思われる。

 

 

 

その第六は結論として作くことはなかったようである。それは最も宗門としては不幸なことである。そして今は師弟相寄よって絶える事なく相争っているようである。これを平和と称することが出来るであろうか。そこには信頼と思われるものも何一つないようである。争いのみくり返していては他宗に自慢もなるまいと思う。それは世界戦争である。平和とは師弟の間の信頼感の上にのみ成り立つものである。まづ世界平和の定義付けをしてもらいたい。世界平和とは事行にあらわすべきもののようである。

 

 

 

平和とは必らず師弟の処にあるべき文底秘沈の法門なのである。文上をとればそれは必らず争いに引きこまれるであろう。文底秘沈の法門をとれば、そこには必らず自然に平和を求め得られるものではないかと思う。ウラボン経は小乗方向に進んでいる証左なのではなかろうか。師弟子の法門の処には自ら平和をもっている。そこにあるのが信頼なのではなかろうか。今、世上でも次第に信頼感は薄らいでいるように思われる。この己心の法門は信心によって成り立っているものではなく、専ら互いの信頼の上に成り立っているものである。今宗門が信頼している欧米教学には信心をもって結びつけなければならないようなものによって構成されているようで、小乗には多分に信心をもって強制しなければならないようなものをもっているのであろうか。

 信心が盛んになるのは室町の終る頃である。その頃から四明流が殊に盛んになったようである。師が弟子を馘にし弟子が師に反抗しているのは、師弟子の法門が家の師弟とはいえない。信頼は必らず事に行じなければならない。そこに文底秘沈の法門の意義があるというものである。近代殊に師弟子の道の衰退が目にあまるようである。そこにも滅後末法の世の到来を思わせるものがある。その時が至って文底秘沈の己心の一念三千法門という師弟子の法門の必要が生じるのではなかろうか。師弟一箇の時が来れば天下太平であることはいうまでもないことである。そこに平和の到来があろうというものである。

 

 

 

 


 

参考

「信頼」は125箇所に使われていた。