興風(14号) 編集後記
◆恩師川澄勲氏逝いてはや6年、今年7回忌を迎えた。氏にはいろいろなことを学んだが、ことに物事に対する姿勢や学問の態度等、基本的なことがらについて影響を受けた。氏は大学のいわゆる宗史・宗学等の細分化された学問の有り様を嫌い、あらゆる分野に興味を持ち造詣が深かった。とりわけ古文書読解能力の大切さは、それこそ口を酸っぱくするほど強調され、薫陶を受けた。皮肉なことに、氏が亡くなった頃から興風談所挙げての調査活動が盛んになり、数々の古文書や金石類に接し、氏の薫陶のありがたさを身をもって実感した。もし興風談所に学風らしきものがあるとすれば、それは古文書等の基礎学問を大切にし、原典主義を専らとし、分野の垣根を取り払い、グローバルな視野をもって富士の立義を開拓する姿勢であろう。
◆史学の世界では、そうしたグローバル化が進んでいる。その牽引的存在であった故石井進氏は、民俗学や一種夕ブー視されていた宗教関係にさえ目を配り、発掘調査や地方の伝承収集に力を注ぎ、遺著となった『中世のかたち(日本の中世1)』(中央公論新社)では、気象学まで取り入れている。その視野の広さが渾然一体となった時、歴史は一層リアルにそして生き生きとわれわれの前によみがえる。もとより、そうした先達に比べれば、自分などは形ばがりの、所詮手のひらにのるミニチュアカーであることは十分承知している。しかしたとえミニカーであれ、志ざしはかくあり続けたいと念じている。
(山上)
平成14年12月