正信覚醒運動のめざすもの ―宗開両祖にかえろう―

 

――目次――


正信覚醒運動のめざすもの

はじめに

第一章 三大秘法と本尊観

◇心こそ大切なれ ◇御本尊を見て法を見ず ◇変質した登山の目的 ◇常随給仕の心

第二章 受持即観心

◇歪んだ信仰 ◇受持行ということ

第三章 功徳と現証

◇現証という妄想 ◇妙法の功徳

第四章 血脈相承と貫首

◇宗門はカリスマ信仰 ◇師弟ともに名字凡夫

第五章 広宣流布観

◇変質する教団 ◇広宣流布のとらえ方 ◇信の一字の世界

第六章 教団組織の問題

◇硬直した組織と信仰 ◇機能体の共同体化 ◇環境への過剰反応 

◇成功体験の埋没

おわりに

◇正信会僧俗の使命

 

 

 

 

 

 正信覚醒運動のめざすもの

 
はじめに

まず最初にの正信覚醒運動の経緯としていちばん大切な点を確認したいと思います。

そもそもこの覚醒運動は、さまざまなきっかけで創価学会の誤りに気づいた僧俗が、日蓮正宗本来の正しい信心をしようと言う道念のもとに起こした運動であります。どこかに本部があって、そこから指令が出されたわけでもなく、誰かに依存してやってきた運動ではありません。各地の僧俗が、それぞれの自発的な信心によって起こした運動なのです。 この運動にはいろいろな局面がありましたが、その基本精神となったのは「依法不依人(法に依って人に依らざれ)」ということです。すなわち宗開両祖の御精神にかなっているかどうか、仏法の道理にかなっているかということを規範として、私達は道を選んできたのです。

「依法不依人」とは、「法」を中心とするもので、自分を中心にする考えではありません。

自分を中心にすれば、たいていの場合、利害、損得、打算を優先して行動するわけですから、商売のためには創価学会についた方が得でしょう。しかし正信会の僧俗はそうはしなかった。、その後に起きる阿部宗門との問題でもそうです。世間一般の常識で考えれば、本山があっての末寺ですから本山についた方がいいに決まっています。しかしあえて皆さん方は、正信会の末寺の方を選ばれた。それはなぜかというと、「法」を優先されたからだと思うのです.

また「依法不依人」とは、所属の教団を優先する考えでもありません。日蓮正宗とは、本来、仏法を正しく継承し、法を弘めるための組織であるはずです。それが――今の阿部宗門はその精神末法を失い、衆済度の心を失っしまった。宗門幹部の保身のため、法主とその取り巻きのたの組織になっているのではないか――と皆さんはそう深く感じとられたから、正信会への道を選ばれたのだと思うのです。

法華経の「如来寿量品」には、
 「柔和質直なるものは 即ち皆我が身に 此に在って法を説くと見る」(「開結」508 頁)
と説かれているように、正法正義を信受するには、セクト意識や我執を離れ、いつでも柔軟な心で道理に基づいて進退を決することが一番大切なことです。

今後も、正信覚醒運動というものは、皆で自発的に志を寄せ集めてやっていかなければなりません。「誰々を中心に」というカリスマ的信仰ではなく、皆末法の名字の凡夫ですから、長所も欠点もあるでしょうが、その中でお互いにその志を大切にし、正しい仏道を歩もうとする精神を失わずに進んでいかなければならないと思うのです。

そこで今回は教義・信仰の問題を中心にして、

@三大秘法と本尊観

A受持信行観

B功徳と現証

C血脈相承と貫首

D広宣流布間について

E教団組織の問題について

を概観し、私たち正信会の信仰と、宗門・創価学会の信仰の違いについてお話しをしたいと思います。


第一章 三大秘法と本尊観


 

阿部宗門

三秘隔別

 戒壇本尊直拝

即物的な本尊観

正信会 

三秘相即

 戒壇本尊遥拝

信心為本の本尊観云

 *心こそ大切なれ

正信会僧俗と阿部宗門との信仰観一番違う点とは、おそらく御本尊様のとらえ方ではないでしょうか。外形は同じようですが、本当はずいぶん違ってきているのではないかと思います。

本宗においては、宗祖大聖人がお顕わしになられた十界互具の大曼陀羅をもって本尊とするのは当然のことであり、この三大秘法の御本尊(事の一念三千}を事相には顕わしたものが紙幅や板に書写された曼陀羅本尊であります。

大石寺第26世日寛上人は「文底秘沈抄』において、この本門の本尊と戒壇と題目という三大秘法 六義――つまり本尊を「人・法」、戒壇を「事・義」、題目を「信・行」とに分けて、解説されています。

ところで、本尊とは概念の上において「人」と「法を」とに分けられるのだから、人と法とは別々のものなのかというとそうではありません。富士門流の法門においては固く「人法一箇」として示されてきました。

過去にこのような議論が行われたことがあります。明治時代の後期に法華講を総講頭やっていた信徒の方が、
 「戒壇の御本尊は弘安二年に建立された。しかし実際にはその時には日蓮大聖人は生きていらっしゃるわけだから、大聖人そのものが御本仏ではないか。戒壇本尊の方に法魂が移ったわけではない。だから弘安二年にご図顕された御本尊も、弘安五年に大聖人がご入滅されるまでは、その御本尊に本当の意味で法魂が宿っているとはいえない」というような説を当時の宗門の機関誌に発表したのです。それに対して別の講頭の方が、「それはおかしい。御本尊様はやはり顕わされた時から御本尊様ではないか」
と反論し、その後、何度も機関誌の上で論争を交わしますが、なかなか決着がつきませんでした。そこで僧侶に意見やコメントを求めるのですが、結局、当時の宗門の僧侶からははっきりとした答えが得られなかったようです。

なぜこのような論争が起こるのかというと、戒壇の御本尊と、日蓮大聖人を別々に考えるからなのです。「法本尊」と「人本尊」とを外相にとらわれて別々に考えるところに、そのような論争が起こる原因があるのです。

もちろん、お題目にしても同じことがいえます。どこからどこまでが「信の題目」、「行の題目」などと区別されるものでありません。

例えば一本の赤いペンを表現するときに、「長い」「赤い」「字を書くもの」「油性、水性」などという説明することができるでしょう。仏法についてもそうなのです。大聖人ご証得の妙法蓮華経の仏法を説明するとき,「戒・定・慧どういう方向から説明しないとなかなかわからないから、「三秘」「六義」というようにして説明されたわけなのです。ですからもともと三大秘法とは、三即一、一即三に相即していることを知らなければならないのです。

また、天台の一念三千の法門を理といい、宗祖の法門を「事の一念三千」と申し上げるのは、この三大秘法を法華経の行者日蓮大聖人が己心証得の法門を通して顕わされたから、「事の一念三千」と申し上げるのです。

このことを宗門や創価学会では、「理」とは設計図であり、それを実際に作ったものが「事」だと理解しています。実際に世俗の物や形で顕わさなければ「事」にならない。事の一念三千の本尊とは、紙や板の御本尊になって初めて「事の本尊」になるという考え方なのです。

これは大変な間違いです。それなら他宗の木絵二像の本尊も「事」の御本尊ということになってしまいます。「事の一念三千」とは、事相に顕わされたという意味ではなく、大聖人己心証得も法体そのものをさして「事の一念三千」と拝するのです。大聖人が法華経を如説修行し、内証証得された法体こそ「事の一念三千」であり、この法門が日蓮大聖人の魂魄・南無妙法蓮華経の御本尊なのです。

ならば「事の一念三千」も本尊がどこにあるのか、それは信仰の世界の中にあるものであり、正信や迷信、不信を論ずることなく、ただ単に紙幅や板として存在するものではありません。そこのところをきちんと把握し、受持してこそを本尊を正しく拝することができるのです。

 *御本尊を見て法を見ず

近年に入ってから、日蓮正宗のあり方は、宗開両祖以来の法門を研鑽し、その精神を信行にわたって身読・実践していくことが薄れてきてしまいました。

そしてただ「大石寺には戒壇の御本尊がある。日興上人からの血脈付法の正統派の宗旨である」ということにあぐらをかいて、自分達の教団を維持しようという保身の部分が非常に強くなってしまいました。

このような形骸化した「家元制度」のような姿は、茶華道や芸能の世界、また他宗派でも見られることであり、なにか正統派争いが起こると、書き付けや伝来の宝物などを提示することによって正閏を主張する。これにそっくりなことが今の日蓮正宗で起こっているわけです。

本来、宗教の正邪は、その精神性によって判断すべきですが、いつの間にか所有する宝物の優劣にすり替えられてしまっています。大石寺でも、日興上人のように、まず自分達の信・行・学の実践をもつて、その正嫡たることを証明しなければならないものを、それを怠けてしまっているから、どうしても「戒壇本尊がありがたい、絶待である」ということばかりいわなくてはならなくなる。そうするとすべてを板御本尊の権威に結びつけて、「御本尊絶対、御本尊絶対」といっていればそれで良しという発想になってくるのです。

どんなに不信心でも、怠けていても「大石寺に戒壇本尊と血脈相承があるから、自分達が正しいんだ」という論理になり、ここからすべての批判を拒否し、反省することを知らない独善的かつ閉鎖的な体質が起こってくるのです。

またこうした幼稚な信仰は、板御本尊の物質そのものが本尊を思い、この板は永遠不滅であるという思い込みになります。この板御本尊が何かの理由で消滅してしまったならば、仏法は滅びてしまうし、日蓮正宗は成り立たがなくなるというような考えすら生まれてくるのです。

大石寺第五十九世、日亨上人は、「戒壇の御本尊の板は決して燃えないものなのでしょうか」という質問に対して「戒壇の御本尊であってもその板は火をつけたら燃えてしまうだろう」とお答えになったといいます【注C】。

こういうことは一般の常識で考えると不思議でもなんでもないことなのですが、今の宗門にとってはそんな発言は絶対に許されないことだという感覚なのです。

紙幅や板曼陀羅の物体という一面が永久不滅のものだと思っていると、「板」と「法体=御本尊」という関係が分からなくなってしまい、ついには板や紙幅そのものがずっと滅しないという話になってきます。

このような考えはもう仏法の領域ではありません。物体が三世常住という考え方は妄想です。仏法でも世法でもすべてのものは生滅し、流転しているとを説いているのですか三世常住の仏身とは、その生滅の変化に即している因縁所生の法を、妙法蓮華経の法そのものであり、三身即一、事の一念三千の妙法蓮華経の法界全体をさしていうのであります。

近年、宗門や学会において、とみに皮相的外形的な考え方が進み、即物的な本尊観から、三大秘法もバラバラにとらえられ、国立戒壇問題等も派生してきたといえるでしょう。

また、阿部師は、各寺院、各家庭に安置する本尊は、戒壇の板御本尊の写しで、「分身散影」「分身散体」の義であるなどと、御本尊にも本体と分身があるかのようなおかしな主張をするにいたっています。

 『御本尊七箇之相承』には、
 「日蓮が影今の大御本尊なりと云云」(『聖典』380n)
 とあり、御本尊書写とは、日蓮大聖人の魂魄を時の貫首がお写しするのであって、ただたんに字形的な書写ではなく、精神の継承という最も大事なことを、化儀によって伝えてきたのです、宗門や学会では、こうした法門を失い、御本尊の書写を著作権のようなコピー感覚でとらえているのです

 *変質した登山の目的

近年、創価学会の登山会がはじまったことによって、ご開扉が恒例化し、登山の目的が、戒壇の御本尊を拝観するという形態に変わってしまいましたが、古来、大石寺法門では、戒壇の御本尊は、広宣流布の暁まで,客殿の奥深く、御宝蔵の中に秘蔵すべきものとされてきました。

そして、この戒壇の御本尊を、丑寅勤行の時に遙拝しますが、日寛上人は『六巻抄』の「当流行事抄」に、
 「答う、古より今に至るまで毎朝の行事、丑寅の刻みに之を勤む、その謂われ如何。答う、丑の終わり寅の始めは即ち是れ陰陽生死の中間にして三世諸仏成道の時なり。是の故に世尊は明星出づる時豁然として大悟し、吾が祖は子丑の刻み頸を刎ねられ魂魄佐渡に到る云云。当山行事亦復若くの如し、朝朝刹那半偈の成道を唱うるなり」【『聖典』955n】
 と、本宗の即身成仏の法門は、むしろ客殿における丑寅勤行に集約的に象徴されていると明されています。すなわち、下種三宝・宗開両祖に向い、貫首以下の大衆が異体同心に随待給仕する姿こそ、本宗においての最も重要な化儀なのです。何処にあってもこの丑寅の姿を敷衍し、日常の生活に展開することが信心修行の肝要であります。

ちなみにこの『六巻抄』や第九世日有上人の『化儀抄』には、「ご開扉」という化儀や法門はどこにも記されていません。すなわち現在、日常的に行われている「ご開扉」という化儀は近年になってからはじまったことといえます。

戦時中も国策協力などから、特別のご祈念などが行われたようですが、創価学会の登山会ににより恒例化した御開扉が行われるようになった当時、宗門内から「戒壇の御本尊を見せ物にしていいのか」という批判があったと聞いています。

その声のように、最近の大石寺では。まさに戒壇の御本尊を見せ物にして生活しているような形になり、そしてあたかも三大秘法の法体は、阿部師の所有物のように喧伝されています。大聖人の仏法、大聖人の魂魄が、阿部師個人の所有物になってしまうなど、今の宗門はまったくおかしな姿です。

その上「正信会はご開扉をうけられない」と等といいますが、まったくタメにする難癖といわざるをえません。「ご開扉をうけられない」のではなく、阿部師が戒壇御本尊を私物化して内拝を許可しないだけのことであり、戒壇本尊の内拝ができようができまいが、信心の本筋からは問題ではありません。身は遠くにあっても正信の人にはいつでも戒壇本尊を拝することができるのです。

経済的な理由で実現は難しいのでしょうが、大石寺こそ、むしろ今のようにひんぱんに行われている「ご開扉」をやめるべきなのです。秘仏のご開帳をもって生活の糧を得るようなことは本筋ではなく、日興門下の僧侶たるもの、少欲知足の遺誡を守って、法施を衆生に施し、それによって受ける信施をもって満足すべきだと思うのであります。


*常随給仕の心

ともあれ、現在この「登山」の目的そのものが完全に違ってきています。

日興上人のご在世当時より、奥州をはじめとする東北各地の遠方から、大勢の法華講衆の人達が大石寺へ登山してくるわけですが、何のために登山してこられたのでしょうか。それは、大聖人ご入滅後も、変わらず常随給仕された日興上人に倣って、大聖人にお仕え申し上げようということを目的として登山してこられたのです。その中心が御影堂に香華供える番役であり、登山すればまず御影堂にお参りをし、大聖人にご挨拶申し上げるのが本来の姿なのです。

こうした伝統はずっと続けられてきました。江戸時代、または明治の初めごろまで、登山という、法華講衆の人たちは、四、五日間、長い人は一週間以上も大石寺に滞在して、丑寅勤行や御講にお参りし、その間、掃除や草取りなどをしましたともかく大聖人のもとにお参りして、心からお仕えしよう、に思って仏様に講中必要、そういう精神が登山の一番大切な意義だったのです。

しかし現在のを大石寺では、大聖人様にをお目通りするという精神を忘れて、阿部「猊下」にお目通りするという考え方になってしまっています。しかも大石寺登山の僧俗が、みな、「猊下」の顔色をうかがい、お目通り御供養気をとられ、日蓮大聖人や日興上人を恋慕する心などのほとんどないようなていたらくです。本来の登山のあり方が、創価学会が行ってきてから、戒壇板御本尊の願掛け信仰になりさがり、法主信仰も強まり、大石寺の伝統は大きく変質してしまいました。

日蓮大聖人に常随給仕を申し上げるという振る舞いは、もちろん末寺においても行われるべきことです。お客さんのつもりでお寺に参詣し、お寺の応対が良いとか悪いとかを比較するのではなく、お寺にお参りすることは、まず大聖人様にお目通りし、住職とともに大聖人様にお仕えするという姿勢でなくてはならないと思うのです。  もともとをお経文に、「我常に此に住すれども、諸の神通力を以って ?倒の衆生をして近しと雖も而も見えざらしむ」(「開結」506頁)
 とあるように、信心の曲がっている人には、仏様が常住ましましていても見ることはできません。肉眼ではなく、信心の眼をもってしか御本尊を拝することができないのです。

『千日尼御前御返事』
 「御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来たれり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てなにかせん心こそ大切に候へ」(全集1316頁)
 とあります.

阿仏房の夫人・千日尼は身延の大聖人のもとに一度もお参りできませんでした。しかし大聖人様は、「直接、この身延にいらっしゃることができなくとも、たとえ直接お会いすることができなくてもあなたのその心はいつでも日蓮のもとに来ているのです。法華経の正しい信心こそ大切なのですよ。」とご教示されたのです。

結局、大聖人を拝する、御本尊を拝するということは、肉眼による物理的な視覚に頼ることなく、正しい信仰心、本師大聖人への渇仰心によるのであり、仏を見るとは法を見ることなのです。

正しく信心修行しようという、正信の僧俗こそが三大秘法の戒壇の御本尊を拝することができるのです。

 第二章 受持信行観


 

阿部宗門

 即物的信仰

 数量の世界

 名聞名利

正信会 

 信念受持 

 志の世界 

 一念随喜

 *歪んだ信仰

戦後における創価学会の爆発的な組織の拡大は、日蓮正宗に対して、経済的、政治的な影響を与えたのみにとどまらず、教学的、思想的にも深刻な歪みをもたらす原因となりました。またそれによって、富士の伝統法門は換骨奪胎されてしまった観すらあります。

かつて阿部師は「御本尊を受持する者には謗法はない。学会もお光りさんのようなものを拝んでいるわけではない。」といって創価学会の謗法をかばいました。阿部師のこの発言のなかには創価学会の教学に毒されたものがうかがえます。学会幹部が主張する御本尊=掛け軸=絶対という思い込み、盲信があるように思われます。信仰の中身、すなわち心の何を思おうと形さえこの御本尊を拝んでいれば謗法ではないというのです。

私達は、この運動当初から、何度も阿部師に対して、創価学会の教義・信仰が間違っているから是正するよう訴えきましたが、阿部師は「いや学会は謗法じゃない。ちゃんと御本尊を拝んでいるじゃないか」との詭弁を弄してきました。

ならばなぜ日興上人は、同じ日蓮門下のなかで、五老僧などと対立したのでしょうか。それは法門の綱格において大聖人にいささかも違背することのないよう、厳格さを求められたからです。現在の身延・日蓮宗でも、宗制ではいちおう十界漫荼羅を本尊とすると決めています。しかし、彼らは本尊は漫荼羅でも仏像でもいいのではないかという考え方になっている。そこがおかしいのです。

日興上人は五老僧のように門下の信仰の中身が違ってしまうことを憂いたのです。「御本尊は久遠元初自受用身の法体、大聖人のご魂魄である」ことを間違ってはならないとのお考えから、老僧方やその他の諸師に対して、厳格な姿勢を示されたのです。

にもかかわらず、この御本尊を拝しながら創価学会では池田大作氏を本師としています。また宗門でも阿部師も本師と指導しています。何かといえば「世界の大指導者」とか、「大慈大悲の御法主上人」などと、いつでも大聖人の主師親の恩徳を奪い、法主や快調を渇仰するようにしむけて、教団組織の求心力としているのです。

唱題行にしても、「題目闘争」という言葉が会員の間で盛んに使われているように、外相の口唱の数量のみが重視され、信念受持の題目、一言摂尽の題目が忘れ去られてきました。本宗の唱題行 、仏道修行は、決して数量によるものではないのです。  折伏についてもそうです。ノルマを割り当て、信徒・会員の獲得競争に走らせる。その一方で号令をかけるだけの上層部の本音にあるものは自分の組織の発展だけです。自分の所属する組織や企業の発展は、そのまま自分の地位向上に結びつくのですから、本人は教団の数量的発展が無条件で良いことだと思っています。

しかしこれは、自分の栄達・出世という、ある意味では自分のエゴに結びついていますし、ただ組織が発展・拡大していくことだけを見て良しとしてはいけません。  ですから日達上人も創価学会によって組織が拡大していく様相を見て、非常に危機感を抱かれ「ただ水ぶくれのように大きくなって、生活が楽になればいいという考えは、これは僧侶もたいへんな誤まりです」といって、阿部師をはじめとする当時の宗門の役僧達に、法滅の聞きがしのびよってきているとの警鐘を鳴らされました。

いま日達上人の危機感がまったくその通りになってしまったといえるでしょう。不軽菩薩菩薩を承継するという宗開両祖の慈悲行と、今の阿部宗門の功徳と罰をふりかざした信徒獲得競争の姿勢とはまったく異質なものなのです。

 *受持行ということ

法華経に、「一念信解」「初随喜」ということが説かれているように、私達には、法華経を受持し、御本尊にめぐり会えてことをありがたいと思う随喜の心があればそれで十分なのです。この人生において、大聖人の仏法にめぐり会えたこと、この御本尊にめぐり会えたこと、それがいちばんありがたいことであり、なによりもうれしいことである――そういう信仰が芽生えたところに受持行があるのではないかと思います。

さらにその姿勢が、具体的に、大聖人への常随給仕の報恩行として表れていくのです。

法華経の「提婆達多品」に、
「果を採り水を汲み 薪を拾い食を設け 乃至身を以って牀座と作せしに・・・」(『開結』四二二頁)
 と説かれるような、正法正義をそのまま自分の身をもって、行じていくこと、すなわち、人法一箇の御本尊・大聖人にお仕えし、仏の使いとして世のため法のために汗を流そうという志、それがそのまま受持行なのです。

したがって、末法における仏道修行の要諦は、直ちにこの妙法蓮華経を一念に受持することであって、唱題の量、入会勧誘の数、登山参詣の回数によるものではありません、この点、宗門や学会に見られるノルマを課しての折伏や競争をあおっての御供養金集め指導など、仏道修行を歪曲しかねない、非常に大きな問題をはらんでおります。一念信解という受持行の基本をよくよく考えなければなりません。
 僧侶や法華講の中心者たるもの、このことを率先垂範していかなければなりません。ましてや、猊下や会長と称して人の上に立つからは、他の手本となって下種三宝に仕えてこそ、その地位に留まれるのです。

はたしてこの経文のように、三宝に身をもって仕える精神が、今の阿部師や池田氏にあるでしょうか。日蓮大聖人に常随給仕するという精神は、少なくともこの二人からは微塵も感じられません。

むしろ、御本尊や大聖人の御名を利用して我が名利をむさぼり、批判者には大聖人の権威を盾にして「謗法者」のレッテルをはり、自己の罪業を力や権威でもって隠蔽しているのが実態ではないでしょうか。

『白米一俵御書』には、
 「仏になり候事は凡夫は心ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。志ざしと申すはなに事ぞと委細にかんがへて候へば観心の法門なり」(全集一五九六頁)
とあります。

「観心の法門」といっても、それは難しい教理や観念にあるのではないのです。文字通り大聖人、日興上人の慈悲行をわが身に引き当て、実践していく信仰者そのものにあるとのことです。

正法正義のため、大聖人のため、そして一切衆生のためという純粋な一念を発し、それをわずかでも行じていこうとするところに「観心の法門」があるわけです。


第三章 功徳と現証


 

阿部宗門

 現世利益

 主観的現証   

 功徳はもらうもの

正信会 

 六根清浄

 理証・文証・現証

 功徳は積むもの

 *現証という妄想

阿部師は、創価学会の対抗心からか、阪神・淡路大震災や、奥尻島の津波被害、普賢岳の噴火など、ここ数年の自然災害を、創価学会の謗法による悪現証とし、このことをまるでご仏意であるかのように喧伝し、池田創価学会が謗法をするから、このような災害が起きるのだと主張します


しかしそれならば、関東大震災や昭和二十年の大石寺の火災をはじめ、幾度も台風等で被災したことや、各末寺での人災・天災・不祥事はどのように考えるのでしょうか。自分達に都合のいい、「他人の不幸」を探しては、得意になって吹聴し、自分達の悪現証には一切口をつぐんで誤魔化しているのです。

ここに驚くべき資料があります。宗門の公的な機関誌に「大日蓮」という冊子があるのですが、この平成十年六月号に、天気図が掲載されています。

これは何かというと、平成十年に本山で大きな行事が予定されていたちょうどその時、台風が東海地方に向っていた。しかし、二、三日前になったらその台風が蛇行して四国の方に上陸したのです。その事実を二つの天気図を提示して説明しているわけです。

どうも、阿部師の祈りが台風の進路をも変えたのだと主張したいらしいのですが、これまでの主要行事の晴雨統計表でも示すのならともかく、子供だましのような稚拙な現象論を、公的な機関誌に掲載していることは、非常に驚きました

それも、平成十年の本山における夏期講習会で、わざわざテキストを作成して、学習させる徹底ぶりですから、いよいよもって日蓮正宗もオカルト教団になったのかと、目を疑いました。

もとより、自分達の利害や感情で、かるがるしく「現証だ」などというべきではありません。創価学会の教学は、何かというとすぐに我田引水的な現象論に結びつけ、批判者の不幸や災厄を喜ぶような独善性をもっています。阿部師もすっかりこの欲得づくの現証信仰の妄想に染まり、功徳を罰をふりかざしているのです。どうも論争やケンカの過程で、相手の手法をそのまま取り入れ、無意識のうちに感化されてしまっているらしいのです。自己中心的な損得勘定や利害をもって功徳だ罰だということ自体が、仏法からはずれたものではないでしょうか。


 *妙法の功徳

大聖人は弟子檀那に対し、名聞利養に執着することを強く戒められ、むしろ法華経受持によって必ず大難にあうのであるが、それを忍んで法を守ることを教示されています。

しかし阿部宗門・創価学会ともに、会員・信徒勧誘のために、教団に入会すればいいことずくめ、ご利益の現証があると宣伝する。またそのような類の体験談を競わせています。一度、機関誌に掲載されている体験談の、その後の経過を追跡調査したら非常に面白い結果が出るのではないでしょうか。

それはともかく、こうしたご利益体験談の必然的帰結として、逆の現証、すなわち批判者・脱会者が不幸になっていなければ困るという論理が生まれます。そこで学会員が、脱会した人達に対して執拗な嫌がらせ等をするのです。

創価学会の論理では、脱会した人達が成功したり、元気で活躍されると困るのです。だから地獄に堕ちろと願うだけでなく、積極的に脱会者の足を引っ張る行為までする。学会の阿部師攻撃などは、本部が末端のすみずみまで憎悪をあおって怨念教育をしているようなものであり、まったく信仰者以前の姿、人間にあるまじき行為です。  彼らの批判的体質も、攻撃的体質も、このような自己中心的な信心と現証主義からはじまるといえるでしょう。学会の「価値論」からはじまった現世利益は、世俗的な物欲中心主義であり、五欲から起こる打算的な損得は、決して真の仏法の利益(法益)とはいえません。仏法の功徳とは六根清浄であり、一生成仏抄というのが鉄則であるはずです。

また、貧乏したり、病気になることがそのまま罰でも悪現証でもありません。今生の禍福ということは過去の宿習ということも説かれていますし、現証とは、どこまでも理証・文証に照らし、経文・御書を明鏡とし、仏法の道理を基準として判断するものであります。

大聖人はむしろ、

「諸難にもあえ身命を期とせん」     (『開目抄』全集二三二頁)

「難来るを以て安楽と心得可きなり」   (『御義口伝』全集七五〇頁)

「よからんは不思議、わるからんは一定」 (『聖人御難事』全集一一九〇頁

と仰せになられ、「法華経の信心によって、必ず窮地に立たされることがあるが、それはすべて自身の成仏のための試練であり、その難を乗り越えることによって信心が決定するのですよ」と教示されているのです。すなわち現証とは、法華経の如説修行によってひき起こされる迫害等もまた現証であり、因果の理の表れなのです。

また自分自身に起こる事象は、受けとめ方によって、マイナスをいつでもプラスに転ずることができます。毒はいつでも薬に転ずることができるというのが、法華経の法門なのです。

そう考えると私達の人生において無駄なことはひとつもありません。そうとらえていくことが信仰者の姿勢であると思うのです。
 それを儲かったから功徳、損したら罰だというご利益信仰や功徳は御本尊様からもらうものだというような発想になってしまったらどうなるでしょうか。ますます欲深く、エゴの強い人間になるばかりです。自分勝手で、欲深く、私腹をこやす仏様など聞いたことがありません。

しかも、本当の仏様とは、大聖人のように、一切衆生をなんとかして救おうと、身を捨てて法を説かれる方のことをいうのです。贅沢や快楽に頓着するわけがないのです。それを清浄身というのです。

私達が法華経を信じて成仏を願うなら、私達自身が清浄にならなくてどうするのですか。それがだんだん醜いエゴがむき出しとなって自分達の幸福しか考えず、人の不幸を悲しむどころか、それを喜ぶような姿では、信仰が狂ってしまっているといわざるを得ないのです。

 


第四章 血脈相承と貫首


 

阿部宗門

法主絶対    

法主のみ血脈相承

 カリスマ信仰

正信会 

貫首も名字の凡夫

正信こそ血脈  

 依法不依人

 *宗門はカリスマ信仰

阿部師はことあるごとに「ご仏意」と称して、自己の思いつきを仏法の不思議と発言していますが、これも自分の立場を神格化させ、絶対化させる演出であり、きわめて危険な洗脳であると思います。

今回の客殿の建て替えについても、「不思議なことに、阪神大震災がおこり、なるべくして大客殿の寿命がつきて、新しい客殿ができた」【注K】などといって、学会の破門も、正本堂の解体も、奉安堂建設も、自身の思いつきからはじまったことを、さも「ご仏意」であるかのように指導しております。法主である自分は特別な人間で、現代の大聖人であるかのように思っているから、このような神がかり的な発言がでてくるわけです。自分の言動を「ご仏意」として正当化し、絶対化するような、こういう精神構造をもつ人には、慚愧の心は生まれないのです。

ところで、阿部宗門はいまだに、日達上人から67世の法主として付属相承を受けた証拠を提示しておりません。阿部師が相承を詐称していることは明白な事実です、しかし問題は、相承の詐称のみならず、誤った血脈信仰をもって保身をはかっていることです。
 法主(本来は貫首と称すべきですが)という地位、また血脈相承ということをめぐって、宗門側の僧俗は、ふたことめには「正信会は血脈相承の御法主上人を否定しているから謗法だ」といいます。

つまり阿部宗門のいわんとするところは、日蓮正宗の血脈とは、大聖人以来、歴代の貫首に密かに伝授されてきたことが根本で、貫首は普通の人とは違う神秘的な能力を保持し、そのカリスマ性の保持によって本宗が成り立っているのだという、いわゆるカリスマ信仰をもって本宗の命脈とする主張です。

これは、正信会のとの裁判の中で、日蓮正宗(阿部宗門)側が準備書面で公式に主張していることです。

「・・・・・カリスマの継承のための特殊な儀礼ないし行為が行われるのを常とした、そのようなカリスマ継承の例として、イギリス聖公会における『使徒継紹』や真言宗における『灌頂』などをあげることができる。日蓮正宗においても、右に述べたところと異ならない。日蓮正宗においても、代々の法主は、等しく僧侶であるが、他のすべての僧侶とは異なり、前述のように特別の力ないし資質を有するものとして特別の尊崇を受けて今日に至っている・・・・・」(管長事件第一審準備書面)
 つまり他の宗教団体が、教祖以来、普通の人にはない能力、カリスマ性を、神がかり的に伝授することによって成り立ってきたのと同じように、日蓮正宗も宗祖大聖人以来、他の僧侶とは違う不思議な能力を代々の法主が密かに伝えているということを、彼らははっきりと主張しています。

阿部宗門においては、依法不依人の大聖人の仏法を信仰しているつもりが、実は、いつの間にか、他の新興宗教と同じような、カリスマ信仰になってしまっているのです。

依法不依人であるはずの大聖人の仏法が、阿部宗門においては、いつの間にか、天理教のおみき婆さんかオウム真理教の麻原教祖と同じようなカリスマ信仰になっているのです。

 *師弟ともに名字凡夫

このようなカリスマ信仰は、大聖人の仏法とは全く異質のものです。大聖人の御法門では、師弟ともに未断惑、名字の凡僧といいまして、末法の法華経の行者は超能力をもったり、あるいは煩悩を断じ尽くした本覚果満の仏ではない。ただの名字の凡僧なのです。この名字の凡僧がなぜ尊いのかというと、南無妙法蓮華経を余事余念なく一心に受持していいるが故に尊いとされるのです。

このことは非常に大切なことです。本宗が大聖人を仏様と仰ぐのは、釈尊がいまだ成道せざる以前の修行を本因妙の修行といいまして、これは不軽菩薩の修行をもって釈尊の本因修行の姿として説かれていますが、その久遠名字の本因修行を、末法今時にそのままひき移されて修行されたから、我が富士門流では、日蓮大聖人を本因妙の教主釈尊と拝するわけです。

法華経の行者の位も名字即、未断惑の位、その修行方法は何かというと、一切衆生の本有の仏性を直ちに礼拝する、ただ南無妙法蓮華経だけを礼拝し受持していく。その修行も位も全く同じであると明されております。すなわち仏法のうえでは、能所・信不信(順逆)の差はあっても、大聖人も一切衆生も本質的に差別はないというのです。ですから、「教弥実位弥下」といいまして、凡愚の衆生と同じ位、最低の名字理即に行者の位も定められているのです。

ところが、阿部師は、末法の凡夫の修行方法と位を全く否定して、自分を絶対化するために、まず大聖人を神秘化し、最高位にもち上げ、ついで血脈法主は大聖人の仏法のすべてを所持するものとして、自分自身の神秘化をはかっているのです。こうした考えが、ひいては日蓮大聖人も過去の人とみて、現在の仏法の所持者である阿部法主が思いついたことが即仏法であると慢心を引き起こし、御書・法華経すら軽視する信仰に堕落してしまう要因となっているのです。

阿部法主は、大衆との絶対的差別をもって教団の最高位に君臨し、一切衆生を上から卑猊するような信仰に堕しているのです。そこからは間違っても、底辺の衆生を同一苦に立って法を説く、不軽菩薩の精神など生まれようがありません。

また、こうした誤った論理によって、宗門内には「カリスマの継承たる血脈相承がなくなってしまえば日蓮正宗は成り立たなくなる。だから阿部師に相承がなくてもあったことにしよう」などという考えが生まれてくるわけです。

しかし、本宗において血脈とは
 「信と云い血脈と云い法水と云う事は同じ事なり、信が動ぜざればその筋目違うべからず、夫れとは世間に親の心を違えず、出世には師匠の心中を違えざるが血脈法水の直しきなり、高祖以来の信心を違えざる時は我等が色心妙法蓮華経の色心なり」(『聖典』九七七頁)
と、日有上人の『化儀抄』にあるように、宗祖大聖人の信心を違えないところにあります。 三大秘法の仏法を継承し弘通する以外に、何か特別に一人だけ秘法を伝えるなどあるわけがありません。本宗における血脈相承とは、超能力や神秘的能力を秘伝的に授受するようないかがわしいものではない。時代によって色々な化儀や形式が生まれたとしても、その本義は大聖人・日興上人以来の信心を少しも間違えることなく、少しもよけいなものを交えることなく、正しく継承し、弘通していくところにあるわけです。


 第五章 広宣流布観


 

阿部宗門

 数量・多人数

 覇権主義

戒壇堂建立

正信会 

 信の一字   

衆生救済

娑婆即寂光土


 *変質する教団

広宣流布とは、日蓮門下・日興門下の等しく願う信仰上の理想です。しかし今その意義が大きく変質して理解されてしまっています。
 大聖人の信仰者は、正法が広く世に流布することを願って弘教の化他行に励まなければなりませんが、そのことが直ちに、教団の拡大発展と、現実社会における地位向上をめざすことを意味するものではありません。時には正法正義を守るために教団が分裂したり、小さくなったとしても、法の上からは必ずしも衰退ではありません。むしろそうしてこそ仏法が真の面目を発揮することも多いのであります。
 ところが、この広宣流布というきわめて精神的な宗教運動が、いつの間にか覇権主義になって組織拡大のみになったり、権力闘争という世俗の争いに転ずることが大きな矛盾なのであります。

これはどういう宗教もそうですが、必ず最初に教祖、開祖という人が現れます。この人達は教団的、組織的には見るべきものがありません。ただ志がある人達が集まって精神性を優先させた宗教運動を展開します。ところが後世の弟子の中にオーガナイザーとしての能力のある人が出て、教祖の教えを利用して、教団を大きくします。教団がだんだん大きくなると階層化した教団ができあがって、さまざまな権益も生まれてきます。そうすると組織集団の権益を守り、教団を拡大永続させるための新たな論理が生じ、政治性を優先させていくのが実状ではないかと思います。

組織というものは個人の意志や教義とかかわりなく、組織自身が自己目的化してしまうのです。そのため、教団は構成員の僧俗の管理を強化し、服従を求め、教団を信じて中心者の命ずるままに行動することを要求するようになります。

しかし、本来の信仰の目的というものは、自身の内的規範である信仰的良心や宗教的真理に忠実であろうとするもので、ある意味で組織や社会から、自由に束縛されない主体的な精神に立つものではないでしょうか。御書(撰時抄)には、
 「身をば随えられたてまつるようなれども、心をば随えたてまつるべからず」(全集287n)
とあります。

それが、限りなく拡大増殖することのみを自己目的化した組織に埋没し、主体性を放棄して無自覚のままに教団に従属することは、とうてい大聖人門下の姿とはいえません。

また、キリスト教徒は、十字軍を結成して教勢を広げていきましたが、そのような覇権主義的考え方が、大聖人のめざされた広宣流布とは思えません。歴史的現実世界にこの宗教を国教化して千年王国のような祭政一致の宗教国家を作ろうとしているものとも思えません。この娑婆世界は、常に転変きわまりない無常の世界です。その絶え間なく変化し激動する世界に永遠不滅の理想世界を作ろうということは、仏法の道理と矛盾していることにもなります。


  *広宣流布のとらえ方

そうではなく、娑婆即寂光土という世界が広宣流布の世界なのです。いかなる時代、いかなる社会であれ、妙法を受持して生きる、その信心の中に娑婆即寂光、常住の浄土が開けるのだと思います。

広宣流布のとらえ方は、中世においては、宗教世界と世俗現実世界とが不即不離で、未分のものだった時代ですから、
 「三国並に一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、だい梵天王・帝釈等も来下して?み給うべき戒壇なり・・・・・(『三大秘法禀承事』全集1022n)
 「天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法一人繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風枝をならさず、雨壤を砕かず・・・・・」(『如説修行抄』全集502n)
 というご文などは、観心釈といって、きわめて宗教的、観念的とらえ方がなされているわけです。

法華経の信仰は、そういう仏法を受持し、そこから現実という無常世界に慈悲と智慧を表わそうとしているのです。本仏の永遠の寿命を信じ、不軽菩薩に象徴される精神をもって、この有限の矛盾の多い現実世界の中で、常に修行し、精進していくところに、大聖人の仏法の本質があると思います。

未来や他土に描かれた結果としての寂光浄土を本質とするのではなく、ただいまの我々名字凡夫の常精進行の姿に常寂光土を求めることが一念三千の仏法です。

ところがいまは経文や御書を、その内証・外用の立て分けもなく、すべてを世俗世界の中にひきずり降ろして解釈しようとするから、そこに多くの矛盾や混乱が生じてくるのです。


 *信の一字の世界

こういう意味からいえば、法界同時成道の内証の世界に立てば、正しい信心の決定する世界に広宣流布があることを知らなければなりません。血脈、広宣流布の意義について大聖人は、
 『生死一大事血脈抄』に、
 「総じて日蓮が弟子檀那等、自他彼此の心なく水魚の思を成して、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を、生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば、広宣流布の大願も叶うべき者か」(全集1337n)
と仰せになっており、また日有上人も、
 「堂舎僧坊は仏法に非ず、また智慧才覚も仏法に非ず、多人数も仏法に非ず。堂塔が仏法ならば三井寺・山門等仏法たるべし。また多人数仏法ならば市町皆仏法なるべし。智慧才覚が仏法ならば天台宗等に若干の智者あり。是また仏法に非るなり。仍て信心無二にして、筋目を違えず、仏法修行するを仏道修行広宣流布とは云ふなり」(「連陽房雑雑聞書」『歴全』1−384n)
と。すなわち歴史的現実世界に教団が拡大発展して達成する宗教国家体制にではなく、一念信の中に広宣流布をとらえておられたのです。

また第26世日寛上人も、広宣流布について
 「利生の有無を以て隠没、流布を知るべきなり。何ぞ必ずしも多生に拘らんや」(「撰時抄愚記」『文段集』234n) 
 「我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり・・・・我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」(「当体義抄文段」『文段集』683n)
 と示されています。広宣流布を決して信者の人数の次元だけでとらえられておりませんし、戒壇本尊もまた宗門や学会のような次元では説かれておりません。すなわち信心無二にして南無妙法蓮華経と唱えてこそ、戒壇の大御本尊を拝することができ、そこの即身成仏の極意の法門があると説かれているのです。

決して現在の宗門や創価学会のように、すべてのことを現実(無常)世界のみにとらえてはいない。その奥には豊かな信仰世界があることを考えなければなりません。  とにかく数だけを増やしたらどうなるでしょうか。真面目な道心もなく、教団内部で立身出世しようとか、ひと儲けしてやろうという人達も入ってきますから、水ぶくれみたいに大きくなれば、教団はどんどん変質していって、堕落していってしまう。そうなってしまった姿が現在の創価学会です。ご存じのように、会員数を増やすことだけ求めてきた彼らは、それが頭打ちとなったいま、宗教団体とは思えないような内部腐敗した状況になってしまったではないですか。


第六章 教団組織の問題

*硬直した組織と信仰

次に教団組織のかかえる病についてお話ししたいと思います。

「信仰教義」と「教団組織」の二つは違う次元の話のようですが、実は根底の部分でつながっている問題です。教団組織のあり方というものは、その宗祖の理想とする精神にかなったものであるか否かが問われなければなりません。

さて、いまの阿部宗門においては、カリスマ信仰をそのまま宗制宗規にもスライドさせて、人事権・財産権・懲罰権・教義解釈権等、あらゆる権限を阿部師一人が集中的に掌握するように規定されています。かつてはかなり民主的であった宗制宗規が、学会と歩調を合わせるように、どんどん変更されて、恐ろしく専制的な独裁制度になってしまった。そのため宗門の僧籍にある人々も自分の地位を守り、家族の生活を考えれば、なにをさておいても法主管長の命令に服従せざるを得ないし、またそれを、信仰と生活を合致させる唯一の処世術とせざえるを得ない状況になってしまったのです。

 「猊下が白いものを黒といったら、黒というのが本宗の信心だ」などと公言する末寺住職や講中幹部の背後には、教条的法主信仰者が、いつも目を光らせていて、現実に正しく対応できない硬直した体質になっているのです。

個人でも、組織集団でも 、その姿や行動が、その信仰を表すわけですから、いまの宗門や学会の体質は、その間違った信心の当然の帰結として、抑圧され、閉塞した教団にならざるを得ないのです。

 *機能体の共同体化

堺屋太一氏の著書で『組織の盛衰』という本があります。組織というものを学問的に研究した最初の本ではないかと自負されていて、なかなかの好著です。組織というものが陥りやすい病弊を実例をもって説明されています。

例えば、かつての日本軍というものは、はじめは国民の生命や財産を守ることを目的に結成されたのでしょうが、しだいに軍人が自分達の生活と地位の向上をめざし、組織の利益を優先して、最後には国家国民を犠牲にしてまで日本軍の利益を優先していった。

要するに、組織はある目的のために形成されますが、その目的追求のために機能している集団が、やがて目的が忘れられて、構成員のための共同体、互助組合のようになってしまうということです。

この共同体化というのは、どの組織でも起こりうることです。警察組織でも、同僚の犯罪を、穏便に処理しようという動きが起こる場合があります、医者でもそうです、明らかに医療ミスと認められても、暗黙に仲間のかばい合いがなされる。患者のために尽くすことが医療に携わる人達の使命のはずですが、そういう目的が忘れ去られ、自分達の仲間内の既得権益が優先されてしまうのです。そういう組織集団のかかえる腐敗堕落の表れが、機能体の共同体化であると指摘しております。

近年に起こった山一証券や大手銀行の倒産事件もそうです、幹部達の立場やメンツが優先されて、共同体化してしまったために、色々な問題が山積みしていたにもかかわらず、思い切って改革することができなかった。

日蓮正宗や創価学会もこれと同じことがいえます。宗制宗規や会則に大聖人の仏法を広宣流布するための組織と規定しながら、現実には首脳部の身の保身のため、幹部の生活のため、大聖人の仏法を売り物にする共同体化してしまったことが教団の病根として指摘できると思うのです。

*環境への過剰反応

また組織が周りの状況や環境にあまりにも合わせ過ぎると、時代が変わったときについていけなくなるという事例です。このことを堺屋氏は石炭産業などの例を挙げて説明しており、またバブル経済に企業が過剰に反応しすぎて、拡大経営に突っ走り、バブルが終わった後経営困難に陥っている大企業も、この環境への過剰反応が原因だったと指摘しています。

既成仏教も徳川時代の体制に順応しすぎて、いまではそのことが、仏教の衰退の原因になっている、同じように神道が軍国主義に順応しすぎて、いまでは見る影もない。

ところで、いまの日蓮正宗もバブル崩壊に近い状況であることは、彼らも認めているようです。いままで創価学会に経済的にあまりに依存し、また全面的に迎合してきたものですから、ケンカ別れしてしまったいま、存続さえ危うい状態になっています。それにもかかわらず、バブルのうまみが忘れられないのか、創価学会のまねをして信者の勧誘みたいな折伏をあおっております。これも失敗は目に見えております。まず自分を折伏することから始めなければならないことに気づいてもらいたいものです。

法門研鑚、布教活動、檀信徒の教化・育成は、本来なら自分達がやっていかなければならない大切なことです、しかし宗門はその重要な部分をほとんど創価学会に委ね、ただ儀礼部門として機能してきた。それが現在のように非常にお粗末な宗門の体質を生み出した原因だったと思います。

日蓮正宗の教義・信仰も、創価学会に迎合し、共同歩調をとってきた時代に、過剰に適応してきたのは明らかなのですから、まず第一に、宗門は自分達の教義信仰を見直すことから始めなければならないと思います

よくいわれる既成仏教の堕落ということは、本山や寺院が衆生のために仏法を説いたり、法を弘める場所でなくなってしまったことが原因でしょう。そうすると、大石寺も、今まで、法を行ぜず、衆生のために法を説かずに、ただ本尊を見せ物にしてきたという反省に立たなければ問題解決にはつながらないことを知るべきでしょう。

 *成功体験への埋没

また、日本軍が日清戦争、日露戦争で勝利を収めなかったら、もう少し冷静に戦局を分析し、あのような無謀な太平洋戦争を起こすことはなかったろういわれています。

日本軍が連戦連勝だったものですから、すでにノモンハン事件でソ連軍の戦車に手痛い敗北を喫して装備の遅れが分かっていながら、軍の幹部はその現実を直視せずに、なし崩しに戦争に突入したわけです。そして、安易な希望的観測で、また神州不滅、皇軍不敗などといい気になって戦線を拡大したから、完全な敗北を喫し、日本中が焦土と化してしまいました。

今の日蓮正宗・創価学会も、戦後社会の再編期押せ押せでやってきて、大きな教団組織を作りましたから、いまだにバブルの夢から醒めず、御供養や勧誘のノルマを割り当てるだけの方法をとり続けている。これでは破綻するに決まっています。

物事は必ずしも大きくなればいいというものでもありません。組織が拡大しすぎたことで滅びる集団がたくさんあるのです。むしろ、内実も伴わず、分不相応に大きくなったら危ない。その器に見合った、力に見合った、組織であることが健全なのです。


おわりに

まだまだ私達には残された問題がたくさんあります。現代社会においては、いろんな新知識によって旧来の古い考えが否定されるような場面も数多く出てきています。このさまざまな問題を直視するとともに、現代という時代に生きる私達が、どのようにして大聖人、日興上人の御精神を継承して、どのように仏法を伝えていくのか、そういう問題意識をもって、ともどもに励ましあって精進することが私達のめざす正信覚醒運動だと思います。

私達が仏法の精神を継承して修行し、弘通していく道場は、本山とか、本部とか、仏壇の前とか、そういう場所に限定されているわけではありません。

法華経の「神力品」に、

「若しは経巻所住の処

若しは園中に於いても

若しは林中に於いても

若しは樹下に於いても

若しは僧坊に於いても

若しは白衣の舎にても

若しは殿堂に在っても

若しは山谷曠野にても


是の中に、皆応に塔を起てて供養すべし。所以は何ん。当に知るべし。是の処は即ち是れ道場なり。」(『開結』581n)
と説かれるように、私達一人ひとりが法華経を信じて、この社会、今の時代に生きるこの場この処こそ道場であり、戒壇であると示されています。

この神力品の経文は、上行菩薩を上首とする地涌の菩薩に妙法蓮華経を結要附属した直後に説かれたもので、末法においては、どこであっても、正法正義を継承し流布していくことろが、そのまま霊山浄土であることを示された経文です。

この経文をそのまま受け継がれたのが、宗祖大聖人であり、ご開山・日興上人であったわけです。

日興上人は、正法を護持するために、日向等の軟風に染まった身延山にこだわることなく、山谷曠野の大石が原に出てこられて、法義を確立され、末法万年の礎を築かれました。 大聖人・日興上人から我々が継承しなければならない精神とは、『原殿書』に示された、
 「いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて世に立て候わん事こそ詮にて候へ」(『聖典』560n)
   という依法不依人の精神、正法正師の正義を堅持していくことです。

その依法不依人の精神を基本として、正信の道場たる各寺院を拠点として、行学の錬磨・折伏弘教の実践を興したいものと思うものです。

 *正信会僧俗の使命

最後に、正信覚醒運動の目的と、私達正信会僧俗の使命について、再確認をしておきたいと思います。

 @この覚醒運動の淵源は、宗開両祖のご精神を現代に再確認するなかで起こったもので、自身の覚醒(自覚)からはじまったものである。

A法華本門の下種仏法の大綱を信受しつつ、現宗門、創価学会、各日蓮門下一般の逸脱を是正し、後代に継承し、伝えていく精神を再確認すべく精進する。

Bすなわち創価学会の在家主義にも堕落せず、宗門の出家至上主義にも陥らず、その矛盾を再確認しつつ、下種三宝を信受し、厳正な化儀化法の伝統を受け継いで現実社会に正法を流布する。

C日蓮門下の僧俗の自覚、日興門流としての覚醒が原点であり、この原点に立って宗門・学会の覚醒、ひいては広く社会の覚醒をうながす宗教活動を展開していく。

このことをよく確認し、私達には大きな使命があることを忘れることなく、ともどもに正信覚醒運動に励んでいきましょう。


      (おわり)