撰時抄愚記上
正徳乙未六月十三日大貳日寛
(序)
一、将にこの抄題を釈せんとするに、須く通別を了すべし。即ち三意あり。
一には「撰時」の二字はこれ別なり。別してこの抄に題するが故なり。「抄」の一字は通なり。諸御抄に通ずるが故なり。
二には「撰」の字は通なり。宗教の五箇に通ずるが故なり。謂く、権迹を撰び捨て本門を撰び取るは、これ教を知るなり。権迹の機を撰び捨て本門の直機を撰び取るは、これ機を知るなり。権迹の時を撰び捨て本門の時を撰び取るは、これ時を知るなり。権迹流布の国を撰び捨て本門流布の国を撰び取るは、これ国を知るなり。前代流布の権迹を撰び捨て末法適時の本門を撰び取るは、これ教法流布の前後を知るなり。故に「撰」の一字は宗教の五箇に通ずるなり。故に通というなり。「時」の一字は別して第三に在り。故に別というなり。
三には文通・意別なり。文通というは、「撰」は撰捨・撰取に通ず。「時」は正像末に通ず。故に文通というなり。意別とは「撰」は只これ撰取のみ、「時」は只これ末法のみなるが故に、本意は別して末法の時を選取するに在り。故に「撰時抄」というなり。
問う、別して末法の時を撰取する意如何。
答う、此に両意あり。
一には末法に於ては、必ず応に文底秘沈の大法広宣流布すべし。
二には今末法に於て応に日蓮を以て下種の本尊と為すべきなり云云。
初義に且く三文を引き、これを証せん。
一には下の文に云く「彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし、但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻浮提の内(乃至)広宣流布せさせ給うべきなり」已上。
これ附文の辺は権実相対なり。故に但「法華経」等というなり。若し元意の辺は文底深秘の大法なり。故に意実には法華経の本門寿量品の肝心、南無妙法蓮華経の大白法等なり。「肝心」とは即ちこれ文底なり云云。
二には下の文に云く「上行菩薩の大地より出現し給いたりしをば(乃至)観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明を断ぜし人人も元品の無明を断ぜざれば愚人といはれて寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆえに、此の菩薩を召し出されたるとはしらざりしという事なり。」文。
これ附文の辺は本迹相対なり。故に但「寿量品」というなり。若し元意の辺は文底秘沈の大法なり。故に意実には法華経の本門寿量品の肝心、南無妙法蓮華経の末法に流布せん等なり。文語少しく略するなり。
三には下の文に云く「竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法教文の面に現前なり、此の深法・今末法の始五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべき」文。
これ即ち種脱相対なり。天台未弘の「最大深秘の大法」、豈寿量文底の秘法に非ずや。還って文言もまた略するなり。意実には本門寿量の文底、最大秘密の大法等なり。妙楽云く「若し文に随って解を生ぜば、則ち前後雑乱す。若し文の大旨を得れば、則ち元由に●からず」等云云。
今文の大旨を得るに、若し具にこれをいわば、法華経の本門寿量品の文底最大深秘の大法、後の五百歳に一閻浮提に広宣流布すべしという文の意なり。学者これを思え。
問う、文底深秘の大法、その体如何。
答う、則ちこれ天台未弘の大法・三大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり。故に顕仏未来記二十七三十に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめん」等云云。故にこの本尊は広布の根源なり。
次に今末法に於て、日蓮を以て下種の本尊と為すべしとは、下の文に云く「法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり(乃至)されば日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又主君なり」等云云。「法華経を弘む」とは意の法華経、即ち本門の本尊の妙法蓮華経の五字なり。これ即ち成仏の種子なり。この種子の妙法蓮華経の五字を弘め、日本国の一切衆生の心田に下すが故に「父母」というなり。故に蓮師は一切衆生の父母なり。またこれ師範なり、またこれ主君なり。故に今末法に於て応に日蓮を以て下種の本尊と為すべきなり云云。これこの文の元意なり。開目抄の始終、これを思い合すべし。
十五日
一、釈子日蓮述ぶ文。(二五六n)
「釈子」に四句の分別あり。
一には身は釈子に似て、心は釈子に非ず。即ち禅宗・念仏・真言等の沙門なり。
二には身心倶に釈子に非ず。即ちこれ禅・念仏・真言等の在家の族なり。
三には身心倶にこれ釈子なり。即ち蓮師、興師及び末弟の沙門これなり。
四には身は釈子に非ざれども、心はこれ釈子なり。即ち蓮・興の流れを汲む在家の輩なり。
中に於て我が蓮祖師は身心倶に真実の釈子なり。故に「釈子日蓮」というなり。将にこの義を明かさんとするに、略して五義を示さん。
第一には、蓮祖はこれ本化の再誕なるが故に。涌出品に本化の菩薩を説いて云く「此等は是れ我が子なり。是の世界に依止す」と文。妙楽云く「子、父の法を弘む。世界の益あり」云云。故に知んぬ、蓮祖は真実の釈子なることを。
また当流の沙門は皆これ本化なり。何となれば本化の菩薩は久遠より已来、但本門寿量の肝心を行ずるなり。故に下山抄に云く「久遠五百塵点劫より已来、一向に本門寿量の肝心を修行し習い給える上行菩薩」等云云。既に門流の沙門は皆これ一向に本門寿量の肝心を行ず。故に所行の法は全くこれ本化に同じきなり。故に即ちこれ本化なり。上行等は昔の本化なり。門流の沙門は今の本化なり。直ちに上行等なりというには非ず。外典に云く「彼れは古の尭・舜、此れは今の尭舜なり」等云云。これに例して知るべし。
また当流の在家も一向に本門寿量の肝心を行ずる故に、皆これ本化なり。若し爾らば門流の在家も出家も倶にこれ本化なり。故に「此等は是れ我が子」の摂属にして、並びにこれ真実の釈子なり。出家は身心倶に釈子なり。在家は心の釈子なり云云。
第二には、蓮祖は能く法の邪正を糺したまう故に。会疏三二十九に云く「仏法を壊乱するは仏法中の怨なり。能く糺治する者は是れ護法の声聞、真の我が弟子なり」文。禅宗の教外別伝、念仏宗の捨閉閣抛、真言宗の第三戯論、豈仏法を壊乱するに非ずや。若し爾らば仏法中怨の責、何ぞ免るるを得んや。既に仏法の中の怨敵なり。争か釈子と名づけんや。故に真俗倶に釈子に非ず。第一、第二の句云云。
然るに吾が蓮祖師は、横に権実の奥旨を窮め、竪に本迹の淵底を尽す。寧ろ能く糺治する者に非ずや。若し爾らば真の「我が子」なり。故に真実の釈子なり。
また当流の行者は、真俗倶に仰いで蓮祖の法流を信じて毫末も私立を存せず。故に法の邪正に於ては介爾も壊乱なし。故に「真の我が弟子」、真実の釈子なり。文中に「声聞」というは、これ大乗の声聞なり。「仏道の声を以て一切に聞かしむ」とはこれなり。故に実にこれ大菩薩なり。小乗の声聞に同じからざるなり。
第三には、蓮祖は能く謗法を呵責したまうが故に。涅槃経第三二十九に云く「若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて駈遣し、呵責し、挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し、呵責し、挙処せば是れ我が弟子、真の声聞なり」と文。
「法を壊る者」とは、禅・念仏・真言等なり。然るに彼等が謗法を見て、置いて呵責せずんば仏法中の怨なり。譬えば朝敵を見て徒にこれを責めざるが如し。豈朝敵に異らんや。但、吾が蓮師は専ら如来の勅命を仰ぎ、敢て身命を惜しまず、日々夜々にこれを呵責し、月々年々にこれを駈遣したまう。豈「是れ我が弟子、真の声聞」に非ずや。故に真実の釈子なり。若し門流の行者と雖も、謗法を呵責せずんば仏法中の怨の責、恐らくは免れ難きか。何ぞ身命を惜しんで無上道を惜しまざらんや。
第四には、蓮祖は能くこの経を読持したまうが故に。宝塔品に云く「能く来世に於て此の経を読持せんは是れ真の仏子、淳善の地に住するなり」と文。経文に「能く来世に於て」とは即ちこれ末法なり。「読持」とは本門の題目なり。「読」は即ちこれ行なり。「持」は即ちこれ信なり。信ずるが故にこれを持つ、もし信ぜざれば何ぞ持つべけんや。故に「持」はこれ信なり。「此の経」とは法華経なり。法華経とは、今末法に於ては即ちこれ本門の本尊の妙法蓮華経の五字なり。これ則ち広・略・要・の中には要の法華経なり。文・義・意の中には意の法華経なり。種・熟・脱の中には下種の法華経なり。故に知んぬ、能く末法に於て本門の本尊・妙法蓮華経をば唱え信ずる人は、即ちこれ真実の釈子なることを。故に「是れ真の仏子」というなり。「淳善の地に住す」とは、即ちこれ本門の戒壇なり。凡そ、戒とは防止を義と為す。非を防ぎ悪を止むるが故なり。「淳」とは朴なり。既に非を防ぐ、故にこれ淳なり。悪を止む、故にこれ「善」なり。故に戒壇の地を指して「淳善の地」というなり。故に本門の本尊・妙法蓮華経の五字を我もこれを信行し、人にもこれを信行せしむるは、即ちこれ真実の釈子にして、本門戒壇の地に住するなり。故に当流の弟子檀那は、これ真の仏子にして真実の釈子なり。
第五には、蓮祖は即ちこれ本因妙の釈子なるが故に。これ内証深秘の相承なり。「釈」とは釈尊なり。「子」とは因の義なるが故に、釈尊の本因即ちこれ日蓮なり。故に「釈子日蓮」というなり。これ則ち久遠名字の釈尊の御身の修行を末法今時の蓮師の御身に移し、信行全く同じきが故なり云云。
日蓮述ぶとは日文字の相伝云云。
分字・合字の両釈、九箇の深秘これあり。今且く之を略す。所詮、釈尊の童名は日種太子、蓮祖の童名は善日丸。釈尊の果位の御名は慧日大聖尊、我が師の御名は日蓮大聖人。国は即ち日本国、山は則ち大日蓮華山。自然の名号、不可思議なり云云。
問う、誰人か日蓮の号を立つるや。
答う、若し今日を論ずれば自ら日蓮と号したまうなり。もしその本を尋ぬればこれ忝くも釈尊の勅号なり。経文に分明なり。且くこれを秘す云云。
入文七月七日
(第一段時を要となすを標す)
一、夫れ仏法を学せん法は先づ時をならうべし文
(二五六n)
これ時を要と為すことを標するなり。
孟子に斉の国の諺を載せて云く「智慧ありと雖も、勢に乗ずるには如かず。●基ありと雖も、時を待つには如かず」と云云。「●基」とは即ちこれ農具なり。鋤・鍬の類なり云云。或る人の歌に云く「何事も時ぞと思え夏来ては錦にまさる麻の挾衣」と云云。世間の浅き事すら尚此くの如し。况や仏法をや。故に涅槃経第八に云く「時を知るを以ての故に大法師と名づく」と云云。文意に云く、時尅相応の道を知るを以ての故に大法師と名づくと云云。大法師とは能く法を説いて衆生を利する故なり。
如説修行抄二十三三十三に云く「されば国中の諸学者等仏法をあらあら学すと雖も、時尅相応の道を知らず。四節四季取取に替れり。夏は熱く、冬はつめたく、春は花さき、秋は菓なる。春は種子を下し、秋は菓を取るべし。秋種子を下して春菓を取らんに豈取らるべけんや。極寒の時、厚き衣の用なるも、極熱の夏はなにかせん。冷風は夏の用なるも、冬はなにかせん。仏法も亦復是くの如し。小乗流布して得益あるべき時もあり、権大乗流布する時もあるべし。然るに正像二千念は小乗権大乗流布の時なり。末法の始めの五百年は純円一実の法華経広宣流布の時なり」(取意)已上。「純円一実の法華経」とは末法下種の正体・本門の本尊・妙法蓮華経の五字の事なり云云。
問う、宗教の五箇は並びにこれ肝要なり。何ぞ別して「必ず先ず時をならう」というや。
答う、実に所問の如し。而るに五箇の中に於ては時を以て本と為す。若し時の一字を離れては、これを論ずること能わざるが故なり。
初めに教の浅深を判ずる如き、正法の始めの五百年は専ら内外相対を用い、次の五百年は専ら大小相対を用う。像法一千年は専ら権実相対を用う。若し末法に至らば専ら本迹相対を用うる等なり。
機もまた爾なり。正像二時は本已有善、末法は本未有善等なり。
国もまた爾なり。正像弘通の権迹は月氏・震旦を始めと為し、末法流布の本門は日本国を以て始めと為す。
祖判十七三十一に云く「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」等云云。
况や教法流布の前後とは、正法は小乗・権大乗、像法は法華経の迹門等、末法は法華経の本門等なり。具に諸抄の如し。
故に知んぬ、皆これ時を以て本として余の四を論ずることを。若し時を知らざれば何ぞ余の四を論ずることを得んや。故に時はこれ別して肝要なり。故に「必ず先づ」等というなり。
一、過去の大通等文(二五六頁)
この下は三世の仏を引き、時を要と為すを釈するなり。(また三あり)初めに過去の仏を引いて釈し、次に「今の教主」の下は現仏を引いて釈す。また二あり。初めに正しく引き、次に「老子」等を以て現仏の時を待ちたまうに例するなり。三に「弥勒」の下は未来の仏を引いて釈するなり云云。
一、老子は母の胎に処して八十年等文。(同n)
「老子」は仏滅後三百四十六年、周の第二十二定王の三年丁巳九月十四日、楚国陳郡に生る云云。老子経序に云く「八十一歳、天の太陽の暦数に応じて生る。生るるとき老徴あり、人皆其の老いたるを見て其の少きを見ず。之を嬰児と謂わんと欲すれば、年已に八十なり。之を老父と謂わんと欲すれば、又且、新たに生またり。故に之を老子と謂う」と文。
一、商山の四賢等文。
開目抄の下にこれを示すが如し。啓蒙第七十六。一、弥勒菩薩等文。(二五六頁)
補処、天に住する年限、種々の異説あり。或は云く「五十億七千六十万歳」と。或は云く「五十六億万歳」と。或は云く「八百八十万九千二百年」と。或は「五千七百六十億」と。或は云く「五十七億六百万歳」等となり。
然るに今の文は菩薩処胎経第二の巻に拠る。故に「五十六億七千万歳」というなり。当に知るべし、三世の仏、皆時を待ちたまう所以は、時はこれ肝要なるを以ての故なり。
一、彼の時鳥は春ををくり等文。(二五六頁)
この下は第三、「况や」は結なり云云。「時鳥」は時を知る鳥なり。この鳥の異名多し。或は子規、或は杜鵑、或は杜宇、或は蜀魂、或は蜀魄等なり。中に於て今、時鳥の字を用うるは少しく意あるか。また朗詠並びに順の和名に時鳥を以て郭公と為す。並びに是に非ず。郭公は●鳩なり。本草綱目、爾雅等の意爾なり云云。谷の響一に之を弁ずるが如し云云。また時鳥と書く事は耕作の時を知って教ゆる故に、別して時鳥というなり。
問う、この鳥は春鳴くと為んや。夏鳴くと為んや。答う、国に依って同じからず。若し漢土に於ては多くは春鳴くと見えたり。文選二十八二十三の註に云く「時鳥は春鳴く鳥なり」と云云。事文後集四十四六には「春至れば則ち鳴く」と云云。又春より夏に至って鳴く処あり。本草綱目四十九十四に時珍云く「春暮れて即ち鳴き、夏に至って尤も甚だし」と云云。古詩に云く「如かず、口を緘じて残春を過さんには」と云云。
また楚国に於ては臘月の比より鳴き始めて、三月の時分には鳴き止むなり。「楚塞の余春に聴くこと漸く稀なり」というこれなり。三体抄絶句三十一に云云。
正に日本に於ては夏至れば則ち鳴くなり。故に詩歌倶に夏の部に入るるなり。今は和国に約する故に「春を送る」というなり。これ併しながら暖国・寒国の異なるのみ。啓蒙の義は恐らく理を尽すに非ざるなり。
問う、この鳥の鳴きよう如何。
答う、本草に時珍云く「其の鳴くことは不如帰去というがごとし」と云云。古詩の意皆爾なり。又健抄に云く「早作田過時不熟と鳴くなり」と云云。和俗に云く「本尊掛けたかと鳴くなり」と云云。
今謂く、またその人に由ってこれを聞くこと同じからず。旅客の耳には専ら不如帰と聞こゆ、故に古郷を忍ぶなり。ある宮方の田舎に流されて詠じたまいしは「鳴けば聞く聞けば都の恋しきに此の里過ぎて鳴け時鳥」と云云。その里には今に至ってこの鳥鳴かずとなん申し伝え侍り。
また農人の耳には「早作田過時不熟」と聞く、故にこの鳥の鳴くを待って農事を務むるなり。事文後集に云く「惟うに田家は其の鳴くを候いて則ち農事を興す」と云云。
また我等が耳には「本尊掛けたか」と聞くなり。御遺状に云く「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大本尊、日目に之を授与す。本門寺に掛け奉るべし」と云云。この鳥の意に云く「最早、広宣流布の時も来るべし、本門寺を建立して本尊掛けたか、本尊掛けたかと鳴くなり」と。然れば広宣流布の時を待つ鳥なるが故に時鳥というか云云。これはこれ観心の釈の意なるのみ。
これに因んで思い出せることあり。季吟発句に云く「一声に本迹いかに時鳥」と云云。予曽てこれを伝え聞いて笑って云く「声は本、響は迹よ時鳥」と云云。古歌に云く「山彦の答うる山の時鳥一声啼けば二声ぞきく」と。また古詩に云く「雲は老樹を埋む空山の裏、千声に彷彿として一度飛ぶ」と云云。これを思え。これはこれ本迹の釈の意なるのみ。
一、鶏鳥は暁をまつ文(二五六n
)
またこれ時を知る鳥なり。即ち第五の徳なり。事文後集に云く「●に五徳あり。冠を戴くは文なり。距を以て搏つは武なり。敢んで闘うは勇なり。食を見て相呼ぶは仁なり。夜を守って時を失わざるは信なり」と云云。
問う、この鳥の鳴きよう如何。
答う、一説に云く「夜すでに暁に近し、我が脛即ち寒ゆ。里人早く驚きて、夢の世を厭離せよと鳴くなり」と。一説に云く「可見路と鳴くなり」と。故に当山に於ては、鶏鳴に即ち起きて螺を吹き、鐘を撞いて勤行を務むるなり。これ鶏の時を知るが故なり云云。彼尚時を失わず、二三子、何ぞ山谷に似たるや。谷詩に云く「晨鶏催せども起きず、被を擁して松風を聴く」と云云。慎みて怠ることなかれ。
七月十五日
(第二段仏教は時によるを明かす)
一、寂滅道場の砌文。(二五六n)
この下は、仏教は機に依らずして専ら時に依ることを明かす、三あり。初めに正釈、次に「問うて云く機」の下は料簡、三に「初成道」の下は結なり。料簡にまた二あり。初めに機教の相違、二に経説の相違云云。正釈の大意に云く、仏既に善人の為には大法を説かずして、悪人の為に大法を説く。故に知んぬ、仏教は機に依らずして専ら時に依ることを。
開目抄上二十一。
一、生身得忍等文。(二五六n)
健抄に云く「観智未熟なれば初住に登ると雖も、尚我が身は父母所生の肉身なりと思う。是れ生身得忍なり。若し利根は観解能熟する故に、苦道即法身と開くを法身の大士と云うなり」と云云。
今難じて云く、住上には差降なし。何ぞ利鈍に約すとこれを判ずるや。文の四に云く「真修の体顕るれば則ち差降無し」等と云云。如何に况や生身・法身の釈、妙楽の指南に違するをや。籖の一に云く「地前住前を生身と為し、地に登り住に登って生身得忍と為す。謂く、生身の中に能く無明を破して、無生忍を得ればなり。法身と言うは地に登り住に登って無明を破し、生身を捨てて実報土に居す、名づけて法身と為す」と文。文の意は、父母所生の肉身に於て中道無生忍を証するを生身得忍と名づく。父母所生の肉身を捨て、実報土に生れて法性身を得るを法身と名づくるなりと云云。
一、二乗作仏・久遠実成等文(同n)
これはこれ名と義と影略互顕なり。実には二乗作仏・久遠実成並びに名義倶にこれを隠し、即身成仏・一念三千並びに名義倶に宣べたまわざるなり。弘の六末六に云く「遍く法華已前の諸経を尋ぬるに、実に二乗作仏の文及び如来久成の本を明かすこと無し」と云云。秀句に云く「他宗所依の経には、都て即身入無し」と云云。金・論に云く「妙境を指的するは法華より出ず」と云云。
一、此等は偏にこれ機は有りしかども等云云。(同n)上には正しく善人の為には大法を説かざることを釈し、この下は結するなり。
愚案三二十一の意に「今機と言うは一機一縁なり。時来るとは万機純熟の時なり。然るに華厳の時は一機一縁有りと雖も、万機純熟の時来らざれば宣べたまわず」と云云。今謂く既に華厳一会の儀式を挙ぐ。何ぞ「一機一縁」というべきや。
安心録三十に云く「時至るとは前権後実の時なり。華厳時の如き、解脱月等は発起・影響にて当機には非ざるなり。自余の人の類も皆是れ権機にて一実の機には非ず。此等は有りと雖も此の機に依らず、後一の時を待つ。故に爾判ずるなり」云云。今謂く、現文には分明に「機あれども時来らず」という。何ぞ権機にして一実の機には非ずといわんや。若し爾らば直ちに「応に機なき故に、時来れざれば宣べず」というべし。何ぞ宗祖、機ありといいたまわんや。
問う、若し爾らばその義如何。
答う、今は現相に約す。謂く、華厳の衆はこれ既に善人なるが故に大法を聞くべきの機なり。然りと雖も、時来らざれば宣べたまわざるなり。若し闍王・達多等は既にこれ悪人なり。故に大法を聞くべからざるの機なり。然りと雖も、時来るが故に大法を説くなり。啓蒙の意も多くはこの義に違わざるなり。意は、これを以て末法今時の弘通を顕すに在るのみ。
一、閻浮第一のの不孝の人たりし等文。(二五六n)
今経の列衆中に韋提希の子、阿闍世王という云云。文二に云く「法華を説く時、清浄衆に預る」等と云云。御書十五九。
一、一代謗法の提婆文。(同n)
一義に云く、釈尊一代の仏教を謗ず、故に「一代謗法」というなりと。一義に云く、提婆一代の間、恒に仏教を謗ず、故に「一代謗法」というなりと。
問う、調達、今経の座に在りとや為ん。
答う、これ定判し難し。且く一意に准ずるに、或は座に在るなり。呵責謗法罪滅抄十六二十四に云く「提婆達多は仏の御敵・四十余年の経経にて捨てられ臨終悪くして大法破れて無間地獄に行きしかども法華経にて召し還して天王如来と記せらる」文。
また啓蒙八四十に、四釈に約して達多在座の義を明かすなり云云。また日我、提婆品下私に云く「彼の達多が阿鼻の縁淵より召出されしは偏に末法の手本なり」と云云。
一、九界即仏界等文。(同n)
「九界即仏界」は権に即して実なり。「九界即仏界」は実に即して権なり。この段の大旨は二門に亘ると雖も、文は且く釈に従って而して釈するなり云云。
一、此の経の一字は如意宝珠文。(同n)
「此の経」等とは他経に簡異す。故に「此の経の一字」等というなり。他経には一念三千の仏種を明かさざるが故なり。
問う、諸部の円教、何ぞ仏種に非らざるをや。
答う、凡そ仏種とは法華開顕の極理・一念三千の妙法なり。而して爾前の諸経には未だ曽てこの事を説かず、故に仏種に非ざるなり。故に爾前を以て肴膳に譬うるなり。記第八二五に云く「三教の助道は猶肴膳の如し。更に異方便を以て第一義を助顕するは、肴膳食し已れば便ち消すること、方便教の究竟の益に非ざるが如し」文。通じて爾前を以て三教と名づくるなり。これ則ち円を以て別に属するが故なり。籖一末九に云く「漸及び不定に寄すと雖も、余経を以て種と為さず」と文。
開目抄下十二に云く「法華経の種に依って天親菩薩は種子無上を立てたり天台の一念三千これなり」と文。本尊抄に云く「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」と文。故に爾前の諸経は仏種に非ざるなり。
「如意宝珠」とは既にこの経の題を妙法と名づく。故にその下の文々句々皆妙なり。名は即ち一念三千なり。故に如意宝に譬うるなり。妙楽云く「妙は即ち三千、三千は即ち法」と云云。止観第五に一念三千を譬えて云く、「如意宝の如き、天上の勝宝なり。状、芥粟の如くなれども大功能有り。浄妙の五欲、七宝の琳琅、内に蓄うるに非ず、外より入るるに非ず。前後を謀らず、多少を択ばず。(乃至)意に称うれば豊倹にして降雨穣穣たり。蓋し是れ色法、尚能く此くの如し。况や心神の霊妙をや。寧んぞ一切の法を具せざらんや」と文。
一、一句は三仏の種子となる文。(二五六n)
一字一句既にこれ一念三千の宝珠なり。故に三仏の種子となるなり。「仏の三種の身は方等より生ず」とはこれなり。故に一句を聞くと雖も、即ち繋珠と為るなり、
問う、通じて今経一部を以て末法下種の正体と為すや。
答う、凡そ末法下種の正体とは久遠名字の妙法、事の一念三千なり。これ則ち文底甚深の大事、蓮祖弘通の最要なり。開目抄に云く「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底に秘し沈め給へり」と云云。正に知るべし、当文の如くんば正にこれ権実相対なり。既に華厳に対する故なり。若し本尊抄に「爾前迹門の円教尚仏因に非ず」等というは即ちこれ本迹相対なり。若し「彼は脱此れは種なり彼は一品一半此れは但題目の五字なり」というは、正しくこれ種脱相対なり。これ第三の法門末法下種の正体なり。
秋元抄に云く「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」と文。太田抄に云く「或は一乗を演説すれども但妙法蓮華経の五字を以て下種と為すべき由来を知らざるか」と云云。本尊抄の「但」の字、秋元抄の「必」の字、学者意を留むべし。太田抄の「由来」の両字、殊に深秘の相伝これあり云云。
弘一下十一に云く「縦使発心真実ならざる者も、正境に縁すれば功徳猶多し。若し正境に非ずんば、縦い偽妄無きも亦種を成ぜず」と云云。当に知るべし、正境とは本門戒壇の本尊の御事なり。これ則ち正中の正、妙中の妙なり久遠名字の妙法、事の一念三千、何ぞ外にこれを求めんや。即ちこれ末法下種の正体なり云云。
七月十六日
(第三段機教相違の難を会す)
一、問うて云く機等。(二五六n)
この下は機教相違の難を会するなり。
一、人路をつくる等。(二五六n)
愚人に大法を授くる所以は、彼をして信を生じ仏果に至らしめんと為なり。然るに却って誹謗を作して悪道に堕せんは、これ彼の者の過にして説く者の罪に非らざるなり。
記五末五十八に云く「仏の元意に従るに、但福を生ぜんが為のみ。是れ迷者の過にして路の咎に非ざるなり」と文。
次に「良薬」とは、寿量品の肝要・名体宗用教の南無妙法蓮華経なり。「愚人」とは日本国中の三毒強盛の悪人等なり。「良医」とは蓮祖大聖人なり。(又書註二九)
一、尋ねて云く法華経等。(同n)
この下は経説相違の難を会するなり。
一、天台云く、時に適うのみと文(二五六n)
文八六十六の文なり。「章安云く」とは単疏四三十三の文なり。
一、或る時等文。(同n)
四箇の「或る時」は分ちて二段と為す。初めの二段は未謗・已謗の機に配す。これ則ち未謗は摂受、已謗は折伏の義にして「時に適うのみ」の文意なり。次の二段は「釈迦は小を以て而して之を将護し不経は大を以て而して之を強毒す」の意なり。
一、初成道の時等文(同n)
この下は上来の「寂滅道場」已下の意を結するなり。
一、法慧・功徳林等文。(同n)
開目抄上四十五に云く「総じて華厳会座の大菩薩・天竜等は釈尊以前に不思議解脱に住せる大菩薩なり、(乃至)此等の大菩薩は人目には仏の御弟子かとは見ゆれども仏の御師とも・いゐぬべし、(乃至)華厳経に此等の大菩薩をかずへて善知識ととかれしはこれなり、善知識と申すは一向・師にもあらず一向・弟子にもあらずある事なり」と文。実にこの衆の為には法華経を説くべき事なり。
一、鹿野苑等文。(同n)
これ阿含経の説処なり。名義の因縁は、大論十六十七の如し。
一、倶隣等の五人文。(同n)
五人の最初得道の因縁は文第一四十一の如し云云。一、八万の諸天文。(同n)
諸転法輪の得道の因縁は、大論十四初紙の如し。
「五人」及び「八万」は倶に宿世の誓願あり。故に法華を説くべき事なり。(また顕仏未来記に云云)
一、観仏三昧経をとかせ給い文(同n)
これ成道第十二年の説なり。然りと雖も、経文の相、正に方等の摂なり云云。先ず仏成道の第六年に優陀邪を使として仏を王宮に迎え、群臣万民迎え出ずること四十里、仏王宮に入り法を説き度生す。父王、一族五百人をして出家せしめ、仏の化儀を荘厳す。その後六年を経て成道十二年に当り、再び迦毘羅国に還って、父王の為に観仏三昧経を説くと云云。統紀三二十七、三十。
一、摩耶経をとかせ給う文。(同n)
これ成道第八年の説なり。仏祖通載三四紙に云云。これまたその説相、方等の摂なり。具には啓蒙の如し。故に「方等大会の儀式」というなり。既に提謂を以て尚方等に摂す。年限に拘らんや。御書十八七に云く「昔仏、摩耶の恩を報じ給わんが為に・利天へ4月十五日に昇らせ給うて、七月十五日の夜還らせ給う」取意。故に「九十日が間」等というなり。また貧女が一燈を挙げ已って云く「是れを思うに、楽しくして若干の宝を布施すとも信心弱くば仏に成らんこと斗り難し。縦い貧なりとも信心強く志深からんは仏に成らんこと疑あるべからず」等云云。
八月七日
(第四段滅後の弘経を明かす)
一、問うて云くいかなる時にか等文。(二五七n)
この下は滅後の弘経を明かす、大に分ちて二と為す。初めに略して末法はこれ深秘の大法広布の時なることを示し、二に「問うて云く竜樹」の下九丁は、広く三時の弘経の次第を明かすなり。初めにまた四あり。初めに由、次に「問うて云く其の心」の下は正しく示し、三に「問うて云く其の証」の下は引証、四に「道心」の下は結勧なり。当に知るべし、略釈、広釈、例せば天台の釈の如し。深くこれを思うべし。初めの二問答、倶にこれ由なり。学者見るべし。
一、いかなる時にか法華経を説くべきや文。(同n)
問に重々の意あり云云。「法華経」とは元意の辺に約すれば文底下種の法華経なり。
一、等覚の大士等文。(同n)
問う、籖十に云く「本地の真因より初住已来、今日を遠く鑑み、乃至未来の大小の衆機」と云云。故に知んぬ、初住すら尚知る、况や等覚をや。
答う、住上は未だ淵底を尽さず、仏は究竟してこれを知るなり。故に如来に望みて奪って「知りがたし」というなり。玄二十九に云く「凡夫は知らず、二乗は髣髴として之を知る。菩薩は知ること深からず、仏は知ることを辺を尽す、善き相師の始終を洞見するが如し」と文。菩薩は少納言惟長の如く、或は未だ尽さざるの処あり。仏は許負が周の亜父を相するが如く、始終を洞見するなり。新語三十八。盛衰記十五二十四。
一、仏眼をかつて時機をかんがへよ等文。(二五八n)
意は経文を借って時機を知るべしとなり。凡そ眼は物を見るを以てその用と為す。仏は未来永々の時機を見たまい、即ちその事を以て経文を説き顕す。故に経文はこれ直ちに仏眼なり。日は照明を以てその用と為す。経文明々たること宛も日天の如し。故に経文の明々たるを借って以て機を照し、時を照し、国を照せ等云云。「経文明々たり」とは即ち大集経の文これなり。
一、問うて云く其の心等文。(同n)
この下は正しく示す、また二あり。初めに経文を引く、即ちこれ月蔵経九二の文なり。次に「此の五箇の五百」の下は文旨を釈す、また二あり。初めに異解を挙げ、二には「彼の大集経」の下は正釈なり。一、漢土の道綽禅師が云く文。(同n)
選択集上初第一段に安楽集を引いて云く「二種の聖法を得て以て生死を排す。一には謂く、聖道、二には謂く浄土。其の聖道の一種は今時は証し難し。大聖を去ること遥遠なるに由るが故に。理深解微に由るが故に。是の故に大集月蔵経に云く、我が末法中の億々の衆生、行を起し道を修するに、未だ一人の得者有らず。当に今末法は五濁悪世なるべきなり。唯浄土の一門のみ有って、路に通入すべきなり」略少と。
法然が私の料簡の段に云く「初めに聖道門とは之に就いて二あり。乃至然れば則ち真言・仏心・天台・華厳・法相・三論・地論・摂論、此等の八家の意は正しく此に在るなり」と文。既に八家を以て通じて聖道に属してこれを捨つ。天台は即ちこれ法華経なり。故に今「法華経・華厳経」等というなり。
一、千中無一これなり文。(同n)
これ聖道の白法隠没の辺を指して「これなり」というなり。次に「路に通入すべしとはこれなり」とは、これ浄土の称名流布の辺を指して「これなり」というなり。
問う、前代の諸師の中に、何ぞ別して浄家を挙ぐるや。
答う、これに総別あり。総じてこれを論ぜば、彼の宗専ら盛んなるが故なり。
若し別してこれを論ぜば、即ち三意を含む。一にこれ所破の為なり。その義知るべし。二には一分所用の為なり。謂く、彼も大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世とする故なり。三には且く所例の為なり。学者見るべし。
一、法華経の肝心たる等文。(二五八n)
一義に云く、如是我聞の上の妙法蓮華経なりと。一義に云く、本地甚深の南無妙法蓮華経なり等云云。当流の意は、法華経本門寿量品の肝心・久遠名字の南無妙法蓮華経なり。久遠名字の南無妙法蓮華経とは、即ちこれ本門の本尊の中央の南無妙法蓮華経なり云云、云云。
顕仏未来記に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等云云。当に知るべし、「法華経の肝心たる南無妙法蓮華経」とは即ちこれ本門の本尊なり。「四衆の口口に唱う」とは本門の題目なり。但し本門戒壇の文なきは只これ略するなり。広宣流布の時は必ずこれを建立するが故なり。秘法抄十五三十一に云く「王臣一同に三秘密の法を持たん時、勅宣並に御教書を申下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可きものか。時を待つ可きのみ」(取意)と云云。
問う、「最勝の地」とは何なる地を指すべけんや。答う、これ富士山なり。録外十六四十一に御相承を引いて云く「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり」と文。
八月十三日
(第五段経文を引いて証す)
一、問うて云く其の証文如何文。(二五八n)
この下は第三に引証、また二あり。初めに経、次に釈なり。経中また二あり。初めに正しく引いて十文あり。分ちて五意と為す。
第一には、大集経の白法隠没の時は即ち今経の広宣流布の時なることを顕す。即ちこれ今経第七の薬王品の文なり。「後の五百歳」とは最後の五百なるが故なり。
問う、今時は已に如来の滅後二千六百余年なり。「後の五百歳」の時已に過ぎたり。然るに爾前の諸経未だ隠没せず、仍諸国に盛んなり。法華の三箇未だ流布せず、但吾が一門のみなり。如来の玄鑑虚しきが如し。無虚妄の説徒なるに似たり、如何。
答う、利生の有無を以て隠没、流布を知るべきなり。何ぞ必ずしも多少に拘らんや。初心成仏抄二十二十一に云く「大集経の白法隠没と雙観経の経道滅尽と但一つ心なり。経道滅尽と云うは経の利生の滅すと云うことなり。色の経巻のあるにはよるべからず。此の時は但法華経のみ利生得益あるべし。後の五百歳中広宣流布は是なり」取意。况や当流漸々に流布す。一葉落つる時は皆秋を知る。一華開ける日は天下の春なり。豈広宣流布に非ずや。况や逆縁に約せば日本国中広宣流布なり。况や如来の金言は大海の塩の時を差えざるが如し。春の後に夏の来るが如く、秋毫も差うことなし。若し爾らば終には上一人より下万民に至るまで、一同に他事を捨てて皆南無妙法蓮華経と唱うべし。順縁広布、何ぞこれを疑うべけんや。時を待つべきのみ云云。
第二には、後の五百歳末法の始めに地涌の菩薩出現すべきことを顕す。即ちこれ今経の第六巻分別功徳品の「悪世末法の時」等の文これなり。而して「悪世末法」の言は万年に通ず容し。故に「法滅せんと欲する時」の文を引いて、これ末法の始めなることを助証するなり。
第三には、この末法の始め、地涌の弘経に応に怨嫉多かるべきことを顕す。即ちこれ第四、第五、第七の巻の三文これなり。
第四には怨嫉に由って応に闘諍の起るべきことを顕す。即ちこれ大集経の「闘諍言証」の文これなり。第五に、その怨嫉の人はこれ「悪鬼入其身」の大僧なることを顕す。即ちこれ今経第五の勧持品の三文これなり。
一、文の意は第五等文。(二五九n)
次に所引の文意を釈するなり。また五意と為す。次第は所引に同じからず云云。
初めに「第五の五百歳」の下は勧持品の三文の意を釈するなり。勧持品の中に「悪世」とは即ちこれ第五の五百歳の時なり。例せば分別功徳品の「悪世末法」の如し。
二に「其時に智者一人出現せん」とは、即ち「悪世末法の時能く是の経を持つ者」の文を釈するなり。「智者」は即ちこれ地涌の大菩薩の御事なり。
三に「彼の悪鬼の入る大僧」とは「猶多怨嫉」等の三文の意を釈するなり。「時の王臣・万民等を語て」等とは妙法尼抄十三四十九に云く「極楽寺の生仏の良観聖人折紙をささげて上へ訴へ建長寺の道隆聖人は輿に乗りて奉行人にひざまづく諸の五百戒の尼御前等ははくをつかひてでんそうをなす」等。はくは帛なり、幣帛なり。ヌサの事なり。昔は進物を遣すに、ヌサとて花や葉など色能く造り添えて遣すなり。
四に「時釈迦・多宝」の下は大集経の「闘諍言訟」の文意を釈するなり。「国主等・其のいさめを用いずば」等とは、或は謂く、「一の小僧」の諌を用いざるなり。建仁寺の天誉の詩に云く「曽て日蓮師の諌に違うに依って、永々の英将跡を継がず」と云云。或は云く、天変地夭、即ちこれ天の諌なり。白虎通二二十五に云く「天に災変ある所以は何ぞや。人君に譴告して其の行を覚悟し、過を悔い徳を修めて思慮を深からしめんと欲する所以なり」と。説苑に云く「楚の荘王、天に夭を見さず、地に●を出さざるを見て、則ち山川に祷って曰く、天其れ余を忘るるかと。此れ能く過を天に求め諌に逆わざるなり」と文。「隣国にほせ付け」等とは大集経に云く「常に隣国の侵●する所と為る」等云云。蒙古皇帝の漢土三百六十余国、日本国の壱岐・対馬等を破るが如し。
五に「其の時・日月所照」の下は正に「後の五百歳中広宣流布」の文意を釈するなり。「一四天下」というは、言は総、意は別なり。別にこれ南閻浮提なり。経に「閻浮提」といい、今「八万の大王」というこれなり。金光明経護国品に云く「此の膽部州八万四千の城邑聚楽に八万四千の諸の人王等あり」云云。「一の小僧を信じ」等とは、即ちこれ本化の上首・末法の法華経の行者・倶体倶用の無作三身・本門寿量の当体の蓮華仏・本因妙の教主日蓮大聖人の御事なり。故に知んぬ、一切衆生皆本因妙の教主日蓮大聖人を信じて、本門深秘の大法・本因下種の南無妙法蓮華経と唱え奉るを広宣流布ということを。
次に「例せば神力」の下は在世を以て末法に例するなり。
「南無妙法蓮華経と一同に」等とは、
問う、神力品の中に但仏名のみを唱うるの文を見れども、未だ経名を唱うるの文を見ず、如何。
答う、諸抄に異説蘭菊たり。或は云く、能例・所例合してこれを挙ぐるなり云云。或は云く、既に人法体一なり。故に仏名即ち経名なるが故なり云云。或は云く、法子尚これを敬う。况や仏母の経をや。或は云く、空中の勧信既に人法あり。帰命の文豈爾らざらんや。或は云く、既に能説の教主を信じてその名を唱う。何ぞ所説の法を信じてその名を唱えざらんや。此等は並びにこれ人情なり、何ぞ聖旨に関らんや。
今謂く、これ寿量文底の意に由るが故なり。汎くこれを論ずれば、則ち「釈迦牟尼仏」に於て小大・権実・迹本等の異あり云云。今正しくこれを論ぜば、寿量の意に依ってこの文を消すべし。所謂、寿量の顕本に略して二意あり。
一には、文上の意は即ち久遠本果の三身を顕すなり。この仏は色相荘厳の尊容にして在世脱益の教主なり。この仏の名号を「南無釈迦牟尼仏」というなり。彼の十方世界の一切衆生は文上の本果の三身を信ず。故に「南無釈迦牟尼仏」と唱うるなり。
二には、文底の意は即ち本地無作の三身を顕すなり。この仏は凡夫の当体本有の侭なり。即ちこれ本因妙の教主なり。この仏の名号を「南無妙法蓮華経」というなり。彼の十方世界の一切衆生、文底無作の三身を信ぜば、豈「南無妙法蓮華経」と唱えざるべけんや。今この意を以て末法に例するなり。故に知んぬ、末法下種の教主日蓮大聖人は即ちこれ本地無作の三身・南無妙法蓮華仏なることを。
故に「一の小僧を信じて南無妙法蓮華経と唱うべし」と判じ給うなり。御義口伝下九に云く「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」と文。「末法の法華経の行者」とは蓮祖の御事なり。
またまた当に知るべし、当流の行者は皆これ本地無作三身の南無妙法蓮華仏なり。御義下十一に云く「然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり」云云。「当体蓮華仏」とはこれ妙法蓮華仏ということなり。而して当体とは譬喩に対するの言なり。故に当体蓮華は即ちこれ妙法蓮華なり云云。
或る人問うて云く、寿量の顕本に略して二義ありとの証文は如何。
答う、天台云く「此の品、詮量して通じて三身と名づく」とは、即ちこれ久遠本果の三身にして文上の意なり。「若し別意に従れば正に報身に在り」とは、即ちこれ本地無作の三身にして久遠元初の自受用報身なり。これ文底の意なり。これはこれ天台の内鑒冷然の意なり云云。これ深秘の相伝なり。
八月十五日
(第六段釈の文を引いて証す)
一、問うて云く経文は分明に候等文。(二五九n)
この下は引証の第二、釈を引いて証するなり。また云云。
一、経は遠し釈は近し文。(同n)
経はこれ幽玄なり。故に義意を得ること遠し。故に「経は遠し」という。釈はこれ経を解す。故に義意を得ること近し。故に「経は近し」というなり。啓蒙の義、未だ美からず。
一、後の五百歳遠く妙道に沾わん文。(同n)
今引用の意を示さば、「後の五百歳」とは末法の初めなり。「遠」は謂く、万年の外を指すなり。「沾」は即ち流布の義なり。「妙道」はこれ文底秘沈の大法なり。この法はこれ妙中の妙なり。故に「妙」というなり。「道」は即ち三大秘法なり。故に文の意に云く、末法の初めに広宣流布して万年の外、未来永々まで文底深秘の三大秘法を流布すべしとなり。
問う、道の字、何ぞこれ三大秘法なりや。
答う、これはこれ内鑒冷然の奥旨、当流深秘の法門なり。今略して文理を示さん。所謂道に三義あり、即ちこれ三箇の秘法なり。
第一に虚通の義、即ちこれ本門の本尊なり。
文の二三十六に云く「中理虚通、之を名づけて道と為す」と文。中は謂く、中道即ち妙法蓮華経なり。理は謂く、実相即ちこれ一念三千なり。凡そ妙法の三千は法界に周遍して更に壅ぐる所なし。故に虚通というは即ちこれ本門の本尊、事の一念三千の南無妙法蓮華経なり。
故に日女抄外二十三十三に云く「是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり(乃至)釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・乃至此等の仏菩薩(乃至)此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。経に云く『諸法実相』是なり、妙楽云く『実相は必ず諸法・諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土』云云、又云く『実相の深理本有の妙法蓮華経』等と云云(乃至)此の故に未曾有の大曼・羅とは名付け奉るなり」と文。
第二に所践の義、即ちこれ本門の戒壇なり。
輔正記四十四に云く「道は是れ智の所践なるが故に」と文。信を以て慧に代う、故に智はこれ信なり。凡そ戒壇とは信者の践む所なり。故に所践の義は即ち本門の戒壇なり。故に秘法抄十五三十一に云く「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並びに御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して●給うべき戒壇なり」と文。「蹈」は即ち「践」なり。
第三に能通の義、即ちこれ本門の題目なり。
法界次第中二十に云く「道は能通を以て義となす」と文。本門の題目は凡そ二意を具す。一はこれ信、二はこれ行なり。この二相扶けて能く通じて寂光に到る。故に能通の義はこれ本門の題目なり。天台の所謂「智目行足、清涼地に到る」はこれなり。宗祖云く「当体蓮華を証得し、寂光当体の妙理を顕すことは本門寿量の教主の金言を信じ南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」と云云。即ちこの意なり。
行者当に知るべし、信心ありと雖も、唱題の行なくんば、譬えば盲たらずとも跛なるが如し。唱題ありと雖も、若し信心なくんば、譬えば跛ならずとも盲たるが如し。若し信行具足するは猶二つながら全きが如し。百論の「盲破の譬」これを思い見るべし。故に能く信心の目を開き、唱題修行の足を運ぶべし。若し爾らば能く通じて寂光清涼地に到らんこと、何ぞこれを疑うべけんや。
然れば則ち能通・所践・虚通の三義は、即ちこれ三箇の秘法なることその義必せり。故に妙道はこれ文底秘沈の大法なり。報恩抄に云く「一には本門の本尊、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智を嫌わず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(取意)等云云。これを思い合すべし。
一、末法の初め冥利無きにあらず文。(二六〇n)
輔正記一十六にこの文を釈して云く「末法の時に至って顕益無しと雖も、冥利は則ち有り」と文。今「冥利」というは下種益を指すなり。これ則ち熟脱の現顕なるに同じからざるが故なり。故に教行証抄二十五に云く「正像に益を得し人人は顕益なるべし在世血縁の熟せる故に、今末法には初めて下種す冥益なるべし(乃至)妙楽の釈の如くんば、冥益なれば人是を知らず見ざるなり」と文。例せば不軽品の如し。記の十三十一に云く「或は冥、或は顕」と云云。輔正記十九に云く「或は冥とは、毀者は但冥益を得るのみ。或は顕とは、信者は現に六根清浄を得る故なり」と文。毀者は但下種益を得、故に冥益というなり。
教行証抄二十五に云く「過去の威音王仏の像法に(乃至)二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値って益を得たり、是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり」文。不軽は現に六根清浄を得たり、故に顕益という。然るに朝抄に順逆二縁を以て冥顕に配す。これ甚だ不可なり。末法は順逆倶に下種の益なり。故に並びにこれ冥益なり。何ぞ順縁を以て顕益と為んや。若し不軽品の意は、能化の不軽を名づけて信者と為し、現に六根清浄を得るが故に顕益という。何ぞ所化の中の順縁に混ぜんや。况や今時、順縁の所化未だ六根清浄を得るを現ぜず。何ぞ顕益と為ることを得んや。
一、伝教大師云く文。(同n)
守護章上の下四十一の文なり。「又云く」とは、秀句下八の文なり。「正像稍過ぎ已って末法太だ近きに有り」とは、顕仏未来記に云く「正像稍過ぎ已って末法太だ近きに有りの釈は心有るかな」等云云。取要抄に云く「『末法太有近』の五字は我が世は法華経流布の世に非ずと云う釈なり」云云。また顕仏未来記に云く「末法の始を願楽するの言なり」と云云。
一、代を語れば則ち像の終り末の始め等。(同n)
顕仏未来記に云く「此の伝教大師の筆跡は其の時に当るに似たれども意は当時を指すなり」と云云。「当時」は即ちこれ末法なり。然れば則ち末法の初めは三箇の秘法広宣流布し、一切衆生仏種を値うるの時なり。故に天台・妙楽・伝教は仰いで「後の五百歳」の鳳詔を信じ、伏して「悪世末法」の初めを恋えり。
然るに権経権門の諸宗の族は、但に信ぜざるのみに非ずして剰え誹謗を作す。豈「若し人信ぜずして斯の経を毀謗」するに非ずや。何ぞ「其の人命終して阿鼻獄に入る」を免れんや。加之、或る一流の輩は、本門三箇の秘法の正義を斥けて本迹一致の邪法を弘め、将に広宣流布の根を断ぜんとし、遠沾妙道の源を壅がんと欲す。若し逆路伽耶陀に非ずんば、定めてこれ天魔破旬ならん。破せずんばあるべからず、懼れずんばあるべからず云云。
既に天台・伝教は先に生れ給えり。所以に末法の始めを恋う。我等は後に生れたり。還って末法の始めを忍ぶ。忍ぶと雖も、還ることなし、如何がせん。四条金吾抄十七四十二に云く「今は時既に後の五百歳末法の始めなり。日には五月十五日、月には八月十五夜に似たり。天台・伝教は先に生れ給えり。今より後は又後悔なり。大陣已に破れぬれば余党は物の数ならず。今こそ仏の記し置き給いし後の五百歳末法の初め、况滅度後の時に当って候」文。
後悔先に立たず。如かず、本尊に向って南無妙法蓮華経と唱えんには。宗祖の云く「此の本尊能く能く信じ給うべし。日蓮が魂を墨に染めて書きて候ぞ」(取意)文。若し爾らば、本尊を信じ奉れば即ちこれ蓮祖に値い奉るなり云云。
八月十八日
一、夫れ釈尊の出世等文。(二六〇n)
この下は所引の釈の意を釈せるなり。
一、法華経の流布の時・二度あるべし等文。(同n)
経釈倶に末法の初めを指す、故に「二度」というなり。
問う、天台・伝教の御時もまた広宣流布す。何ぞ像法流布といわざるや。
答う、天台・伝教の御時は彼の時はまた、流布するに似たりと雖も、これ真実の法華流布の時に非ず。将に此の義を明かさんとす。且く五意を示さん。
一には、像法にはこの経の利生未だ盛んならざるが故に。経に云く「衆星の中に、月天子最も為れ第一」と云云。薬王品得意抄三十三十三に云く「又月はよいよりも暁は光まさり・春夏よりも秋冬は光あり、法華経は正像二千年よりも末法には殊に利生有る可きなり、(乃至)と・とかれて候は・第三の月の譬の意なり」と云云。故に知んぬ、像法には今経の利生未だ盛んならざることを云云。
二には、像法には独顕の妙能、未だ彰れざるが故に。謂く、彼の時に於ては諸大乗経の利益仍あるが故に、今経の妙用未だ彰れず。例せば「十八公の栄霜後に顕れ、一千年の色は雪中に深し」というが如し。顕仏未来記二十七二十九に云く「小乗経を以て之を勘うるに正法千年は教行証の三つ具さに之を備う像法千年には教行にのみ有って証無し末法には教のみ有って行証無し等云云、法華経を以て之を探るに正法千年に三事を具するは在世に於て法華経に結縁する者か、其の後正法に生れて小乗の教行を以て縁と為し小乗の証を得るなり、像法に於ては在世の結縁微簿の故に小乗に於て証すること無く此の人・権大乗を以て縁と為して十方の浄土に生ず、末法に於ては大小の益共に之無し、小乗には教のみ有って行証無し大乗には教行のみ有って冥顕の証之無し(乃至)此の時
(乃至)本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等云云。
三には、像法には正直の妙法を弘めざるが故に。立正観抄三十八六に云く「天台大師は霊山の聴衆として如来出世の本懐を宣べたまうと雖も時至らざるが故に妙法の名字を替えて止観と号す(乃至)正直の妙法を止観と説きまぎらかす故に有のままの妙法ならざれば帯権の法に似たり」等云云。又云く「本化弘通の所化の機は法華本門の直機なり」と云云。二十三二十四。
四には、像法には事行の三千を顕さざるが故に。観心本尊抄八二十六に云く「像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如・一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて自行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機有って円時無き故なり」と文。
五には、像法には未だ深密の大法を弘めざるが故に。下の文三十五に云く「迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり、此の深法・今末法の始五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべき」等云云。具に下に弁ずるが如し云云。
故に知んぬ、像法の流布はこれ真実の法華経の流布に非らざることを云云。
一、例せば阿私陀仙人等。(二六〇n)
この下は引例なり。統記二七紙、往いて見よ。
一、道心あらん人人等文。(同n)
この下は第四、結勧なり。総じて大集経の五箇の五百所引已下の諸の義を指して「此を見ききて」等というなり云云。
一、正像二千年の大王等。(同n)
この下は尊卑相望して、反転して尊卑を顕す。これ則ち「法妙なるが故に人尊し」の故なり。中に於て(二あり)。
初めに異時相望す。謂く、正像二時の大王は、縦い如説修行すとも仍これ権迹の行者なり。故に却って下位なり。猶猴の如し。若し末法今時の民は、説の如く修行すれば即ちこれ本化の菩薩なり。故に却って上位なり。譬えば帝釈の如し。故に正像二千年の最極上位の大王よりも、末法今時の最極下位の民にてこそあるべけれ等云云。
問う、末法今時の我等、何ぞこれ本化の菩薩ならんや。
答う、凡そ本化の菩薩は久遠五百塵点劫より已来、余事を雑えず一向に本門寿量の肝心を行ず。下山抄の如し。我等もまた爾なり。信念受持の初めより余事を雑えず、一向に本門寿量の肝心を行ず。豈本化の菩薩に非ずや、上行等は久遠の本化にして我等は今日の本化なり。我等即ち上行等と謂うには非ず。例せば外典に「之を前に行うは古の尭・舜なり。之を後に行うは即ち今の尭・舜なり」というが如し云云。况やまた久遠は今に在り、今は即ちこれ久遠なり云云。
次に「彼の天台の座主」の下は同時相望す。謂く、倶に末法に在りと雖も、爾前・迹門謗法の行人は既にこれ則ち「一切世間の仏種を断ずる」の罪人なり。故に却ってこれ卑賎なり。若し本門寿量の正法の行者は正にこれ「是の人仏道に於て、決定して疑い有ること無けん」の善人なり。故に最もこれ尊貴なり。所以に天台・真言の最極高貴の智人・碩徳よりも、本門寿量の最極下賎の愚人、白癩の人とはなるべしと云云。
記四本四十一に云く「末代安んぞ法は妙にして人は麁なるべけんや」と云云。
一、梁の武帝発願して云く等文。(同n)
止の二五十三に云く「経に云く、寧ろ提婆と作って」等云云。弘の二末八十五に云く「経に云く、寧ろ作ってとは、梁の武帝発願して云く」等云云。証真料簡して云く「願文を引いて経説を助成す」と云云。
統記三十八初に云く「天監二年四月八日、梁の武、重雲殿に於て親しく文を製し、群臣二万人を率い、菩提心を発し、永く道教を棄てしむ。その文に云く、願わくは来世出家して広く教経を弘め、含識を化度して同じく仏道を成ぜしめん。寧ろ正法の中に在って長く悪道に淪むとも、老子の教に依って暫くも天に生ずることを得んとは楽わじと」等云云。
願文の意、往いて経文に同じ。故に妙楽は願文を引き、以て経文を助成するなり。
解釈の妙術、豈凡の及ぶ所ならんや。今は即ち弘決の意に同じ云云。
一、欝願藍弗等文。(二六〇n)
大論十七三十四。西城九初に委悉なり。往いて見よ。
広く釈すの下
八月二十七日
(第七段正法の初めの五百年の弘経)
一、問うて云く竜樹等文。
この下は第二に、広く三時の弘経の次第を明かす、また二あり。初めに正しく明かし、二に「疑って云く設い」二十三の下は料簡。初めに正しく明かすにまた二あり。初めに略正像未弘の所以を示す。意は末法弘通の所以を顕すなり。これに二重の問答あり。初問の意は、既に上来に於て、略して末法はこれ本門深秘の大法の広宣流布の時なることを明かす。故に、今問うて云く、竜樹等にその深秘の大法弘通の義ありやと云云。
答の文は見るべし。即ちこれ内鑑冷然、外適時宜の意なり。
問う、既に但「竜樹等の論師」という、故に只正法未弘を明かす。何ぞ通じて正像等というや。
答う、文は実に所問の如し。今、意を取って正像未弘というなり。謂く、像法の中にはまた流布の辺あり。故に且くこれを論ぜず。然りと雖も、実にこれ未だ文底深秘の大法を弘めず。故に下三十五に云く「仏滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり」等云云。今この意を取る、故に爾云うなり。若し此の大旨を得ざれば、恐らくはこれ前後雑乱せんか。
次の問答は、正しく正像未弘所以を明かすなり。自ら三義あり。若し諸文の中には、或は四義を明かす、太田抄の如し。或は二義を明かす、当体義抄の如し云云。
第一に「彼の時には機なし」とは、これ本未有善の機なきが故なり、凡そ文底深秘の大法は本因下種の正体なり。故にその機を論ずれば本未有善の衆生にして、これ謗法一闡提の輩なり。然るに正像二千年の間は、皆これ在世結縁の衆生にして、謗法一闡提の輩に非ず。故に「機なし」というなり。故に小権等を以てこれを成熟し、下種の要法を以てこれを授けるなり。
第二に「時なし」とは、これ白法隠没の時なきなり。凡そ文底深秘の大法は、一切の仏法隠没の時に次いで広宣流布す。然るに正像二千年は正しく大集経の前の四箇の五百に当る。これ第五の白法隠没の時に非ず。何ぞ須く広宣流布せしめべけんや。
第三に「迹化なれば付嘱せられ給はず」とは、
問う、迹化なれば何故に付嘱せられ給わざるや。答う、多くの所以なり。今且く一意を示さん。
一には、迹化は釈尊名字即の弟子に非ざるが故なり。本尊抄八二十一に云く「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず(乃至)迹化の大衆は釈尊初発心の弟子等に非ざる故なり」略抄と。「初発心」とは名字即なり。故に妙楽云く「今発心と明かす、名字の位に在り」と云云。「内証の寿量品」とは文底深秘の大法、即ちこれ久遠名字の妙法なり。故に久遠名字の御弟子にこれを付嘱すべし。然るに迹化は久遠名字の御弟子に非ず、故に付嘱せられたまわざるなり。
二には、迹化は本因の妙法所持の人に非ざるが故なり。
本尊抄八二十四に云く「文殊・観音・薬王・普賢等は爾前迹門の菩薩なり。本法所持の人に非ざれば末法に弘法に足らざる者か」(取意)と云云。「本法」とは即ち本因の妙法なり云云。
三には、迹化は功を積むこと浅きが故に。新尼抄外十二二十七に云く「今此の御本尊は教主釈尊・五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現せさせ給いても四十余年・其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品・嘱累に事極りて候しが、(乃至)等の諸大士・我も我もと望み給いしかども叶はず、此等は智慧いみじく才学ある人人とは・ひびけども・いまだ法華経を学する日あさし学も始なり、末代の大難忍びがたかるべし」と文。
既に迹化は此くの如き事あり、故に付嘱せられざるなり。世間の如きもこの例あり云云。
当に知るべし、元意の辺は即ち末法弘通の所以を顕すなり。謂く、一には機あり、二には時あり、三には本化なれば付嘱せられ給うなり云云。故に下の文二十に云く「後の五百歳に一切の仏法の滅せん時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字を持たしめて、謗法一闡提の輩の白癩病の良薬とせん」と云云。この一文の中に時・機・付嘱の三義分明なり。学者見るべし。
次に「求めて云く願くは此の事」の下は、広く五箇の五百に約し、三時弘経の次第を明かす。即ちこれ正像未弘、末法流布の相なり。自ら五段あり。次下の如し云云。
八月二十八日
一、願くは此の事よくよくきかんとをもう等。(二六〇n)
これ正像未弘、末法流布を指して「此の事」というなり。故に答の下に広くその相を弁ずるなり。学者これを思え。
一、夫仏の滅後等文。(同n)
この下は第一の解脱堅固なり。入涅槃の相及び舎利を分つ等、統記第四の巻の如し云云。
八月二十九日
一、迦葉尊者文。(同n)
迦葉の始終は統記第五初一、止観第一初等の如し云云。(文句一五十)
一、仏の付嘱をうけて二十年等文。(同n)
付嘱に三義あり。
一には弘宣付嘱。謂く、四依の賢聖、釈尊一代所有の仏法を時に随い機に随って演説流布するなり。嘱累品に云く「若し善男子・善女人有って如来の智慧を信ぜん者には、当に為に此の法華経を演説して聞知することを得せしむべし。其の人をして仏慧を得せしめんが為の故なり。若し衆生有って信受せざらん者には、当に如来の余の深法の中に於て示教利喜すべし」と文。この中に「余の深法」というは爾前の諸経なり。既に「此の法華経」に対して「余」というが故なり。若し台家の意は「余の深法」は只これ別教、余法華経は則ち三教に通ず云云。但次第三諦所摂を以ての故に、爾前の諸経は即ちこれ三教なり。故に大義は異なきなり。
二には伝持付嘱。謂く、四依の賢聖、如来一代の所有の仏法を相伝受持し、世々相継いで住持するが故なり。涅槃経第二八十七に云く「我今所有の無土の正法、悉く以て摩訶迦葉に付嘱す。当に汝等の為に大依止と作ること、猶如来の如くなるべし」等云云。統記四七にこの文を釈して云く「迦葉能く世を継いで伝持するを以てなり」と。また五六に云く「迦葉独り住持に任ず。是れを以て祖祖伝住持して断えざるなり」と文。楞厳疏に云く「覚性三徳秘蔵に安住し、万善の功徳を任持して失わず、故に住持と謂うなり」云云。今、寺主を以て通じて住持というは此等の意に依るなり。
三には守護付嘱。謂く、国主・檀越等、如来一代所有の仏法を時に随い、機に随い、能くこれを守護して、法をして久住せしむるなり。涅槃経第三三十一に云く「如来今、無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に付嘱す。是れ諸の国王及び四部の衆、応当に諸の学人等を勧励して、戒定慧を増長することを得せしむべし」等云云。また涅槃経に云く「内に智慧の弟子有って其の深義を解し、外に清浄の檀越有って仏法久住す」等云云。この中に「戒定慧」とは一代及び三時に通ずるなり。若し末法にあっては文底深秘の三箇の秘法なり。具には依義判文抄に曽てこれを書するが如し。故に今はこれを略するのみ。
当に知るべし、今言く、迦葉尊者は仏の付嘱を受くとは、これ第一・第二の付嘱に当るなり。謂く、嘱累品の時、弘宣付嘱を受け、涅槃会の時、伝持付嘱を受くるなり。嘱累品の時に弘宣付嘱を承くとは、太田抄二十五十七に云く「釈尊然して後、正像二千年の衆生の為に宝塔より出でて虚空に住立して、右の手を以て文殊・観音・梵天・帝釈・日月・四天等の頂を摩でて是くの如く三返して法華経の要より外の広略の二文並びに前後の一代の一切経を此等の大士に付嘱す。正像二千年の機の為なり。爰を以て滅後の弘教に於て仏の所属に随い弘法の限りあり。然れば則ち迦葉・阿難等は一向に小乗教を弘通して大乗教を申べず。竜樹・無著等は権大乗を申べて一乗を弘通せず。南岳・天台は広略を以て本と為し、肝要に能わず。此れ偏に付嘱を重んずる故なり」略抄と。
「前後の一代の一切経」とは即ちこれ「余の深法」の中の文意なり。「此等の大士」とは、その意は新得記の声聞を含むなり。開顕の後は皆菩薩と名づくるが故なり。正付嘱の相とは、高橋抄二十五四十三に云く「我が滅後の一切衆生は皆我が子なりいづれも平等に不便にをもうなり。乃至一切衆生にさづけよ」等云云。
涅槃会の時に伝持付嘱を受くとは、即ち前に経文及び統記を引くが如し。
問う、涅槃説法の時は迦葉その会に在らず、何ぞ付嘱を受けんや。
答う、その座になしと雖も仏既に大衆に対して「所有の正法、摩訶迦葉等に付嘱す」という。これ迦葉を以て独り住持に任ずるなり。今猶その例多し云云。読教十五八、統記五六、金山九六十四、諌迷九終、中正十八五十四、皆宗祖の意に非ざるなり。
今得意して云く、二箇の相承は正しくこれ弘宣伝持の付嘱なり。謂く「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり」とは、これ弘宣付嘱なり。故に「本門弘通」等というなり。「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり」とは、これ伝持付嘱なり。故に「別当たるべきなり」等というなり。秘すべし、秘すべし。
/strong>八月晦日
一、次に阿難尊者二十年文。(二六〇n)
統記第五、御書十六二十五、十法界因果抄云云。
九月朔日
一、商那和修等文。(同n)
統記第五、御書十三、妙法尼抄。
一、優婆崛多二十年文。(二六〇n)
統記云云。
九月二日
(第八段正法の後の五百年の弘経)
一、正法の後六百年等文。(二六一n)
この下は第二の禅定堅固なり。
一、闍夜那尊者。(同n)
統記云云。餓鬼修因は御書十六、十法界因果抄に云云。
一、始には外道の家に入り等文。(同n)
この下は内外・大小・権実・本迹の四種の相対あり。見るべし。「設い勝劣」の下は本迹相対なり。「本迹の十妙」の下に六句あり云云。「本迹の十妙」とはこれ一句を以て本迹を顕すなり。「二乗作仏」は迹門なり。「久遠実成」は本門なり。これ二句を以て本迹を顕すなり。「已今当の妙」とはまた一句を以て本迹を顕すなり。迹の意は知るべし。本門の意は本尊抄に云く「迹門並びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説は悉く随他意の易信易解・本門は三説の外の難信難解・随自意なり」云云とはこの意なり。故に「已今当妙」の四字に本迹の二義分明なり。次に「百界千如」は迹門なり。「一念三千」は本門なり。本尊抄の如し云云。或る時「迹門の一念三千」というは、これ理を以て与えて論ずるが故なり。
所謂、正あらんには必ず依あり。故に妙楽は「略して界如を挙げて三千を具摂す」というなり。これを思え。別にこれを書するが如し。
九月三日
(第九段像法の初めの五百年の弘経)
一、正法一千年の後は月氏に仏法等文。(二六一n)
この下は第三の読誦多聞堅固、また二あり。初めに月氏の仏法の衰減、二に「正法」の下は漢土流伝、二あり。初めに流伝、始めは権実を分たず。次に「其の後」の下は権実を分って教を判ず、また二あり。初めに南北の判教、次に「漢」の下は天台の判教なり云云。
一、二宗の大乗等文。(二六一n)
「二宗」は応に「二種」に作るべし。謂く、有相の大乗・無相の大乗なり。玄十九。
一、南北の邪義をやぶりて文。(二六二n)
天台の事は統記の六の如し。南北を破るの相は報恩抄上巻の如し。
第四多造塔寺堅固の下
九月七日
(第十段像法の後の五百年の弘経)
一、像法の後五百歳文。(二六二n)
この下は第四の多造塔寺堅固、文に二あり。初めに震旦の弘経、二に「像法に入って」の下は日本伝弘。初めにまた二あり。初めに三宗流伝、次に「已上」の下は天台宗の衰減なり。初めに自ら三あり。初めに法相宗、二に「同じき太宗」の下は華厳宗、三に「太宗第四代」の下は真言宗なり。
一、十九年が間等文。(同n)
玄奘三蔵は貞観三年に発足し、同七年に中印度に到り、同十九年の正月に帰着なり。故に十七年を経るなり。故に開目抄上二十六に「十七年」というなり。故に今応に「十七年」に作るべし云云。また下巻。西域十二二十五に云く「貞観三年中秋朔旦、裳を●げて路に遵い、錫を杖て遐征す」云云。若しは仏祖通載十一二十一に云く「貞観七年と云うは王舎城に到る年なり」と。これ発足の年に非ざるなり。稽古略三四紙に云云、啓蒙五五十五。
一、遠くは弥勒・無著等文。(同n)
西域五十一、開目抄上二十六。
一、近くは戒賢論師に伝えて等文。(同n)
続高僧伝四十九に云く「戒賢論師は年百六歳。奘の礼讃し訖るや並びに命じて坐せしめ、問う、何より来ると。答う、支那より来り、瑜伽等を学ばんと欲すと。聞き已って啼泣して弟子覚賢を召し、説くに旧事を以てす。賢云く、和尚三年前、患困、刀刺の如し。食せずして死せんと欲するに、金色の人を夢む。曰く、汝身を厭う勿れ。往いて国主と作り、多くの物の命を害して当に自ら悔責すべし。支那の僧有り。此に来って学問せん。已に道中に在り、三年にして応に至るべし。法を以て彼に恵まば、彼復流通して、汝が罪自ら滅せん。吾れは是れ文殊室利、故に来って相勧むと。戒賢問う、路に在ること幾時ぞやと。奘云く、三年を出ずるなりと。既に夢と同じ。悲喜交集る」等云云。啓蒙五五十七。
一、太宗は賢王なり。(二六二n)
唐書に云く「太宗諱は世民、高祖の第二子なり。隋の開皇十八年に生る。太宗年十四歳のとき書生有り。太宗を見て云く、竜鳳の姿、天日の表と。年、将に二十にならんとして、世を済い、民を安んぜんと言い已って所在を失す。済世安民の故に世民と云う」取意。また啓蒙五五十六に歴代叙略を引く、往いて見よ。仮名政要、今の啓蒙に通鑑を引く云云。
一、高昌・高麗(同n)
「高昌」は唐より西、印度の境なり。「高麗」は東夷九種の第三なり。義師の意は、高麗国というべきことなれども人は皆高麗というなりと。
一、天台宗の学者の中にも等文。(同n)
章安大師も貞観六年八月七日の入滅なり。法相宗は既に帝王御帰依の故に、天台宗は漸々に衰減せるなり。
一、高宗の継母等文。(同n)
これ初めに従って「継母」というなり。後に高宗の后となれり。啓蒙十六十九に通鑑綱目四十を引く。往いて見よ。
(第十一段日本に六宗の伝来)
一、像法に入って四百余年等文。(二六三n)
この下は二に日本伝弘、二あり。初めに六宗の伝来、二に「其後」の下は天台宗の弘通なり。
一、審祥大徳・新羅国より華厳宗をわたして等文。(同n)
実には道●律師、華厳の章疏を渡すなり。而るに「審祥」は最初講演の師なり。故に功を推して「審祥渡す」というなり。註並びに啓蒙往いて見よ。
一、良弁僧正等文。(二六三n)
釈書二十六に始終詳らかなり。往いて見よ。
一、大仏を立てさせ給えり文(同n)
釈書二十八十二に「天平元年十月二十四日、大像成る。年を経ること三歳にして改鋳すること八度、御長十六丈、殿高十五丈六尺、東西二十九丈、南北十七丈、東西の両塔の高さ二十三丈云云。帝親ら其の縄を引き像模を造る」等と云云。
聖武・良弁、前身流沙の約束の事、釈書二十八十二。
九月十二日
一、鑒真和尚・天台宗と律宗をわたす。(同n)
伝通記下四に云く「鑑真来朝の時、随身の聖教広多にして一に非ず。厥の中、律宗の諸典、天台の諸文、●持すること是れ多し」云云。
一、小乗の戒壇を東大寺に建立等文。(同n)
問う、釈書一十五鑑真伝下に云く「聖武上皇、正議太夫真吉備を遣わして伝宣して曰く、朕、東大寺を造り已に十年、此の土に未だ戒壇有らず。願わくは師之を営めと。鑑真敬いて詔を受く。上皇、大いに悦んで菩薩戒を受く。皇帝、皇后、太子、公卿已下、同じく受くる者四百三十余人、乃ち大殿の西に於て戒壇院を構う。天下今に至って羯磨を資く」文。
また伝通記下四に云く「勝宝六年甲牛四月、初めて蘆舎那殿の前に於て戒壇を立つ、天皇初めに登壇して菩薩戒を受け、次に皇后、太子亦登壇して受戒したまう。所立の戒場に三重の壇有り。大乗の菩薩の三聚浄戒を表す。故に第三重に於て多宝の塔を安く。塔中に釈迦・多宝二仏の像を安き、一乗深妙の理智冥合の相を表す」云云。
此等の文に准ずるに、南都は応にこれ大乗の戒壇なるべし。何ぞ「小乗の戒壇」というや。
答う、これ小乗の戒壇なり。
一には伝教大師、南都の戒壇を小乗戒壇と定め畢って顕戒論に破して云く「原夫れ白牛を賜うの朝には三車を用いず。家業を得るの夕には何ぞ除糞を須いんや。故に経に云く、正直に方便を捨て但無上道を説く」等云云。「三車」、「除糞」、豈小乗に非ずや。
二には慈覚大師、顕揚大戒論に南都を破して云く「若し別に菩薩戒なくんば牛跡の外に応に大海無かるべし。若し無しと云わば何ぞ蝦蟆に異らん。若し有りと許さば当に知るべし、小戒の外に別に大乗菩薩戒ありと」等云云。
太平抄十五四に云く「南都の護命等は戒に全く大小の不同無し。声聞戒を受くと雖も、四弘の誓願を発し、無上の仏果を期せんは、是れを菩薩大僧と名づくるなり」と文。
南都の所立既にこれ斯くの如し。所以に慈覚大師苦にこれを破責するなり。
三には智証大師、貞観九年十月三日の記文に云く「円珍の門弟、南都の小乗劣戒を受く可からず。必ず大乗戒壇院に於て菩薩の別解脱戒を受く可し」等云云。太平記十五初一の如し云云。
四には三井寺の明尊僧正云く「抑山門已に菩薩の大乗戒壇を建つ。南都又声聞の小乗戒を建つ。園城寺何ぞ真言の三摩耶戒壇を建てざらんや」と云云。また太平記十五巻の如し。後朱雀院は人王六十九代なり。白河院は七十二代なり。慶命僧正、赤山明神、真言の戒壇を誡むる所以はこれ宝祚長久・天下泰平の為なり。真言亡国、これを思い知るべし。盛衰第十云云。
五には法然伝記の八に云く「或る時、●秋門の女院御懐妊の時、法然は戒師、公胤は導師にて参会せらる。公胤問うて云く、東大寺の戒壇四分律なることは如何。法然、四分律なるべき道理具に申さる。公胤帰って勘え見ららるに、法然が申分少しも違わず。所以に法然を帰敬したまえり」取意。
問う、若し爾らば釈書の文は如何。
答う、鑑真既に道岸法師に随って菩薩戒を受くるが故に、時の宜しきに随ってこれを授くるならん。既に南山を祖と為す。故に四分小律を出ずべからず。設い菩薩戒を兼ぬと雖も、多くはこれ善戒経・瑜伽論等の意なり。尚梵網の大戒にも及ばず、况や法華の円戒に及ばんをや。
問う、伝通記の文は如何。
答う、これはこれ、彼の家の末流の所述なり。故に敢てこれを通ずべからず云云。况や法華円頓の宝塔を盗み取る、豈牛跡に大海を入るるの責を招くに非ずや。
一、天台法華宗の事をば等文。(二六三n)
鑑真、年五十六、天宝二年日本に進発す。故に妙楽の記は持ち来らざるなり。伝通縁起下十に云く「鑑真既に台宗を此の国に伝う。而るに未だ広く講敷せず。先ず戒律を弘む」等云云。報恩抄の朝抄一二十二に「天台六十巻」というはこれ謬りなり。鑑真の始終は釈書第一十四已下、往いて見よ。天宝二年五十七歳、船を発するに猛風船を簸う。或は日南に漂い、或は蛇島に漂う。或は魚海に入り或は鳥海に入る。真の本志確乎として不抜なり。終に真六十七歳、天宝十二年、副使伴古が船に乗り、放洋して或は蛇島に入り、或は魚島に漂い、或は鳥島に漂い、或は乏水に到る。翌年正月着岸す云云。七十七歳の入滅なり。(吾宗祖の化導は、真の本志の確乎たるに過ぐること遠し)。
今吾が祖の化導は、鑑真の値難に過ぐること遠し。少々の難は数を知らず。二十余度処を追われ、二百六十余人の弟子檀那を罪せられ、少輔房に第五の巻を以て面を打たれたまう。別しては大難四度なり。一には夜討ち、文応元年七月十六日已後なり。下山抄三十六云云。二には伊東、弘長元年御年四十歳、三十五二十六。三には東条、文永元年御年四十三歳。四には竜口、文永八年御年五十歳、十三四十三、二十三巻云云。
九月十三日
(第十二段天台宗の弘通)
一、其後・人王等文。(二六三n)
この下は天台宗の弘通、また二あり。初めに正しく明かし、次に「而れども漢土」の下は台主の衰減なり云云。
一、像法八百年文。(同n)
伝教大師は正に像法七百十五年に当る。人王四十八代称徳天皇の御宇、神護景雲元丁未八月十八日に生る。また像法七百七十年に当る人王五十二代嵯峨天皇の御宇、弘仁十三壬寅六月四日寂す。時に御年十六歳なり。今「八百年」というはこれ大数に約するなり。
別して桓武を挙ぐるは、この時に叡山を開き、入唐して法を求め、盛んに台宗を弘めしが故なり。
一、行表僧正文。(同n)
釈書十六七に「行表、禅要を上足最澄に付す」と云云。
一、比叡山と号す文。(二六三n)
これ王城の鬼門なり。七帖一末五十三の如し。叡山開闢の事、太平記第十八巻の如し。書註第一十四に縁起を引く。全くこの説に同じ。若し爾らば伝教は即ちこれ釈尊なり。中堂の薬師は即ちこれ寿量の大薬師なり。故に知んぬ、釈迦・薬師・伝教は名異体同なることを。伝教自ら等身に作る。これを思い見るべし。况や如意珠を持つ。何ぞこれ常途の薬師ならんや。安国論愚記の如し。
一、王の前にしてせめをとされ等文。(同n)
下に応にこれを弁ずべし。故に今はこれを略す。
一、然りと雖も此れはこれ等文。(二六四n)
啓蒙に二義あり。学者見るべし。
一、小乗の別受戒等文。(同n)
大小・権実の別受戒の事、追ってこれを検うべし。問う、戒の功徳に於て小大・権実の不同は如何。
答う、多くの不同あり。且く一二を示さん。
初めに大小の勝劣を明かさば、十法界因果抄十六三十三に云く「二乗の不殺生戒は(乃至)灰身滅智の思を成すなり、譬えば木を焼き灰と為しての後に一塵も無きが如し故に此の戒をば瓦器に譬う破れて後用うること無きが故なり、菩薩は爾らず饒益有情戒を発して此の戒を持するが故に機を見て五逆十悪を造り同く犯せども此の戒は破れず(乃至)故に此の戒をば金銀の器に譬う完くして持する時も破する時も永く失せざるが故なり」略抄等。
次に権実の勝劣を明かさば、同抄三十九に云く「梵網経等の権大乗と法華経の戒と多くの差別あり。一には彼の戒は二乗七逆の者を許さず。法華経には之を許す。二には彼の戒の功徳は仏果を具せず、十界互具を明かさざる故なり。法華経の戒の功徳は即ち仏界を具す。是れ十界互具を明かす故なり。三には彼は歴劫修行の戒なり。無量義経に、菩薩の歴劫修行を宣説すと云云。今経の戒は速疾頓成の戒なり。経に云く、須臾も之を聞かば即ち究竟を得んとは是なり」取意云云。
問う、迹本の戒の異りは如何。
答う、迹本の勝劣を明かさば、本門戒体抄三十三十一に云く「迹門の戒は爾前の大小諸戒に勝ると雖も本門の戒に及ばざるなり」と。尚重々の意あり。今且くこれを略す。文底深秘抄に至って具にこれを談ずべし。
一、法華経の円頓の別受戒を叡山に建立文。(二六四n)
問う、註に諸文を引き、伝教未だ戒壇を立てず等と、如何。
答う、若し一説に依らば、伝教在世の建立なり。王代一覧二四十二に云く「弘仁十二年六月、勅使叡山に登り、伝教をして戒壇を建てしむ」等云云。若し滅後建立の説に拠らば、功を伝教に帰して、今伝教の建立というなり。
一、霊山の大戒等文。(同n)
学生式第五初に「問う、塔中の釈迦伝戒の相は如何。答えて云く、塔中の釈迦は分身を集めて以て垢衣を脱し、地涌を召して以て常住を示す。霊山報土は劫火にも壊れず、乃至三学倶に伝うるを名づけて妙法と曰う」等。啓蒙に引く所の如し云云。この文意に准ずるに、伝教大師は正しく久遠本果の報身を以て伝戒の師と為るか。
問う、叡山戒壇堂の本堂は文殊・弥勒を以て脇士と為す。故に知んぬ、迹門の教主は応即法身の釈尊なることを。これ相違するに似たり、如何。
答う、既にこれ像法の導師なり。故に迹門を以て外面と為し、本門を以て内証と為す。故にその義差わざるなり。例せば中堂の薬師の如し云云。
一、日本国に始まる文。(同n)
問う、天台大師既に陳の少主及び隋の煬帝の為に正しく菩薩戒を授く。豈震旦国に始まるに非ずや。
答う、彼はこれ国主一人なり。况や円頓一同の戒場に非ざるが故なり。
一、天台法華宗は伝教大師の御時計り文。(同n)
問う、義真は如何。
答う、功を伝教に帰するが故なり。
九月十五日
(第十三段妙法流布の必然を明かす)
一、今末法に至り等文。(二六四n)
第五の闘諍堅固、文を二と為す。初めに仏記の虚しからざるに約し、正しく妙法必ず当に流布すべきことを明かす。次に「此の事一定」の下は謗者の罰に寄せて能弘の師徳を明かす。初めをまた二と為す。初めに大集経の文、また三あり。初めに標、次に「伝え聞く」の下は現を引いて以て釈し、三に「闘諍」の下は結成なり云云。
一、徽宗・欽宗文。(二六四n)
十八史略第七巻、往いて見よ。及び啓蒙に云云。
一、大蒙古国の皇帝にせめられぬ文。(同n)
これ大元の老皇帝の事なり。太平記第三十八巻及び抄、往いて見よ。
一、今の日本国等文。(同n)
恐らくはこれ文永十一年の事なり。
一、是をもって案ずるに等文。(二六五n)
この下は仏記虚しからざる中の第二、法華経の文なり。また文を三と為す。初めに標、次に「彼の大集」の下は権を以て実を況し、三に「大地」の下は結成云云。
一、法華経の結縁なき等文。(同n)
問う、若し爾らば法華経に結縁ある者の為にも未顕真実に非ずや。
答う、正像の衆生は権大乗を縁と為し、法華の下種を熟する故に、一向の未顕真実には非らざるなり。若し末法の衆生は法華経の結縁なし。何ぞ権大乗を以て縁と為してこれを熟せんや。故に一向の未顕真実なり更に検えよ。
一、六道・四生乃至寸分もたがはざりける文。(同n)問う、顕謗法抄十二十五の意には、爾前の諸経は文々句々皆これ未顕真実なり云云。豈相違するに非ずや。
答う、彼の文の意に云く、若し爾前に於て成仏往生を明かすの文々句々は、皆これ未顕真実なり云云。何ぞ相違といわんや。啓蒙一六十九。
一、後五百歳に一切の仏法の滅せん時等文。(同n)
この文に三意あり。
所謂、一には白法隠没の時来るが故に。
二には本化なれば付嘱せられ給うが故に。
三には本未有善の機あるが故に云云。
迹化未弘の三義に対して見るべし。一切の仏法滅せん時、この本門深秘の大法広宣流布するなり。これ時の来れるなり。既に本化の菩薩なるが故に、本門深秘の大法を付嘱せられ給うなり。既に付嘱を受く、何ぞ弘通せざらんや。現に「謗法一闡提」なることはこれ本未有善の故なり。「白癩病」は謗法一闡提に譬うるなり。既に本未有善の機あり、何ぞ深秘の大法を下種と為せざらんや。
九月十八日
(第十四段能弘の師徳を顕す)
一、此の事一定ならば等文。(二六五n)
この下は第二、謗法の現罰の大なるに寄せて能弘の師徳の大なることを顕す。文を分ちて五と為す。初めの四字は上を承けて下を起す。二に「闘諍」の下は正釈。三に「提婆」の下は先例を引いて以て当来を示す。四に「教主」の下は疑念を遮す。五に「此等」の下は結成なり云云。初めの「此の事一定」とは、上の必ず応に流布すべきを承けて、下の能弘の師徳を起すなり云云。
一、闘諍堅固の時等文。(同n)
この下は正釈、また二あり。初めに外用浅近の故に「仏の御使」という、日蓮は即ちこれ上行菩薩なり云云。若し門流の意は、仍これ外用浅近と習うなり。「日本国の王臣と並びに万民」等とはこれ能謗の人を挙ぐるなり。「仏の御使」等とは即ち所謗の蓮祖聖人の御事なり。若し要文所引の句逗の如くんば、「日本国の王臣と並びに万民」は即ちこれ「仏の御使」なり。恐らくは当抄の意に違うなり。学者これを思え。
一、然るに法華経をひろむる者等云云。(同n)
この下は正釈の中の第二なり。内証深秘の故に「主師親」というなり。蓮祖即ちこれ久遠元初の本因抄の教主釈尊なり。秘すべし、秘すべし云云。
一、日月いかでか彼等等文。(同n)
大師の光明文句に云く「忽ちに恩に違い義に背いて、而して殺逆を行わんや。天は大なりと雖も此の人を覆わず、地は厚しと雖も此の人を載せず」等云云。光明記三四十一。
一、地神いかでか彼等の足等文。(同n)
録外四二十紙、往いて見よ。
一、提婆達多等文。(同n)
この下は第三に、先例を引いて以て当来を示すなり。謂く「提婆」等は先例なり。「蒙古のせめ」は当来の事を示すなり。謂く、当抄は建治元年乙亥の述作なり。第三の「高名」の下、これを思え。而る後第七年に当り、弘安四年五月、蒙古数万の軍兵を率いて日本国に寄せ来れり。今この事を指して「蒙古のせめ」というなり。当来を示すに非ずや。
一、蒙古のせめ乃至兵難に値うべし等文。(二六五n)
(王代一覧五に文永十一年十月来る云云)
問う、太平記三十九の、大元、日本を責めるの文に准ずるに、吾が国既に勝利を得たり。蓮祖の兼讖豈当らざるに非ずや。
答う、且く二意を示す。謂く、これはこれ大悲忠諌の辞なり。譬えば父の一子の過を責むるに、汝若しその過を改めずんば後には必ず応に身を亡し、家を亡すべしというが如し。その意、実には身を全うし家を全うせしめるにあり。豈子を思うの心親切なるに非ずや。蓮師、またまた是くの如し。謗者の過を挙げて蒙古の責を遁れ難しというと雖も、その意、実には国を安んじ、身を安んぜしむるにあり。豈大悲の心切なるに非ずや。
また今はこれ人力の分斉に約す。謂く、若し但人力に依らば実に退治し難きにあり。故に太平記に云く「文永・弘安両度の合戦、小国の力にて退治し難かりしかども、輙く大元を亡し、吾が国無為なることは只尊神霊神の冥助に依るなり」。又云く「蒙古の兵、一時に亡びし事は全く我が国の武勇には非ずして、大小の神祇の冥助に依るなり」云云。若し神力に由って勝利を得るは今の所論に非ざるなり。
問う、若し神力に依らば、豈神天上の法門に違うに非ずや。
答う、凡そ神天上とはこれ謗者の前に約するなり。若し信者の前に約さば、諸神恒に頂に居するなり。譬えば水濁れば則ち月影を移さず、水清ければ則ち即に影を移すが如し云云。然るに我が国の神明の冥助を加うる所以はまた二意あり。
一には鎌倉殿の改悔に由るなり。謂く、一往讒を信じて刑罰を行うと雖も、終にこれを赦免し、永く妙法を弘めしむ。故に霊神冥助を加うるなり。これを思え云云。
二には蓮祖師の将護に由るなり。佐渡抄十四十に云く「日蓮は幼若の者なれども法華経を弘むらば釈迦仏の御使ぞかし(乃至)教主釈尊の御使なれば天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ手を合せて地に伏し給うべき事なり(乃至)かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし、何に况や数百人ににくませ二度まで流しぬ、此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれ」等云云。この抄の意を以てこれを知るべきなり。
一、教主釈尊記して云く等文。(二六五n)
この下は疑念を遮す、二あり。初めに疑念を牒す。即ち両向あり。謂く、将に法華経の行者といわんとすれば、既に謗者に現罰なし。将に法華経の行者に非ずといわんとすれば、方に誰人を以て法華経の行者と為んや。既に「能く此の経を説く」。故に定んで法華経の行者なるべし等云云。
一、いかにいかにをもうところに文。(二六六n)
この下は次に正しく疑念を遮するなり。謗者若し一人二人ならば、頭破口塞もあるべし。然るに今上一人より下万民に至るまで、日本国中皆これ謗者なり。譬えば皆白髪と成れば則ち抜き捨て難きが如し。故に「頭破口塞のなかりけるは道理にて候」というなり。然るに蓮祖は閻浮第一の法華経の行者なり。故にこれを怨む等の人は閻浮第一の大罰を蒙るなり。所謂、正嘉の大地震、文永の大彗星これなり。これ則ち謗者の罰の大なるに寄せて能弘の師徳の大なることを顕すなり。
一、此等をみよ等文。(同n)
この下は第五に、上来の意を結して正しく師徳の大なることを成ずるなり。故に「此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや」というなり。
第二料簡の下十月七日
(第十五段総じて問答料簡す)
一、疑って云く設い正法等文。(二六六n)
これより大段の第二、料簡なり。この下は巻訖るまで十二問答あり、分ちて二段と為す。初めの十一番は正像に就いて料簡し、第十二番は末法に就いて料簡するなり。初めの十一番の中に初めの一番はこれ総なり。後の十番はこれ別なり。いう所の総別とは第一の問に総じて四難を挙げ、正像未弘を疑う。四難というは、一には機に約し、二には竜樹等に約し、三には天台に約し、四には伝教に約す。而して第一の答の中には但機に約するの難のみを会して、未だ後の三難を会せず。故に第二已下は別して問答料簡するなり。別の中にもまた三あり。初めの八番は竜樹等の未弘に就いて料簡し、次の第九番は天台に就いて料簡し、三に第十番は伝教に就いて料簡するなり。初めの八番をまた二と為す。前の五番は正しく未弘を明かし、後の三番は夫れに就いて難を遮するなり。これ略して大意を示す
。後に文に随ってこれを明かさん。
一、最上の上機なり文。(二六六n)
上の九紙に、竜樹・天親等はこの義を宣べずという。故に今疑って正法は上機なり等というなり。
問う、既に巻の始めには仏教は機に依らずして但時に依ることを明かす。今何ぞまたこれを疑うや。
答う、上は在世に約し、且その相を明かす。故に今は滅後に約してまたこの疑を起すなり。
一、真諦三蔵の相伝文。(同n)
法華伝一十八云云。竜樹も法華論を作る。未だこの土に渡らざるなり。
一、覚徳比丘等文。(二六七n)
会疏五五十五。
(第十六段竜樹・天親の弘通)
一、竜樹・天親等文。(二六七n)
「世親」はまた天親というなり。問の意に云く、但法華論を作って月氏に弘通したまう。竜樹・天親、法華の実義を宣べざるや云云。
一、竜樹門流・天竺に七十家文。(同n)
止観第一四紙に出ず。
一、此の四句の偈等文(同n)
証真の意に云く、二十七品の中に前の二十五品は大乗の空なり。意は般若に在り。後の二品は小乗を明かす云云。故に知んぬ、華厳・方等・般若の四教・三諦の法門にして法華開会の三諦に非ざることを。その証次の如し。
一、四教・三諦の法門等文。(同n)
中論の四句は天台の釈に於て多義あり。或は四句を四教に配し、或は四句を円教の三諦と為し、或は四句を後の三教の意と為し、或は四教に各々四句を具し、或は四句を十界・四教に配す等。具には玄の第三、愚記の如し。
一、天台云く、中論を以て相比すること莫れ等文。
(二六八n)
玄三七十七。「又云く、天親」等文。止五三十八。「妙楽云く、若し破会を論ぜば」等文。籖三百十三。「従義の云く」等文。甫註十三二十五。
一、弘法大師云く文。(同n)
二教論上終。報恩抄上二十五云云。
一、此の論一部七丁あり文。(同n)
菩提心論は竜樹の造に非ざるなり。諌迷七六十七、中正十七五十一。今文の意を示すに即ち五意あり。一には竜樹の言に非ざること多きが故に。二には目録既に不定なるが故に。三には一代を括る通論に非ざるが故に。四には荒量の事多きが故に。五には余の狂惑に例して今の狂惑を知るが故に云云。先ず「此の論」の下は荒量の事多き中に、別して謬りを挙げて偽作なることを顕す。「其の上不空」の下は余の狂惑を知るに例するなり。狂惑とは、不空私に作って竜樹に寄するが故なり。
一、観智の儀軌等文。(同n)
観智儀軌十一に云く「如来寿量品を誦し、如来の霊鷲山に処して常に妙法を説くを信じ、次に当に即ち無料寿命決定如来の真言を誦すべし」略抄文。具に諸抄の如し。本これ不空三蔵、理趣の釈の中に釈迦如来を以て或は観自在菩薩と為し、或は無量寿仏と為す。故に知んぬ、観智の儀軌の無量決定如来もまた寿量品の釈迦如来を以て阿弥陀仏と為すことを云云。中正十六五十五。
一、陀羅尼品等文。(同n)
甫註八二十六。文私十三十九。即ち今文に同じきなり。
一、羅什三蔵一人を除いて等文。(同n)
諌暁八幡抄二十七三に云く「月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり其の中に羅什三蔵一人を除きて前後の一百八十六人は純乳に水を加へ薬に毒を入たる人人なり」等云云。即ち今文に同じ。
問う、若し爾らば何ぞ常に他人の訳を引用するや。况や開経は曇摩伽羅耶舎の所訳なり。何ぞこれを用うるや。
答う、什師の外は皆謬りありとは、これ絶後光前の歎に対し舌根不焼の徳に望むが故なり。然りと雖も、所訳の経論皆これ謬りなりと謂うには非ず。或は謬らざるもあるべし、或は謬り少きもあるべし、謬り多きもあるべし。故に他人の訳なりと雖も、若し文義真正なれば則ちこれを用い、若し文義正しからざれば則ちこれを用いず。何ぞ須く一向なるべけんや。故に今文に「他人の訳ならば用ゆる事もありなん」というなり。不空は謬り多き故に「此の人の訳せる経論は信ぜられず」というなり。中正第三十一。
一、羅什三蔵の云く等文。(二六八n)
高僧伝第二巻の文・広註中略して法華伝一十を引く。「慈恩は道安及び什師を誹る」等、甫註五二十八にこれを会するが如し。感通伝十に「天人云く、此れ議すべからず、悠々たる者の評する所ならんや」云云。「針を食う」等は編年通論第三に出でたり。
一、答えて云く已後なりとも等文。(二六九n)
感通伝十に云く「天人、什師を歎じて云く、其の人聡明にして善く大乗を解し、後に絶え前を光す。之を仰ぐに毘婆尸仏已来、経を訳するに及ばざる所なり」等云云。
一、涅槃経の第三・第九文。(同n)
第三巻三十六に「水を醍醐に加う」の譬あり。第九三十八に「前を抄して後に着け、後を抄して前に着け」等の文あり。此等を指すべきなり。八幡抄二十七四。
一、進退は人に在り何ぞ聖旨に関らん文。(同n)
天台、法華論の初地無生の義を斥け、「専ら別の義に拠って亦経を会せず」といえるを、妙楽、これを救けて訳者の謬りに属するなり。若し本文に在っては「聖旨」とは即ち天親なり。若し今文の意は直ちにこれ仏意なり。故に「仏の御とがにはあらじ」というなり。故に転用なるに似たり。
十月十三日
(第十七段天台大師の弘通)
一、疑って云く正像一千年等文。(二六九n)
この下は三、天台に約して、像法の未弘を疑うなり。
一、題目の妙法蓮華経の五字を玄義十巻一千枚にかきつくし等文。(二六九n)
今略して玄文の大旨を示さん。凡そ玄文十巻の中にこの妙法の五字を釈する則は、名体宗用教の五重玄に約するなり。これに広略あり。第一の巻は仏意略釈なり。謂く、略して標章・引証・生起・開合・料簡・観心・会異の七番に約して、共に名体宗用教の五重玄を解するなり。第二の巻より、去っては機情広釈なり。中に於て第二の巻より第八の半ばに至るまで名玄義を釈し、第八の半ばより第九巻の始めに至るまで体玄義を釈し、第九の中比に宗玄義を釈し、第九巻の終りに用玄義を釈す。第十の巻に教玄義を釈するなり。これを五重の各説と名づく。
第二の巻より第八の半ばに至るまで名玄義を釈する中に、第二の巻の始めに先ず通別を判じ、次に妙法の前後を定め、次に心・仏・衆生の三法に約して法の一字を釈す。次に妙の一字を釈する中に、先ず待・絶の二妙を明かし、次に十妙に約してこれを釈する中に、第二の巻より第六の巻の終りに至るまで迹門の十妙を明かすなり。
迹門の十妙とは、境妙・智妙・行妙・位妙・三法妙・感応妙・神通妙・説法妙・眷属妙・利益妙なり。第一の境妙に且く六種の境妙あり。所謂、十如境・因縁境・四諦境・二諦境・三諦境・一諦境等なり。中に於て第二巻には十如・因縁の二境を明かし、第三の巻の始めより半ばに至るまでは、四諦・二諦・三諦・一諦等を明かすなり。第三の半ばより巻を訖るまで第二の智妙を明かし、第四の巻の初めより半ばに至るまで第三の行妙を明かし、第四の半ばより第五の半ばに至るまで第四の位妙を明かし、第五の巻の末に第五の三法妙を明かし、第六の巻には感応等の五妙を明かすなり。この十妙の一々に正釈・判麁・開麁・観心の四重の釈あり云云。
第七巻に至り、先ず明かすに六重の本迹を明かす。謂く、事理・理教・教行・体用・実権・已今なり。前の五重は所詮の法なり。第六の已今は能詮の教なり。已迹とは始め華厳より終り安楽行品に至るを名づけて已迹と為すなり。今本とは涌出已後の十四品なり。
次に正しく本門の十妙を明かす。謂く、本因・本果・本国土・本感応・本神通・本説法・本眷属・本利益・本寿命・本涅槃なり。この十妙の一々に皆三義を以て迹を払う。
次に麁妙・権実の二科を立て事に約して判開し、また一々に理に約して融通するなり。
第七巻の終りに蓮華の二字を釈し、第八巻の初めに経の一字を釈するなり。その後、妙楽大師、釈籖十一巻を造って玄義を釈するなり。その外云云。
一、文句十巻等文。(二六九n)
また略して文句の大旨を示さん。凡そ文句の十巻に於て二十八品を釈す。第一巻に於ては先ず一経三段、二経六段の分文を明かす。正しく一経三段を以て総分と為し、二経六段を以て所含と為して迹本二門の文々句々を釈するなり。次に総じて因縁・約教・本迹・観心の四釈の大旨を示さん。
次に正しく経文を釈するに、第一巻より第三の半ばに至るまで序の一品を釈す。第三の半ばより第四の終りに至るまで方便品を釈する中に、先ず題号を釈するに法用・能通・秘妙の三種の方便を明かし、次に一切皆権・一切皆実・一切亦権亦実・一切非権非実の四句の権実を明かす。正しく第三の亦権亦実の句に就いて更に十双の権実を開するなり。所謂、事理・理教・教行・縛脱・因果・体用・漸頓・開合・通別・悉檀なり。この十双を釈するに八番の解釈あり。謂く、列名生起・解釈・引証・結権実・分別・照諦・約諸経・約本迹なり云云。所詮、三種の中の秘妙方便の四句の中には亦権の一半、十双中の意は即実の権、即ち今の方便品の題号なり。次に入文を釈する中に、第三の巻には略開三顕一の文を釈し、第四の巻に広開三顕一の文を釈するなり。中に於て先ず十門の料簡を明かす。十門の料簡とは、一には有通・有別、二には有声聞・無声聞、三には或有厚薄、四には転根・不転根、五には有悟・不悟、六には領解・無領解、七には得記・不得記、八には悟有浅深、九には益有権実、十には待時・不待時なり。次に巻を訖るまで正しく広開の文を釈するなり。
第五は譬喩品、第六は信解品、第七巻の中には薬草喩品・授記品・化城喩品・五百品(人記品)、この五品を釈するなり。第八巻の中には法師・宝塔・提婆・勧持・安楽の五品を釈するなり。第九の巻の中には涌出・寿量・分別の三品を釈し、第十巻には隨喜已下の十一品を釈するなり。この品々の一々、章々、段々の一字一句に皆因縁等の四釈を用うるなり。縦い文は略すと雖も、その義は怨然なり。
因縁とは四悉檀なり。約教とは四教・五時なり。本迹とは迹門の中には体用本迹を借るなり。本門の中には即ち久近本迹なり。観心とは但これ託事・附法の二観なり。未だ約行の観を宣べざるなり。
その後、妙楽大師は疏記十七巻を述し、本疏の闕略を補い、文句の義意を釈するなり。また私志記、東春の甫記、竹難真記、随問等に本末の意を指南するなり。
一、其の上・止観十巻を註し等文。(二七〇n)
略して大旨を示し、初学をして文を尋ぬることを易からしめん。凡そ止観に於て十大章あり。一には大意、二には釈名、三には体用、四には摂法、五には偏円、六には方便、七には正観、八には果報、九には起数、十には旨帰なり。
第一・第二の両巻には先ず大意を釈し、第三巻には釈名・体用・摂法・偏円の四章を釈す。第四巻に方便の一章を釈し、第五巻より第十巻の終りに至るまで正観を明かすなり。後の三大章は略してこれを宣べず。
第一の大意もまた五科に分つ。これを五略と名づく。一には発大心、二には修大行、三には感大果、四には裂大綱、五には帰大処。中に於て第一の巻には発大心を明かす。
第二巻の初めより五十三葉に至るまで修大行を明かす。即ちこれ常行常座、半行半座、非行非座の四種三昧なり。第三巻に釈名・体相・果等の三科を明かすなり。第三の巻は前の如し。
第四巻に方便章を釈するに二十五法あり。所謂、五縁・五欲・五蓋・五事・五法なり。巻の初めに具五縁を釈す。五縁とは持戒清浄・衣食具足・閑居静処・息諸縁務・得善知識なり。四十八葉より呵五欲を釈す。五欲とは色・香・味・触なり。五十三葉より棄五蓋を釈す。五蓋とは貪欲・瞋恚・睡眠・掉悔・狐疑なり。六十八葉より調五事を釈す。謂く、調食・調眠・調身・調息・調心なり。七十三葉より行五法を釈す。五法とは楽欲・専念・精進・巧慧・一心なり。
第五巻より第十巻に至るまで、正観を釈する中に具に十境を明かす。十境とは一には隠入・二には煩悩・三には病患、四には業相、五には魔事、六には禅定、七には諸見、八には上慢、九には二乗、十には菩薩なり。中に於て第五巻より第七巻に至るまで隠入境を明かすなり。先ず第五の巻の初めに隠入境を明かし、この下に簡境用観して但心法を取って所観の境と為す。これを心法観体と名づく。此に能造近要等の異義あり。
この下は広く十乗を明かすなり。十乗とは、一には観不思議境、二には起慈悲心、三には巧安止観、四には破法遍、五には識通塞、六には修道品、七には対治助開、八には知次位、九には能安忍、十には無法愛なり。当に知るべし、十境の一々に十乗を具するなり。
中に於て第五巻は二十二葉より観不思議境を明かすなり。この下に初めて一念三千を明かすなり。先ず略して十界及び五隠世間・衆生世間・国土世間を釈し、次に広く十如是を釈して正しく名目を出し、「此の三千、一念の心に在り」等というなり。即ちこれ止観一部の肝心・三大部の眼目・一代諸経の骨隋なり。此に於て理修化他の三境、諸師の異義蘭菊たり。また如意珠・三毒・或心眠夢の三喩を以て上来の意を顕すなり。
四十二葉より起慈悲心を明かし、四十五葉より巧安止観を明かし、六十二葉より第六巻の終りに至るまで破法遍を明かす。文広し、これを略す。第七巻の初めに識通塞を明かし、十葉より下には修道品を明かし、三十葉より対治助開を明かし、六十八葉より知次位を明かし、七十八葉より能安忍を明かし、八十一葉より無法愛を明かすなり。已上、十乗畢んぬ。
第八巻には煩悩境・病患境・業相境・魔事境を明かすなり。第九巻に禅境を明かし、第十巻に見境を明かす。後の三境は略してこれを宣べず。止観第一初に云く「纔に見境に至って法輪の転ずるを停め、後の分宣べずと」云云。弘十七十四。
その後、妙楽大師、弘決二十二巻を造って止観の文を消釈するなり。而る後、宋朝の知礼・浄覚・従義等の処々の解釈、異義紛羅たり。然りと雖も、有門・空門・双亦門を出でざるなり。
問う、止観は天台の己心の所行の法門を説かんが為なるや。将法華の意に依って之を註さんが為なるや。
答う、止観一部は法華の意に依るなり。弘五上九に云く「法華の経旨を●めて不思議の十乗・十境を成ず」文。止観大意に云く「円頓止観は全く法華に依る。円頓止観は即ち法華三昧の異名なるのみ」云云。自余の諸文は枚挙に遑あらず。
問う、迹門の意に依るや、本門の意に依るや。
答う、恵・檀の異義あり。恵心流には専ら弘五上八十八の「本迹二門」「求悟此之十法」等の文を引き、止観は本迹二門に亘ると云云。檀那流には盛んに弘三上五の「今約法華迹理」等の文を引き、止観は迹門に限ると云云。
吾が宗祖の深義は、若し立正観抄送状三十八十七の意は、与えては迹門の分斉と為し、奪っては権大乗別教の分斉と為すなり。若しこの中の奪の辺は、且く当世天台宗の止観の、法華に勝るの僻見を破せんが為なり。故に実義には非ざるなり。若し異義を論ずれば迹門の意と為す故に「檀那流の義尤も吉なり」というなり。十章抄三十二十八の意は、前の六重は迹門の意、第七の正観は本門の意なり。安心録三十にこの両文を会して云く「附文・元意」と云云。この義、理を尽くすに非ざるなり。
今謂く、迹門は理を明かす、所謂諸法実相これなり。本門は事を明かす、所謂因果国これなり。また迹門は但百界千如を明かし、未だ国土世間を明かさず。本門は則ち一念三千を明かす。然るに止観の意は正しく理の一念三千を明かす。三千を明かすと雖も、而もこれ理具なり。故に迹門の意というなり。理具を明かすと雖も、而もこれ三千なり。故に本門の意というなり。両判ありと雖も、但これ面裏の違目なり。遂に相違の義に非ざるなり。本尊抄八二十七に云く「南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如・一念三千其の義を尽せり。但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本尊未だ広く之を行ぜず」等云云。
十月十五日
一、此の書の文体等文。(二七〇n)
通じて三大部を指して「此の書」というなり。これ吾が祖、三大部を歎ずるの文なり。その証拠に三論宗・律宗・華厳宗・真言及び梵僧の懇望を引くなり。「故に三論宗」とは「故」の字勢、四宗に冠すべきなり。
一、千年の興五百の実文。(同n)
甫註六十五には即ち今文の如し。若し国清百録四二十三には「千年と五百年とは実に復今日に在り」と云云。
一には五百年に聖人出ずるの説は孟子十四二十二に云く「孟子云く、●・舜由り湯に至るまで五百有余歳」と云云。趙氏に云く「五百歳にして聖人出ずるは天道の常なり」と。然るにまた遅速あり、正しく五百歳なること能わざるが故に「有余」というなり。
二には千年に聖人出でて五百年に賢人出ずるの説は、王子が拾遺記に云く「丹丘は千年に一たび焼け、黄河は千年一たび清む。皆至聖の君、以て大瑞と為す」文。晋書の註に云く「千年に一度、聖人の出ずるを見、五百年に一賢を見る」と云云。孔子聖人は仏滅後三百九十九年に当り、周の霊二十一年庚戌十一月四日、魯国に生る。周の敬王四十一年壬戌四月八日に卒す、年七十三歳なり云云。これ仏滅後四百七十二年に当る、故に大数は五百年なり。清浄法行経に云く「光清菩薩、彼に仲尼と称す」等云云。
天台大師は孔子の滅後一千十五年に当って、梁の武帝の大同四年の誕生なり。隋の開皇十七年丁巳の入滅、春秋六十歳なり。伝教大師は天台滅後一百六十九に当って生まれたまう。御年五十六歳にして弘仁十三年の入滅なり。具に前に弁ずるが如し。
蓮祖大聖人は伝教滅後四百一年に当たって生まれたまう。即ち天台滅後五百七十年に当るなり。若し伝教に望み、若し天台に望めば倶に五百年の前後なり故に大数は五百年に聖人出ずるの説、以て憑拠たるべきなり。
一、昔は三業住持文。(二七〇ページ)
秘蔵に安住し、万善に任持するが故に「住持」というなり。「今は二尊に紹係す」とは即ち南岳・天台に紹継する義、可なり。諸抄に云云。
一、南天の僧いかでか等文。(同ページ)
一、上来、皆他家の称歎の文を引き、天台の高徳を顕すなり。
問う、三論・華厳と天台の所立とは、法門天地水火なり。何ぞ天台を称歎するや。
答う、大師の内証・外用は古今に超絶せり。この故に自他の偏党を亡劫して称揚重畳せり。但法相の然らしむるが故なり。
一、円定・円恵文。(同ページ)
「定」はこれ所観の境、「慧」はこれ能観の智なり。止観一部はこの意に過ぎざるなり。
一、いまだ円頓の戒壇を立てられず文。(二七〇ページ)
例して知るに、若し本門の戒壇を立てずんば未だ広布ならざるなり云云。
十月十八日
(第十八段伝教大師の弘通)
一、問て云く伝教大師等文。(二七一ページ)
この下は四に、伝教に約して像法末弘を疑うなり。
一、円定・円慧を撰じ給う等文。(同ページ)
いう所の「撰」とは一義に云く、天台の小乗の威儀を以て円定・円慧に切り継ぐるを撰捨して、純一無雑の円定・円慧を撰取するが故に撰というなりと。一義に云く、但これ二百余年の邪義を難破して、天台の円定・円慧を撰じたまうが故なりと云云。後の義、可なり。伝教の円定・円慧、何ぞ天台の定慧に異らんや。
一、小乗の三処の戒壇。(同ページ)
註の如し。今の薬師寺は少分の寺院なり。
一、一人の法となせる等文(同ページ)
円頓の戒壇を叡山に建立して、日本一州を一同に円戒の地と成したまうが故なり。
一、秀句に云く等文。(同ページ)
下巻三十二紙。次下「此経」等は二十四紙。
一、能く此の経を説かん是則ちこれ難し文。(同ページ)
秀句下二十二にこの文を正釈して云く「能く此の経を説くとは即ち妙法蓮華経なり」已上。感涙堪えずして頌して云く「一たび此の文を仰いで涙千行、暮天の雲尽内鑒明らけし。准知す、部内此経の句、多くは是れ秘沈文底の名」と。
一、浅きは易く深きは難し等文。(同ページ)
秀句に云く「六難は是れ則ち法華経を指す。九易は則ち是れ余の経典を指す」云云。余の経典を去って法華経に就くが故に「浅を去って深に就く」というなり。当に知るべし、「丈夫」は即ち釈迦の異称なり。これ十号の一名なり。
一、如来、在世五十年文。(同ページ)
既に若し仏の滅度の文意を示す。何ぞ「如来・在世」というや。
答う、滅後を明かさんが為に、先ず在世を示すなり。故に「如来の在世は五十年なり」と点ずべきか。
一、此等は伝教大師文。(二七一ページ)
一、七箇の大寺六宗等文。(二七二ページ)
註に云く「未だ所拠を知らず」と云云。啓蒙に云く「一心戒文の下は伝法護国論・直雑二十七巻に出でたり。其の中に直雑最も明らかなり」云云。即ち今文の「延暦二十一年」已下の文に同じ。
一、渙焉として氷の如く釈け文。(同ページ)
左伝序に云く「渙然として氷の釈くるが如し」と云云。字彙に「流散」と解釈す云云。
一、此の界の合霊今よりして後悉く妙円の船に載せて早く彼岸に済る事を得ると謂いつべし云云。(同ページ)
此くの如く点ずべし。「今自」の「自」の字は恐らくは剰せり云云。
一、牽れて休運に逢い文。(同ページ)
「休」は字彙に云く「美善なり、慶なり」云云。
一、何ぞ聖世に託せんや文。(同ページ)
一、但し詮所不審なる事(同ページ)
此に於て句を切れ、下に連綿すること莫れ。当に知るべし、この答の中に二段あり。所謂、結前・生後なり。而もその答の意は、天台・伝教は未だ文底秘沈の「最大深秘の大法」を弘めざるが故に、広宣流布に非ざるなり云云。
一、最大の深秘の大法経文の面に顕然なり文。(同ページ)
即ちこれ文底秘沈の三箇の秘法なり。故に「最大深秘の大法」というなり。これ則ち先聖末弘の深法なり。
問う、若し爾らば何ぞ「経文の面に顕然」というや。
答う、若し文底の謂を知れば、即ち三箇の秘法は経文に顕然なり。夫れ知と不知とは雲泥万里ならん。若し仏法の謂を知らざれば仏法は仍これ世法なり。名利の僧等の仏法を以て渡世の橋となすが如し。若し仏法の謂を知れば世法は即ち仏法なり。深く世法を識れば即ちこれ仏法。「治世語言資生業等、皆正法に順ず」とはこれなり。若し法華経の謂を知らざれば法華も仍これ爾前の経なり。権教の人の法華経を読誦するが如きはこれなり。栴檀を焼いて炭と為すが如し。若し法華経の謂を知れば爾前も即ちこれ法華経なり。宗祖の「此の覚立の後は阿含即ちこれ法華経」というはこれなり。瓦礫を変じて金と為すが如きなり。若し本門の謂を知らざれば本門は仍これ迹門なり。本迹一致の類の如きはこれなり。若し本門の謂を知れば迹門も即ち本門なり。吾が祖の方便を読誦する如きはこれなり。若し文底の謂を知らざれば文底は仍これ熟脱なり。諸門徒の三箇の秘法をを談ずるが如きはこれなり。若し文底の謂を知れば熟脱も即ちこれ文底の秘法なり。即ち当文の如きはこれなり。
譬えば和氏の璞の如し。知らざれば則ち玉を以て石と為す。これを知れば則ち石を以て玉と為す。豈知と不知とは雲泥万里に非ずや。また、虞坂塩車の如し。胡曽中五。
問う、若し爾らばその謂は如何。
答う、宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云云「塔中及び蓮・興・目」等云云。これ知る所に非ざるなり。
若し爾らば如何。
一、問うて云くいかなる秘法ぞ等文。(二七三ページ)
この第二十番の問答の下は、正しく末法に就いて料簡す。初めに問、次に答。初めの問の中には多意を含む云云。次の答にもまた二あり。先ず破邪顕正の軌則を明かし、次に「此の三のわざわい」の下は正しく示す、また二あり。初めに破邪、二に「亡国のかなしさ」の下二十一は顕正なり。初めの破邪にまた二あり。先ず邪宗充満を明かし、次に「問うて云く此の三宗」下巻初の下は正しく破す云云。
一、先ず名をきき次に義をきかんとをもう文。(二七三ページ)
略して問の意を示さん。謂く、次上に於て既に「最大深秘の大法、経文に顕然」という。夫れ末法流布の秘法とは一代諸経の中には但法華経のみ、法華経の中には但本門寿量品のみ、本門寿量品の中には但文底のみに秘沈し給えり。故に深秘の中の深秘、大法の中の最大法なり。この故に「最大深秘の大法」というなり。
また五百塵点劫は本果の所証なり「復倍上数」は本因の初住なり。またその「復倍上数」の当初は本因所証の妙法なり。故に深秘の中の最深秘、大法の中の最大法なり。故に「最大深秘の大法」というなり。既に此の如き甚深甚深の大法、何ぞ卒爾に直ちにその義を聴くことを得んや。故に「先ず名を聴き、次に義を聞かん」等というなり。
問う、「名」及以「義」とはその相如何。
答う、当抄の中には仍未だ名相及び其の義を顕さず。然りと雖も、今粗後の報恩抄・本尊抄・取要抄・本尊問答抄等の意を取って、略して一言を示さん。謂く、この秘法の「名」とは本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。この秘法の「義」とはこれ熟脱の本尊に非ず、即ち下種の本尊なり。熟脱の戒壇には非ず、即ち下種の戒壇なり。熟脱の題目に非ず、即ち下種の題目なり。健抄は不可なり。
一、此の事もし事実ならば等文。(同ページ)
既に所弘の秘法の名義を尋ぬ。今この文の下は、能弘の師を歎ず。故に「釈尊か、上行か」というなり。而して意は実に密に能弘の師本地を顕すなり。能弘の師とは即ちこれ蓮祖大聖人なり。
問う、蓮祖の本地は釈尊と為せんや、上行と為さんや。
答う、若し内証に拠らば実にこれ釈尊なり。若し外用に拠らば即ちこれ上行なり。或は諸文の中に「日蓮は日本国一切衆生の主師親」等とういは、これ内証の辺を語るなり或は諸文の中に「仏の御使」「塔中相伝」等と云うは、これ外用の辺なり。若し当文及び初心成仏抄等は、並びに内証と外用とを明かすなり。
初心成仏抄二十二に云く「末法当時は久遠元初実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ給うべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり乃至道心堅固にして志あらん人は悉く是れを尋ね聞くべきなり」已上。「久遠実成之釈迦牟尼仏」とは久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊なり。「上行・無辺行等」とは即ちこれ地水火風空の四大なり。所住の処は即ち空大なり云云。
「法華経二十八品の肝心」とは広・略・要の中には要、文・義・意の中には意の妙法、種・熟・脱の中には下種の法なり。故に「肝心」というなり。既に最大深秘の大法なり。即ちこれ「釈尊二度の出世、上行重ねて涌出」せることを。故に今文に「此の事ももし事実ならば釈尊の二度・世に出現し給うか上行重ねて涌出せるか」等というなり。
問う、釈尊はこれ師、上行は弟子なり。師弟既に異れり。内証・外用はその意通じ難し、如何。
答う、別に即して而も総じてはこれ釈尊なり。総に即して而も別してこれ上行等なり。何ぞ通じ難しといわんや。余処にこれを示す。道心堅固にして志あらん人は来たってこれを尋ぬべし云云。況やまた伝教大師も或は天台の後身といい、或はこれ釈尊というなり。何ぞ吾が祖の内証・外用を疑わんや。
山門秘伝見聞七に云く「今止観院の地上の八舌の鍵、是に在り。山家大師、彼の中堂の地を引く時、此の鍵を得て、御渡唐の時、天台山の御経蔵を開きたまう。大師御遺言の如くならば、今の山家大師は天台の御再誕なり」と云云。具に大意抄十三二十紙の如し。山門の縁起に云く「釈迦、大教を伝うるの師と為って三千界を観るに豊芦原の中つ国有り、此れ霊地なり。忽ちに一捜あり。仏白して言さく、我人寿六千歳の時、此を領すと。故に之を許肯せず。爾の時東土の如来忽ちに御前に現じて云く、我人寿二万歳の時より此の地を領すと。即ち釈迦に付して本土に還帰したまう。爾の時の翁とは白●の神是なり。爾の時の釈迦とは伝教是なり」と云云。註二十四、太平記十八云云。
問う、浄土家に於て法然の本地を論ずるに、或は勢至の化身といい、或は弥陀の応現というなり。法然の伝記第二巻に云く「勝法房、真影を写して其の銘を望む時、法然即ち首楞厳経の勢至円通の文を書して勝法房に与う。故に知んぬ、勢至の化身なり」と云云。その外、多説あり云云。また浄土十勝論の中に云く「五条の外記・主計頭頼尚真人、宝治二年八月二日の記に云く、仙洞に参じ小御所に召され、数剋御文談あり。仰せに云く、後三条院の御記に御夢想あり、弥陀如来の化身来って衆生を引導すべしと。彼の年月を勘うるに源空誕生の年月に当れり」等云云。この事如何。
答えて云く、凡そ三世の諸仏、この経を師と為して正覚を成じたまう。一切の菩薩は一乗を眼目と為して衆生を導きたまう。何ぞ弥陀如来、法華経を以て捨閉閣抛といわんや。何ぞ勢至菩薩、この経を以て読誦大乗の一句に摂せんや。自賛にも依るべからず夢想にも依るべからず。直ちに経文に引き合せ、是非を糺明すべきなり。
一、玄奘三蔵等文。(二七三ページ)
この下は健抄に流沙を川というは不可なり。但これは沙地なり。その沙、水の流れに似たり。故に流沙というなり。而も八百余里あり。中にまた川あり。船を以てこれを渡す。流沙の約の事は釈書二十八十二に云云。故に知んぬ、川ありしことを。「十七年」に作るべきなり。
一、小乗阿含経は真実経文。(同ページ)
既に五性各別を立て、無仏性の衆生ありと執す。これ阿含を真実の経と為るなり。法華の唯一仏乗を信ぜず。これ法華経を方便品と為る義なり。
一、幸い我等末法に生れて等文。(同ページ)
「末法」はこれ久遠実成の釈尊・上行菩薩の御弘通の時なり。この時に生を得たるが故に「幸い」というなり。「一歩」等とは速疾に仏果に列ぶる義なり。謂く、釈尊因位の昔、三祇の間、或いは七万五千六千七千の仏を供養し、積功行満して今教主釈尊と成りたまう。或は薩¥王子たりし時は、飢えたる虎に身を飼いて漸く仏果に至りたまえり。
然るに今末法には斯くの如きの行なしと雖も、速疾に仏果に至るなり。これはこれ偏に寿量文底最大深秘の大法の力用に由るが故なり。「三祇をこゑ」とは既にこれ速疾なり。故に義は三祇を超越するに当れり。故に「越え」と云うなり。「無見頂相」とは八十種好の第一なり。且く一相を挙げて通じて極果を顕すなり。
十一月十五日
一、此の法門を申さん事は経文に候へば等文。(二七三ページ)
問う、正しく何れの経文に在りや。
答う、これはこれ第一の秘事なり。用意に君に向かって説かず。
重ねて問うて云く、説かざれば則ち聞かず、聞かざれば則ち信ぜず、信ぜざれば則ち行ぜず、行ぜざれば如何ぞ清涼地に進趣せんや。
然らば則ち一文を示さん。汝、聞いて深くこれを信ぜよ。本因妙の文に云く「我本行菩薩道、所成寿命」と云云。「我」とは釈迦如来なり。「本」とは即ち本時の行妙なり。「菩薩」はこれ因人、また位妙を顕すなり。慧命は即ち本時の智妙なり。智には必ず境あり。即ちこれ境妙なり。六重の本迹の、第二の理本、これを思い合わすべし。
且く天台に准ずるに、この一句の文に、本因の四妙、宛も明月の如し。当に知るべし、四妙とは即ちこれ三大秘法なり。謂く、境妙は即ちこれ本門の本尊なり。智妙・行妙は本門の本尊なり。智妙・行妙は本門の題目なり。位妙これ本門の戒壇を表するなり。何となれば位はこれ可居の義なり。故に妙楽の云く「位は久しく居す可し」等云云。戒壇もまたこれ本尊可居の処なり。豈位妙は戒壇を表するに非ずや。故に知んぬ、四妙とは即ちこれ三大秘法なることを。
且く開合あり。謂く、天台は本門の題目開いて智行の二妙と為す。宗祖は智行の二妙を合せて本門の題目と為す。故に本門の題目は必ず智行の二義を具す。智は謂く、信心なり。信を以て慧に代うる故なり。故に本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うるを第三の本門の題目と名づくるなり。文証は広く余処に引く。志あらん人は来ってこれを尋ぬべし。若し本門の本尊を信ぜずして南無妙法蓮華経と唱うるは、仍宝山の空手に似たり。諸流の心地、これを思量すべし。幸なるかな、悦ばしいかな、励むべし、勤むべし云云。
一、但し此の法門には先ず三つの大事あり文。(同ページ)
即ち禅・念仏・真言を以て強剛に折伏するを「三の大事」と為したまうなり。謂く、この三宗は日本国に充満して、上一人より下万人に至るまで、渇仰すること年旧り、信心すること日に新たなり。然るを折伏して念仏無間・禅天魔、真言亡国といわんは、豈大事の中の大事に非ずや。下の文に云く「裸形にて大火に入るはやすし(乃至)日本国にして此の法門を立てんは大事なるべし」とはこれなり。また、三宗の謗法の根元を糺す、故にこれ大事なり。
一、大海は広と雖も死骸をとどめず文。(二七三ページ)・
涅槃経三十二十八の、大海の八不思議の中の第七の不思議なり。経の意は闡提・四重・五逆の謗法の者に譬うるなり。
一、大地は厚と雖も不孝の者をば載せず文。(同ページ)
四十華厳第十二巻・普賢行願品の文なり。録外第四巻二十。
一、或座主等文。(同ページ)
「座主」は叡山なり。「御宝」は仁和寺なり。「長吏」は三井寺なり。「検校」は高野なり。並びにこれ真言なり。
一、かの内侍所文。(同ページ)
啓蒙に諸文を引く、往いて見よ。また釈書十七十七、太平●の巻十二、盛衰記四十四の巻、往いて見よ。若し此等の文に三種の神器、略してその相を知らん。太平記二十五に、「神境●灰」とは人王六十二代村上天皇の天徳四年庚申九月二十三日子の刻、内裏災上の時、灰●と成れり。然るに盛衰記四十四十五にも、この焼亡の時、神鏡飛上って南殿の桜樹に懸る、小野宮の大臣実頼、袖に請けて損ずることなし等云云。世雄房云く、この説ありと雖も、僻事にて実なしと、神皇正統記下巻に見ゆ云云。「宝剣海に入る」とは八十一代安徳帝の文治元年乙巳三月二十四日、西海に没する時、倶に¥¥して滅すと云云、盛衰記四十三十二。宝剣を竜宮に取り返すと謂うこと、盛衰記四十四七丁にあり。伊勢の国より宝剣を進らすこと、太平記二十五六。
一、五大尊。(同ページ)
東方の金剛手菩薩、南方の金剛宝菩薩、西方の金剛利菩薩、北方の金剛夜叉菩薩、中央の金剛波羅蜜多菩薩云云。
撰時抄下愚記
正徳六丙申年二月七日 大貮日寛之を記す
(第二十段 浄土宗を破す)
一、問うて云く此の三宗等文。(二七三ページ)
この下は正しく破す、また二あり。初めに通じて三宗を破し、次に別して慈覚を破す。初めにまた三あり。初めに正しく破し、二に彼の「月氏」の下は例を引き、三に「此等の三大事」の下は結前生後なり。第一の正しく破するに自から三あり。初めに浄土宗、また二あり。初めに漢土の三師、次に日本の法然なり。初めにまた三あり云云。
一、斉の世に曇鸞法師文。(同ページ)
註六五十一、啓蒙二四十九、往いて見よ。
問う、この師の謬りは如何。
答う、大段に二失あり。一には本論違背の失、二には執権謗実の失なり。
初めに本論違背の失とは鸞公の浄土論註に云く「謹みて竜樹菩薩の十住毘婆沙論を案ずるに云く、阿毘跋致を求むるに二種の道あり。一には難行道、二には易行道なり。難行道とは五濁無仏の時に於て阿毘跋致を求むるを難しと為す。譬えば陸地の歩行は則ち苦しきが如し。易行道とは但信仏の因縁を以て浄土に生ぜんと願い、仏の願力に乗じて便ち彼の清浄の土に往生することを得。譬えば水路の乗船は則ち楽しきが如し」略抄等云云。若しこの所引に准ぜば、十住毘婆沙の難易の二道は、無仏五濁の時に於て、此土入聖を難行道と為し、往生浄土を易行道と為すなり。
然るにこの意は本論に違えり。今、引いてこれを示さん。十住毘婆沙論の第五易行品の九に云く「阿惟越致は是れ法甚だ難し、久しくして乃ち得べし。汝若し此の方便を聞かんと欲せば、今当に之を説くべし。仏法に無量の門有り。世間の道に難有り、易有るが如し。陸道の歩行は則ち苦しく、水道の乗船は則ち楽しきが如し。菩薩道も亦是くの如し。或は勤行精進する有り、或は信の方便を以て易行して、疾く阿惟越致地に至る者有り」等云云。また云く「菩薩、此の身に阿惟越致地に至ることを得んと欲せば、応当に十方の諸仏を念じて其の名号を称うべし」等云云。
この本論の意は、通じて仏道に難あり、易あることを明かす。然るに鸞公は別して無仏五濁の時に約す是一。
また本論の意は、歴劫長遠の教を以て難行と為す。故に「久しくして乃ち勤行精進するを得べし」等という。然るに鸞公は此土入聖を難行と為す是二。
また本論の意は、此土不退に約して易行を明かす。故に「この身に欲せば」等という。然るに鸞公は、浄土に往生するを易行と為す是れ三。豈本論違背に非ずや。次に執権謗実の失とは、鸞公、但先判の権教に執するのみにして後判の実教を信ぜざるが故なり。妙楽云く「若し昔を称歎せば、豈今を毀るに非ずや」と云云。また云く「頓極を信ぜざるを名づけて謗実と為す」等と云云。
一、道綽禅師文。(二七四ページ)
註四二十一、啓蒙二五十、往いて見よ。
問う、この師の謬誤は如何。
答う、この師の聖道・浄土の二門は鸞公の難易の二道に異らず。故に選択集に云く「難行・易行、聖道・浄土は其の言は殊なりと雖も、其の意は是れ同じ」等云云。既に「其の意は是れ同じ」という、故にまたその謬りもこれ同じきなり。
また、別してこれを論ずれば更に二失あり。一には所立不成の失、二には執権謗実の失なり。
初めに所立不成の失とは、安楽集上に云く「一には謂く聖道、二には謂く往生浄土なり。其の聖道の一種は今時証し難し。一には大聖を去ること遥遠なるに由り、二には理深解微に由る。是の故に大集月蔵経に云く、我が末法時中、億々の衆生行を起し、道を修するに未だ一人の得者有らずと。当に今末法は是れ五濁悪世にして唯浄土の一門のみ有って通入すべき路たるべし」已上。
凡そ道綽の聖道は即ちこれ鸞公の難行道なり。鸞公の難行道は即ちこれ歴劫長遠の権大乗なり。故に縦い如来の在世と雖も、実にこれ難行・難証なり。何ぞ「大聖を去ること遥遠なるに由る」というや是一。
古徳云く「高山の水は深谷に降る能あり。最頂の教えは下機を救う力あり」云云。譬えば軽病には凡薬、重病には仙薬の如し。故に知んぬ、理深ならば即ち解微に非ず、解微ならば則ち理深に非ざることを。何ぞ理深解微というや是二。
大集月蔵経の中に都てこの文無し。但し是れ取意なり」云云。猶取意の文にも非ず。何となれば白法隠没の意は浅理隠没の義なり。今所引の意は深理隠没の義なり。故に知んぬ、彼の文の意に非ず、故に取意の文にも非らざることを。正しくこれ妄説なり是三。豈所立不成に非ずや。
次に執権謗実とは「唯浄土の一門のみ有って」とは即ちこれ執権なり。「未だ一人の得者有らず」とは豈謗実に非ずや。
一、道綽が弟子に善導という者あり文。(二七四ページ)
註四十三、啓蒙二五十、往いて見よ。
問う、この師の謬誤は如何。
答う、この師は即ちこれ鸞・綽に相承す。故にその謬誤もまた鸞・綽の如し。若し別してこれを論ぜば、この師の正雑の二行は専ら弥陀の三部経に依る。所謂、正行にまた、五種あり。読誦・観察・礼拝・称名・讃歎なり。このは五種を分ちて正助の二行と為す。謂く、称名の一行を正行と為し、読誦等の四行を助行と為す。この弥陀三部の正助の二行を除いて、自余の諸善を悉く雑行と名づく。
而して雑行の失を判じて「千中無一」と謗じ、正行の得を明かして「十即十生」と執するなり。法然、此等の意を結して云く「此の文を見て、弥須く雑を捨てて専を修すべし。豈百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行に執せんや」等云云。既にこれこの経を毀謗すること分明なり。豈「入阿鼻獄」の人に非ずや。
一、日本国に末法に入って一百余年等文。(同ページ)
この下は、次に日本の法然云云。末法に入って百三十三年に当り「後鳥羽院」の即位なり。法然は十代の帝王を経歴す。別して後鳥羽の代に専ら法柄を●る。故に後鳥羽を標するなり。具に安国論愚記の如し。
一、仏法は時機を本と為す。(同ページ)
法然、若し実に仏法は時機を本と為すと知らば、何ぞ妙法を弘めざるや。教主釈尊、玄に時機を鑑みて云く「後の五百歳中」と云云。天台云く云云。妙楽云く云云。伝教云く「末法太だ近きに有り」等云云。
一、恵心の先徳文。(二七四ページ)
釈書四二十、啓蒙十一七十已下、安国論の日辰抄、往いて見よ。
一、彼の往生要集文。(同ページ)
彼の序に云く「顕密の教法、其の文一に非ず。事理の業因、其の行惟れ多し。利智精進の人は未だ難しとせず。予が如き頑魯の者、豈敢てせんや」と云云。
一、三論の永観が十因等文。(同ページ)
釈書五三。
彼の十因に云く「念仏の一行を開いて十因と為す。一には広大善根なるが故に、二には衆罪消滅するが故に、三には宿縁深厚なるが故に、四には光明摂取するが故に、五には聖衆護持するが故に、六には極楽に化生するが故に、七には三業相応するが故に、八には三昧発得するが故に、九には法身同体なるが故に、十には本願に随順するが故に」と云云。彼は但三部経のみを見て未だ未顕真実の文を見ず。嗚乎●むべし云云。
一、往生要集の序の言道理かとみへければ等文。(同ページ)
若し国家論十三十二の意は、与えてこれを論ずるなり。今当抄の意は、奪ってこれを論ずるなり。浄土の三師もまた爾なり。
国家論の意に云く「慧心僧都、永観二年に往生要集を造って末代の愚機を調え、而る後、寛弘年中に一乗要決を造って本懐を宣べたり。其の中間二十余年、先権後実宛も仏の如し」等と云云。当抄の下の文に云く「慧心は伝教大師の獅子身中の虫なり」等云云。与奪自在の破文なり。
一、顕真座主文。(同ページ)
六十一代の座主なり。啓蒙の中に云云。
一、国主・山寺の僧等文。(同ページ)
「国主」は即ち後鳥羽院、「山」は即ち叡山、「寺」は即ち三井寺なり。承久三年の兵乱は、法然悪霊と成り、その身に入るが故なり。既にこれ現証なり何ぞ文証を求めんや。
十三日
(第二十一段 禅宗を破す)
一、律宗は又此の便を得て等文。(二七四ページ)
この下は第二に禅宗を破す。「律」の字、恐らくは謬れり。応に「禅」の字に作るべし。律宗はもとこれ持斎なり。何ぞ「この便を得て」とわんや。況や但三宗の謬誤を破するをや。次に「禅宗と申す宗」等とはこれ判釈の言に非ず。禅徒が一切の道俗を勧むるの辞なり。
一、教外別伝と申して等文(同ページ)
これ大梵天王問仏決疑経の意なり。彼の経に云く「大梵天王、王霊山会上に至り、金色の沙羅華を以て仏に献じ、仏群生の為に法を説きたまわんことを請う。世尊座に登って華を拈じ、蓮華目を瞬がす。人天万億、悉く皆●るもの困し。猶金色の頭陀、破顔微笑す。世尊言く、吾に正法眼蔵涅槃の妙心、実相微妙の法門有り、不立文字・教外別伝、摩訶迦葉に分付す」等云云。
然るにこの経は偽経なり。開元・貞元の二録はこれを載せず。故に杲宝の開心抄に云く「大梵天王問仏決疑経は諸師引かず。伝録は之を載せず。近代の禅者、自録の中に此の文を引く。謀説疑なし、信用するに足らず」云云。
一、禅宗をしらずして等文。(二七五ページ)
上は一代聖教を誹謗するの辞なり。この下は諸宗を誹謗するの相なり。云く禅宗を知らずして諸経を読誦するは犬の雷を●むが如し。教門に拘るは●の月の影をとるに似たり等云云。
(第二十二段 真言の善無畏を破す)
一、真言宗と申すは文。(二七五ページ)
この下は第三に、真言宗を破す、三あり。初めに無異等を破し、次に弘法を破し、三には覚鑁を破す云云。真言宗の事は七帖一本五十四已下、往いて見よ。
一、善無畏三蔵等文。(同ページ)
統紀三十十六已下。
一、会二破二の一乗文。(二七五ページ)
二乗所修の法を会し、二乗の人を破する故なり。開目抄三十三。
一、然して善無畏三蔵文。(同ページ)
この下は善無畏思惟の相なり。「をこつかれ」とは笑い嘲る義なり。
一行禅師文。(同ページ)
宋高僧伝五三、統紀三十十九。
一、かさむ。(同ページ)
一、法師品・神力品等文。(同ページ)
法師品は勿論「当説」の文なり。神力品は「四句の要法」の文か。既に「如来の一切の所有の法乃至皆此の経に於て宣旨顕説す」等云云。
一、大日経に住心品等文。(二七六ページ)
大日経義釈に云く「此の経宗は横に一切の仏教を統ぶ。唯●無我等を説くが如き即ち諸部の小乗を摂す。唯●阿頼耶と説くが如きは諸経の八識等を摂す。極無自性と説くが如きは即ち華厳・般若等を摂す。如実知自心等と説くが如きは仏性一乗・如来秘密、皆其の中に入る」等云云。既に「如実知自心」の句に法華・大日経を摂す。即ちこれ究竟真実の法なり。故に前の諸句は皆これ未顕真実なり云云。
一、釈迦仏は舎利弗・弥勒に向って等文。(同ページ)
これ迹本二門の対告衆なり。
一、水と乳とのやうに一味となすべし等文。(同ページ)
大日経義釈に「理同」と書するはこれなり。
一、三密相応等文。(同ページ)
印は即ち身密、一念三千は意密なり。
一、真言は甲なる将軍文。(同ページ)
この譬は蘇悉地経疏一七に出ず、啓蒙十二三十に引く。天台、文八に云く「鉾に当る難事」等云云。これを思い合わすべし。宗祖破して云く、三十五七に云く「裸形の猛者の進んで大陣を破ると甲冑を帯せる猛者の退いて一陣をも破らざる」等云云。
一、一行阿闍梨は此のやうにかきけり等文。(同ページ)
第七七に云く「嘉祥の法華玄に法華経と諸大乗は意は一と書きてこそ候えと、此が謗法の根本にて候か。嘉祥に咎あらば善無畏も脱れ難し」等云云。されば現身に鉄縄七節を付けられ、臨終に悪相を現ず等は常の如し。また「一行阿闍梨」も火羅国に流されたり。これ現罰なるべし。三国伝二三十八、知覚禅師の万善同帰集下三十二、盛衰記五十一、往いて見よ。盛衰記に「一行、玄宗を相して云く、思い死に死にたまわん相ありと。また貴妃を相して云く、野辺にて死にたまわん相ありと」云云。この事、差がわざるなり。太平記三十七巻の如し。また十八史略五十九には少異あり。往いて見よ。
一、又末法にせめさせん等文。(二七六ページ)
真言宗を末法に譲り、伝教はこれを責めたまわざりしなり。
一、一筆みへて候文。(同ページ)
依憑集序に云く「新来の真言家は筆受の相承を●じ」云云。
十五日
(第二十三段 真言の弘法を破す)
一、弘法大師文。(二七六ページ)
釈書一二十七、往いて見よ。種々の怪異の事を明かす。報恩抄下十五云云。玄三四十一に云く「名利を●めてて見愛を増す」等と。籤二十二に云く「猶理に称わず」等と云云。
一、さはぐらせ給はざりける文。(二七七ページ)
「さはぐらせ」等とは、只これさばく義なり。常に「事を取りさばく」等という言なり。興師御消息に云く「抑も代も替りて候。聖人よりも後も三年は過ぎ行き候。安国論の事、御沙汰何様なるべく候らん。鎌倉にては定めて御さはぐり候らん」等云云。目師御消息に云く「義科よく読みしたためて二、三月下り候わば、これにて若御房達とも論議あるべし。年がよりて仏法さはぐりがたく候。今年も四月より九月二十日比まで、●日無く御書を談じて候」云云。此等の御文言は皆さばく
義なり。
一、此の如き乗乗等文。(同ページ) これ宝●論下終の文なり。十住心論、宝●論は只これ広略の異なり。弘法はこの中に十住心を明かせり。今初学の為にその名相を示さん。
第一異生●羊心 凡夫
第二愚童持斎心 施心
第三嬰童無畏心 外道
第四唯●無我心 声聞
第五抜業因種心 縁覚
第六他縁大乗心 法相
第七覚心不生心 三論
第八如実一道心 天台
第九極無自性心 華厳
第十秘密荘厳心 真言
宝●の意は、初めの三心はこれ世間の心なり。第四已後は出世の心なり。出世の中に唯●、抜業は小乗教なり。第六他縁已後は大乗教なり。大乗の中に第六・第七は菩薩乗なり。第八・第九は仏乗なり。此くの如き乗々、自乗に仏名を得れども、後に望むれば戯論と成る等云云。故に知んぬ、第十・第九に望むれば、天台の法華経は戲論の法なることを等云云。
一、又云く、無明の辺域(二二七ページ)
宝●下十四の文なり。
問う、何ぞ天台の仏界を以て無明の辺域と為すや。
答う、東寺流の義に云く「釈尊成道の上に於て其の相を習うべし。謂く、一切義成就菩薩は六年の苦行の後、菩提樹下に至って金剛座に坐し、先ず一道無為心に住してこれを至極と為す。而るに油麻の如く諸仏虚空に現前して、今汝が住する所は是れ至極に非ず。其の外に猶最極究竟、至極秘密の法有りと驚覚したまう。爾の時、釈尊の心地の一重進む処を極無自性心と云うなり。而して密乗の三密に悟入したまう処を秘密荘厳心と云うなり。
然れば則ち第八の住心は最初に一道無為心に住する処なり。天台の仏界は是を至極と為す。尚第九華厳の仏界に及ばず。況や第十の真言の極仏に及ばんをや。故に無明の辺域と云うなり。此れは是れ守護経の意なり」等云云。
安然、教時義の一にこの義を破して云く「海和尚は判じて無明の辺域と為す。是れ義釈の文に違う。義釈に云うが如きは、此の経の本地の身は即ち是れ妙法蓮華の最深秘の処なり」。また云く「彼れ諸法実相を説く、即ち是れ此の経の心の実相なり。而るに具惑の仏と為さんや。乃至天台の妙覚を貶しめて具縛の凡夫と為す。和尚は仏にも非ざるに、何ぞ後学を●わすや」等云云。
宗祖云く「守護経に対すれば無明の辺域と申す経文は一字一句も候はず」等云云。空海、胸臆に任せて、守護経の牛跡に法華の大海を入る。豈至極の僻見に非ずや。
一、又云く、第四熟蘇味文。(二七七ページ)
二教論下初に六波羅密を引いて云く「八万四千の妙法を摂して五分と為す。一には素●●、二には毘奈耶、三には阿毘達磨、四には般若波羅蜜多、五には陀羅尼門」等云云。初めの三は小乗の三蔵なり。第四は顕の諸大乗、華厳・方等・般若・法華・涅槃なり。故に今「第四熟蘇味」というなり。第五は「真言上乗、醍醐の如し」等云云。空海また六波羅蜜経の牛跡の中に法華の大海を入る。豈無双の僻見に非ずや。
一、般若三蔵・此れをわたす文。(同ページ)
貞元録第七巻、釈書一二十四、空海の下はこれに同じ。
故に知んぬ、太田抄二十五二十に「六波羅蜜経、不空三蔵之を渡す」とは「不空」の二字は恐らくは謬れり云云。この六波羅蜜経は貞元四年の訳なり。故に大師の滅後、百九十二年に当るなり。
一、傍例あり等文(同ページ)
節用集にも傍例云云。字彙に云く「傍は近なり」と。
一、伝教大師此れをただして云く文。(同ページ)
守護章上の上二十三、往いて見よ。「解深密経」は大唐の貞観二十一年にこれを訳す。故に大師の滅後五十一年に当るなり。
一、天親菩薩等文。(二七八ページ)
法華論の方便品種種譬喩の品の下に「小乗は乳の如く、大乗は醍醐の如し」等と云云。同じく論記六本九に云く「論文に大乗は醍醐の如しとは即ち是れ法華なり。故に経に云く、諸の菩薩の為に大乗経を説くと。又云く、今正に是れ其の時なり。決定して大乗を説く」と云云。論科第四二十。
一、竜樹菩薩文。(同ページ)
大論第一百巻に「般若は秘密に非ず、法華は是れ秘密なり。譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」等云云。「妙楽」は即ちこれ「醍醐」なり。
一、弘法の門人等文。(同ページ)
「門人」は別して東寺・高野を指す。「乃至日本」等とは総じて日本国中の真言師を指すなり。これ山門に簡ぶ故なり。
一、自眼の黒白等文。(同ページ)
句を隔てて見るべし。謂く、自眼は拙くして黒白を弁えずとも云云。
一、たしかなる経文をいだされよ文。(二七八ページ)
無量義経に前四味の名を挙げて「未顕真実」と説くが如く、●なる経文を出されよと責めたまうなり。三十五巻初已下、往いて見よ。
一、周公旦文。(同ページ)
蒙求中二十九、史記二十三十三。
十八日
(第二十四段 聖覚房を破す)
一、正覚房文。(二七八ページ)
釈書一十、啓蒙十二十一、同十四五十九。覚鑁の事なり。
一、舍利講の式文。(同ページ)
密厳秘釈第二巻に出ず。
一、此等の仏僧等文。(同ページ)
問う、若し現文に准ぜば、応に此等の法仏は真言の法仏に及ばずというべし。何ぞ仏・僧・及び正覚・弘法というや。
答う、顕密倶に各三宝一体なるが故なり。故に顕教の三宝は密家の三宝に及ばざること遠し云云。豈大謗法に非ずや。故に現罰を蒙れるなり。
七帖見聞一本六十一に云く「伝法院の覚鑁は法華の学者を謗り逆罪を造るの間、加持の即身成仏の分ありと雖も、十羅刹女の責めを蒙り打ち殺され畢んぬ。若し悩乱する者は頭破作七分、仰ぐべし、仰ぐべし」等云云。
若しその相を知らんと欲せば、具に太平記十八巻の如し。七帖の中に「加持の即身成仏」とは覚鑁、不動の形と成るが故なり。
総じて密家に三品の成仏を立つ。謂く、理具の成仏、加持の成仏、顕得の成仏なり。然るに伝宝記の第五二十五に、加持の成仏を釈して「外人の所見に非ず」云云。而るに今大衆皆これを見たり、故に加持の成仏にも非らざるか。実にこれ大衆の言の如く、覚鑁が妖たるに疑いなきなり是一。
況や若し加持ぼ成仏を得ば●慢を起すべからざるをや。既に●慢を起す、故に天魔外道なるべし是二。
況や劣れる仏を謗りし調達すら現身に無間に入るをや。何ぞ勝れたる覚鑁が頭を破れる高野の大衆、安穏快楽にして一同に笑って院々谷々に帰らんや是三。
故に知んぬ、実にこれ三宝誹謗の現罰なることを。謂く、十羅刹女、大衆の意に入って覚鑁を打ち殺せるなり。頭破作七分、宛かも符契の如し。
閏二月朔日
一、月氏の第慢等文。(二七八ページ)
この下は次に例、また二あり。初めに禅・真言に例し、次に浄土宗に例す。大慢婆羅門は西域記大十一十三に出ず。註中に引が如し。
一、敷漫荼羅文。(同ページ)
大日経疏の第三重。啓蒙に云く「●頂壇とは地を浄めて壇を築く。壇の上に自性会の聖衆の位次形像を図画す。是れを曼荼羅と名づくるなり。今時、敷曼荼羅を用うることは作法の略なり」云云。高橋抄三十五五十に云く「一切の真言師は●頂と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきて、此れを足にふみて秘事とするなり」文。
一、禅宗乃至仏の頂をふむ大法文。(同ページ)
仏祖通載十三三十九に云く「帝問う、如何なるか是れ無諍三昧と。南陽の慧忠禅師答えて云く、檀越、毘盧の頂上を踏んで行ずと」等云云。
一、賢愛の御計い等文。(二七九ページ)
大王、大慢を●さんと為るに、賢愛これを愁みて●に乗す等なり。
一、三階禅師文。(同ページ)
隋の信行禅師の事なり。続高僧伝二十十七に云云。「三階」とは第一階は善を以て悪を覆う衆生、第二階は悪を以て善を覆う衆生なり。諸仏もこれを度せず等云云。
一、当座には音を失い等文。(同ページ)
法華伝九十九、自鏡録上十三。当座に音を失いしは弟子の孝慈なり。後に大蛇と成りしは師の信行なり。師弟の道行の所感なり。故に合わせてこれを挙ぐ云云。
此等の三大事等文。(同ページ)
これ結前生後の文なり。
(第二十五段 慈覚を破す)
一、これよりも百千万倍等文。(二七九ページ)
この下は別して慈覚を破す、三あり。初めに真言与同の失、二には本師違背の失、三に問答解釈なり。初めの真言与同のの失は云云。第六三十三云云。
一、第三御弟子なり文。(同ページ)
これは座主の次第に約す。第一義真、第に円澄、第三円仁なり。
一、伝教大師には勝れて等文。(同ページ)
伝教は在唐すること少かに一年なり。謂く、延暦二十三年の七月入唐し、同二十四年の秋帰朝せる故なり。慈覚は在唐すること十年なり。謂く、承和五年に入唐し、同十四年に帰朝せるが故なり。故に世人、伝教より勝れたりと思えるか。
一、例せば浄土宗・禅宗等文。(二八〇ページ)
安然は禅宗の方人、恵心は浄土の方人なり。
一、安然和尚文。(二八〇ページ)
釈書四六、三国伝四三十、童子教因縁云云。
一、教時諍論文。(同ページ)
下巻二十六に「第五無相宗、第六法相宗、第七毘尼宗、第八成実宗、第九倶舍宗」文。無相宗は三論なり。毘尼宗は即ち律宗なり。
二日
(第二十六段 慈覚の本師違背の失)
一、伝教大師乃至自見せさせ給う文。(二八〇ページ)
この下は本師違背の失なり。釈書一十七。
一、世間の不審をはらさんがために漢土に渡りて等文。(同ページ)
問う、第六二十四に云く「大日経・法華経の勝劣如何と思召し漢土に渡る」等云云。豈相違するに非ずや
答う、彼らは外用に約し、これは内証に約せるなり。
一、漢土の人人は品品の義等文。(同ページ)
或は真言勝れ、或は法華勝れ、或は同等、或は理同事勝等なり。下山抄二十六三十二紙の如し。
一、我が心には法華経は真言にすぐれたり文。(二八〇ページ)
問う、何を以て伝教大師の心中を知らんや。
答う、且く三義を示さん。
一には法華経を以て宗旨と為す故に。秀句下二十四に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し、法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し、法華宗を助けて日本に弘通す」等云云。正しくこの文の意は、大日経等の浅きを去って法華経の深きに就くを以て宗旨と為す。豈勝劣分明なるに非ずや。
二には大日経等を傍依と為す故に。守護章上の中二十九に云く「今、山家所伝の円教宗の依経は、正には法華経及び無量義に依り、傍には大涅槃・華厳・般若・方等・遮那、一切の円を説く等の諸経緒論に依る」等云云。既に法華を以て正依の経と為し、大日経等を以て傍依の経と為す。豈勝劣皓然たるに非ずや。
三には略して真言宗の謬りを破するが故に。依憑集に云く「新米の真言家は則ち筆授の相承を●じ」等云云。況や記の十に載する所の含光物語を引けるをや。豈大師の本意分明なるに非ずや。第六巻二十四已下、往いて見よ。記十九十五。
一、十二年の年分得度文。(同ページ)
或は云く、山門に於て止観・真言の両業を伝うる為に、その法器を撰び年毎に二人を度す。この人は十二年の間、山門を出でず。一人は止観の業を修し、一人は遮那の業を修す。これを「十二年の年分得度」というなり云云。
一、勝鬘経文。(同ページ)
応に「金光明」に作るべし。諸文の意皆爾なり云云。
一、八宗の大徳文。(同ページ)
応に「八箇」に作るべし。並びにこれ密宗の師なり。釈書第三八、円仁伝の下に十一師を出す、中に於て●公はこれ禅宗なり。志遠・宗頴は天台宗なり。この三人を除く自余の八人は、並びに真言師なり。所謂、宗叡・全雅・元政・義真・法全・宝月・侃阿闍梨・惟謹なり。故に第六巻二十七に云く「法全・元政等の八人の真言師」云云。若し下の文に「八大徳並びに南天の宝月」とは総別兼ね挙ぐるなり。例せば八相成道の如し。故に「顕密二道の勝劣」とは下の「広修・維●」等に冠するなり。朝抄・啓蒙、倶に非なり。
一、広修ゆい維●等文。(同ページ)
志遠・宗叡を等取するか。「広修」は宋高僧伝第三十二、統紀第八三に出でたり。「維●」は別に伝なし。唐決下三十四紙に台州の刺史の書を載す、往いて見よ。
一、止観院文。(同ページ)
これ正しく中堂なり。総持院は山門秘伝九。
一、世間と勝義文。(同ページ)
「世俗」は即ち事、「勝義」は即ち理なり。慈覚の釈の意は理同事勝と云云。
難じて云く、既に真言三部の中に、開権顕実の妙理を説かず、故に二乗作仏の文なし。この故にまた十界互具の理なし。故に真実の妙理に非ず。何ぞ理同といわんや是一。
また衆生の成仏は但十界互具の妙理に依る。若し印・真言は成仏の上の事用なり。若し十界互具の妙理に依って即身成仏せば、印・真言は自然に具足するなり。豈●仏・中風仏あるべけんや。故にこれを説かずと雖も、理に於て妨げなし。若し説かざるに依って名づけて事劣と為さば、大日経の中に世界建立等を説かず。若し爾らば阿含経に劣れるや是二。
況やまた真言教には印・真言を説くと雖も、久遠実成を説かざるをや。何ぞ却って事勝といわんや是三。
況やまた伝教大師は法華を以て勝と為し、天台大師は法華を以て諸仏所証の本法と為せるをや、何ぞ本師に違背して却って事勝といわんや是四。
若し伝教未だ悉く習伝せず、天台の時には真言渡らずといわば、教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏は如何、。三説超過、証明実相云云是五。
都て一代経の中に、真言は勝れ法華は劣るの文なし。故に慈覚大師は現罰を蒙り、或は疫病にて死せりという、下山抄二十六三十二の如し。或は頭は出羽国立石寺にこれありという、太田抄二十三二十六の如し。山門秘決に云く「慈覚大師は前唐院に於て御入滅畢ぬ。爰に御館より飛び出して東方に行く。御草鞋、華芳峰に落つ。其の日、其の時、出羽国に至る」等云云。太平記評判二十四に云く「其の後、三門南都の法論起って、慈覚大師の遠行不思議の分野共多かりし、是も法論の遺恨の故ぞと聞こえし」文。
三日
(第二十七段 問答解釈して慈覚を破す)
一、問うて云く法華経等文。(二八一ページ)
この下は三に、問答解釈なり。
一、仏像の木画開眼文。(二八二ページ)
二十八巻十一已下、往いて見よ。
一、夢を本にはすべからず文。(同ページ)
意に云く、夢を本と為して経の勝劣を定むべからず。但分明なる経文に依って経の勝劣を定むべきなり云云。
一、或は行歩し或は説法等文。(同ページ)
二十八十三に云く「優●王の木像、影現王の画像」と云云。
法蓮抄十五十に云く「優●大王の木像は歩をなし摩騰の画像は一切経を説き」と云云。今「行歩」とは優●王の仏像を指すなり。此に異説あり。増阿含二十八十二の意は、牛頭栴檀を以て五尺の木像を作る云云。観仏三昧経の意は、金を鋳て像と為すと云云。此に異これありと雖も、行歩の事はこれ同じきなり。
また、御書十四二十に云く「くまらゑん三蔵と申せし人をば木像の釈迦をわせ給いて」と云云。甫註十一二十六に云云。「或は説法」とは即ち摩騰の画像を指すなり。註十六十二。往いて見よ。「或は御物言」とは御書二十八二十二に云く「昔優●大王・釈迦仏を造立し奉りしかば木像説いて云く『我を供養せんよりは優●大王を供養すべし』等云云、影堅王の画像の釈尊を書き奉りしも又又是くの如し」と云云。釈書二十八に「遠州の鵜田寺の薬師像、我を取れ、我を取れ」と云云。註に引く所の如し。
一、但日輪を射る等文。(同ページ)
中正論十六四十一、往いて見よ。
一、阿闍世王は天より月落る文。(同ページ)
報恩抄下十二に「日落つ」云云。而して「須抜」に例す云云。
問う、本経に云く「月落ち、日地より出ず」と云云。何ぞ「日落つ」というや。
答う、迦葉、仏に赴く。涅槃経に云く「一の比丘夢みらく、日月堕落して天下明を失うと。迦葉の云く、仏将に般●●せんとすと」云云。既にこれ倶に涅槃の相なり。故に彼を以て此れに類して「日落つ」というなり。
一、須●乃至我とあわせ等文。(二八二ページ)
大論三十八に云く「天、須抜に語って言く、仏当に涅槃に入るべしと」等云云。問う、何ぞ「我とあわせ」というや。答う、今は他人の見に約す。謂く、他人は天を告を知るべからざるが故なり。
一、夏の桀・殷の紂文。(同ページ)
太平記三十五紙云云。これ父の悪を以てその子に課して爾云うなり。
一、仏の童名をば日種文。(同ページ)
大論八三に云く「婆羅門、仏に対えて言く、汝は是れ日種、浄飯王の太子なりと」云云。
問う、瑞夢の相を以て日種と名づくるに非ざること、註の中に弁ずるが如し。
答う、本これ日種の姓にしてその瑞あり、故に童名もまた日種と号するに何の妨あらんや。例せば迦葉等の如し。啓蒙十五五。
一、日本国と申す文。
日神出生の本国なるが故なり。
一、此のゆめは天照太神等文。(同ページ)
問う、「釈尊」「天照大神」はその義分明なり。「法華経」「伝教大師」は如何。
答う、法華経も日天子なり。故に薬王品に云く「又日天子の如し」等云云。所持の法華既に日天子なり。能持の人もまたまた是の如し。故に「伝教」というなり。下三十六の意を見合すべし。
一、日本かちて候ならば等文。(同ページ)
太平記三十九に云云。これ真言調伏の験には非らざるなり。
一、但し承久の合戦文。(同ページ)
今は真言の悪法に約す。次上の二紙には浄土の悪霊に約す留なり。東鑑第二十五巻。
一、此れを能く能く知る人は一閻浮提第一の智人等文。(この御文、御書に拝せず)
開目抄下の三十七に云く「無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始めの三類を見るべからず一分の仏眼を得るもの此れをしるべし」文。三十三二十七に云く「三千年に一度花開くなる優曇華をば転輪聖王此れを見る。究竟円満の仏にならざらんより外は、法華経の御敵をば見しらざらんなり。一乗の敵を夢の如く勘え出して候」等云云。学者、意を留めてこれを案ずべきなり。
一、今は鎌倉等文。(二八三ページ)
この下の意は、今鎌倉に於ても真言崇敬の故に、国定めて亡ぶべし等となり。
四日
(第二十八段 閻浮第一の法華経の行者)
一、亡国のかなしさ等文。(二八三ページ)
この下は大段の第二、正を顕すなり。正は即ち最大深秘の大法なり。中において末法流布の正体・本門の本尊・妙法蓮華経の五字は即ちこれ所持の法なり。我が蓮祖大聖人は即ちこれ能持の人なり。能持の人は即ちこれ末法下種の教主なり。今、当抄の意は、能持・所持の中に於て能持の人を以て表と為すなり。例せば「法妙なるが故に人貴し」の意の如し。
故にこの文より下、「抑此の法華経」等の文の上に至るまで、正しく三義を以て、蓮祖はこれ末法下種の教主なることを顕示するなり。
一には、日蓮はこれ閻浮第一の法華経の行者なるが故に。これ則ち前代未聞の大法を弘通したまうが故に。二には、日蓮はこれ閻浮第一の智人なるが故に。これ則ち瑞相の根源を知ろし召すが故なり。三には、日蓮はこれ閻浮第一の聖人なるが故に。これ則ち自他の兵乱を兼知したまうが故なり云云。
故に蓮祖はこれ末法下種の教主なり、故に知んぬ、末法下種の人本尊なることを云云。
次に正しく文を消せば、この「亡国のかなしさ」の下は第二に、正を顕すなり。また二あり。初めに略して示し、次に「漢土・日本」の下は広釈なり。初めの略して示すにまた三あり。初めに怨嫉来難、次に「而る間」の下は自他の兵乱、三に「吉凶」の下は天地の瑞相なり云云。
一、ただざんげんのことばのみ用いて等文。(同ページ)
或は多人に付き、或は上代崇重の法の改め難き故に、或は自身愚痴なるが故に、或は実経の行者を軽んずるが故に、但讒言のみを用いて実経の行者を怨むなり。二十八巻二十九、往いて見よ。
一、古の謗法をば不思議とは等文。(二八三ページ)
録外第四十五、往いて見よ。
一、覚徳比丘の殺害に及びしに等文。(同ページ)
安国論十九に涅槃経第三五十二を引く。
一、吉凶につけて瑞多ければ難多かるべき等文。(同ページ)
録外十六二十一往いて見よ。
一、月氏・漢土・日本等文。(同ページ)
この下は二に広釈、三あり。初めに日蓮は閻浮第一の法華経の行者なることを明かし、次に「問うて云く正嘉」の下に日蓮は閻浮第一の智人なることを明かし、三に「いまにしもみよ」の下に日蓮は閻浮第一の聖人なることを明かすなり。第一の閻浮第一の法華経の行者なることを明かすにまた三あり。初めに略して所忍の怨嫉を示し、次に「先づ眼前」の下は広釈、三に「日蓮は日本第一」の下は結なり。
一、まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし文(同ページ)
この下は次に広釈、また三あり。初めに前代流布、次に「此の念仏」の下は序、三に「欽明」の下は正釈。
一、仏には阿弥陀仏等文。(同ページ)
これは本尊に約す。「諸仏の名号には」等とは修行に約するなり。
一、心あらん人は此れをすひぬべし文。(二八四ページ)
前権後実は諸仏説法の儀式なるが故なり云云。
一、欽明より乃至智人なし等文。(同ページ)
上巻二十三に云く「南無妙法蓮華経と一切衆生に勧めたる人一人もなし。此の徳は誰か一天に眼を合せ、四海に肩をならぶべきや」(取意)と云云。
問う、上巻二十二に云く「日本国に仏法渡って七百余年、伝教大師と日蓮とが外は一人も法華経の行者なきぞかし」(取意)と云云。如何。
答う、若し像法当分に約すれば伝教大師も法華経の行者なり。これ則ち像法適時、如説の行者なるが故なり。若し末法に望むれば仍真の法華経の行者に非ず。これに且く二意あり。
一には、彼の時は法華正しき流布の時に非ざるが故に。上巻九に云く「法華経の流布の時・二度あるべし所謂と在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり、而に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退いては滅後・末法の時にも生まれさせ給はず中間なる事をなげかせ給いて」と云云。既に正しき流布の時に非ざるが故に、また真の法華経の行者には非ざるなり。二には、伝教大師は仍南無妙法蓮華経と一切衆生に勧め給わざるが故なり。即ち今文の如し。故に真の法華経の行者に非ざるなり。若し此の意を得ば処々分明なり。
一、一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず文。(二八四ページ)
問う、何を以てこの事を知らんや。
答う、顕仏未来記二十七三十一に云く、疑って云く「但し五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何。答えて云く四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや」と文。経に云く「世に二仏なく、国に二主なく、一仏の境界に二つの尊号なし」と云云。秘すべし、秘すべし云云。他流の知らざる法門なり。敢て露呈することなかれ。また報恩抄上三十五には、釈尊を法華経の行者と名づくるなり。
五 日
(第二十九段 閻浮第一の智人)
一、問うて云く正嘉の大地しん等文。(二八四ページ)
この下は第二に、日蓮は閻浮第一の智人なることを明かす、また三あり。
初めに略して所知の瑞相を示し、次に「問て云く心いかん」の下は広釈、三に「あわれなるかなや」等の下は悲喜なり云云。
所知の瑞相とは「正嘉の大地しん」「文永の大彗星」なり。東鑑四十七十七に云く、註の所引の如し、同二十七に云く「十一月八日己未大地震、去ぬる八月二十三日の如し」云云。これ日本国中一同の大地震なり。文永の大彗星とは、東鑑には文永元年を闕く。合運図に云く「大彗星出ず」と云云。法蓮抄十五二十七、往いて見よ。一天に亘る大長星なり。前代未聞の事なり。
一、智人は智を知り等文。(同ページ)
一義に云く、但仏の智人のみ本化の智人出現の謂を知るなり。若し迹化の愚人は本化の智人出現の謂を知らざるなり。例せば蒙求にいうが如し。「謝尚、八歳にして智慧人に勝る。父携えて客を送る。或る人曰く、此の児は一座の顔回なりと。謝尚、声に応じて云く、此の座に孔子無し。誰か顔回と知らんやと云云。
一義に云く、但仏の智人のみ自ら仏の智を知る。蛇の自ら蛇足を知るが如し。仏の智者は近きを以て遠きを推し、現を以て当を知る。譬えば雨の猛きを見て竜の大なるを知り、華の盛んなるを見て池の深きを知るが如し。今もまた然なり。本化出現の大瑞を見て、寿量妙法の末法流布を知るなり。これ即ち仏の智なり。仏の智人のみ自らこの智を知る。迹化の愚人はこれを知らざるなり云云。
聖人知三世抄二十八九に云く「予は未だ我が智慧を信ぜず然りと雖も、自他の返逆・侵逼之を以て我が智を信ず」等云云。これを思い合すべし。
況や「蛇は自ら蛇を識る」の喩の意に符合せるをや云云。仏を一切智人と名づくること大論七十三紙に出でたり。
一、問うて云く其の意いかん文。(二八四ページ)
この下は二に広釈、二あり。初めに先ず等覚不知を示し、次に「問うて云く智人」の下は正しく蓮祖の能知を明かす。三あり。初めに 正釈、次に「問うて云くなにをもってか此れを信ぜん」の下は引証、三に「此等の大謗法の根源」の下は結。初めの等覚不知を示すにまた二あり。初めに正しく明かし、次に「問うて云く日本」の下は彼を以て此に況す云云。
一、寿量品の南無妙法蓮華経文。(同ページ)
顕仏未来記に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布」等云云。
当に知るべし、但「寿量品」といいて未だ本迹一致、一品二半等とはいわず。然るに連師に違背して「本迹一致の妙法」と云云。●むべし、悲しむべし云云。
一、此の事を知る人あるべしや等文。(同ページ)
啓蒙に云く「此の事とは災難の由来を指す」と云云。今謂く、地震、長星は滅後の瑞相なり。本化の涌出は在世の瑞相なり。故に録外十六十九に云く「法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れに似るべくもなき大瑞なり」と文。答の中の意は、既に等覚の菩薩すら尚瑞相の謂を知らず、況や一毫未断の凡夫をや。何ぞ瑞相の謂をしらんや云云。
一、問うて云く智人等文。(二八四ページ)
この下は正しく蓮祖の能知を明かす。「此の災の根元」とは天地の災難、即ちこれ瑞相なり。「蛇は七日が内等」とは開目抄下二十五に。
一、大竜の所従等文。(同ページ)
文の意に云く、日蓮は久遠実成の大竜の所従なり。久遠塵点已来、久しく本門寿量の肝心を学せり等云云。
一、日蓮は凡夫なり等文。(同ページ)
啓蒙に云く「既に凡夫と云う。故に辛有・伯陽を引き、一分の凡夫の兼知を証するなり」等云云。
今謂く、既に本仏の所従にして久しく本門寿量を学せり。故に知んぬ、日蓮は実にこれ聖人なることを。故に外典の一分の聖人を引き、今日蓮はこれ智人なることを顕すなり。「辛有・伯陽」は既に未萠を知る。豈一分の聖人に非ずや。但「凡夫」とはこれ謙下の御辞なるのみ。
一、周の平王の時等文。(二八五ページ)
安国論に云云。
一、幽王の時山川くづれ文。
史記四二十六。「伯陽」は老子に非らざるなり。啓蒙の中に弁ずるが如し。
六日
(第三十段 智人たるの証文)
一、問うて云くなにをもつてか此れを信ぜん等文。(二八五ページ)
この下は引証なり、。次上に正しく瑞相の謂を答えて云く「今の大地震・大長星は国王・日蓮をにくみて亡国の法たる禅宗と念仏者と真言師をかたふどせらるれば天いからせたまいていださせ給うところの災難なり」云云。故に今、この証拠を問うて、「なにをもってか此を信ぜん」というなり。
一、最勝王経に云く文。(二八五ページ)
金光明最勝王経第八巻十八の文なり。
一、皆時節によらず文。(同ページ)
本経には「皆時を以て行われず」と云云。余抄の所引、御申状等も爾なり。
一、又云く、三十三天の衆等文。(同ページ)
最勝王経第八十七の文なり。この中に「他方の怨賊」等とは、文に同じきが故に来るなり。蓮祖の釈の文、また爾なり。「三十三天」とは帝釈天王の事なり。
一、仁王経に云く等文。(同ページ)
仁王経嘱累品の文なり。次上の第一の引証は、国主、智人を悪みて悪人に帰依するの証なり。第二の引証は天の瞋の証文なり。今、この仁王の文は禅・念仏・真言は亡国の悪法たるの証文なり。「又云く」の下は知るべし、即ち天地の災難なることを。
一、次には内賊と申して等文。(同ページ)
問う、所引の経文未だこの意を見ず。
答う、破法・破国の文の意を出だすなり。故に下に「是れ偏に」等なり。
一、守護経に云く等文。(同ページ)
守護国界経第十六紙の文なり。次上の仁王経並びにこの守護経の文、及び下の蓮華面経の文は、三文倶に禅・念仏・真言は亡国の悪法たるの証文なり。故に知んぬ、真言亡国、念仏無間等は一往なることを。再往は三宗無間、三宗天魔、三宗亡国なり。
一、訖哩枳王にかたらせ給い文。(二八六ページ)
伝教大師、顕戒論の下十四に経を引いて具に釈す。往いて見よ。一には貧にして治せざらんことを畏るる沙門。二には奴にして怖畏ある沙門。三には債負を怖るる沙門。四には仏法の過失を求むる為の沙門。五には勝他の為の沙門。六には名称の為の沙門。七には天に生ぜんが為の沙門。八には利養の為の沙門。九には王に生ぜんが為の沙門。十には真実心の沙門。前の九種の沙門は破仏法の三宗なり。第十のみ真実の沙門なり。
一、大族王文。(同ページ)
西域第四初に、「武宗皇帝」は註の中に諸文を引く云云。
一、伝教大師の獅子の身の中の虫三虫等文。
問う、蓮祖の獅子身中の虫これありや。
答う、開山上人の二十六箇の第四に云く「偽書を造って御書と号し本迹一致の修行を致す者は獅子身中の虫と心得べきな事」と云云。御書の中に都て本迹一致の義なきこと、この文に分明なり。若し実に本迹一致の文あらば、何ぞ更に偽書を作って御書と号せんや云云。
今時、偽書を造らずと雖も、本迹一致の修行を作す、豈蓮祖の獅子身中の虫に非ずや。我が日興上人は実にこれ蓮祖付嘱の写瓶なり。深くこれを思うべし云云。
一、此等の大謗法の根源をただす等文。(二八六ページ)
これ蓮祖の能知を明かす中の第三、結文なり。
一、あわれなるかなや等文。(同ページ)
これは閻浮提第一の智人なることを明かす中の第三、悲喜の文なり。
一、今度心田に仏種をうえたる等文。(同ページ)
十三三十に云く「日蓮は民の家より出でて頭をそり袈裟を服足り。此の度いかにしても仏種をもうえ、生死を離るる身と成らんと思い候」云云。自行既に爾なり。化他もまた然り云云。二十二十八。
七日
(第三十一段 閻浮提第一の聖人)
一、いまにしもみよ等文。(二八六ページ)
この下は第三に、日蓮は閻浮提第一の聖人なることを明かす、三あり。
初めに略して兼知の兵乱を示し、次に「外典に曰く」の下は広く釈し、三に「されば国土いたくみだれば」の下は結。初めの兼知兵乱を示す中に二あり。先ず正しく示し、次に信伏を明かす中に内外の例を引なり。
一、月支のいう大族王。(二八七ページ)
西域四二。註の所引の如し。
一、宗盛は景時をうやまう等文。(同ページ)
「景時」の二字は応に「能員」に作るべし。即ちこれ比企四郎能員なり。東鑑第四の元暦二年、盛衰記四十五五の如し。この能員は安国論所覧の比企大学三郎の父なり。
一、提婆乃至南無と唱え等文。(二八七ページ)
増一阿含四十六十三に云云。「南無」の事、種々の因縁は林二十二十、愚案記十六巻五十七に云云。
一、南無日蓮聖人等文。(同ページ)
聖人知三世抄二十八九に云く「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」文。経に云く「慧日大聖尊」云云。「尊」とは人なり。人即尊なり。「唯我独尊・唯我一人」これを思え、当に知るべし、「大聖人」とは即ち仏の別号なり。これ則ち末法下種の教主なるが故なり。江戸阿私加大論二十二十六。
(第三十二段 聖人たるを広く釈す)
一、外典に云はく等文。(二八七ページ)
この下は広釈、三あり。初めに釈名、次に「予に三度」の下は正釈、三に「問うて云く第二」の下は勘文なり。
一、未萠をしるを是れ聖人という文。(同ページ)
弘二末九十三に云く「説苑に云く、萠兆未だ現れざるに存亡の機を見るを名づけて聖臣と為す」云云。文選四十四に云く「明者は危きを無形と見、智者は福を未萠に規る」云云。良曰く「萠は初生なり」と。善曰く「太公金●に曰く、明者は未萠を見る」文。
三沢抄十九二十二に云く「聖人は未萠を知ると申して三世の中に未来の事を知るを・まことの聖人とは申すなり」等云云。二十八巻八、聖人知三世抄、往いて見よ。
一、予に三度の高名あり等文。(同ページ)
この下は正釈、また、二あり。兼知未萠を明かすに自ら三あり、見るべし。
一、最明寺殿等文。(同ページ)
釈書十七二十、王代一覧五二十九、鎌倉志三四十六。
一、宿屋の入道に向かって云く等文。(同ページ)
後蓮師に帰し、光則寺を立つるなり。啓蒙一三、往いて見よ。
一、禅宗と念仏宗とを失い給うべし文。(同ページ)
問う、安国論には但法然のみを破す。今何ぞ「禅宗」というや。
答う、彼の論の現文は但法然のみを破すと雖も、意は諸宗に通ずるなり。具には安国論愚記の如し。諸宗の中に於ても禅宗は別して鎌倉殿帰依の宗なり。故に宿屋に向って「禅宗と念仏宗」等というなり。報恩抄に云く「国主は禅宗を尊む日蓮は天魔の所為というゆへに我と招ける・わざわひなれば」と云云。
一、此の一門より事をこりて他国にせめらせ給うべし等文。(二八七ページ)
次上の二十六紙を往いて見よ。
問う、兼知符合は如何。
答う、種種御振舞抄二十三三十九に云く「去ぬる文永五年後の正月十八日、西●大蒙古国より日本国を襲うべきの由牒状を渡す。日蓮が去ぬる文応元年太歳庚申立正安国論に勘えたるが如く、今に少しも差わず符合しぬ。此の書は白楽天が楽府にも越え、仏の未来記にも劣らず、末代の不思議、何事か是れに過ぎん。賢王・聖主の御代ならば日本第一の権状にも行われ、現身に大師号あるべしと思いしに其の義なし」(取意)等云云。
「白楽天の楽府にも越え」とは安国論愚記の如し。「仏の未来記にも劣らず」とは顕立正意抄十三二十五に云く「立正安国論に云く、乃至朝に賢人有らば之を怪む可し」等云云。苦得外道は涅槃経三十一八の如し。●婆長者は涅槃経二十八七の如し。「却って後三月」の文は普賢観経に出ず。其の外、六十年の末田地、一百年の脇比丘及び阿育大王、六百年の馬鳴、七百年の竜樹、皆仏記の如く秋豪も差わず。蓮祖の兼知またまた是くの如し、故に「仏の未来記にも劣らず」というなり。
十三日
一、平左衛門尉に向かって云く文。(同ページ)
これ即ち名字なり。故に「へイ」とよむべし。愚案記三十六に云云。語式は不可なり。
一、日蓮は日本国の棟梁なり文。(同ページ)
職原抄一六の頭書に云く「室、棟梁に非ざれば則ち成せず」云云。又云く「隋の高孝基、人を知るの鑑あり。杜如晦を見て曰く、必ず棟梁の重きに任ぜんと。班固、謝夷吾を薦む、誠に大●の棟梁なりと。棟梁の二字は此より出ず」と云云。佐渡抄十四九に云く「日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬えば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本柱をたをしぬ」文。即ち今文に同じきなり。
一、只今に自界叛逆等文。(二八七ページ)
問う、兼知符合は如何。
答う、顕立正意抄十三二十七に云く「去る文永八年九月十二日御勘気を蒙りしの時吐く所の強言次の年二月十一日に符合せしむ、情有らん者は之を信ず可し何に況や今年既に彼の国災兵の上二箇国を奪い取る設い木石為りと雖も設い禽獣為りと雖も感ず可く驚く可きに」等云云。「次の年の二月十一日」とは即ち文永九年二月の騒動の事なり。
文永九年壬申春、鎌倉の時宗の舎兄・六波羅の南方・北条式部丞時輔、密に時宗を誅せんと謀る。北条尾張守公時入道見西、遠江守教時之に応ずる事、関東に聞ゆ。故に二月十一日、鎌倉に於て彼の与党公時入道並びに遠江守教時を誅す。然るに見西罪科なき故に由って討手、大倉次郎左衛門尉、渋谷新左衛門尉、四方田竜口左衛門尉、石河神の次左衛門尉、薩摩左衛門三郎等、首を●ねられ畢ぬ。又中の御門中将実隆郷、●者と成る。その外、多くの人誅敗を受く。同じき十五日、鎌倉の早馬、六波羅の北方・北条義宗の許に来る。義宗俄に南方へ押し寄せ、時輔を討ち亡す。吉野の奧に遁逃し、遂に行方を知らず。これ二月の騒動と謂うなり。
時輔はこれ時宗の兄なるに、弟の時宗家督を取られ鬱憤止まざる故に、逆心の企ありしなり。六波羅の北方・義宗はこれ長時が子なり。長時は重時が子なり。重時はこれ義時が三男なり。義時は時政が嫡子なり。公時、教時は皆時頼、時宗の一門なり。自界叛逆の兼知、宛も符節の合うが如し。豈大聖人に非ずや。
日妙抄十九六十二に云く「今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑ・いまだ世間安穏ならず」等云云。
また文永九年正月十六日、佐州塚原に於て諸宗と法論、勝利を得るの後、本間重連に向って未萠を示す。この事、三十日の内に符合せり。具に佐渡抄十四八紙の如し。
「何に況や今年二箇国を奪い取る」とは、「今年」は即ち文永十一年なり。王代一覧五四十二に云く「文永十一年十月、蒙古の兵船、対馬島 に寄せ来る。武士等防戦」等云云。「二箇国」とは壱岐・対馬なり。
一、経文の如く乃至彼等が頭を由井浜にて切らずば等文。(二八七ページ)
問う、何れの経文を指すや。
答う、安国論の意に准ずるに、仙予・有徳の経文なるべし。会疏三五十五、同十一十九、安国論十七八。
問う、涅槃経には「刀杖を持すと雖も、応に命を断ずべからず」云云。安国論に云く「釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の施を止む」等云云。「諸宗の僧の頸を@ねらるべし」云云。豈相違するに非ずや。
答う、「則ち其の施を止む」とは、これ為人悉檀に約す。「頸を@ぬべし」とはこれ対治悉檀に約す。本経の文に両辺あり。故に各一意に拠るなり。啓蒙九十四、また会疏三三十一に云云。二十一二十三。
一、建長寺文。(同ページ)
これ禅宗なり。巨福山と号す。五山の第一なり。相模守平時頼、建長三年十一月に建立なり。開山は宗の大覚禅師、諱は道隆蘭渓、具に元亨釈書第六九の如し。
一、寿福寺文。(同ページ)
また禅宗なり。亀谷山と号す。五山の第三なり。開山は千光国師栄西なり。この地は頼義・義家居住の処なり。後に義朝も此に住せり。二位の禅尼、彼の菩提の為に栄西に付するなり。
一、極楽寺文。(同ページ)
これ律宗なり。霊鷲山と号す。開山は忍性菩薩良観上人なり。陸奥守平重時の建立なり。重時、極楽寺殿と号するなり。
一、大仏殿等文。(同ページ)
建長寺の持分なり。寛元元年の建立なり。今の大仏は金銅の盧遮那仏なり。
一、長楽寺文。(同ページ)
浄土宗の法然が弟子、隆観所住の寺なり。
一、去年文永十一年四月八日文。(同ページ)
「去年」とは文永十一年なり。故に当抄は建治元年の述作なり。文永十一年甲戌二月十四日の御赦免状、同じき三月八日島に着き、同じき二十六日に鎌倉に入り給い、同じき四月八日に平左衛門に御対面なり。(註画五初)
一、殊に真言宗乃至大なるわざはひにては文。(同ページ)
東寺・叡山、並びにこれ真言なり。
問う、前の両度は但禅・念仏を破し、今は別して真言を破する所以は如何。
答う、三沢抄十九二十三に云く「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」等云云。これに二義あり。一には所破、二には所顕なり。
所破というは佐渡已前には未だ真言を破せざるなり。何となれば即ち彼の下の文に云く「此の国の国主我が代をも・たもつべくば真言師等にも召し合わせ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんず、さらば・よもあわじと・をもひて各各にも申さざりしなり」云云。
所顕というは未だ三箇の秘法を顕さざるなり。即ち彼の次下の文に云く「而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頸をはねられんとせし時より・のちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり、此れは仏より後(乃至)竜樹・天親・天台・妙楽・伝教・義真等の大論師・大人師は知りてしかも御心の中に秘せさせ給いし、口より外には出し給はず」等云云。三十三十九、三十五五十一。
佐渡已後は専ら真言を破し、三箇の秘法を顕すなり。例せば法華に至って始めて三を破して一を顕し、迹を破して本を顕すが如し。爾前の中に於てはこの破顕の二義なし。佐渡已前もまた爾なり。故に「但仏の爾前経」等というなり。若し通じてこれを談ぜば、彼も未顕真実なり。此れも未顕真実なり。故に爾云うなり。
一、よも今年はすごし候はじ等文。(二八八ページ)
即ちその年の冬、文永十一年十月、蒙古の兵船対馬に寄せ来り、二箇国を奪い取れり。已上三度の兼知、毫末も差わず、豈大聖人に非ずや。佐渡御書十七十九に云く「現世に云をく言の違はざらんをもて後生の疑いをなすべからず」等云云。此に於て暫時、筆を閣いて紅涙紙を点ず云云。
十五日
問う、宗祖の兼知未萠の現世符合の事、既に命を聞き畢ぬ。また現世の御言、滅後符合の事これありや。
答う、実に所問の如し。今、且く現世三の事に准じて滅後符合の三事を出さん。
一には、下山抄二十六五十二に云く「教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き散して散散に@みたりし大禍は現当二世にのがれたくこそ候はんずらめ」云云。この大科終に免れずして、平左衛門尉頼綱も宗祖滅後二十一年に当って一類滅亡せり。鎌倉将軍譜に云く「弘安七年十月、時宗の子息貞時十四歳、家督を継いで執権す。同八年四月、貞時、相模守に任ず。(頼綱、泰盛の子宗景が藤原氏を改めて源氏と為し、密に謀叛して将軍たらんと欲すと告ぐ。十一月、泰盛、宗景誅に伏す。其の党皆平ぐ。是に於て頼綱独り威を振う)。永仁元年四月、鎌倉大地震、死者一万余人。貞時の家令頼綱、剃髪して果円と号す。権威日に盛んなり。其の次男安房守、廷尉に任じ、飯沼殿と号す。密に安房守を立てて将軍と為さんと謀る。果円が長子宗綱、以て貞時に告ぐ。貞時、果円及び安房守等を誅す。宗綱も亦佐渡に流さる。(其の後之を赦す)。一族滅亡す」等云云。
今案じて云く、平左衛門入道果円の首を@ねらるるは、これ則ち蓮祖の御顔を打ちしが故なり。最愛の次男安房守の首を@ねらるるは、これ則ち安房国の蓮祖の御頸を@ねんとせしが故なり。嫡子宗綱の佐渡に流されるは、これ則ち蓮祖聖人を佐渡島 応道に流せしが故なり。その事、既に符号せり、豈大科免れ難きに非ずや。
問う、頼綱の滅亡は正しく熱原の法華宗の首を切りしが故なり。謂く、駿州富士熱原の郷の住人、神四郎・田中の四郎・広田弥太郎を始めとして多くの信者あり。然るに駿河の国は守殿の御領、殊に富士郡は後家尼御前達の内の人々多し。故に最明寺・極楽寺の御敵と瞋り給う故にや、平左衛門頼綱、弘安三年の秋の比、彼の神四郎・田中の四郎・広田の弥太郎等二十四輩を生け捕りて籠に入れ、その年の冬、三人の者は法華宗の張本として頭を@ねらる。その外の者をば残らず追却せり。
されば蓮祖聖人、彼等籠者の問の御書二十二三十三に云く「彼のあつわらの愚癡の者ども・いゐはげまして・をどす事なかれ、彼等にはただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議わるからんは一定とをもへ」已上。
また頸切られて後、上野殿への御書三十二十八に云く「あつはらのものども・かくをしませ給へる事は・承平の将門・天喜の貞当のやうに此の国のものどもは・おもひて候ぞ、これはひとへに法華経に命をすつるがゆえなり、まつたく主君にそむく人とは天・御覧あらじ」已上。
その後、日興上人、彼の菩提を@う中に御本尊書写し給う、その端書きに云く「駿河国富士下方熱原郷の住人、神四郎、法華宗と号して平左衛門尉が為に頸を@ねらるる三人の内なり。平左衛門入道、法華宗の頸を切るの後十四年を経て、謀叛を企つる間、誅せられ、其の子孫、跡形も無く滅亡し畢んぬ。徳治三年戊申卯月八日、日興在判」云云。
故に頼綱の滅亡は熱原の現罰なり。何ぞ蓮師打擲の大科というや。
答う、現報に遠近あり。遠くは蓮師打擲の大科に由り、近くは熱原の殺害に由るなり。故に興師は近く現報を論じ、今は遠くこれを論ずるが故なり。
二には、佐渡抄十四十に云く「法華経の行者を梵釈・左右に侍り日月・前後を照し給ふ、かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし、何に況や数百人ににくませ二度まで流しぬ、此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなをして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれども・はうに過ぐれば罰あたるぬるなり」文。
文の表は近報を語ると雖も、文の意はまた遠報にも通ずるなり。謂く、既に数百人に悪ませ二度まで流しぬるは鎌倉殿の大科なり。この大科、法に過ぐるが故に、近くは文永十一年二月中旬、京・鎌倉に於て同士討して多く一族を誅し畢んぬ。遠くは蓮祖の滅後五十二年に当って子孫跡形なく滅亡し畢んぬ。太平記第十終に云く「嗚乎、此の日は何なる日ぞや。元弘三年五月二十二日と申すに、平家九代の繁昌一時に滅亡して、源氏多年の蟄懐一朝に開くる事を得たり」等云云。
当に知るべし、法華守護の八幡大菩薩は勢を刹那に催し、天照大神の垂迹は潮を万里に退けて、源氏の頂に乗り移って平家の族を責め亡せしなり。建仁寺の天誉の詩に云く「短世誰か嘗む亀谷の水、嘉齢久しく保つ鶴岡の松、曽て日蓮師の諫めに違うに依って、永々の英将蹤を継がず」等云云。安国論の性師序に云く「先代の英将諫言を容れず、万世保たず憐むべし、焦土となりぬること。惜しいかな、亀谷の水は@を献じ、鶴岡の松は笑いを騰ぐ」等云云。
三には、乙御前抄十四二十一に云く「日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ」。又云く「事の後にあへばこそ人も信ずれ、かうただ・かきをきなばこそ未来の人は智ありけりとは・しり候はんずれ、又身軽法重・死身弘法とのべて候ば身は軽ければ人は打ちはり悪むとも法は重ければ必ず弘まるべし、法華経弘まるならば死かばね還って重くなるべし、かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし、利生あるならば今の八幡大菩薩と・いははるるやうに・いはうべし」等云云。本門の大法年々に弘まり、蓮祖の威光月々に倍増し、御影の利生日々に新なり。故にこれ眼前なり。豈兼知差わざるに非ずや。故に知んぬ、吾が蓮祖はこれ実に大聖人にして、末法下種の教主なることその意分明なることを云云。
三月七日
一、此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず文。(二八八ページ)
この下は二に結成。これにまた二あり。初めに謙知符合の所以、次に「経に云く所謂」の下は釈尊の謙知符合。
一、只偏に釈迦如来の御神・我身に入りかわらせ給いけるにや文。(同ページ)
日朝云く「唯仏与仏の極智を凡心に之を成ず。是れを以て諸の菩薩衆の信力堅固なる者を除く」と云云。また云く「仏果の極智、三世了達の照見も、一念三千の果徳に達するが故になり。今元祖の未
来記、併ながら三世一念三千の了達、善悪互具の意趣なり。豈一念三千に非ずや」取意。
日講云く「玄二に云く、如来の洞達、十法の底を究め、十法の辺を尽くすと云云。是れ即ち如来所証の一念三千の境界なり。吾が祖、目前の照鑑符合す。亦一念三千の妙用を振舞いたまうなり」云云。
今謂く、今日の「釈迦如来の御神」とは、即ちこれ久遠元初の自受用身なり。久遠元初の自受用身とは即ちこれ今の日蓮聖人なり。故に「釈迦如来の御神、我が身に入り替る」というなり。その自受用身とは即ちこれ一念三千の仏なり。故に「一念三千と申す大事の法門はこれなり」という。伝教大師云く「一念三千即自受用身」云云。御義口伝上十八に云く「事の一念三千は、日蓮が身に当たりての大事なり」と云云。
日我の本尊抄見聞に云く「日蓮身に当りての大事とは、日蓮が当体ぞと云う事なり」云云。文意に云く、この三つの大事は日蓮が申したるには非ず、釈迦如来の御神たる久遠元初の自受用身の仰せられたるにてあるなり。豈符合せざるべけんや。(外十三二三)
一、経に云く所謂諸法実相等文。(二八八ページ)
この下は釈尊の謙知符合、また二あり。見るべし。
一、十如是の初めの相如是が第一の大事にて候へば仏は世にいでさせ給う文。(同ページ)
この文、解し難し、知り難し。故に諸師に多義あり。今、初学の為に意を取ってこれを示さん。
一義に云く、凡そ如来の出世は衆生本具の仏地見を開示悟入せしめんが為なり。而るに如来、衆生の仏知見を開くべき先相を照見して出世し給う。故に「相如是が第一の大事」というなりと。一義に云く、十如是の中に於て、初めの如是相は別して実相の義を顕し、三千皆実相、相々宛然、深旨灼然たり。故に如是相は最も肝要なり。故に「第一の大事」というなりと。 一義に云く、即事而真、当位即妙は法華の深旨、円宗の洪範なり。故に「相如是が第一の大事」というなりと。
一義に云く、吾が祖、台家理具の分斉を簡んで一念三千、事々互具を顕す。故に今、「相如是が大事」というなりと。已上四義は日講なり。
一義に云く、仏出世し、善悪の因果を以て未来作仏の記を授けたまう事も、併しながら諸の法相の隠顕を能く明らかに照見したまう上の事なるが故に「相如是が大事」というなりと。これ日朝の義なり。
今謂く「相」とはこれ前相、瑞相なり。故に通じて一切に亘ると雖も、別して今いう所の「相如是」とは、正しく本化の地涌を指して「相如是」と名づけ、また出世の大事と名づくるなり。これ即ち本化の涌出は寿量の妙法の末法流布の瑞相なるが故なり。故に「智人は智を知る」等の文を引いて、以てこの義を証するなり。
外十六十九に云く「されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れには似るべくもなき大瑞なり」云云。大瑞豈相如是に非ずや。涌出品に云く「無量千万億の大衆の諸の菩薩、四方の地震裂して、皆中より涌出す。是の諸の菩薩衆、本未の因縁あるべし。無量徳の世尊、唯願わくば衆の疑を決したまえ。爾の時に仏、弥勒に告げたまわく、乃し能く仏に是くの如き大事を問えり」略抄と。弥勒は本化の涌出を問う。仏答えて「是くの如き大事」という。豈本化の涌出を「大事」と名づくるに非ずや。
問う、宗祖何ぞ両字を加えて「第一の大事」というや。
答う、凡そ「第一」とは最極の義なり。出世の大事を汎論するに即ち三意あり。
一には、迹門の顕実を出世の大事と為す。妙楽云く「但仏の出世は正しく顕実の為」とはこれなり。
二には、寿量の顕本を出世の大事と為す。天台云く「奇特の大事、慇懇丁重」とはこれなり。
三には、文底の秘法を出世の一大事と為す。秘法抄終に云く「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候はこの三大秘法を含みたる経にて渡らせ給えばなり」文。
此の如き三義、浅きより深きに至って第三、最極なり。然るに本化の地涌は、この第三の最極の秘法の末法流布の瑞相なり。故に「第一の大事」というなり。
問う、「智人は智を知る」等の引証の意は如何。
答う、この文に面裏あり。若し文の裏の意は迹化の不知の義なり。その相、前の如し。若し文の面は唯仏能知の義なり。今の引用は即ちこの辺なり。所謂「智人は智を知る」とは、上行菩薩等の大地より出現し給いたりしば、仏は元品の無明を断じたまうが故に智人といわれて、寿量品の南無妙法蓮華経のの末法に流布せんずる故に、この菩薩出現せりと知ろしめし召すという事なり云云。二十八巻九、往いて見よ。
一、一●あつまりて大海となる等文。(二八八ページ)
初めには釈尊の兼知の相を明かせり。この下は兼知符合を明かすなり。
一、日蓮が法華経を信じ始め等文。(同ページ)
文意に云く、日蓮が法華経を信じて題目を唱え始めしは一●・一微塵の如し。法華経を信じて二人、三人百千万億人、題目を唱え伝うるの程なれば等云云。これ則ち漸々に寿量の妙法、広宣流布すべし云云。
「仏に成る道」等とは、法華経を信じて題目を唱うるより外には、仏に成る道を求める事なかれとなり。文の中の「信」の字、「唱」の字これを思え。
十三日
(第三十三段 日本第一の大人)
一、問うて云く第二の文永八年等。(二八八ページ)
この下は三に勘文云云。「大集経」とは大集月蔵経第八十。
一、いたひとかゆきと申すはこれなり文。(同ページ)
かけば痛し、かかねば痒し。全くその如く、兼知符合すればその国亡びなんとす。若し符合せざれば法華経の行者なることを顕れず。故に爾云うなり。
一、提婆が虚誑罪文。(二八九ページ)
弘一中十七、止弘一本三十八、法蓮抄十五二。
一、瞿伽利が大妄語文。(同ページ)
大論十三十七、増一阿含十二巻五紙。註の所引の如し。
一、声をあげて申せしかば等文。(同ページ)
蓮祖、日月等を責め、国に験を顕したまう事は、これ大慈大悲の至りなり。具に王舎城抄三十四巻終の如し云云。
一、されば国土いたくみだれば等文。(同ページ)
これ閻浮第一の聖人を明かす中の第三、結文なり。
一、当世には日本第一の大人なり文。(同ページ)
「大人」とは大聖人という事なり。故に開目抄上十一に云く「仏世尊は実語の人なり故に聖人・大人と号す、乃至此等の人人に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは・申すぞかし」文。これを思い合わすべし云云。
(第三十四段 外難を遮す)
一、問うて云く慢煩悩等文。(二八九ページ)
この下は下難を遮するなり。
一、七慢。(同ページ)
一には慢。他に劣れるに己れ勝ると謂う。
二には過慢。他に等しきに己れ勝ると謂う。
三には慢過慢。他の勝れるに己れ勝ると謂う。
四には我慢。我と我が所に執す。
五には増上慢。未だ得ざるに得たりと謂う。
六には卑慢。他の多分に勝れるに己れ少しく劣れりと謂う。
七には邪慢。徳なきに徳ありと謂う。
今略して意を取ってこれを示す。「九慢」は「七慢」の中の慢過慢、卑慢より出ずるなり。「八慢」とは一には色●、二には盛壮●、三には富●、四には自在●、五には姓●、六には行善●、七には寿命●、八には聡明●。
一、徳光論師は弥勒菩薩を礼せず文。(二八九ページ)
西域四十二。天軍羅漢の神力に由り兜率天に摂して、慈氏の比丘像に非ざる見、これを礼せざるなり。当に知るべし、比丘の俗を礼するに略して三意ありと。
一には涅槃経六二十五に、知法の者を礼するは、これ敬法の志を顕すが故なり。
二には浄名弟子品に、比丘、浄名を礼するは、これ聞法の恩重きが故なり。名疏五六。
三には不軽菩薩の四衆を礼するは、仏性これ仏果に同じきが故なり。具に記第十三十二の如し。(追名義四五十)
一、大慢婆羅門は四聖を座とせり。(同ページ)
西域十一十三。大自在天・婆●薮天・那羅延天・大覚世尊の「四聖」なり。賢愛論師に責められて、現に無間に入れり。前の如し。
一、大天は凡夫にして阿羅漢となのる文。(同ページ)
註七四十九に、甫註十四、大婆沙九十九巻を引く。俗に在るの時、三逆罪を作る。出家の後、五悪見を生ず。死ぬる時焼けず。狗糞を酒穢して焼く等云云。
一、無垢論師が五天第一等文。(同ページ)
元小乗に於て出家し、五天竺に游び三蔵を学す。後、大乗を謗って心狂乱を発し、五舌重なり出でて熱血流涌す。その死処に当り、地陥ちて抗となる。羅漢見て云く「今此の論師、大乗を毀悪して無間の獄に堕つ」云云(西域四十五、註四十七)。謗法の相貎、顕謗法抄十二三十二に内外相対・大小相対・権実相対してこれを明かす。また迹本相対・種脱相対してこれを明かすべきなり。
一、鉄腹が再誕か文。(二八九ページ)
大論十一六にいう。鉄を以て腹に●す。所学甚だ多く、腹を破裂せんことを恐れてなり。また頭上に火を載す。これ世上愚痴の大闇を破るとなり。
一、現に勝れたるを勝れたりという乃至大功徳なりけるか文。(同ページ)
これ即ち今経の妙用を顕すが故なり。二十八十に云く「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり(乃至)此れ偏に日蓮が貴尊なるに非ず法華経の御力の殊勝なるに依るなり、身を挙ぐれば慢ずと想い身を下せば経を蔑る松高ければ藤長く源深ければ流れ遠し」等云云。天台云く「法妙なるが故に人貴し」と云云。御書三十十四に云云。
十五日
一、伝教大師云く等文。(同ページ)
秀句下十紙の文なり。
一、強盛に信じて而も一分の解なからん人人等文。(二九〇ページ)
経に「有能受持」という、故に無解有信に約するなり。これ即ち「信力の故に受け、念力の故に持つ」の故なり。
一、彼の人人は或は彼の経経等文。(同ページ)
第一の句は色心倶に移るの人なり。嘉祥等の如きなり。第二の句は心を移して身を移さず。慈恩等の如し。第三の句は色心倶に移らず。善導・法然等の如し云云。
一、されば今法華経の行者は心うべし文。(同ページ)
意に云く「有能受持」等の文は第八の譬の下に在りと雖も、十喩の一一の下にこれありと心得べしとなり。
一、又衆星の中に(乃至)如く文。(同ページ)
問う、何ぞ別して大海、月天の二喩を挙げぐるや。
答う、大海の譬の如き、且く二意を明かさば、一には竪に深く横に広し。これ蓮祖の慈悲の広大を顕す。二には大海は平等なれども死屍を留めず。これ慈悲は平等なれども謗者を度せざるを顕すなり。三十三九云云。次に月の喩の如きは、これ蓮祖の三徳を顕すなり。謂く、月は虚空に住し能く諸の闇を除き、能く万物を育つ虚空に住するはこれは主君の徳なり。闇を除くはこれ師の徳なり。万物を養うはこれ親の徳なり。然りと雖も、別してこれを論ぜば但これ師の徳なり。故に経に「照明」というなり。
一、日蓮は満月のごとし文。(二九〇ページ)
「満月」はこれ妙覚究竟の譬なり。会疏十八五、文三九十三。また信心の厚薄に約す。三十三十二に云く「法華経を深く信ぜざるは半月の如し。深く信ずる者は満月の如し」等云云。「伝教大師の云く」とは、秀句下十三の文なり。
(第三十五段 現証の文を引く)
一、梵王にもすぐれ帝釈にもこれたり等文。(二九一ページ)
「梵王にもすぐれ」とはこれ親徳を顕すなり。「帝釈にもこえ」とはこれ主徳を顕すなり。今師徳を挙げざるは、次上の「満月」の譬は即ち師徳なるが故なり。
一、讃むる者は福を安明に積み文。(同ページ)
啓蒙に云く「此れ伝教の釈の名言なるが故に、我が祖も執し思召し、御本尊にも処々に遊ばせり」等云云。此等の義を以て彼が胸中を知れ云云、云云。
今謂く、本尊の讃にこの文を引く意は、自受用身即一念三千なるが故なり云云。秘すべし、秘すべし。
一、日蓮今生に大果報なくば等文。(同ページ)
既にこれ閻浮第一の法華経の行者なり。既にこれ閻浮第一の智人なり。既にこれ閻浮第一の聖人なり。既に末法下種の教主と顕れ給えり。豈大果報に非ずや。
経に云く「是くの如き大果報、種々の性相の義。我及び十方の仏乃し能く是の事を知れり」文。
一、我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ文。(同ページ)
十八日
(第三十六段 御身の符合を明かす)
一、抑も此の法華経の文等。(二九一ページ)
この下は蓮祖の御身、二経の文に符合するを顕すなり云云。
一、但無上道を惜しむ文。(二九一ページ)
一には権実相対、方便品の「但無上道を説く」の文これなり。二には本迹相対、寿量品の「得入無上道」の文これなり。三には種脱相対、文底下種の妙法は無上の中の無上なり。御義上三十に云く「今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」等云云。
一、涅槃経に云く等文。(同ページ)
会疏九二十。
一、譬えば王使(乃至)如し等文。
論語三五十一、要言古事九四十五、語園下三十三等。
一、寧ろ身命を喪う文。(同ページ)
藺相如、強き秦に使す。註千字上四、三国伝二八、源平盛衰記二十八九に云云。此等は且く化他の為に事を引いてこれを示すか。
一、答えて云く予が初心の時の存念等文。(同ページ)
この下は三と為す。初めに簡び、次に「経文に我不」の下は正釈、三に「此の事は今の」の下は結。第二の正釈にまた三あり。初めに法華の怨敵を示し、次に「法華経の第五」の下は法華の行者を示し、三に「而るを又」の下は身命を愛せざることを示す。
一、霊山浄土等文。(二九二ページ)
これ結文なり。寿量文底の最大深秘の大法・十界具足の大本尊、冥に顕に守護し給うなり云云。これ元意なり。
撰時抄畢んぬ。
維れ時、正徳六丙申年三月十八日
上野学頭 大貮日寛(華押)