開目抄
解説
身延曾存御書。『日乾目録』に「『開目抄』六十五紙」とあり、更に日乾の綿密な対校本が本満寺に所蔵されている。『日意目録』に「『開目抄』御草案」とあり、草案の可能性もある(山上弘道「日蓮大聖人の思想」『興風』13号23頁以下往見)。日興の本書の抄写本たる『開目抄要文』が北山本門寺に所蔵され、また日全の『法華問答正義抄』第五・第八・第十・第十三に引用される。主な写本としては『日大本』京都府要法寺蔵、応永十六(一四〇九)年精進院『日道本』(上巻のみ)、応永二十三年(一四一六)好学院『日存本』が尼崎本興寺に、同じく応永二十三年『日出本』(上巻のみ)が鎌倉本覚寺に、享禄元年(一五二八)平賀日意本が本土寺に所蔵される。なお、@「於是維摩詰問文殊師利何等為如来種文殊師利言○貪恚癡」二行断片、新潟県治暦寺蔵(『日蓮の佐渡越後』128頁・本間守拙)、A「下一偈是上慢出家人第三或有阿練若三偈即是出家處攝一切悪人○常在」三行断片、神奈川県若松重知氏蔵(『日蓮教学研究所紀要』6号巻頭写真)は、字体・一行文字数・行取り・圏点の有り様などが共通し、同一文書の可能性があり、かつ@は『維摩経』の文で『開目抄』(『定本』544頁)に極近似の引文があり、またAは『法華経疏義讚(糸偏)』の文で同じく『開目抄』(『定本』591頁)に引文されている。『維摩経』の文は『開目抄』のみであることから、この両断簡の全体像は、「開目抄」の土台となるべき引用文集か、或は日興の『開目抄要文』の類の引文集的なものではなかったかと思われる。/本書は「種々御振舞御書」に「去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。」とあるように、佐渡の塚原三昧堂に到着して(「種々御振舞御書」によれば塚原には十一月一日に到着)直に執筆にとりかかられている。それはこの時宗祖並びに門下が抱えられていた問題について、一刻も早く回答を与える必要があったからに他ならない。その問題とは第一に「八宗違目抄」に見られる本尊論(仏身論)と成道論について、天台法華宗の伝統的立場を一念三千法門から説き起こし、それと似て非なる真言・華厳両宗を破折すること、第二に「転重軽受法門」「寺泊御書」に見られる如く、法華経の行者が何故に法難に値うのか、その理由をしっかりとした理論的根拠を以って内外に示すこと、以上二点が挙げられるであろう。第一の問題については冒頭一切衆生の尊敬すべきものとして、主師親三徳兼備の教主釈尊が挙げられる。これは「八宗違目抄」に見られるように、各宗の本尊は三身相即三徳兼備の教主釈尊ではなく、それ自体父を知らぬ禽獣に同ずる者であることを示す意味があるものと思われる。次で儒家・外道、仏教と浅きより深きに至り、『法華経』こそ一代説教の肝要であり、更にその本門『寿量品』より天台は一念三千法門を開出されていることが順次示されている。そして『法華経』の肝要は迹門二乗作仏と本門久遠実成であり、一念三千法門は迹門の十界互具十如実相から説き起こされ、久遠実成本仏の本因本果が顕われる本門『寿量品』を俟って始めて成り立つものであることが示される。これは天台法華宗の伝統的本仏論・一念三千論を示すと同時に@久遠実成の三身相即三徳兼備の釈尊を無視し、或いは同等に置く真言・華厳両宗の法身仏を破折する意味と、A本仏が定まらぬ故に下種が定まらず、況や二乗作仏という凡夫成道の理論的根拠を持たぬ華厳・真言の名ばかりの即身成仏論を破折する意味とを合わせ持っている。第二の問題である大難の意義については@勧持品の色読A不軽菩薩の折伏B不軽菩薩の罪業観(転重軽受法門)C神天上法門の四項に集約することができる。@『勧持品』の色読については、『宝塔品』の三箇の勅宣並びに『提婆品』の二箇の諫暁(五箇の鳳詔)を受けての、『勧持品』の八十万億那由陀の菩薩の滅後此土弘経の誓願が示された上で、特に三類の強敵が具体的に示され(第一俗衆増上慢は第二第三の檀越・第二道門増上慢は法然等邪見の僧・第三僣聖増上慢は現前の良観・聖一・念阿等)、それらが経文の如くに現前にある以上、法華経の行者も現に無くてはならず、日蓮とその一門こそがそれにあたるとの確信が示されている。A不軽菩薩の折伏については、国主が正法受持を拒絶した故に、その勢力による折伏を望むことが不可能となった現実を踏まえられ、そうした謗法の国においては、不軽菩薩の如く難を忍び下種結縁することを本としなければならず、日蓮が一門はそれを行っているというのである。B不軽菩薩の転重軽受は「転重軽受法門」に示された如く、過去法華経誹謗の罪により本来地獄に堕つべきを、『法華経』に縁し、弘経の故に諸難を受けることによってそれを逃れるというものである。宗祖が罪の意識に立たれていることに(自身逆縁の機であることの認識)注意すべきである。 C神天上法門は、「立正安国論」以来の、謗法の国故に善神国を去り、たよりを受けて悪鬼が乱入する故に、法華経の行者は難を受け諸天善神もそれを助けることができないというものである。これは難を受ける理由もさることながら、現在の日本国が逆縁謗法の国であるとの認識を確定する意味を併せ持っている。すなわちこれ以降宗祖の法義は、日本国が逆縁の国であり、衆生も逆縁の機であるという前提に立って建立されているのである。以上を述べ来たり、宗祖は自身と門下に諸難が競い起ころうとも、このような確信を持ち疑う心を捨てて精進するならば、成仏は疑いないものであると強く訴えられ、更に自身日本国の主師親であるとの自覚を披瀝して筆を置かれている。本書は 番号275「三沢抄」に「又法門の事はさどの国へながされ候し已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」(『定本』2巻1446頁)といわれるように、折伏において新たな境地に立たれ、天台法華宗の一念三千論を法華経本迹二箇の大事により具体的に示され、日本国を逆縁と規定されるなど、その後の法義の重要な基点となっている。但し、未だ叡山天台宗の立場であること、本化上行の自覚には立っていないこと、従って台当異目はなく本門思想も台家の立場において示されていることは、注意しておくべきである。
◆目次 /
第一章 主師親と儒外内 / @儒教 / A儒教の役目 / B外道 / C外道の役割 / D仏教 / E法華経の真実 /
第二章 一念三千と仏法の盗用 / @一念三千の法門 / A仏法の盗用と天台大師 /
第三章 諸宗の邪見と天台宗の衰退 / @諸宗の邪見と伝教大師 / A天台宗の衰退 /
第四章 二乗作仏 / @法華経と二乗作仏 / A爾前経での二乗不作仏 / B法華真実の証明 / C法華経と諸経の相違 / D仏滅後と二乗作仏 /
第五章 久遠実成 / @諸経不説の久遠実成 / A久遠実成の明文 / B久遠実成と真実の一念三千 / C久遠実成の難信 / D法相宗と二乗作仏 / E華厳・真言両宗と久遠実成 / F仏滅後の宗教的混乱 /
第七章 法華経の予言の色読 / @打ち続く法難/ A二十行偈の色読 /
第八章 諸天不守護の疑問 / @一大事の疑問 / A報恩と行者守護 / B二乗の受難 / C法華経の法恩 / D守護の必定と未遂 /
第九章 迹門の師弟関係 / @弟子としての釈尊 / A具足道と十界互具 /
第十章 本門の師弟関係 / @分身の諸仏 / A地涌の菩薩の出現 / B弥勒たちの疑い / C久遠実成の開顕 /
第十二章 一念三千の仏種と守護の必定 / @諸経不説の一念三千の仏種 / A一念三千の盗用 / B諸師の帰順 / C守護の必定と再疑 /
第十三章 五箇の鳳詔と法華経の行者の確認 / @三箇の勅宣 / A三箇の勅宣の意味 / B六難九易と諸宗 / C依法不依人 / D已今当の三説超過 / E諸経の類文 / F類文と法華経との勝劣/ G諸経の勝劣を知る / H二箇の諌暁 /
第十四章 未来記の明鏡 / @本書の撰述 / A三類の強敵の明文 / B強敵の末法出現 / C未来記の実現 / D第一類の俗衆増上慢 / E第二類の道門増上慢 / F種々の善悪 / G第三類の僣聖増上慢 / H達磨禅師のこと / I念仏宗と禅宗 / J法華経の行者と日蓮 / K不守護の疑難と応答 /
第十五章 宿業による受難と立願 / @現罰がない三つの理由 / A三大誓願 /
第十六章 受難による滅罪と成仏 / @過去の謗罪と転重軽受 / A自然と梵天に至る貧女 / B一念三千の仏種 / C疑うことなかれ /
第十七章 摂受と折伏 / @摂折二門の明文 / A摂折二門の選択 /
第十八章 三仏の慈悲と日蓮の三徳 / @三仏の慈悲 / A日蓮の三徳 /
そもそも、生きとし生ける者がかならず尊重しなければならないものが三つある。それは主徳と師徳と親徳である。また、かならず学ばなければならない教えが三つある。それは儒教と外道と内道たる仏教である。
@儒教
まず儒教では、古代中国で理想的な政治を行なった伏羲(ふっき)・神農(しんのう)・黄帝(こうてい)の三皇、これにつぐ少昊(しょうこう)・琢(せんぎょく)・帝K(ていこく)・尭・舜の五帝、さらに夏(か)の禹(う)王・殷の湯(とう)王・周の文王あるいは武王の三王、これらを天尊と呼ぶ。数多くの臣下の指導者であり、すべての人民に幸せをもたらす架け橋である。三皇以前の人々は自分の父を知ることがなく、人間でありながら動物となんら変わることがなかった。五帝の時代以後になると人々は父母を尊敬し、孝の倫理が行なわれるようになった。たとえば、後に舜王となった重華(ちょうか)は見苦しい所行のあった父の瞽叟(こそう)を敬い、漢の高祖となった沛公は帝位についた後も父王に礼した。周の武王は父・西伯の木像をかかげて殷の紂王を討ち、後漢の丁蘭は、十五才の時に早世した母の木像を造り、生前同様に給仕した。これらはみな孝行の模範である。比干は殷の国が滅ぶことを憂いて、自分の甥にあたる紂王を諫めたが容れられず、妃の妲己(だっき)の讒言(ざんげん)により首を切られた。他国への使いから帰った公胤(弘演)は、敵に惨殺され、捨てられた主君・懿公の肝を見て、思わず自分の腹を切ってそれをおさめて、息を引き取った。これらは忠の鑑(かがみ)というべきである。尭王は尹伊(尹寿)を師とし、舜王は務成に従い、文王は太公望に導かれ、孔子は老子に学んだ。これら尹伊などの人々は四聖と呼ばれる。国王さえも頭を下げ、すべての民は合掌して尊敬の心をあらわす。
そんな聖人たちにはそれぞれ、三皇には三墳、五帝には五典、三王には三史などというように、総計三千余巻の著作があり、その主張の要点は三玄にまとめられる。三玄とは、第一には「有の玄」。すべてのものは太極という有から生じるという説で、周公旦や孔子の主張である。第二は「無の玄」。あらゆるものは無から生じるという義で、老子などの教えである。第三には「亦有亦無の玄」。自然を本として、一切が有にしてまた無であるという哲理で、荘子の所論である。この場合の玄とは黒という意味である。我々の人間存在の根源について、孔子は天地混沌の元気から成立すると説き、老子や荘子は貴賤・苦楽・是非・得失などの差別はみな無為自然であり、天命であると主張した。このように一見たくみに宇宙万象の起源は説くけれども、過去世や未来世のことには少しも通じてはいない。玄とは黒色であり、微(かす)かであるというのも、そのような明らかでないさまを玄と称しているだけである。結局は、この現在の世を知っているに過ぎないといえる。彼らは現世において仁義の道を立て、これによって各自の身を守り、国の安泰を図ろうとする。また、その仁義に相違すれば一族一家が亡びるなどと教えるのである。周公旦や孔子などという人々はみな賢人であり、聖人であるけれども、過去も知らないし、未来を洞察することもない。あたかも凡人が自分の背中を見ることなく、目の不自由な人がみずからの前を見ないのと同様である。ただ現在世において、一家を治めて父母に孝養を尽くし、ひたすらに仁・義・礼・智・信の五常を守り行なえば、隣人も尊敬し、名声も国中に高まる。すると、賢明な王に召されて臣下となり、師となり、また国王の位を譲られ、諸天も来下して守護すると教える。かの周の武王には太公望・周公旦・召公ワ(せき)・畢高公・蘇忿生の五老が集まり、後漢の光武帝には天の二十八宿が二十八人の将軍となって仕えたというのは、この例である。けれども、現在世ばかりで過去世も未来世も知ることがないために、父母や主君や師匠の未来世に安楽をもたらして、その恩に報いることはできない。したがって、本当の意味での賢人・聖人ではない。
A儒教の役目
孔子が、「漢土には賢人や聖人の名に値する人はいない。西方のインドに仏陀という方がおられる。その人こそまことの聖人である」といって、みずから立てた儒教を仏教への入口としたのも、このような意味からである。したがって、孔子が礼儀や音楽などを教えたのは、後に渡来する仏教の基本である戒・定・恵を受け入れやすくするためであって、王と臣下との関係を教えて尊卑の違いを示し、父母の恩を教えて孝の大切さを知らせ、師匠の徳を教えて帰依の重要さを分からせた。それゆえ、妙楽大師は「漢土に仏教が流布したのは、儒教の下地のおかげである。かの礼楽の思想が先駆けとなったので、真の教えである仏教が後に弘まった」と述べ、天台大師は「金光明経は『世間の人々を利益するあらゆる教えは、みなこの経に基づいている。だから、もし深く世間の道理を知れば、そのままにして仏法の教えである』と説いている」と示している。
また、「摩訶止観」に引かれた「私は三人の聖者を遣わして、漢土を教化する」という仏の言葉について、妙楽大師は「清浄法行経によれば、月光菩薩は彼処(かしこ)に出現して顔回と名乗り、光浄菩薩は彼処で仲尼(孔子)と称し、迦葉菩薩は彼処では老子と現れた。ここではインドから漢土を指して彼処といっている」と解釈している。
B外道
第二はインドの外道である。外道の教えでは、三つの目と八本の臂をもつ摩醯首羅天(大自在天)と四本の臂をもつ毘紐天の二天を、すべての人々に慈悲を与える父母とし、天尊・主君と称している。
また、数論(すろん)派の祖・迦毘羅、勝論(かつろん)派の祖・・楼僧、ジャイナ教の祖・勒娑婆の三人を三仙と崇める。三仙は釈尊が出世される以前、およそ八百年前後の仙人であるが、彼らの所説は四韋陀(ヴェーダ)と称し、数は六万蔵あるとされる。その教えは漸次流布し、釈尊が出世した頃には有名な六師外道がその聖典を習い伝えて、インド諸国の師となり、その分派は九十五、六にも及んだ。
諸流はさらに分派を続け、各自が慢心して高く挙げた旗は三界最高の非想天(有頂天)をも突き通す勢いであったし、自説に執着する心は金や石よりも固かった。その思想は儒教に比べれば深く勝れていた。彼らは、過去世の二生・三生から七生、さらには八万劫の過去を見通し、また未来世も八万劫の先まで知ることができると主張した。教えの根本は三つに大分され、一つは原因の中に結果があるという数論派の説、次は原因の中には結果がないとする勝論派の説、三つ目は原因の中に結果があったりなかったりするという尼乾子の説であり、これらが外道の説く極理である。彼らの中でも、すぐれている者は五戒や十善戒などを守って初門の禅定を修行し、天上の色界・無色界の最高にある非想天に涅槃があると思い定め、尺取虫のようにせめのぼるものの、その果報が尽きたとたんに、非想天から地獄・餓鬼・畜生の悪道に堕ちてしまう。その結果、一人として涅槃を得て天に留まった者はいないが、彼らは天に到って涅槃を得た者は再び生死の世界に戻ることはないと考えている。
また、それぞれ師匠の教えを正しいものと信じ込み、解脱を求めるために、冬の寒い頃に一日に三度もガンジス河の水を浴び、髪の毛を抜き、石に身体を打ちつけ、身体を火中に投じ、頭と手足を火で焼いたりした。
あるいは全裸で生活し、馬を数多く殺せばそれだけの福を得ると説き、草木を火で焼き、すべての木を礼拝したりした。このようなさまざまな邪悪な教えは数えることができない。彼らがみずからの師を敬うことは、あたかも諸天が帝釈天を尊敬し、数多くの臣下が皇帝を伏拝する姿と変わらない。けれども、九十五種にも及ぶ外道の教えによって、生死の苦しみを脱れた者は一人もいない。善い師について修行しても、二度や三度の生を受けるうちには悪道に趣いてしまうし、悪い師についた日には、次の世で必ず悪道に堕ちてしまう。
C外道の役割
そんな外道の最も大切な役割も、仏教に入る前段の方便たることにある。それゆえ、ある外道は「千年の後に仏陀が世に出現するであろう」といい、ある外道は「百年の後、仏陀が出現する」などといっている。涅槃経の如来性品にも「世間に流布するすべての外道の経典はみな仏の教えであって、決して外道の考えによるものではない」などと説かれ、法華経の五百弟子受記品にも「仏弟子は人々に対して、時には貪・瞋・痴の三毒を起こして見せ、時にはよこしまな見解をもっている姿を現わす。私の弟子たちはこのような方便を示して人々を教導する」と説かれている。
D仏教
第三は、釈尊が説かれた仏教である。世尊はすべての衆生の大導師であり、迷いを開く大眼目、煩悩の河を渡す大橋梁、生死の海を運ぶ大船師、功徳の種を植える大福田である。儒教の四聖や外道の三仙も聖人(せいじん)と呼ばれているが、実際は見思・塵沙・無明という三つの根本的な煩悩をいまだ断ちきっていない凡夫であり、また名前だけは賢人というものの、因果の道理を知らないことはまるで赤子のようである。そんな人たちを船と頼んで、この生死流転の大海が渡れようか。そんな教えを橋として、六道の迷いの河を超えることは不可能である。大いなる我が師の釈尊は、三界の外にある精神的な生死も超えられた。ましてや、三界の中の肉身の生死はいうまでもない。迷いの根本である無明惑さえ断ち切ってしまわれたのだから、どうして見惑や思惑という枝葉の煩悩などあろうか。この釈尊は三十歳で悟りを開き、八十歳で入滅なされるまで、五十年間に数多くの教えをお説きになった。その教えの一字一句のすべてが真実の言葉である。一文一偈、全く虚妄の言葉はない。儒教や外道の聖人・賢人の言葉にすら誤りはなく、その中の事実と意味は一致している。まして、釈尊は限りなく遠い昔から決して虚妄の言葉を語らない方であるから、その一代五十余年の間に説かれた教えは、儒教や外道に比べてあまりにも偉大である。まったく大いなる聖者の真実の言葉といわざるをえない。はじめて開悟されてから入滅に至るまで、説き示された教えはすべて真実である。
E法華経の真実
ただし、一歩仏教の中に分け入って、五十余年に説かれた数多くの経典について考えてみると、小乗もあれば大乗もあり、方便の経典もあれば真実の経典もある。また、顕露に説かれた教えと秘密に説かれた教え、穏やかな言葉と荒々しい言葉、真実の言葉と虚妄の言葉、正しい見解と間違った見解などの、さまざまな違いがある。その中で、ただ法華経だけが教主釈尊の正しい言葉であり、三世および十方の世界にましますすべての仏の真実の言葉である。釈尊が、法華経以前の四十余年に説いた数多くの経典を指して「私はまだ真実をあらわしていない」と語り、最後八年間の法華経にこそ「必ず真実を説くであろう」とおっしゃったところ、多宝如来が大地の下から現われて「この法華経はすべて真実である」と証明した。また、十方の世界から来集した分身の諸仏も、長く出した舌を梵天にまで届かせて、その真実の証明を助けた。この釈迦・多宝・分身の三仏の言葉は、この上なく明るく光り輝いている。晴天にかかる太陽よりも明らかであり、まるで夜空に輝く満月のようだ。仰いで信ぜよ。伏して拝すべきである。
@一念三千の法門
ところで、この法華経には二乗作仏と久遠実成という二つの大切な法門がある。倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗などは、その名前すらも知らない。一方、華厳宗と真言宗の二宗には元来その法門はないが、ひそかに盗み取って、いつしかそれぞれの宗旨の重要な教義としてしまった。
天台大師が摩訶止観に示した一念三千の法門は、ただ法華経本門の中心である如来寿量品の経文の奥底に沈められている。竜樹や天親の菩薩たちは知ってはいたが、その教えを取り出さなかった。ただ、わが天台大師だけが一念三千の教えを経文の底から拾い出して、心の中におさめた。一念三千の法門は、十界のそれぞれが他の九界を互いに具え合うという十界互具の考えから展開する。法相宗と三論宗は八界を立てるが、真実の仏・菩薩の二界を知らないので十界を立てることができない。ましてや、十界の互具などどうして知ることがあろうか。倶舎宗・成実宗・律宗などは小乗の阿含経によって教えを立てる。だから、地獄界から天界までの迷いの六界は明かすが、声聞界から仏界に至る悟りの四界は知らない。また、十方世界の中に釈尊の一仏だけがましますと説いて、十方それぞれの一世界ごとに仏がおわすことさえ認めない。まして、一切衆生にはみな仏性があるという教えなど説くわけがない。このように、小乗の教えでは一人の者が仏性を具えることすら許さないのである。
A仏法の盗用と天台大師
ところが、今の律宗や成実宗などが、十方世界にそれぞれの仏がましますとか、すべての衆生に仏性があるなどと主張するが、それは仏滅後の学僧たちが大乗の教義を盗んで、それぞれの宗旨にとり入れた結果に他ならない。たとえば、中国の外典やインドの外道などでも、釈尊が出現する以前の外道の間違いなどは取るに足りないものだった。ところが、釈尊が出世されてから後の外道は、仏教を見聞してみずからの教義の欠点を知り、巧妙に取りつくろう心を起こし、仏教の教えを盗み入れて教義を立てたので、その間違いは救いがたいものとなった。仏法に付随してあやまりの度合いを高めた「附仏教成の外道」や、仏法を学びながら邪見に陥ってしまった「学仏法成の外道」といわれる人たちである。これは中国の外典についても同様である。漢土に仏法がまだ渡来しなかった頃の儒教や道教は素朴なもので、赤子のように弱々しいものであったが、後漢の明帝の永平十年(西暦六七年)に仏教が渡来して、道教との論争などに勝利し、仏教が徐々に世間に弘まるにつれて、仏教の僧侶が戒律を破って俗人に戻ったり、または俗人と心を合わせたりした者が、儒教の中に仏教を巧みに盗み入れたのである。天台大師は摩訶止観第五に「今の世には多くの悪魔の僧がいて、彼らは戒律を守れずに俗人に還り、処罰されるのを恐れて道教家となる。また、名聞名利を求めて荘子や老子の道を誇らしげに語り、仏教の教えを巧みに儒教や道教などの典籍に取り入れ、高貴な教えと下卑た教えをごっちゃにして、かきならして平等にしてしまう」と述べている。妙楽大師は止観弘決に、これを次のように解釈している。「出家の身でありながら、仏法を破滅する者がいる。また『戒を退き家に還り』とは、周の武帝に廃仏を上奏した衛の元嵩らをいう。彼れは還俗した身で仏法を破壊した。これらの者は仏教の正しい教えを盗み取り、儒教や道教の邪典に付け加えた。『高を押して下に就け』とは、道教家の立場から仏教と道教をかきならし、邪と正の教えを一緒くたにすることをいう。しかし、そのような道理は本来あり得ない。むかし仏法の門にいた者が正しい教えを盗み取って邪義を助け、八万法蔵・十二部経からなる仏教の高い教えを、わずか五千余言・上下二篇の道教の低い教えに押し込み、よこしまでいやしい道教を勝れているように解釈するさまを、『尊を摧きて卑に入れ』とはいうのである」と。この解釈を見よ。先ほどの仏法盗用の意である。これは仏教内部の場合も同じである。後漢の永平十年に中国に仏教が渡来し、対論の結果、邪典たる道教等が破れて仏教が流布した。そして、揚子江の南の三師と黄河の北の七師が現われ、十師それぞれが仏教の解釈を異にして対立したが、陳・隋の代に出現した天台大師が、それらの異なる見解を平定して法華教学を打ち立てたので、仏教は釈尊已来、再び一切衆生を救済するに至った。
@諸宗の邪見と伝教大師
その後、法相宗と真言宗がインドから伝わり、華厳宗も再び宣揚された。これらの諸宗の中で、五性各別を標榜する法相宗と、法華一仏乗をかかげる天台宗の対立は激しく、両宗の教義は全く交わるところがなかった。ところが、玄奘三蔵とその弟子の慈恩大師が天台大師の法華経の解釈を詳しく見て、自分たちの見解の間違いを認めたのであろうか、法相宗を捨てこそはしないが、その心は天台宗に帰伏したように見える。華厳宗と真言宗とは、もともとは真実の教えを説くための方便として仮りに説かれた権経に依って立てられた権宗である。ところが、真言宗の祖師たる善無畏三蔵や金剛智三蔵が、天台宗の一念三千の教義を盗み入れて真言宗の肝要とし、その上に印と真言という事相を加えて、真言宗は天台宗より勝れていると主張した。そうした事情を知らない学者たちは、インド以来もともと大日経の中に一念三千の法門があったものと思い込んでいる。一方、華厳宗は清涼大師澄観の時に、華厳経の「心はすぐれた画家のように、森羅万象のすべてを造り出す」という経文の解釈に、天台宗の一念三千の法門を盗み入れた。ただ、これについても事の子細を知る者は誰もいない。わが日本国には、華厳・法相・三論・倶舎・成実・律の南都六宗が天台宗や真言宗よりも早く伝えられた。六宗のうち、大乗の華厳・三論・法相の三宗の主張は水火のようにあい反目し、一乗か三乗か、空か有かなどの論争を繰り広げた。そんな中、伝教大師が現われて、南都六宗のまちがった見解を破折したばかりか、真言宗が天台宗の法華経の極理を盗み取って、自宗の肝要としたさまを天下に示した。伝教大師は各宗の学僧のかたよった見解に対して、ひとえに仏説の経文を押したてて批判を加えられたので、南都六宗の高僧以下の三百余人や弘法大師らもその正義に責め落とされ、日本国の人びとすべてが天台宗に帰依して、南都七大寺や真言宗の東寺をはじめとする日本全国の諸寺は、みな比叡山延暦寺の末寺となってしまった。
また、伝教大師が著した依憑天台集によって、中国の諸宗の元祖たちが内心では天台大師に帰伏して、正法を誹謗する罪過を免れたことも明らかになった。
A天台宗の衰退
ところが、その後、だんだんと時代が衰退して人の智慧が浅くなるにつれ、天台宗の深遠な教義は見失われていった。
また、他宗のそれぞれの宗義に対する執着心が強くなり、その分、天台宗は徐々に南都六宗や真言宗に落とされて弱体化して、結局はそれら諸宗の勢いにも及ばなくなった。さらに、取るに足りないはずの禅宗や浄土宗にも追い越され、最初は在家の信徒がだんだんとかの邪悪な宗旨へと移っていき、
最後は天台宗の碩学・高僧と仰がれる人々もみな禅宗や浄土宗に落ち移って、邪悪な宗旨を助ける形になった。そのうちに、南都六宗と天台・真言の二宗の寺領はみな禅宗と浄土宗に奪われて、天台宗の正法は滅びてしまったのである。そのため、日本国を守護するはずの天照太神・八幡大菩薩や比叡山を守護するはずの山王権現などの諸天善神も、法華経の妙味を嘗めずに威光が失われたのか、それとも謗法の国土を見捨てて去ってしまわれたのか、悪鬼がその代わりに勢力を増して、この国はまさに滅びようとしている。
そこで、私の見方で、釈尊一代五十年の説教のうち、法華経以前の四十数年間に説かれた諸経と最後の八年間に説かれた法華経との違いを考えてみると、相違は数多くあるものの、まず一般の学者も認め、私自身も確かにそうだと納得できるのは、法華経迹門の「二乗作仏」と本門の「久遠実成」の両説の有無だろう。
@法華経と二乗作仏
まず、二乗作仏について具体的に法華経の文を拝見すると、最初に舎利弗が釈尊から将来の世に華光如来として成仏する保証を与えられた。引き続いて、迦葉が光明如来、須菩提が名相如来、迦旃延が閻浮那提金光如来、目連が多摩羅跋栴檀香如来、富楼那が法明如来、阿難が山海慧自在通王如来、羅ラ羅が蹈七宝華如来、五百・七百の比丘・阿羅漢が普明如来、学・無学二千人の声聞が宝相如来、摩訶波闍波提比丘尼と学・無学の比丘尼六千人らが一切衆生喜見如来、耶輸陀羅比丘尼が具足千万光相如来というように、それぞれの名のもとに将来世において成仏する保証を仏より授けられた。これらの人々は、法華経を拝見申し上げる限りでは尊いように見えるが、法華経以前の諸経典をひらき見ると、彼らは成仏できない者と説かれており、驚きととまどいを禁じえない。なぜかといえば、仏はまことの言葉を語る聖者である。それゆえ、聖人(しょうにん)とか大人(だいにん)とよばれる。中国の儒教やインドの外道でも、賢人・聖人(せいじん)・二天・三仙などは、まことの言葉を語るという意味で付けられた名前であろう。仏はこれらの人々とは比べようがないほど、最も真実の言葉を語るからこそ、大人と称し申し上げるのである。その大人たる釈尊が、法華経の方便品で「仏はただ法華経を説くために、この世に出現する」と明かされ、無量義経の説法品には「私はこれまでの四十余年間には真実を説きあらわしていない」、方便品第二には「仏は長い間の権経の後、必ず真実を説かれるであろう」「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説き明かす」などとそれぞれ述べられた。それに対して、多宝如来は「みなこれ真実である」と証言し、十方分身の諸仏は広長舌相を示して経文の真実性を助証した。これほどの経典であれば、舎利弗が華光如来になり、迦葉が光明如来になるという成仏の保証に、一体誰が疑問を起こすであろうか。
A爾前経での二乗不作仏
ところが、法華経以前の諸経典もまた仏が語った真実の言葉である。華厳経には次のように述べられている。「仏の智恵は大薬王樹に譬えられるが、この樹は二つの場所では生長することができない。それは、無余涅槃という広く深い穴に堕ちている二乗と、大きな邪見と貪愛の水に溺れている断善根の一闡提である」と。この経文の意味は、ヒマラヤの山の頂きに大樹があって無尽根という。また、大薬王樹と称して、この世界のあらゆる樹木の中の大王である。高さは十六万八千由旬あり、世界のすべての草木は、この木の根の伸び具合や枝・葉・華・果実の生長度合いに応じて、それぞれの華が咲いて果実が実るのである。仏はこの大薬王樹を仏性に譬え、すべての人々を一切の草木に譬えている。ただ、この大樹は火の穴と水の輪の中では生長しない。これは、声聞・縁覚の二乗の仏性のない心中を火の穴に譬え、一闡提の善根を断じた心中を水の輪に譬えたもので、この二類は永久に成仏できないと述べられた経文である。大集経には「二種類の人がいて、一度三界の生死を離れて二度と戻ってこない。それゆえ、結局彼らは恩を知ることも報ずることもできない。一類は声聞、もう一類は縁覚である。たとえば、深い穴に堕ちてしまった人がいて、自力で穴から出ることもできず、当然他人を救うこともできない。声聞や縁覚もこれと同様に、無余涅槃の穴に堕ちて仏性を断じてしまうので、自分も他人も共に利益することができない」と説かれている。儒教の典籍三千余巻に説かれる極理は二つある。すなわち、孝と忠である。そのうち、忠は孝の思想から出ている。孝は高に通じる。天が高いといっても孝の徳の高さには及ばない。また、孝は厚に通ずる。大地が厚いといっても孝の徳の厚さには叶わない。儒教の聖人や賢人もこの孝の思想を実践した人たちである。ましてや、仏法を学ぼうとする人は恩を知り、恩を報ずることを第一に心がけるべきである。仏の弟子たるべき者は、かならず父母の恩・一切衆生の恩・国王の恩・三宝の恩という四恩を知って、知恩・報恩に精進しなければならない。特に、舎利弗や迦葉などの二乗は、比丘の二百五十戒や三千の威儀を堅持し、味禅・浄禅・無漏禅の三種の禅定を修して、阿含経の教えを体得し、三界の見惑と思惑を断じ尽くした聖者である。そんな彼らは知恩・報恩を実践する人の手本でなければならないはずである。ところが、釈尊は大集経で彼らを「恩を知らない者」と決めつけられた。その理由は、父母の家を出て出家の身となる目的は、間違いなくその父母を救うことにある。二乗の者たちは、自分では悟りを開いたと思っているかも知れないが、他人を利益する修行が基本的に欠けている。それゆえ、たとえ少しばかり他人を利益することがあっても、結局はみずからの父母等を永久に成仏できない道に導き入れてしまい、逆に恩知らずの者となってしまう。維摩経には次のように述べられている。「維摩居士がまた文殊師利に質問した。『何を如来の種とするのか』と。答えていう。『心をわずらわす、すべての煩悩こそ如来の種である。たとえ、殺父・殺母・殺阿羅漢・破和合僧・出仏身血という無間地獄に堕ちる五つの罪を犯した者でも、なお悟りを求める心をよく起こすことができる』」と。また「たとえば、良家の子よ、高原の乾いた土地には青蓮華や芙蓉の花は生育しない。湿った汚い田にこそ蓮華の花が咲くようなものである」とあり、「小乗の阿羅漢果を得て煩悩を断じ尽くしてしまった者は、さらに菩提心を起こして真実の仏法を獲得することはできない。それは、眼・耳・鼻・舌・身という五根を欠損した人が、色・声・香・味・触の五欲の楽しみを受けることがないのと同様である」とも述べられている。経文のこころは、貪り・瞋り・無痴などの三毒の煩悩は仏の種となるだろう。また、父母を殺すなどの五逆罪も仏種となるにちがいない。しかし、たとえ高原の乾いた土地に青蓮華が生ずることがあっても、声聞・縁覚の二乗は仏の覚りを得ることはできない。これは、二乗の多くの善と凡夫の悪とを比べて、凡夫の悪業や煩悩が仏の覚りとなることはあっても、煩悩の断尽を目指して修する二乗の善行は仏にならない、という意味である。
多くの小乗経典は、悪を誡めて善を讃めたたえる。一方、この維摩経は声聞・縁覚の二乗の善を非難し、凡夫の悪を称讃している。まるで仏教の経典でなく、外道の法門のようにも見えるが、結局、仏は二乗が決して成仏できないということを強く決め付けんとされたのであろうか。方等陀羅尼経は次のように説いている。「文殊師利が舎利弗に尋ねた。『いったん枯れてしまった木に再び花が咲くことがあるかどうか。また、山から流れ落ちた水が再び水源に帰ることがあるかどうか。いちど割れてしまった石がもとに戻るかどうか。火で焼いた種から芽が出るかどうか』と。舎利弗は『いずれもあり得ない』と答えた。文殊師利は『もしあり得ないというのならば、そなたはどうして私に、成仏の保証を得て、心に喜びを得ることができるかどうか、などと問いただすのか』と言った」と。これは、枯れた木に花は咲かないし、山から流れ落ちた水が水源に帰ることもない。割れた石がもとに戻ることもないし、火で焼いた種から芽が出ることもない。声聞・縁覚の二乗もまたこれと同じように、仏になるべき種を火で焼いてしまったのだ、という意味である。大品般若経には「多くの天の子よ。これまでに覚りを求める心を起こしていない者は、今まさにその心を起こせ。もし声聞の位に入ってしまうと、その人は覚りを求める心を起こすことができない。どうしてか。六道の生死を一度離れてしまった声聞は、再び生まれて来ないからである」と見える。これは、声聞乗および縁覚乗は菩提心を起こすことができないから、私(須菩提)は喜ばない。天の人たちは菩提心を起こすから、私は喜ぶ、という意味の経文である。首楞厳経には次のように説かれる。「仏教の重罪である五逆罪を犯した人でも、この首楞厳三昧経を聴聞して菩提心を起こせば、仏に成ることができる。世尊よ、煩悩が尽きてしまった阿羅漢は、あたかも割れてしまった器のように、永久にこの三昧経を聞き受ける能力がないので、菩提心を起こすこともできない」と。維摩経には「そもそも、汝に供物を施す者は功徳を得ることはできない。汝に供養する者は地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちる」と述べられている。これは、迦葉や舎利弗ら聖僧とあがめられる人々を供養する人や天衆は、確実に三悪道に堕ちるであろうという意味である。これらの聖僧たちは、釈尊を除きたてまつれば、人間や天衆にとっては煩悩の闇を照らす智恵の眼であり、すべての人々を成道に導く師であると思ってきたのに、人天が大勢集まっている中で、このようにたびたび批判されたことは、彼らにとっては全く思いがけないことであったろう。要するに、釈尊はご自分の弟子たちを責め殺そうとされたのだろうか。このほかにも、菩薩は牛の乳で二乗は驢馬(ろば)の乳、菩薩は金属製の器で二乗は素焼きの器、菩薩は太陽の光で二乗は蛍の火というように、さまざまな譬えを用いて声聞・縁覚を責めつけられた。それも一言・二言や一日・二日、一箇月・二箇月や一年・二年に止まらず、経典も一つや二つだけに終らない。四十年余りの間に数限りなく説かれた経典の中で、無量の説法座に集まった人々に対して、一言の許す言葉もなく叱責された。もちろん、釈尊は決して偽りの言葉を語られないとみずからも知り、人も知り、天の神も知り、地の神も知っている。一人・二人だけでなく百千万人、欲・色・無色の三界にいる諸天・竜神・阿修羅、インド全体と東・西・南・北の四州、六欲天と色天と無色天、そして十方世界から雲のごとく集まった人間・天衆・声聞・縁覚・大菩薩たち、これらの人々のすべてが、妄語することがない釈尊が声聞・縁覚を強く叱責する言葉を聞いたのである。彼らはそれぞれの国々へ帰って、娑婆世界での釈尊の説法の様子をそれぞれの国々で詳細に語るので、十方世界のすべての人々がみな、迦葉や舎利弗らの二乗は永久に成仏できない者であり、彼らを供養することはかえって悪いことなのだろうと認識するにいたった。
B法華真実の証明
ところが、釈尊一代五十年のうち、最後の八年間の法華経において、それまでの所説をすべてくつがえして、声聞・縁覚の二乗は将来必ず仏となるであろうと釈尊が説かれたのだから、果たしてどれほどの人々がその言葉を信じるだろうか。とても信じるどころか、法華経以外の諸経に対しても疑問を持ってしまい、釈尊一代の説教すべてがうそ偽りとなってしまうだろう。そんなところから、法華経の開経である無量義経において「法華経以前の四十余年に、私はいまだ真実を説き顕わしていない」という経文が、わざわざ説かれたのだろうか、これは、もしかして天魔が仏の姿となって出現し、最後八年間の法華経を説かれているのではないか、と説法の座にいた人々が疑問を起こしているところに、まことしやかに劫国名号と申して、二乗が成仏する国や時代、そして教化を受ける弟子などをお定めになったので、教主釈尊のお言葉は全く二つに分かれてしまった。文字通りの自語相違である。外道が釈尊をひどい虚妄の説を吐く者だと笑ったのは、まさにこのような状況を指したものである。こうして、会座の聴集全体がすっかり気まずい雰囲気になっていたその時に、東方の宝浄世界から来た多宝如来が、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬という七宝で飾られた大塔の中に坐して出現された。教主釈尊が人間や諸天らの聴衆に自語相違ではないかと責められて、あれこれとさまざまにお述べになったけれども、人々の疑問はなお晴れず、ほとほと釈尊がもてあましておられた、まさにその時に、大宝塔に坐した多宝如来が釈尊の前に大地から涌き出て、中空に昇られたのである。それはまるで暗闇の夜空に東の山からすっと出た満月のようであった。七宝で荘厳された大塔は、大地の上に降りられるのでもなく、虚空に高く昇り上がられるのでもなく、中空に留まり、その宝塔の中から多宝如来がよく透る清らかな声を出して、法華経の真実を次のように証明された。「その時に宝塔の中から大きな声で歎めていわれた。『すばらしい、すばらしい。釈迦牟尼仏よ、よく平等にして大いなる智慧、菩薩を教える法、仏に護り念ぜられる妙法蓮華経を、多くの人々のためにお説きになられた。その通り、その通り。釈尊の説くところはすべて真実である』」と。また、如来神力品には釈尊と分身諸仏の真実の証明のさまが、「その時に、釈尊は昔よりこの娑婆世界に長く住している文殊師利などの無量百千万億の菩薩たちや、その他の大衆の前で非常に不思議な力を現わされた。それは、広く長く出した舌をはるか上方の梵天まで伸ばし、身体中の毛穴から無量無数の色の光を放って、十方の世界を照らし出された。すると、数多くの宝樹の下の師子座の上にまします分身の諸仏も、また同様に広く長い舌を出し、無量の光を放たれた」と説かれている。この広く長い舌を出す行為は、仏語の真実を証明することを意味する。そして、以上の釈迦・多宝・分身諸仏の三仏の証明を受けて、嘱累品には次のように説かれている。「釈尊は、十方世界から来られた多くの分身仏に、それぞれの本土に帰ってもらうために、次のように仰せられた。『それぞれの仏たちよ。まことにご苦労であった。…多宝如来の七宝の大塔は、もとのように扉を閉じられよ』」と。
C法華経と諸経の相違
釈尊がブッダガヤの菩提樹下ではじめて成道を遂げられた時は、数多くの仏が十方に現われて釈尊をなぐさめられた上に、もろもろの大菩薩を遣わされた。 また、大品般若経を説かれた時には釈尊が長い舌で三千世界を覆い、千仏が十方に出現された。金光明経の説法の際は東西南北の四方に四仏が現われ、阿弥陀経の時には四方と上下の六方世界の諸仏が舌を出して三千世界を覆った。そして、大集経の説法の時には、十方の仏や菩薩たちがみな欲界と色界の中間の大宝坊に集まられた。これら諸経の場合を法華経と対比して考えてみると、色だけが黄色い単なる石と黄金と、白い雲と白い山と、白く凍結した氷と銀で造った鏡と、黒色と青色とのそれぞれの違いがあるが、かすみ眼の人や斜視の人、片眼を失くした人や物事を正しく見る眼を持たない人などが、それをはっきり見分けることは難しいだろう。最初に説かれた華厳経にはそれ以前の経典との比較がないから、仏の言葉としての自語相違もない。したがって、どこからも大きな疑いなど出て来るはずがない。大集経・大品般若経・金光明経・阿弥陀経などは、声聞・縁覚の二乗が小乗の悟りに執着することを叱り責めるために、十方に多くの浄土があると説いて凡夫や菩薩に敬い慕わせ、声聞や縁覚をあれこれと悩ませた。もろもろの大乗経には小乗経との間に多少の違いがあるから、あるいは十方に仏が出現され、あるいは十方の世界から大菩薩を使いとして差し向け、あるいは十方の世界でも大乗経を説く旨を示し、あるいは十方世界から数多くの仏が集まられた。また釈尊が舌を伸ばして三千世界を覆い、諸仏が広長舌を示して経典を讃歎・証明するさまが説かれている。ただし、これらは小乗経の十方世界の中にはただ釈迦牟尼仏お一人だけがおられる、という考えをうち破るのが目的であった。それゆえ、とても法華経のように、前後のさまざまな大乗経典の教えと決定的に矛盾してしまい、舎利弗等の声聞をはじめ、大菩薩や人天の衆らに、「この経は実は悪魔が釈尊の姿になり変わって説いているのではないか」と疑われるほどの重大事ではなかった。ところが、華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗・念仏宗らの眼がかすんで物事がよく見えない者たちは、みずからが信奉するそれぞれの経典と法華経とは同等だと思い込んでいるのは、まったく愚かな認識というほかない。
D仏滅後と二乗作仏
このように信じがたい法華経であるが、ただ釈尊の在世にその説法を直接聞いた人の中には、四十数年間に説かれた経典を捨てて、法華経を信じた人もあっただろう。しかし、釈尊の滅後にこの法華経の文を見て信じることは、非常に難しいにちがいない。まず、法華経以前の諸経は言葉自体の数が多いが、法華経はわずかに一言である。また、以前の諸経は経典の数が多いが、法華経はたった一経でしかない。さらに、かの諸経典は長い年月にわたる説法だが、この法華経は最後の八年間だけに説かれた。仏には二言があり、決して信じることができないとしても、そんな不信の上に強いて信を論じるならば、爾前の諸経はあるいは信じることができるかも知れない。しかし、法華経は決して信用できない。今の世も、多くの人が法華経を信じているように見えても、本当の意味で法華経を信じている訳ではない。なぜかといえば、法華経と大日経、法華経と華厳経、そして法華経と阿弥陀経との教えはみんな一つであると説く人に喜んで帰依し、別々で勝劣があるなどと主張をする人のことは信用しない。たとえ信用したとしても、それは本意からではないと思われる。日蓮はいう。「日本に仏教が渡来して、すでに七百年余りになるが、その間にただ一人、伝教大師だけが法華経を正しく読まれた」と。こう申したとて、人々は誰もこれを信じない。ただし、法華経の見宝塔品には「もし世界最高の須弥山を手でとって無数の他方世界に投げ置いたとしても、それはまだ困難とはいえない。もし釈尊の滅後、悪い世の中でこの法華経をよく説くことがあれば、それこそ困難なことである」と見える。法華経だけが真実であるという日蓮の強い主張と、その主張が世間に受け入れられないさまは、この法華経の文にぴったり一致している。法華経を流布するために説かれた涅槃経には、「時代が下った濁悪の世には、正法を誹謗する者は十方の大地の土のように多く、正法を信受する者は爪の上に載る土ほどに少ない」と説かれていますが、どのようにこれを理解したらよいのでしょう。日本の人々と日蓮とでは、どちらが爪上の土である正法信受の者で、どちらが十方大地の土である正法誹謗の者か、よくよく考える必要がある。賢い国王が治める世では道理が勝ち、愚かな国主が治める世では道理にはずれたことが優先される。そして、智恵や徳望がすぐれた聖人が出現した時代にこそ、法華経の真実義が明らかになる、と心得ねばならない。この二乗が仏になるかならぬかという法門について、法華経の迹門と法華経以前の諸経とを比べると、爾前の諸経の方が優勢のように思われる。もしそうであれば、舎利弗をはじめとする二乗たちは永久に成仏できないことになるだろう。はたして、どれほど彼らは嘆かれるだろうか。
@諸経不説の久遠実成
二つめは久遠実成である。教主釈尊は、世界の生成から消滅までを四分した四劫の第三で、この世が成立して、命ある者が安住している住劫という時期のうち、第九の減劫という時代に出世された。減劫とは人間の寿命が徐々に短くなる時期であり、それが百歳になった時代に、師子頬王の孫、浄飯王の嫡子として生を受け、童子の頃の名は悉達太子、一切義成就菩薩という。十九歳で出家され、修行を積んで三十歳で成道された釈尊は、悟りを開いた伽耶城の南にある菩提樹の下の道場で華厳経を説き、別円二教の菩薩だけが住む実報土の蓮華蔵世界を現わされた。そして、その世界の教主である毘盧遮那仏として「十玄門」と「六相円融」の教えを説き、すべての存在がそれぞれの立場にありながら、互いに融けあってさまたげのない世界のすがたや、極果を得ること速やかな微妙を極めた偉大なる法を説き明かされた。その時、十方の諸仏もその場に出現し、すべての菩薩も雲が湧くようにあい集うたのである。このように華厳経の説法は、国土といい、聴聞者の機根といい、諸仏が立ち会ったことといい、成道後の最初の説法であることといい、そこにどんな理由があって、偉大な法を隠しておかれる必要があろうか。それゆえ、経文には「仏は自由で不可思議な力をあらわして、完全無欠な経典を演説される」と説かれている。華厳経六十巻は一字一点のすべてが完全な経典である。たとえば、思いのままに珍宝を降らせる如意宝珠は、一つの珠も無量の珠もその徳用は同じであって、一つの宝珠も多くの宝物を出し尽くすし、無量の宝珠も同様に多くの宝物を出す。それと同じく、華厳経もたとえ一字でも万字でも同じく完全無欠な経典である。「心と仏と衆生との三者には差別がない」という経文は、ただ華厳宗の中心的な教えにとどまらず、法相宗・三論宗・真言宗・天台宗でも肝要な教えとされています。これほどすばらしい御経に、一体何を隠す必要があるだろうか。けれども、二乗と一闡提は仏に成ることができないと説かれたのは、文字通りの「珠のきず」と思われる上に、三箇所までも「仏ははじめて覚りを開いた」と宣言されて、法華経寿量品に説かれる釈尊の久遠の成道も隠して説かれなかった。まるで宝珠が二つに割れ、満月に雲がかかり、太陽が日蝕になったようで、全く思いがけないことであった。天台所立の五時教判で、華厳経の後に説かれたとされる阿含部・方等部・般若部の諸経、特に大日経なども、仏が説かれたのだからすばらしいことは当然だが、華厳経と比較した場合は、取り上げていうほどの価値もない。それゆえ、華厳経に説かれなかった久遠の成道が、これらの劣った経典で明かされるはずもない。実際、多くの阿含経典には「はじめに成道して」等とあり、方等部の大集経には「如来がはじめて成道してから十六年を経て」等、同じく維摩経には「はじめ菩提樹の下に坐って、禅定の力で魔を退治した」等、また同じく大日経には「私は昔、道場に坐して」等といい、般若部の仁王経には「二十九年、摩訶般若波羅蜜をお説きになった」などとあり、いちように始成正覚が説かれている。ただ驚くことには、法華経の開経である無量義経は、華厳経の唯心法界の法門や大方等大集経の海印三昧の法門、また般若経の混同無二の法門などの勝れた教えを列挙して、これらは「いまだ真実を顕わにしていない」とか、「長い間の修行でようやく成仏する歴劫修行」に過ぎないと下し、みずからの正しさを誇るほどの経典であるのに、「私はかつて伽耶城の菩提樹下の道場で六年間端坐して、この上なき覚りを成就した」と述べて、華厳経の「仏ははじめて覚りを開いた」という経文と同じ始成正覚を説いていることが、何とも不思議でならない。所詮、無量義経は法華経の序論であるから、本論の内容には触れないということもあるのだろう。その法華経の本論に入り、迹門の方便品には「ただ仏だけがよく諸法の実相をきわめ尽くされる」とか、「仏は長い間に方便の教えを説いた後に、かならず真実の教えを説くであろう」とか、「正直に方便の権教を捨てて実教を説く」といい、多宝如来も迹門の方便品から授学無学人記品までの八品を指して、「釈尊の説くところは、すべて真実である」と証明なさったのだから、一体ここで何事を隠すことがあろう。それなのに、やはり久遠の寿命はお隠しになって、「私ははじめ道場に坐して菩提樹を観じ、またその周囲を歩き廻った」等と語られたのは、最大の不思議であった。
A久遠実成の明文
それゆえ、法華経以前の四十余年の間には見たこともない立派な大菩薩たちが、従地涌出品の説法の会座に突如として大地の下より現われ、釈尊が「私がこれらの菩薩たちを教化して、はじめて菩提心を起こさせた」などと説かれた時、不可解に思った弥勒菩薩は次のように申し上げた。「釈尊は、いまだ悉達太子であられた時に釈迦族の宮殿を出られ、伽耶城にほど近い菩提樹の下の道場に坐して無上の覚りを得られました。それからはたった四十余年が経過したに過ぎません。その短い時間の中で、釈尊はどうしてこれほどの大菩薩たちを教化されたのでしょうか」と。教主釈尊は、このような疑惑を晴らすために、如来の寿量の本当のすがたを説き明かそうと決意された。そこで、まずこれまでの爾前経および法華経迹門の聴衆の理解について、「すべての世間の人々はみな、今の釈尊は釈迦族の宮殿を出て、四十余年前に伽耶城にほど近い菩提樹下の道場に坐してはじめて覚りを開かれたと思っている」と述べられた。そして、右の疑惑にまさしく次のように答えられた。「ところが、良家の子息たちよ、私が実に仏道を成就してから無量無辺百千万億那由他劫という無限の時間が経過している」と。
B久遠実成と真実の一念三千
天台所立の五時教判の第一・華厳部から第四・般若部に至るまでの大日経等の諸経では、釈尊は声聞・縁覚の二乗の成仏を許さなかったばかりか、みずからが無限の過去に成道を遂げ、それ已来絶え間なく衆生を教化しつづけているという久遠実成の義も説き明かされなかった。これらの爾前諸経にある二つの過失について、妙楽大師は次のように述べている。一つは「差別や次第を重んじて平等や円融を説かないために、権教と実教の差別を打ち開いて平等にすることができない」と。十界の互具・円融がなく、迹門の一念三千も成立しないので、二乗作仏も決して許されない。もう一つは「専ら釈尊は菩提樹下ではじめて成道されたと説くので、始成の垂迹身を開いて久遠の本地身を明かすことができない」と。本門に説かれる釈尊の久遠実成も隠れたままである。この二つの偉大なる法門は、釈尊一代の教えの大綱および骨子であり、すべての経典の中心である。法華経迹門の方便品では一念三千の法門の基礎が説かれ、それに基づき二乗作仏の義が許されたので、爾前経の二つの失点のうち、一つが解消された。しかし、いまだ始成の垂迹身を開いて久遠の本地身が顕わされていないので、一念三千もその真実の意義は成就せず、それゆえやっと許された二乗作仏も、非常に不安定なままである。まるで水面に映った月の影を見るようであり、根無し草が波の上に漂う姿に似ている。それが、本門の寿量品に至って久遠実成の本地身が明かされ、インドの菩提樹下で覚りを開いた釈尊は垂迹身と下されたので、それまでの蔵教・通教・別教・円教の仏果は実体のない虚妄の果徳となった。仏果が虚妄であれば、その仏果に至る修行の道筋たる九界の因行も否定される。このように、爾前の諸経および法華経迹門に説かれた十界の因果は否定されて、久遠の本地に基づいた本門の十界の因果が新たに説き明かされた。これが本因・本果の法門である。地獄から菩薩に至る九界も永遠の仏界に包まれ、仏界もまた永遠の九界に備わって、真実の十界互具・百界千如・一念三千の法門がここに成就した。
C久遠実成の難信
さて、ふりかえって見ると、蓮華台上で華厳経を説く毘廬遮那仏や、阿含経を説く一丈六尺の釈迦仏、方等部・般若部の金光明経や阿弥陀経や大日経などの仏は、いずれも寿量品の本地仏が仮りに姿を現した垂迹の仏であって、天空の月が一時、大小の器の水面にその影を浮かべたさまと同じであるのに、諸宗の学者たちは、近くは自分の宗旨の成り立ちに暗く、遠くは法華経の如来寿量品の説示を知らないために、水面に浮かんだ月影を本当の月だと思い込み、はては水に入って月影を取り押さえようとしたり、縄でしばってつなぎとめようとする。天台大師はそのさまを、「彼らは天に浮かぶ月を知らずに、ただ池に映った月影を本物の月と見ている」と述べている。日蓮が心配することは、法華経の迹門に説かれる二乗作仏でさえ、それを否定する爾前経の方が優勢だと思われることだ。ましてや、法華経の本門に明かされる久遠実成の場合は、それ以上に爾前経の方に分があると思われるに違いない。それは、法華経以前の爾前経と法華経とでは、量的にも時間的にも爾前経の方が断然有利な上に、法華経迹門の十四品も同じように久遠実成を説かない。さらに、本門の十四品でも、従地涌出品と如来寿量品の二品以外もみな、釈尊がインドの菩提樹下ではじめて覚りを得たという始成正覚の前提で説かれている。釈尊が入滅直前に沙羅双樹の林で説かれた涅槃経四十巻をはじめ、法華経の前後に説かれたすべての大乗経典には、法性の理体である法身の常住は説かれるが、事成の応身と報身の久遠の本地については一字一句も明かされていない。このように考えたならば、爾前経と法華経の迹門と本門の大部分、そして涅槃経など多くの大乗経典の圧倒的な広い経説をなげうって、従地涌出品と如来寿量品というたった二章の説示にどうして従えようか。
D法相宗と二乗作仏
それゆえ、法相宗についていえば、インドで釈尊が入滅されて九百年後に無著菩薩という大論師が出られた。夜は弥勒菩薩の浄土である都率天の内院に昇り、弥勒より教示を受けて釈尊の教えに関する疑問を解決し、昼間は阿輸舎国で法相宗の教えを弘められた。そのお弟子に世親・護法・難陀・戒賢らの大論師がおり、北インドの盟主であった戒日大王は深くその教えを信敬し、全インドの異教の者たちもみな高く振り上げた旗を降ろして帰依した。中国の玄奘三蔵はその頃インドに渡り、十七年間、インドの百三十余りの国々を遍歴・見聞して、仏法を求めた。その結果、諸宗の中から法相宗を選び取って中国の地に伝え、唐の太宗皇帝という賢明な国王にこの教えを授け、神肪(じんぼう)・嘉尚(かしょう)・普光(ふこう)・窺基(きき=慈恩大師)を弟子として養成し、大慈恩寺に住して広く三百六十余カ国に法相の教えを弘通された。日本国へは、第三十七代の孝徳天皇の御代に、道慈や道昭らが法相宗を学び伝え、山階の地に創建された興福寺にて尊崇された。このように、インド・中国・日本の三国においては先ず第一の宗であろう。この法相宗では次のように主張する。「最初の華厳経から最後の法華経および涅槃経に至るまでの一切の経典において、本より仏性を身にそなえない無性有情と、本より二乗の境界を得ることが決まっている決定性の二乗は、決して成仏できない。仏の言葉に二言はない。一度、永久に成仏しないと決められたからには、たとえ日天や月天が大地に落ちられても、大地がひっくり返ろうとも、決して改められることはない。だから、法華経や涅槃経の中でも、法華経以前の諸経で成仏しないと嫌われた無性有情と決定性の二乗を、直接名指した上で仏に成るとは説かれていない。ともかく、眼を閉じて深く考えてみよ。もし法華経や涅槃経で、本より二乗の境界を得ることが決まっている者と、本より仏性を身にそなえない者が間違いなく仏に成るならば、インドの世親(天親)や無著のような偉大な論師や、中国の玄奘三蔵や慈恩大師という高僧が、どうしてこれを見ないことがあろうか。見ながら、それを書きとめないことがあろうか。また、どうして信じて伝えないのだろうか。夜ごとに都率天に昇ったという無著が、弥勒菩薩にそれを尋ね申し上げないはずもないのである。そなたは法華経の経文に依っているように見えるが、実は天台・妙楽・伝教のあやまった見方を信じて、それに基づいて経文を見るから、法華経以前の諸経と法華経との所説の間には水と火のような違いがあると思うのだ」と。
E華厳・真言両宗と久遠実成
華厳宗と真言宗は次のように主張する。「わが宗は、法相宗や三論宗とは比べようもなく、はるかに勝れた宗旨である。二乗作仏や久遠実成の法門は法華経だけに限られた教えではなく、華厳経や大日経にも明らかに説かれている。華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観や、真言宗の善無畏・金剛智・不空らの祖師たちは、天台や伝教とは比較にならないほど位も高く、その上、善無畏三蔵らは大日如来から正統な相承を受け継いでいる。これらの祖師たちは、みな衆生教化のために仏が仮りに現われた権化なのだから、どうして誤りなどあろうか。だから、華厳経には『あるいは、釈尊が覚りを得てから計ることができないくらい長い時間が経過したのを見る』等とあり、大日経には『私・大日如来はすべての根本であり、最初である』等と見える。どうして、久遠実成の法門はただ法華経の如来寿量品だけに限られようか。たとえば、井戸の底にいる蛙が大きな海を見ず、山に住む木樵(きこり)が都のにぎわいを知らないようなもので、そなたはただ如来寿量品を見るだけで、華厳経や大日経などの多くの経典を知らないのではないか。そもそも、インドや中国、新羅国や百済国などでも、すべての者がみな、二乗作仏と久遠実成は法華経だけが説く法門だと本当に認めているのか」と。
F仏滅後の宗教的混乱
このような諸宗の異見がある限り、釈尊が晩年の八年間に説かれた法華経とそれ以前の四十数年間の諸経とでは、その内容に雲泥の相違があるといっても、また一般社会の法制に基づいて、前に発行した証文と後から訂正した証文とでは、後の証文を用いるのが当然だと主張しても、それでもまだ法華経以前の諸経の方が優勢のように思われる。また、それが釈尊の在世中であれば、信じがたい中にも法華経を用いることもあろうが、仏滅後に出世したインドや中国の碩学の多くは、爾前経の所説こそを拠りどころとしているのです。
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このように法華経が信じがたい経典である上に、時代が徐々に衰えてくると、聖人や賢人は世に出なくなり、正しい判断ができない人々が次第に多くなる。その結果、一般世間のつまらない事ですら間違いやすい。ましてや、仏法の深い義理を誤りなく理解することなどできようか。犢子や方広という人たちは賢明ではあったが、それでも大乗と小乗の区別に迷い、結局は仏法を学びながらも外道の義を立ててしまった。小乗の論師の無垢や数論派の外道の摩沓婆(まとうば)という人たちも、生来の資質や能力は非常に勝れていたが、やはり権教と実教の違いを判断できなかった。これらは仏滅後一千年の正法時代の話であり、釈尊の生存中に比較的近いころのことであって、また仏が活躍されたインドにおいてすら、もうこんな状態であった。まして、中国や日本などは国も隔たり、言葉も変わり、教えを聞く人の能力も愚かである。また、寿命も短く、貪(むさぼ)り・瞋(いか)り・無知の根本的な煩悩もますます盛んである。さらに、釈尊が入滅されてから長い時間が過ぎて、仏典の解釈もみな間違うようになる。こんな状態で、果たして正しい理解などがありえようか。釈尊は、涅槃経に「末法の時代には、正法を信受する者は爪の上にのる土ぐらいに少ないが、正法を誹謗する者は十方世界の大地の土のように多いだろう」と予言され、法滅尽経には「正法を誹謗する者はガンジス河の砂の数ほど多く、正法を受持する者は一つ二つの小石のようにごく稀である」と説きのこされた。正法を信受する人は千年に一人、五百年に一人ほどもいないのだろう。その結果、世俗の罪が原因で悪道に堕ちる人の量が爪の上の土ほどであるとすれば、仏法に対する罪によって悪道に堕ちる人は十方世界の土のようにはるかに多くなり、また世俗の男女よりも出家の僧尼の方が多く悪道に堕ちることだろう。
ここで日蓮は次のように考えた。時代はすでに末法に入って二百余年が経った今、私はインドからは辺境の地である日本に生を受けた。しかも、身分は賤しく、徳行は薄い。過去世で六道の生死を輪廻していた間には、人間界や天界の大王として生まれて、あたかも小さな木の枝が大風に吹かれるように万民を従わせる時もあったが、その時も仏に成ることはなかった。また、仏道を得ようと志ざし、凡夫から次第に修行が進んで偉大な菩薩となり、一劫・二劫・無量劫という果てしなく永い時間をかけて菩薩行を実践し、それまでに得た覚りや功徳を失わない不退の位に入るはずだった時にも、非常に強い悪縁に負けてしまい、やはり仏には成れなかった。果たして私は、法華経の化城喩品によれば、三千塵点劫の昔に大通智勝仏の十六王子より法華経を聞いて結縁されながら、永く小乗教に執着したために釈尊の在世中も救われず、滅後にようやく得道すると説かれる第三類の者なのか。あるいは、如来寿量品によれば、五百塵点劫という久遠の昔に成仏の下種を受けながら、その後に仏道修行の志ざしを見失い、ついぞ仏に成らずに末法の今に流れきた者なのだろうか。法華経を修行していた時には、世間の悪縁や国主からの迫害、外道や小乗経を信奉する者からの災難などはしのいでいたが、大乗の奥深い教えに通暁したかに見える浄土教の道綽・善導・法然らのように、その身が悪魔に取り憑かれた者で、法華経を高く持ち上げ、人々の機根を低く抑えて、「法華経の教理は深すぎて、凡人の理解がとても及ばない」と主張し、「法華経によって仏道を得た者は一人もいない」「念仏以外の修行で極楽往生する者は千人に一人もいない」などとうまく言いくるめる者に、幾度となく生まれ変わる間、無数のたびごとにだまされて、いつも権経に堕ちてしまった。そして、権経に止まらず、小乗経からインドの外道や中国の儒教に転落し、果ては悪道に堕ちてしまったと、そういう自分の過去の子細を深く知るに至った。日本国でこのような子細を知っているのは、ただ日蓮一人だけである。これを一言でも口にすれば、父母や兄弟や師匠にも国主からの迫害が必ずやって来るだろう。しかし、知りながらそれを言わなければ、仏や菩薩が衆生をあわれむ慈悲の心に背くことになるだろう、と思いあぐね、法華経や涅槃経などの所説に基づいて、言うべきか言わざるべきかを考えてみたところ、言わなければ現世は無事平穏であっても、来世では必ずや無間地獄に堕ちるだろう。一方、もし言い出せば、正道を妨げる三障や衆生を悪道にひき入れる四魔が、必ずつぎつぎと起こり来るだろうと説かれている。そこで、どちらを取るかと迫られれば、言わないわけにはいかないと思う。と同時に、国主からの迫害などに値って、途中で投げ出してしまうのであれば、はじめから言わないのにこしたことはないだろう、などとしばらくためらっていた時に思い至ったのが、法華経の見宝塔品に説かれる六難九易の法門であった。「私たちのような力のない者が、須弥山を投げとばすことがあったとしても、私たちのように神通力を持たない者が、乾草を背負って世界を最後に燃やし尽くすという劫火に入って焼けないことがあったとしても、私たちのような智恵のない者が、無数の経典を暗誦したとしても、これらはさほど難しいことではない。しかし、法華経のたとえ一句一偈であれ、末法の時代に受持し信奉することは困難である」と説かれており、その時の私の立場にぴったりと符合した。そこで、今度こそは強い仏道を求める心を起こして、断じて後には引くまい、と堅く誓った。
@打ち続く法難
それから二十数年間、この法華経の教えを弘めてきたが、日ごと月ごと年ごとに法難が数多く襲ってきた。規模が小さい難は数え切れず、大きい法難は四度に及んだ。そのうち、松葉谷法難と松原剣難の二度はしばらくおくとして、国主による法難は伊豆流罪と竜口法難から佐渡流罪へという二度にわたった。特に、このたびの竜口から佐渡へという法難は、私自身の身命の危機に及んだ。その上、私の弟子や信徒はもちろんのこと、果ては少しばかり私の教えを聞いただけの俗人までも重い罪科に問うありさまで、さながら謀反人などに等しい処遇である。法華経の第四巻法師品には「しかもこの法華経を弘通すると、仏の在世中でさえ怨みや嫉みが多い。ましてや、仏滅後はいうまでもない」等と見え、第二巻譬喩品には「法華経を読誦し書写して、受持する者を見ては、軽しめ賤しみ、憎み嫉んで、固い恨みを持つだろう」などとあり、第五巻安楽行品には、「この経にはすべての世間からの怨みが多く、信じることが難しい」と説かれている。また、勧持品第十三には、「多くの智恵なき者の悪口やののしりなどがあるだろう」とあり、「国王や大臣、祭祀者や農工商者という社会的地位のある者に対して、法華弘通の行者をそしり、彼の者は誤った見解を持っていると悪口するだろう」と見え、「法華の行者はしばしばその弘通の場所から追放されるであろう」などと説かれる。さらに、常不軽菩薩品には、「杖や棒、瓦や石で不軽菩薩を打ちすえた」等と見え、涅槃経には、「その時に、大勢の外道を信奉する者たちが結束し、マガダ国の阿闍世王のところに行って次のように訴えた。『目下、一人の大悪人がおります。それはほかでもない、釈迦牟尼仏です。世の中のすべての悪人は、私利私欲のために釈迦の下に集まり、その弟子となって悪行にふけっています。釈迦は呪術の力を用いて、迦葉や舎利弗・目連という修行者たちを信服させております』と」等と述べられている。天台大師は「法華経には釈尊在世の時ですら怨嫉する者がいた。まして、入滅後の未来にはより多くの怨嫉があって、教化することが難しい」と釈し、妙楽大師は「怨嫉」の二字を、「煩悩が断じられていないことを怨といい、法華経を聞くのを喜ばないことを嫉という」と説明している。中国では、南北朝時代を代表する揚子江以南の三師や、黄河以北の七師をはじめとする多くの学者たちが天台大師の怨敵となった。日本でも、法相宗の徳一は、「やあ、天台師よ、君はいったい誰の弟子なのか。わずか十センチほどにも足りない舌で、釈尊が真実を説かれた解深密経の教えを誹謗するとは」などと悪口を吐いた。東春の智度法師は次のような問答を設けている。「問う。釈尊は生前に多くの怨嫉を受けられた。また、仏が入滅された後に、この法華経を弘めようとすると災難が多いと説かれているが、それはなぜか。答えていう。俗に『良薬は口に苦し』というではないか。この法華経は、人乗・天乗・声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の五つの教えを、それぞれが真実であると執着する立場を方便として退け、誰もが平等に一仏乗のさとりに到達することができるという深遠な教えを立てる。そのため、凡夫の怠慢を非難して聖者の停滞を叱り、大乗を払って小乗を破り、天魔を毒虫となし、外道を悪鬼といい、小乗に執着する二乗を貧賤とおとしめ、菩薩を初心の行者と卑しめる。それゆえ、天魔は法華経の教えを聞くことをきらい、外道は耳をそらし、声聞・縁覚の二乗は驚きあやしみ、菩薩は行ずることをおびえてしまう。しかも、これらの人々がみな法華の行者に迫害を加える。『怨嫉が多い』という経文には、このような事情があるのだ」と。伝教大師は顕戒論にいう。「僧尼の監督等を務める南都六宗の僧綱たちが、最澄を批判して朝廷に捧げた上奏文には、『昔、西方のインドにはあやしい行体を示す鬼弁婆羅門がおり、今、東方の日本国には言葉たくみな似非(えせ)法師がいる。これは悪魔の同類が密かに集まって、世間をたぶらかしているのである』などと述べている。それに私は反論する。『昔、中国の斉の時代には国統の地位にいた慧光が、達磨大師を毒殺しようとしたと聞くし、今は、わが日本国の南都六宗の僧綱が、最澄を迫害しようとする姿を見る。法華経法師品の、仏の在世中は迫害が多かった、ましてや仏滅後の法華の行者が数々の怨嫉を受けるのは当然であるという仏の言葉は、まさに真実である』」と。また、法華秀句には「時代をいえば、正法が形骸化した像法時代の終わりにして、正法が滅尽する末法時代のはじめ。国土を問えば、中国の東にして靺鞨(まっかつ)国の西にある辺国の日本。人々はどうかといえば、五濁が充満する悪世の中に生をうけ、お互いに闘争を繰り広げている。法華経法師品に『しかもこの法華経を弘通すると、仏の在世中でさえ怨みや嫉みが多い。ましてや、仏滅後はいうまでもない』と説かれた仏語は、本当に深く重いものがある」等と語っている。およそ、母親が子どもにお灸を据えれば、必ずその子はかえって母を憎む。重い病気の者に良い薬を飲ませると、決まって苦くて飲めないと嘆く。このように、釈尊の在世ですら怨嫉が多い。だから、時代が下り衰え、国も遠く隔たれば、迫害が一層多くなることはいうまでもない。山に山が重なり、波に波が続くように、法難に法難が加わって、悪いことはいよいよ増えていくのである。像法時代の中頃では、天台大師一人が法華経の教えに基づいてすべての仏典を読み解いた。当時の諸宗の学僧はこぞって天台大師に怨嫉を加えたけれども、陳の後主叔宝(こうしゅしゅくほう)や隋の文帝・煬帝(ようだい)らの賢明な君主が、みずから両者の是非を判定したので、諸宗の敵人はみな鳴りを静めてしまった。像法時代の末には、伝教大師だけが法華経をはじめとするすべての経典を、仏の真意の通りにお読みになられた。その時、奈良七大寺の諸僧がいっせいに立ち上って反対したが、桓武天皇や嵯峨天皇などの賢王が手ずから正邪を明らかにされたので、それ以上のことはなかった。今、末法時代に入って二百余年になる。法華経法師品の「まして、仏滅後はいうまでもない」および大集経の「仏滅後の第五の五百年間は争いのみに明けくれる時代となるだろう」の経文のとおりに、もっぱら道理にはずれたことが横行している。法華経方便品の「五濁の悪世」の仏説が現実のものとなって、公けの場での諸宗との対論もなく一方的に流罪され、果ては生命の危機にさらされている。それゆえ、日蓮の法華経に対する学問や理解は、天台・伝教の両大師の千万分の一にも及ばないが、法華経のために法難を忍受し、一切衆生を救わんとする慈悲においては両大師も恐れを懐かれるだろう。これまで、いつかは必ず諸天のご加護をこうむるだろうと思ってきたが、いまだ何のきざしもなく、私はますます重い刑罰に処せられている。このような事実から逆に推察すると、日蓮は法華経の行者でないのであろうか。または、行者を守護すべき諸天善神らがこの謗法の国を見捨てて、天上に去ってしまわれたのであろうか。あれこれと悩ましい気持ちである。
A二十行偈の色読
ところが、法華経第五巻の勧持品に見える二十行の偈頌(げじゅ)に関していえば、もし日蓮がこの国に生まれてこなければ、あやうく釈尊は大変な嘘つきとなり、二十行の偈頌を述べて法華経の弘通を誓った八十万億那由佗の大勢の菩薩たちも、提婆達多が犯したのと同じく、故意に人をあざむく罪におちいってしまったことだろう。その二十行の偈には、「数多くの智恵のない者が法華の行者をそしり、また刀や杖で迫害する者があるだろう」と説かれている。現在の世を見る限り、日蓮以外の僧たちの中で、いったい誰が法華経ゆえに人々に悪口され、ののしられ、刀杖などによる危害を加えられているだろうか。日蓮がいなければ、勧持品のこの一偈の予言はそらごととなり果てる。偈文にはまた次のように見える。「仏滅後の悪世に出現する僧は、わる賢く、心がねじ曲がっている」、「在家の人々に法を説いて、世間から六つの不思議な力を得た阿羅漢のように尊敬される」と。これらの経文も、現在の日本国にもし念仏・禅・律など諸宗の法師がいなければ、釈尊はまた大変な嘘をついたことになる。また、次に説かれる「悪世の僧たちは常に一般大衆の中にいて、法華の行者を非難しようとし、国王や大臣、祭祀者や農工商者という社会的地位のある者に向かって、行者をそしるだろう」という経文も、今の諸宗の法師たちが事実をまげて悪しざまに日蓮を訴え、流罪にしなかったならば、真実でなくなってしまう。そして「法華の行者はしばしばその所を追い出される」とも述べられているが、日蓮が法華経を弘めて、一度ならず遠流に処せられなければ、「しばしば」という言葉はどのようにあつかったらよいのだろう。この「しばしば」という勧持品の文字は、天台大師も伝教大師もついぞ体現されなかった。ましてや、それ以外の人々はいうに及ばない。末法のはじめの証拠である「おそるべき悪い世の中に」という仏のお言葉が現実化し、その中で日蓮一人がこの「しばしば」の文字を身をもって読むことができたのである。たとえば、釈尊は付法蔵経に「私が入滅した百年の後に阿育大王(アショーカ王)という国王が出現するであろう」といい、摩訶摩耶経には「私の入滅後六百年の時代に、竜樹菩薩という人が南インドに出世するであろう」といい、大悲経には「私が入滅した六十年後に、末田地という人が大地を竜宮に築くであろう」と述べられた。このような釈尊の言葉はみな現実のものとなった。もし、これらが実現しなかったならば、いったい誰が仏の教えを信じただろうか。その釈尊が、正法華経や妙法蓮華経に「恐るべき悪世」「ところが後の未来世において」「末法の世のまさに仏法が破滅しようとする時」「後の五百歳」などと述べて、法華経が流布する時を定められた。今の世に、勧持品二十行の偈に予言された俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖(せんしょう)増上慢の三類の強敵が現れなければ、どうして仏の説法を信じることができよう。また今、日蓮がいなければ、いったい誰が法華経の行者として、仏の予言を証明しようというのか。中国の天台大師に敵対した南三北七の学者たちや、日本の伝教大師を迫害した南都七大寺の高僧らは、像法時代の法華経の敵対者であるのに対し、現在の禅・律・念仏などの諸宗の信奉者こそが、末法時代の法華経の敵対者であって、彼らは決してその立場から脱れることができない。法華経勧持品の経文と私のこれまでの振る舞いは全く一致している。それゆえ、幕府の罪科を受ければ受けるほど、経文を身読する私の喜びは深くなっていくのである。たとえば、まだ煩悩を断じていない小乗の菩薩が、「願を業に兼ねる」といって、本より造りたくない罪ではあるが、みずからの父母などが地獄に堕ちて大変な苦しみを受ける姿を見て、それを捨て置くことができず、わざと罪業を犯して願って地獄に堕ち、父母などの苦しみを代わって受けることを自分の悦びとするようなものである。私もまたこれと同じであって、現在の迫害は堪えられようもないが、未来世での悪道に落ちる罪苦から脱れることができることを思えば、大いに悦ばしい。
@一大事の疑問
しかし、世間の者も疑い、私自身も不審に思うことであるが、どうして諸天は日蓮を加護されないのであろうか。諸天などの善神には釈尊の前でのお誓いの言葉がある。それゆえ、もし法華経の行者がいれば、たとえそれが畜生の猿であっても法華経の行者と呼び、急いで仏前のお誓いを果たして、行者を守護しようと思われるべきであるのに、その気配がないということは、私は法華経の行者ではないのだろうか。この疑問は本書での最も重要な論点であり、私の一生における重大事でもあるから、繰り返しこれを書き示しつつ、ぎりぎりまで疑いを強めながら、その解答を示していこう。
A報恩と行者守護
昔、中国の呉の国に季札という人がいた。彼は徐の国の君主が自分の宝剣を望んでいるのを知ったが、使いの途中だったため、役目を果たした後に宝剣を譲ろうと考えた。ところが、帰りに徐の国に寄ってみると、すでに君主は死んだ後だったので、季札は心の約束を実行しようと、宝剣を徐国の君主の墓の上に懸けて贈った。また、王寿という人は河の水を飲んだ際、金貨を水中に投げ入れて、その恵みに報いた。公胤(弘演)という人は使者の役目を終えて帰国したところ、主君の衛の懿公(いこう)が北狄に攻め殺され、荒らされたその死骸を見て、自分の腹を割き、主君の肝をその中におさめて息絶えた。これらはみな世間の賢人が恩に報いたすがたである。まして、舎利弗や迦葉らの偉大な人たちは、比丘が守るべき二百五十戒や三千の威儀という生活規律を完全に身につけ、見惑や思惑の煩悩を断ち切って、三界六道の迷いの世界を超え出た聖人である。梵天や帝釈天など諸天を仏道に導く師であり、すべての人々の迷いを開く智恵の眼である。そんな彼らも、四十余年間の諸経では決して仏道を成就できないと説かれ、すっかり見捨てられてしまっていたが、法華経という不死の良薬をなめたところ、火で焼いた種から芽が出、割れた石がもとに戻り、枯れ木に花が咲き果実が成るように、仏になるだろうという保証を得ることができた。彼らはいまだ八相成道の姿を示していないが、そんな短い間に法華経の重大な恩を忘れて、それに報いないというようなことがどうしてあろうか。もし恩を返すことがなければ、右に挙げた季札や弘演らの賢人たちにも劣り、恩知らずの畜生となるだろう。ところが昔、晋の毛宝が命を助けた亀は、後に毛宝が戦いに敗れた時に現われ、背中に彼を乗せて河を渡し、旧恩を忘れずに報いた。また、やはり漢の武帝に助けられた昆明池の大魚は、その恩返しとして、ある夜中に明月珠という宝玉を武帝に捧げたという。畜生でさえ恩を返すのだから、ましてや、偉大な聖人がそれを怠ることがあろうか。阿難尊者は斛飯王の次男、羅ラ羅尊者は浄飯王の孫である。ともに世間的な身分が高い上に、出家して声聞の悟りも得ていながら、爾前経では永く仏には成れないとされていたところ、法華経が説かれた八年間の霊鷲山の席上で、阿難は山海恵自在通王如来、羅ラ羅は蹈七宝華如来という仏と成るであろうと、それぞれ記別をお受けになられた。もし法華経が説かれなければ、彼らがどんなに身分が高く、偉大な聖人であろうとも、結局は仏に成れず、そんな彼らを誰が敬う者などあろうか。夏の国の桀王や殷の国の紂王という人たちは、ともに天子の位につき、国民の信頼を一身に受ける立場にあった。しかし、国の治め方が悪く世をほろぼしてしまったので、今でも悪い者の見本として「桀紂のようだ、桀紂のようだ」といわれている。身分の卑しい者や癩病の者であっても、人から「桀紂のようだ」とわれれば、悪口を言われたと思って腹を立てるのである。法華経の五百弟子品で普明如来の名を授けられた千二百人をはじめとする多くの声聞たちも、もし法華経がなかったならば、一人として彼らの名前を聞き知る者もなかったろうし、彼らが暗誦して伝えた仏の教えを学ぶ者とてなかったであろう。また、仏滅後に一千人の声聞が仏の教えを集めて経典を編集しても、誰もそれを見ようとしなかったに違いない。まして、これらの人々の絵像を描き、木像を造って、それを本尊として尊敬するであろうか。もっぱら法華経のお力があってこそ、すべての声聞たちは人々の帰依をお受けになられているに違いないのである。もし、数多くの声聞たちがそんな恩ある法華経を遠ざけられるようなことがあれば、あたかも魚が水を失い、猿が木を離れ、赤子が乳を飲めず、民衆が国王に見捨てられるのと同じような一大事である。それゆえ、どうして声聞たちが法華経の行者を見捨てることがおできになれようか。声聞たちは、爾前経の教えにより凡夫の肉眼のほかに、超人的な天眼と諸法の空理を見る智恵の眼を得た。そして法華経に至り、菩薩が衆生救済のためにすべてを照らし見る法眼と、仏の一切を見て知る仏眼も備えることができた。これで十方の世界を残すところなく照らし見ることができるようになられた。だから、娑婆世界の中に法華経の行者がいれば、どうしてそれを見逃されることなどがあろうか。
たとえ日蓮が悪人であって、ひと言ふた言、一年二年、または一劫二劫から百千万億劫という非常に長い間、これらの声聞たちを恐れ多くも悪しざまに非難し、刀や杖で危害を加え申し上げるようなことがあろうとも、法華経をさえ信じている行者であるならば、それを見捨てられる訳がない。たとえば、幼い子供が父母をののしったとしても、父母はこの子を見捨てようか。フクロウの子は成長するとその母を食べてしまうが、母鳥はそれを知りつつわが子を育てるという。また、虎によく似た破鏡という獣は父を殺害するが、父はそれを黙って許すとされる。人間より劣る畜生ですら、このように行動する。よって、偉大な聖人たちがどうして法華経の行者を見捨てるようなことがあろうか。そもそも、法華経の迹門の教えを聞いた迦葉ら四人の偉大なる声聞は、みずから理解した旨を次のように述べている。「私たちは今、本当の意味の声聞となった。仏の悟りの声を一切衆生に聞かせることができる。私たちは今、真実の意味での阿羅漢である。梵語の阿羅漢が応供と訳されるように、多くの世間の諸天や人間、魔王や梵天から広く供養を受けることができる。世尊には厚大な恩徳があられる。たぐいまれな手段であわれみつつ教化し、私たちに利益を与えてくださった。たとえ、無量億劫という長い時間をかけても、いったい誰がその大恩に不足なく報いることができるであろうか。手足をもって給仕し、頭を地につけて礼拝し、自分のすべてを捧げて供養したとしても、誰も満足にその恩徳に報いることはできない。あるいは仏を手の上にささげ持ち、両肩にになって、恒沙劫の長い間に一心に敬ったとしても、また美味しい料理や数多くの立派な衣、さまざまな寝具やいろいろの薬を供養し、牛頭栴檀という最高の香木や無数の珍しい宝で仏塔を造り、立派な衣を地面に敷くなどし、無限の時間をかけて供養をささげたとしても、仏の大恩のすべてに報いることは決してできない」と。
B二乗の受難
そんな声聞たちが、法華経以前の諸経典で釈尊にどれほど叱られ、人界・天界の衆生が多く集った説法の場でどれだけはずかしめを受けたか、数えることができない程だ。だから、迦葉尊者が維摩経の教えを理解できず、すべての声聞は大乗教では成仏できないと嘆き悲しんだ声は三千世界に響きわたり、托鉢に行った先の維摩居士から、汝に供養する者は三悪道に堕ちると宣言された須菩提尊者は、我れを忘れて鉢を置き去った。仏から供養を受ける資格のない者と断じられた舎利弗は、直ちに食べたものを吐いて供養を受けないことを誓い、富楼那は維摩居士に、衆生の機根を見分けないで説法することは、高貴な宝器に汚れものを入れるようなものだと誡められた。釈尊は、かつて鹿野苑で阿含経を讃めたたえ、小乗の二百五十戒を師匠と仰いで修行せよなどと、念入りに称讃されながら、今はまた自分がお讃めになった小乗の教えを、いつの間にかこのように非難されるようになられた。これでは全く自語相違と申し上げても致し方ないと、声聞たちはうらみがましく思ったに違いない。かつて釈尊が提婆達多を、「そなたは愚かな人間だ。阿闍世王を誘惑するために神通力で幼児となり、王の懐中でその唾を食うとは」とののしられたところ、提婆達多は毒矢で胸を射られたような屈辱を受け、強く恨んで、「釈迦は仏陀などではない。私は斛飯王の長男であり、阿難尊者の兄なのだから、釈迦とは同族の間柄である。だから、たとえどんなに悪いことがあっても、人に知れないようにそれを教えさとしてくれればよいではないか。それを、これほど多くの人界・天界の衆生が集まった場で、このようにひどいはずかしめを直接与える者が、どうして大人とか仏陀と称讃される人といえようか。そもそも、前には妻となるべき女性を奪い取られ、今また満座の中で恥をかかされた。今日からは生まれかわり死にかわっても、私はずっと釈迦に恨みをもつ敵であるだろう」と誓ったのと同じである。こうしたことを思い合わせるに、今、偉大な声聞となっている人々も、もとはバラモン教の祭祀階級の出身であったり、さまざまな宗教の中でも高い位にいた者であったから、国王たちの帰依を受け、多くの信者たちからも尊敬されていた。中には生まれが高貴な人もあり、またすばらしく富裕な人々もいた。ところが、発心した彼らはそれぞれの名誉や財産をなげうってうぬぼれの心を捨て、世俗の豪華な衣服を脱いでぼろ布でつぎ合わせた糞掃衣(ふんぞうえ)を身につけ、高貴な者が持つ白毛の払子(ほっす)や弓矢を投げ捨てて、乞食に必要な鉢一つを手に握り、貧しく物乞いのような姿で釈尊に随侍して、風雨をしのぐ家もなく、生命をつなぐ衣食とてこと欠くありさまであった。ところが、当時のインドは国をあげてみなバラモン教の弟子や信者であったから、釈尊ですら九度におよぶ大きな災難をお受けになった。かの提婆達多は崖から大石を投げつけ、阿闍世王は酒を飲ませた象を追いやって危害を加えんとし、阿耆多王は仏たちを招きながら供養せずに餓死をたくらんだので、釈尊は馬の飼料である麦を食べて飢えをしのいだ。また仏が婆羅門城で老女から臭い米汁を供養されたことを、外道たちは臭食の報いであるとののしり、旃遮(せんしゃ)という外道の女は木の鉢を腹に伏せて釈尊の子を身ごもったと吹聴した。仏ですらこのありさまであるから、随う弟子たちに加えられた迫害などはとても数え切れない。数多くの弟子たちは、釈迦族に怨みを持つ舎衛国の波瑠璃王に殺害されたり、酒に酔った暴れ象に踏み殺されたりし、華色比丘尼は石を落として釈尊を殺そうとした提婆達多を非難してなぐり殺され、迦盧提尊者は姦通を知られたと思った外道の女性に殺されて馬糞の下に埋められ、目連尊者はその邪見を破した竹杖外道に殺害された。その上、六派の有力な外道が心をあわせて阿闍世王や婆斯匿王に讒言し、「釈迦はこの世界で一番の大悪人である。彼が行くところには三災七難がつぎつぎに降りかかる。ちょうど、大きな海にかずかずの河川が流れ入り、大きな山に大小さまざまな樹木が成長するように、釈迦のもとには多くの悪人が集まっている。迦葉や舎利弗、目連や須菩提などという者たちである。本来、人間として生を受けた者は忠義と孝行を第一にしなければならない。しかし、彼らは釈迦にだまされて、父母の教訓に従うことなく家を出奔し、国王の命令に背いて山林に入ってしまった。このように忠・孝をないがしろにする者は、国内に止住させるべきではない。そんな釈迦と弟子たちがいるために、天では太陽や月や星などに異変が見え、地でも多く災いが競い起こっている」などと訴えた。これだけでも声聞たちにはとても堪えきれないと思われたのに、さらに重なり来た次のような災難のために、ついに彼らは素直に釈尊に従うこともできなくなった。それは、人界や天界の衆生が居ならぶ説法の座で、声聞たちがしばしば師の釈尊より叱責されたことであり、彼らはその声を聞いて、どのようにしたらよいのか分からず、ひたすらうろたえるばかりであった。中でも、最大の非難は、維摩経の「汝に供物を施す者は福徳を得ることはできない。汝を供養する者は地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちる」という経文である。これは、釈尊が中インドの菴摩羅樹園(あんまらじゅおん)において、梵天・帝釈天や日天・月天、三界の諸天や地神・竜神など無数の人々が集まった説法の場で、須菩提らの声聞たちに供養を捧げる天界および人界の者は三悪道に堕ちるであろう、と述べたものである。このような仏の非難を直接聞いた天界や人界の人たちが、果たして声聞たちに供養を捧げたりするだろうか。要するに、釈尊はみずからの言葉で多くの声聞や縁覚を殺害しようとされたのかとさえ思われる。心ある人々は嫌気が差してしまい、釈尊からも遠ざかってしまったであろう。それゆえ、これら二乗の人々は、釈尊が受けられた供養の余りによって、辛うじてその身命を永らえられたのである。以上のような事柄から考えてみると、釈尊が四十数年間の諸経だけしか説かれず、八年間の法華経の説法がないままに入滅されたとしたら、誰がこれらの二乗の聖者たちを供養し奉ったであろうか。そうなれば、かの人たちは生きながらにひもじい餓鬼道の苦しみの中にずっとおられたことであろう。
C法華経の法恩
ところが釈尊は、その四十余年間に説かれた諸経の説法を、あたかも春の日差しが厚い氷を溶かし、草の葉の無数の露を大風が瞬時に吹き落とすように、「私はまだ真実の教えを明かしていない」という一言であっという間に否定し、ちょうど大風が黒雲を吹き払った天空に満月が浮かび、青空に太陽がお出になるように、法華経に「仏は長く方便の法を説いた後に、必ず真実を顕わす」と宣言されて、舎利弗は華光如来、迦葉は光明如来などと名前を挙げて将来の成仏を保証し、その旨を光り輝く太陽や明るく照らす月のように、経文に明記して後代の手本とされたので、仏滅後の人界・天界のすべての仏教信者たちから、声聞たちはまるで仏のように崇められるようになられたのである。
D守護の必定と未遂
水が澄めば、月はその姿を映すことを惜しまない。風が吹けば、なびかない草木などがあろうか。法華経の行者がいれば、舎利弗や迦葉らの聖者は守護のため、大火の中をくぐり抜けてでも、大石の中を通り抜けてでも、必ずやって来られるに違いない。迦葉は鶏足山(けいそくせん)で禅定の境地に入り、将来の弥勒仏の出現を待っているというが、それも事と次第によるのであって、今、どうして声聞たちはここに出現しないのであろうか。全く不思議でならない。法華経が世に弘まる「後の五百歳」とは、末法の今のことではないのだろうか。「広く宣べられて法華経が流布する」という仏の言葉はそらごとになるのだろうか。それとも、日蓮が法華経の行者でないからなのか。聖者たちは、法華経は仏の悟りの糟糠を伝える教えに過ぎず、禅宗だけが経典に依らずに仏の悟りの真実を直接伝える教えであるなどと、大うそをつく者をお守りになるのか。それとも、念仏宗以外の教えを「捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、抛(なげう)て」と決めつけ、法華経の門を閉じろ、経巻を投げ捨てろと選択集の版木に彫りつけて、法華信仰の堂塔を壊す者を守護されるのか。諸天たちは釈尊の前で行者守護の誓いを立てたものの、五濁悪世の大難の激しさに臆して出現されないのであろうか。日天も月天もしかと天にいらっしゃる。須弥山は今も崩れていない。潮も違えずに満ちては引いている。春夏秋冬の四季も常のごとくやって来る。それなのに、法華経の行者に加護がないのは、いったいどうしたのだろうかと、疑いはますます大きく増すばかりです。
@弟子としての釈尊
ところで、多くの偉大な菩薩や天人たちは、経文の上では確かに、それぞれ法華経以前の経典で成仏の保証を得たように見えるが、それは水中の月影を取ろうとしたり、影を本体と見誤るようなものであり、あくまでもうわべの形だけであって、真実の意味での成仏の保証ではない。それゆえ、釈尊のご恩の深さも本当の意味での深さではないのである。釈尊がはじめて悟りを開き、まだみずから教えを説かれなかった時に、法恵菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩などの六十人余りの大菩薩たちが、十方世界の諸仏の国土から教主釈尊のご前に来られ、賢首菩薩や解脱月菩薩らの願いに応じて、十住・十行・十回向・十地などの教えを説かれた。これが華厳経である。これらの大菩薩たちが説いた教えは、釈尊から習い申し上げたものではなく、また十方世界から多くの梵天王たちも来て教えを説いたが、これまた釈尊から習い申し上げたものではない。だいたい、華厳経の説法に参集した大菩薩や天衆・竜神たちは、釈尊が成道する前にすでに大乗の悟りを得て、その境地に安住していた大菩薩である。彼らは、釈尊が過去に菩薩の修行をしていた時のお弟子であろうか。それとも、釈尊以前に成道された十方世界の仏のお弟子なのだろうか。ともあれ、このたびインドに出現され、はじめて悟りを開かれた釈尊の弟子ではない。華厳経の後の阿含部・方等部・般若部の説教の中で、仏が蔵教・通教・別教・円教のさまざまな教えを説かれるにつれて、徐々にお弟子たちは育ってきたのです。また、この阿含・方等・般若の時の説法も、釈尊がみずから説いたものには違いないが、本当の意味での釈尊の説法ではない。というのも、方等部や般若部の諸経で明らかにされた別教と円教は、華厳経に説かれた別教と円教と同じ内容の教えである。その華厳経に説かれた別円の二教は、教主釈尊の説いたものではなく、前に述べたように、法慧等の大菩薩が説いた別教であり、円教である。それゆえ、これらの偉大な菩薩たちは、外見は釈尊のお弟子のように見えるが、むしろ釈尊の師匠というべきであろう。釈尊は、菩薩たちが説き明かした別円二教・四十位の法門を聞いてその智恵を深くし、後の方等部・般若部の諸経典に同じように別円二教を説いたのである。まったく華厳経の別円二教そのものと何ら変わるところはない。とすれば、法恵等の偉大なる菩薩たちは釈尊の師匠である。華厳経でこれらの菩薩たちを数えあげて善知識と説かれたのは、そのような意味からである。善知識と申すのは、全くの師匠でもないし、全くの弟子でもない存在である。四教のうち、蔵教と通教は別教と円教の枝葉に外ならない。だから、別円の二教に明かるい法恵等の菩薩たちは、当然のように蔵通の二教にも通暁しているだろう。そもそも師とは、弟子の知らないことを教えてこそ師と呼ばれるのです。たとえば、釈尊が出現する前のすべての人間・天衆や外道の信奉者たちは、摩醯首羅天・毘紐天の二天や迦毘羅・・楼僧・勒娑婆の三仙の弟子であった。外道は後に九十五種にまで分かれたが、三仙の教えを超え出ることはなかった。教主釈尊も最初はその三仙の教えを学び、外道の弟子であられたが、身体を苦しめる苦行と精神を深める楽行を十二年実践した末に、「すべての現象は苦であり、実体を持たない空である。一切は移りゆき、実体としての我(が)は存在しない」という真理を悟って外道の世界から離れられ、誰の教えにも依らず、みずから悟った智恵に安住したことを表明された。その結果、人間も天衆も釈尊を偉大なる導きの師と尊敬したのである。このようなことからも、法華経以前に華厳・阿含・方等・般若の諸経を説かれた時の教主釈尊は、法恵等の菩薩たちのお弟子であった。法華経の序品には、文殊菩薩が日月灯明仏の弟子の妙光菩薩として法華経を付属され、日月灯明仏の八人の王子を次々に教化したさまが説かれているが、釈尊はその第八王子の燃灯仏を師としたところから、文殊菩薩を釈尊九代の師匠であると申し上げるのと同様である。爾前経にて釈尊が「悟りを開いてから涅槃に入るまで、私は一字も説かなかった」とおっしゃったのも、自分の教えはついに一字も説かなかったという意味である。
A具足道と十界互具
釈尊は、七十二歳にしてマガダ国の霊鷲山という山で無量義経をお説きになった時に、それまで四十数年間に説いた諸経を挙げて、それに付随する経典をすべて含めて、「私は四十余年間の教えには真実を明かしていない」と否定された。その時、多くの大菩薩や天人たちは驚き、あわてふためいて、釈尊の真実の教えをお聞きしたいと願い申し上げた。しかし、無量義経では真実の教えと思われる言葉は一言あったけれども、その内容がちゃんと明かされた訳ではない。ちょうど、出ようとしている月がいまだ東の山に隠れていて、光だけが西の山を照らしているものの、誰もまだその姿を見ていないという状況と同じである。法華経の方便品に至り、「略して三乗を開いて一乗を顕わす」段で、釈尊はみずからのご本意である一念三千の法門を簡略に述べられた。けれども、何せはじめてのことなので、ほととぎすの鳴き声を寝ぼけた者が一声だけ聞いたようなものであり、月が山から姿を現わしたものの、薄雲に覆われてしまい、おぼろにかすんでいるような状態だったので、舎利弗らははっと気づき、諸天・竜神・大菩薩たちをうながして、「ガンジス河の砂の数ほどの天衆・竜神や、仏を求める八万人の菩薩たち、そして万億国の転輪聖王がここに集って合掌し、心から具足の道をお聞きしたいと願っています」などと仏に願い出た。経文の意味は、法華経以前の華厳・阿含・方等・般若の四十数年間の諸経典では、いまだ明かされなかった教えをお聞きしたいと、舎利弗が請い願ったのである。この経文に「具足の道をお聞きしたいと願っています」と見えるが、大涅槃経には「薩とは具足という意味である」とある。中国・唐代の均正の大乗四論玄義記には、「梵語の沙は六と翻訳する。インドでは、六は具足の義を表わす」といい、嘉祥大師の注釈書には、「沙とは具足と翻訳する」といい、天台大師の法華玄義第八には、「梵語の薩は、中国では妙と翻訳する」と解釈されている。釈尊からの付法相承の第十三番目にして真言・華厳等の諸宗の元祖であり、法雲自在王如来の再誕である竜樹菩薩は、別名を竜猛といい、初地の悟りを得た聖者であるが、その著作の大智度論千巻での重要な解釈として、「薩とは六という意味である」と述べている。妙法蓮華経と申すのは中国の訳語であり、インドの言葉では薩達磨分陀利迦蘇多攬(サダルマ=妙法。プンダリーカ=蓮華。スートラ=経)と申し上げる。善無畏三蔵は法華経の肝心を示す真言として、「曩謨三曼陀M阿々暗悪薩縛勃陀枳攘娑乞蒭毘耶Y々曩婆縛羅乞叉薩哩達磨浮陀哩迦蘇駄覧惹吽鑁発縛曰羅羅乞叉カ吽娑婆訶(常住にして普遍なる仏陀三身如来に帰依する。すべての衆生に開示されている仏の智恵を悟ることができれば、大空が清らかなように心の迷いを離れ、妙法蓮華経の教えに入って歓喜し、その教えをかたく守ることができるであろう)」と説き示している。この真言は、南インドの鉄塔の中で竜樹が金剛薩Pから、法華経の肝心を示すものとして伝授されたという真言である。この中に「薩哩達磨」と申すのは、正法の意である。冒頭の「薩」は「正」と訳される。そして、「正」と「妙」は同義であるから、「正法華経」および「妙法蓮華経」と漢訳された。また、善無畏三蔵は妙法蓮華経の上に帰依を意味する南無(曩謨)の二字を置いたから、南無妙法蓮華経となる。以上の諸釈から、「妙」とは具足の意味であることが分かる。そして、「六」とは六波羅蜜に集約されるすべての修行を示すので、舎利弗は菩薩たちの六波羅蜜等の修行が全部具足している教えを聞きたいと願ったのである。「具」とは、地獄から仏までの十界がそれぞれに他の九界を具えるという十界互具を表わす。「足」と申すのも、十界のそれぞれの法界に他の九界が満足しているという意味である。この法華経一部の構成は八巻二十八品であり、六万九千三百八十四の文字から成り立っているが、その一字一字がみな「妙」の字を具備しているので、すべての字が三十二相八十種好の威徳を持つ仏陀である。これは十界のそれぞれがおのれの仏界を顕現している姿である。妙楽大師は「仏界の功徳さえ具えているのであるから、その他の九界の功徳も当然具えている」と述べている。釈尊は、舎利弗らが「具足の道」を聞きたいと願ったのに答えて、「すべての仏は、衆生が本来持っている仏の智恵を開かせようと望んでいる」と説き明かした。ここに「衆生」と申すのは舎利弗らの二乗であり、二乗と同じく従来成仏を否定されてきた一闡提の者のことである。また、この「衆生」とはすべての九界の衆生を指すのであるから、四弘誓願の一つで、「限りなく存在する衆生をすべてを救いたい」という一切の菩薩の願いは、ここに成就した。釈尊が方便品で「私は過去に誓願を立てて、すべての人々が私と同じ悟りを得て、仏となることを望んだ。今、その願いはここに満足した」と述べた通りである。この教えを聞いた多くの大菩薩や天衆たちは、「私たちは昔からたびたび釈尊の説法をお聞きしたが、いまだこれほど深くてすばらしい教えを聞いたことがない」と、譬喩品で自分たちの理解を語った。伝教大師はこの経文を解釈して、次のように述べている。「最初の『昔からたびたび釈尊の説法をお聞きした』とは、かつて法華経が説かれる前に華厳経などの大いなる教えを聞いたことをいう。次の『いまだこれほど深くてすばらしい教えを聞いたことがない』とは、法華経に一切衆生がみな仏に成ると説かれた一仏乗の教えなどは、今まで微塵も聞いたことがないという意味である」と。つまり、華厳・方等・般若の諸部の解深密経や大日経などの数多くの大乗経典では、釈尊の教えの肝心である十界互具および一念三千の重要な構成要素である二乗作仏と久遠実成の法門を、私たちはこれまで聞いたことがなかったとみずからの理解を述べたのである。また、法華経で一切衆生成仏の教えが説かれた今、多くの大菩薩や梵天・帝釈・日天・月天・四天王らもはじめて教主釈尊のお弟子となったのです。
@分身の諸仏
それゆえ見宝塔品で、これらの大菩薩をご自身のお弟子だとお思いになった釈尊は、彼らを諫める意味で、「数多くの修行者たちに告げる。私が入滅した後に、誰か、よくこの経典を護り持って読誦する者はないか。もしいるならば、今、私の前でみずからの誓いの言葉を述べよ」と、非常に強い口調で仰せられた。また、多くの大菩薩たちも「譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し」との経文通り、吉祥草とよばれる神聖な草が大風になびき、あらゆる河の水が大海へ流れて入るように、仏に随い奉ったのである。また、多くの大菩薩たちも「譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し」との経文通り、吉祥草とよばれる神聖な草が大風になびき、あらゆる河の水が大海へ流れて入るように、仏に随い奉ったのである。けれども、霊鷲山で法華経が説かれはじめてからまだ日が浅く、一切衆生がみな仏に成るという一仏乗の教えも夢か現実かはっきりしなかったところに、多宝如来の宝塔が出現して、それまでの迹門の教えが真実であることを証明し、同時に本門の教えが説かれる因縁を起こしたので、釈尊は十方世界より集まり来た諸仏を「みな私の分身である」と宣言され、宝塔は空中にあって、その中に釈迦と多宝の二仏が並んで坐り、まるで太陽と月とが青空に一緒に出現したようであった。集まった人間や天衆たちは星を列べたように空中にとどまり、釈尊の分身の諸仏は大地の上の七宝で飾られた樹の下の仏座に着かれた。華厳経に説かれた蓮華蔵世界では、十方世界の報身仏とこの娑婆世界の報身仏はあくまでもそれぞれの国土に居て、かの世界の仏がこの国土に来て釈尊の分身と名乗ることもなければ、逆にこの世界の仏がかの国へ行くこともなかった。そんな中、ただ法恵・功徳林らの大菩薩だけがこの世界の説法の場へと来たのである。大日経の四仏・四菩薩や金剛頂経の三十七尊の仏・菩薩たちは、大日如来の変化身のように見えるけれども、法華経のように法・報・応の三身を円満に具足した久遠の仏ではない。大品般若経に見える千人の仏や、阿弥陀経に東・西・南・北・上・下の六方から現れた諸仏も、他の世界からやって来た仏ではない。大集経の時に来集した仏もまた分身の仏ではなく、金光明経で東・西・南・北の四方に出現した仏も変化身に過ぎない。一般にすべての経典の中で、それぞれ修行して成就した仏にして、法・報・応の三身を具足した仏たちを集めて、それらを釈尊がご自分の分身だと説かれた例はない。それが法華経本門の寿量品への遠い導入部として、宝塔品で分身の義が説かれたのである。インドに生を受けて、三十歳ではじめて成道してから四十数年しか経たない釈尊が、一劫とか十劫などというはるか昔に成道された仏たちを集めて、自分の分身だと説かれたのである。それは、多くの仏たちも法身としては違いがないという平等の見地に基づく説法と大きく相違するので、はなはだ周囲を驚かせることとなった。また、インドではじめて成道した仏ならば、その仏に教化される弟子が十方世界に満ちあふれることもないので、たとえ仏が分身仏を示現する徳を現わしても、とてもその数が追いつかず、無益な行為である。天台大師は「分身が多いという事実から、まさに釈尊が成仏してから長い時間を経過していることが分かる」と述べている。これは、その説法の場所に集まった人たちの、分身の多さに大変驚いたことの意味を述べたものである。
A地涌の菩薩の出現
その上、従地涌出品では地涌千界の大菩薩たちが大地から出現した。その姿は、釈尊の第一のお弟子と思われていた普賢や文殊という菩薩たちも、とても相手にならない立派さである。華厳・方等・般若の諸部の経典や法華経の見宝塔品に集まり来た大菩薩たちや、大日経などの金剛薩Pらの十六人の大菩薩たちなども、今の地涌の菩薩に対した時には、猿の群れの中に帝釈天が出現されたようなものであり、身分の卑しい者の中に公卿などが交わる姿に外ならない。釈尊の次に仏になるべき弥勒菩薩でさえも、この菩薩たちを知らなかった。ましてや、それ以下の人たちが知る由もない。この千箇の大千世界の微塵の数に等しい多くの大菩薩たちの中に、四人の偉大な聖者がおられた。すなわち、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩である。この四人に対しては、法華経が説かれた霊鷲山や虚空にいた大菩薩たちも、まともに目を合わすこともできず、気持ちも臆してしまった。華厳経の法恵・功徳林等の四菩薩や大日経の普賢・文殊等の四菩薩、そして金剛頂経の十六人の大菩薩たちも、この四大菩薩に向かった場合は、視力の弱い人が太陽を見ようとして、そのまぶしさにたじろぎ、漁師が皇帝に向かい奉って、その威厳に強く打たれるようなものである。それは、あの太公望らの四聖が民衆の中にいたありさまに似ている。また、漢の高祖の時代に商山に隠棲していた東園公・綺里季(きりき)・夏黄公(かおうこう)・角里(ろくり)先生の四人の老臣が、若い第二祖・恵帝を補佐した姿と違わない。立派にして威風があり、高貴にして気品がある。釈尊や多宝如来、そして十方分身の諸仏を除けば、一切衆生を仏道に導く指導者とも頼み申し上げねばならない人々であった。
B弥勒たちの疑い
その時、弥勒菩薩は心の中で次のように思った。「自分は釈尊が釈迦族の太子であられた時から、三十歳で悟りを得られ、そして今、この霊鷲山で法華経を説かれるまでの四十二年の間、この娑婆世界の菩薩たちは勿論のこと、十方の世界から集まり来たった大菩薩たちも残らず知っている。また、十方の清浄な国土や穢れた国土に仏のお使いとして行き、みずから衆生教化のために出向いたりして、それらの国々で多くの大菩薩たちを見聞きしてきた。そんな自分がこれまでに見たことがない立派さを持つこれらの大菩薩たちを、指導し教化した師はいったいどのような仏なのだろうか。さぞかし釈尊や多宝如来、十方分身の諸仏とは較べようもなく高貴な仏でいらっしゃるのであろう。雨の激しく降るさまを見て、それを降らす竜が大きいことを知り、蓮の花の大きく咲くさまを見て、その池の深さが判断できる。これら地涌の大菩薩らはどのような国から来られたのか、また何と申し上げる仏に従い奉って、いかなる偉大な法を習いきわめられたのか」と、そのような疑問を懐いた。そのあまりにもの疑わしさに、言葉を発することもできそうになかったが、仏のお力を頂いたためであろうか、弥勒菩薩は釈尊に次のように質問した。「ここに大地より出現した無量千万億のもろもろの大菩薩たちは、私がこれまで修行してきた中で、一度も見たことがない方々です。この数多くの大いなる威徳をそなえ、精進をかさねてこられた菩薩たちは、いったい誰が法を説いて教え導き、その徳を完成させたのでしょうか。誰に随侍して悟りを求める心を起こし、どのような仏法を称讃して修行されたのでしょうか。…世尊よ、私は今までにこのようなありさまに接したことがありません。どうぞお願いします、この菩薩たちの国土の名を説いてください。私は常にいろんな国土に赴きますが、いまだかつてこのようなことを見たことがありません。これらの方々の中で、私が見知っている人は一人もおられません。菩薩たちはにわかに大地より涌き出てこられました。どうぞお願いします、このありさまのいわれをお説きください」と。天台大師はこの経文を、「菩提樹下での華厳経から今の法華経従地涌出品の会座まで、仏の説法の場には十方の世界から大菩薩たちがいつも訪れて、その数は限りないほどだが、私・弥勒は釈尊の後継者としての智恵の力ですべてを見知っている。ただ、この方々だけは一人も知らない。十方の世界に出向いて多くの仏にお会いし、人々にもよく知られている私ですのに」と解釈し、さらに妙楽大師は、「智恵ある人はこれから起きることをあらかじめ知っている。蛇がおのずから蛇を認識するのと同じように」と述べている。以上の経文および注釈の意味は明白である。すなわち、釈尊がはじめて菩提樹の下で成道してから今までに、この娑婆世界や十方世界でこの菩薩たちを見奉ったこともなければ、その名を聞いたこともなかった、と弥勒菩薩は申し上げたのである。すると、釈尊はこの疑問に答えて、「弥勒よ。…そなたたちが昔から見たことがないこの菩薩たちは、私が娑婆世界で悟りを得た後に教え導き、その心を訓練して菩提を求めさせたのである」と語り、また「私は、伽耶城に近い菩提樹下に坐って悟りを開き、最高の教えを説き、すべての者を教化して菩提心を起こさせた。今、彼らはみな再び迷わない境地にある」、そして「私は永遠の過去からこれらの者たちを教化してきたのだ」と述べられた。この答えによって、弥勒ら大菩薩たちの疑問はいよいよ深まってしまった。というのも、釈尊が華厳経を説かれた時には、法恵・功徳林らの数多くの大菩薩たちが教えを讃えるために集まった。どんな人々なのだろうかと思い案じていたら、釈尊が「私の善き仏道の友である」とおっしゃったので、なるほどと納得した。その後、大宝坊で大集経が説かれた時や、白鷺池で大品般若経が説かれた時に集まり来た大菩薩も同じであった。ところが今の大菩薩は、それらの人たちには比べようもなく古く尊げにあられる。おそらく釈尊のお師匠であろうかと思ったところ、釈尊は「これらの菩薩たちは私が教化して、はじめて菩提心を起こさせた」とおっしゃり、幼稚だった者たちを教え導いて弟子にしたなどと語られたので、疑問はさらにふくれあがってしまった。日本の聖徳太子は第三十二代の用明天皇のお子である。六歳の時に、百済・高麗ならびに唐の国から渡って来た老人たちに対して、六歳の聖徳太子が「これらは自分の弟子である」と仰せられたところ、かの老人たちもまた合掌して「私たちの師です」と答えたという。不思議な話である。また外典に伝わる話では、昔、ある人が歩いていたところ、道路の脇で三十歳ぐらいの若者が八十歳ほどの老人を捕まえて打ちつけていた。ある人がその訳を問いただすと、若者は「この老人は自分の子である」などと答えたという。今の釈尊と大菩薩たちとの関係に似た話である。そこで、弥勒菩薩たちは疑いを次のように申し上げた。「世尊よ。如来はまだ太子であられた時に釈迦族の宮殿を出て、伽耶城から間近い菩提樹下の道場に坐して最高の悟りを獲得されました。それからまだ四十数年の歳月が経過したに過ぎません。世尊よ、どうしてこのわずかばかりの時間の中で、これほどの大いなる仏としての仕事をなされたのでしょうか」と。仏が華厳経を説かれてから四十数年の間、菩薩たちがそれぞれの説法の場で疑問を仏に申し上げて、すべての人々の疑惑をこれまでに晴らしてきた。そうした中でも、今の疑問が最も大きなものであろう。無量義経において、大荘厳らの八万の菩薩たちが成仏の修行を問うたところ、釈尊はそれまでの四十余年で説いてきた、長時間修行した後に成仏を遂げるという歴劫成仏を否定して、この身のままで菩提を得るという速疾成仏を明らかにされたので、その相違を菩薩たちは疑ったが、今の疑問はそれにも超えるものである。観無量寿経によると、韋提希夫人の子の阿闍世王は提婆達多にそそのかされて、父の頻婆沙羅王を幽閉し、母の韋提希夫人をも殺そうとしたが、耆婆と月光という二人の聡明な家臣の強硬な諫めで思いとどまった。その時、韋提希夫人はお招きした釈尊に向かい、第一の疑問として、「私は、昔にどのような罪があったために、このような悪逆の子を生んだのでしょうか。また世尊は、どんな因縁があって、提婆達多のような悪人と親族となられたのですか」と申し上げた。ここでの「世尊は、またどのような因縁があって提婆達多のような悪人と親族になられたのですか」という疑問は、非常に大切な意味を持っている。転輪聖王は敵と一緒に生まれることはないし、帝釈天王は鬼と一緒に住むことはないという。まして釈尊は無量劫という長い間、慈悲を行じてこられた方である。どうして自分に大きな怨みをもつ者と生まれ合わせられたのだろうか。あるいは、釈尊は仏ではあらせられないのではないか、と韋提希夫人は疑ったのであろう。しかし、釈尊はこの疑問にお答えにならなかった。だから、観無量寿経を読誦する人は、釈尊と提婆の因縁が明かされる法華経の提婆達多品に至らない限り、この疑問は解決されないので、その読誦も無益となる。また、涅槃経の寿命品で迦葉菩薩が釈尊に三十六の質問を重ねたが、これも今の従地涌出品の弥勒菩薩の疑問には及ぶものではない。それほど重大な疑問であるから、もし釈尊が明解な答えによってその疑雲を解消されなければ、それまでのご一代の尊い教えは、すべて泡沫のように無価値なものとなり、一切衆生は果てしない疑いの網から脱れられなくなるであろう。如来寿量品が大切であるという意味は、まさしくこの点にある。
C久遠実成の開顕
その寿量品で釈尊は次のように説かれた。「すべての世間の天衆や人間および阿修羅たちは、今、教えを説く釈迦牟尼仏は釈迦族の宮殿を出て修行をかさね、伽耶城に近い菩提樹下ではじめてこの上ない覚りに到達したと思っている」と。この経文は、はじめて悟りを開いた後に説かれた華厳経から法華経の安楽行品に至るまでの、すべての大菩薩たちの理解を示したものである。そして、釈尊は「ところが、良家の子息たちよ、実は私が仏道を成就してから無量無辺百千万億那由佗劫という思慮を絶する永い時間を経ている」と述べられた。この経文は、華厳経で三箇処に説かれた「菩提樹下ではじめて正覚を成じた」、阿含経の「はじめて覚りを得た」、維摩経の「はじめて菩提樹下に坐って覚りを開いた」、大集経の「はじめて正覚を成じてから十六年」、大日経の「私は昔、菩提樹下の道場に坐して得悟した」など、仁王般若経の「はじめて仏道を成じてから二十九年」、無量義経の「私は先ず菩提樹下に坐して修行すること六年」、法華経方便品の「私ははじめ道場に坐して」などなど、釈尊が菩提樹下ではじめて覚りを開いたというすべての経文を、今の寿量品の経文は「全く真実ではない」と一言で否定したのである。このように釈尊が無限の過去から常住する仏であるという真実が明らかになった時、その他のすべての仏はみな久遠の釈尊の分身となった。爾前経や法華経の迹門の時は、諸仏は釈尊と対等の立場でそれぞれに修行を積んだ仏であった。それゆえに、諸仏の中の一仏を本尊と仰ぐ者は、釈尊をはじめとする他の仏を低く位置づけた。ところが、如来寿量品が説かれた今は、華厳経の蓮華台上の仏や方等部・般若部の諸経典、そして大日経などの諸仏はすべて釈尊の分身であり、眷属となった。インド応誕の釈尊は三十歳で正覚を成じられた時、それまで大梵天王や第六天の魔王が支配していた娑婆世界を奪い取って、三界の主となられた。今はまた、法華経以前の諸経や法華経の迹門では、十方の世界が浄土であり、この娑婆世界は迷いの穢土であると説かれていたのを逆転させて、この娑婆世界こそ仏の清浄な本土であり、十方世界は釈尊が仮りに分身を現した穢土となったのである。釈尊が久遠本地の仏であれば、その垂迹の仏に教化された大菩薩や他方の国土の大菩薩も、すべてみな教主釈尊のお弟子である。それゆえ、もしすべての経典の中にこの如来寿量品が説かれなければ、天に太陽や月がなく、国に偉大な王がなく、山河に珠がなく、人にたましいがないようなものであるのに、爾前権教によって立てた諸宗では智慧ある者とされる華厳宗の澄観や三論宗の吉蔵、法相宗の慈恩や真言宗の空海らは、自分の宗派が依り所とする権教の経典を讃えるために、あるいは「華厳経の教主は常住の報身仏であるのに、法華経の教主は無常の応身仏である」とか、あるいは「法華経寿量品の仏は迷いの根本である無明の中にあるが、大日経の仏は無明の迷いを超克した境地にある」などと述べている。雲は月を隠してしまい、他人をおとしいれようと告げ口する家臣は賢人を見失わせる。告げ口された人は、ただ黄色いだけの石を宝玉と見、へつらうだけの家臣を賢人かと思い込む。今の濁悪末世の学者たちは、華厳宗の澄観や真言宗の空海などの真実を隠す悪義にだまされて、寿量品に明かされた久遠実成の宝玉を愛しようとしない。また、天台宗の人々も迷惑して、なかには黄金とただ黄色いだけの石とを同じ価値と思い込む人もいる。釈尊が久遠の昔に成道なさらなければ、その弟子もまた少なかっただろうということを、よくよく考えないといけない。月はその影を映すことを惜しまないが、水がなければ影を映すことはできない。仏が衆生を教化しようと思われても、衆生との因縁がなければ、八相成道のすがたを現わすこともない。たとえば、もろもろの声聞たちが別教の初地、円教の初住という聖者の位に昇り、衆生を教化できるようになっても、法華経以前では自己の修錬と解脱だけに専心して、衆生との因縁を結ばなかったために、法華経で覚りを得ても成仏の保証だけに止まり、八相成道は未来世を待たねばならなかった。だから、教主釈尊がインドの菩提樹下ではじめて成道した仏だとすれば、この娑婆世界をその創成のはじめから統治してきた梵天・帝釈天・日天・月天・四天王らは、法華経以前のたった四十数年の間だけの仏弟子ということになる。霊鷲山での八年間の説法で法華経に縁を結んだ者たちも、新しく仕えた主君である始成正覚の仏にはなじめず、久しくこの土を統治する梵天や帝釈天らには遠ざけられているような、そんなありさまであった。今、釈尊の久遠実成が明かされたので、東方の薬師如来の脇士である日光・月光の両菩薩や、西方の阿弥陀如来の脇士である観音・勢至の両菩薩、あるいは十方世界の諸仏のお弟子や、大日経・金剛頂経の金剛界・胎蔵界という両部の大日如来のお弟子の諸大菩薩たちも、すべて教主釈尊のお弟子となった。諸仏が釈迦如来の分身である以上、その教化を受けた者はもちろんのこと、この娑婆世界が創成されたはじめから住している日天子・月天子や多くの明星天子なども、みな教主釈尊のお弟子でないことがあろうか。
ところが、天台宗以外の諸宗はみな本尊に迷っている。倶舎・成実・律の三宗は、三十四種の心で見思の煩悩を断じて成道した釈尊を本尊としている。ちょうど帝王の太子が迷って自分は庶民の子であると思い込んでいるようなものである。華厳・真言・三論・法相などの四宗は大乗の宗旨である。そのうち、法相宗と三論宗は通教の仏である勝応身に似た仏を本尊としている。帝王の太子が迷って、自分の父は武士であると考えるのと同じである。また華厳宗と真言宗は釈尊を退けて、それぞれ毘盧遮那仏と大日如来を本尊と定めている。帝王である父を格下げして、高貴でない者が法王の座に就いているのに従う姿に似ている。浄土宗は、釈尊の分身である阿弥陀仏を縁ある仏と思い、肝心の教主釈尊を捨ててしまった。禅宗は、身分の卑しい者が少しの徳をたのんで自分の父母をさげすむように、仏を見下し、経典を軽視している。これらの宗はみな真実の本尊を見失っている。たとえば、中国古代の伏羲・神農・黄帝という三皇の治世以前には、人はみな自分の父を知ることがなく、まったく鳥や獣と同じであったようなものである。久遠の釈尊が説かれている法華経の寿量品を知らない諸宗の人々は、みずからの父を知らない畜生と同じであって、当然恩を知ることもない。したがって、妙楽大師は「釈尊一代の教えの中で、いまだかつて父母である仏の寿命が久遠であることを説いた経典はなかった。…もし父の久遠の寿命を知らなければ、その父が治める国を正しく知ることもできない。いかに才能があるといっても、それではまっとうな人の子とはいえない」と述べている。妙楽大師は唐の第六代・玄宗皇帝の天宝年中(七四二〜五五)に活躍した人である。大師は三論・華厳・法相・真言などの諸宗やその依りどころとする経典を深く読み、広く考えた結果、寿量品の久遠実成の釈尊を知らない諸宗の者は、父である釈尊が治める国のありさまを正しく知らない才能を持った畜生であると書いたのである。「いかに才能があるというとも」とは、華厳宗の法蔵や澄観、あるいは真言宗の善無畏三蔵らが才能ある指導者でありながら、真実の父を知らない子どものようなものだと指摘した言葉である。
@諸経不説の一念三千の仏種
日本の顕教および密教の元祖である伝教大師は、法華秀句に次のように述べている。「天台法華宗以外の諸宗が依りどころとする経典は、一分の実相の理を説いて、わずかに仏を生む道理があるものの、母の愛だけで父の厳の義である仏種が説かれていない。それに対して、天台法華宗の教えには父の厳と母の愛の両義が備わっている。すべての仏道修行に精進する者の父である」と。真言宗や華厳宗などが依りどころとする経典には、下種益・熟益・脱益という大切な仏の化導の三義に関してはその名称すら説かれていない。ましてや、その内容が示されているはずもない。華厳宗や真言宗の経典などでは、一生の間に初地という高い位に到達して、この身のままで成仏するなどと説かれるが、経典そのものが仮りに説かれた方便の教えに過ぎず、成仏の根源である過去の下種益も明かされていない。下種のない成仏なので何の実体もなく、秦の始皇帝の家臣・趙高や日本の弓削道鏡が王位をうかがおうとしたようなものである。諸宗はお互いに成仏の根源である種子を争っているが、私はそのような争いには加わらない。ただ経典の心に任せるだけである。法華経だけに示される仏種に基づいて、インドの天親菩薩は法華経の種子が最高であると述べた。その仏種とは、天台大師が説かれた一念三千に他ならない。
A一念三千の盗用
華厳経をはじめとする諸大乗経や大日経などの諸仏・諸菩薩は、みな一念三千の種子によって仏道を成じることができた。そして、天台大師お一人だけがこの一念三千の法門を体得されたのである。華厳宗の澄観はこの一念三千の義を盗み取り、華厳経の「心は工(たくみ)なる画師のごとし」という経文のたましいとした。また、真言宗の大日経などにも二乗作仏・久遠実成や一念三千の法門は述べられていないが、インドから中国に来た善無畏三蔵が天台大師の摩訶止観を見て思いつき、大日経の「心の実相」や「我れは一切の本初」という経文のたましいに、天台大師の一念三千を盗み入れて真言宗の教えの肝心となし、その上に諸仏の内証を身体的に表わす印相と言語的に表わす真言を秘密の事相として飾り付け、法華経と大日経との優劣を判断する際には、一念三千の理は両経同等であるが、大日経は事相を備えるから勝れるという理同事勝判を作り出した。しかし、金剛界および胎蔵界の両曼荼羅の原理とされる二乗作仏と十界互具の法門は、果たして大日経のどこにあるというのか。真言宗の最大の不正である。それゆえに、伝教大師は「新たに渡来した真言宗は、善無畏がもと天台宗の一行禅師をあざむいて一念三千を取り入れたという事実を無いものとし、古く渡来した華厳宗は、法蔵の五教判が天台の四教判の影響を受けて成立しているという事実を隠した」と批判された。たとえば、ある人が未開の島などに渡って、柿本人麿の「ほのぼのとあかしの浦のあさぎりに 島がくれゆく舟をしぞ思ふ」という和歌を自分が詠んだといっても、島の人たちはそのとおりだと思うだろう。漢土や日本の学者が真言宗の不正を見破れないのは、これと同じようなものである。
B諸師の帰順
円珍の「授決集」には、次のような良Z和尚の言葉が記録されている。「真言・禅・華厳・三論等の諸宗の教えは、法華経などと比較した場合、あくまでも真実に人を導き入れるための方便の門にすぎない」と。善無畏三蔵が若い頃、病気のために一時絶命して閻魔大王の責めにあったのは、法華経の一念三千を盗み入れた悪行が原因であった。三蔵は後に改心して法華経に帰順したからこそ、閻魔の責めから脱れられたのである。事実、善無畏三蔵や不空三蔵らは法華経を金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅の中央に据えて大王のようにあがめ、胎蔵界の大日経や金剛界の金剛頂経を左右の臣下のように位置づけて、法華経への帰順を示した。日本の弘法大師も、一代聖教の勝劣を判定する時には華厳宗を持ち上げて法華経を第八住心という低い位置に置いたが、真言宗の事相を実恵・真雅等の弟子や天台宗の円澄・光定等の人々にお伝えなさった際には、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅の中央に法華経を安置された。たとえば、三論宗の嘉祥大師は法華玄論十巻の中では、「天台が法華経を第五時と定めたのは誤りで、同経は声聞・縁覚の二乗を開会して菩薩乗とし、二乗を破折して菩薩乗とする第四時の経典である」と述べたが、やがてその誤りに気づいて天台大師に帰伏し、自分の講会を解散し、七年間わが身を大師が高座へ登る際の踏み台となして仕えた。法相宗の慈恩大師は法苑義林章七巻または十二巻に、「法華の一乗教は方便であり、三乗教こそ真実である」などと偽りを多く述べた。ところが、弟子の栖復(せいふく)は法華玄賛要集第四巻で、「それゆえに法華一乗と三乗教の両者共に真実である」と述べて、法相宗の主張をどっちつかずにしてしまった。言葉は双方の真実を認めているようだが、その心は天台大師に帰依したものである。華厳宗の澄観は華厳経疏を著わして華厳経と法華経とを比較し、法華経を真実に導くための方便と書いているようにみえるが、「天台宗は十界・十如・三千の法門を実義とする。わが華厳宗の教義の立て方とあい通じている」などと述べているのは、法華経を方便とした前の言葉を悔い改めたのではあるまいか。弘法大師の場合も、これと同様である。鏡がないと自分の顔は見えない。敵がなければ、自分の誤りを知ることができない。真言宗などの諸宗の学者たちは自分の間違いを知らずにいたが、伝教大師にお会いしてはじめて自分の宗旨の欠点を知ったのである。だから、諸経における諸仏や菩薩、人間や天界の神々たちはそれぞれの経典に導かれて成仏されたようであっても、実際は法華経の仏種に基づいて覚りを得られたのである。釈尊および諸仏の「あらゆる衆生を残らず救いたい」という根本の誓願は、すべて法華経において完全に達成された。方便品に「私が昔に願ったことは、今すべて満足した」と仰せられたとおりである。
C守護の必定と再疑
私が物事の子細を推考するに、華厳経・観無量寿経・大日経などを読んで修行する人は、それぞれの経典の仏や菩薩・諸天などが守護なさるだろう。それは疑いないことである。しかし、大日経や観無量寿経を読む行者などが法華経の行者に敵対する時には、仏・菩薩たちはかの行者ではなく法華経の行者を守護せねばならない。たとえば孝行な息子がいて、みずからの父親が王の敵となったならば、息子は父を捨てて王に従うというのが真実の孝行である。仏法の場合も、まったくこれと同じである。だから、法華経の多くの仏・菩薩や十羅刹女が行者の日蓮を守護されるばかりでなく、浄土宗の東西南北上下の諸仏や念仏の行者を護る二十五人の菩薩、真言宗の金剛界と胎蔵界の両曼荼羅の千二百の諸尊などの七宗の諸尊や、守護を誓う善神たちもすべて日蓮を守護されるだろう。かつて、七宗の守護神がみな伝教大師を護られたのと同じように、と思うのである。日蓮が思案するには、法華経が説かれた霊鷲山および虚空の会座におられた日天・月天などの諸天は、法華経の行者が出現したならば、あたかも磁石が鉄を吸うように、月影が水面に映るように、ただちに来訪して行者の苦難を代わって受け、法華経の行者を必ず守護すると述べた仏前のご誓約をお果たしなさるべきだと思いますが、今まで日蓮を尋ねてこられないのは、日蓮が法華経の行者でないからであろうか。そうであれば、再び経文の趣旨を考え、みずからの身に照らし合わせて、私に過失があるかないかを検討してみなければならない。
@三箇の勅宣
疑っていう。今の世の念仏宗や禅宗などを、一体どのような智恵の眼によって、法華経の敵対者であり、すべての人々を悪道に導く者と知ることができるのか。
答えていう。これには個人的な見解を出してもしようがない。経典とその解釈という曇りのない鏡を出して、正法を誹謗する者のみにくい素顔を映し出し、その誤りを見せようと思う。ただし、生まれつき視力のない者はいたし方ない。法華経第四巻の見宝塔品には次のように見える。「その時に、多宝如来が宝塔の中で半分の座を釈迦牟尼仏に譲られた。…その時に、多くの人々は釈迦牟尼仏と多宝如来とが宝塔の中の仏の座に着かれたのを拝見した。…釈尊は大きな声ですべての僧俗の男女にお告げになった。『誰かこの娑婆世界で広く妙法蓮華経を説く者はいないか。名乗り出るなら今である。私はまもなく入滅する。この妙法蓮華経を譲って、将来に弘通されんことを私は望んでいる』」と。これが宝塔品の三箇の勅宣のうち、第一の仰せである。
また、次のように説かれている。「その時に釈尊は再びこのことを宣べようと思い、次のように偈を説かれた。『多くの聖者の主にして世尊である多宝如来は、久しい昔に涅槃にお入りになったが、正法を未来に伝えんがために、宝塔の中にましましてわざわざこの座にお越しになった。そなたたちはどうして仏の教法のために精進しないでおられようか。
…また、ガンジス河の砂の数ほど多くの私の分身諸仏は、正法を聴聞したいと願い、…それぞれの浄土や弟子たち、天人や竜神のいろいろな供養のことどもをすべて投げ捨てて、正法を未来永遠にこの世界に留め置くために、この場にやって来られたのである。…たとえば大風が小さな樹木の枝を吹き流すように、仏は巧みな手段によって真実の法を久しく留め置くのである。多くの人々よ、私が入滅した後に、誰かこの法華経を護持し読誦する者はいないか。今、我と思う者のは、仏の前でみずからの誓いの言葉を述べよ』」と。これが宝塔品三箇の勅宣のうち、第二の仰せである。さらに六難九易を明かす偈文には、「多宝如来や私の分身諸仏も、正法を永続させたいという私の思いを知っている。…良家の子息たちよ、みんなよくよく考えよ。悪世にこの経を弘通するのは大変に難しい。それゆえ、必ずみずからの身命を賭けるほどの誓願を立てなくてはならない。法華経以外の経典はガンジス河の砂ほどに数が多いけれども、それらを説くことはさほど難しいことではない。また、世界の中心にある須弥山を手につかんで、他方世界にある無数の仏国土に投げ置いたとしても、それもまだ難しいことではない。
…けれども、もし仏の入滅後の悪世の中でこの法華経を説いたとしよう。これこそ、まさしく困難なことである。
…たとえば、この世界を焼き尽くすという劫火の中に乾いた草を背負い入って焼けないことがあったとしても、それはまだ難しいことではない。しかし、私が入滅した後にこの法華経を受持して、一人のためにでも説く人があれば、これこそ困難なことである。
…多くの良家の子息たちよ。私の滅後に誰かこの経を護持し読誦する者はいないか。今、この仏の前でみずからの誓いを表明せよ」などと説かれている。これが三箇の勅宣のうち、第三の仰せである。これにつづく第四・第五の二箇の諫暁は提婆達多品に説かれているので、後に述べよう。
A三箇の勅宣の意味
これらの見宝塔品の経文の心は目前にあって明らかである。それは青空に太陽が輝き、色白の顔に黒子があるのに似ている。けれども、生まれつき視力のない者やひが目や片目で正しくものが見えない者、自分の師匠だけが最高の智者であると思い込んでいる者、偏見から他の意見を受けつけない者などは、見ることが難しい。今は万難を排して、仏道を求める心を持つ者のために書き留めて見せよう。昔、仙女の西王母が漢の武帝に与えた桃は三千年に一度実るとされ、転輪聖王が世に出る瑞相として現れる優曇華は三千年に一度しか咲かないと伝えるが、法華経に値うことはそれよりもはるかに難しい。また、漢の劉邦と項羽が八年間にわたって漢土の覇権を争い、源頼朝が平宗盛と七年のあいだ日本国中に争乱を展開し、阿修羅と帝釈天が闘争し、金翅鳥と竜王が雪山の頂上にある阿耨池で戦ったが、それらはすべて法華経とその他の経典のどちらが真実かの熾烈な争いには、とても及ばないことを知らなければならない。日本国に法華経の真実が明かされたのは、これまで二度ある。それが伝教大師と日蓮とであることを認識せよ。物事を正しく見ることができない者は疑うだろうが、それはどうにもならない。この宝塔品の六難九易の経文は、日本・漢土・インド、そして竜宮・天上・十方世界のすべての経典の勝劣を、釈尊や多宝如来および十方分身の諸仏があい集って決定されたものなのである。
B六難九易と諸宗
問うていう。華厳経・方等経・般若経・解深密経・楞伽経・大日経・涅槃経などは、宝塔品の偈文が示す九易に当たるのか、それとも六難の内に入るのか。
答えていう。華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観らの経・律・論の三蔵に精通した学僧たちは、この六難九易の経文を読んで次のようにいう。「華厳経と法華経は六難の内に入る経典で、名称は別であるが、説かれる理は同じである。小乗の修行方法に四つの門があるが、同一の真理に達するようなものである」と。法相宗の玄奘三蔵や慈恩大師らはこの六難九易の経文を読んで、「解深密経と法華経はともに諸法はみな心識の変転とする唯識の法門を説いており、一切経の勝劣を判定した三時教判の第三時・中道教であって、六難に該当する経典である」といい、三論宗の吉蔵らは「般若経と法華経は名は異なるが、法体は一つだから、両経は一つの法である」と主張する。真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵らはこの六難九易の経文を読んで、「大日経と法華経とは説かれる理に相違はなく、ともに六難の内に入る経典である」と述べ、日本の弘法大師は、「大日経は六難九易の内には入らない。大日経は釈迦が説いた一切経以外の経典であり、法身の大日如来が説いたものである」と説いている。また、ある人はいう。「法華経が応身如来の釈迦の所説であるのに対し、華厳経は報身如来の毘盧遮那仏の所説なので、六難九易の範疇には入らない」と。このように四宗の元祖たちが六難九易を解釈したので、その流れを汲む数千の学徒たちもまた、この見解を超えることはない。
C依法不依人
日蓮は嘆いていう。このような諸宗の人たちの見解を無造作に誤りであると言おうものなら、今の世の人々は顔をそむけて拒否するだろう。そして、不法な行為を重ねて迫害を加え、最後は国王に讒言して、私の生命に危機を及ぼすだろう。しかし我々の慈父釈尊は、沙羅双樹の林で涅槃に入る直前のご遺言たる涅槃経の中で、「教えそのものに依って、教えを説く人に依ってはならない」と誡められた。「人に依ってはならない」等の「人」とは、衆生が依りどころとする人の四依のことで、小乗教では凡夫位と須陀・斯陀含・阿那含・阿羅漢の声聞、大乗教では地前から第十地までの菩薩等の人を依りどころとしてはならないという意味である。それゆえ、たとえ普賢や文殊などの第四依の等覚の菩薩が法門を説かれても、仏の教えに基づかない説法であれば用いてはならない。また、釈尊は「仏法の道理が説き尽くされた経典に依って、それ以外の経典に依ってはならない」と決められたので、経典の中でも釈尊の真実を説いた経典とそうでない経典とを、よくよく吟味した上で信奉しなければなりません。竜樹菩薩は十住毘婆沙論に、「経文に依らないのを黒論といい、経文に基づくのを白論という」と述べ、天台大師は「仏の教説と合致するものは書き留めてこれを用いよ。経文の中に文証もなく、義としても説かれないものは信受してはならない」と示している。伝教大師は「仏の説いた経典を頼みとして、人づての口伝を信じてはならない」と語り、智証大師円珍は「経文によって教えを伝えよ」などと命じている。前に挙げた四宗の諸師たちの解釈は、すべてそれなりに経典や論釈に基づいて教えの勝劣を判定しているように見えるが、みな自分の宗旨を堅く信受するだけで、祖師の誤った理解をただすことがないので、勝手な考えから仏意を曲げて解釈したものであり、誤った我見を飾るだけの法門である。
D已今当の三説超過
釈尊滅後の犢子部や方広道人という外道や、中国に仏教が渡来した後漢より後の儒教は、それぞれ仏教を巧みに取り入れた結果、釈尊以前の外道の見解や仏教渡来以前の三皇五帝の儒教の書物よりも、よこしまな教えが強くかつ巧妙になっている。華厳・法相・真言などの諸宗の学僧たちは天台宗の正しい法義をうらやみ、そのため真実を説く法華経の文を曲げて解釈し、方便として仮りに説かれた権経の義にしたがわせようと盛んにたくらんだ。けれども、真実に仏道を求める人は、片寄った立場を捨てて自宗・他宗の争いを止め、決して他人を軽蔑してはならない。法華経法師品には「すでに説いた経典(已説)と、今説いている経典(今説)と、これから説こうとする経典(当説)の中で、この法華経は最も難信難解で勝れている」と説かれている。妙楽大師は文句記に「たとえ諸経の王だという経典があっても、法華経のように已今当の三説を超えた第一の経とはいっていない」と記し、また玄義釈籤には「法華経が已今当の三説を超えた妙法であるという真実に迷って謗る人は、その罪によって限りなく永い間、地獄に堕ちて責め苦を受けなければならない」と述べている。この経文と解釈に驚いて、仏の一切経と中国・日本の学僧たちの注釈書を見たところ、それまでの深く固い疑いは氷のように解けさった。今の真言宗の愚かな者たちは印相や真言という事相を頼みとして、真言宗は法華経に勝れていると思い込み、慈覚大師なども真言が勝れているとおっしゃっているのだから、などと彼らが考えるのは、何ら取り立てていう価値もない迷いごとである。
E諸経の類文
大乗密厳経には「十地経・華厳経・大樹緊那羅経・神通経・勝鬘経やその他の経典は、すべてこの経から派生したものである。このような大乗密厳経こそは一切経の中で最も勝れている」といい、大雲経には「この経は多くの経典の中で転輪聖王のような存在である。なぜかといえば、この経典の中には衆生の本性である仏性が永遠不滅であるという教えを宣べているからである」と見える。六波羅蜜経には「過去の無量の諸仏によって説かれた正しい教えと、私が今説く八万四千の多くの妙法は五つに分類される。一には経蔵、二には律蔵、三には論蔵、四には智恵蔵、五には秘密蔵である。この五種類の法蔵を用いて仏は衆生を教化する。もし衆生が愚かで経蔵・律蔵・論蔵・智恵蔵の四蔵をたもつことができず、また数多くの悪業があり、殺生・偸盗・邪淫・妄語などの比丘の四重罪や比丘尼の八重罪、無間地獄に堕ちる五逆罪や大乗経典を誹謗する一闡提などのいろいろな重罪を造っても、その罪を消滅して速やかに煩悩から解放し、直ちに悟りを得ることができるよう、そのために私は衆生に多くの第五・秘密蔵を説くのである。この五つの法蔵は、たとえば牛乳を発酵させて精製し、乳味から酪味・生蘇味・熟蘇味、そして妙なる醍醐味に至るようなもので、第五・秘密蔵の総持門は最高の醍醐味にあたる。醍醐味は五味の中で最もすぐれた味で多くの病を癒やし、もろもろの衆生の身心に安楽をもたらす。それと同じように、第五・秘密蔵の総持門は五蔵の中でも最も勝れ、よく重い罪を除く力を持つ」等と説かれている。解深密経には「その時に勝義生菩薩がまた仏に申しあげた。『世尊ははじめ第一時に、波羅奈国の鹿野苑の中で、ただ声聞を志す者のために苦・集・滅・道の四諦法門によって生滅の法を説かれた。その法は非常に不思議な内容で、ごくまれにしか説かれない教えであった。一切世間の天人たちなども以前より説こうとして説けなかった勝れた内容であったが、この第一時の法門はいまだ究め尽くされたものでなかった。真実の義理を明らかにした教えではないので、なお多くの論争の余地があった。また、世尊はかつて第二時の説法の中で、ただ大乗の菩薩行を志す者のために、すべての法はみな自性がなく、空なるゆえに生滅なく本より寂静であり、自性は涅槃であるという真理によって、本意を隠して正法を説かれた。その法はまた非常に不思議な内容で、ごくまれにしか説かれない教えであったが、この第二時の法門もいまだ究め尽くされたものではなかった。真実の義理を明らかにした教えではなく、なお多くの論争の余地があった。
そして世尊は今、第三時の説法の中ですべての仏の教えを求めようと志す者のために、一切の法は自性なく空であるから、生滅なく本来寂静であり、自性は涅槃であり無自性の性であるという中道の真理によって、明らかなすがたで正しい仏法を説かれた。最第一に不思議で、極めてまれな法門である。今、世尊が説かれる法は無上のもので何ものをも寄せつけず、まことに仏法の義理を明かしつくした教えである。そこに多くの争論が入る余地はもはや全くない』」と見える。大般若経には「世間法や仏法を聴聞し、皆よくそれを手だてとして般若の深理に参入し、多くの世間の事業もまた般若の理をもって法性に導かれて、一つとして法性の真理でないものは見ない」とある。大日経の第一巻には「金剛薩Pよ、大乗の修行がある。それは法にとらわれない心を起こして、諸法は空にして我(が)という主宰者がないと観じて修行する。なぜならば、昔同じように修行した者のように、万法の本体と見られる阿頼耶識を幻のようなものと知るからである」とあり、また「金剛薩Pよ、彼は以前のような諸法無我の考えを捨てて、心の主体は自在であり、自分の心がもともと不生不滅であることを知った」とあり、また「心の空性とは、眼や耳などによる認識を離れているから、特別なすがたやそれを限定する世界もなく、さまざまな無益な議論を越えて虚空と同じである。…その心の本体もまた不可得である」といい、さらに「大日如来が金剛薩Pに対して、『薩Pよ、菩提とは何かといえば、真実のままに自分の心を知ることである』と告げた」と説かれている。空海はこれらの大日経の諸文に基づいて、十住心の教判を立てた。華厳経には「あらゆる世界の多くの衆生の中で、声聞の道を求める者は少ない。また縁覚の道を求める者はいよいよ少ない。さらに大乗の菩薩道を求める者に至っては極めてまれである。しかし、大乗を求めることはまだ容易であって、深くこの華厳の法を信じることは実に難しい。ましてよく受持し、正しく心にきざんで忘れることなく、教えの通りに修行に励み、真実のままに理解することは非常に困難である。たとえ、三千大千世界を一劫という長い間、頭の上にいただいて身動きしないことはさほど困難なことではないが、この法を信じることは大変に難しい。また、三千大千世界を微塵にしたほどの数多くの衆生たちに、一劫という長い間、生活を楽しむいろいろな品々を供養する功徳よりも、この法を信じる功徳は勝れている。もし手のひらに十箇の三千世界を一劫という長い間、虚空の中で持つことはそれほど難しくないが、この法を信じることは途方もなく難しい。
また、十箇の三千世界を微塵にしたほどの多くの衆生に一劫という長い間、生活を楽しむ品々を供養したとしてもその功徳はまだ勝れているとはいえず、この法を信じる者の功徳の方が断然勝れている。さらに、十箇の三千世界を微塵にしたほどの無数の如来を一劫という長い間、尊敬して供養する功徳よりも、よくこの経を受持する者があれば、その功徳は最も勝れている」と述べられている。涅槃経には「多くの大乗の経典はまた無量の功徳を達成するが、この涅槃経とは比較のしようもない。涅槃経は他の経典よりも百倍・千倍・百千万億倍どころか、一切の計算や譬喩の及ばぬほど勝れている。良家の子息たちよ。たとえば牛から牛乳をしぼり、牛乳から酪を作り、酪から生蘇を作り、生蘇から熟蘇を作り、熟蘇から醍醐を作るので、その結果、醍醐は最もすぐれている。もしこれを服用すればあらゆる病気は治癒する。それはすべての薬の成分が醍醐に含まれているからである。良家の子息たちよ、仏の教えもこれと同じである。仏によって十二部経、特に華厳経が説かれ、十二部経から修多羅の小乗経が出され、修多羅から方等経が出され、方等経から般若経が出され、般若経から大涅槃経が出されるので、大涅槃経は醍醐のように勝れている。その醍醐は涅槃経に説かれる仏性に喩えられる」と説かれている。
F類文と法華経との勝劣
このような各経典の自己最勝を説き示す経文を、法華経法師品の已今当の三説超過の経文や見宝塔品の六難九易の経文と比べてみると、あたかも月に対して星を並べ、金輪の上にある九つの山と世界最高の須弥山とを比較するようなもので、その勝劣は明白である。ところが華厳宗の澄観や法相宗の慈恩、三論宗の吉蔵や真言宗の弘法などといった、仏眼のように諸法の実相をよく見知る人たちですら、なおこれらの経文の真意に迷ってしまった。ましてや、視力を失った人のような今の世の学者たちが、法華経と他経との勝劣を正しく判断することなどできようか。黒と白のように明白にして、須弥山と芥子粒のように一目瞭然の勝劣も判断できないのである。まして、虚空のように広大な法理に迷うのは当然である。教相の勝劣を知らなければ、それぞれに説かれる法理の浅深は区別できない。法華経の三説超過や六難九易と次に引用した諸経の八つの経文は、巻数も隔たり経文も前後しているので、教相の勝劣を見分けることはむつかしいだろうから、今は説明を加えて愚者の理解の助けとしよう。同じように諸経の王といっても、そこには小王と大王の区別があり、前の大雲経の王などは小王にすぎない。また、一切といっても一部を指す場合と全部を指す場合があり、前述の密厳経の一切は一部の一切である。五味についても、仏教の全体を喩える五味と一分を喩える五味とがあり、よくよく両者の違いを心得なければならない。前掲の六波羅蜜経は仏性を持つ衆生の成仏を説くだけで、本来仏性のない者の成仏は説いていないのだから、すべての衆生の成仏を示す法華経の迹門の所説にも及ばない。まして、本門に開顕される釈尊の久遠実成など説き明かす道理がない。また、同経が説く五味も一分の五味にして、涅槃経の五味の法門にも及ばないのだから、涅槃経に超過する法華経の迹門や本門には比べようもあるまい。
それを、日本の弘法大師はこの六波羅蜜経の経文の理解に迷われて、法華経を五味の第四の熟蘇味に入れてしまわれた。大師が立てた密教の総持門の醍醐味は、法華経より劣る涅槃経の醍醐味にさえも及ばないのである。これは一体どこでどう間違えられたのだろうか。弘法大師は弁顕密二教論で「中国の学僧たちが争って六波羅蜜経の醍醐を盗んだ」と述べ、天台大師らを盗人と書かれた。また、「本当に残念なことに、むかしの学者たちは密教の醍醐味を嘗めなかった」などと自慢されている。
G諸経の勝劣を知る
これらのことは捨て置こう。今は、私と同信の人々のために書き留めておく。他の者は信じなければ、謗ることが仏縁を結ぶという逆縁となるだろう。一滴の海水をなめて大海の潮の味を知り、一つの花が咲くのを見て春が来たと推察せよ。たとえ万里の海を渡って中国に入らなくても、三箇年を費やしてインドの霊鷲山に行かなくても、竜樹菩薩のように海中の竜宮に分け入らなくても、無著菩薩のように都卒の内院に昇って弥勒菩薩に会わなくても、釈尊が八年間に霊山・虚空の二処三会で説かれた法華経を直接聴聞しなくても、釈尊が一代で説かれた教えの勝劣は知ることはできるのである。蛇は七日前に起きる洪水を予知するが、それは蛇が竜の親族だからである。烏は物事の吉凶を知っているが、それは烏が過去に占いに従事する陰陽師だったからである。また、鳥は空を飛ぶ能力に関しては人間よりも断然すぐれている。それと同じように、日蓮は仏が説かれた諸経典の勝劣を知ることでは、華厳宗の澄観や三論宗の吉蔵、法相宗の慈恩や真言宗の弘法よりもすぐれている。それは天台大師や伝教大師の教えを恋い慕うためである。澄観や吉蔵等の祖師たちも天台・伝教の両大師に帰伏されなければ、謗法の罪科を脱れることはおできになれなかっただろう。今の世の日本国で最も果報に富んでいるのは、この日蓮だろう。限りある命を法華経に献上し、その結果として名をはるか後代にまで残すからである。大海の主人には、海に流入する河の神々たちはすべて服従する。山の王たる須弥山に他山の神々たちが随わないことがあろうか。これと同じように、法華経の六難九易を深く理解すれば、たとえ一切の経典を読まなくても、諸経は主人であり王である法華経に随うことだろう。
H二箇の諌暁
前に挙げた見宝塔品の三箇の勅宣に加えて、提婆品では二箇の諫暁によって滅後の弘経が勧められている。提婆達多は釈尊に敵対し、善根を断ち切った一闡提の悪人であったが、法華経の提婆品に至って釈尊から将来成仏して天王如来になるという保証を与えられた。涅槃経四十巻にはすべての衆生に仏性がある旨が説かれているが、その現実の証拠はこの提婆品の悪人成仏にある。善星比丘や阿闍世王などをはじめ、数え切れないほど多くの五逆罪や謗法罪を犯した者の中から、最も罪の重い提婆達多を選んで、すべての悪人をそこに納めたのである。よって、五逆罪や七逆罪、謗法を犯した者や善根を持たない一闡提の者などのすべての悪人の成仏が、天王如来という仏名のもとに認められた。毒薬が一変して美味な甘露となった。しかも、その味は最高である。また、提婆品の後段に示される八歳の竜女の成仏も、それは竜女一人に止まらず、すべての女性の成仏を示したものである。法華経以前に説かれた多くの小乗経典は、女性の成仏を許していない。また、もろもろの大乗経典では女性の成仏や浄土への往生を許しているようではあるが、あるものは女性の身心を改め、男性に転じた後の成仏であって、法華経の一念三千の法門に基づく即身成仏ではないので、名目だけで内実のない成仏であり、往生であった。「一つの事柄を挙げて他の多くの証拠とする」との言葉どおり、まさしく竜女の成仏は、末代のすべての女性たちの成仏や往生への道をはじめて開いたものである。儒教が教える父母への孝養は今生だけで、後生までを助けるものではないので、儒教の聖人や賢人といっても名ばかりの存在である。インドの外道は過去世や未来世を知ってはいても、三世の因果を説いて父母の後生を救う道までは説いていない。それに対して、仏教は父母の後生をも助ける道を示すので、その教えを修する者は真実の聖人や賢人といえるだろう。しかし、法華経以前の小乗や大乗の経典を依りどころにする宗旨では、自分の成道さえ不可能なのだから、父母の成仏を実現できるはずがない。ただ経文に成仏の語があるだけで、実義は皆無なのである。今、法華経の時に至り、女性の成仏が明かされてすべての母の成仏も現実のものとなり、提婆達多の悪人の成仏が説かれてすべての父の成仏も本当のものとなった。このように、法華経は仏教における真実の報恩の道を示した孝経である。かくて、提婆品では滅後の弘経を勧める二つの諫暁が説かれたのである。
@本書の撰述
このような宝塔品の三箇の勅宣と提婆品の二箇の諫暁を合わせて、五箇の尊い仏語が説かれたのに驚いて、勧持品では迹化の菩薩たちが三類の強敵を示して、滅後における法華経弘通の誓いを申し上げた。今は、その勧持品の経文の明鏡に照らして、今の世の禅宗・律宗・念仏宗の高僧とその信奉者が正法を誹謗するさまを知らせよう。日蓮と名乗った者は、去年の九月十二日の子丑の刻(翌日の午前一時頃)に頸を刎ねられてしまった。この開目抄は日蓮の魂魄が佐渡の国に参って、次の年の二月に雪の中で著わし、縁ある弟子たちへ送ったものであれば、恐ろしくて懐かしく、見る者はみな驚きおびえるだろう。これから引く法華経の文は、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏が未来の日本国、および今の末法の世を映し出された明鏡である。それゆえに本書共々、日蓮の形見とも考えよ。
A三類の強敵の明文
法華経の勧持品では、八十万億那由佗の多くの菩薩たちが仏滅後の弘経を誓って、次のように申し上げた。「お願いいたします、御心配なさらないでください。釈尊が入滅された後の恐ろしい悪世の中で、私たちは広くこの法華経の教えを説き伝えます。多くの愚かな人々が現われて悪口を浴びせるでしょうし、さらに刀や杖で打ちかかる者があるでしょう。私たちは、皆それらを耐え忍びます。〔以上、俗衆増上慢〕また、悪世の中の僧は悪智恵を持ち、他人にこびへつらい、まだ体得していないことを得たと思い込み、うぬぼれの心に満ちあふれているでしょう。あるいは、人里離れた静寂の地に住み、律の規定どおりボロ布で作った法衣を着用して、自分こそ真実の仏道を修行していると思い込み、他人を軽蔑する者がいるでしょう。〔以上、道門増上慢〕
彼らは私欲をむさぼるために在家の人々に法を説き、世間の人からは六神通を体得した阿羅漢のように尊敬されるでしょう。悪心をいだくこの人々は、いつも欲にまみれた世間の事のみを考え、みずからが修行に適した閑寂の地に住していることを笠に着て、そうでない私たち菩薩の欠点を指摘するでしょう。…いつも人々の中にあって私たち菩薩をそしろうとして、国王・大臣や祭祀をつかさどるバラモン、商工業者の富豪や僧侶たちに向かい、私たちを悪しざまに誹謗して、『この菩薩たちの考えは邪悪で、仏教以外の教えを説いている』というでしょう。…乱れた時代の悪世にはさまざまな恐怖があるでしょう。悪鬼がそんな聖者とあがめられる人の身に入って、私たちをののしりはずかしめることでしょう。…濁りみだれた時代の悪僧たちは、仏が衆生教化のために施した方便の教えの意義を知りもせず、眉をひそめてののしり、そのために菩薩である私たちはたびたび追放されることでしょう。〔以上、僣聖増上慢〕」と。妙楽大師の文句記第八では、この経文を次のように解釈している。「文は三つに分かれる。はじめの一行は心正しくない人を明かしたもので、俗衆増上慢のことである。次の一行は道門増上慢の者を示している。第三は以下の七行で、僣聖増上慢を説いている。この三者の中で、第一の俗衆増上慢の迫害はまだ耐え忍ぶことが容易である。第二の道門増上慢の迫害は、第一のそれよりは程度が激しい。第三の僣聖増上慢にいたってはその迫害は最も激しく、耐えることが難しい。これは、後の者ほどその姿が巧妙で、邪悪ぶりが露見しづらくなっているからである」と。東春の智度法師は法華疏義纉の中で「はじめに勧持品の『有諸無智人』以下の五行は、…第一に一行の偈は身・口・意の三業にわたる迫害を耐え忍ぶことで、これは俗衆増上慢が行なう悪である。次に『悪世中比丘』以下の一行の偈は、おごり高ぶる出家である道門増上慢を指している。第三に『或有阿練若』以下の三行の偈は、悟りすました出家の姿にすべての悪を収めたもので、僣聖増上慢のことである」と説明している。また「『常在大衆中』以下の二行は、増上慢の者たちが国王や大臣などに向かって正しい法をそしり、正法の行者を誹謗することをいう」などと述べている。涅槃経の巻九には「良家の子息たちよ。善根を断じた一闡提が悟りきった阿羅漢の姿をし、人里離れた閑静な場所に住んで、大乗経典を誹謗するだろう。そして、それを見た多くの凡人たちは、この人こそ真実の阿羅漢であり、大菩薩であると讃えるであろう」とあり、また「この涅槃経が世界中に広く弘まるであろうその時に、多くの悪僧たちがこの経典をバラバラにきざみ分けて数を増やし、せっかくの正法の色や香り、そして良き味わいなどをすべて亡くしてしまうだろう。かの悪人たちはこの経典を読誦しながら、仏の奥深い真実の義理を取り去って、世俗受けする飾った文章や意義のない言葉にすり替える。前の文を切り取って後に付け、後の方を切り取って前に付け、前と後の文を中間に入れ、中間の文を前後に付けたりする。心して知れ、このような多くの悪僧は人の善事を妨害する悪魔の仲間であることを」と説かれている。六巻本の大般泥経には次のように見える。「煩悩を断じた阿羅漢のような姿の一闡提がいて、悪い行いをする。また、善根をなくした一闡提のような姿の阿羅漢がいて、慈悲の心を現わすだろう。この阿羅漢のような姿の一闡提とは、この多くの衆生が大乗経典を誹謗するさまをいうのである。また、一闡提のような姿の阿羅漢とは、小乗教に執着する声聞を叱責して広く大乗経典を説く人である。この人は衆生に向って、『私とあなたたちとは共に菩薩の道を歩む者である。なぜなら、すべての衆生はみな如来と同様の本性を持っているので』と語る。それなのに、この言葉を聞いた衆生はこの阿羅漢を一闡提だと思うだろう」と。また、涅槃経の巻四には次のように説かれている。「私が入滅した後に正法時代が過ぎ、正しい仏法が形だけ伝えられる像法の世に至って、次のような僧が出現するだろう。彼らはあたかも戒律を忠実に実践しているように見せかけて、少しばかり経典を読誦し、飲食物をむさぼり命を長らえるだろう。…袈裟を身に着けてはいるが、その世間をうかがう姿は、あたかも猟師が注意深く獲物を探し歩き、猫が鼠を取ろうとするのに似ている。彼は常に人に向かい、『私は煩悩を断じて阿羅漢の悟りを得た』というだろう。…外面では賢明な善人のように振る舞い、内心には貪りや嫉妬の心をいだいている。それは無言の行を修めて悟りすました外道の行者などのようだ。真実の僧ではないのに形だけを似て、邪悪な考えにとらわれて、正しい仏法を誹謗するだろう」と。
B強敵の末法出現
そもそも、霊鷲山で説かれた法華経や沙羅双樹の林で説かれた涅槃経の太陽や月のように明らかな経文と、妙楽大師の文句記や智度法師の法華疏義纉の明鏡のような釈義に照らし合わせてみると、今の時代の諸宗、特に日本国中の禅宗・律宗・念仏者たちのみにくい顔が、一点の曇りもなく映し出される。妙法蓮華経の勧持品には「仏が入滅した後の恐ろしい悪世の中において」といい、安楽行品には「後の悪世において」「末世の中において」「後の末世において仏法が滅びようとする時」などとあり、分別功徳品には「悪世たる末法の時」、薬王菩薩本事品には「後の五百歳において」などと見え、正法華経の勧説品にも「そして後の末世に」「そして後に来たる末世に」などとあり、添品法華経にもやはり悪世や末法という時が繰り返し説かれている。天台大師は法華玄義に「像法時代の中頃に、江南の三師と河北の七師の優れた学僧がつぎつぎと現われたが、彼らはすべて法華経の敵である」と述べ、伝教大師は顕戒論などに「像法時代の末に出現した南都六宗の学者たちは、みな法華経の仇である」と記している。しかし、天台・伝教の両大師の時代には敵対の様相がまだ明確ではなく、また全体的にゆるやかなものであった。それに対して、この末法という時については、教主釈尊と多宝仏が宝塔の中に日月のように並んで着座され、十方世界の分身諸仏が菩提樹の下に星を列ねたように集まられた中で、仏滅後の正法一千年と像法一千年の二千年が過ぎ去った末法時代のはじめに、法華経の行者を迫害する三類の強敵が現われるだろうと、八十万億那由佗もの無数の菩薩たちが明言されたのであるから、どうしてそれが絵空事に終わることがあろうか。今の世は釈尊の滅後二千二百余年に当たる。万が一、大地を指さしてはずれることがあったり、春が来てすべての木に花が咲かないようなことがあったとしても、法華経の行者を迫害する三類の強敵は必ずこの末法の日本国に現れるだろう。そうであるならば、いったい誰が三類の強敵に該当するのか。また、どの人が仏が説かれた法華経の行者なのだろうか。何とも、もどかしい。あの三類の強敵の内に私たちも入っているのであろうか。それとも、法華経の行者の内に数えられているのであろうか。気がかりなことである。
C未来記の実現
昔、周の第四世・昭王の御代二十四年甲寅四月八日の夜中に、五色の光が天空の南北にわたって現われ、まるで昼間のような明るさになった。大地は六種類に震動し、雨が降ったわけでもないのに河や井戸や池に水があふれ、あらゆる草木に花が咲いて果実がなり、まことに不思議なことだったので、昭王は大変に驚いた。天文や暦法などをつかさどる大史の蘇由が占って、「西方の国に聖人が生まれました」と申し上げた。昭王が「この国はどうか」と尋ねたところ、蘇由は「何事もありません。ただ一千年の後に、かの聖人の教説がこの国に渡って衆生を利益するでしょう」と答えた。蘇由は浅薄な儒教を信奉する者で、見惑や思惑の煩悩を毛先ほどすらも断ち切っていない凡夫であるが、それでも一千年後のことを予見したのである。事実、仏の滅後千十五年にあたる後漢の第二世・明帝の永平十年丁卯の年に、仏法が漢土に渡って来た。この三類の強敵についての法華経の予言は、とてもそれとは比較にならないもので、釈尊・多宝如来・十方分身の諸仏が一堂に会した際の多くの菩薩の未来記なのである。それゆえ、どうして今の世に法華経に敵対する三類の強敵がいないはずがあろうか。仏は付法蔵経に「私が入滅した後の正法一千年間においては、私が説いた正法を弘めるであろう人が二十四人、順序どおりに現われてくるだろう」と予言された。仏在世の迦葉や阿難などはさておくとして、百年後の脇比丘、六百年後の馬鳴、そして七百年後の竜樹菩薩というふうに、少しも違うことなく、皆出現して正法を弘通された。末法に三類の強敵が現われるという未来記が、どうして実現しないことなどがあろうか。このことがもし叶わなければ、法華経全体が皆偽りとなってしまう。つまり、舎利弗が未来に華光如来になり、迦葉が光明如来となるであろうという将来成仏の保証もすべて虚偽の説法となってしまう。すると、法華経以前に説かれた教説が返って真実となり、迦葉や阿難などの声聞たちは永久に成仏できない者となる。また、たとえ犬や野干などの動物を供養しても、阿難らの声聞を供養することは許されないこととなる。いやはや、一体どうしたらよいのだろうか。
D第一類の俗衆増上慢
法華経勧持品に三類の強敵を示す中、第一の「多くの愚かな人々が現われて」といわれる俗衆増上慢とは、経文の第二に「悪世の中の僧は」とある道門増上慢と、第三の「律の規定どおりボロ布で作った法衣を着用」した僧の僭聖増上慢とを手厚く外護する者たちのことであると考えられる。それゆえ、妙楽大師は法華文句記に「俗衆増上慢」と記し、智度法師が法華疏義纉に「増上慢の者たちが国王や大臣などに向かって正しい法をそしり」等と解釈した「国王や大臣など」とは、まさしく彼らのことである。
E第二類の道門増上慢
第二の怨敵たる道門増上慢について、勧持品に「悪世の中の僧は悪智恵をもって他人にこびへつらい、まだ体得していないことを得たと思い込み、うぬぼれの心が満ちあふれているでしょう」と説かれている。涅槃経には「この経が弘まる時に悪い僧が現われるだろう。…彼らはこの経典を読誦しながら、仏の奥深く隠されている肝要な教えを取り除いてしまうだろう」とあり、天台大師の摩訶止観には「本当の信心がない者は、妙法を高く聖者の境界に推し上げてしまい、自分などの智恵の及ぶところではないと卑下してしまう。また、真実の智恵がない者は、十界互具の法門などを聞いてうぬぼれの心を起こし、自分はすでに仏と等しいものと思い上がってしまう」と見える。中国浄土教の道綽禅師は「二に、法華経等の聖道門の教えは深く、衆生の理解は浅いので、法華経等の教えでは衆生は救われない」といい、日本浄土教の法然房源空は「念仏以外の修行は末法の時代に適合せず、それゆえ衆生に救いを与えない」と述べて、法華経を捨ててしまった。こ れに対して、妙楽大師は文句記の巻十に「おそらく誤解する者があり、初心の功徳が偉大であることを知らないで、功徳は上位の聖者のものと思い込んで初心を軽蔑するだろう。だから今、初心の行は浅くても功徳が深いことを示して、法華経の力の大きさを顕わす」と述べている。伝教大師は守護国界章に「仏滅後の正法千年と像法千年が過ぎ去って、末法の世が間近にせまってきた。今こそ、法華経の一仏乗の教えによって衆生が救済される時がやってきたのだ。どうしてそれが分かるのか。安楽行品の『末世になって仏法が滅しようとする時である』という経文によるからである」といい、恵心僧都は「日本の国すべての衆生が法華円教によって救われる」と示している。このように道綽禅師と伝教大師、法然房源空と恵心僧都とは、まったく対立した見解を示しているが、いったいどちらを信じたらよいのだろうか。道綽と法然の見解は一切の経典の中に証拠となる文がない。それに対して、伝教大師や恵心僧都は正しく法華経の経文に基づいている。その上、日本国中のすべての人にとって比叡山の伝教大師は大乗の円頓戒を授けてくれた受戒の師である。それを、どうして天魔がとりついた法然などに帰依して、みずからの受戒剃髪の師である伝教大師の仰せを捨ててしまうのか。法然が智恵ある者というのならば、どうして伝教大師等の解釈を選択集に引用して、誰もが納得のいくように説明しないのか。そのような手順を踏まないのは、他人の道理を故意に隠す者というべきである。それゆえ、三類の強敵の第二に「悪世の中の僧」と指摘されるのは、戒律を無視して邪見を懐く法然房源空等のことである。
F種々の善悪
涅槃経の巻七には「この経を聞いてはじめて正見を得た私たちは、これまでは邪見の者であった」とあり、これについて妙楽大師は、玄義釈籤に「みずから法華経以前の蔵・通・別の三教を指して、みな邪見と名づける」と述べている。天台大師の摩訶止観には「涅槃経に、私たちはこれまでは邪見の者であったとあるが、その邪とは悪の意味ではないか」といい、妙楽大師は止観弘決にこの文を解釈して、「邪はすなわち悪である。このゆえに心して知れ。四教の中では、ただ円教だけを善とするのである。また、それには二つの意味がある。一には、円教の実相に従うのを善とし、背くのを悪とする。これは善悪を対比して善を取るという相待妙の意味である。二は絶待妙の善悪の意味であり、実相に執著するを悪とし、よく実相に体達するのを善とする。相待妙と絶待妙の二つながら、いずれも悪を離れなければならない。円教に執着することですら悪である。まして、前三教に執着することが悪であるのはいうまでもない」と説明している。インドの外道の善悪は、小乗経に相対した時は共に悪道となる。その小乗の教えをはじめ、法華経以前の華厳・阿含・方等・般若の四味および蔵・通・別の三教も、法華経に相対した場合はすべて邪にして悪となり、ただ法華経のみが正にして善となる。爾前経に説かれる円教は、法華経に説かれる相待妙と絶待妙の内の相待妙と同じであるが、絶待妙に対した時にはなお悪となる。また爾前の円教は、結局は蔵・通・別の三教の範疇に入ってしまうので悪道となるのである。それゆえ、法華経以前の諸経典に説かれるそれぞれの極理を、たとえ説かれるままに行じても、法華経の修行に比べた場合は悪道と判定される。ましてや、華厳経や般若経などにも及ばない観無量寿経等の劣悪な教えを本とし、その下に諸経の王たる法華経を収めた上で、念仏に対して法華経をないがしろにし、投げつけ、その門を閉じ、その教えを捨てさせた法然とその弟子や信徒たちは、まさしく正法を誹謗する者という他はない。釈迦仏と多宝仏、そして十方世界の分身の諸仏は、みな正しい法を永久に存続させるために出世されたのである。それを、法然をはじめとする日本国の念仏者たちは、法華経は末法の世に入って念仏よりも前に滅びるだろうと主張している。これが釈迦仏・多宝仏・十方諸仏の三聖の怨敵でなくて何であろうか。
G第三類の僣聖増上慢
第三の強敵である僣聖増上慢については、法華経の勧持品に「あるいは、人里離れた静寂の地に住み、律の規定どおりボロ布で作った法衣を着用して、私欲のために在家の人々に法を説き、世間の人からは六神通を体得した阿羅漢のように尊敬されるでしょう」と説かれている。六巻本の般泥経には「煩悩を断じた阿羅漢のような姿の一闡提がいて、悪い行いを専らにし、また善根をなくした一闡提のような姿の阿羅漢がいて、慈悲の心を現わすだろう。この阿羅漢のような姿の一闡提とは、この多くの衆生が大乗経典を誹謗するさまをいうのである。また、一闡提のような姿の阿羅漢とは、小乗教に執着する声聞を叱責して広く大乗経典を説く人である。この人は衆生に向かって、『私とあなたたちは共に菩薩の道を歩む者である。なぜなら、すべての衆生はもれなく如来と同様の本性を持つのだから』と語る。それなのに、その言葉を聞いた衆生はこの阿羅漢を一闡提だと思うだろう」と見える。涅槃経の巻四には次のように説かれている。「私が入滅した後に正法時代が過ぎ、正しい仏法が形だけ伝えられる像法の世に至って、次のような僧が出現するだろう。彼らはあたかも戒律を忠実に実践しているように見せかけて、少しばかり経典を読誦し、飲食物をむさぼって命を長らえるだろう。…袈裟を身に着けてはいるが、その世間をうかがう姿は、あたかも猟師が注意深く獲物を探し歩き、猫が鼠をねらうのと同様である。彼は常に人に向かい、『私は煩悩を断じて阿羅漢の悟りを得た』というだろう。…外面では賢明な善人のように振る舞い、内心には貪りや嫉妬の心をいだいている。それは無言の行を修めて悟りすました外道の行者などに似ている。真実の僧ではないのに形だけを似せて、邪悪な考えにとらわれて正しい仏法を誹謗するだろう」と。妙楽大師は文句記に「第三の僣聖増上慢はその迫害が最も激しく、耐えることがむつかしい。なぜなら、後の者ほどその姿が巧妙で、邪悪ぶりが露見しづらいからである」と注釈している。東春の智度法師は「第三に『或有阿練若』以下の三行の偈は、悟りすました出家の姿にすべての悪を収めたもので、僣聖増上慢のことである」と解釈している。ここに「悟りすました出家の姿にすべての悪を収めた」等とあるのは、今の世の日本国ではどこにあたるのだろうか。比叡山の延暦寺か三井の園城寺か、京都の東寺か南都の七大寺なのか。それとも、京都の建仁寺か、鎌倉の寿福寺や建長寺なのか。念を入れて考えねばならない。延暦寺の出家が頭に甲胄を着けている姿を指すのだろうか。それとも、園城寺の僧徒が三衣を着るべき法体に鎧や杖を帯びる姿をいうのだろうか。しかし彼らの姿は、勧持品の「律の規定どおりボロ布で作った法衣を着用して閑かな場所にいる」という経文には似つかない。また「世間の人からは六神通を体得した阿羅漢のように尊敬されるでしょう」という経文も、誰もその通りだとは思うまい。また、妙楽大師の「邪悪ぶりが露見しづらくなっている」との解釈にもそぐわないようだ。この第三の強敵の姿とは、京都では聖一国師等の五山の禅師、鎌倉では良観房忍性等の念仏者らの姿によく似ている。このように言ったからとて、人を怨んではいけない。よく眼を開いて、経文に自分自身を照らし合わせて見るがよい。
H達磨禅師のこと
章安大師は摩訶止観の第一に「このように明らかな止観の智恵と静かなる禅定を説く書物は、これまでに全く存在しなかった」と述べている。これを妙楽大師は「後漢の明帝が仏教の伝来することを夢に見てから、陳の時代に及ぶまで、禅門に交わって衣鉢を伝授する者があったけれども」等と説明し、従義の法華三大部補注には「衣鉢を伝授するとは、達磨を指す」と注釈している。摩訶止観の第五巻には「智恵を磨くことを忘れた目の不自由な人のような禅者と、理論を偏重して修行を怠る足の不自由な人のような学者は、共に仏道が成就せずに悪道に堕ちる」とある。また、同第七巻には「仏の教えを融通させる十種の方法のうち、九種に尽力することに関しては、世間の文字の法師とは違い、事相の禅師とも異なっている。観心を修行するだけの一種の禅師があり、それも知見が浅かったり、にせものであったりして、他の九種の方法については全く注意しないありさまである。これは決して偽りではない。後世の見識ある者は、この十種の方法を明確に知らなければならない」とあり、この文を釈した妙楽の止観弘決には、「文字の法師とは、内面的な観心の修行や智恵の学解が欠落しており、ただ表面的な法義の体系にこだわる者をいう。事相の禅師とは、観心の世界に習熟することなく、ただ鼻の先や胸の内に心をとどめて坐禅だけを行ずる者をいう。これらは外道の根本的な修行である煩悩におおわれたままの禅定などと同類であって、三界を出離することもできない。また、止観の文に『観心を修行するだけの一種の禅師がある』というのは、これは一往肯定的に論じたまでであって、厳格な立場からいえば観心の修行も智恵の学解も共に欠如しているのである。世間の禅の修行者は、専ら観法を尊重して全く教相を習わず、観心だけによって経典を解釈し、八正道に反する八邪と利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽の八風とを数え挙げて一丈六尺の仏としたり、あるいは色・受・想・行・識の五陰と貪・瞋・痴の三毒を合計して八邪としたり、眼・耳・鼻・舌・身・意の六入を天眼・天耳・神足・他心・宿命・漏尽の六通としたり、地・水・火・風の四大を苦・集・滅・道の四諦としている。このように経文を解釈するのは偽りそのものである。どうしてそんなに軽そつに論ずることができるのだろうか」と述べている。また摩訶止観の第七巻には「昔、n洛の禅師(達磨)はその名声を天下に響かせ、留まるところには教えを求める者が四方から雲のようにわき出て、去る時にはあちこちから別れを惜しんだ群衆が集まり、いつも騒々しいありさまであったが、結局は何の得るところもなかった。それゆえ、禅師の臨終に際して、信奉者たちはそろってその教化を悔やんだという」と記されている。また摩訶止観の第七巻には「昔、n洛の禅師(達磨)はその名声を天下に響かせ、留まるところには教えを求める者が四方から雲のようにわき出て、去る時にはあちこちから別れを惜しんだ群衆が集まり、いつも騒々しいありさまであったが、結局は何の得るところもなかった。それゆえ、禅師の臨終に際して、信奉者たちはそろってその教化を悔やんだという」と記されている。
I念仏宗と禅宗
まことに僣聖増上慢を正しく見分けることはむつかしく、般泥経の第六巻には「究極のところを見ないというのは、そんな一闡提の者が犯す究極の悪い行為はなかなか巧妙なので、かえってはっきりと見えないという意である」とあり、妙楽大師は文句記の第八に「三類の強敵の第三・僣聖増上慢こそが最大の敵人である。その悪業の実態を知ることが最も困難だからである」と指摘している。仏法の真実を正しく見る力を持たない無眼や一眼や邪見の者たちは、末法時代のはじめに出現する三類の強敵を認識することはできない。たとえ一部分であっても、すべての真実を見る仏眼を得た者だけが、三類の強敵を知ることができるのである。法華経勧持品の「国王や大臣・婆羅門・居士に向かって」という経文に対して、東春の智度法師は「国王等の権力者に対して、法華経の正法や行者を謗るという意である」と注釈を加えている。そもそも昔、像法時代の末には法相宗の護命や修円らが天皇に奏状を捧げ、事実を曲げて伝教大師を悪しざまに言上した。今、末法のはじめには極楽寺の良観や念阿良忠らが偽りの訴状を幕府に呈上し、日蓮を讒訴した。これこそ三類の強敵ではなかろうか。今の世の念仏者たちが、天台法華宗に帰依する国王や大臣、祭祀者や農工商者という社会的地位のある者に向かって、「法華経の理は深いけれども、私たち凡夫はそれをほとんど理解できない。法は極めて深いが、それを受け取る衆生の機根は極めて浅い」などと法華経の教えを遠ざけるのは、前に引いた天台大師仰せの「妙法を高く聖者の境界に推し上げてしまい、自分などの智恵の及ぶところではないと卑下してしまう無信心の者」にあたるのではなかろうか。また禅宗の者は次のように主張する。「法華経は月をさし示す指であり、禅宗の教えは月そのものである。月を確認した者にとって、指に何の用があろうか。禅は仏の悟った心そのものであるが、法華経は単なる仏の言葉に過ぎない。釈尊は法華経などのすべての経典をお説きになり、最後に一房の華をひねって、その意味を領解してほほえんだ迦葉尊者一人にその華を授けられた。また、得法の印しとして釈尊は御袈裟を迦葉に与え、それが代々伝えられて第二十八祖の菩提達磨に及び、さらに中国では六祖の恵能まで相承された」と。このような念仏宗や禅宗の大うそが日本国中の人々をまどい酔わせてから、既に長い年月が経っている。また天台宗や真言宗の高僧たちは、それぞれの宗では高名を得ているが、みずからの宗旨のことには意外なほどに習熟していない。加えて欲が深いものだから、公家や武家などの世俗の権力を恐れて、浄土宗や禅宗の邪義を受け入れ、果ては讃め歎える始末である。昔、釈尊が法華経を説かれた時には、多宝如来や十方分身の諸仏は法華経が永遠に伝えられていくことを証明された。しかるに今、天台宗の高僧たちは、「法華経の理は深いけれども、私たち凡夫はそれをほとんど理解できない」という浄土宗の邪説を承伏してしまった。そんなわけで、日本国にはただ法華経の名前があるだけで、法華経の教えによって悟りを得る人は一人もいない。それゆえ、いったい誰を法華経の行者としたらよいのだろうか。寺院や仏塔を焼いて流罪に処せられた僧侶は数えることができない。また、公家や武家にへつらい、返って識者から憎まれた高僧も数多い。まさか、これらの人たちを法華経の行者というべきなのであろうか。
J法華経の行者と日蓮
仏の言葉には嘘がない証拠として、三類の強敵はすでに国中に充満している。けれども、その仏の金言が破られたのであろうか、法華経の行者は一向に見えない。どうしたことだろう。どのように理解したらよいのだろうか。いったい、誰が法華経を弘めて多くの世俗の人に悪口をいわれたり、ののしられたりしたのか。どの僧侶が刀や杖で迫害されたのか。いずれの出家が法華経を信奉するという理由で公家や武家に訴えられたというのか。僧侶の内の誰が「しばしば擯出される」との経文のとおりに、法華経のゆえにたびたび流罪されたというのか。日蓮を除いて、今の日本国で該当する人はあり得ない。けれども、日蓮は法華経の行者ではあるまい。何せ、法華経の行者を守護することを誓った諸天は日蓮をお見捨てになっているのだから。それでは、誰を今の世の法華経の行者と定めて、仏の言葉の真実を証明できようか。極善の釈尊と極悪の提婆達多は身体とその影のようにいつも一体で、多く生死を繰り返しても離れることはなかった。仏教を守護した聖徳太子と拒み続けた物部守屋とは、蓮華の花と実のように相即の関係にあった。これと同じく、法華経の行者があれば必ず三類の強敵がいなければならない。その三類の強敵はすでに出現している。とすれば、法華経の行者はいったい誰なのであろうか。その人を探し出し、師と仰がねばなるまい。法華経の行者に出会うことは、一眼の亀が浮木の穴に遇うにも増した喜びなのだから。
K不守護の疑難と応答
ある人が疑っていう。今の世の中に三類の強敵は確かに存在するようだ。しかし、法華経の行者はいない。そなたを法華経の行者といおうとしても、次のような諸経文には法華経の行者に種々の守護がある旨が説かれているのに、そなたにはその守護がないからである。法華経安楽行品には「法華経の行者には、天から多くの童子が来たって給使するので、刀杖の難を加えることもできないし、毒をもって害することもできないだろう」とあり、次に「もし誹謗する人があれば、その人の口は閉じ塞がってしまう」と述べられている。また薬草喩品には「法華経を聞いた人は、今生には災難がなく、後生には善い境界に生まれるであろう」とあり、陀羅尼品には「法華経を説く者を悩ます者は、頭が七つに割れて、あたかも阿梨樹の枝のようになるだろう」と見え、普賢菩薩勧発品には「法華経の行者は、また現在世で福報を得るだろう」といい、また「もしこの経典を受持する者の欠点などをあばき出す人がいたとしよう。たとえその欠点が事実であってもなくても、その人は現世で癩病に犯されるだろう」と説かれている。この疑いに答えていう。そなたの疑問は大変重要である。この機会に不審を晴らしておこう。法華経の常不軽菩薩品には、増上慢の四衆が不軽菩薩を「悪口してののしり」、また「杖木や瓦石でこれを打ちすえた」とある。涅槃経金剛身品には「悪比丘が正法を護持する者を殺したり、傷つけたりするだろう」とあり、法華経法師品には「しかもこの経は如来の在世ですら、なお怨みや嫉みが多い。ましてや、如来の滅後はいうまでもない」と語られている。釈尊は提婆達多が落とした大きな石で足の小指を怪我するなど、九つもの大難にお値いになった。そなたの疑いからすれば、釈尊は法華経の行者ではないというのか。生涯にわたり種々の迫害を受け続けた不軽菩薩は、法華一仏乗の行者と呼ばれないのだろうか。仏弟子の目連尊者は竹杖外道に殺害された。これは法華経で未来成仏を保証された後の話である。仏の滅後にその教えを正しく伝えた付法蔵の第十四祖・提婆菩薩と、第二十五祖・師子尊者の二人も人に殺されてしまった。これらの聖者たちもやはり法華経の行者ではないということになるのだろうか。中国でも、一闡提の成仏を主張した竺の道生は蘇州の虎丘寺に流された。道教を重用する徽宗皇帝を諫めた法道三蔵は、顔に焼印を押されて江南の道州に追放された。世間の例では、菅原道真や白居易などは正義にもとづいて諫言したために流人となったが、彼らもやはり法華経の行者ではなかったのだろうか。
@現罰がない三つの理由
以上のような事がらには、次のような三つの事情が考えられる。第一には、前世で法華経を誹謗する罪を犯さなかった者が今世で法華経の行者となった場合には、この行者を世間的な過失でせめたてたり、罪もないのに危害を加えたりする者には、すぐさま今世で罰が現われるようだ。たとえば、修羅が帝釈天に矢を放って罰を受け、金翅鳥が阿耨池の竜王を食べようとして命を落とすように、必ずその身が直ちに損害をこうむる。これに対して、天台大師は「今の私の苦しみはみな過去世の罪に由来する。今生に積んだ福徳の報いは来世で受けることになる」といい、心地観経には「過去世で自分が行った因業を知ろうと思ったならば、現在の自分が受けている果報を見るがよい。同じように、自分の来世での果報を知ろうと思うならば、現在の自分が行っている因業を見て判断するがよい」と説かれ、法華経の不軽品には「その罪を滅しおわって」と説かれている。これによると、不軽菩薩は過去世において法華経を誹謗なさった罪があり、それが原因となって今世で瓦や石を投げつけられたと考えられる。第二にはまた、来世で必ず地獄に堕ちると決まった者は、たとえ重罪を犯しても今世ではその罰が現われない。すべての善根を断じた一闡提人がこれに該当する。涅槃経には「迦葉菩薩が仏に申し上げた。『世尊よ、仏がお説きになったように、大涅槃の教えの光はすべての者の毛穴から入り、よく菩提の因縁となるでしょう』」とあり、また「迦葉菩薩が仏に問い申し上げた。『世尊よ、まだ菩提心を起こしていない者はどうしたら菩提の因を得られるのですか』」とある。釈尊はこの質問に対して、「仏は迦葉にお告げになった。『もしこの大涅槃経を聞いても、自分は菩提心を起こさないといって、正法を誹謗する者があるとしよう。この人はその夜、夢の中で悪鬼の姿を見て恐怖を感じる。そして、その悪鬼に、やあ、良家の子息よ。お前が今、もし菩提心を起こさなければその命を取ってしまうぞと驚かされると、この人は恐怖のあまり目覚めてしまい、即時に菩提心を起こすだろう。心して知れ、この人は大菩薩なのである』」と答えられた。このように、それほどの大悪人でない者が正法を誹謗しても、ただちに夢を見ることで後悔する心が生まれるのである。一方、一闡提の者には菩提心が起こらないことについて、涅槃経には「枯れ木や石の山に水はとどまらない」「火で焼いた種は恵みの雨が降っても芽を出さない」「すばらしい珠玉は濁った水を澄ますが、汚泥を澄ますことはない」「手に傷のある者が毒薬を握ると毒気が入るが、傷のない者に毒気が入ることはない」「大雨が空にとどまらないように、一闡提人は必ず地獄に堕ちる」などと、多くの譬喩が説かれている。要するに、一闡提の人でも最も悪い者ともなれば、次の世では必ず無間地獄に堕ちることが決定しているので、今の世で罰は現われないのである。たとえば、悪王の見本とされる夏の桀王や殷の紂王の治世には天変がなかった。それはあまりにも罪科が重く、必ずその世が滅亡することに定まっていたためであろうか。第三にはまた、守護すべき善神がこの国を見捨ててしまい、それゆえに罰が現われないのだろうか。正法を誹謗する世を守護の善神が見捨てて去れば、諸天もその国を守護しない。そのような理由から正法を信行する者に守護の効験がなく、返って大きな災難に値うのだろう。金光明経に「善い行いをなす者が日々に少なくなってゆく」とあるのは、謗法の悪い国とか悪い時代のさまを説かれた仏語である。くわしくは立正安国論に論述した通りである。
A三大誓願
結局は、諸天もお見捨てなさるがよい。あらゆる苦難もみな来たれ。私は身命を懸けることを覚悟しよう。昔、舎利弗尊者が六十劫という長期間に菩薩の修行を積みながら、最後まで貫徹できなかったのは、一人の修行者から眼の布施を乞われて、その責め苦に堪えきれなかったからである。久遠の五百塵点劫や三千塵点劫の過去に釈尊より仏種を下されて結縁した者が、今番の霊山で法華経を聴聞する日まで仏道を成就できなかったのは、悪い指導者に出会って途中退転したからである。たとえその事情の善悪はともあれ、法華経を捨てることは地獄に堕ちる行為に違いない。私は昔、一つの誓願を立てた。それは「日本国の国主の位を譲り与えるから、法華経を捨てて観無量寿経に帰依し、後世の安楽を願え」などという誘いや、「父母の首を刎ねてしまうぞ、もしお前が念仏を称えなければ」などという脅しなど、さまざまに大きな法難が起こったとしても、智恵ある者に私の宗教的な信念が説き破られないかぎり、決してそれらに従わないという誓願である。ましてや、そのほかにどんな大難が出現しても、それは風の前に舞う塵と同じであって、問題にならない。私は日本国の柱となって、この国を支えていこう。私は日本国の眼目となって、この国の人々を導いていこう。私は日本国の大船となって、人々を安楽の彼岸に渡していこう、と。そのように誓った大願を破ることは決してできない。
@過去の謗罪と転重軽受
疑っていう。どうしてそなたが受けた流罪や死罪などの大難を過去世からの因縁によるものと知ることができようか。答えていう。銅製の鏡は物の色や形を映し出し、秦の始皇帝が用いた人の心を映す鏡は現世での罪を明らかにする。これに対して、仏法の鏡は現世の果報の原因である過去世での善悪の行為を現わす。般泥経には「良家の子息たちよ、かつて過去世で数えられないほど多くの罪やさまざまの悪業を作った者がいたとしよう。この者はその多くの罪の報いとして、あるいは軽蔑され、あるいはみにくい身体を持って生まれ、衣服が不足し、飲み物や食べ物が粗末で、財産を求めても得られず、貧しい家や邪法を信じる家に生まれ、あるいは国王から刑罰を受け、そのほかさまざまな人間としての苦しみの報いを受けるだろう。本来、この者は今生でこれらに倍する苦しみを受けるはずであったが、それが軽い報いで済んだのは、この者が今世で仏の正法を護持したその功徳の力によるのである」と説かれている。この経文に日蓮の身を照らし合わせると、まるで割符のように両者が一致する。これによって、受難に対する深く固い疑いが解け、数多くの疑難も何ら問題にならなくなった。経文の一々の句を私の身に引き合わせてみよう。ここに「あるいは軽蔑され」といい、法華経の譬喩品には「軽蔑され、憎み嫉まれ」とある。法華経を弘通しはじめて二十余年の間、私はずっと軽んじられてきた。また、「あるいはみにくい身体を持って生まれ」「衣服が不足し」とは私の姿である。「飲み物や食べ物が粗末で」とは、これも私のことである。「財産を求めても得られず」とは私の身の上である。「貧しい家に生まれ」というのも私の境遇である。「あるいは国王から刑罰を受け」という文などは私のありさまそのものであって、疑う余地が微塵もない。法華経の勧持品にも「たびたび追い払われ」とある通りである。最後に「さまざまな人間としての苦しみの報いを受けるだろう」とあり、「本来、この者は今生でこれらに倍する苦しみを受けるはずであったが、それが軽い報いで済んだのは、この者が今世で仏の正法を護持していたその功徳の力によるのである」とあるのは、摩訶止観の第五巻にも「散乱した心でなす善根は力が弱くて過去の重罪を動かすことはできない。今、止観を修行して色心の全体を一心に観ずれば、過去の善悪の業を動かすことができる」と説かれるとおりである。また、それを実践するならば、「三障四魔が入り乱れて出現し、障碍するだろう」とも示されている。私は無限の遠い過去以来、ある時は悪王と生まれて、法華経の行者の衣食や田畠などを奪い取ったことが数知らずあった。それはちょうど、今の日本国の人々が法華経の寺院を滅ぼす姿と同様である。また、法華経の行者の頸を切ったことも数えきれずあったに違いない。こうした重い罪の中にはすでに償ったものもあり、まだ償い切れないものもあるだろう。自分では償ったと思っても、いまだに残っているものもある。人が生死の迷いを離れようと思うならば、必ずこれらの重罪をすべて消し尽くさない限り、出離はできない。しかし、私が正法を護持した功徳は極めてわずかなもので、それに比べてこれまで積み重ねてきた罪はあまりにも深くて重い。仏が方便として仮りに説かれた権教を修行していた間には、まだこのような重罪が現れることはなかった。その理由は、鉄を鍛える際に、その中に疵があったとしても、強く焼いて鍛えなければ隠れたままでそれは見えない。強く熱して鍛え責めていくと、はじめて疵は現れてくる。また、麻の実から油を採る際には、強くしぼらなければ油はわずかしか採れないが、これと同じ道理である。今、日蓮が日本国の謗法を厳しく糾弾し、その結果として一連の大難が現われて来たのは、私の過去の重罪が、今の世に正法を護持することで引き出されてきたのだろう。鉄は普段は黒いが、火で熱せられれば赤くなる。急流に棹させば、波は山のように高くなる。眠っている獅子に手を付ければ大声で吼える。これらと同じ理屈である。
A自然と梵天に至る貧女
涅槃経の寿命品には次のように説かれている。「たとえばここに一人の貧しい女性がいた。彼女には住む家や庇護してくれる者もなく、その上に病苦と飢えに悩まされ、歩いて物乞いをしつつ日々を過ごしていた。ある時、宿屋にとどまり、そこで一人の赤子を生んだ。宿屋の主人が無情にも彼女を追い出したために、産後間もない身体で赤子を抱いて他の国に行こうとしたが、その途中で暴風雨に会って寒さに悩まされ、蚊や虻や蜂や毒虫に刺されて大変に苦しんだ。その内にガンジス河に行き当たり、赤子を抱いて渡ろうとした。河の流れは速かったが、何とか赤子を抱きしめて離さなかった。けれども、そのために母と子はついに河の中に共に沈んでしまった。そして、この女性は子供に対する慈しみの心を失わなかった功徳によって、死後梵天に生まれたのである。文殊師利よ。もし良家の子息たちが正法を護持しようと願ったならば、…この貧しい女性がガンジス河で赤子をいとしく思うあまり、みずからの身命を捨てた姿を手本としなければならない。良家の子息よ、仏法を守護する菩薩もまたこの女性のように行動すべきである。護法のためにはみずからの身命を捨てよ。
…このような覚悟の人は、強いて求めなくても解脱にはおのずから至るのであって、それはあの貧しい女性が生まれることを特に願わなくても、自然に梵天に至ったのと同じである」と。この経文については、章安大師が報障・煩悩障・業障の三障によって解釈されている。それを見るがよい。この譬喩の「貧しい人」とは、仏法という財宝を持っていないことをいう。「女性」は、わずかであっても慈しみの心を持っていることを意味する。「宿屋」というのは、煩悩に満ちた苦しみの世界のこと。「一人の赤子」とは、成仏の種子である法華経の信心を子供に譬えた語である。「宿屋の主人が無情にも彼女を追い出した」というのは、私が流罪されたのに該当する。「産後間もなく」とは、まだ法華経を信じはじめてから長い時間を経過していないことをいう。「暴風雨」とは、流罪を命じた勅宣のこと。「蚊や虻など」とは、法華経勧持品の「多くの智恵なき者の悪口やののしりなどがあるだろう」等という経文に相当する。「母と子はついに河の中に共に沈んでしまった」というのは、最後まで法華経の信心をつらぬき通して死罪に処せられること。そして、「死後梵天に生まれた」というのは、仏界に生まれるという意味である。来世での生まれ方を決定する業因・業果の道理は、地獄から仏界に至るまで変わることがない。日本や中国のあらゆる国の人々をすべて殺害したとしても、五逆と謗法の罪を犯さなければ八大地獄の最下の無間地獄に堕ちることはなく、それ以外の地獄や餓鬼・畜生という悪道で長年苦しみを受けるのである。三界の第二・色界の四禅天に生まれるには、あらゆる戒を持ち、あらゆる善を行なったとしても、散乱の弱い心で修した善根では生まれることはできない。また四禅天の第一の梵天王となるには、禅定の初歩である有漏定を実践した上に、さらに慈悲の功徳が加わらなければならない。今の貧しい女性は赤子を思う心だけで梵天に生まれた。これは普通の教学上の決まりとは違っている。章安大師は涅槃経疏巻四でこれに二つの解釈を示しているが、要するに赤子を慈しむ心によって梵天に生まれたということに他ならないのである。心を赤子という一つの対境に集中するさまは、禅定に似ている。ひとえに子供を思うことは、また慈悲の心と同じようにも見える。このように禅定と慈悲が自然と具わったので、その他に特別なことが何もなくても、彼女は梵天に生まれることとなったのであろうか。
B一念三千の仏種
また、仏に成る方法としては、華厳宗の唯心法界観や三論宗の八不中道観、法相宗の唯識観や真言宗の五輪観などが説かれるが、それらによって仏道が成就するとは思えない。ただ天台大師が説き示した一念三千の法門だけが、成仏を実現する道と考えられる。この一念三千の法門についても、末代の凡夫たる我々は少しばかりの理解力もないので、当然その修行に堪えることはできない。けれども、釈尊が一代五十年で説かれた諸経の中で、この法華経だけが一念三千の玉を含み持っている。その他の経典の極理は玉に似ているようで、その実は価値のないただ黄色いだけの石にすぎない。砂をいくらしぼっても油は出てこない。子供を産めない女性に子供を求めても無理な話である。それゆえに、他の経典では智者でさえも仏には成ることはできない。一方、この法華経はいかなる愚人であっても成仏の因たる仏種を得ることができる。前に引いた涅槃経に「強いて求めなくても解脱にはおのずから至る」と説かれる通りである。
C疑うことなかれ
私および私の弟子たちは、たとえいかに多くの災難があろうとも、法華経の教えを信じて疑う心がなければ、おのずから仏界に至ること必定である。諸天の加護がないからと言って疑ってはいけない。この世が安穏でないからと言って嘆いてはならない。私の弟子たちにはいつもこのように教えてきたけれども、たびたびの受難に疑問を起こして、皆捨ててしまったであろう。愚かな者の常として、折角約束したことを最も大切な時には忘れてしまうのである。妻子がかわいそうだと思うから、今生で別れることを嘆くのだろう。しかし、これまで繰り返してきた生死の中で、親愛なる妻子と納得して離別したことなどあったろうか。また、仏道のために離別したことなどもあったろうか。いつでも同じように、恩愛の中で嘆き悲しみながらの離別だったにちがいない。そうであれば、このたびは法華経の信心を貫徹し、霊山浄土に詣って成仏し、そこから逆に娑婆世界の妻子を導くがよい。
@摂折二門の明文
疑っていう。そなたが念仏者や禅宗などを無間地獄に堕ちると批判するのは、争いを好む心に他ならない。それが原因で、おそらく修羅道に堕ちるのではないか。また、法華経の安楽行品に「好んで他人や経典の欠点をあげつらってはいけない。また、その他の多くの法師を軽んじてはならない」と説かれている。そなたはこの経文に背いたから諸天に見捨てられたのではないか。答えていう。摩訶止観巻十には「そもそも、仏は二つの弘教の方法を示されている。一つは摂受であり、もう一つは折伏である。法華経の安楽行品に『他人の善し悪しを説いてはいけない』といわれるのは、摂受の意である。一方、涅槃経の金剛身品に『正法を破壊する者があるならば、手に刀や杖をとってその首を斬れ』と説かれるのは、折伏の意である。この二つは寛容と厳格とでその方法を異にするが、ともに衆生を教導する意味では一致している」とあり、妙楽大師の止観弘決には「『そもそも、仏は二つの弘教の方法を示されている』等とあるうち、『涅槃経に、正法を破壊する者がいれば、手に刀や杖をとって…』とあるのは、涅槃経の第三に『正法を護持する者は、五戒を受けずとも、起去動作を正しく整えずとも、武器を持って…』とある文や、さらに正法を護った仙予国王が大乗を誹謗した悪僧を殺害したという下の文、また同経の第二に『新しい医者が毒害のある乳薬を禁じるために、もし新たに服用する者があれば、その首を切れと王に命令させた』と説かれる文などを指し、これらは正法を破る者を折伏する旨を明かしている。すべての経典や論釈に説かれる弘経方法は、この摂受と折伏の二つに集約される」と述べられている。法華文句の第八巻には「問う。涅槃経は国王に親しく法を付属し、弓矢をもって悪人を打ち破って服従させよと説く。それに対して、法華経は権力者から遠ざかり、謙虚に慈しみ深くあれと説いて、強剛と柔軟とで大いに相違している。これはどう考えればよいのか。答えていう。涅槃経は専ら折伏を論じているが、また一人の子を愛するように、すべての衆生を平等に憐れむことが同時に説かれている。どうしてまったく摂受がないといえようか。一方、法華経はひたすら摂受を説いているが、陀羅尼品には行者に怨をなす者は頭が七つに割れるといわれている。これも折伏がまったくないとはいえない。両者はそれぞれ一方の端を示したまでであり、その時々にかなった方法をとるのがよいのである」と見える。章安大師の涅槃経疏には、右の金剛身品の文を次のように解釈している。「出家であれ在家であれ、正法を護るためにはその根本の目的を第一とし、戒律などの事相を捨てて、根源の理法を旨として大いなる教えを弘めることが必要である。よって、護持正法のためには枝葉末節にこだわらないという意で、『起去動作を正しく整えず』と説かれているのである。…昔は時代が平穏で正法がよく弘まったので、戒律を持つことが勧められ、武器を持つことが禁止された。今は時勢が険悪で正法が隠れてしまっているので、護法のために兵器を持つことが勧められ、戒律の持破は問題にされない。今日でも昔でも、険悪な時勢であれば同じく兵器を持って法を護るべきである。今日でも昔でも、平穏な時代であればいつでも戒律を堅持しなければならない。戒律と武器、摂受と折伏のいずれを取り、いずれを捨てるかは、その時世によって適切な方法を選択すべきであり、一方的な判断をしてはいけない」と。日蓮は争いを好むので等というそなたの疑問を、世間の学者も多く道理だと思っている。これまで何度となく忠告しても、私の弟子たちの中にもこのような疑問を懐きつづけ、まるで一闡提の人のように固執している者がいるので、今はまず天台大師や妙楽大師らの注釈を提示して、彼らの誤った非難をさえぎったのである。
A摂折二門の選択
さて、摂受と折伏という法門は水と火のような関係である。火は水をきらい、水は火を憎む。それと同じように、摂受を本とする者は折伏を粗暴と笑い、折伏を旨とする者は摂受を惰弱と悲しむのである。仏法を理解できない無智の者や悪人が国土に充満している時には、安楽行品に説かれるように摂受を優先しなければならない。正法に敵対する邪智の者や謗法の者が多い時には、常不軽菩薩品に説かれるように折伏を専らとすべきである。それは、暑い時には冷水を用い、寒い時には火を好むようなものである。草や木は太陽に親しい性質を持っているので、寒い冬の月に照らされて苦しみを得る。一方、すべての水は月に親しい性質を持っているので、逆に暑い時には本来の性質を失ってしまう。末法という時代には、摂受も折伏もあるだろう。それは、無智の者や悪人が充満する悪国と邪智の者や謗法の者が多い破法の国と、二つともに末法には存在するからである。そこで、日本国の今の世のありさまは、果たして悪国か破法の国か、慎重に検討して判断しなければならない。問うていう。摂受を行なうべき時に折伏を行じ、折伏を実践すべき時に摂受を修して、果たして衆生を利益することができるだろうか。答えていう。涅槃経の金剛身品には「迦葉菩薩が仏にお尋ねした。『如来の法身は金剛石のように堅くて壊れません。その仏身はどのようにして成就されたのでしょうか』と。仏が答えられた。『迦葉よ、よく正法を護持することによって金剛身は成就するのである。迦葉よ、私もまた過去に正法を護持したことにより、今この永久に壊れることのない金剛身を成就しえたのである。良家の子息たちよ、正法を護持する者は、五戒を受けずとも、起去動作を正しく整えずとも、刀剣や弓箭の武器を持たなければならない。…このようにさまざまに法を説いたとしても、よく獅子のような強い威勢で説法せず、仏法に背く悪人を折伏できなければ、このような比丘はみずからも功徳を得られないし、衆生を利益することもできないのである。心して知れ、この比丘はなまけ怠っているのである。よく戒を持って清浄な修行に努めても、この人は護法のためには何もしていないと知るべきである。もし比丘が獅子のような強い威勢で折伏したならば、破戒の者がその言葉を聞きおわって一斉に怒り、この法師を殺害するだろう。その結果、比丘がたとえそこで命を終えても、これは戒を持った者であり、みずからも功徳を受け、他の衆生をも利益した者と呼ばれる』」と説かれている。章安大師は涅槃経疏の巻八に「摂受と折伏のいずれを取り、いずれを捨てるかは、その時世によって適切な方法を選択すべきであり、一方的な判断をしてはいけない」と示し、天台大師は法華文句の巻八に「摂受と折伏の二門は時代のありさまに適うように用いよ」と教えている。たとえば、秋の終わり頃に種をまいて田畑を耕しても、稲を稔らせることは決してできないのと同様である。去る建仁年間(一二〇一〜四)に法然房源空と大日能忍の二人が出現して、念仏宗と禅宗とを盛んに弘めた。法然は「末法の時代に入って法華経を修行しても得道する者は一人もなく、千人の修行者のうちの一人も成仏できないし、往生もできない」といい、大日能忍は問仏決疑経の文によって「禅は文字や言葉によらずに、心から心へと直接伝えられた仏の悟りそのものである」といった。この二つの主張はそれから日本国中にあふれかえった。これに対して、天台宗や真言宗の学者たちが念仏宗や禅宗の外護者のご機嫌をとったり、恐れおののいたりするさまは、あたかも犬が主人に尾を振り、鼠が猫を恐れたりするのと変わらない。その上、国王や将軍に仕えては、仏法を破り、国を破る根拠となるような邪説をわざわざ説き語っている。このように天台宗や真言宗の学者たちは、今の世ですでに餓鬼道に堕ちており、死後の来世では阿鼻地獄に堕ちること必定である。いくら奥深い山林に入って天台宗の一念三千の観心に専念しても、また人里離れた静寂な場所で真言宗の三密の修行に精進しても、時代や人の機根を知らず、摂受と折伏の二門の取捨を正しく理解しないで、どうして生死を離れて成仏できようか。問うていう。念仏者や禅宗の者を責め立て、彼らの恨みをかって、一体どのような利益があるのか。答えていう。涅槃経の寿命品には「もし善い比丘がいて、仏法を破壊する者を見ながらもとがめず、追い出さず、その罪状を挙げて処分しないならば、この人は仏法の中にあって害をなす者であると知れ。一方、もし仏法を破壊する者を見て、よくとがめて追い出し、その罪状を挙げて処分するならば、これこそ仏の弟子であり、真実に仏の声を聞く者である」と説かれている。この経文について、章安大師は「仏法を破壊するのは、仏法の中にあって害をなす者のしわざである。そして、その者の悪をとがめるほどの慈悲もなく、本心を隠して親しくするのは、かえってその者を害することになる。その悪をとがめただす者こそ、仏法を護持する真の仏弟子である。仏法を破壊する者のためにその悪を責めて除くことは、彼にとっては慈悲ある親の行為に他ならない。その悪を責めさいなむ者こそ仏の弟子である。見逃して追い払わない者は仏法の中にあって害をなす者である」と説明を加えている。
@三仏の慈悲
そもそも、法華経の見宝塔品に釈尊と多宝如来と十方分身の諸仏の三仏がわざわざ一同に集まられたのは、一体どのような意図があったのか尋ねてみると、同品には「正法を未来永遠にわたってこの世界に存続させるために、ここに集まって来られたのだ」と説示されている。三仏が未来の世たる末法の時代に法華経を弘めて、末法のすべての仏子に正法を与えようと念願されたご心中を推察すると、さながら一人息子のひどい苦しみに会うのを見て心を痛めている父母よりも、さらに強い慈悲の心で末法の衆生を憐れんでおられることが分かるが、それなのに、法然房はその三仏のお気持を大切なことだとも思わずに、末法の時代には法華経の門を固く閉じて衆生を入れまいとせき止め、正気を失った子供をだまして宝物を捨てさせるように、法華経を投げ捨てさせてしまったが、その心は本当に無慈悲なことと思われる。自分の父母を他人が殺そうとしているのに、父母にそれを知らせないでいられようか。悪い子供が酒に酔い狂い、みずからの両親を殺そうとするのを見て、それを止めないことなどあろうか。悪人が寺院や仏塔に放火する姿を目の前にして、手をこまねいていられるか。重病の一人息子に、どうしてお灸を据えて治そうとしないでおられようか。今、日本国の禅宗や念仏宗の者の謗法を見て制止しない者は、このような正常な判断ができない者である。それゆえ、章安大師の「その者の悪をとがめるほどの慈悲もなく、本心を隠して親しくするのは、かえってその者を害することになる」との指弾をまぬがれることはできない。
A日蓮の三徳
日蓮は、日本国のすべての人々にとって主であり、師であり、父母である。一方、すべての天台宗の人々は彼らに害をなす敵対者である。これも「仏法を破壊する者のためにその悪を責めて除くことは、彼にとっては慈悲ある親の行為に他ならない」という章安大師の言葉どおりである。菩提を求める心を持たない者が、生死の苦しみを離れて成仏することはない。教主釈尊ですら、すべての外道から大悪人とののしりを受けられた。天台大師は江南・江北の十人の学僧から批判され、後代にも日本法相宗の徳一から「三寸の舌で仏を謗って、五尺の身をほろぼした」などと揶揄された。伝教大師は南都六宗の学僧たちに「最澄は中国に渡ったのに、都も見ていない」などと冷笑をお受けになった。これらは皆、法華経の教えを伝えようとして受けた悪口であるから、決して恥とはならない。返って、彼らのような愚かな者にほめられることこそ最大の恥辱である。このたびは、日蓮が幕府から咎めを受けて流罪されたので、天台宗や真言宗の法師たちはきっと悦ばしく思っているだろうが、それは不憫であり、また不埒なことである。考えてみるに、釈尊はわざわざ寂光土から娑婆世界に来られ、鳩摩羅什は十万里の山河を越えて姚秦に入って法華経を訳し、伝教大師は万里の波濤を渡って中国に法を求めた。付法蔵の提婆菩薩は外道に殺され、師子尊者は悪王に首を斬られた。薬王菩薩は仏恩を報じるために七万二千歳の間に臂を焼いて供養し、聖徳太子はみずからの手の皮をはいで梵網経の外題を書いたという。釈迦菩薩は仏を供養せんとしてわが身の肉を売り、楽法梵志は骨を筆とし血を墨として、仏の一偈を書き残そうとしたと伝えられる。天台大師が「摂受と折伏の二門は時代のありさまに適うように用いよ」と説かれたように、仏法流布の方法は時代によってさまざまである。日蓮の流罪などは、ただ今生で受けるわずかな苦に過ぎないから、何ら嘆くようなことではない。むしろ、過去の罪障を滅し、未来で大きな楽を受けることが間違いないのだから、まことに悦ばしい限りである。
◆ 開目抄 〔C3・文永九年二月・有縁の弟子〕
夫れ一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂 主師親これなり。又習学すべき物三あり。所謂 儒・外・内これなり。
儒家には三皇・五帝・三王、此等を天尊と号す。諸臣の頭目、万民の橋梁なり。三皇已前は父をしらず。人皆禽獣に同ず。五帝已後は父母を弁へて孝をいたす。所謂 重華はかたくなはしき父をうやまひ、沛公は帝となつて太公を拝す。武王は西伯を木像に造り、丁蘭は母の形をきざめり。此等は孝の手本なり。比干は殷の世のほろぶべきを見て、しゐて帝をいさめ、頭をはねらる。公胤といゐし者は懿公の肝をとて、我が腹をさき、肝を入れて死しぬ。此等は忠の手本なり。尹伊は尭王の師、務成は舜王の師、太公望は文王の師、老子は孔子の師なり。此等を四聖とがうす。天尊頭をかたぶけ、万民掌をあわす。此等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり。其の所詮は三玄をいでず。三玄とは、一には有の玄、周公等此れを立つ。二には無の玄、老子等。三には亦有亦無等、荘子が玄これなり。玄とは黒なり。父母未生已前をたづぬれば、或は元気よりして生ず。或は貴賤、苦楽、是非、得失等は皆自然等云云。
かくのごとく巧みに立つといえども、いまだ過去未来を一分もしらず。玄とは黒なり、幽なり。かるがゆへに玄という。但現在計りしれるににたり。現在にをひて仁義を制して身をまぼり、国を安んず。此れに相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等いう。此等の賢聖の人々は聖人なりといえども、過去をしらざること凡夫の背を見ず、未来をかがみざること盲人の前をみざるがごとし。但現在に家を治め、孝をいたし、堅く五常を行ずれば、傍輩もうやまい、名も国にきこえ、賢王もこれを召して或は臣となし、或は師とたのみ、或は位をゆづり、天も来たりて守りつかう。所謂 周の武王には五老きたりつかえ、後漢の光武には二十八宿来たりて二十八将となりし此れなり。而りといえども、過去未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず、不知恩の者なり。まことの賢聖にあらず。
孔子が「此の土に賢聖なし、西方に仏図という者あり、此れ聖人なり」といゐて、外典を仏法の初門となせしこれなり。礼楽等を教へて、内典わたらば戒定恵をしりやすからせんがため、王臣を教へて尊卑をさだめ、父母を教へて孝の高きをしらしめ、師匠を教へて帰依をしらしむ。妙楽大師云く「仏教の流化実に茲に頼る。礼楽前に駆せて真道後に啓らく」等云云。天台云く「金光明経に云く、一切世間所有の善論皆此の経に因る。若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」等云云。止観に云く「我三聖を遣はして彼の真丹を化す」等云云。弘決に云く「清浄法行経に云く、月光菩薩彼しこに顔回と称し、光浄菩薩彼しこに仲尼と称し、迦葉菩薩彼しこに老子と称す。天竺より此の震旦を指して彼しこと為す」等云云。
二には月氏の外道、三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天、此の二天をば一切衆生の慈父悲母・又天尊主君と号す。迦毘羅・・楼僧・勒娑婆、此の三人をば三仙となづく。此等は仏前八百年已前已後の仙人なり。此の三仙の所説を四韋陀と号す。六万蔵あり。乃至仏出世に当たりて、六師外道此の外経を習伝して五天竺の王の師となる。支流九十五六等にもなれり。一々に流々多くして、我慢の幢高きこと非想天にもすぎ、執心の心の堅きこと金石にも超えたり。其の見の深きこと巧みなるさま、儒家にはにるべくもなし。或は過去二生・三生・乃至七生・八万劫を照見し、又兼ねて未来八万劫をしる。其の所説の法門の極理、或は因中有果、或は因中無果、或は因中亦有果亦無果等云云。此れ外道の極理なり。所謂 善き外道は五戒・十善戒等を持ちて、有漏の禅定を修し、上色・無色をきわめ、上界を涅槃と立て屈歩虫のごとくせめのぼれども、非想天より返りて三悪道に堕つ。一人として天に留まるものなし。而れども天を極むる者は永くかへらずとをもえり。各々自師の義をうけて堅く執するゆへに、或は冬寒に一日に三度恒河に浴し、或は髪をぬき、或は巌に身をなげ、或は身を火にあぶり、或は五処をやく。或は裸形、或は馬を多く殺せば福をう、或は草木をやき、或は一切の木を礼す。此等の邪義其の数をしらず。師を恭敬する事諸天の帝釈をうやまい、諸臣の皇帝を拝するがごとし。しかれども外道の法九十五種、善悪につけて一人も生死をはなれず。善師につかへては二生・三生等に悪道に堕ち、悪師につかへては順次生に悪道に堕つ。
外道の所詮は内道に入る即ち最要なり。或外道云く「千年已後仏出世す」等云云。或外道云く「百年已後仏出世す」等云云。大涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず」等云云。法華経に云く「衆に三毒有りと示し、又邪見の相を現ず、我が弟子是の如く、方便して衆生を度す」等云云。
三には大覚世尊、此一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等なり。外典外道の四聖三仙、其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫、其の名は賢なりといえども実に因果を弁へざる事嬰児のごとし。彼れを船として生死の大海をわたるべしや。彼れを橋として六道の巷こゑがたし。我が大師は変易猶をわたり給へり。況や分段の生死をや。元品の無明の根本猶をかたぶけ給へり。況や見思枝葉の麁惑をや。
此の仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで、五十年が間一代の聖教を説き給へり。一字一句皆真言なり。一文一偈妄語にあらず。外典外道の中の聖賢の言すら、いうことあやまりなし。事と心と相符へり。況や仏陀は無量曠劫よりの不妄語の人。されば一代五十余年の説教は、外典外道に対すれば大乗なり。大人の実語なるべし。初成道の始めより泥の夕べにいたるまで、説くところの所説皆真実なり。
但し仏教に入りて五十余年の経々八万法蔵を勘へたるに、小乗あり大乗あり、権経あり実経あり、顕教密教、軟語麁語、実語妄語、正見邪見等の種々の差別あり。但し法華経計り教主釈尊の正言なり。三世十方の諸仏の真言なり。大覚世尊は四十余年の年限を指して、其の内の恒河の諸経を未顕真実、八年の法華は要当説真実と定め給ひしかば、多宝仏大地より出現して皆是れ真実と証明す。分身の諸仏来集して長舌を梵天に付く。此の言、赫々たり明々たり。晴天の日よりもあきらかに、夜中の満月のごとし。仰ぎて信ぜよ。伏して懐ふべし。
但し此の経に二箇の大事あり。倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず。華厳宗と真言宗との二宗は偸かに盗みて自宗の骨目とせり。一念三千の法門は、但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。竜樹・天親知りてしかもいまだひろいいださず、但我が天台智者のみこれをいだけり。一念三千は十界互具よりことはじまれり。法相と三論とは八界を立てて十界をしらず。況や互具をしるべしや。倶舎・成実・律宗等は阿含経によれり。六界を明らめて四界をしらず。十方唯有一仏と云ひて、一方有仏だにもあかさず。一切有情悉有仏性とこそとかざらめ。一人の仏性猶ゆるさず。
而るを律宗・成実宗等の十方有仏・有仏性なんど申すは、仏滅後の人師等の大乗の義を自宗に盗み入れたるなるべし。
例せば外典・外道等は仏前の外道は執見あさし。仏後の外道は仏教をききみて自宗の非をしり、巧みの心出現して仏教を盗み取り、自宗に入れて邪見もつともふかし。附仏教・学仏法成等これなり。外典も又々かくのごとし。漢土に仏法いまだわたらざりし時の儒家・道家は、いういうとして嬰児のごとくはかなかりしが、後漢已後に釈教わたりて対論の後、釈教やうやく流布する程に、釈教の僧侶破戒のゆへに、或は還俗して家にかへり、或は俗に心をあはせ、儒道の内に釈教を盗み入れたり。止観の第五に云く「今世多く悪魔の比丘有りて、戒を退き家に還り、駆策を懼畏して更に道士に越済す、復名利を邀めて荘老を誇談し、仏法の義を以て偸みて邪典に安き、高を押して下に就け尊を摧きて卑に入れ、概して平等ならしむ」云云。弘に云く「比丘の身と作りて仏法を破滅す。若しは戒を退き家に還るは衛の元嵩等が如し。即ち在家の身を以て仏法を破壊す。○此の人正教を偸窃して邪典に助添す。○押高等とは、○道士の心を以て二教の概と為し、邪正をして等しからしむ。義是の理無し。曾て仏法に入りて正を偸みて邪を助け、八万十二の高きを押して五千二篇の下れるに就け、用ゐて彼の典の邪鄙の教を釈するを摧尊入卑と名づく」等云云。此の釈を見るべし。次上の心なり。
仏教又かくのごとし。後漢の永平に漢土に仏法わたりて、邪典やぶれて内典立つ。内典に南三北七の異執をこりて蘭菊なりしかども、陳隋の智者大師にうちやぶられて、仏法二び群類をすくう。
其の後法相宗・真言宗天竺よりわたり、華厳宗又出来せり。此等の宗々の中に法相宗は一向天台宗に敵を成す宗、法門水火なり。しかれども玄奘三蔵・慈恩大師、委細に天台の御釈を見ける程に、自宗の邪見ひるがへるかのゆへに、自宗をばすてねども其の心天台に帰伏すと見えたり。華厳宗と真言宗とは本は権経・権宗なり。善無畏三蔵・金剛智三蔵、天台の一念三千の義を盗みとて自宗の肝心とし、其の上に印と真言とを加へて超過の心ををこす。其の子細をしらぬ学者等は、天竺より大日経に一念三千の法門ありけりとうちをもう。華厳宗は澄観が時、華厳経の「心如工画師」の文に天台の一念三千の法門を偸み入れたり。人これをしらず。日本我が朝には華厳等の六宗、天台・真言已前にわたりけり。華厳・三論・法相、諍論水火なりけり。
伝教大師此の国にいでて、六宗の邪見をやぶるのみならず、真言宗が天台の法華経の理を盗み取りて自宗の極とする事あらはれをはんぬ。伝教大師、宗々の人師の異執をすてて、専ら経文を前として責めさせ給ひしかば、六宗の高徳八人・十二人・十四人・三百余人並びに弘法大師等せめをとされて、日本国一人もなく天台宗に帰伏し、南都・東寺・日本一州の山寺、皆叡山の末寺となりぬ。又漢土の諸宗の元祖の、天台に帰伏して謗法の失をまぬかれたる事もあらはれぬ。
又其の後やうやく世をとろへ人の智あさくなるほどに、天台の深義は習ひうしないぬ。他宗の執心は強盛になるほどに、やうやく六宗七宗に天台宗をとされて、よわりゆくかのゆへに、結句は六宗七宗等にもをよばず。いうにかいなき禅宗・浄土宗にをとされて、始めは檀那やうやくかの邪宗にうつる。結句は天台宗の碩徳と仰がるる人々みなをちゆきて彼の邪宗をたすく。さるほどに六宗八宗の田畠所領みなたをされ、正法失せはてぬ。天照太神・正八幡・山王等諸の守護の諸大善神も法味をなめざるか、国中を去り給ふかの故に、悪鬼便りを得て国すでに破れなんとす。
此に予愚見をもて前四十余年と後八年との相違をかんがへみるに、其の相違多しといえども、先づ世間の学者もゆるし、我が身にもさもやとうちをぼうる事は、二乗作仏・久遠実成なるべし。
法華経の現文を拝見するに、舎利弗は華光如来、迦葉は光明如来、須菩提は名相如来、迦旃延は閻浮那提金光如来、目連は多摩羅跋栴檀香仏、富楼那は法明如来、阿難は山海恵自在通王仏、羅ラ羅は蹈七宝華如来、五百・七百は普明如来、学無学二千人は宝相如来、摩訶波闍波提比丘尼・耶輸多羅比丘尼等は一切衆生喜見如来・具足千万光相如来等なり。此等の人々は法華経を拝見したてまつるには尊きやうなれども、爾前の経々を披見の時はけをさむる事どもをほし。其の故は仏世尊は実語の人なり。故に聖人・大人と号す。外典・外道の中の賢人・聖人・天仙なんど申すは実語につけたる名なるべし。此等の人々に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは申すぞかし。此の大人「唯以一大事因縁故 出現於世」となのらせ給ひて「未だ真実を顕はさず」、「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたまふべし」、「正直に方便を捨て」等云云。多宝仏証明を加へ分身舌を出だす等は、舎利弗が未来の華光如来、迦葉が光明如来等の説をば、誰の人か疑網をなすべき。
而れども爾前の諸経も又仏陀の実語なり。大方広仏華厳経に云く「如来の智恵大薬王樹は、唯二処に於て生長の利益を為作すこと能はず。所謂 二乗の無為広大の深坑に堕つると、及び善根を壊る非器の衆生の大邪見貪愛の水に溺るるとなり」等云云。此の経文の心は、雪山に大樹あり、無尽根となづく。此れを大薬王樹と号す。閻浮提の諸木の中の大王なり。此の木の高さは十六万八千由旬なり。一閻浮提の一切の草木は、此の木の根ざし枝葉華菓の次第に随ひて、華菓なるなるべし。此の木をば仏の仏性に譬へたり。一切衆生をば一切の草木にたとう。但し此の大樹は火坑と水輪の中に生長せず。二乗の心中をば火坑にたとえ、一闡提人の心中をば水輪にたとえたり。此の二類は永く仏になるべからずと申す経文なり。
大集経に云く「二種の人有り、必ず死して活きず。畢竟して恩を知り恩を報ずること能はず。一には声聞、二には縁覚なり。譬へば人有りて深坑に堕墜し、是の人自ら利し他を利すること能はざるが如く、声聞縁覚も亦復是の如し。解脱の坑に堕ちて、自ら利し及以他を利すること能はず」等云云。外典三千余巻の所詮に二つあり。所謂 孝と忠となり。忠も又孝の家よりいでたり。孝と申すは高なり、天高けれども孝よりも高からず。又孝とは厚なり、地あつけれども孝よりは厚からず。聖賢の二類は孝の家よりいでたり。何に況や仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし。其の上舎利弗・迦葉等の二乗は、二百五十戒・三千の威儀持整して、味・浄・無漏の三静慮、阿含経をきわめ、三界の見思を尽せり。知恩報恩の人の手本なるべし。然るを不知恩の人なりと世尊定め給ひぬ。其の故は、父母の家を出でて出家の身となるは、必ず父母をすくはんがためなり。二乗は自身は解脱とをもえども、利他の行かけぬ。設ひ分々の利他ありといえども、父母等を永不成仏の道に入るれば、かへりて不知恩の者となる。
維摩経に云く「維摩詰又文殊師利に問ふ。何等をか如来の種と為す。答へて曰く、一切塵労の疇は如来の種と為る。五無間を以て具すと雖も猶能く此の大道意を発す」等云云。又云く「譬へば族姓の子高原陸土には青蓮芙蓉衡華を生ぜず、卑湿汚田乃ち此の華を生ずるが如し」等云云。又云く「已に阿羅漢を得て応真と為る者は、終に復道意を起こして仏法を具すること能はざるなり。根敗の士其の五楽に於て復利すること能はざるが如し」等云云。文の心は、貪・瞋・痴等の三毒は仏の種となるべし、殺父等の五逆罪は仏種となるべし、高原の陸土には青蓮華生ずべし、二乗は仏になるべからず。いう心は、二乗の諸善と凡夫の悪と相対するに、凡夫の悪は仏になるとも二乗の善は仏にならじとなり。諸の小乗経には悪をいましめ善をほむ。此の経には二乗の善をそしり凡夫の悪をほめたり。かへて仏経ともをぼへず、外道の法門のやうなれども、詮するところは二乗の永不成仏をつよく定めさせ給ふにや。
方等陀羅尼経に云く「文殊、舎利弗に語らく、猶枯樹の如く更に華を生ずるや不や。亦山水の如く本処に還るや不や。折石還りて合ふや不や。焦種芽を生ずるや不や。舎利弗の言く、不なり。文殊の言く、若し得べからずんば、云何ぞ我に菩提の記を得て歓喜を生ずるや不やと問ふや」等云云。文の心は枯れたる木華さかず、山水山にかへらず、破れたる石あはず、いれる種をいず。二乗またかくのごとし。仏種をいれり等となん。
大品般若経に云く「諸の天子、今未だ三菩提心を発さざる者応当に発すべし。若し声聞の正位に入れば、是の人能く三菩提心を発さざるなり。何を以ての故に。生死の為に障隔を作す故」等云云。文の心は、二乗は菩提心ををこさざれば我随喜せじ、諸天は菩提心ををこせば我随喜せん。
首楞厳経に云く「五逆罪の人、是の首楞厳三昧を聞いて阿耨菩提心を発せば、還りて仏と作るを得。世尊、漏尽の阿羅漢は猶破器の如く、永く是の三昧を受くるに堪忍せず」等云云。浄名経に云く「其れ汝に施す者は福田と名づけず、汝を供養せん者は三悪道に堕す」等云云。文の心は、迦葉・舎利弗等の聖僧を供養せん人天等は、必ず三悪道に堕つべしとなり。
此等の聖僧は、仏陀を除きたてまつりては人天の眼目、一切衆生の導師とこそをもひしに、幾許の人天大会の中にして、かう度々仰せられしは本意なかりし事なり。只詮ずるところは、我が御弟子を責めころさんとにや。此の外牛驢の二乳、瓦器金器、蛍火日光等の無量の譬へをとて、二乗を呵責せさせ給ひき。一言二言ならず、一日二日ならず、一月二月ならず、一年二年ならず、一経二経ならず、四十余年が間、無量無辺の経々に、無量の大会の諸人に対して、一言もゆるし給ふ事もなくそしり給ひしかば、世尊の不妄語なりと我もしる、人もしる、天もしる、地もしる。一人二人ならず百千万人、三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四洲・六欲・色・無色・十方世界より雲集せる人天・二乗・大菩薩等、皆これをしる、又皆これをきく。各々国々へ還りて、娑婆世界の釈尊の説法を彼々の国々にして一々にかたるに、十方無辺の世界の一切衆生一人もなく、迦葉・舎利弗等は永不成仏の者、供養してはあしかりぬべしとしりぬ。
而るを後八年の法華経に忽ちに悔ひ還して、二乗作仏すべしと仏陀とかせ給はんに、人天大会信仰をなすべしや。用ゐるべからざる上、先後の経々に疑網をなし、五十余年の説教皆虚妄の説となりなん。されば「四十余年 未顕真実」等の経文はあらませしか。天魔の仏陀と現じて後八年の経をばとかせ給ふかと疑網するところに、げにげにしげに劫国名号と申して、二乗成仏の国をさだめ、劫をしるし、所化の弟子なんどを定めさせ給へば、教主釈尊の御語すでに二言になりぬ。自語相違と申すはこれなり。外道が仏陀を大妄語の者と咲ひしことこれなり。
人天大会けをさめてありし程に、爾の時に東方宝浄世界の多宝如来、高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大七宝塔に乗じて、教主釈尊の人天大会に自語相違をせめられて、とのべかうのべさまざまに宣べさせ給ひしかども、不審猶をはるべしともみえず、もてあつかいてをはせし時、仏前に大地より涌現して虚空にのぼり給ふ。例せば暗夜に満月の東山より出づるがごとし。七宝の塔大虚にかからせ給ひて、大地にもつかず大虚にも付かせ給はず、天中に懸かりて、宝塔の中より梵音声を出だして証明して云く、「爾の時に宝塔の中より大音声を出だして歎めて言く、善きかな善きかな、釈迦牟尼世尊、能く平等大恵・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたまふ。是の如し是の如し。釈迦牟尼世尊の所説の如きは皆是れ真実なり」等云云。又云く「爾の時に世尊、文殊師利等の無量百千万億旧住娑婆世界の菩薩、乃至人非人等、一切の衆の前に於て大神力を現じたまふ。広長舌を出だして上梵世に至らしめ、一切の毛孔より、乃至、十方世界衆の宝樹の下の師子の座の上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出だし無量の光を放ちたまふ」等云云。又云く「十方より来たりたまへる諸の分身の仏をして各本土に還らしむ。乃至多宝仏の塔も還りて故の如くしたまふべし」等云云。
大覚世尊、初成道の時、諸仏十方に現じて釈尊を慰諭し給ふ上、諸の大菩薩を遣はしき。般若経の御時は釈尊長舌を三千にをほひ、千仏十方に現じ給ふ。金光明経には四方の四仏現ぜり。阿弥陀経には六方の諸仏舌を三千にををう。大集経には十方の諸仏菩薩大宝坊にあつまれり。此等を法華経に引き合はせてかんがうるに、黄石と黄金と、白雲と白山と、白氷と銀鏡と、黒色と青色とをば、翳眼の者・眇目の者・一眼の者・邪眼の者はみたがへつべし。華厳経には先後の経なければ仏語相違なし。なににつけてか大疑いで来べき。大集経・大品経・金光明経・阿弥陀経等は、諸小乗経の二乗を弾呵せんがために、十方に浄土をとき、凡夫・菩薩を欣慕せしめ、二乗をわづらはす。小乗経と諸大乗経と一分の相違あるゆへに、或は十方に仏現じ給ひ、或は十方より大菩薩をつかはし、或は十方世界にも此の経をとくよしをしめし、或は十方より諸仏あつまり給ふ。或は釈尊舌を三千にをほひ、或は諸仏の舌をいだすよしをとかせ給ふ。此れひとえに諸小乗経の十方世界唯有一仏ととかせ給ひしをもひをやぶるなるべし。法華経のごとくに先後の諸大乗経と相違出来して、舎利弗等の諸の声聞・大菩薩・人天等に将非魔作仏とをもはれさせ給ふ大事にはあらず。而るを華厳・法相・三論・真言・念仏等の翳眼の輩、彼々の経々と法華経とは同じとうちをもへるは、つたなき眼なるべし。
但在世は四十余年をすてて法華経につき候ものもやありけん。仏滅後に此の経文を開見して信受せんことかたかるべし。先づ一つには爾前の経々は多言なり、法華経は一言なり。爾前の経々は多経なり、此の経は一経なり。彼々の経々は多年なり、此の経は八年なり。仏は大妄語の人、永く信ずべからず。不信の上に信を立てば、爾前の経々は信ずる事もありなん。法華経は永く信ずべからず。当世も法華経をば皆信じたるやうなれども、法華経にてはなきなり。其の故は法華経と大日経と、法華経と華厳経と、法華経と阿弥陀経と一なるやうをとく人をば悦びて帰依し、別々なるなんど申す人をば用ゐず。たとい用ゐれども本意なき事とをもへり。
日蓮云く「日本に仏法わたりてすでに七百余年、但伝教大師一人計り法華経をよめり」と申すをば諸人これを用ゐず。但し法華経に云く「若し須弥を接りて他方の無数の仏土に擲げ置かんも、亦未だ為れ難しとせず。乃至、若し仏の滅後に悪世の中に於て能く此の経を説かん、是れ則ち為れ難しとす」等云云。日蓮が強義、経文には普合せり。法華経の流通たる涅槃経に、末代濁世に謗法の者は十方の地のごとし。正法の者は爪上の土のごとしと、とかれて候はいかんがし候べき。日本の諸人は爪上の土か、日蓮は十方の土か、よくよく思惟あるべし。賢王の世には道理かつべし。愚主の世に非道先をすべし。聖人の世に法華経の実義顕はるべし等と心うべし。
此の法門は迹門と爾前と相対して、爾前の強きやうにをぼゆ。もし爾前つよるならば、舎利弗等の諸の二乗は永不成仏の者なるべし。いかんがなげかせ給ふらん。
二には、教主釈尊は住劫第九の減人寿百歳の時、師子頬王には孫、浄飯王には嫡子、童子悉達太子一切義成就菩薩これなり。御年十九の御出家、三十成道の世尊、始め寂滅道場にして実報華王の儀式を示現して、十玄六相・法界円融・頓極微妙の大法を説き給ひ、十方の諸仏も顕現し、一切の菩薩も雲集せり。土といひ、機といひ、諸仏といひ、始めといひ、何事につけてか大法を秘し給ふべき。されば経文には「顕現自在力 演説円満経」等云云。一部六十巻は一字一点もなく円満経なり。譬へば如意宝珠は一珠も無量珠も共に同じ。一珠も万宝を尽くして雨らし、万珠も万宝を尽くすがごとし。華厳経は一字も万字も但同事なるべし。「心仏及衆生」の文は華厳宗の肝心なるのみならず、法相・三論・真言・天台の肝要とこそ申し候へ。
此等程いみじき御経に何事をか隠すべき。なれども二乗闡提不成仏ととかれしは珠のきずとみゆる上、三処まで始成正覚となのらせ給ひて、久遠実成の寿量品を説きかくさせ給ひき。珠の破れたると、月に雲のかかれると、日の蝕したるがごとし。不思議なりしことなり。阿含・方等・般若・大日経等は仏説なればいみじき事なれども、華厳経にたいすればいうにかいなし。彼の経に秘せんこと、此等の経々にとかるべからず。されば諸阿含経に云く「初め成道」等云云。大集経に云く「如来成道始め十六年」等云云。浄名経に云く「始め仏樹に坐して力めて魔を降す」等云云。大日経に云く「我昔道場に坐して」等云云。仁王般若経に云く「二十九年」等云云。此等は言ふにたらず。
只耳目ををどろかす事は、無量義経に華厳経の唯心法界、方等般若経の海印三昧・混同無二等の大法をかきあげて、或は未顕真実、或は歴劫修行等下す程の御経に、「我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり」と初成道の華厳経の始成の文に同ぜられし、不思議と打ち思ふところに、此れは法華経の序分なれば正宗の事をばいわずもあるべし。法華経の正宗・略開三・広開三の御時「唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相」等、「世尊法久後」等、「正直捨方便」等、多宝仏、迹門八品を指して「皆是真実」と証明せられしに、何事をか隠すべき。なれども久遠寿量をば秘せさせ給ひて「我始め道場に坐し樹を観じて亦経行す」等云云。最第一の大不思議なり。
されば弥勒菩薩、涌出品に四十余年の未見今見の大菩薩を「仏爾して乃ち之れを教化して初めて道心を発さしむ」等ととかせ給ひしを疑って云く、「如来太子為りし時、釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまへり。是れより已来始めて四十余年を過ぎたり。世尊云何ぞ此の少時に於て大いに仏事を作したまへる」等云云。教主釈尊、此等の疑ひを晴さんがために、寿量品をとかんとして、爾前迹門のききを挙げて云く「一切世間の天人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまへりと謂へり」等云云。正しく此の疑ひに答へて云く「然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」等云云。
華厳乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず、久遠実成を説きかくさせ給へり。
此等の経々に二つの失あり。一には「行布を存する故に仍未だ権を開せず」、迹門の一念三千をかくせり。二には「始成を言ふ故に曾て尚未だ迹を発せず」、本門の久遠をかくせり。此等の二つの大法は、一代の綱骨、一切経の心髄なり。迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらはれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし、根なし草の波の上に浮かべるににたり。本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打ちやぶて、本門の十界の因果をとき顕はす。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備はりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし。
かうてかへりみれば、華厳経の台上十方、阿含経の小釈迦、方等・般若の、金光明経の、阿弥陀経の、大日経等の権仏等は、此の寿量の仏の天月しばらく影を大小の器にして浮かべ給ふを、諸宗の学者等近くは自宗に迷ひ、遠くは法華経の寿量品をしらず、水中の月に実月の想ひをなし、或は入りて取らんとをもひ、或は縄をつけてつなぎとどめんとす。天台云く「天月を識らず但池月を観ず」等云云。
日蓮案じて云く、二乗作仏すら猶爾前づよにをぼゆ。久遠実成は又にるべくもなき爾前づりなり。其の故は爾前法華相対するに、猶爾前こわき上、爾前のみならず迹門十四品も一向に爾前に同ず。本門十四品も涌出・寿量の二品を除きては皆始成を存せり。双林最後の大般涅槃経四十巻、其の外の法華前後の諸大乗経に、一字一句もなく、法身の無始無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず。いかんが広博の爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経をばすてて、但涌出・寿量の二品には付くべき。
されば法相宗と申す宗は、西天の仏滅後九百年に無著菩薩と申す大論師有しき。夜は都率の内院にのぼり、弥勒菩薩に対面して一代聖教の不審をひらき、昼は阿輸舎国にして法相の法門を弘め給ふ。彼の御弟子は世親・護法・難陀・戒賢等の大論師なり。戒日大王頭をかたぶけ、五天幢を倒して此れに帰依す。尸那国の玄奘三蔵、月氏にいたりて十七年、印度百三十余の国々を見ききて、諸宗をばふりすて、此の宗を漢土にわたして、太宗皇帝と申す賢王にさづけ給ひ、肪・尚・光・基を弟子として、大慈恩寺並びに三百六十余箇国に弘め給ふ。日本国には人王三十七代孝徳天皇の御宇に、道慈・道昭等ならひわたして山階寺にあがめ給へり。三国第一の宗なるべし。此の宗の云く、始め華厳経より終り法華涅槃経にいたるまで、無性有情と決定性の二乗は永く仏になるべからず。仏語に二言なし。一度永不成仏と定め給ひぬる上は日月は地に落ち給ふとも、大地は反覆すとも、永く変改有るべからず。されば法華経・涅槃経の中にも、爾前の経々に嫌ひし無性有情・決定性を正しくついさして成仏すとはとかれず。まづ眼を閉じて案ぜよ。法華経・涅槃経に決定性・無性有情、正しく仏になるならば、無著・世親ほどの大論師、玄奘・慈恩ほどの三蔵人師、これをみざるべしや。此れをのせざるべしや。これを信じて伝へざるべしや。弥勒菩薩に問ひたてまつらざるべしや。汝は法華経の文に依るやうなれども、天台・妙楽・伝教の僻見を信受して、其の見をもつて経文をみるゆえに、爾前に法華経は水火なりと見るなり。
華厳宗と真言宗は法相・三論にはにるべくもなき超過の宗なり。二乗作仏・久遠実成は法華経に限らず、華厳経・大日経に分明なり。華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観、真言宗の善無畏・金剛智・不空等は、天台・伝教にはにるべくもなき高位の人、其の上、善無畏等は大日如来より糸みだれざる相承あり。此等の権化の人いかでか誤りあるべき。随って華厳経には「或は釈迦仏道を成じ已りて不可思議劫を経るを見る」等云云。大日経には「我は一切の本初なり」等云云。何ぞ但久遠実成、寿量品に限らん。譬へば井底の蝦が大海を見ず、山左が洛中をしらざるがごとし。汝但寿量の一品を見て、華厳・大日経等の諸経をしらざるか。其の上月氏・尸那・新羅・百済等にも一同に、二乗作仏・久遠実成は法華経に限るというか。
されば八箇年の経は四十余年の経々には相違せりというとも、先判後判の中には後判につくべしというとも、猶爾前づりにこそをぼうれ。
又但在世計りならばさもあるべきに、滅後に居せる論師人師、多くは爾前づりにこそ候へ。かう法華経は信じがたき上、世もやうやく末になれば、聖賢はやうやくかくれ、迷者はやうやく多し。世間の浅き事すら猶あやまりやすし。何に況や出世の深法誤りなかるべしや。犢子・方広が聡敏なりし、猶大小乗経にあやまてり。無垢・摩沓が利根なりし、権実二教を弁へず。正法一千年の内在世も近く、月氏の内なりし、すでにかくのごとし。況や尸那・日本等は国もへだて、音もかはれり、人の根も鈍なり、寿命も日あさし、貪・瞋・痴も倍増せり。仏世を去りてとし久し、仏経みなあやまれり、誰の智解か直かるべき。仏涅槃経に記して云く「末法には正法の者は爪上の土、謗法の者は十方の土」とみえぬ。法滅尽経に云く「謗法の者は恒河沙、正法の者は一二の小石」と記しをき給ふ。千年・五百年に一人なんども正法の者ありがたからん。世間の罪に依りて悪道に堕つる者は爪上の土、仏法によて悪道に堕つる者は十方の土。俗よりも僧、女より尼多く悪道に堕つべし。
此に日蓮案じて云く、世すでに末代に入りて二百余年、辺土に生をうく。其の上下賤、其の上貧道の身なり。輪回六趣の間には人天の大王と生まれて、万民をなびかす事、大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず。大小乗経の外凡内凡の大菩薩と修しあがり、一劫二劫無量劫を経て菩薩の行を立て、すでに不退に入りぬべかりし時も、強盛の悪縁におとされて仏にもならず。しらず、大通結縁の第三類の在世をもれたるか、久遠五百の退転して今に来たれるか。
法華経を行ぜし程に、世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に、権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者、法華経をつよくほめあげ、機をあながちに下し、理深解微と立て、未有一人得者・千中無一等とすかししものに、無量生が間、恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ。権経より小乗経に堕ちぬ。外道外典に堕ちぬ。結句は悪道に堕ちけりと、深く此れをしれり。
日本国に此れをしれる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出だすならば、父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしとしりぬ。二辺の中にはいうべし。王難等出来の時は退転すべくは一度に思ひ止むべし、と且くやすらいし程に、宝塔品の六難九易これなり。我等程の小力の者須弥山はなぐとも、我等程の無通の者乾草を負ひて劫火にはやけずとも、我等程の無智の者恒沙の経々をばよみをぼうとも、法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと、とかるるはこれなるべし。今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ。
既に二十余年が間此の法門を申すに、日々・月々・年々に難かさなる。少々の難はかずしらず、大事の難四度なり。二度はしばらくをく、王難すでに二度にをよぶ。今度はすでに我が身命に及ぶ。其の上弟子といひ、檀那といひ、わづかの聴聞の俗人なんど来たりて重科に行はる。謀反なんどの者のごとし。
法華経の第四に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」等云云。第二に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん」等云云。第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云。又云く「諸の無智の人の悪口罵詈等する有らん」。又云く「国王・大臣・婆羅門・居士に向かひて、誹謗し我が悪を説いて、是れ邪見の人なりと謂はん」。又云く「数数擯出せられん」等云云。又云く「杖木瓦石をもて之れを打擲せん」等云云。
涅槃経に云く「爾の時に多く無量の外道有り。和合して共に摩訶陀の国王阿闍世の所に往きぬ。○今は唯一の大悪人有り、瞿曇沙門なり。○一切世間の悪人利養の為の故に其の所に往集して眷属と為りて能く善を修せず。呪術の力の故に迦葉及び舎利弗・目オ連を調伏す」等云云。天台云く「何に況や未来をや、理化し難きに在るなり」等云云。妙楽云く「障り未だ除かざる者を怨と為し、聞くことを喜ばざる者を嫉と名づく」等云云。南三北七の十師、漢土無量の学者、天台を怨敵とす。得一云く「咄きかな、智公汝は是れ誰が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説を謗ずる」等云云。東春に云く「問ふ、在世の時許多の怨嫉あり。仏滅度の後此の経を説く時、何が故ぞ亦留難多きや。答へて云く、俗に言ふが如きは良薬口に苦しと。此の経は五乗の異執を廃して一極の玄宗を立つるが故に、凡を斥け聖を呵し、大を排ひ小を破り、天魔を銘じて毒虫と為し、外道を説いて悪鬼と為し、執小を貶して貧賤と為し、菩薩を挫きて新学と為す。故に天魔は聞くを悪み、外道は耳に逆らひ、二乗は驚怪し、菩薩は怯行す。此の如きの徒悉く留難を為す。多怨嫉の言豈に唐しからんや」等云云。顕戒論に云く「僧統奏して曰く、西夏に鬼弁婆羅門有り、東土に巧言を吐く禿頭沙門あり。此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す等云云。論じて曰く○昔斉朝の光統を聞き、今は本朝の六統を見る。実なるかな、法華に何況するをや」等云云。秀句に云く「代を語れば則ち像の終り末の初め、地を尋ぬれば唐の東、羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生闘諍の時なり。経に云く、猶多怨嫉 況滅度後と。此の言良に以有るなり」等云云。
夫れ小児に灸治を加ふれば必ず母をあだむ。重病の者に良薬をあたうれば定めて口に苦しとうれう。在世猶しかり、乃至像末辺土をや。山に山をかさね、波に波をたたみ、難に難を加へ、非に非をますべし。像法の中には天台一人、法華経一切経をよめり。南北これをあだみしかども、陳隋二代の聖主、眼前に是非を明らめしかば敵ついに尽きぬ。像の末に伝教一人、法華経一切経を仏説のごとく読み給へり。南都七大寺蜂起せしかども、桓武乃至嵯峨等の賢主、我と明らめ給ひしかば又事なし。
今末法の始め二百余年なり。況滅度後のしるしに、闘諍の序となるべきゆへに非理を前として、濁世のしるしに召し合はせられずして、流罪乃至寿にもをよばんとするなり。されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。定めて天の御計らひにもあづかるべしと存ずれども、一分のしるしもなし。いよいよ重科に沈む。還りて此の事を計りみれば、我が身の法華経の行者にあらざるか。又諸天善神等の此の国をすてて去り給へるか。かたがた疑はし。
而るに法華経の第五の巻勧持品の二十行の偈は、日蓮だにも此の国に生まれずば、ほとをど世尊は大妄語の人、八十万億那由他の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし。経に云く「諸の無智の人の悪口罵詈等し、及び刀杖を加ふる者有らん」等云云。今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ、刀杖等を加へらるる者ある。日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ。「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲」。又云く「白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如し」。此等の経文は、今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば、世尊は又大妄語の人。「常在大衆中 乃至 向国王・大臣・婆羅門・居士」等、今の世の僧等、日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし。
又云く「数数見擯出」等云云、日蓮法華経のゆへに度々ながされずば、数数の二字いかんがせん。此の二字は天台・伝教もいまだよみ給はず。況や余人をや。末法の始めのしるし、恐怖悪世中の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。例せば、世尊が付法蔵経に記して云く「我が滅後一百年に阿育大王という王あるべし」。摩耶経に云く「我が滅後六百年に竜樹菩薩という人南天竺に出づべし」。大悲経に云く「我が滅後六十年に末田地という者地を竜宮につくべし」。此等皆仏記のごとくなりき。しからずば誰か仏教を信受すべき。
而るに仏「恐怖悪世」、「然後未来世」、「末世法滅時」、「後五百歳」なんど、正妙の二本に正しく時を定め給ふ。当世法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん。南三北七・七大寺等、猶像法の法華経の敵の内、何に況や当世の禅・律・念仏者等は脱るべしや。経文に我が身普合せり。御勘気をかほればいよいよ悦びをますべし。例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して、つくりたくなき罪なれども、父母等の地獄に堕ちて大苦をうくるを見て、かたのごとく其の業を造りて、願ひて地獄に堕ちて苦に同じ苦に代れるを悦びとするがごとし。此れも又かくのごとし。当時の責めはたうべくもなけれども、未来の悪道を脱すらんとをもえば悦ぶなり。
但し世間の疑ひといゐ、自心の疑ひと申し、いかでか天扶け給はざるらん。諸天等の守護神は仏前の御誓言あり。法華経の行者にはさるになりとも法華経の行者とがうして、早々に仏前の御誓言をとげんとこそをぼすべきに、其の義なきは我が身法華経の行者にあらざるか。此の疑ひは此の書の肝心、一期の大事なれば、処々にこれをかく上、疑ひを強くして答へをかまうべし。
季札といひし者は心のやくそくをたがへじと、王の重宝たる剣を徐君が塚にかく、王寿と云ひし人は河の水を飲みて金の鵞目を水に入れ、公胤といひし人は腹をさいて主君の肝を入る。此等は賢人なり、恩をほうずるなるべし。況や舎利弗・迦葉等の大聖は二百五十戒三千の威儀一つもかけず、見思を断じ三界を離れたる聖人なり。梵帝諸天の導師、一切衆生の眼目なり。而るに四十余年が間、永不成仏と嫌ひすてはてられてありしが、法華経の不死の良薬をなめてョ種の生ひ、破石の合ひ、枯木の華菓なんどせるがごとく、仏になるべしと許されていまだ八相をとなえず、いかでか此の経の重恩をばほうぜざらん。若しほうぜずば、彼々の賢人にもをとりて、不知恩の畜生なるべし。毛宝が亀はあをの恩をわすれず、昆明池の大魚は命の恩をほうぜんと明珠を夜中にささげたり。畜生すら猶恩をほうず。何に況や大聖をや。
阿難尊者は斛飯王の次男、羅ラ羅尊者は浄飯王の孫なり。人中に家高き上証果の身となつて成仏ををさへられたりしに、八年の霊山の席にて山海恵踏七宝華なんど如来の号をさづけられ給ふ。若し法華経ましまさずば、いかにいえたかく大聖なりとも、誰か恭敬したてまつるべき。夏の桀・殷の紂と申すは万乗の主、土民の帰依なり。しかれども政あしくして世をほろぼせしかば、今にわるきものの手本には桀紂・桀紂とこそ申せ。下賤の者・癩病の者も桀紂のごとしといはれぬれば、のられたりと腹たつなり。千二百無量の声聞は法華経ましまさずば、誰か名をもきくべき、其の音をも習ふべき。一千の声聞、一切経を結集せりとも見る人もよもあらじ。まして此等の人々を絵像木像にあらはして本尊と仰ぐべしや。此れ偏に法華経の御力によて、一切の羅漢帰依せられさせ給ふなるべし。諸の声聞、法華をはなれさせ給ひなば、魚の水をはなれ、猿の木をはなれ、小児の乳をはなれ、民の王をはなれたるがごとし。いかでか法華経の行者をすて給ふべき。
諸の声聞は爾前の経々にては肉眼の上に天眼・恵眼をう。法華経にして法眼・仏眼備はれり。十方世界すら猶照見し給ふらん。何に況や此の娑婆世界の中、法華経の行者を知見せられざるべしや。設ひ日蓮悪人にて一言二言、一年二年、一劫二劫、乃至百千万億劫、此等の声聞を悪口罵詈し奉り、刀杖を加へまいらする色なりとも、法華経をだにも信仰したる行者ならばすて給ふべからず。譬へば幼稚の父母をのる、父母これをすつるや。梟鳥が母を食ふ、母これをすてず。破鏡父をがいす、父これにしたがふ。畜生すら猶かくのごとし。大聖、法華経の行者を捨つべしや。
されば四大声聞の領解の文に云く「我等今は真に是れ声聞なり。仏道の声を以て一切をして聞かしむべし。我等今は真に阿羅漢なり。諸の世間・天人・魔梵に於て、普く其の中に於て応に供養を受くべし。世尊は大恩まします。希有の事を以て憐愍教化して我等を利益し給ふ。無量億劫にも誰か能く報ずる者あらん。手足をもて供給し頭頂をもて礼敬し一切をもて供養すとも、皆報ずること能はじ。若しは以て頂戴し、両肩に荷負して恒沙劫に於て心を尽くして恭敬し、又美膳無量の宝衣及び諸の臥具種々の湯薬を以てし、牛頭栴檀及び諸の珍宝を以て塔廟を起て、宝衣を地に布き、斯の如き等の事を以用て供養すること恒沙劫に於てすとも、亦報ずること能はじ」等云云。
諸の声聞等は前四味の経々にいくそばくぞの呵責を蒙り、人天大会の中にして恥辱がましき事其の数をしらず。しかれば迦葉尊者のH泣の音は三千をひびかし、須菩提尊者は亡然として手の一鉢をすつ。舎利弗は飯食をはき、富楼那は画瓶に糞を入ると嫌はる。世尊、鹿野苑にしては阿含経を讃歎し、二百五十戒を師とせよ、なんど慇懃にほめさせ給ひて、今又いつのまに我が所説をばかうはそしらせ給ふと、二言相違の失とも申しぬべし。例せば世尊、提婆達多を汝愚人なり、人の唾を食ふと罵詈せさせ給ひしかば、毒箭の胸に入るがごとくをもひて、うらみて云く「瞿曇は仏陀にはあらず。我は斛飯王の嫡子、阿難尊者が兄、瞿曇が一類なり。いかにあしき事ありとも内々教訓すべし。此等程の人天大会に、此れ程の大禍を現に向かひて申すもの、大人仏陀の中にあるべしや。されば先々は妻のかたき、今は一座のかたき、今日よりは生々世々に大怨敵となるべし」と誓ひしぞかし。
此れをもつて思ふに、今諸の大声聞は本と外道婆羅門の家より出でたり。又諸の外道の長者なりしかば、諸王に帰依せられ諸檀那にたとまる。或は種姓高貴の人もあり、或は富福充満のやからもあり。而るに彼々の栄官等をうちすて慢心の幢を倒して、俗服を脱ぎ壊色の糞衣を身にまとひ、白払弓箭等をうちすてて一鉢を手ににぎり、貧人乞丐なんどのごとくして世尊につき奉り、風雨を防ぐ宅もなく、身命をつぐ衣食乏少なりしありさまなるに、五天・四海、皆外道の弟子檀那なれば、仏すら九横の大難にあひ給ふ。所謂 提婆が大石をとばせし、阿闍世王の酔象を放ちし、阿耆多王の馬麦、婆羅門城のこんづ、せんしや婆羅門女が鉢を腹にふせし、何に況や所化の弟子の数難申す計りなし。無量の釈子は波瑠璃王に殺され、千万の眷属は酔象にふまれ、華色比丘尼は提婆にがいせられ、迦盧提尊者は馬糞にうづまれ、目オ尊者は竹杖にがいせらる。
其の上、六師同心して阿闍世・婆斯匿王等に讒奏して云く「瞿曇は閻浮第一の大悪人なり。彼れがいたる処は三災七難を前とす。大海の衆流をあつめ、大山の衆木をあつめたるがごとし。瞿曇がところには衆悪をあつめたり。所謂 迦葉・舎利弗・目連・須菩提等なり。人身を受けたる者は忠孝を先とすべし。彼等は瞿曇にすかされて、父母の教訓をも用ゐず家をいで、王法の宣をもそむいて山林にいたる。一国に跡をとどむべき者にはあらず。されば天には日月衆星変をなす、地には衆夭さかんなり」なんどうつたう。堪ふべしともおぼえざりしに、又うちそうわざわいと仏陀にもうちそひがたくてありしなり。人天大会の衆会の砌にて時々呵責の音をききしかば、いかにあるべしともおぼへず。只あわつる心のみなり。
其の上、大の大難の第一なりしは、浄名経の「其れ汝に施す者は福田と名づけず、汝を供養する者は三悪道に堕す」等云云。文の心は、仏、庵羅苑と申すところにをはせしに、梵天・帝釈・日月・四天・三界諸天・地神・竜神等、無数恒沙の大会の中にして云く、須菩提等の比丘等を供養せん天人は三悪道に堕つべし。此等をうちきく天人、此等の声聞を供養すべしや。詮ずるところは仏の御言を用ゐて諸の二乗を殺害せさせ給ふかと見ゆ。心あらん人々は仏をもうとみぬべし。されば此等の人々は仏を供養したてまつりしついでにこそ、わづかの身命をも扶けさせ給ひしか。
されば事の心を案ずるに、四十余年の経々のみとかれて、法華八箇年の所説なくて、御入滅ならせ給ひたらましかば、誰の人か此等の尊者をば供養し奉るべき。現身に餓鬼道にこそをはすべけれ。
而るに四十余年の経々をば、東春の大日輪寒氷を消滅するがごとく、無量の草露を大風の零落するがごとく、一言一時に「未顕真実」と打ちけし、大風の黒雲をまき、大虚に満月の処するがごとく、青天に日輪の懸かり給ふがごとく、
「世尊法久後 要当説真実」と照らさせ給ひて、華光如来・光明如来等と舎利弗・迦葉等を、赫々たる日輪、明々たる月輪のごとく、鳳文にしるし亀鏡に浮かべられて候へばこそ、如来滅後の人天の諸檀那等には、仏陀のごとくは仰がれ給ひしか。
水すまば月影ををしむべからず。風ふかば草木なびかざるべしや。法華経の行者あるならば、此等の聖者は大火の中をすぎても、大石の中をとをりても、とぶらはせ給ふべし。迦葉の入定もことにこそよれ。いかにとなりぬるぞ。いぶかしとも申すばかりなし。後五百歳のあたらざるか、広宣流布の妄語となるべきか、日蓮が法華経の行者ならざるか。法華経を教内と下して別伝と称する大妄語の者をまぼり給ふべきか。捨閉閣抛と定めて、法華経の門をとぢよ、巻をなげすてよとゑりつけて、法華堂を失へる者を守護し給ふべきか。仏前の誓ひはありしかども、濁世の大難のはげしさをみて諸天下り給はざるか。日月天にまします、須弥山いまもくづれず、海潮も増減す、四季もかたのごとくたがはず。いかになりぬるやらんと、大疑いよいよつもり候。
又諸大菩薩・天人等のごときは、爾前の経々にして記別をうるやうなれども、水中の月を取らんとするがごとく、影を体とおもうがごとく、いろかたちのみあて実義もなし。又仏の御恩も深くて深からず。世尊初成道の時はいまだ説教もなかりしに、法恵菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩等なんど申せし六十余の大菩薩、十方の諸仏の国土より教主釈尊の御前に来たり給ひて、賢首菩薩・解脱月等の菩薩の請にをもむいて、十住・十行・十回向・十地等の法門を説き給ひき。此等の大菩薩の所説の法門は釈尊に習ひたてまつるにあらず。十方世界の諸の梵天等も来たりて法をとく。又釈尊にならひたてまつらず。総じて華厳会座の大菩薩・天竜等は、釈尊以前に不思議解脱に住せる大菩薩なり。釈尊の過去因位の御弟子にや有るらん。十方世界の先仏の御弟子にや有るらん。一代教主始成正覚の仏の弟子にはあらず。阿含・方等・般若の時、四教を仏の説き給ひし時こそ、やうやく御弟子は出来して候へ。
此れも又仏の自説なれども正説にはあらず。ゆへいかんとなれば、方等・般若の別円二教は華厳経の別円二教の義趣をいでず。彼の別円二教は教主釈尊の別円二教にはあらず。法恵等の大菩薩の別円二教なり。此等の大菩薩は人目には仏の御弟子かとは見ゆれども、仏の御師ともいゐぬべし。世尊、彼の菩薩の所説を聴聞して智発して後、重ねて方等・般若の別円をとけり。色もかわらぬ華厳経の別円二教なり。
されば此等の大菩薩は釈尊の師なり。華厳経に此等の菩薩をかずへて善知識ととかれしはこれなり。善知識と申すは一向師にもあらず、一向弟子にもあらずある事なり。蔵通二教は又別円の枝流なり。別円二教をしる人必ず蔵通二教をしるべし。人の師と申すは弟子のしらぬ事を教へたるが師にては候なり。例せば仏より前の一切の人天・外道は二天三仙の弟子なり。九十五種まで流派したりしかども三仙の見を出でず。教主釈尊もかれに習ひ伝へて外道の弟子にてましませしが、苦行楽行十二年の時、苦・空・無常・無我の理をさとり出だしてこそ、外道の弟子の名をば離れさせ給ひて、無師智とはなのらせ給ひしか。又人天も大師とは仰ぎまいらせしか。されば前四味の間は教主釈尊、法恵菩薩等の御弟子なり。例せば文殊は釈尊九代の御師と申すがごとし。つねは諸経に不説一字ととかせ給ふもこれなり。
仏御年七十二の年、摩竭提国霊鷲山と申す山にして無量義経をとかせ給ひしに、四十余年の経々をあげて枝葉をば其の中におさめて、「四十余年 未顕真実」と打ち消し給ふは此れなり。此の時こそ諸大菩薩・諸天人等は、あはてて実義を請せんとは申せしか。無量義経にて実義とをぼしき事一言ありしかども、いまだまことなし。譬へば月の出でんとして其の体東山にかくれて、光西山に及べども諸人月体を見ざるがごとし。法華経方便品の略開三顕一の時、仏略して一念三千心中の本懐を宣べ給ふ。始めの事なれば、ほととぎすの音をねをびれたる者の一音ききたるがやうに、月の山の半を出でたれども薄雲のをほへるがごとくかそかなりしを、舎利弗等驚きて諸天・竜神・大菩薩等をもよをして、「諸天竜神等、其の数恒沙の如し。仏を求むる諸の菩薩大数八万有り。又諸の万億国の転輪聖王の至れる、合掌して敬心を以て、具足の道を聞かんと欲す」等とは請ぜしなり。文の心は、四味三教・四十余年の間、いまだきかざる法門うけ給はらんと請ぜしなり。
此の文に「具足の道を聞かんと欲す」と申すは、大経に云く「薩とは具足の義に名づく」等云云。無依無得大乗四論玄義記に云く「沙とは訳して六と云ふ。胡法には六を以て具足の義と為すなり」等云云。吉蔵の疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」等云云。天台の玄義の八に云く「薩とは梵語、此に妙と翻ずるなり」等云云。付法蔵の第十三、真言・華厳・諸宗の元祖、本地は法雲自在王如来、迹に竜猛菩薩、初地の大聖の大智度論千巻の肝心に云く「薩とは六なり」等云云。妙法蓮華経と申すは漢語なり。月支には薩達磨分陀利迦蘇多攬と申す。
善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く「曩謨三曼陀〈普仏陀〉M〈三身如来〉阿々暗悪〈開示悟入〉薩縛勃陀枳攘〈知〉娑乞蒭毘耶〈見〉Y々曩三娑縛〈如虚空性〉羅乞叉〈離塵相なり〉薩哩達磨〈正法なり〉浮陀哩迦〈白蓮華〉蘇駄覧〈経〉惹〈入〉吽〈遍〉鑁〈住〉発〈歓喜〉縛曰羅〈堅固〉羅乞叉カ〈擁護〉吽〈空無相無願〉娑婆訶〈決定成就〉」。
此の真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり。此の真言の中に薩哩達磨と申すは正法なり。薩と申すは正なり。正は妙なり、妙は正なり。正法華・妙法華是れなり。又妙法蓮華経の上に南無の二字ををけり。南無妙法蓮華経これなり。妙とは具足。六とは六度万行。諸の菩薩の六度万行を具足するやうをきかんとをもう。具とは十界互具。足と申すは一界に十界あれば当位に余界あり。満足の義なり。此の経一部・八巻・二十八品・六万九千三百八十四字、一々に皆妙の一字を備へて三十二相八十種好の仏陀なり。十界に皆己界の仏界を顕はす。妙楽云く「尚仏果を具す、余果も亦然り」等云云。仏此れを答へて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云。衆生と申すは舎利弗、衆生と申すは一闡提、衆生と申すは九法界。衆生無辺誓願度此に満足す。「我本誓願を立つ。一切の衆をして我が如く等しくして異なること無からしめんと欲す。我が昔の願せし所の如き、今は已に満足しぬ」等云云。
諸大菩薩・諸天等、此の法門をきひて領解して云く「我等昔より来、数世尊の説を聞きたてまつるに、未だ曾て是の如き深妙の上法を聞かず」等云云。伝教大師云く「我等昔より来、数世尊の説を聞くとは、昔、法華経の前、華厳等の大法を説くを聞けるを謂ふなり。未だ曾て是の如き深妙の上法を聞かずと謂ふは、未だ法華経の唯一仏乗の教を聞かざるなり」等云云。華厳・方等・般若・深密・大日等の恒河沙の諸大乗経は、いまだ一代の肝心たる一念三千の大綱、骨髄たる二乗作仏・久遠実成等をいまだきかずと領解せり。
又今よりこそ諸大菩薩も梵・帝・日月・四天等も教主釈尊の御弟子にては候へ。されば宝塔品には、此等の大菩薩を仏我が御弟子等とをぼすゆへに諫暁して云く「諸の大衆に告ぐ、我が滅度の後に誰か能く此の経を護持し読誦せん。今仏前に於て自ら誓言を説け」とは、したたかに仰せ下せしか。又諸大菩薩も「譬へば大風の小樹の枝を吹くが如し」等と、吉祥草の大風に随ひ、河水の大海へ引くがごとく、仏には随ひまいらせしか。
而れども霊山日浅くして夢のごとく、うつつならずありしに、証前の宝塔の上に起後の宝塔あつて、十方の諸仏来集せる、皆我が分身なりとなのらせ給ひ、宝塔は虚空に、釈迦・多宝坐を並べ、日月の青天に並出せるがごとし。人天大会は星をつらね、分身の諸仏は大地の上宝樹の下の師子のゆかにまします。華厳経の蓮華蔵世界は、十方此土の報仏、各々に国々にして、彼の界の仏、此の土に来たりて分身となのらず。此の界の仏、彼の界へゆかず。但法恵等の大菩薩のみ互ひに来会せり。大日経・金剛頂経等の八葉九尊・三十七尊等、大日如来の化身とはみゆれども、其の化身、三身円満の古仏にあらず。大品経の千仏、阿弥陀経の六方の諸仏、いまだ来集の仏にあらず。大集経の来集の仏、又分身ならず。金光明経の四方の四仏は化身なり。
総じて一切経の中に、各修各行の三身円満の諸仏を集めて我が分身とはとかれず。これ寿量品の遠序なり。始成四十余年の釈尊、一劫十劫等已前の諸仏を集めて分身ととかる。さすが平等意趣にもにず、をびただしくをどろかし。又始成の仏ならば所化十方に充満すべからざれば、分身の徳は備はりたりとも示現してゑきなし。天台云く「分身既に多し、当に知るべし成仏の久しきことを」等云云。大会のをどろきし意をかかれたり。
其の上に地涌千界の大菩薩、大地より出来せり。釈尊に第一の御弟子とをぼしき普賢・文殊等にもにるべくもなし。華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集せる大菩薩、大日経等の金剛薩P等の十六の大菩薩なんども、此の菩薩に対当すればセ猴の群中に帝釈の来たり給ふがごとし。山人に月卿等のまじわれるにことならず。補処の弥勒すら猶迷惑せり。何に況や其の已下をや。
此の千世界の大菩薩の中に四人の大聖まします。所謂 上行・無辺行・浄行・安立行なり。此の四人は虚空霊山の諸大菩薩等、眼もあはせ心もをよばず。華厳経の四菩薩・大日経の四菩薩・金剛頂経の十六大菩薩等も、此の菩薩に対すれば翳眼のものの日輪を見るがごとく、海人が皇帝に向かひ奉るがごとし。大公等の四聖の衆中にありしににたり。商山の四皓が恵帝に仕へしにことならず。巍々堂々として尊高なり。釈迦・多宝・十方の分身を除きては、一切衆生の善知識ともたのみ奉りぬべし。
弥勒菩薩心に念言すらく、我は仏の太子の御時より三十成道、今の霊山まで四十二年が間、此の界の菩薩・十方世界より来集せし諸大菩薩、皆しりたり。又十方の浄穢土に或は御使ひ、或は我と遊戯して、其の国々に大菩薩を見聞せり。此の大菩薩の御師なんどはいかなる仏にてやあるらん。よも此の釈迦・多宝・十方の分身の仏陀には、にるべくもなき仏にてこそをはすらめ。雨の猛きを見て竜の大なる事をしり、華の大なるを見て池のふかきことはしんぬべし。此等の大菩薩の来たる国、又誰と申す仏にあいたてまつり、いかなる大法をか習修し給ふらんと疑ひし。あまりの不審さに音をもいだすべくもなけれども、仏力にやありけん、弥勒菩薩疑って云く「無量千万億の大衆の諸の菩薩は昔より未だ曾て見ざる所なり。是の諸の大威徳の精進の菩薩衆は、誰か其の為に法を説いて教化して成就せる。誰に従ひて初めて発心し、何れの仏法を称揚せる。○世尊、我昔より来、未だ曾て是の事を見ず。願はくは其の所従の国土の名号を説きたまへ。我常に諸国に遊べども、未だ曾て是の事を見ず。我此の衆の中に於て、乃し一人をも識らず。忽然に地より出でたり。願はくは其の因縁を説きたまへ」等云云。天台云く「寂場より已降、今座より已往、十方の大士来会絶えず、限るべからずと雖も我補処の智力を以て悉く見悉く知る。而れども此の衆に於て一人をも識らず。然るに我十方に遊戯して諸仏に覲奉し大衆に快く識知せらる」等云云。妙楽云く「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」等云云。経釈の心分明なり。詮ずるところは、初成道よりこのかた、此の土十方にて此等の菩薩を見たてまつらずきかず、と申すなり。
仏此の疑ひに答へて云く「阿逸多○汝等昔より未だ見ざる所の者は、我是の娑婆世界に於て阿耨多羅三藐三菩提を得已りて、是の諸の菩薩を教化し示導し其の心を調伏して、道の意を発さしめたり」等。又云く「我伽耶城菩提樹下に於て坐して最正覚を成ずることを得て無上の法輪を転じ、爾して乃ち之れを教化して初めて道心を発さしむ。今皆不退に住せり。乃至我久遠より来是等の衆を教化せり」等云云。
此に弥勒等の大菩薩、大いに疑ひをもう。華厳経の時、法恵等の無量の大菩薩あつまる。いかなる人々なるらんとをもへば、我が善知識なりとをほせられしかば、さもやとうちをもひき。其の後の大宝坊白鷺池等の来会の大菩薩もしかのごとし。此の大菩薩は彼等にはにるべくもなきふりたりげにまします。定めて釈尊の御師匠かなんどおぼしきを「令初発道心」とて幼稚のものどもなりしを教化して弟子となせり、なんどをほせあれば大なる疑ひなるべし。日本の聖徳太子は人王第三十二代用明天皇の御子なり。御年六歳の時百済・高麗・唐土より老人どものわたりたりしを、六歳の太子我が弟子なりとをほせありしかば、彼の老人ども又合掌して我が師なり等云云。不思議なりし事なり。外典に申す、或者道をゆけば、路のほとりに年三十計りなるわかものが八十計りなる老人をとらへて打ちけり。いかなる事ぞととえば、此の老翁は我が子なりなんど申すとかたるにもにたり。
されば弥勒菩薩等疑って云く「世尊、如来太子為りし時、釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまへり。是れより已来始めて四十余年を過ぎたり。世尊、云何ぞ此の少時に於て大いに仏事を作したまへる」等云云。一切の菩薩、始め華厳経より四十余年、会々に疑ひをまうけて一切衆生の疑網をはらす。中に此の疑ひ第一の疑ひなるべし。無量義経の大荘厳等の八万の大士、四十余年と今との歴劫疾成の疑ひにも超過せり。観無量寿経に韋提希夫人の子阿闍世王、提婆にすかされて父の王をいましめ母を殺さんとせしが、耆婆・月光にをどされて母をはなちたりし時、仏を請じたてまつて、まづ第一の問ひに云く、
「我宿何の罪ありて此の悪子を生む。世尊、復何等の因縁有りて提婆達多と共に眷属となりたまふ」等云云。此の疑ひの中に「世尊復何等の因縁有りて」等の疑ひは大なる大事なり。輪王は敵と共に生まれず。帝釈は鬼とともならず。仏は無量劫の慈悲者なり。いかに大怨と共にはまします。還りて仏にはましまさざるかと疑ふなるべし。而れども仏答へ給わず。されば観経を読誦せん人、法華経の提婆品へ入らずばいたづらごとなるべし。大涅槃経に迦葉菩薩の三十六の問ひもこれには及ばず。されば仏、此の疑ひを晴れさせ給はずば、一代の聖教は泡沫にどうじ、一切衆生は疑網にかかるべし。寿量の一品の大切なるこれなり。
其の後、仏、寿量品を説いて云く「一切世間の天人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまへりと謂へり」等云云。此の経文は、始め寂滅道場より終り法華経の安楽行品にいたるまでの、一切の大菩薩等の所知をあげたるなり。「然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」等云云。此の文は、華厳経の三処の「始成正覚」、阿含経に云く「初成」、浄名経の「始坐仏樹」、大集経に云く「始十六年」、大日経の「我昔坐道場」等、仁王経の「二十九年」、無量義経の「我先道場」、法華経の方便品に云く「我始坐道場」等を、一言に大虚妄なりとやぶるもんなり。
此の過去常顕はるる時、諸仏、皆釈尊の分身なり。爾前迹門の時は、諸仏釈尊に肩を並べて各修各行の仏なり。かるがゆへに、諸仏を本尊とする者釈尊等を下す。今、華厳の台上・方等・般若・大日経等の諸仏は、皆釈尊の眷属なり。仏三十成道の御時は大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪ひ取り給ひき。今爾前迹門にして十方を浄土とがうして、此の土を穢土ととかれしを打ちかへして、此の土は本土となり、十方の浄土は垂迹の穢土となる。仏は久遠の仏なれば、迹化他方の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり。一切経の中に此の寿量品ましまさずば天に日月無く、国に大王無く、山河に珠無く、人に神のなからんがごとくしてあるべきを、華厳・真言等の権宗の智者とをぼしき澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の一往権宗の人々、且つは自らの依経を讃歎せんために、或は云く「華厳経の教主は報身、法華経は応身」、或は云く「法華寿量品の仏は無明の辺域、大日経の仏は明の分位」等云云。雲は月をかくし、讒臣は賢人をかくす。人讒せば、黄石も玉とみえ、諛臣も賢人かとをぼゆ。今濁世の学者等、彼等の讒義に隠されて寿量品の玉を翫ばず。又天台宗の人々もたぼらかされて、金石一同のをもひをなせる人々もあり。
仏久成にましまさずば、所化の少なかるべき事を弁ふべきなり。月は影を慳まざれども、水なくばうつるべからず。仏衆生を化せんとをぼせども、結縁うすければ八相を現ぜず。例せば諸の声聞が初地初住にはのぼれども、爾前にして自調自度なりしかば、未来の八相をごするなるべし。しかれば教主釈尊始成ならば、今此の世界の梵帝・日月・四天等は劫初より此の土を領すれども、四十余年の仏弟子なり。霊山八年の法華結縁の衆、今まいりの主君にをもひつかず、久住の者にへだてらるるがごとし。今久遠実成あらはれぬれば、東方の薬師如来の日光・月光、西方阿弥陀如来の観音・勢至、乃至十方世界の諸仏の御弟子、大日・金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩、猶教主釈尊の御弟子なり。諸仏釈迦如来の分身たる上は、諸仏の所化申すにをよばず。何に況や此の土の劫初よりこのかたの日月・衆星等、教主釈尊の御弟子にあらずや。
而るを天台宗より外の諸宗は、本尊にまどえり。倶舎・成実・律宗は三十四心断結成道の釈尊を本尊とせり。天尊の太子、迷惑して我が身は民の子とをもうがごとし。華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり。法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす。大王の太子、我が父は侍とをもうがごとし。華厳宗・真言宗は釈尊を下げて盧舎那・大日等を本尊と定む。天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるにつけり。浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とをもて、教主をすてたり。禅宗は下賤の者一分の徳あて父母をさぐるがごとし。仏をさげ経を下す。此れ皆本尊に迷へり。例せば三皇已前に父をしらず、人皆禽獣に同ぜしがごとし。
寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ。不知恩の者なり。故に妙楽云く「一代教の中に未だ曾て父母の寿の遠を顕はさず。○若し父の寿の遠きを知らざれば復父統の邦に迷ふ。徒らに才能と謂ふとも全く人の子に非ず」等云云。妙楽大師は唐の末天宝年中の者なり。三論・華厳・法相・真言等の諸宗、並びに依経を深くみ、広く勘へて、寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に迷へる才能ある畜生とかけるなり。徒謂才能とは華厳宗の法蔵・澄観、乃至真言宗の善無畏三蔵等は才能の人師なれども、子の父をしらざるがごとし。
伝教大師は日本顕密の元祖、秀句に云く「他宗所依の経は一分仏母の義有りと雖も、然も但愛のみ有りて厳の義を欠く。天台法華宗は厳愛の義を具す。一切の賢聖学無学及び菩薩心を発せる者の父なり」等云云。真言・華厳等の経々には種熟脱の三義名字すら猶なし。何に況や其の義をや。華厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は、経は権経にして過去をかくせり。種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり、道鏡が王位に居せんとせしがごとし。
宗々互ひに種を諍ふ。予此れをあらそわず。但経に任すべし。法華経の種に依りて、天親菩薩は種子無上を立てたり。天台の一念三千これなり。
華厳経乃至諸大乗経・大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり。天台智者大師一人此の法門を得給えり。華厳宗の澄観、此の義を盗みて華厳経の「心如工画師」の文の神とす。真言大日経等には二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門これなし。善無畏三蔵、震旦に来たりて後、天台の止観を見て智発し、大日経の心実相我一切本初の文の神に天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として、其の上に印と真言とをかざり、法華経と大日経との勝劣を判ずる時、理同事勝の釈をつくれり。両界の漫荼羅の二乗作仏・十界互具は一定大日経にありや。第一の誑惑なり。故に伝教大師云く「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯し、旧到の華厳家は則ち影響の軌模を隠す」等云云。俘囚の島なんどにわたて、ほのぼのといううたは、われよみたりなんど申すは、えぞていの者はさこそとをもうべし。漢土日本の学者又かくのごとし。
良Z和尚云く「真言・禅門・華厳・三論、乃至、若し法華等に望めば是れ摂引門」等云云。善無畏三蔵の閻魔の責めにあづからせ給ひしは此の邪見による。後に心をひるがへし法華経に帰伏してこそこのせめをば脱れさせ給ひしか。其の後善無畏・不空等、法華経を両界の中央にをきて大王のごとくし、胎蔵の大日経金剛頂経をば左右の臣下のごとくせしこれなり。日本の弘法も、教相の時は華厳宗に心をよせて法華経をば第八にをきしかども、事相の時、実恵・真雅・円澄・光定等の人々に伝へ給ひし時、両界の中央に上のごとくをかれたり。例せば三論の嘉祥は法華玄十巻に法華経を第四時会二破二と定むれども、天台に帰伏して七年つかへ廃講散衆・身為肉橋となせり。法相の慈恩は法苑林七巻十二巻に「一乗方便・三乗真実」等の妄言多し。しかれども玄賛の第四には「故亦両存」等と我が宗を不定になせり。言は両方なれども心は天台に帰伏せり。華厳の澄観は華厳の疏を造りて、華厳・法華相対して法華を方便とかけるに似れども「彼の宗之れを以て実と為す、此の宗の立義理通ぜざること無し」等とかけるは悔い還すにあらずや。弘法も又かくのごとし。亀鏡なければ我が面をみず。敵なければ我が非をしらず。真言等の諸宗の学者等、我が非をしらざりし程に、伝教大師にあひたてまつて自宗の失をしるなるべし。
されば諸経の諸仏・菩薩・人天等は、彼々の経々にして仏にならせ給ふやうなれども、実には法華経にして正覚なり給へり。釈迦・諸仏の衆生無辺の総願は、皆此の経にをいて満足す。「今者已満足」の文これなり。
予事の由ををし計るに、華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をば、その経々の仏・菩薩・天等守護し給ふらん。疑ひあるべからず。但し大日経・観経等をよむ行者等、法華経の行者に敵対をなさば、彼の行者をすてて法華経の行者を守護すべし。例せば孝子、慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる、孝の至りなり。仏法も又かくのごとし。法華経の諸仏・菩薩・十羅刹、日蓮を守護し給ふ上、浄土宗の六方の諸仏・二十五の菩薩、真言宗の千二百等、七宗の諸尊・守護の善神、日蓮を守護し給ふべし。例せば七宗の守護神、伝教大師をまぼり給ひしがごとしとをもう。
日蓮案じて云く、法華経の二処三会の座にましましし日月等の諸天は、法華経の行者出来せば、磁石の鉄を吸ふがごとく、月の水に遷るがごとく、須臾に来たりて行者に代はり、仏前の御誓ひをはたさせ給ふべしとこそをぼへ候に、いままで日蓮をとぶらひ給わぬは、日蓮法華経の行者にあらざるか。されば重ねて経文を勘へて、我が身にあてて身の失をしるべし。
疑って云く、当世の念仏宗・禅宗等をば何なる智眼をもつて法華経の敵人、一切衆生の悪知識とはしるべきや。答へて云く、私の言を出だすべからず。経釈の明鏡を出だして謗法の醜面をうかべ、其の失をみせしめん。生盲は力をよばず。法華経の第四宝塔品に云く「爾の時に多宝仏、宝塔の中に於て半座を分かちて、釈迦牟尼仏に与へて○爾の時に大衆、二如来の七宝の塔の中の師子の座の上に在して、結跏趺坐したまふを見たてまつる。○大音声を以て普く四衆に告げたまはく、誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして当に涅槃に入るべし。仏此の妙法華経を以て付属して、在ること有らしめんと欲す」等云云。第一の勅宣なり。
又云く「爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して偈を説いて言く、聖主世尊、久しく滅度したまふと雖も宝塔の中に在して尚法の為に来たりたまへり。諸人云何ぞ勤めて法の為にせざらん。○又我が分身の無量の諸仏恒沙等の如く来たれる法を聴かんと欲す。○各妙なる土及び弟子衆・天人・竜神、諸の供養の事を捨てて、法をして久しく住せしめんが故に、此に来至したまへり○譬へば大風の小樹の枝を吹くが如し、是の方便を以て法をして久しく住せしむ。諸の大衆に告ぐ、我が滅度の後誰か能く此の経を護持し読誦せん。今仏前に於て自ら誓言を説け」。第二の鳳詔なり。
「多宝如来及び我が身集むる所の化仏、当に此の意を知るべし。○諸の善男子、各諦らかに思惟せよ。此れは為れ難事なり。宜しく大願を発すべし。諸余の経典数恒沙の如し。此等を説くと雖も、未だ為れ難しとするに足らず。若し須弥を接りて他方無数の仏土に擲げ置かんも、亦未だ為れ難しとせず。○若し仏の滅後、悪世の中に於て能く此の経を説かん。是れ則ち為れ難し。○仮使劫焼に乾れたる草を担ひ負ひて中に入りて焼けざらんも、亦未だ為れ難しとせず。我が滅度の後に若し此の経を持ちて一人の為にも説かん。是れ則ち為れ難し。○諸の善男子、我が滅後に於て誰か能く此の経を護持し読誦せん。今仏前に於て自ら誓言を説け」等云云。第三の諫勅なり。第四、第五の二箇の諫暁、提婆品にあり、下にかくべし。
此の経文の心は眼前なり。青天に大日輪の懸かるがごとし。白面に黶のあるににたり。而れども生盲の者と、邪眼の者と、一眼のものと、各謂自師の者、辺執家の者はみがたし。万難をすてて道心あらん者にしるしとどめてみせん。西王母がそののもも、輪王出世の優曇華よりもあいがたく、沛公が項羽と八年漢土をあらそいし、頼朝と宗盛が七年秋津島にたたかひし、修羅と帝釈と金翅鳥と竜王と阿耨池に諍へるも、此れにはすぐべからずとしるべし。日本国に此の法顕はるること二度なり。伝教大師と日蓮となりとしれ。無眼のものは疑ふべし。力及ぶべからず。此の経文は、日本・漢土・月氏・竜宮・天上・十方世界の一切経の勝劣を、釈迦・多宝・十方の仏来集して定め給ふなるべし。
問うて云く、華厳経・方等経・般若経・深密経・楞伽経・大日経・涅槃経等は、九易の内か六難の内か。答へて云く、華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等の三蔵大師読みて云く「華厳経と法華経と六難の内、名は二経なれども所説乃至理これ同じ。四門観別、見真諦同のごとし」。法相の玄奘三蔵・慈恩大師等読みて云く「深密経と法華経とは同じく唯識の法門にして第三時の教、六難の内なり」。三論の吉蔵等読みて云く「般若経と法華経とは名異体同、二経一法なり」。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等読みて云く「大日経と法華経とは理同、をなじく六難の内の経なり」。日本の弘法読みて云く「大日経は六難九易の内にあらず。大日経は釈迦所説の一切経の外、法身大日如来の所説なり」。又或人云く「華厳経は報身如来の所説、六難九易の内にはあらず」。此の四宗の元祖等かやうに読みければ、其の流れをくむ数千の学徒等も、又此の見をいでず。
日蓮なげいて云く、上の諸人の義を左右なく非なりといわば、当世の諸人面を向くべからず。非に非をかさね、結句は国王に讒奏して命に及ぶべし。但し我等が慈父、双林最後の御遺言に云く「法に依りて人に依らざれ」等云云。不依人等とは、初依・二依・三依・第四依。普賢・文殊等の等覚の菩薩、法門を説き給ふとも、経を手ににぎらざらんをば用ゐるべからず。「了義経に依りて不了義経に依らざれ」と定めて、経の中にも了義・不了義経を糾明して信受すべきこそ候ひぬれ。竜樹菩薩の十住毘婆沙論に云く「修多羅に依らざるは黒論なり、修多羅に依るは白論なり」等云云。天台大師云く「修多羅と合せば録して之れを用ゐよ。文無く義無きは信受すべからず」等云云。伝教大師云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」等云云。円珍智証大師云く「文に依りて伝ふべし」等云云。
上にあぐるところの諸師の釈、皆一分一分、経論に依りて勝劣を弁ふやうなれども、皆自宗を堅く信受し先師の謬義をたださざるゆへに、曲会私情の勝劣なり。荘厳己義の法門なり。
仏滅後の犢子・方広、後漢已後の外典は、仏法外の外道の見よりも、三皇五帝の儒書よりも、邪見強盛なり、邪法巧みなり。華厳・法相・真言等の人師、天台宗の正義を嫉むゆへに、実経の文を会して権義に順ぜしむること強盛なり。しかれども道心あらん人、偏党をすて、自他宗をあらそはず、人をあなづる事なかれ。
法華経に云く「已今当」等云云。妙楽云く「縦ひ経有りて諸経の王と云ふとも、已今当説最為第一と云はず」等云云。又云く「已今当の妙、茲に於て固く迷へり。○謗法の罪苦長劫に流る」等云云。此の経釈にをどろいて、一切経並びに人師の疏釈を見るに、狐疑の氷とけぬ。今真言の愚者等、印真言のあるをたのみて、真言宗は法華経にすぐれたりとをもひ、慈覚大師等の真言勝れたりとをほせられぬれば、なんどをもえるはいうにかいなき事なり。
密厳経に云く「十地華厳等、大樹と神通・勝鬘及び余経と皆此の経より出づ。是の如く密厳経は一切経の中に勝れたり」等云云。
大雲経に云く「是の経は即ち是れ諸経の転輪聖王なり。何を以ての故に。是の経典の中に衆生の実性仏性常住の法蔵を宣説する故なり」等云云。
六波羅蜜経に云く「所謂 過去無量の諸仏所説の正法、及び我今説く所の所謂 八万四千の諸の妙法蘊なり○摂して五分と為す。一には索咀纜、二には毘奈耶、三には阿毘達磨、四には般若波羅蜜、五には陀羅尼門となり。此の五種の蔵をもつて有情を教化す。若し彼の有情、契経・調伏・対法・般若を受持すること能はず。或は復有情、諸の悪業、四重・八重・五無間罪・方等経を謗ずる一闡提等の種々の重罪を造るに、銷滅して速疾に解脱し頓に涅槃を悟ることを得しめ、而も彼れが為に諸の陀羅尼蔵を説く。此の五の法蔵、譬へば乳・酪・生蘇・熟蘇、及び妙なる醍醐の如し○総持門とは譬へば醍醐の如し。醍醐の味は乳・酪・蘇の中に微妙第一にして能く諸の病を除き、諸の有情をして身心安楽ならしむ。総持門とは契経等の中に最も第一と為す。能く重罪を除く」等云云。
解深密経に云く「爾の時に勝義生菩薩、復仏に白して言さく、世尊初め一時に於て、波羅フ斯仙人堕処施鹿林の中に在りて、唯声聞乗を発趣する者の為に、四諦の相を以て正法輪を転じたまひき。是れ甚だ奇にして甚だ希有と為すと。一切世間の諸の天人等、先より能く法の如く転ずる者有ること無しと雖も、而も彼の時に於て転じたまふ所の法輪は、有上なり、有容なり、是れ未了義なり、是れ諸の諍論安足の処所なり。世尊、在昔第二時の中に、唯発趣して大乗を修する者の為に、一切の法は皆無自性なり、無生無滅なり、本来寂静なり、自性涅槃なるに依り、隠密の相を以て正法輪を転じたまひき。更に甚だ奇にして甚だ為れ希有なりと雖も、彼の時に於て転じたまふ所の法輪、亦是れ有上なり、容受する所有り、猶未だ了義ならず、是れ諸の諍論安足の処所なり。世尊、今第三時の中に於て、普く一切乗を発趣する者の為に、一切の法は皆無自性・無生無滅・本来寂静・自性涅槃にして無自性の性なるに依り、顕了の相を以て正法輪を転じたまふ。第一甚だ奇にして最も為れ希有なり。今に世尊、転じたまふ所の法輪は無上無容にして是れ真の了義なり。諸の諍論安足の処所に非ず」等云云。
大般若経に云く「聴聞する所の世出世の法に随ひて、皆能く方便して般若甚深の理趣に会入し、諸の造作する所の世間の事業も亦般若を以て法性に会入し、一事として法性を出づる者を見ず」等云云。
大日経第一に云く「秘密主、大乗行あり。無縁乗の心を発す。法に我性無し。何を以ての故に。彼の往昔是の如く修行せし者の如く、蘊の阿頼耶を観察して自性幻の如しと知る」等云云。又云く「秘密主、彼れ是の如く無我を捨て、心主自在にして自心の本不生を覚す」等云云。又云く「所謂 空性は根境を離れ、無相にして境界無く、諸の戯論に越えて虚空に等同なり。乃至、極無自性」等云云。又云く「大日尊、秘密主に告げて言く、秘密主、云何なるか菩提。謂く実の如く自心を知る」等云云。
華厳経に云く「一切世界の諸の群生、声聞道を求めんと欲すること有ること尠し。縁覚を求むる者転復少なし。大乗を求むる者甚だ希有なり。大乗を求むる者猶為れ易く、能く是の法を信ずる為れ甚だ難し。況や能く受持し正憶念し、説の如く修行し、真実に解せんをや。若し三千大千界を以て頂戴すること、一劫身動ぜざらんも彼の所作未だ為れ難からず。是の法を信ずるは為れ甚だ難し。大千塵数の衆生の類に、一劫、諸の楽具を供養するも、彼の功徳未だ為れ勝れず。是の法を信ずるは為れ殊勝なり。若し掌を以て十仏刹を持し、虚空の中に於て住すること一劫なるも、彼の所作未だ為れ難からず。是の法を信ずるは為れ甚だ難し。十仏刹塵の衆生の類に、一劫、諸の楽具を供養せんも、彼の功徳未だ勝れりと為さず。是の法を信ずるは為れ殊勝なり。十仏刹塵数の諸の如来を、一劫、恭敬して供養せん。若し能く此の品を受持せん者の功徳、彼れよりも最勝と為す」等云云。
涅槃経に云く「是の諸の大乗方等経典は復無量の功徳を成就すと雖も、是の経に比せんと欲するに、喩を為すを得ざること、百倍・千倍・百千万億乃至算数譬喩も及ぶこと能はざる所なり。善男子、譬へば牛より乳を出だし、乳より酪を出だし、酪より生蘇を出だし、生蘇より熟蘇を出だし、熟蘇より醍醐を出だす。醍醐は最上なり。若し服すること有る者は衆病皆除き、所有の諸薬も悉く其の中に入るが如し。善男子、仏も亦是の如し。仏より十二部経を出だし、十二部経より修多羅を出だし、修多羅より方等経を出だし、方等経より般若波羅蜜を出だし、般若波羅蜜より大涅槃を出だす。猶醍醐の如し。醍醐と言ふは仏性に喩ふ」等云云。
此等の経文を法華経の已今当・六難九易に相対すれば、月に星をならべ、九山に須弥を合はせたるににたり。しかれども華厳宗の澄観、法相・三論・真言等の慈恩・嘉祥・弘法等の仏眼のごとくなる人、猶此の文にまどへり。何に況や盲眼のごとくなる当世の学者等、勝劣を弁ふべしや。黒白のごとくあきらかに、須弥・芥子のごとくなる勝劣、なをまどへり。いはんや虚空のごとくなる理に迷はざるべしや。教の浅深をしらざれば、理の浅深弁ふものなし。巻をへだて文前後すれば、教門の色弁へがたければ、文を出だして愚者を扶けんとをもう。王に小王・大王、一切に少分・全分、五乳に全喩・分喩を弁ふべし。六波羅蜜経は有情の成仏ありて、無性の成仏なし。何に況や久遠実成をあかさず。猶涅槃経の五味にをよばず、何に況や法華経の迹門本門にたいすべしや。而るに日本の弘法大師、此の経文にまどひ給ひて、法華経を第四の熟蘇味に入れ給えり。第五の総持門の醍醐味すら涅槃経に及ばず、いかにし給ひけるやらん。而るを「震旦の人師争ひて醍醐を盗む」、天台等を盗人とかき給へり。「惜しい哉、古賢醍醐を嘗めず」等と自歎せられたり。
此等はさてをく。我が一門の者のためにしるす。他人は信ぜざれば逆縁なるべし。一Hをなめて大海のしををしり、一華を見て春を推せよ。万里をわたて宋に入らずとも、三箇年を経て霊山にいたらずとも、竜樹のごとく竜宮に入らずとも、無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも、二所三会に値はずとも、一代の勝劣はこれをしれるなるべし。蛇は七日が内の洪水をしる、竜の眷属なるゆへ。烏は年中の吉凶をしれり、過去に陰陽師なりしゆへ。鳥はとぶ徳、人にすぐれたり。
日蓮は諸経の勝劣をしること、華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法にすぐれたり。天台・伝教の跡をしのぶゆへなり。彼の人々は天台・伝教に帰せさせ給はずば、謗法の失脱れさせ給ふべしや。当世日本国に第一に富める者は日蓮なるべし。命は法華経にたてまつる、名をば後代に留むべし。大海の主となれば諸の河神皆したがう。須弥山の王に諸の山神したがわざるべしや。法華経の六難九易を弁ふれば、一切経よまざるにしたがうべし。
宝塔品の三箇の勅宣の上に、提婆品に二箇の諫暁あり。提婆達多は一闡提なり、天王如来と記せらる。涅槃経四十巻の現証は此の品にあり。善星・阿闍世等の無量の五逆謗法の者、一をあげ頭をあげ、万ををさめ枝をしたがふ。一切の五逆・七逆・謗法・闡提、天王如来にあらはれ了んぬ。毒薬変じて甘露となる。衆味にすぐれたり。竜女が成仏、此れ一人にはあらず、一切の女人の成仏をあらはす。法華経已前の諸の小乗経には、女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり。挙一例諸と申して、竜女が成仏は、末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし。
儒家の孝養は今生にかぎる。未来の父母を扶けざれば、外家の聖賢は有名無実なり。外道は過未をしれども父母を扶くる道なし。仏道こそ父母の後世を扶くれば、聖賢の名はあるべけれ。しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は、自身の得道猶かなひがたし。何に況や父母をや。但文のみあて義なし。今法華経の時こそ、女人成仏の時悲母の成仏も顕はれ、達多の悪人成仏の時慈父の成仏も顕はるれ。此の経は内典の孝経なり。二箇のいさめ了んぬ。
已上五箇の鳳詔にをどろきて勧持品の弘経あり。明鏡の経文を出だして、当世の禅・律・念仏者、並びに諸檀那の謗法をしらしめん。日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此れは魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人いかにをぢずらむ。此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の、未来日本国当世をうつし給ふ明鏡なり。かたみともみるべし。
勧持品に云く「唯願はくは慮したまふべからず。仏滅度の後恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし。諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加ふる者有らん。我等皆当に忍ぶべし。悪世の中の比丘は邪智にして、心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ、我慢の心充満せん。或は阿練若に納衣にして空閑に在りて、自ら真の道を行ずと謂ひて、人間を軽賤する者有らん。利養に貪著するが故に、白衣の与に法を説いて、世に恭敬せらることを為ること、六通の羅漢の如くならん。是の人悪心を懐き、常に世俗の事を念ひ、名を阿練若に仮りて、好みて我等が過を出ださん。○常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向かひて誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人外道の論議を説くと謂はん。○濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん。悪鬼其身に入りて我を罵詈毀辱せん。○濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず、悪口して顰蹙し、数数擯出せられん」等云云。
記の八に云く「文に三。○初めに一行は通じて邪人を明かす。即ち俗衆なり。次に一行は道門増上慢の者を明かす。三に七行は僣聖増上慢の者を明かす。此の三の中に初めは忍ぶべし。次は前に過ぎたり。第三最も甚だし、後々の者は転識り難きを以ての故に」等云云。東春に智度法師云く「初めに有諸より下の五行は○第一に一偈は三業の悪を忍ぶ。是れ外悪の人なり。次に悪世の下の一偈は是れ上慢出家の人なり。第三に或有阿練若より下の三偈は即ち是れ出家の処に一切の悪人を摂す」等云云。又云く「常在大衆より下の両行は公処に向かひて法を毀り人を謗ず」等云云。
涅槃経の九に云く「善男子、一闡提有りて、羅漢の像を作し、空処に住して方等大乗経典を誹謗せん。諸の凡夫人見已りて皆真の阿羅漢是れ大菩薩なりと謂はん」等云云。又云く「爾の時に是の経、閻浮提に於て当に広く流布すべし。是の時に当に諸の悪比丘有りて、是の経を抄略し分かちて多分と作し、能く正法の色香美味を滅すべし。是の諸の悪人、復是の如き経典を読誦すと雖も、如来の深密の要義を滅除して、世間の荘厳の文飾無義の語を安置す。前を抄して後に著け、後を抄して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著く。当に知るべし、是の如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云。六巻の般泥経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有りて悪業を行ず。一闡提に似たる阿羅漢あて慈心を作さん。羅漢に似たる一闡提有りとは、是の諸の衆生方等を誹謗するなり。一闡提に似たる阿羅漢とは、声聞を毀呰し広く方等を説くなり。衆生に語りて言く、我汝等と倶に是れ菩薩なり。所以は何ん。一切皆如来の性有る故に。然も彼の衆生一闡提なりと謂はん」等云云。又云く「我涅槃の後、乃至、正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし。持律に似像して少かに経を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養せん。○袈裟を服すと雖も、猶猟師の細視徐行するが如く、猫の鼠を伺ふが如し。常に是の言を唱へん、我羅漢を得たりと。○外には賢善を現し、内には貪嫉を懐く。唖法を受けたる婆羅門等の如し。実に沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云。
夫れ鷲峰・双林の日月、毘湛・東春の明鏡に、当世の諸宗並びに国中の禅・律・念仏者が醜面を浮かべたるに、一分もくもりなし。妙法華経に云く「於仏滅度後 恐怖悪世中」。安楽行品に云く「於後悪世」。又云く「於末世中」。又云く「於後末世 法欲滅時」。分別功徳品に云く「悪世末法時」。薬王品に云く「後五百歳」等云云。正法華経の勧説品に云く「然後末世」。又云く「然後来末世」等云云。添品法華経に云く等。天台の云く「像法の中の南三北七は、法華経の怨敵なり」。伝教の云く「像法の末、南都六宗の学者は法華の怨敵なり」等云云。彼等の時はいまだ分明ならず。
此れは教主釈尊・多宝仏、宝塔の中に日月の並ぶがごとく、十方分身の諸仏樹下に星を列ねたりし中にして、正法一千年・像法一千年、二千年すぎて末法の始めに、法華経の怨敵三類あるべしと、八十万億那由他の諸菩薩の定め給ひし、虚妄となるべしや。当世は如来滅後二千二百余年なり。大地は指さばはづるとも、春は花はさかずとも、三類の敵人必ず日本国にあるべし。さるにては、たれたれの人々か三類の内なるらん。又誰人か法華経の行者なりとさされたるらん。をぼつかなし。彼の三類の怨敵に我等入りてやあるらん。又法華経の行者の内にてやあるらん。をぼつかなし。
周の第四昭王の御宇、二十四年〈甲寅〉四月八日の夜中に、天に五色の光気南北に亘りて昼のごとし。大地六種に震動し、雨ふらずして江河井池の水まさり、一切の草木に花さき菓なりたりけり。不思議なりし事なり、昭王大いに驚く。大史蘇由、占ひて云く「西方に聖人生まれたり」。昭王問うて云く「此の国いかん」。答へて云く「事なし。一千年の後に、彼の聖言、此の国にわたて衆生を利すべし」。彼のわづかの外典の一毫未断見思の者、しかれども一千年のことをしる。はたして仏教一千一十五年と申せし後漢の第二明帝の永平十年〈丁卯〉の年、仏法漢土にわたる。此れは似るべくもなき、釈迦・多宝・十方分身の仏の御前の諸菩薩の未来記なり。当世日本国に、三類の法華経の敵人なかるべしや。
されば仏付法蔵経等に記して云く「我が滅後に正法一千年が間、我が正法を弘むべき人、二十四人次第に相続すべし」。迦葉・阿難等はさてをきぬ。一百年の脇比丘、六百年の馬鳴、七百年の竜樹菩薩等一分もたがわず、すでに出で給ひぬ。此の事いかんがむなしかるべき。此の事相違せば一経皆相違すべし。所謂 舎利弗が未来の華光如来、迦葉の光明如来も皆妄説となるべし。爾前返りて一定となって、永不成仏の諸声聞なり。犬野干をば供養すとも阿難等をば供養すべからずとなん。いかんがせん、いかんがせん。
第一の「有諸無智人」と云ふは、経文の第二の悪世中比丘と第三の納衣の比丘の大檀那と見えたり。随って妙楽大師は「俗衆」等云云。東春に云く「公処に向かふ」等云云。
第二の法華経の怨敵は経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ、我慢の心充満せん」等云云。涅槃経に云く「是の時に当に諸の悪比丘有るべし、乃至是の諸の悪人、復是の如き経典を読誦すと雖も、如来深密の要義を滅除せん」等云云。止観に云く「若し信無きは高く聖境に推りて己が智分に非ずとす。若し智無きは増上慢を起こし己れ仏に均しと謂ふ」等云云。道綽禅師が云く「二に理深解微なるに由る」等云云。法然云く「諸行は機に非ず時を失ふ」等云云。記の十に云く「恐らくは人謬りて解せる者、初心の功徳の大なることを識らずして、功を上位に推りて此の初心を蔑る。故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕はす」等云云。伝教大師云く「正像稍過ぎ已りて末法太だ近きに有り。法華一乗の機今正しく是れ其の時なり。何を以て知ることを得ん。安楽行品に云く、末世法滅の時なり」等云云。恵心の云く「日本一州円機純一なり」等云云。道綽と伝教と、法然と恵心と、いづれ此れを信ずべしや。彼れは一切経に証文なし。此れは正しく法華経によれり。其の上、日本国一同に叡山の大師は受戒の師なり。何ぞ天魔のつける法然に心をよせ、我が剃頭の師をなげすつるや。法然智者ならば、何ぞ此の釈を選択に載せて和会せざる。人の理をかくせる者なり。
第二の「悪世中比丘」と指さるるは、法然等の無戒邪見の者なり。
涅槃経に云く「我等悉く邪見の人と名づく」等云云。妙楽云く「自ら三教を指して皆邪見と名づく」等云云。止観に云く「大経に云く、此れよりの前は我等皆邪見の人と名づくるなり。邪豈に悪に非ずや」等云云。弘決に云く「邪は即ち是れ悪なり。是の故に当に知るべし。唯円を善と為す。復二意有り。一には順を以て善と為し、背を以て悪と為す。相待の意なり。著を以て悪と為し、達を以て善と為す。相待・絶待倶に須く悪を離るべし。円に著する尚悪なり。況や復余をや」等云云。外道の善悪は小乗経に対すれば皆悪道。小乗の善道乃至四味三教は、法華経に対すれば皆邪悪。但法華のみ正善なり。爾前の円は相待妙、絶待妙に対すれば猶悪なり。前三教に摂すれば猶悪道なり。爾前のごとく彼の経の極理を行ずる猶悪道なり。況や観経等の猶華厳・般若経等に及ばざる小法を本として、法華経を観経に取り入れて、還りて念仏に対して閣抛閉捨せるは、法然並びに所化の弟子等・檀那等は、誹謗正法の者にあらずや。釈迦・多宝・十方の諸仏は、法をして久しく住せしめんが故に、此に来至したまへり。法然並びに日本国の念仏者等は、法華経は末法に念仏より前に滅尽すべしと、豈に三聖の怨敵にあらずや。
第三は法華経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在りて、乃至、白衣の与に法を説いて、世に恭敬せらることを為ること、六通の羅漢の如くならん」等云云。六巻の般泥経に云く「羅漢に似たる一闡提有りて悪業を行じ、一闡提に似たる阿羅漢ありて慈心を作さん。羅漢に似たる一闡提有りとは、是れ諸の衆生の方等を誹謗するなり。一闡提に似たる阿羅漢とは、声聞を毀呰して広く方等を説き、衆生に語りて言く、我汝等と倶に是れ菩薩なり。所以は何ん。一切皆如来の性有るが故に。然も彼の衆生は一闡提と謂はん」等云云。涅槃経に云く「我涅槃の後○像法の中に於て当に比丘有るべし。持律に似像して少かに経典を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養せん。○袈裟を服すと雖も、猶猟師の細視徐行するが如く、猫の鼠を伺ふが如し。常に是の言を唱へん、我羅漢を得たりと。○外には賢善を現し、内には貪嫉を懐く。唖法を受けたる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云。妙楽云く「第三最も甚だし。後々の者は転識り難きを以ての故に」等云云。東春云く「第三に或有阿練若より下の三偈は、即ち是れ出家の処に一切の悪人を摂す」等云云。
東春に「即是出家処 摂一切悪人」等とは、当世日本国には何れの処ぞや。叡山か園城か東寺か南都か、建仁寺か寿福寺か建長寺か、よくよくたづぬべし。延暦寺の出家の頭に甲冑をよろうをさすべきか。園城寺の五分法身の膚に鎧杖を帯せるか。彼等は経文に「納衣在空閑」と指すにわにず。「為世所恭敬 如六通羅漢」と人をもはず。又「転難識故」というべしや。華洛には聖一等、鎌倉には良観等ににたり。人をあだむことなかれ。眼あらば経文に我が身をあわせよ。
止観の第一に云く「止観の明静なることは前代に未だ聞かず」等云云。弘の一に云く「漢の明帝夜夢みしより陳朝に桙ヤまで、禅門に預かり厠て衣鉢伝授する者」等云云。補注に云く「衣鉢伝授とは達磨を指す」等云云。止の五に云く「又一種の禅人、乃至、盲跛の師徒、二倶に堕落す」等云云。止の七に云く「九の意、世間の文字の法師と共ならず。亦事相の禅師と共ならず。一種の禅師は唯観心の一意のみ有り。或は浅く或は偽る。余の九は全く無し。此れ虚言に非ず。後賢眼有らん者は当に証知すべきなり」。弘の七に云く「文字法師とは内に観解無くして唯法相を構ふ。事相の禅師とは境智を閑はず鼻膈に心を止む。乃至根本有漏定等なり。一師唯有観心一意等とは、此れは且く与へて論を為す。奪へば則ち観解倶に欠く。世間の禅人、偏に理観を尚ぶ、既に教を諳んぜず、観を以て経を消し、八邪八風を数へて丈六の仏と為し、五陰三毒を合して名づけて八邪と為し、六入を用ゐて六通と為し、四大を以て四諦と為す。此の如く経を解するは偽の中の偽なり。何ぞ浅く論ずべけんや」等云云。止観の七に云く「昔n洛の禅師、名は河海に播き、住する則んば四方雲のごとくに仰ぎ、去る則んば阡陌群れを成し、隠々轟々亦何の利益か有る。臨終に皆悔ゆ」等云云。弘の七に云く「n洛の禅師とは、nは相州に在り。即ち斉魏の都する所なり。大いに仏法を興す。禅祖の一なり。其の地を王化す。時人の意を護りて其の名を出ださず。洛は即ち洛陽なり」等云云。
六巻の般泥経に云く「究竟の処を見ずとは、彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり」等云云。妙楽云く「第三最も甚だし。転識り難きが故に」等。無眼の者・一眼の者・邪見の者は、末法の始めの三類を見るべからず。一分の仏眼を得るもの此れをしるべし。「向国王・大臣・婆羅門・居士」等云云。東春に云く「公処に向かひ法を毀り人を謗る」等云云。夫れ昔像法の末には、護命・修円等、奏状をささげて伝教大師を讒奏す。今末法の始めには良観・念阿等、偽書を注して将軍家にささぐ。あに三類の怨敵にあらずや。
当世の念仏者等、天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門・居士等に向かひて云く「法華経は理深、我等は解微、法は至りて深く、機至りて浅し」等と申しうとむるは、「高推聖境 非己智分」の者にあらずや。禅宗の云く「法華経は月をさす指、禅宗は月なり。月をえて指なにかせん。禅は仏の心、法華経は仏の言なり。仏、法華経等の一切経をとかせ給ひて後、最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさづく。其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し、乃至付法蔵の二十八・六祖までに伝ふ」等云云。此等の大妄語、国中を誑酔せしめてとしひさし。
又天台・真言の高僧等、名は其の家にえたれども、我が宗にくらし。貪欲は深く、公家武家ををそれて此の義を証伏し讃歎す。昔の多宝・分身の諸仏は法華経の令法久住を証明す。今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり。かるがゆへに日本国に、但法華経の名のみあつて得道の人一人もなし。誰をか法華経の行者とせん。寺塔を焼きて流罪せらるる僧侶はかずをしらず。公家武家に諛ひてにくまるる高僧これ多し。此等を法華経の行者というべきか。
仏語むなしからざれば、三類の怨敵すでに国中に充満せり。金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし。いかんがせん、いかんがせん。抑 たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる。誰の僧か刀杖を加へらるる。誰の僧をか法華経のゆへに公家・武家に奏する。誰の僧か数数見擯出と度々ながさるる。日蓮より外に日本国に取り出ださんとするに人なし。日蓮は法華経の行者にあらず、天これをすて給ふゆへに。誰をか当世の法華経の行者として仏語を実語とせん。仏と提婆とは身と影とのごとし、生々にはなれず。聖徳太子と守屋とは蓮華の花果同時なるがごとし。法華経の行者あらば、必ず三類の怨敵あるべし。三類はすでにあり。法華経の行者は誰なるらむ。求めて師とすべし。一眼の亀の浮木に値ふなるべし。
有る人云く、当世の三類はほぼ有るににたり。但し法華経の行者なし。汝を法華経の行者といはんとすれば大なる相違あり。此の経に云く「天の諸の童子、以て給使を為さん。刀杖も加へず毒も害すること能はず」。又云く「若し人悪み罵れば口則ち閉塞す」等。又云く「現世は安穏にして、後に善処に生まれん」等云云。又「頭破れて七分と作ること阿梨樹の枝の如くならん」。又云く「亦現世に於て其の福報を得ん」等。又云く「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださん。若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人現世に白癩の病を得ん」等云云。
答へて云く、汝が疑ひ大いに吉し。ついでに不審を晴さん。不軽品に云く「悪口罵詈」等。又云く「或は杖木瓦石を以て之れを打擲す」等云云。涅槃経に云く「若しは殺若しは害」等云云。法華経に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し」等云云。仏は小指を提婆にやぶられ、九横の大難に値ひ給ふ。此れは法華経の行者にあらずや。不軽菩薩は一乗の行者といわれまじきか。目連は竹杖に殺さる。法華経記別の後なり。付法蔵の第十四の提婆菩薩、第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ。此等は法華経の行者にはあらざるか。竺の道生は蘇山に流されぬ。法道は火印を面にやいて江南にうつさる。北野の天神・白居易此等は法華経の行者ならざるか。
事の心を案ずるに、前生に法華経誹謗の罪なきもの、今生に法華経を行ず。これを世間の失によせ、或は罪なきを、あだすれば忽ちに現罰あるか。修羅が帝釈をいる、金翅鳥の阿耨池に入る等、必ず返りて一時に損するがごとし。天台云く「今我が疾苦は皆過去に由る、今生の修福は報将来に在り」等云云。心地観経に云く「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」等云云。不軽品に云く「其罪畢已」等云云。不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給ふ罪、身に有るゆへに、瓦石をかほるとみえたり。
又順次生に必ず地獄に堕つべき者は、重罪を造るとも現罰なし。一闡提人これなり。涅槃経に云く「迦葉菩薩、仏に白して云さく、世尊仏の所説の如く大涅槃の光一切衆生の毛孔に入る」等云云。又云く「迦葉菩薩、仏に白して言さく、世尊、云何ぞ、未だ菩提心を発さざる者、菩提の因を得ん」等云云。仏、此の問ひを答へて云く「仏、迦葉に告げたまはく、若し是の大涅槃経を聞くこと有りて、我菩提心を発すことを用ゐずと言ひて正法を誹謗せん。是の人、即時に夜夢の中に於て羅刹の像を見て、心中怖畏す。羅刹語りて言く、咄し善男子、汝今若し菩提心を発さずんば、当に汝が命を断つべし。是の人惶怖し寤め已りて、即ち菩提の心を発す。当に知るべし、是の人は是れ大菩薩なりと」等云云。いたうの大悪人ならざる者、正法を誹謗すれば、即時に夢みてひるがへる心生ず。又云く「枯木石山」等。又云く「ョ種甘雨に遇ふと雖も」等。又云く「明珠淤泥」等。又云く「人の手に創あるに毒薬を捉るが如し」等。又云く「大雨空に住せず」等云云。此等の多くの譬へあり。詮ずるところ、上品の一闡提人になりぬれば、順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに、現罰なし。例せば、夏の桀、殷の紂の世には天変なし。重科有りて必ず世ほろぶべきゆへか。
又守護神此の国をすつるゆへに現罰なきか。謗法の世をば守護神すてて去り、諸天まぼるべからず。かるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし。還りて大難に値ふべし。金光明経に云く「善業を修する者は日々に衰減す」等云云。悪国・悪時これなり。具には立正安国論にかんがへたるがごとし。
詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼の婆羅門の責めを堪へざるゆへ。久遠大通の者の三五の塵をふる、悪知識に値ふゆへなり。善に付け悪につけ、法華経をすつるは地獄の業なるべし。本願を立つ。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ。父母の頸を刎ねん、念仏申さずわ。なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用ゐじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。
疑って云く、いかにとして汝が流罪・死罪等を過去の宿習としらむ。答へて云く、銅鏡は色形を顕はす。秦王験偽の鏡は現在の罪を顕はす。仏法の鏡は過去の業因を現ず。般泥経に云く「善男子、過去に曾て無量の諸罪、種々の悪業を作る。是の諸の罪報は、或は軽易せられ、或は形状醜陋、衣服足らず、飲食麁疎、財を求むるに利あらず、貧賤の家邪見の家に生まれ、或は王難に遭ひ、及び余の種々の人間の苦報あらん。現世に軽く受くるは、斯れ護法の功徳力に由るが故なり」云云。此の経文、日蓮が身に宛も符契のごとし。狐疑の氷とけぬ。千万の難も由なし。一々の句を我が身にあわせん。「或被軽易」等云云。法華経に云く「軽賤憎嫉」等云云。二十余年が間の軽慢せらる。或は「形状醜陋」、又云く「衣服不足」、予が身なり。「飲食麁疎」、予が身なり。「求財不利」、予が身なり。「生貧賤家」、予が身なり。「或遭王難」等。此の経文人疑ふべしや。法華経に云く「数数擯出せられん」。此の経文に云く「種々」等云云。「斯由護法功徳力故」等とは、摩訶止観の第五に云く「散善微弱なるは動せしむること能はず。今止観を修して健病虧けざれば生死の輪を動ず」等云云。又云く「三障四魔紛然として競ひ起こる」等云云。
我無始よりこのかた悪王と生まれて、法華経の行者の衣食・田畠等を奪ひとりせしこと、かずしらず。当世日本国の諸人の、法華経の山寺をたうすがごとし。又法華経の行者の頸を刎ねること、其の数をしらず。此等の重罪はたせるもあり、いまだはたさざるもあるらん。果たすも余残いまだつきず。生死を離るる時は、必ず此の重罪をけしはてて出離すべし。功徳は浅軽なり。此等の罪は深重なり。権経を行ぜしには、此の重罪いまだをこらず。鉄を熱にいたうきたわざれば、きず隠れてみえず。度々せむればきずあらわる。麻子をしぼるにつよくせめざれば、油少なきがごとし。今日蓮、強盛に国土の謗法を責むれば、此の大難の来たるは、過去の重罪の、今生の護法に招き出だせるなるべし。鉄は火に値はざれば黒し、火と合ひぬれば赤し。木をもつて急流をかけば波山のごとし。睡れる師子に手をつくれば大いに吼ゆ。
涅槃経に云く「譬へば貧女の如し。居家救護の者有ること無く、加ふるに復病苦・飢渇に逼められて遊行乞丐す。他の客舎に止り一子を寄生す。是の客舎の主、駆逐して去らしむ。其の産して未だ久しからず、是の児を携抱して他国に至らんと欲し、其の中路に於て、悪風雨に遇ひて寒苦並び至り、多く蚊虻・蜂螫・毒虫のBい食ふ所となる。恒河に径由し児を抱きて渡る。其の水漂疾なれども而も放ち捨てず。是に於て母子遂に共倶に没しぬ。是の如き女人、慈念の功徳、命終の後、梵天に生ず。文殊師利、若し善男子有りて正法を護らんと欲せば○彼の貧女の恒河に在りて、子を愛念するが為に身命を捨つるが如くせよ。善男子、護法の菩薩も亦是の如くなるべし。寧ろ身命を捨てよ。○是の如きの人、解脱を求めずと雖も、解脱自ら至ること、彼の貧女の梵天を求めざれども、梵天自ら至るが如し」等云云。
此の経文は、章安大師、三障をもつて釈し給へり。それをみるべし。貧人とは法財のなきなり。女人とは一分の慈ある者なり。客舎とは穢土なり。一子とは法華経の信心了因の子なり。舎主駆逐とは流罪せらる。其産未久とは、いまだ信じてひさしからず。悪風とは流罪の勅宣なり。蚊虻等とは「有諸無智人 悪口罵詈」等なり。母子共没とは、終に法華経の信心をやぶらずして頸を刎ねらるるなり。梵天とは仏界に生まるるをいうなり。引業と申すは仏界までかはらず。日本・漢土の万国の諸人を殺すとも、五逆・謗法なければ無間地獄には堕ちず。余の悪道にして多歳をふべし。色天に生まるること、万戒を持てども万善を修すれども、散善にては生まれず。又梵天王となる事、有漏の引業の上に慈悲を加へて生ずべし。今此の貧女が子を念ふゆへに梵天に生まる。常の性相には相違せり。章安の二はあれども、詮ずるところは子を念ふ慈念より外の事なし。念を一境にする、定に似たり。専ら子を思ふ、又慈悲にもにたり。かるがゆへに他事なけれども天に生まるるか。
又仏になる道は華厳の唯心法界、三論の八不、法相の唯識、真言の五輪観等も実には叶ふべしともみえず。但天台の一念三千こそ、仏になるべき道とみゆれ。此の一念三千も我等一分の恵解もなし。而れども一代経々の中には、此の経計り一念三千の玉をいだけり。余経の理は、玉ににたる黄石なり。沙をしぼるに油なし。石女に子のなきがごとし。諸経は智者猶仏にならず。此の経は愚人も仏因を種うべし。「不求解脱 解脱自至」等云云。
我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ、現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたなき者のならひは、約束せし事を、まことの時はわするるなるべし。妻子を不便とをもうゆへ、現身にわかれん事をなげくらん。多生曠劫にしたしみし妻子には、心とはなれしか、仏道のためにはなれしか。いつも同じわかれなるべし。我法華経の信心をやぶらずして、霊山にまいりて返りてみちびけかし。
疑って云く、念仏者と禅宗等を無間と申すは諍ふ心あり。修羅道にや堕つべかるらむ。又法華経の安楽行品に云く「楽ひて人及び経典の過を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云。汝、此の経文に相違するゆへに、天にすてられたるか。答へて云く、止観に云く「夫れ仏に両説あり。一には摂、二には折。安楽行に不称長短といふ如き、是れ摂の義なり。大経に刀杖を執持し乃至首を斬れという、是れ折の義なり。与奪途を殊にすと雖も、倶に利益せしむ」等云云。弘決に云く「夫れ仏に両説あり等とは○大経に刀杖を執持すとは、第三に云く、正法を護る者は五戒を受けず威儀を修せず。乃至下の文、仙予国王等の文。又新医禁じて云く、若し更に為すこと有れば、当に其の首を断つべし。是の如き等の文、並びに是れ破法の人を折伏するなり。一切の経論此の二を出でず」等云云。文句に云く「問ふ、大経には国王に親付し、弓を持ち箭を帯し、悪人を摧伏せよと明かす。此の経は豪勢を遠離し謙下慈善せよと、剛柔碩いに乖けり。云何ぞ異ならざらん。答ふ、大経には偏に折伏を論ずれども、一子地に住す。何ぞ曾て摂受無からん。此の経には偏に摂受を明かせども、頭破七分といふ。折伏無きに非ず。各一端を挙げて時に適ふのみ」等云云。
涅槃経の疏に云く「出家・在家、法を護らんには其の元心の所為を取り、事を棄て理を存して匡に大経を弘む。故に護持正法と言ふは小節に拘はらず。故に不修威儀と言ふなり。○昔の時は平かにして法弘まる。応に戒を持つべし、杖を持つこと勿れ。今の時は嶮にして法翳る。応に杖を持つべし、戒を持つこと勿れ。今昔倶に嶮ならば倶に杖を持つべし。今昔倶に平かならば倶に戒を持つべし。取捨宜しきを得て一向にすべからず」等云云。汝が不審をば、世間の学者、多分道理とをもう。いかに諫暁すれども、日蓮が弟子等も此ををもひすてず、一闡提人のごとくなるゆへに、先づ天台・妙楽等の釈をいだして、かれが邪難をふせぐ。
夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし。火は水をいとう、水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらふ、折伏の者は摂受をかなしむ。無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす。常不軽品のごとし。譬へば、熱き時に寒水を用ゐ、寒き時に火をこのむがごとし。草木は日輪の眷属、寒月に苦をう。諸水は月輪の所従、熱時に本性を失ふ。末法に摂受・折伏あるべし。所謂 悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国の当世は、悪国か、破法の国かとしるべし。
問うて云く、摂受の時折伏を行ずると、折伏の時摂受を行ずると利益あるべしや。答へて云く、涅槃経に云く「迦葉菩薩、仏に白して言さく、○如来の法身は金剛不壊なり。而るに未だ所因を知ること能はず、云何。仏の言さく、迦葉、能く正法を護持する因縁を以ての故に、是の金剛身を成就することを得たり。迦葉、我、護持正法の因縁にて、今是の金剛身・常住不壊を成就することを得たり。善男子、正法を護持する者は五戒を受けず、威儀を修せず、応に刀剣弓箭を持つべし。○是の如く種々に法を説くも、然も故、師子吼を作すこと能はず。○非法の悪人を降伏すること能はず。是の如き比丘、自利し及び衆生を利すること能はず。当に知るべし、是の輩は懈怠懶惰なり。能く戒を持ちて浄行を守護すと雖も、当に知るべし、是の人は能く為す所無からん。乃至、時に破戒の者有りて、是の語を聞き已りて、咸共に瞋恚して、是の法師を害せん。是の説法の者、設ひ復命終すとも、故持戒、自利利他と名づく」等云云。章安の云く「取捨得宜 不可一向」等。天台云く「適時而已」等云云。譬へば、秋の終りに種子を下し田畠をかえさんに、稲米をうることかたし。
建仁年中に、法然・大日の二人出来して、念仏宗・禅宗を興行す。法然云く「法華経は末法に入りては、未有一人得者、千中無一」等云云。大日云く「教外別伝」等云云。此の両義国土に充満せり。天台・真言の学者等、念仏・禅の檀那をへつらい・をそるる事、犬の主にををふり、ねずみの猫ををそるるがごとし。国王・将軍にみやつかひ、破仏法の因縁、破国の因縁を能く説き能くかたるなり。天台・真言の学者等、今生には餓鬼道に堕ち、後生には阿鼻を招くべし。設ひ山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも、空閑にして三密の油をこぼさずとも、時機をしらず、摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離るべき。
問うて云く、念仏者・禅宗等を責めて彼等にあだまれたる、いかなる利益かあるや。答へて云く、涅槃経に云く「若し善比丘ありて法を壊る者を見て、置きて呵責し駆遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駆遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子真の声聞なり」等云云。「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり。慈無くして詐り親しむは、是れ彼れが怨なり。能く糾治せん者は、是れ護法の声聞、真の我が弟子なり。彼れが為に悪を除くは、即ち是れ彼れが親なり。能く呵責する者は、是れ我が弟子。駆遣せざらん者は、仏法の中の怨なり」等云云。
夫れ法華経の宝塔品を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏の来集はなに心ぞ、「令法久住 故来至此」等云云。三仏の未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子にあたえんとおぼしめす御心の中をすいするに、父母の一子の大苦に値ふを見るよりも強盛にこそみえたるを、法然いたわしともおもはで、末法には法華経の門を堅く閉じて人を入れじとせき、狂児をたぼらかして宝をすてさするやうに、法華経を抛させける心こそ、無慚に見え候へ。我が父母を人の殺すに、父母につげざるべしや。悪子の酔狂して父母を殺すを、せいせざるべしや。悪人、寺塔に火を放たんに、せいせざるべしや。一子の重病を灸せざるべしや。日本の禅と念仏者とをみてせいせざる者はかくのごとし。「慈無くして詐り親しむは、即ち是れ彼れが怨なり」等云云。
日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり。一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり。「彼れが為に悪を除くは則ち是れ彼れが親なり」等云云。無道心の者、生死をはなるる事はなきなり。教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給ひ、天台大師の南北並びに得一に「三寸の舌もて五尺の身をたつ」、伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といわれさせ給ひし、皆法華経のゆへなればはぢならず。愚人にほめられたるは第一のはぢなり。日蓮が御勘気をかほれば天台・真言の法師等悦ばしくやをもうらん。かつはむざんなり、かつはきくわいなり。
夫れ釈尊は娑婆に入り、羅什は秦に入り、伝教は尸那に入る。提婆・師子は身をすつ、薬王は臂をやく、上宮は手の皮をはぐ、釈迦菩薩は肉をうる、楽法は骨を筆とす。天台の云く「適時而已」等云云。仏法は時によるべし。日蓮が流罪は今生の小苦なればなげかしからず。後生には大楽をうくべければ大いに悦ばし。