法華取要抄
解説
真蹟二十四紙完、千葉県中山法華経寺蔵。『日意目録』『日乾目録』『日筵目録』『日亨目録』等を勘合すれば、曾つて身延山に「法華取要抄」(始めから三枚目より二枚ほどを欠す十三紙)と、「以一察万抄」と称する「法華取要抄」の草案と思われる十九紙が存したようであり(『日意目録』には「以一察万抄 法華取要抄ノ事也」とある)、それは明治八年の大火で烏有に帰したが、幸い『延山録外』(身延山久遠寺26世日暹筆)に両抄とも収録され、その内容が確認される。それによれば「以一察万抄」は「以一察万抄 取要抄」と表題され、「法華取要抄」の方は「取要抄」と表題されている。なお、都守基一の論攷「『法華取要抄』の草案について」(『大崎学報』第154号)において、身延曾存の「以一察万抄」「取要抄」と現行正本「法華取要抄」が全文対照され、その内容の比較検討が綿密にされており、草案両本の成立は「以一察万抄」「取要抄」の順であろうとし、また草案本と正本とは当然内容的に共通するが、多くの相違箇所が見られることから、草案両本は「日蓮聖人遺文研究に新たな資料を提供するもの」と結論付けている。静岡県大石寺に『日興本』といわれる二本が所蔵される。一本は日興の筆蹟とは異なり、『日興門流上代事典』(656頁)にて「日澄筆か」とされるように、むしろ日澄の筆蹟のように思われる。末尾に「富木入道殿許 弘安元年月日」とあって弘安元年に筆写されたもののようである。表紙に「釈日目之」とあり、また「正慶貳年癸酉正月三日辰 武州騎西郡崛須坊 扶桑沙門日道(花押)」とあり、末尾に建武ゥ三丙子五月十三日 授申加賀野阿闍梨日行畢 日道(花押)」とあり日目・日道・日行と相伝された経緯がわかる。もう一本は図録『立正安国論と忍難弘教の歩み』(大日蓮出版・平成二十一年一月一日)に末尾を含む写真二様が収録されており、その字体は日興筆としてよいと思われる。『日澄本』北山本門寺蔵。以上三本は、末紙に見られる本来は「本門之三法門」とあるのを「本門之法門」としていること、日付が「文永十一年 月 日」(北山『日澄本』は「文永十一年 日」)となっていることが共通し、関連の深さを思わせる。『日常目録』『日祐目録』『日朝本』『平賀本』『刊本録内』『高祖遺文録』『縮冊遺文』『定本』『対照録』『真蹟集成』等所収。日全の『法華問答正義抄』第六・第八・第十六・第二十一に引文される。/本書は前後二段に分けることができる。前段は釈尊一代の説教の中で『法華経』が最勝であることが示される。すなわち諸宗の人師論師によることは、それぞれ相応の言い分もある故にそれを取らず、経によって判別すべきであるとし、しかも新訳旧訳等を精査して本経本論によらねばならぬとしている。そこで諸経を紐解けば、各々自経の勝れたることが説かれているが、『法華経』の「已今当」こそ最も優れしかも絶対的な判別であり、それによれば『法華経』が一代の中で最勝であることは明白である。また内実より『法華経』と爾前経とを較べれば、妙楽が『法華文句記』に示した二十種の勝れる所以があり、その中でも三千塵点・五百塵点の二法を挙げることができるとし、五百塵点以来妙覚果満の教主釈尊こそ本仏であると述べられている。後段は問答体になり、滅後に約して『法華経』が滅後末法の衆生の為に説かれたことが示される。すなわち迹門は一往在世に約せば菩薩・二乗・凡夫のためであるが、再往これを流通分から逆次に読めば滅後末法を本とする。また本門は一向に滅後を本としているのであって、滅後の中にも末法今時の日蓮等の為であるとしている。ではその滅後の弘経は誰が何を以ってするのかというに、天台伝教等迹化の菩薩ではなく、結要付嘱を受けた地涌の菩薩が出現し、本門の本尊と戒壇と題目を弘めるのであるとし、具体的にいえば一閻浮提謗法となった末法の今、就中この日本国に日蓮が上行所伝の要法五字を弘め、彼の不軽菩薩の如く逆縁を結んでいくのであると述べられている。そしてその前兆として正嘉の大地震・文永の大彗星等の天変地異があるのであり、今年は佐渡国で二日(にじつ)出現するなど、このように国土が乱れて後上行等の聖人が出現し、本門の三の法門を建立するのであると述べ、また一天四海の広宣流布も疑いないものであるとしている。
日本国の沙門の日蓮がこれを著述する。
およそインドから中国を経て日本へ伝えられた経典や注釈書は、五千余巻あるいは七千余巻の多きに及ぶ。
その中の教えについて、どれが勝れているか劣っているか、理が浅いか深いか、修行し易いか難しいか、説かれたのは先か後かという問題については、自分の考えで判断することは難かしい。とはいえ、人の意見に拠ったり、諸宗の主張に従って知ろうとしても、いろいろに分かれていて、正しく判断することはやはり困難である。
たとえば、華厳宗はすべての諸経の中で華厳経が第一であるといい、法相宗はすべての経典の中で解深密経が第一、三論宗はすべての経々の中で般若経が第一、真言宗はすべての諸経の中で大日経・金剛頂経・蘇悉地経の大日三部経が第一であるという。禅宗は、釈尊の教えの中では楞伽経、あるいは首楞厳経が第一であるといい、また禅宗は文字や言葉を媒介せずに、心から心へと直接伝えられた仏の本意に基づく宗旨であると誇る。浄土宗は、無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の浄土三部経こそが、末法の衆生の能力に適合する第一の教えであるとうそぶき、倶舎宗・成実宗・律宗は、長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含の四阿含経や戒律の論書は仏が説いた教えであるが、華厳経・法華経などの大乗経は仏が説いたものではなく、仏教以外の外道の説であるという。この他にもさまざまな主張がある。
これらの諸宗の元祖は、華厳宗は杜順・智儼・法蔵・澄観、法相宗は玄奘・慈恩、三論宗は嘉祥・道朗、真言宗は善無畏・金剛智・不空、律宗は道宣・鑑真、浄土宗は曇鸞・道綽・善導、禅宗は達磨・恵可等という人たちであるが、みな経律論の三蔵に通じた聖人であり、賢人である。智恵は太陽や月のように輝き、徳行は天下を知られている。それぞれに経律論の三蔵に依って、確かな証拠を示して宗旨を建立しているので、上は国王から大臣、下は万民にいたるまでこれを尊重している。このため、末代の学問の未熟な者があれこれ言ったところで、耳を貸すような人は誰もいない。しかしながら、折角宝の山に登りながら瓦や石ばかりを拾い、栴檀という香木の林に入りながら毒性のある伊蘭を採っていたのでは、後悔するだろう。
よって、人からどのように言われようとも、自身の信念に基づいて正邪を判断していこうと思う。門弟らよ、さらに詳しくこれらを研究せよ。
そもそも諸宗の祖師の中には、唐代以前に翻訳された旧訳の経論だけを見て、唐代以後の新訳の経論を見ない者もいれば、逆に新訳の経論ばかりを用いて旧訳の経論を捨ててしまう者もいる。また自宗の誤った教えに執着し、自分の意見を疑うことなく方々に書き散らし、果ては勝手に経論に書き加えたりする者がある。これらは、たまたま兎が木の株に当たって死んだのを見て、そこにいれば兎が得られると思って見張り番をするのと同じように愚かな人びとである。丸い扇の形から一度天に輝く月を知ったならば、似て非なる扇を捨てて、天空の月を取るのが智恵ある人というものである。
今の末流の論師や諸宗の祖師たちの間違った考えはすべて捨ててしまって、ひとえに根本の諸経論を開き見るに、釈尊の五十年にわたる説法の中では、法華経法師品に「私が法華経以前に已に説いた諸経、今説いた無量義経、これから当に説こうとしている涅槃経、これらの一切の経典に法華経は勝っている」とある已今当の三字が最も大切な経文である。
諸宗の祖師や学者たちも必ずやこの法師品の文を見ているだろう。しかし、あるいは自宗の経典にある似た経文に迷ったり、自宗の祖師が強引に施した法華経の解釈を信じたり、あるいは自宗を信じる王臣の帰依が離れてしまうことを恐れて、彼らは誤りを改めようとはしない。その似た経文を挙げれば、金光明経の「この経は諸経の王である」という文、密厳経の「この経はすべての経典の中で最も勝れている」という文、六波羅蜜経の「陀羅尼蔵こそ諸経の中の第一である」という文、大日経の「悟りとは、この経に説くように、ありのままに自らの心を知ることである」という文、華厳経の「この経は最も信じがたい」という文、般若経の「この経に説く法性真如に諸法が帰入する」という文、大智度論の「智恵波羅蜜が第一である」という文、涅槃論の「今の涅槃経の理は法華経等にも勝っている」という文等である。
これらの文は、一見すると法華経法師品の「已今当の三説超過」の法門に似ている。しかしながら、これらは、あるいは梵天や帝釈天・四天王が説いたとされる経典に比べれば諸経の王であったり、あるいは小乗経に比べれば諸経の王であったり、あるいは華厳経・勝鬘経などの経に比べればそれらの経典の中で勝れているといって、みな比較の対象が限定されていて、釈尊一代の五十余年にわたる大乗・小乗、権教・実教、顕教・密教のすべての経典に対して、諸経の中の大王であるといったものではない。
つまりは、比べる対象に応じて経と経の勝劣の相違を知らなければならない。たとえば、倒した敵の強さによって、その人の力の大きさを知るようなものである。しかも、諸経論にいう経と経の勝劣は、釈尊一仏が定められた浅深であって、法華経のように多宝如来や十方分身諸仏の証明があるわけではない。一仏だけの私的な判定の諸経と、釈迦・多宝・分身の三仏の公的な判定のある法華経とを混同してはならない。
また諸経は声聞・縁覚の二乗や凡夫に対して小乗の教えを説いたり、あるいは文殊・解脱月・金剛薩Pらの弘通に努める菩薩に対して大乗の教えを説いたものであって、法華経のように久遠の釈尊の教化を受けた上行等の地涌の菩薩に向かって説いたものではない。
妙楽大師は「文句記」巻四に法華経と諸経とを比較して、法華経が釈尊一代の説教に勝れている点を二十あげている。その中でも最も大切なことが二つあり、それが「三五の二法」である。「三五」の「三」とは、化城喩品に説かれる釈尊の三千塵点劫以来の教化をいう。法華経以前の諸経では、釈尊が因位の菩薩として修行されていた時間を、あるいは三阿僧祇劫といい、あるいは塵劫を超えてしまうほどの長い間といい、あるいは無量劫という。それゆえ、大梵天王は二十九劫以前の昔からこの娑婆世界を治めており、第六天の魔王や帝釈天・四天王等もそれぞれ昔からこの世界を治めてきたとされるので、釈尊と梵天等のどちらが昔からこの世界を領していたかという諍論があった。しかし、釈尊が菩提樹下に坐して指を一本上げて悪魔を取りしずめた後は、大梵天王は頭を下げ、魔王は合掌して、欲界・色界・無色界の三界のすべての人々は釈尊に帰伏したと諸経には説かれている。
また諸経の諸仏と法華経の釈尊のそれぞれの菩薩としての時間を較べてみるに、諸仏は三阿僧祇劫、あるいは五劫等という。一方、先ほども触れたように、法華経の化城喩品には、釈尊は三千塵点劫の昔より娑婆世界のすべての衆生に成仏の因縁を結んで来た大菩薩であると説かれている。そのため、この娑婆世界の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道の一切衆生の中には、釈尊以外の他の世界の菩薩たちに縁ある者は一人もいないのである。法華経の化城喩品には「衆生は各々自分に縁のある仏の世界に生まれて、その教えを聞く」とあり、天台大師は法華文句に「西方浄土と娑婆世界とでは主宰する仏が別なので、阿弥陀如来と娑婆世界の衆生が親子の縁を結ぶことはない」といい、妙楽大師は文句記に「阿弥陀仏と釈迦如来は別の仏である。○過去の世からの因縁も違うので、その教化の方法も同じではない。仏が衆生に初めて成仏の因縁を結ぶのは、親が子を生み、仏が衆生を教え導くのは、親が子を育てるのと同じである。もし生みの親と育ての親が違ってしまうと、真実の親子の義は成り立たない」等と述べている。それゆえ、現在の日本の人々が縁のない阿弥陀如来の来迎を待っているのは、譬えば牛の子に馬の乳を呑ませ、瓦の鏡に天月の影を映そうとするようなものである。
また、悟りを開いた仏としての時間について諸仏と釈尊とを比較してみると、諸経の仏はあるいは十劫とか百劫・千劫の昔に成仏した仏である。それに対して、法華経本門の教主釈尊は五百億塵点劫のはるか昔に妙覚の悟りを得られた仏である。大日如来や阿弥陀如来・薬師如来等の十方のすべての仏たちは、みな我れらが本師である教主釈尊の従者であり、天月の釈尊が多くの水面に浮かべた影の仏にすぎない。華厳経の教主として十方諸仏の中央の蓮華台の上にまします毘盧遮那仏や、大日経および金剛頂経の胎蔵界と金剛界の大日如来は、法華経宝塔品で涌現した多宝如来の脇士として左右に随侍する仏であり、王の左右に侍する臣下と同じである。その多宝如来も、寿量品に説かれる久遠実成の教主釈尊の従者である。
また、この娑婆世界に住む我れら衆生は、五百億塵点劫のはるか昔からの教主釈尊の愛子である。まことに不孝の限りで、今日に至るまで皆その愛子であることに気づいていないが、他の世界の衆生とは全く相違している。仏と非常に深い因縁を持つ衆生との関係は、天に浮かぶ月が自然と清らかな水にその影を映すように、非常に円滑である。一方、因縁のない仏と衆生の場合は、たとえば耳の不自由な人に雷の音が聞こえず、目の不自由な人に太陽や月が見えないのと同じで、その関係は断絶している。ところが、ある人師は釈尊を下して大日如来を仰ぎ尊び、ある人師は釈尊を無縁と退けて阿弥陀如来こそ有縁といい、ある人師は小乗の釈尊を信じ、ある人師は華厳経の釈尊を尊び、ある人師は法華経迹門の始成正覚の釈尊を崇めている。
これらの人師やその信徒たちが寿量品の教主釈尊を忘れて諸経の仏たちを信じるのは、たとえば阿闍世太子が父の頻婆娑羅王を殺し、釈尊に背いて提婆達多に従ったのと同じである。二月十五日は釈尊御入滅の日であり、また十二月十五日も三界の慈父である釈尊の忌日である。それを善導や法然・永観等の提婆達多のような師にだまされて、彼らは阿弥陀仏の日としてしまった。さらに四月八日は釈尊の御誕生の日であるのに、薬師如来の命日としてしまった。自分たちの慈父である釈尊の縁日を他の仏の命日に替えてしまうのは、はたして孝養の者といえるだろうか。寿量品の経文には「私はまた世の父である。毒気によって本心を失った子供を治療するために」とあり、天台大師の法華玄義には「初めにこの仏について菩提を求める心をおこし、またこの仏に従って悟りを得た。すべての川が大海に流れ込むように、本来の因縁に引かれてこの仏の許に生まれるのである」と説明している。
問うていう、
法華経は誰のために説かれているのだろうか。
答えていう、
先ず前半の迹門十四品をいえば、本論にあたる方便品第二から人記品第九にいたるまでの八品について、二つの見方がある。この八品を説かれた順序通りに読めば、第一には菩薩、第二に声聞乗と縁覚乗の二乗、第三に凡夫のためである。次に流通分の最後の安楽行品第十四から勧持品・提婆品・宝塔品・法師品と逆に読んで行くと、この本論の八品は正しく釈尊滅後の衆生のために説かれており、在世の衆生は二の次であることがわかる。そして釈尊の滅後の中でも、正法一千年・像法一千年は二の次で、末法のために説かれている。また末法の中でも、法華経の迹門は日蓮のために説かれている。
問うていう、
その証拠は何か。
答えていう、
法師品に「仏の滅後においてこの経を弘める者には、在世の時よりも迫害が多い」とあり、滅後末法を指して説かれている。疑っていう、日蓮のためという正しい証拠は何か。答えていう、勧持品に「多くの無智の者たちが聞くに堪えない言葉で悪しざまにののしったり、刀や杖で打ちかかる者がいるだろう」等と説かれているのは、日蓮の今のすがたそのものである。
問うていう、
それは余りにも自分を讃めることにならないか。
答えていう、
経文の未来記が私の身に文字どおり当てはまるので、喜びにたえずして自讃をするまでである。
問うていう、
本門十四品は誰のために説かれているのか。
答えていう、
本門の説法にも二つの意味がある。
一つは、涌出品の中ほどで釈尊が簡略に久遠の成道を示された略開近顕遠は、それまで法華以前の四十余年の説法と法華経の迹門を通じて教導してきた在世の弟子たちを得脱させるためである。
もう一つは、涌出品の後半品で略開近顕遠を聞いた弥勒が疑いを述べて、滅後のためにくわしい説法を願った部分と、次の寿量品一品および分別功徳品の前半品の合わせた一品二半には、正しく釈尊の五百塵点の久遠の成道を明かした広開近顕遠が説かれているが、こちらは全く仏滅後の人々のための説法である。
問うていう、
一つ目の略開近顕遠が何のために説かれたのか詳しくいえば、どのようになるか。答えていう、文殊・弥勒等の大菩薩たちや大梵天王・帝釈天・日天・月天・衆星・竜王等は、インドに出世した釈尊が菩提樹下ではじめて成仏してから般若経を説くまでは、一人として釈尊の弟子ではなかった。これらの菩薩や天人たちは、釈尊が成仏して法を説きはじめられる以前に、すでに悟りを開いて、みずから別教や円教の法門を演説されていた。釈尊はその後に蔵教の阿含経や通教の方等経・般若経を説かれたのであるが、これらの菩薩や天人はそれを聴聞しても何ら得る利益はなかった。なぜならば、すでに別教や円教の法門を知っていたので、それよりも劣る蔵教や通教を了解しているのは当然だったからである。厳密にいえば、これらの人びとは釈尊の師匠であるか、あるいは善い導きの友であって、けっして釈尊の弟子ではなかった。それが法華経迹門の正宗分である八品が説かれ、それまで聞いたことのなかった諸法実相の法門を聴聞して、はじめて釈尊の弟子となったのである。舎利弗や目連等の二乗は、釈尊の最初の説法である鹿野苑で、初めて仏道を求める心をおこした弟子であるが、その後、彼らにはその機根を調熟するために専ら方便の教えが与えられ、法華経の迹門にいたってようやく真実の法が授けられた。かくして、本門の涌出品で簡略に久遠の成道を説いた略開近顕遠の時に、華厳経の座より教えを聴聞してきた大菩薩や声聞・縁覚の二乗、大梵天王・帝釈天王・日天子・月天子・四天王・竜王等は皆悟りを開いて、仏と同じ位か、あるいはその前位にまで登ったのである。
よって今、私たちが天を仰ぎ見れば、悟りを得た日天・月天等が生きた姿のままで、本来の位に居ながらにして人々に利益を与えているさまを見ることができる。
問うていう、
詳しく釈尊の五百塵点の久遠の成道を明かした広開近顕遠は、誰のために説かれたのか。答えていう、寿量品にその前後の各半品ずつを加えた一品二半の説法は、始めから終りまではまさしく仏滅後の衆生のためである。その中でも末法の今の日蓮等のために説かれたのである。
疑っていう、そのような法門はいまだかつて聞いたことがない。果たして経文に説かれているのか。答えていう、私の智恵はこれまでの賢人たちにとうてい及ぶものではないので、たとえ経文を引いても、誰も信じる者はいないだろう。昔、中国の卞和や伍子胥という人たちが、国王に誠意を訴えながら認められず、深く嘆き悲しんだのと同様である。けれども試みに経文をあげれば、涌出品で略開近顕遠を聞いた弥勒菩薩は、聴衆一同の疑問を次のように申し上げた。「私たちは仏のお言葉を信じますが、初心の菩薩たちが仏の滅後にこのようなことを聞いたならば、あるいは信じることができずに、法を誹謗する罪を作るかもしれません」等と。これは釈尊が寿量品を説いて、詳しく久遠の成道について宣べなければ、末代の凡夫は疑いを起こし、謗法の罪によって悪道に堕ちるだろう、という意味である。
また寿量品には「このすばらしい良薬を今ここに置いていく」とある。これは良医の譬えの中で、毒気のために本心を失ってしまった子である滅後末法の衆生のために良薬を留め置くという経文である。寿量品は一見すると釈尊在世の人々の利益のための説かれたようにみえるが、この経文に基づけば、滅後の利益が根本の目的である。これを先例として、分別功徳品には「悪世末法の時に」とあり、神力品には「仏が入滅した後にこの経典を護持するというので、諸仏はみな喜んで、数えきれないほどの不思議な神力を現わされた」とある。薬王菩薩本事品には「私の滅度の後、第五の五百歳においてこの経を広く弘通せよ。この世界から決して無くしてしまわないようにせよ」とあり、また「この経は裟婆世界の人々の病をいやす良薬である」とある。
涅槃経の梵行品には「たとえば七人の子どもがいるとしよう。父母の愛情は平等であるが、病気の子がいれば、その子に対する愛情が特に深いようなものである」と説かれている。この七人の子どもの内、一番目と二番目は成仏できない一闡提の者と正法をそしる謗法の者である。数多い病の中でも法華経を誹謗することが最も重い病である。そして、すべての薬の中では南無妙法蓮華経の題目が最もすぐれた薬である。この世界は縦横ともに七千由旬という大きさがあり、その中に八万の国がある。仏滅後の正法および像法の二千年の間に広く弘まらなかった法華経が、経文の予言どおりに今の末法の世に流布しなければ、釈尊は大きな偽りを説く仏となり、多宝如来や十方分身の諸仏の法華経が真実たることについての証明も水の泡となり、芭蕉の葉のように頼りないものとなるだろう。
疑っていう、
その多宝如来および十方分身の諸仏の法華経に対する証明や、釈尊が久遠の成道を説くために地涌の菩薩を大地の下から召し出したのは、一体だれのためなのか。答えていう、世間一般には、これらは釈尊在世の者のためと思われている。
それに対して日蓮はいう。その在世の舎利弗や目連等は釈尊の弟子として智恵第一・神通第一などとうたわれ、過去世では舎利弗は金竜陀仏、須菩提は青竜陀仏であったとされ、未来世では舎利弗は成仏して華光如来となることを許された。また霊鷲山で法華経を聴聞した時にはすべての煩悩を断ち切った大菩薩であり、本地は内心には菩薩のさとりを秘めながら、外に声聞の姿を示す古い菩薩である。
また在世の文殊や弥勒等の大菩薩も、過去世でとっくの昔に悟りを開かれた仏であり、今は衆生教化のために菩薩の姿を示しているのである。大梵天王・帝釈天王・日天子・月天子・四天王等も、みんな釈尊がインドの菩提樹下で悟りを得る以前からの大いなる聖者であって、しかも法華経以前の諸経を一言のもとに悟った人びとである。このように、釈尊の在世中には一人として無智の者はいなかった。それでは一体、誰の疑問を晴らすために多宝如来の証明を借り、十方分身の諸仏は証明のために舌を出し、地涌の菩薩は大地の下から召し出されなければならなかったのだろうか。どう考えても正当な理由が見つからない。そこで改めて法華経を見ると、法師品には「仏の滅後においてこの経を弘める者には、在世の時よりも迫害が多い」とあり、宝塔品には「正法を未来永遠にわたってこの世界に存続させるために」と見える。これらの経文から考えてみると、すべて末法の私たちのためである。
それゆえに天台大師は法華文句に今の世のことを指して、「仏滅後の第五の五百歳までも、法華経の教えは衆生に得益の恵みを与えるであろう」といい、伝教大師も「仏滅後の正法千年と像法千年が過ぎ去って、末法の世が間近にせまってきた」と述べている。この「末法の世が間近にせまってきた」という言葉は、大師が出世した時代は法華経が正しく流布する末法時代ではないという意味である。
問うていう、
釈尊滅後の二千年余りの間に、インドの竜樹菩薩や天親菩薩、そして中国の天台大師や日本の伝教大師が弘められないで、末法に遺された秘法とは何か
答えていう、
それは本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目の妙法五字である。
問うていう、
どうして正法および像法の時代に弘通されなかったのか。答えていう、もし正法および像法の時代にこれを弘通したならば、正法時代に流布すべき小乗教や権大乗教、像法時代に弘通すべき法華迹門の教えが、即時に滅亡するからである。
問うていう、
そんな仏法を滅亡させるような教えを、どうして末法の世には弘通するのか。答えていう、末法の時代には、大乗・小乗・権教・実教・顕教・密教等のすべての仏教は教えだけあって、それを修行して成仏する者は一人もいない。つまり世界中のすべての人々が謗法の重罪を犯している。そんな者には無理にでも妙法蓮華経の五字を聞かせて、逆らうことが成仏の因となる逆縁を結んでいくしかない。かの不軽菩薩の修行と同じである。私の門弟たちは妙法五字をそのまま信受する順縁の者であり、日本国の衆生は妙法の縁にさからう逆縁の者である。
疑っていう、
どうして広く法華経の一部や略して一巻一品を用いずに、ただ肝要たる妙法蓮華経の五字のみを勧めるのか。答えていう、経典の翻訳に関して、玄奘三蔵は略を捨てて広を好み、四十巻の大般若経を六百巻として訳出した。一方、鳩摩羅什は広を捨てて略を好み、千巻の大智度論を百巻として訳出した。今は羅什にならい、さらに日蓮は広も略も捨てて肝要を好むのである。それが上行菩薩が釈尊から付属された妙法蓮華経の五字である。中国の九包淵は馬を見分けるのに、毛色などの外見に関係なく駿馬を選び、支道林は経典を講義する際に、細かい分類にとらわれずに大意を取ったという。妙法蓮華経の五字は、釈尊が大地より涌現した宝塔の中に入って多宝如来と座をならべ、十方分身の諸仏を呼び集め、地涌の菩薩を召し出して、法華経の肝要を取って、末法の衆生のために授与された大法であることは、何ら疑う余地はない。
疑っていう、
今の世にそのような偉大な法が流布するに際し、何か前兆はあるのか。答えていう、法華経方便品の十如是には「このような相、乃至、諸法の色心因果は同一である」とあり、天台大師は法華玄義に「蛛が巣をかけると喜びごとがあり、鵲(かささぎ)が鳴くと客人が来る。些細なことでさえこのような前兆があるのだから、大事なことの場合は言うまでもない」などと述べている。
問うていう、
では、その前兆とは何であるか。
答えていう、
去る正嘉元年の大地震や文永元年の大彗星をはじめとして、それから後のいろいろな天災や地変等は、みな大法が流布する前兆である。仁王経に説かれた七種の災難・二十九の災難・無量無数の災難や、金光明経・大集経・守護経・薬師経などの諸経に説かれる種々の災難はみな現実のものとなった。ただし、仁王経が説く「二つや三つ、また四つ五つの太陽が出現する」という大天災だけはいまだ見えていなかったが、それも佐渡の住民によれば、今年の正月二十三日の午後四時頃に西の空に二つの太陽が現われたとか、あるいは三つの太陽が現われたという。また二月五日には東の空に明星が二つ並び出でて、その間は三寸ばかりであったともいう。この大難はこれまでの日本国になかった大天変といえようか。金光明経の王法正論品には「あやしい流星が走ったり、二つの太陽が同時に出たりすれば、他国から責められて、国民は騒乱する」とあり、首楞厳経には「あるいは二つの太陽が現われ、あるいは二つの月が出る」とあり、薬師経には「太陽や月に異常現象が起きる難がある」とある。金光明経には「彗星がたびたび現れ、二つの太陽が並んで昇り、日蝕が起こる」とあり、大集経には「仏法が滅亡すると、太陽や月は光を失う」とあり、仁王経には「太陽や月の運行は乱れ、季節は逆さまにめぐり、赤い太陽や黒い太陽が出現し、二つ三つ四つ五つの太陽が並び出る。あるいは日蝕で光が消え、太陽に一重二重三重四重五重の輪が現われる」等とある。この太陽や月などの異変は、仁王経の七難や二十九難、あるいは無量の難の中でも最大の悪難である。
問うていう、
これらの大中小の多くの災難はどうして起こるのか。答えていう、金光明経には「悪法を行ずる者を尊敬し、善法を修する者を苦しめて罰する」からと説かれ、
法華経や涅槃経にも同じように説かれている。また、金光明経には「悪人を尊敬して善人を罰するので、星宿の運行や風雨の時節も乱れる」とあり、大集経にも「仏法が衰えて、悪王や悪比丘がはびこり、正しい法を破壊する」とある。仁王経には「世相が乱れて聖人が去ってしまえば、かならず七難が起こる」とあり、また「法律を無視して比丘を捕縛し、囚人のように取り扱ったりすると、ほどなくして仏法が滅亡するだろう」とあり、
また「多くの悪心の比丘が専ら名誉や私欲を求めて、国王や太子・王子に向かって、進んで仏法を破壊する原因となる教えや、国を滅亡させる原因となる教えを説くだろう。すると、国王たちは正邪を分別できないので、その言葉を信じてしまう。これによって国が亡び、仏法が滅する」と説かれている。
これらの経文を明らかな鏡として現在の日本国を照らして見るに、天変地異などの大難のありさまは、あたかも割符を合わせたようだ。わが門弟たちよ、よく眼を開いて見るがよい。今、日本国には悪徳の比丘たちが出現して、天子や王子・将軍等に事実を曲げて中傷し、正しい法を弘める聖人を失おうとしている。
問うていう、
インドの弗舎密多羅王や会昌天子と通称される中国の武宗、また日本の物部守屋がそれぞれ仏法に弾圧を加えたり、滅亡させた時や、正法の行者である提婆菩薩や師子尊者らが殺された時に、どうしてこのような大難は起こらなかったのか。
答えていう、
災難というものは、時代により人によって大小の違いがある。正法千年と像法千年の間は悪徳の王や比丘たちは、あるいはインドの仏教以外の教えを用いたり、あるいは中国の道教の修行者を重んじたり、あるいは邪悪な神を信じたりして仏法を滅亡させた。つまり、仏法以外の教えで仏法を破ったので、その罪は重いように見えるが、いまだ軽い。それに対して、今の悪逆の王や比丘たちが仏法を滅ぼすのは、小乗教をもって大乗教を破り、方便の教えをもって真実の教えを滅ぼして、仏法によって仏法を滅ぼすので罪は重い。また、僧を殺したり寺塔を焼いたりせず、正法を信ずる心そのものを喪失させようとするので、その罪は重く、またそれに伴う災難も大きい。わが門弟たちよ、今の日本国のありさまをよく見て、いよいよ法華経を信ぜよ。つくづくと眼を凝らして明鏡である経文を見よ。天が瞋って災難をもたらすのは、人間に過失があるからである。二つの太陽が空に並んで出現するのは、一つの国に二人の国王が並び立つ前兆であって、王と王との戦いが起こるだろう。星が太陽や月の運行を乱すのは、臣下が王に害を及ぼす前兆である。複数の太陽が出現するのは、あらゆる世の中の争いが起こる前兆である。二つの明星が並んで出現するのは、太子と太子の争いが起こる前兆である。そして、このような大難が種々現れて国土が乱れた時、上行菩薩らの聖人が出現して本門の三大秘法を建立し、世界中に妙法蓮華経の五字が広く宣べ伝えられることは、決して疑いようがないだろう。
◆ 法華取要抄 〔C0・文永11年2月5日〜11月11日・富木常忍〕
扶桑沙門 日蓮之れを述ぶ
夫れ以みれば月支西天より漢土日本に渡来する所の経論五千七千余巻なり。其の中の諸経論の勝劣・浅深・難易・先後、自見に任せて之れを弁ずる者は其の分に及ばず。人に随ひ宗に依りて之れを知る者は其の義を紛紕す。
所謂 華厳宗の云く「一切経の中に此の経第一」。法相宗の云く「一切経の中に深密経第一」。三論宗の云く「一切経の中に般若経第一」。真言宗の云く「一切経の中に大日の三部経第一」。禅宗の云く、或は云く「教内には楞伽経第一」。或は云く「首楞厳経第一」。或は云く「教外別伝の宗なり」。浄土宗の云く「一切経の中に浄土の三部経末法に入りては機教相応して第一」。倶舎宗・成実宗・律宗の云く「四阿含並びに律論は仏説なり。華厳経・法華経等は仏説に非ず外道の経なり」。或は云く、或は云く。
而るに彼々の宗々の元祖等、杜順・智儼・法蔵・澄観・玄奘・慈恩・嘉祥・道朗・善無畏・金剛智・不空・道宣・鑑真・曇鸞・道綽・善導・達磨・恵可等なり。此等の三蔵大師等は皆聖人なり、賢人なり。智は日月に斉しく、徳は四海に弥る。其の上各々経律論に依り、更互に証拠有り。随って王臣国を傾け土民之れを仰ぐ。末世の偏学設ひ是非を加ふとも人信用するに至らず。爾りと雖も宝山に来たり登りて瓦石を採取し、栴檀に歩み入りて伊蘭を懐き取らば恨悔有らん。故に万人の謗りを捨てて猥りに取捨を加ふ。我が門弟委細に之れを尋討せよ。
夫れ諸宗の人師等、或は旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず、或は新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、或は自宗の曲に執著して己義に随ひ、愚見を注し止めて後代に之れを加添し、株杭に驚き騒ぎ兎獣を尋ね求め、智円扇に発して仰ぎて天月を見る。非を捨てて理を取るは智人なり。
今末の論師、本の人師の邪義を捨て置きて、専ら本経本論を引き見るに、五十余年の諸経の中に法華経第四法師品の中の已今当の三字最も第一なり。諸の論師、諸の人師定めて此の経文を見けるか。然りと雖も或は相似の経文に狂ひ、或は本師の邪会に執し、或は王臣等の帰依を恐るるか。所謂 金光明経の「是諸経之王」、密厳経の「一切経中勝」、六波羅蜜経の「総持第一」、大日経の「云何菩提」、華厳経の「能信是経最為難」、般若経の「会入法性不見一事」、大智度論の「般若波羅蜜最第一」、涅槃論の「今者涅槃理」等なり。此等の諸文は、法華経の已今当の三字に相似せる文なり。然りと雖も、或は梵帝・四天等の諸経に対当すれば是れ諸経の王なり。或は小乗経に相対すれば諸経の中の王なり。或は華厳・勝鬘等の経に相対すれば一切経の中勝なり。全く五十余年の大小・権実・顕密の諸経に相対して是れ諸経の王の大王なるに非ず。
所詮 所対を見て経々の勝劣を弁ふべきなり。強敵を臥伏するに始めて大力を知見する是れなり。其の上諸経の勝劣は釈尊一仏の浅深なり。全く多宝・分身の助言を加ふるに非ず。私説を以て公事に混ずる事勿れ。諸経は或は二乗凡夫に対揚して小乗経を演説し、或は文殊・解脱月・金剛薩P等の弘伝の菩薩に対向して、全く地涌千界の上行等には非ず。
今法華経と諸経とを相対するに一代に超過すること二十種之れ有り。其の中最要二有り。所謂 三五の二法なり。三とは三千塵点劫なり。諸経は或は釈尊の因位を明かすこと、或は三祇、或は動踰塵劫、或は無量劫なり。梵王の云く、此の土には二十九劫より已来知行の主なり。第六天・帝釈・四天王等も以て是の如し。釈尊と梵王等と始めには知行の先後之れを諍論す。爾りと雖も、一指を挙げて之れを降伏してより已来、梵天頭を傾け、魔王掌を合はせ、三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる是れなり。
又諸仏の因位と釈尊の因位と之れを糾明するに、諸仏の因位は或は三祇或は五劫等なり。釈尊の因位は既に三千塵点劫より已来、娑婆世界の一切衆生の結縁の大士なり。此の世界の六道の一切衆生は、他土の他の菩薩に有縁の者一人も之れ無し。法華経に云く「爾の時に法を聞く者は各諸仏の所に在り」等云云。天台云く「西方は仏別に縁異なり、故に子父の義成ぜず」等云云。妙楽云く「弥陀・釈迦二仏既に殊なる。○況や宿昔の縁別にして化導同じからざるをや。結縁は生の如く、成熟は養の如し。生養縁異なれば父子成ぜず」等云云。当世日本国の一切衆生弥陀の来迎を待つは、譬へば牛の子に馬の乳を含め、瓦の鏡に天の月を浮かぶるが如し。
又果位を以て之れを論ずれば、諸仏如来は或は十劫・百劫・千劫已来の過去の仏なり。教主釈尊は既に五百塵点劫より已来妙覚果満の仏なり。大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は、我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ是れなり。華厳経の十方台上の毘盧遮那・大日経・金剛頂経両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり。例せば世の王の両臣の如し。此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来教主釈尊の愛子なり。不孝の失に依りて今に覚知せずと雖も他方の衆生には似るべからず。有縁の仏と結縁の衆生とは、譬へば天月の清水に浮かぶが如し。無縁の仏と衆生とは、譬へば聾者の雷の声を聞き、盲者の日月に向かふが如し。
而るに或人師は釈尊を下して大日如来を仰崇し、或人師は世尊は無縁なり、阿弥陀は有縁なりと。或人師の云く、小乗の釈尊と、或は華厳経の釈尊と、或は法華経迹門の釈尊と、此等の諸師並びに檀那等、釈尊を忘れて諸仏を取ることは、例せば阿闍世太子の頻婆沙羅王を殺し、釈尊に背きて提婆達多に付きしが如きなり。二月十五日は釈尊御入滅の日、乃至十二月十五日も三界慈父の御遠忌なり。善導・法然・永観等の提婆達多に誑かされて阿弥陀仏の日と定め了んぬ。四月八日は世尊御誕生の日なり、薬師仏に取り了んぬ。我が慈父の忌日を他仏に替へるは孝養の者なるか 如何。寿量品に云く「我も亦為れ世の父、狂子を治せんが為の故に」等云云。天台大師云く「本此の仏に従ひて初めて道心を発し、亦此の仏に従ひて不退の地に住す。乃至、猶百川の海に潮すべきが如く、縁に牽かれて応生すること亦復是の如し」等云云。
問うて云く、法華経は誰人の為に之れを説くや。答へて曰く、方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り。上より下に向かひて次第に之れを読めば第一は菩薩、第二は二乗、第三は凡夫なり。安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之れを読めば滅後の衆生を以て本と為す。在世の衆生は傍なり。滅後を以て之れを論ずれば正法一千年・像法一千年は傍なり。末法を以て正と為す。末法の中には日蓮を以て正と為すなり。問うて曰く、其の証拠 如何。答へて曰く「況滅度後」の文是れなり。疑って云く、日蓮を正と為す正文 如何。答へて云く「諸の無智の人の悪口罵詈等し、及び刀杖を加ふる者有らん」等云云。問うて云く、自讃は 如何。答へて曰く、喜び身に余るが故に堪へ難くして自讃するなり。
問うて曰く、本門の心は 如何。答へて曰く、本門に於て二の心有り。一には涌出品の略開近顕遠は、前四味並びに迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり。二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品、已上一品二半を広開近顕遠と名づく。一向に滅後の為なり。
問うて曰く、略開近顕遠の心は 如何。答へて曰く、文殊・弥勒等の諸大菩薩・梵天・帝釈・日月・衆星・竜王等、初成道の時より般若経に至る已来は一人も釈尊の御弟子に非ず。此等の菩薩・天人は初成道の時、仏未だ説法したまはざる已前に不思議解脱に住して、我と別円二教を演説す。釈尊其の後に阿含・方等・般若を宣説し給ふ。然りと雖も全く此等の諸人の得分に非ず。既に別円二教を知りぬれば蔵通をも又知れり。勝は劣を兼ぬる是れなり。委細に之れを論ぜば或は釈尊の師匠なるか、善知識とは是れなり。釈尊に随ふに非ず。法華経の迹門の八品に来至して始めて未聞の法を聞いて此等の人々は弟子と成りぬ。舎利弗・目連等は鹿苑より已来初発心の弟子なり。然りと雖も権法のみを許せり。今法華経に来至して実法を授与し、法華経の本門の略開近顕遠に来至して、華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等位妙覚に隣り、又妙覚の位に入るなり。若し爾れば今我等天に向かひて之れを見れば、生身の妙覚の仏が本位に居して衆生を利益する是れなり。
問うて曰く、誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや。答へて曰く、寿量品の一品二半は始めより終りに至るまで正しく滅後の衆生の為なり。滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり。疑って云く、此の法門前代に未だ之れを聞かず、経文に之れ有りや。答へて曰く、予が智前賢に超えず。設ひ経文を引くと雖も誰人か之れを信ぜん。卞和が啼泣、伍子胥の悲傷是れなり。然りと雖も略開近顕遠・動執生疑の文に云く「然も諸の新発意の菩薩、仏の滅後に於て、若し是の語を聞かば、或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起こさん」等云云。文の心は、寿量品を説かずんば末代の凡夫皆悪道に堕せん等なり。寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く」等云云。文の心は上は過去の事を説くに似たる様なれども、此の文を以て之れを案ずるに滅後を以て本と為す。先づ先例を引くなり。分別功徳品に云く「悪世末法の時」等云云。神力品に云く「仏の滅度の後に能く是の経を持たんを以ての故に、諸仏皆歓喜して無量の神力を現じ給ふ」等云云。薬王品に云く「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」等云云。又云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」等云云。涅槃経に云く「譬へば七子あり。父母平等ならざるに非ざれども、然も病者に於て心即ち偏に重きが如し」等云云。七子の中の第一第二は一闡提謗法の衆生なり。諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり。諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり。此の一閻浮提は縦広七千由善那八万の国之れ有り。正像二千年の間未だ広宣流布せざる法華経を当世に当たりて流布せしめずんば釈尊は大妄語の仏、多宝仏の証明は泡沫に同じく、十方分身の仏の助舌も芭蕉の如くならん。
疑って云く、多宝の証明・十方の助舌・地涌の涌出、此等は誰人の為ぞや。答へて曰く、世間の情に云く、在世の為と。日蓮が云く、舎利弗・目オ等は現在を以て之れを論ずれば智恵第一・神通第一の大聖なり。過去を以て之れを論ずれば金竜陀仏・青竜陀仏なり。未来を以て之れを論ずれば華光如来、霊山を以て之れを論ずれば三惑頓尽の大菩薩、本を以て之れを論ずれば内秘外現の古菩薩なり。文殊・弥勒等の大菩薩は過去の古仏現在の応生なり。梵・帝・日・月・四天等は初成已前の大聖なり。其の上前四味・四教一言に之れを覚りぬ。仏の在世には一人に於ても無智の者之れ無し。誰人の疑ひを晴さんが為に多宝仏の証明を借り、諸仏舌を出だし、地涌の菩薩を召すや。方々以て謂れ無き事なり。随って経文に「況滅度後」、「令法久住」等云云。此等の経文を以て之れを案ずるに、偏に我等が為なり。随って天台大師当世を指して云く「後の五百歳遠く妙道に沾はん」。伝教大師当世を記して云く「正像稍過ぎ已りて末法太だ近きに有り」等云云。「末法太有近」の五字は我が世は法華経流布の世に非ずと云ふ釈なり。
問うて云く、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。問うて曰く、正像等に何ぞ弘通せざるや。答へて曰く、正像に之れを弘通せば小乗・権大乗・迹門の法門一時に滅尽すべきなり。問うて曰く、仏法を滅尽せるの法何ぞ之れを弘通せんや。答へて曰く、末法に於ては大・小・権・実・顕・密共に教のみ有りて得道無し。一閻浮提皆謗法と為り了んぬ。逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限るのみ。例せば不軽品の如し。我が門弟は順縁、日本国は逆縁なり。
疑って云く、何ぞ広略を捨てて要を取るや。答へて曰く、玄奘三蔵は略を捨てて広を好む、四十巻の大品経を六百巻と成す。羅什三蔵は広を捨てて略を好む、千巻の大論を百巻と成せり。日蓮は広略を捨てて肝要を好む、所謂 上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。九包淵が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取る。史陶林が経を講ぜしは細科を捨てて元意を取る等云云。仏既に宝塔に入りて二仏座を並べ、分身来集し、地涌を召し出だし、肝要を取りて末代に当たりて五字を授与せんこと当世異義有るべからず。
疑って云く、今世に此の法を流布せば先相之れ有るや。答へて曰く、法華経に「如是相 乃至 本末究竟等」云云。天台の云く「蜘虫掛かりて喜び事来たり、鵲鳴きて客人来たる。小事すら猶以て是の如し、何に況や大事をや」〈取意〉。
問うて曰く、若し爾れば其の相之れ有りや。答へて曰く、去ぬる正嘉年中の大地震、文永の大彗星、其れより已後今に種々の大なる天変地夭此等は此の先相なり。仁王経の七難・二十九難・無量の難、金光明経・大集経・守護経・薬師経等の諸経に挙ぐる所の諸難皆之れ有り。但し無き所は二三四五の日出づる大難なり。而るを今年佐渡の国の土民口に云ふ、今年正月二十三日の申の時に西方に二の日出現す。或は云ふ、三つの日出現す等云云。二月五日には東方に明星二つ並び出づ。其の中間は三寸計り等云云。此の大難は日本国先代にも未だ之れ有らざるか。最勝王経の王法正論品に云く「変化の流星堕ち二つの日倶時に出で、他方の怨賊来たりて国人喪乱に遭ふ」等云云。首楞厳経に云く「或は二つの日を見し、或は両つの月を見す」等。薬師経に云く「日月薄蝕の難」等云云。金光明経に云く「彗星数出で、両つの日並び現じ、薄蝕恒無し」。大集経に云く「仏法実に隠没せば、乃至、日月明かりを現ぜず」等。仁王経に云く「日月度を失ひ時節返逆し、或は赤日出で黒日出で二三四五の日出づ。或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現はる」等云云。此の日月等の難は七難・二十九難・無量の諸難の中に第一の大悪難なり。
問うて曰く、此等の大中小の諸難は何に因りて之れを起こすや。答へて曰く、最勝王経に云く「非法を行ずる者を見て当に愛敬を生じ善法を行ずる人に於て苦楚して治罰す」等云云。法華経に云く。涅槃経に云く。金光明経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、星宿及び風雨皆時を以て行らず」等云云。大集経に云く「仏法実に隠没せば、乃至、是の如き不善業の悪王と悪比丘と我が正法を毀壊す」等。仁王経に云く「聖人去る時は七難必ず起こる」等。又云く「法に非ず律に非ずして比丘を繋縛すること獄囚の法の如くす。爾の時に当たりて法滅せんこと久しからず」等。又云く「諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別へずして此の語を信聴せん」等云云。此等の明鏡を齎て当時の日本国を引き向かふるに天地を浮かぶること宛も符契の如し、眼有らん我が門弟は之れを見よ。当に知るべし、此の国に悪比丘等有りて、天子・王子・将軍等に向かひて讒訴を企て聖人を失ふ世なり。
問うて曰く、弗舎密多羅王・会昌天子・守屋等は月支・真旦・日本の仏法を滅失し、提婆菩薩・師子尊者等を殺害す、其の時何ぞ此の大難を出ださざるや。答へて曰く、災難は人に随ひて大小有るべし。正像二千年の間の悪王・悪比丘等は、或は外道を用ゐ或は道士を語らひ或は邪神を信ず。仏法を滅失すること大なるに似れども其の科尚浅きか。今当世の悪王・悪比丘の仏法を滅失するは、小を以て大を打ち、権を以て実を失ふなり。人心を削りて身を失はず、寺塔を焼き尽くさずして自然に之れを喪ぼす。其の失前代に超過せるなり。我が門弟之れを見て法華経を信用せよ。目を瞋らして鏡に向かへ。天瞋るは人に失有ればなり。二つの日並び出づるは一国に二の国王を並ぶる相なり。王と王との闘諍なり。星の日月を犯すは臣王を犯す相なり。日と日と競ひ出づるは四天下一同の諍論なり。明星並び出づるは太子と太子との諍論なり。是の如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之れを建立し、一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か。