唱法華題目抄

 

解説

 

『日祐目録』(写本の部)に収録される。番号38「南条兵衛七郎殿御書」断簡(第一紙終三行・第二紙・第三紙)の行間に日興筆にて略写(@『定本』204頁6行「無智人中」〜206頁初行「加るが如し。」まで。A194頁初行「されば末代」〜195頁4行「増地獄苦」まで)。また『新定』目録によれば神奈川県由井一乗氏蔵『日興本』がある由であるが、由井一乗氏は右日興略写が存す「南条兵衛七郎殿御書」第二紙を所蔵しており、それを指している可能性が高い。『富士一跡門徒存知事』に「文応年中常途ノ天台宗ノ儀分ヲ以テ且ク爾前法華ノ相違ヲ註シ給ヘリ」とある。日全『法華問答正義抄』第二・第六・第九に引用される。『日朝目録』に「於鎌倉名越」とあり、名越の草庵で執筆されたようである。「立正安国論」とほぼ同時期の執筆。当時の宗祖の法義を知る上で貴重な御書である。/本書は十五番の問答から成る。第一から第九までは問者の浄土信仰を破折する。先ず一番から五番の問答にて、問者が、『法華経』は上根の聖者の為の経であり、下根の者にとってはせいぜい結縁によって三悪道を免れるぐらいが関の山で六道生死を離れることがでず、それにひきかえ浄土教は易行にして下根でも往生ができると主張するに対し、『法華経』は下根の五十展転随喜の者ですらなお爾前の上根上智の功徳に勝るのであり、その『法華経』を誹謗することは重罪であり、三類の悪知識にたぼらかされて浄土教を信じ『法華経』を誹謗するは堕獄破国の因であると述べている。第六問答からは依法不依人の精神から、教判により『法華経』が真実経且つ下根をも救う経であり、浄土教は爾前権経であって、権実を雑乱する法然『選択集』は大謗法であると述べられる。注意すべきは教判を示す段で、『法華経』を中心に置きつつも『涅槃経』・『大日経』・『法華経』が同列に置かれており、これは「一代聖教大意」「守護国家論」と同じである。次に第十番問答は『法華経』を信ずる者の本尊、並びに常の行法が示される。本尊は『法華経』の題目、行儀は唱題であるが、後年のような徹底したものではなく、耐えたる者には仏菩薩の造立、更に読誦や一念三千観法も奨励している。第十一番問答では下根唱題の功徳が示され、『法華経』の肝心たる方便・寿量の一念三千法門は妙法の二字に収まることが示される。第十二番問答は弘教の方軌が示される。すなわち本已有善の衆生のためには仏の如く悲をもって将護し、今末代の本未有善の衆生に対しては、不軽菩薩や喜根菩薩のように、強いて説き聞かせ毒鼓の縁を結ばせることを本義とすべきであるとしている。これは「立正安国論」の国主の勢力による折伏に対して、国主も含めた一切衆生に対する宗祖および門下の弘教の在り方を示したものであり、後年「開目抄」に示される「不軽品の折伏」に通ずるものである。最後に十四番十五番問答では、唐土の奇特の人師が何故権実を弁えず『法華経』を詮としなかったのかとの問いに対し、彼らは権経に宿習ある故に実経に入らぬのであるとし、彼らがいかに奇特を示したとしてもそれにとらわれるべきではなく、ものの判断はそのような利根や通力よるのではなく、ただ法門の邪正に依るべきとして本抄を結んでいる。


 

 

〔第一問〕

 ある人が私に次のように問うた。世間一般の在家・出家の人たちは、たとえ法華経の教えを深く知らなくても、法華経一部八巻やその内の一巻、方便・安楽行・寿量・普門の四要品や自我偈、または経文の一句等を受持し、自分で読み書きし、他人にも読み書かせ、あるいは読み書きしないけれども、経典に向かって合掌礼拝して香華を供え、あるいは以上のような所作はしない人でも、他人が行ずるのを見て少しでも喜びの心を起こし、また国中に法華経が弘まることを悦んだりする。このようなわずかな修行の功徳によって世間の罪から逃れ、初めて聖位に入った声聞と同じように常に人界と天上界に生まれて、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちないようになったり、ついには法華経を悟る者となって十方の浄土に往生し、またこの娑婆世界でこの身のまま成仏することがあるのだろうか。どうか詳しく聞きたい。

 

〔第一答〕

 答えていう。法華経や涅槃経ならびに天台大師や妙楽大師の解釈から推しはかってみるに、その教えをさほど理解していない人であれ、ほんの一時でも法華経を信じて少しも謗らなければ、他の罪悪に引かれて悪道に落ちることはないと思われる。

 ただし、悪知識といって、ほんの少し方便として説かれた教えを知っている人が、智者のような顔をして、法華経は我々のような劣悪な機根には適していない深い教えである、などと親しげに語るのをなるほどと思いこみ、せっかく法華経に随喜した信心を捨てて他の教えに移ってしまって、生涯法華経の信仰に戻らない人は、悪道に落ちてしまうこともあるだろう。

 

〔第二問〕

 ただいまのお答えについて、疑問に思うことがあります。本当かどうか知りませんが、これは法華経に説かれていることですといって、ある智者が語られたことには、三千塵点劫という大昔に大通智勝仏という仏がおられた。その仏がまだ凡夫の国王であられた時に十六人の王子がおられたが、父王が出家して仏になり、数多くの聖教を説かれたので、十六人の王子たちもまた出家して、その仏のお弟子となられた。父の大通智勝仏は法華経を説かれた後に禅定に入られたので、十六人の王子の沙弥はその仏の前において交代で法華経を講説された。その説法を聴聞した人の数は幾千万にも及び、即座に悟りを得た人は不退の位に入った。

 また、いい加減に聴聞してただ法華経との縁を結んだだけの人々もいた。彼らは当座はもちろんのこと、その後も悟りを得て不退の位に入ることができずに、三千塵点劫という永い時間が経過した。その間、六道の迷いの世界を輪廻し続け、今度ようやく釈迦如来が法華経を説かれるのに値遇して、ついに不退の位に入ることができた。すなわち舎利弗・目連・迦葉・阿難という聖者たちである。

 また、さらに信心の浅薄な者がいて、彼らは過去はもちろんのこと、現在でも覚ることができずにいるので、今後も無数劫の間迷い続けていかなければならないのだろうか。果たして、私たちも大通智勝仏の十六人の王子の講説によって法華経と結縁した者なのだろうか、どうか。天台・妙楽の両大師は、この大通結縁の衆生は六即位の中の名字即および観行即に該当すると定められた。その名字即および観行即の位とは、一念三千の義理を理解し、十乗観法に習熟して、よく法華経の義理を心得た人が至る位である。

 また随喜功徳品に説かれる「一念随喜五十展転」という義も、天台および妙楽の解釈によれば、みな観行即の五種類の修行階梯の内、最初の随喜品に当たると定められている。下劣な凡夫にはとても及びがたい境界である。よって、末代の私たちのような法華経の一字一句のわずかな結縁だけで、教えの一分も理解しない者などは、とても悟りを得ることができずに、きっと限りなく永い間を迷い続けていくだろう。中国浄土教の道綽はこれを「理深解微」と表現し、法華の教えは非常に深いが、教えを受ける衆生の機根が浅いために、両者は適合しないと述べている。

 そんな私たちには、ただ阿弥陀仏の名号を唱え、次の世で西方の極楽世界へ往生し不退転の位に入り、阿弥陀如来や観音・勢至等の菩薩らが法華経を説かれる時に、それを聴聞して悟りを得るのが一番ふさわしい。その弥陀の本願は智恵の有無や人性の善悪、戒律の持破等を問題にせず、ただ一念にても名号を唱えれば、臨終の時には必ず阿弥陀如来がお迎えに来てくださる。

そのように考えると、この娑婆世界における法華経との結縁を捨てて極楽浄土に往生しようと思うのは、来たるべき永遠の迷いと決別して、一刻も早く法華経を悟るためということになる。

 法華経の深い教えを理解できない人々が、苦しみの多い娑婆世界で法華経の修行に時間を費やし、一向に念仏を唱えないならば、法華経の悟りを得ることはもちろん、極楽へ往生することもできずに、全く中途半端なことになり、結局は法華経をも粗末に扱う人となられるのではないか、と智者は申しています。これはいかがでしょう。しかも、今のお話しですと、わずかに法華経の結縁だけでは三悪道に落ちないというのみで、六道の輪廻からは抜け出せないことになります。

念仏の法門では、少しも教えについて知らなくとも、弥陀の名号を唱えさえすれば浄土に往生するというのですから、法華経よりも弥陀の名号のほうがはるかに勝れているように聞こえますが、どうでしょうか。

 

〔第二答〕

 答えていう、まことに立派な仰せであり、智恵ある人の言われることであれば、なるほどとも思いますが、もしもお話しのとおりであれば、少し疑問に思うことがあります。

 まず大通結縁の人々については大雑把に名字即・観行即の位を得た者と解釈されていますが、天台大師は正しくは名字即の位の者と定められています。しかも、彼らの中で退大取小と言って、法華経を捨てて権教に移り、ついに悪道に落ちたと見えるのは、まさしく法華経を誹謗して捨てた者たちである。たとえ教えを理解していたようであっても、法華経を誹謗する人であれば、三千塵点どころか永遠にわたって悪道を経めぐることになりましょう。

 また、五十展転・一念随喜の人々は観行即の初随喜品の者と解釈され、下劣な凡夫では到達できないと述べられたが、それでは末代の私たちが法華経に対して起こす一念の随喜は、法華経随喜品の中で説かれる一念随喜の中には入らないと仰せでしょうか。天台・妙楽の両大師がこの一念随喜を観行即の初随喜の位と解釈されたと言われたということは、それでは両大師がこれを名字即とされた解釈は捨てなければならないのか。

要するに、仰せになったことを詳しく検討してみると、恐縮ではありますが、どうも少しそれは謗法の罪になるのではなかろうか。なぜならば、法華経は私たちのような末代の凡夫には縁がないと言われましたが、それは末代の衆生がこの娑婆世界で法華経を信行しても利益がないという仰せでしょうか。もしそうだとしましたら、今のお言葉を聞いた末代の衆生の中には、これまでせっかく法華経を信じていた者もこれを捨て去り、まだ信行していない者はあえて信行しようとは思わないだろう。法華経に対する随喜の心を留めてしまわれるのだから、これが謗法の罪でなくて何であろう。もし衆生が謗法の者になってしまったら、どのように念仏を唱えられても往生されることは不可能でしょう。

 また、弥陀の名号を唱えて極楽世界に往生することができると仰せですが、どの経典や論疏を証拠としていわれているのだろうか。正確な証文がありますか。もしなければ念仏往生は頼みにはならない。前にも申しましたように、法華経は信じさえすれば、たいした理解がなくても三悪道に落ちることはありません。ただ六道から離れるには、幾分かの悟りがなければならないでしょうか。

しかし、悪知識に値って法華経を随喜する心を破られてしまっては、三悪道や六道からの出離はおぼつかないでしょう。 

 

 〔第三問〕

 ただいまの話しを聞いて、これはまた驚きました。というのも、法華経は末代の凡夫には適していないと智恵ある人が言われたので、そうかと思っていましたところ、今のご説明によれば、弥陀の名号を唱えても、法華経を誹謗した場合は往生もできない上に、悪道に落ちるといわれたが、これは聞き捨てならない事であります。そもそも、大通智勝仏の昔に法華経と縁を結んだ者が、謗法の罪によって六道を輪廻したと説かれているのは名字即の位の浅い者であり、

 また随喜功徳品で、仏滅後に法華経を聞いて一念随喜し、五十展転した者も同じく名字即および観行即の位の者であるという解釈は、どこにあるのでしょうか。詳しくお聞きしたいと思います。さらに、教えを理解せず、わずかに法華経を信じるだけの者は、悪知識にだまされて法華経を捨て去り、方便権教に移った結果として悪道に墜ちることがあるほかは、世間の悪業に引かれて悪道に墜ちることはないと言われるが、その証拠はあるのか。

 また、無智の者が念仏を唱えて往生するとは、どこに説かれているのかというお尋ねであるが、これはまた世にもめずらしい質問です。無量寿経などの浄土の三部経や、善導和尚らの経釈書の中に明らかに見ることができますので、何を疑われることなどあろうか。

 

〔第三答〕

 答えていう、初めに、大通智勝仏の時に結縁しながら大乗の教えから小乗の教えに退転した謗法の者は名字即の者であるというのは、私個人の意見ではない。天台大師は法華文句の第三に、「法を聞いても悟れず、後の世々に仏に値遇しながら今なお声聞の位にある者は、他ならない、かの大通仏の時の結縁衆である」と述べられ、妙楽大師は文句記第三の中で重ねてこの釈文の心を述べて、「いまだ五品の位に入らない者は、ともに結縁の者と名づける」と仰せです。これらは大通結縁の者は名字即の位であるという文意である。

 また、天台大師の法華玄義第六には大通結縁の者について、「信じる者も謗る者もともに成仏する。それは地に倒れた者がその地から起きあがり、喜根菩薩を誹謗した勝意が一度は地獄へ落ちたが、のちに成仏したのと同様である」と記されている。この文は、大通仏の時に結縁した者が三千塵点劫を経た原因は謗法にあり、それは勝意比丘が喜根菩薩を誹謗したのと同様であるという解釈である。五十展転の人については、五品の中の初めの初随喜の位という解釈もあり、また初随喜の位の先の名字即とする解釈もある。妙楽の文句記第十には、「初めに法会で聞いた者は初品である。第五十人は必ず随喜の位の初めにある人である」と見える。この文は、最初の会座で教法を聞いた人は必ず初随喜の位の内に入るが、次第に伝わっていった第五十人目の人は、初随喜の位の先の名字即の位であるという解釈である。その上、法師品に説かれる五種法師のうち、受持・読・誦・書写の四人は自分のために修行し、解説は他人教化のための修行である。また涅槃経で立てられる九品の位のうち、先の四人は深義を理解しない人であり、後の五人は理解する人である。文句記第十には、五種法師を解釈して「五種はすべてまだ観行五品の位に入っていない」とあり、「一向にまだ凡位にも入っていない」とも述べられている。五種法師には観行五品の位という解釈もあるが、ここでは五品以前の名字即の位であると解釈されている。

 以上の釈文によれば、教えの内容を理解しない名字即の凡夫が、法華経を聞いて随喜の心を起こした功徳は、法師品の経文に説かれる一偈一句を聞き一念でも随喜した者、また随喜功徳品に説かれる五十展転の者と同じ功徳と考えられます。

 法華経を信ぜずに誹謗する者の罪は譬喩品に詳しく説かれている。また法華経を持ち行じる者を誹謗する罪は法師品に説かれている。一方、法華経を信ずる者の功徳は分別功徳品と随喜功徳品に説かれている。謗法とは違背することであり、随喜とは随順することである。たとえ深い教えを知らなくとも、一念でも法華経の貴さを喜ぶ者は、違背と随順のどちらに入るでしょうか。

 また、末代の智慧なき者がほんの少し法華経を供養し随喜する功徳は、経文に説かれていないのか、どうか。その上、天台および妙楽の両大師は、法華経の中に説かれる童子が戯れに砂で仏塔を作った功徳や、一偈一句を聞いて随喜した功徳、五十展転の功徳について、他宗の人師がこれらはみな法華経以前の諸経に説かれるのと同じく上品の聖者の修行であると解釈したのを、謗法の者であると断定されている。それを浄土宗の者は自分勝手に解釈し、法華経は機根の高い者でなくては修行できないと決めつけて、末代の愚かな凡夫のためといいながら、彼らを迷わせておられるのは、自己矛盾ではないか。それゆえ妙楽大師は文句記の中で五十展転の人について、「おそらく誤解する者があり、初心の功徳が偉大であることを知らないで、功徳は上位の聖者のものと思い込んで初心を軽蔑するだろう。だから今、初心の行は浅くても功徳が深いことを示して、法華経の力の大きさを顕わす」と説いている。この文は、法華経は智慧の勝れた機根の者が精進してようやく理解できる教えであると、人がまちがって解釈するのを仏が恐れて、末代無智の下根の者がほんの少し随喜する功徳は、四十余年の法華経以前の諸経に説かれた上位の聖者が修行する功徳よりも勝れていることを表そうとして、五十展転の随喜の功徳が説かれたのである、という意味である。このように、天台大師は外道から小乗・権大乗に至るまですべて比較し、それらに説かれる上位の聖者の功徳よりも、法華経の最下である五十展転・一念随喜の人の功徳が勝れていると説明している。かのバラモン教の阿竭多仙人は十二年の間ガンジス河の水を耳の中に留め、耆兎仙人は一日で大海の水を吸いほしたという。このような神通力を得た仙人も、小乗の阿含経に説かれる三賢という浅い位の修行を行じる、何の通力を持たない凡夫の声聞には百千万倍劣っている。

 また、三明六通という不思議な力を得た小乗の舎利弗・目連等も、華厳・方等・般若等の諸大乗経の一偈一句を聞いて信受しただけで、いまだ煩悩を断せず一つの神通も得ない凡夫より、百千万倍劣っている。その華厳・方等・般若の諸大乗経に習熟した等覚の大菩薩であっても、法華経をほんの少し聞いて縁を結んだだけの、煩悩だらけの凡夫よりは百千万倍劣っていると、明らかに解釈されている。それゆえ今の念仏宗等の人々は、自分が方便の教えばかりを受け入れて、真実の法華経を信じることができないのだから、方等や般若の時の声聞乗や縁覚乗のように、わが身を大いに恥ずかしく思って当然なのに、その気配は微塵もない。それのみか、世間の人々が少しでも法華経の観音品や寿量品の自我偈などを読み、ときおり父母の追善のために法華経の一日写経を修する者などがあれば、それを邪魔して、「善導和尚は念仏に法華経をあわせて信仰することを雑行といい、往生できるのは百人中に一人か二人、千人中に三人か五人で、実際は千人の中に一人もいないといわれた。

 ましてや、智慧第一と称された法然上人は、末法の世で法華経を修行する者は小さな孫が祖父の大きな履をはくのと同じであり、また群賊等のようなものと批判されている」などといって、法華経を捨てさせようとしていますが、これでは師匠も弟子もともに阿鼻地獄に落ちてしまうだろう、と申し上げているのである。

 

〔第四問〕

 問うて云う、一体どのような態度や言葉で法華経を捨てさせるよう勧めているのでしょうか。大変に恐ろしく思います。

 

〔第四答〕

 答えて云う、初めに「智者が申されました」といわれたが、それこそが法華経を人びとから遠ざけようとする悪知識の言葉なのです。末代で法華経を滅ぼす者は、心の中では仏の聖教をすべて知り尽くしたと思っていても、実際には経の権実という大事を分別していない。彼らは袈裟や衣を身につけて一鉢を持ち、閑静な寺院の奥に居て、世間の人々からは大変な智者のように思われている。しかも法華経をよく理解しているように人々に思われ、世間からは偉大な神通力を得た阿羅漢のように尊敬されている者が、実は法華経を滅ぼすだろうと経文に見えます。

 

〔第五問答〕

問うて云う、その証拠は何か。答えて云う、法華経の勧持品では八十万億の菩薩がこの経を末法に弘める誓いを立てたが、その中に「多くの無智の者たちが聞くに堪えない言葉で悪しざまにののしったり、刀や杖で打ちかかる者がいても、私たちはみなよく堪え忍びます」とあり、妙薬大師は文句記に「初め一行は俗衆増上慢といって、慢心からまちがった考えを持つ世俗の人をいう」と解釈している。

つまり、この一行の経文は、在家の男女が方便権教を信奉する出家にだまされて、法華経の行者を敵のごとくに迫害することを意味するというのである。

 また、経文には「悪世の中の出家は悪賢く心はおもねり曲り、まだ得ていない悟りを得たように思い、高ぶる心が溢れかえっているでしょう」とあり、妙楽大師は文句記に「次の一行は道門増上慢である」と解釈している。つまり、この一行の経文は、悪世末法で爾前諸経を信奉する多くの出家は、「我れは法を得た」と慢心して、法華経を行ずる者に敵対することを意味するというのである。

 また、経文には「あるいは、人里離れた静寂の地に住み、律の規定どおりボロ布で作った法衣を着用して、自分こそ真実の仏道を修行していると思い込み、他人を軽蔑する者がいるでしょう。彼らは私欲をむさぼるために在家の人々に法を説き、世間の人からは六神通を体得した阿羅漢のように尊敬されるでしょう。この人は悪心を隠し持ち、いつも欲にまみれた世間の事のみを考え、みずからが修行に適した閑寂の地に住していることを笠に着て、そうでない私たち菩薩の欠点を指摘するでしょう。そして、彼らは『この菩薩たちは個人的な利益を求めるために、外道の教えを説き、経典を偽作して世間の人々を迷わしている。世間的な名誉を得ようとして、この経を説くのである』と非難するでしょう。いつも衆生の中で私ども菩薩たちを滅ぼそうとして、国王・大臣や祭祀をつかさどるバラモン、商工業者の富豪や僧侶たちに向かい、私たちを悪しざまに誹謗して、『この菩薩たちの所論は邪悪で、仏教以外の教えを説いている』というでしょう」とある。妙薬大師は文句記に、「三番目の七行の文は僣聖増上慢である」と解釈している。つまり、この七行の経文ならびに妙楽の解釈は、末法の悪世の中に多くの出家がいて、彼らは袈裟や衣を身にまとい一鉢を持って、静寂な寺院に居て、見た目から仏弟子の大迦葉や六神通を得た阿羅漢のように在家の人々から敬われ、何か言えば仏の金言のように仰がれて、法華経の行者を滅亡させるために、国王や大臣らに向かって、「この人は物事を正しく見ることができない者であり、その法門は誤った教えである」などと誹謗するという意味である。

 この三種類の人の中では、第一の俗人たちの誹謗よりも、第二の悪智恵にたけた出家たちの誹謗の方が耐えがたい。また第二の悪智恵にたけただけの出家たちよりも、第三の高僧らしく大寺院にいる出家の誹謗の方が甚だしい。この三種類の者たちとは、今の世の方便権教の経文に執着するだけの法師たちや、諸経論に見える「仏の悟りは言葉や文字では現わせない」という文を信じて坐禅だけにこだわる法師たち、そして彼らを信ずる在俗の人々を指すのである。これらの人びとは、仏が四十余年間に方便の教えとして説かれた諸経と、真実として説かれた法華経とを区別しないために、華厳・方等・般若等の時に説かれた「心仏衆生」「即心是仏」「即往十方西方」等の経文と、法華経に見える「諸法実相」や「即往十方西方」という経文とが、言葉こそ似ているものの、義理が違っていることを知ろうともしない。あるいは、諸経に説く「仏の真実は言語をこえたところ、心の滅したところにある」という文を見て、仏の一代の聖教には如来の真実は述べられていないなどと邪念を起こす。すると、悪鬼がこの三種類の人の身に入りこんで、末代の衆生に害を加え、国土をも破滅させるのである。それゆえ、勧持品には「濁悪の世間には数多くの恐怖がある。悪鬼が人々の身に入り込んで、法華経の行者をののしりはずかしめるだろう。〈中略〉彼らは、仏が衆生を導くために方便の教えを説くことを知らない」とある。この文は、濁悪の末法の出家は、自分が信奉している教法が方便として仏が説いた法門であることも知らないので、権教と実教の区別を明らかにする人が出現すると、その人をはずかしめ、迫害を加えたりするだろう。これは、まさしく悪鬼がわが身に入りこんでいることを知らないのである、という意味である。だから末代の愚人が恐れなければならないのは、刀や杖、虎や狼、十悪や五逆を犯した悪人たちではなく、法衣と鉄鉢を身に着けて、経文や教理をないがしろにする禅僧や、法華経以外の権経を勧める出家を尊敬し、真実の法華経を信行する人を憎む在家・出家の人々である。

 涅槃経の第二十二には「悪象等を恐れることはない。悪知識こそ恐れなければならない。なぜならば、悪象等は身体を傷つけても、心は破壊しない。しかし、悪知識は身体と心を共に破壊するからである。〈中略〉悪象に殺されても地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちない。悪友のために殺されると必ず三悪道に落ちてしまう」とある。この経文を釈して、章安大師は「悪象等は人々の身体は滅ぼしても、悪心を生じさせることはない。悪知識は甘い言葉や媚を使って悪心を起こさせ、善心を破壊してしまう。この善心の破壊を『殺す』というのであり、そのまま地獄に落ちることになる」と述べている。これは、悪知識とは甘い言葉をたくみに使って媚びおもねり、愚かな人の心に取り入って、その善心を破壊する者のことであるという意味である。およそこの涅槃経の文は、十悪や五逆を犯す悪人よりも、誹謗正法の者や善根を断じた闡提の者を恐れなければならないと誡めたものである。闡提の者というのは、人びとが法華経や涅槃経を嫌うように仕向ける者のことである。今の念仏宗の者たちは、因縁や譬え話でみずから法華経のことは知り尽くしたと宣伝し、世間の人々にも充分にそれを認めさせた上で、「この法華経の教えはあまりにも深いために、末代のおろかな凡夫の手には負えない」と述べ、強い弓と重い鎧はかよわい者の役には立たないなどと申すので、無智の人々は「その通りだ」と思って、実際には利益のない権教に心を奪われてしまい、わずかに法華経と縁を結んだ人々も心をひるがえしてしまう。また、他人が法華経を信行する様子を見てもよろこばないため、師弟ともに謗法の者となってしまう。その結果、謗法の人々が国中に充満して、せっかく仏事を奉修して法華経を供養し、先祖の追善をしようと思っても、念仏等を専らとする謗法の邪師がきて、末代の凡夫が法華経を信じても利益がないと説き聞かせることになる。

 すると、施主も「なるほど」と信じてしまうので、追善される父母・夫婦・兄弟等の聖霊はますます地獄の苦しみを増し、追善する子は不孝・謗法の者となり、法要を聴く人々もみな邪法を喜ぶ悪魔の従者となってしまう。日本国中の人々は、一見仏法を信じているように見えるが、本当の意味では全く信じてはいない。まれに仏法の正邪を弁える智者がいても、国中の人々から見捨てられ、守護の善神は法味を得ないために威光を失い、衆生の利益もかなわないので、この国を捨て去って他方の国土へ行ってしまわれる。そこで悪鬼はその隙に乗じて国中に入り込み、大地を動かし悪風を起こし、世間を混乱させて五穀の成長をも妨害する。

 すると、飢饉や渇水が続出し、人々の身体には邪悪な鬼神が入って精気を奪い去ってしまう。これを疫病という。

あらゆる人々は善心がなくなり、多くの人は悪道に落ちてしまうが、これはひとえに悪知識の邪悪な教えを信じることが原因である。仁王経には「多くの悪心の比丘が専ら名誉や私欲を求めて、国王や太子・王子に向かって、進んで仏法を破戒する原因となる教えや、国を滅亡させる原因となる教えを説くだろう。すると、国王たちは正邪を分別できないので、その言葉を信じこみ、まちがった法律や制度を作り、仏の正しい戒律に従わない。これが破仏・破国の因縁である」とある。これは、末法に出現する数多くの悪心の出家は、国王や大臣らの前で、国を安穏にするように見せかけて、ついに国を滅亡させる教えを述べ、仏法を弘めるように見せかけて、かえって仏法を失う教えを説くだろう。

 すると、深い道理を理解していない国王や大臣は彼らの言葉を受け入れてしまうので、国を破り仏教を失うことになる、という文意である。その時には日月も正常な運行ができず、時節も混乱して、夏は寒く冬は暖かくなり、秋には台風が吹き荒れ、赤色の日月が出て、突然に日蝕や月蝕が現われ、あるいは二つや三つの日が並び出る。また大火事や大風が起こり、流れ星等が出現して、飢饉や流行病が発生するだろう、と説かれている。

このように、国を滅ぼし人々を悪道に落とす者で、悪知識に過ぎる者はないであろう。

 

〔第六問〕

 問うて云う、前に智者が話されたこととして申し上げたのも、偏えに後生のことに関して疑問があり、その善悪をお聞きしたかったからである。今のお話で、かの智者の教えが恐ろしいものであることが分かりました。しかし、たった一つの文に対する理解もない私たちのような無智の者は、どのようにして法華経を信じたらよいのでしょう。また、どのような心得を持つ必要があるのでしょうか。

 

〔第六答〕

 答えていう、どうも私の話を確かなこととは思われていないようだ。おそらく、これは天魔や悪鬼が私の身に入り替わって、智者の説く善い法門を破ろうとしているとお疑いになっているからでしょう。おしなべて、賢ければみんな智者なのでしょうか。

 

〔第七問〕

 問うて云う、もしそのように疑うとしますと、わが身は愚者ですので、多くの智者のお言葉を疑って、信じるものは何もなく、むなしく一生を過ごさなくてはならないのでしょうか。

 

〔第七答〕

 答えて云う、仏は遺言に「法によって、人によってはいけない」と仰せになりましたので、経文の通りに説かない人の言葉は、たとえどんなに立派な人であっても、信用されてはならないでしょう。

 また「仏の真実が説かれた了義経によって、説かれていない不了義経によってはいけない」と仰せになりましたので、愚かさゆえに、一代聖教の前後の順序や教理の浅深について判断できない者は、了義経の説に従われなければなりません。ただし、了義経・不了義経といってもいろいろあります。阿含の小乗経は不了義経であり、華厳・方等・般若、そして浄土の観経等は了義経となる。

 また、成道以来四十余年間の諸経は法華経に対すると不了義経であり、法華経は了義経である。涅槃経を法華経と対比した場合、法華経は了義経であり、涅槃経は不了義経である。大日経を法華経と対比した場合は、大日経は不了義経であり、法華経は了義経である。それゆえに法華経以前の四十余年間の諸経と涅槃経はお捨てになって、了義経の法華経を師匠とお頼みなされよ。法華経は国王・父母・日月・大海・須弥山・天地のようであると思われよ。一方、諸経は関白・大臣・公卿および万民・衆星・江河・諸山・草木等のごとくであるとお考えあれ。我らの身は末代で悪業を専らとする愚者・鈍者であり、仏法を受け入れる十分な能力を持たない者である。国王は臣下よりも人々を助け、父母は他人よりも子を哀れみ、日月は衆星よりも暗闇を照らすものである。そんな国王であり父母であり日月である法華経が、末法の機根に適していないとすれば、ましてやその他の諸経ではなおさら救われないと考えられよ。

 また釈迦如来を始め、阿弥陀如来・薬師如来・多宝仏や観音・勢至・普賢・文殊等の仏・菩薩は、我らにとって慈悲の父母であるが、その仏・菩薩の慈悲の極理はただ法華経のみにあると理解されよ。法華経以外の諸経には悪人・愚者・鈍者・女人、そして仏になるべき機根を欠落した者を救済する秘術は説かれていないとお考えあれ。法華経が他の諸経に勝れている理由はまさにこの点にあるのです。ところが、昨今の学者が「法華経は一切経の中で最も勝れている」と讃めながら、同時に「しかし、末代の衆生の機根には合わない」と申すのを、人びとがみな信じ込んでしまっているのだから、彼らはまさしく謗法の人ではありませんか。

 ただ、ひたすらに思い切られるのがよいでしょう。どうせ、法華経の文字を破ったり切ったりしても、法華経の心を破ることはできない。

また、世間の悪業と法華経の教えを比較して、法華経を嫌うように仕向けても用いる人はいないが、ただ法華経とよく似た方便の教えをもってあれこれ誹謗したならば、人はついだまされてしまうと思われるがよい。

 

〔第八問〕

 問うて云う、ある智者が申されますには、「仏が成道後の四十余年間に説かれた諸経と、その後の八年間に説かれた法華経とでは、成仏に関していえば諸経はむずかしく法華経はやさしいけれども、往生に関しては双方ともに同じく修行しやすい教えです。法華経を読み書きしても十方の浄土や阿弥陀仏の国へも往生できるし、観無量寿経等の教えに従って弥陀の名号を唱えても往生することができる。これは、ただその人の能力と因縁によるのであって、あれこれ争う問題ではない。ただし、弥陀の名号は誰もが修行しやすいと思い、日本国中の人が行じ慣れていることなので、そういう意味では法華経等の他の修行より行じやすいのである」とのことですが、これはどうでしょう。

 

〔第八答〕

 答えて云う、智者の言われたのは確かにその通りでしょう。また世間の人々も多くはそれを正しいと思っているようです。

 しかし、私自身はこれに承伏できない。その理由は前にも申したように、末代の凡夫は基本的に愚かなので、智者と呼ばれる人もとても上代の智者に及ぶべくもなく、頼りにならないからである。むしろ愚者といわれるような人の説であっても、証拠となる経論の文が明らかであれば、決して軽蔑すべきではない。そもそも、無量義経は法華経を説くための序分の経典である。そして、仏が最初に寂滅道場で華厳経を説かれてから、今の霊鷲山における無量義経の説法までの年月を詳しく数えてみると、四十余年になる。その間に華厳・阿含・方等・般若の諸部の経々が説かれ、声聞・縁覚・菩薩の三乗と、さらに人間・天上を加えた五乗の衆生を対象とした教えが述べられた。

無量義経には、これらの諸経は永年にわたる菩薩の修行を説くこと、また仏の教説を随自意と随他意に分けた場合は随他意の教えであること、そして四十余年間の諸経と八年間の法華経とでは、用語は同じであっても意味内容が異なっていることを、「文辞は一つであるが、義はそれぞれ異なる」と説いている。

両者は成仏についても頓悟・漸悟等の相違があるので、往生だけが同じであるとはとても考えられない。しかも無量義経では、華厳・方等・般若の最も勝れている大乗経典や、その中に見える即座に悟りを得る教えや時間をかけて悟りを開く教えも、すべて「いまだ真実をあらわしていない」と説かれている。

このように大部な諸経でさえ未顕真実であるのに、どうして浄土の三部経等に説かれる極楽往生だけが未顕真実から漏れることなどあろうか。しかもこれは経典だけを指しているのではなく、年数を四十余年と明示し、その間のすべての教えを未顕真実と定めているのである。それゆえ、華厳・方等・般若等の諸経典に説かれる「阿弥陀仏の称名による極楽往生」という弥陀往生の説も未顕真実であることは疑いようがない。観無量寿経に見える弥陀往生の教えだけが、「苦難の多い修行の道」を説く未顕真実の諸経の中に入らないことなどがあろうか。もし仏がみずからの真意に随って説いた法華経の往生極楽の教えと、仏が衆生教化の方便として説いた観経の往生極楽を同じ易行道と定め、その易行の中でも特に観経の念仏往生は行じやすい教えだと主張するならば、それは権経と実経を混同する大謗法の過失である。しかも、一滴の水が集まって大海になり、一塵が積もって須弥山となるように、権経を捨てて実経を信じる人は増えず、逆に実経を信じていた人が権経に落ちてしまい、徐々に権経を信奉する者が国中に充満すれば、実経たる法華経を聞いて喜ぶ心も留まってしまう。すると、それは国に王がいなくなり、人間の魂魄が失われてしまったのと同じなので、法華・真言の教えを行じる山寺は荒れ果て、諸天善神や竜神等の聖者はみな国を捨て去って悪魔・鬼神が入れ替わり、国土には悪風が吹いて五穀も実らず、疾病が流行して人民は滅亡してしまうだろう。七、八年前までは、念仏以外の諸行では決して往生できない、それは善導和尚が往生礼讃に「念仏以外の諸行では千人のうち一人も往生できない」と決められた上に、法然上人の選択集に「念仏以外の諸行を投げ捨てよ、行ずる者は群賊である」と記される通りであるなどとうそぶいていたが、この四、五年は、日蓮が「選択集のような邪義を人々に説き勧める者は、謗法の罪によって、師匠も弟子・檀那もともに無間地獄に落ちると経文に述べられている」と主張したのが影響したのだろうか、はじめは念仏者がみな不審に思い、「念仏を唱えると地獄に落ちるという悪人・外道がいる」などと非難しましたが、「念仏者は無間地獄に落ちる」という言葉に促されて、各人が改めて選択集をくわしく読みなおした結果、まことに謗法の書と認識したのであろうか、千中無一の悪義を撤回して、念仏以外の諸行でも往生ができると念仏者たちが主張するようになった。

 けれども、所詮これは口先だけであって、本心では依然として千中無一だと思っている。愚かな在家信徒はこの本心にある謗法を知らずに、諸行でも往生できるという口先だけの言葉にだまされて、「念仏者は法華経を誹謗しないのに、法華経を誹謗していると聖道門の人が批判するのはまちがっている」と思っているようだ。しかし、この人たちは「諸行は千中無一である」と申す人よりも謗法の罪は重いのです。自分たちには過失はないと吹聴しながら、しかも念仏だけをさらに弘めようとだますのであるから、これはまさしく天魔の計略である。

 

〔第九問〕

 問うて云う、天台宗の人によれば、天台大師が法華以前の爾前経と法華経とを相対して、爾前経を嫌うのには二つの形があるという。一つは華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五部に約して、華厳から般若までの四十余年の諸部と法華経の部を比較して、爾前は麁悪な教えであり、法華は妙善な教えであるとする。もう一つは蔵・通・別・円の四教等に約して、法華以前の華厳・方等・般若等の中でも、円頓速疾の法門は妙善と讃め、三乗歴別の修行の法門は蔵・通・別の前三教と称して、麁悪として嫌うという。このように、同じ法華以前の諸経の教えでも、円頓速疾の円教は嫌わないで法華経と同じ一味の法門とするのは、どういうわけでしょうか。

 

〔第九答〕

 答えて云う、これに関して疑問を持つことは窮めて当然と思われます。天台大師や妙楽大師の時から今に至るまで多くの議論があるからです。

天台大師が著された三大部六十巻および五大部の章疏の中でも、教に約した時に爾前の円教を嫌う文章はないが、部に約した時には法華已前ということで爾前の円教をも嫌っている。

 また古来日本には二義があって、園城寺では智証大師の解釈に基づいて、教に約した時でも爾前の円教を嫌うとし、方や叡山の延暦寺では嫌わないという。

お互いに経文や釈義を出したり判断を加えたりしているが、いまだに解決を見ていない。ただし、我が日蓮の門流ではこの問題は決着しています。

というのも、天台大師は蔵・通・別・円の四教を立てて仏の一代聖教を判釈する時に、四つの筋目を設けた。一つは、爾前の諸経だけで四教を立てて、法華経には及ばないというもの。二つには、法華経と爾前経とを相対して両者の円教を同一とし、残された爾前経の蔵・通・別の三教を嫌うというもの。三つには、爾前の円教は他の三教を兼帯しているので別教の中に収めてしまい、蔵・通・別の前三教として嫌って、法華の円教だけを純粋な円教として立てるというもの。四つには、爾前の円教は法華の円教と同じとしながらも、法華経の二妙の中ではかれこれ相対した上に立てる円妙とは同じであっても、開会を内実とする絶待の円妙とは異なるというものである。この四つの道理に照らし合わせつつ天台大師の釈文の意味を考えることにより、疑問は氷解する。それぞれの証拠の文は秘すべきこともあり、また繁雑にもなるので今は省略する。

 また、法華経の本門において爾前の円と迹門の円とを共に嫌うことについては、異論の余地はない。

前にも触れたように、約教の時には爾前の円教を別教の中に収めて、前の蔵・通・別の三教を粗悪として嫌い、円教のみを妙善とする。この時、爾前の円教は無量義経にいう歴劫修行の中に入ってしまう。

 また伝教大師の註釈では、爾前における蔵・通・別・円の四教と頓・漸・不定・秘密の四教の八教は、無量義経の「四十余年いまだ真実をあらわさず」の経文に入れられ、あるいは爾前の蔵・通・別の三教は回り道、爾前の円教は直道、無量義経は大直道と規定されている。詳しくはその註釈を見るがよい。

 

〔第十問〕

 問うて云う。法華経を信ずる人は本尊や所作のかたち、そして日常の修行はどのようにしたらよいのでしょうか。

 

〔第十答〕

 答えて云う。第一に本尊は法華経八巻、またはその内の一巻・一品、あるいは法華経の題目を書いて本尊と定めよと、法師品ならびに神力品に示されている。

 また、できる人は釈迦如来および多宝仏の画像や木像を造って、法華経の左右に奉安してもよい。さらにできる人は、十方の諸仏や普賢菩薩の画像や木像を造り申し上げてもよい。次に所作のかたちは、本尊の御前では必ず坐る・立つ・歩くというかたちでなければならない。道場の外では行住坐臥のどのようなかたちでもよい。

 最後に、日常の修行は南無妙法蓮華経の題目を唱えよ。また、できる人は法華経の一偈・一句を読み申し上げてもよい。

 助行としては南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸菩薩・二乗・天人・竜神・八部等を心の趣くままに念じるがよい。

 今の世は愚者が多いので、一念三千の観法はあまり勧められないが、その志しのある人は必ず学習して実践するがよい。

 

〔第十一問〕

 問うて云う。ただ法華経の題目だけを唱えるという日常の修行には、どのような功徳があるのか。

 

〔第十一答〕

 答えて云う。釈迦如来は法華経を説こうとしてこの世に出られたけれども、成道後の四十余年間は法華経の御名を隠されて、もっぱら法華経のための方便の教えを説かれ、七十二歳で初めて法華経の題目を呼び出されたのであるから、諸経の題目には比較にならないほど法華経の題目は勝れている。しかも、法華経一部の肝心たる方便品の一念三千と寿量品の久遠実成の法門は、妙法の二字の中におさまっている。天台大師は法華玄義十巻を作成されて、第一巻には略して妙法蓮華経の五字の意味を述べられた。

第二巻から第七巻にかけては詳しく妙の一字について述べ、第八巻と第九巻には法蓮華の三字について解釈し、第十巻には経の一字について説明された。最後の経の一字の中には、華厳・阿含・方等・般若・涅槃等の一代諸経がすべて収められた。妙法の二字については、法華玄義では百界千如と心・仏・衆生の法門が説かれているとする。摩訶止観十巻では一念三千・百界千如・三千世間、そして心・仏・衆生の無差別が説かれていると説明されている。

 それゆえ、一切の諸仏・菩薩・十界の因果・十方の草木瓦礫等で妙法の二字におさまっていないものはない。華厳や阿含等の四十余年間の諸経の中でも、小乗経の題目の中には大乗経の功徳は収まっていないし、大乗経の中でも往生を説く経の題目には成仏の功徳は収まっていない。また王と呼ばれる経典であっても、王の中の王ではない経典もある。

仏もまたその経典に随うので、他の仏の功徳まではおさめない。仏の意趣は平等であるとか、法身は平等であるという理由から、諸仏は同じであるなどという意見があるが、実際には爾前諸経の仏に一切の仏の功徳がおさまることはない。一方、法華経は四十余年間の諸経の功徳を残らず収め、十方世界の法・報・応の三身を具足する諸仏をみな集めて釈迦仏の分身と説くので、一仏はそのまま一切仏であり、妙法の二字の中に諸仏はすべて収まっている。したがって、そんな妙法蓮華経の五字を唱える功徳は莫大である。諸仏の名号や諸経の題目の功徳は、あくまでも法華経の開会の力によってはじめて顕れることを念頭において、法華経の題目を唱えるがよい。

 

〔第十二問〕

 問うて云う。これまでお聞きした法門を念仏の智者に尋ね申し上げましたところ、次のようにおっしゃいました。つまり、法華経の勝れていることは言うまでもありません。ただし、能力のある人がみずから修行するのはよいけれども、それを能力のない末代の凡夫に向かって、すぐに機根をわきまえずに、爾前の教えを嫌って法華経を修行せよというのは、永年馴じんできた念仏を捨てさせ、また新たな法華経の信仰も親しむまでに至らず、結局はどっちつかずになってしまうだろう。

 また、機根の善し悪しを考慮せずに法華経をお説きになっても、信ずる者はともかく、もし誹謗する者があれば必ず地獄に落ちてしまうでしょう。

仏も四十余年の間に法華経をお説きにならなかったが、それは「もしも仏乗だけを讃めたならば、衆生はこれを誹謗して苦界に沈むだろう」と考えられたからである。仏ご在世中の衆生でさえこのようである。ましてや、末代の凡夫は言うまでもない。

 それゆえ譬喩品では、仏は舎利弗に向かって「無智の人の中でこの経を説いてはいけない」と誡めているのです、と言われました。これらの道理はどのように考えたらよいのでしょうか。

 

〔第十二答〕

 答えて云う。ただいま智者の仰せとしてお聞きしましたが、要するに末代の凡夫にはその機根をわきまえて法を説け、むやみに説いて彼等に誹謗させてはならないということでしょう。もしそのように言われたのでしたら、次のようにご返事するがよろしい。方便品の「もし仏乗だけを讃めれば」の経文や、譬喩品の「無智の人の中で法華経を説いてはいけない」などの経文をお出しになるのであれば、同じ法華経の常不軽品で、不軽菩薩が「すべての人々に向かっていう、私は深くあなたたちをを敬う」と言って、杖木瓦石で迫害されながらも礼拝行を続けられたという経文を、どうして考慮されないのかと申されよ。

 

〔第十三問〕

 問うて云う。同じ法華経の中に、このように全く矛盾する経文があるということは、何とも納得できませんので、その事をくわしくお聞きしたいと思います。

 

〔第十三答〕

 答えて云う。方便品等には機根をわきまえた上でこの経を説けとあり、不軽品ではたとえ誹謗する者があっても無理にでもこの経を説けと見えます。同一の経典でありながら、両説は火と水のごとくに相違している。これについて天台大師は法華文句の中で、「釈尊在世の衆生は過去に法華経を聞いた善根を持っていたので、釈尊は小乗や権教の教えを説いて、助け守りつつ教化された。一方、不軽菩薩の当時の人々は過去に法華経を聞くという善根を持っていなかったので、菩薩はただちに法華経を強いて説き聞かせ、成仏の種を下した」と解釈している。この文は、先ず過去に法華経を聞いた善根があり、しかも今生のうちに解脱を得ることのできる者のためには、即座に法華経を説くべきである。

 しかし、その中に法華経を聞いていまだ誹謗する者があるならば、しばらくの間は権経を説いて、機根を調えた後に法華経を説かなければならない。

一方、過去に法華経を聞くという善根もなく、現在も法華経を信じようとしない衆生は、そのままでも悪道に落ちてしまうのだから、無理にでも法華経を説いて聞かせ、誹謗させて逆縁を結ばせて、将来の成仏に備えよ、と解釈したものである。この解釈によれば、末法には過去に法華経を聞いた善根のない者は多く、善根のある者は少ない。このため、ほとんどの人が悪道に落ちることはまちがいないのだから、同じ悪道に落ちるならば、法華経を強いて説き聞かせて誹謗させ、その逆縁によってついには仏になるように教化すべきであろう。そうであれば、末法の今はまさに法華経を強く説き聞かせて、誹謗の逆縁を結ばせる時であることはまちがいなかろう。

 また法華経の方便品には五千人の増上慢の人びとが登場する。仏は略開三顕一の教えを説き終わり、続いて広開三顕一の教えを説こうとした際に、神通力で彼らを退座させて、後に涅槃経や仏滅後の四依の菩薩の教導によって、今生に悟りを得るようにされた。一方、諸法無行経の中に、昔、喜根菩薩が勝意比丘に対して大乗の法門を強いて説き聞かせて、誹謗させて逆縁を結ばせたことが説かれているが、この二つの相違について天台大師は解釈し、「釈迦如来は悲の心から退座させ、喜根菩薩は慈の心から無理に説き聞かせた」と述べている。この文の意味は、釈尊は悲の心から成仏の楽しみを後回しにされて、増上慢の人々に即座に法華経を説き聞かせると、彼らはこれを誹謗して地獄に落ち、長い苦しみにあうことを悲しまれて、わざと退座させられたのである。

それは、母親が子どもの病気を知りながら、当座の苦痛を思いやって簡単に灸をすえないようなものである。方や、喜根菩薩の方はその時の苦痛は考慮せず、後の成仏という楽しみを考えて、無理に法華経を説いて聞かせた。たとえば父親が子どもの病気を見て、その場の苦痛よりも後の楽を思って、直ちに灸をすえるようなものである。

 また、仏は覚りを得てからも四十余年間にわたって法華経を秘しておられたので、仏の次位の等覚の菩薩や不退の位にある菩薩でさえもその名を知らなかった。しかも、寿量品などは法華経の八年間にわたる説法の中でもその名を秘されて、やっと最後に説き聞かせられた。

ましてや、末代の凡夫などに容易に聞かせることはないだろうと思ったところ、妙楽大師は「仏在世の人々は成仏すべき機根なので、順序立てて教を説いたが、末法の衆生は聞法の縁を結ばせる機根なので、直ちに説き聞かせる」と説明されている。

この文の意味は、仏の在世中は、その間に多くの人びとが不退転の位にのぼることができる時だったので、法華経を説いても誹謗しないように、よく機根を調えてから説き示した。それに対して、仏の滅後はこのような機根の者は少なく、むしろ結縁の必要な者が多い時代なので、多数をとってとにかく法華経を説くべきである、という文である。この結縁の必要な者にも多くの種類がある。

 また、末代の人師の多くは機根をわきまえることができない。機根が分からない時は無理にでもただ実教を説くべきだろう。天台大師は、「機根の類別が判然としない場合は、ただ大乗を説いておけば過失はない」と法華文句に述べている。これは、機根が分からなければ大乗の教えを説いても間違いにはならないという意味である。

 また、その時代の機根をよく見て説法する方法もある。国中の人がみんな権経を信じて、実経を誹謗して信用しない時は、叱り責める心をもって実経を説くべきであろう。その時々によって方法は選択しなければならない。

 

〔第十四問〕

 問うて云う。中国の人師の中に、ひとえに権大乗の経に執着して実経に入ろうとしない一部の者がいるのは、どういうわけでしょうか。

 

〔第十四答〕

 答えて云う。釈尊は出世・成道してからの四十余年間には小乗および権大乗の諸経を説かれ、その後に法華経を説かれたが、その方便品の中には「たとえ一人の衆生であっても、大乗教でなく小乗教で教化することがあれば、私は慳貪の罪に落ちるだろう。それはあってはならないことである」と見える。

この文の意味は、仏がただ爾前の諸経だけを説いて法華経を説かれなければ、その仏は正法を惜しむという慳貪の罪を犯すことになるというものである。

また属累品では、仏は右手ですべての世界の四百万億那由佗の国土から集まってきた菩薩たちの頭を三回なでて、「未来において必ず法華経を説きなさい。もし機根が法華経の教えに適合しない場合は、四十余年の諸経の中で勝れた法門が説かれた経典を用いて、機根を調えてから法華経を説きなさい」と教えられた。

最後の涅槃経では重ねてこのことに触れて、「仏の滅後には衆生を教導する四種の菩薩があり、また衆生が依りどころとする四種の法があるが、最後に実経を説かない者は天魔であると知れ」と説かれている。

このため、如来の滅後五百年から九百年の間に世に出られたインドの竜樹菩薩や天親菩薩等は、広く仏の教えを弘められたけれども、天親菩薩などは最初に小乗の説一切有部の人として倶舎論を著し、仏が十二年間に説かれた阿含経の真意を述べて、大乗の義理には及ばなかったが、

続いて十地経論や摂大乗論の釈論などを著し、先ず仏が四十余年間に説かれた権大乗の教えを内容を述べ、最後に仏性論や法華論等を著して、おおよそ実大乗の教義を示された。これは竜樹菩薩の場合もまた同様である。

天台大師は中国の人師として、仏の一代諸経を大小の二乗や権実の二経に分類して、それぞれの義理を明示された。その他の人師たちは、少しばかり諸経の義理を説いたけれども明らかではなく、また証拠の文も確かなものではなかった。

また、インド後代の論師や翻訳者、そして中国の人師の中には、大乗と小乗は分けても、さらに大乗を権実の二教に分けなかったり、あるいは言葉では一応分けていても、心の中で権大乗の教えに執着する者がいた。これらの人たちは、仏が方便品に「無数の不退の位にある菩薩たちは、一心に仏の智恵を求めるけれども、また知ることはできない」と説かれた菩薩かと思われます。

 

〔第十五問〕

 疑って云う。中国の人師の中で、十一面観音の化身といわれた慈恩大師は歯から光明を放ち、阿弥陀の化身といわれた善導和尚は口の中から仏を出現させたと伝えられる。この外にも、不思議な力を現わして衆生を利益し、悟りを得た人も多く世に出られたが、どうして権実の二経をわきまえ、法華経を尊重しなかったのだろうか。

 

〔第十五答〕

 答えて云う。昔、インドの阿竭多仙人という外道は、十二年もの間、耳の中にガンジス河の水をとどめ、婆籔仙人は自在天と変じて三つの目を現わした。中国の道士の中でも、張階は霧を出してみせ、鸞巴は雲を吐いてみせた。

涅槃経には、「第六天の魔王は、仏の滅後に在家・出家の男女や阿羅漢・辟支仏のすがたを現じて、四十余年間の諸経を説くだろう」と見える。

このように不思議な通力だけで、その人が智者か愚者かの判断はできないようだ。ただ仏の遺言にあるように、ひたすら方便の諸経を弘めて、ついぞ真実の法華経を弘めない人師は、過去世に方便の教えとの強い因縁があって、法華経の教えに帰依できない者であり、あるいは悪魔がその身に入って通力を現じているのだろうか。

すべては、ただ法門の正邪だけで判断していかなければならない。少しばかりの勝れた機根や不思議な通力などにとらわれてはいけない。

 

 

文応元年〈太歳庚申〉五月二十六日  日蓮花押

 

 

鎌倉の名越において書き終えた。

 

 

 

 


 

 

◆ 唱法華題目抄 〔C4・文応元年五月二八日〕

 


 有る人予に問うて云く、

世間の道俗させる法華経の文義を弁へずとも、一部・一巻・四要品・自我偈・一句等を受持し、或は自らもよみかき、若しは人をしてもよみかかせ、或は我とよみかかざれども、経に向かひ奉り、合掌礼拝をなし、香華を供養し、或は上の如く行ずる事なき人も、他の行ずるを見てわづかに随喜の心ををこし国中に此の経の弘まれる事を悦ばん。是れ体の僅かの事によりて世間の罪にも引かれず、彼の功徳に引かれて小乗の初果の聖人の度々人天に生まれて、而も悪道に堕ちざるがごとく、常に人天の生をうけ、終に法華経を心得るものと成りて十方浄土にも往生し、又此の土に於ても即身成仏する事有るべきや、委細に之れを聞かん。

 答へて云く、

させる文義を弁へたる身にはあらざれども、法華経・涅槃経並びに天台・妙楽の釈の心をもて推し量るに、かりそめにも法華経を信じて聊かも謗を生ぜざらん人は、余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず。但し悪知識と申してわづかに権教を知れる人、智者の由をして法華経を我等が機に叶ひ難き由を和らげ申さんを誠と思ひて、法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて、一生さて法華経へ帰り入らざらん人は、悪道に堕つべき事も有りなん。

 仰せに付きて疑はしき事侍り。

実にてや侍るらん。法華経に説かれて候とて智者の語らせ給ひしは、昔三千塵点劫の当初、大通智勝仏と申す仏います。其の仏の凡夫にていましける時十六人の王子をはします。彼の父の王仏にならせ給ひて、一代聖教を説き給ひき。十六人の王子も亦出家して其の仏の御弟子とならせ給ひけり。大通智勝仏法華経を説き畢らせ給ひて定に入らせ給ひしかば、十六人の王子の沙弥其の前にしてかはるがはる法華経を講じ給ひけり。其の所説を聴聞せし人幾千万といふ事をしらず、当座に悟りをえし人は不退の位に入りにき。又法華経をおろかに心得る結縁の衆もあり、其の人々・当座中間に不退の位に入らずして三千塵点劫をへたり。其の間又つぶさに六道四生に輪回し、今日釈迦如来の法華経を説き給ふに不退の位に入る。所謂 舎利弗・目連・迦葉・阿難等是れなり。猶々信心薄き者は、当時も覚らずして未来無数劫を経べきか。知らず、我等も大通智勝仏の十六人の結縁の衆にもあるらん。此の結縁の衆をば天台・妙楽は名字・観行の位にかなひたる人なりと定め給へり。名字・観行の位は一念三千の義理を弁へ、十法成乗の観を凝らし、能く能く義理を弁へたる人なり。一念随喜五十展転と申すも、天台・妙楽の釈のごときは皆観行五品の初随喜の位と定め給へり。博地の凡夫の事にはあらず。
 然るに我等は末代の一字一句等の結縁の衆、一分の義理をも知らざらんは、豈に無量の世界の塵点劫を経ざらんや。是れ偏に理深解微の故に、教は至りて深く、機は実に浅きがいたす処なり。只弥陀の名号を唱へて、順次生に西方極楽世界に往生し、永く不退の無生忍を得て、阿弥陀如来・観音・勢至等の法華経を説き給はん時、聞いて悟りを得んには如かじ。然るに弥陀の本願は有智無智・善人悪人・持戒破戒等をも択ばず。只一念唱ふれば臨終に必ず弥陀如来本願の故に来迎し給ふ。是れを以て思ふに、此の土にして法華経の結縁を捨て浄土に往生せんとをもふは、億千世界の塵点を経ずして疾く法華経を悟らんがためなり。法華経の根機にあたはざる人の、此の穢土にて法華経にいとまをいれて一向に念仏を申さざるは、法華経の証は取り難く、極楽の業は定まらず、中間になりて中々法華経をおろそかにする人にてやおはしますらんと申し侍るは如何に。其の上只今承り候へば、僅かに法華経の結縁計りならば、三悪道に堕ちざる計りにてこそ候へ、六道の生死を出づるにはあらず。念仏の法門はなにと義理を知らざれども、弥陀の名号を唱へ奉れば浄土に往生する由を申すは、遥かに法華経よりも弥陀の名号はいみじくこそ聞こえ侍れ。

 答へて云く、

誠に仰せめでたき上、智者の御物語にて侍るなれば、さこそと存じ候へども、但し若し御物語のごとく侍らば、すこし不審なる事侍り。大通結縁の者をあらあらうちあてがひ申すには、名字・観行の者とは釈せられて侍れども、正しく名字即の位の者と定められ侍る上、退大取小の者とて法華経をすてて権教にうつり、後には悪道に堕ちたりと見えたる上、正しく法華経を誹謗して之れを捨てし者なり。設ひ義理を知るやう(様)なる者なりとも、謗法の人にあらん上は、三千塵点・無量塵点も経べく侍るか。五十展転一念随喜の人々を観行初随喜の位の者と釈せられたるは、末代の我等が随喜等は彼の随喜の中には入るべからずと仰せ候か。是れを天台・妙楽初随喜の位と釈せられたりと申さるるほどにては、又名字即と釈せられて侍る釈はすてらるべきか。所詮 仰せの御義を委しく案ずれば、をそれにては候へども、謗法の一分にやあらんずらん。其の故は法華経を我等末代の機に叶ひ難き由を仰せ候は、末代の一切衆生は穢土にして法華経を行じて詮無き事なりと仰せらるるにや。若しさやう(左様)に侍らば、末代の一切衆生の中に此の御詞を聞いて、既に法華経を信ずる者も打ち捨て、未だ行ぜざる者も行ぜんと思ふべからず。随喜の心も留め侍らば謗法の分にやあるべかるらん。若し謗法の者に一切衆生なるならば、いかに念仏を申させ給ふとも、御往生は不定にこそ侍らんずらめ。又弥陀の名号を唱へ、極楽世界に往生をとぐべきよしを仰せられ侍るは何なる経論を証拠として此の心はつき給ひけるやらん。正しくつよき証文候か。若しなくば其の義たのもしからず。前に申し候ひつるがごとく法華経を信じ侍るは、させる解なけれども三悪道には堕つべからず候。六道を出づる事は一分のさとりなからん人は有り難く侍るか。但し悪知識に値ひて法華経随喜の心を云ひやぶられて候はんは力及ばざるか。

 又仰せに付きて驚き覚え侍り。

其の故は法華経は末代の凡夫の機に叶ひ難き由を智者申されしかば、さか(左歟)と思ひ侍る処に、只今の仰せの如くならば、弥陀の名号を唱ふとも法華経をいゐうとむるとがによりて往生をも遂げざる上、悪道に堕つべきよし承るは、ゆゆしき大事にこそ侍れ。抑 大通結縁の者は謗法の故に六道に回るも又名字即の浅位の者なり。又一念随喜五十展転の者も又名字観行即の位と申す釈は何れの処に候やらん、委しく承り候はばや。又義理をも知らざる者の僅かに法華経を信じ侍るが、悪知識の教によて法華経を捨て権教に移るより外の、世間の悪業に引かれては悪道に堕つべからざる由申さるるは証拠あるか。又無智の者の念仏申して往生すると、何に見えてあるやらんと申し給ふこそ、よ(世)に事あたらしく侍れ。双観経等の浄土の三部経・善導和尚等の経釈に明らかに見えて侍らん上は、なにとか疑ひ給ふべき。

 答へて曰く、

大通結縁の者を退大取小の謗法、名字即の者と申すは私の義にあらず。天台大師の文句第三の巻に云く「法を聞いて未だ度せず、而して世々に相値ひて今に声聞地に住する者有り。即ち彼の時の結縁の衆なり」と釈し給ひて侍るを、妙楽大師の疏記第三に、重ねて此の釈の心を述べ給ひて云く「但し未だ品に入らず倶に結縁と名づくるが故に」文。文の心は大通結縁の者は名字即の者となり。又天台大師の玄義の第六に大通結縁の者を釈して云く「若しは信若しは謗、因りて倒れ因りて起く。喜根を謗ずと雖も後要(かなら)ず度を得るが如し」文。文の心は大通結縁の者の三千塵点を経るは謗法の者なり。例せば勝意比丘が喜根菩薩を謗ぜしが如しと釈す。
 五十展転の人は五品の初めの初随喜の位と申す釈もあり。又初随喜の位の先の名字即と申す釈もあり。疏記第十に云く「初めに法会にして聞く、是れ初品なるべし。第五十人は必ず随喜の位の初めに在る人なり」文。文の心は初会聞法の人は必ず初随喜の位の内、第五十人は初随喜の位の先の名字即と申す釈なり。其の上五種法師にも受持・読・誦・書写の四人は自行の人、大経の九人の先の四人は解無き者なり。解説は化他、後の五人は解有る人と証し給へり。疏記第十に五種法師を釈するには「或は全く未だ品に入らず」。又云く「一向未だ凡位に入らず」文。文の心は五種法師は観行五品と釈すれども、又五品已前の名字即の位とも釈するなり。此等の釈の如くんば義理を知らざる名字即の凡夫が随喜等の功徳も、経文の一偈一句一念随喜の者、五十展転等の内に入るかと覚え候。
 何に況や此の経を信ぜざる謗法の者の罪業は譬喩品に委しくとかれたり。持経者を謗ずる罪は法師品にとかれたり。此の経を信ずる者の功徳は分別功徳品・随喜功徳品に説けり。謗法と申すは違背の義なり。随喜と申すは随順の義なり。させる義理を知らざれども、一念も貴き由申すは違背・随順の中には何れにか取られ候べき。又末代無智の者のわづかの供養随喜の功徳は経文には載せられざるか 如何。其の上天台・妙楽の釈の心は、他の人師ありて法華経の乃至童子戯・一偈一句・五十展転の者を、爾前の諸経のごとく上聖の行儀と釈せられたるをば謗法の者と定め給へり。然るに我が釈を作る時、機を高く取りて末代造悪の凡夫を迷はし給はんは自語相違にあらずや。故に妙楽大師、五十展転の人を釈して云く「恐らくは人謬りて解せる者、初心の功徳の大なることを測らずして、功を上位に推(ゆず)りて此の初心を蔑る。故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕はす」文。文の心は謬りて法華経を説かん人の、此の経は利智精進上根上智の人のためといはん事を仏をそれて、下根下智末代の無智の者の、わづかに浅き随喜の功徳を、四十余年の諸経の大人上聖の功徳に勝れたる事を顕はさんとして五十展転の随喜は説かれたり。
 故に天台の釈には、外道・小乗・権大乗までたくらべ来たりて、法華経の最下の功徳が勝れたる由を釈せり。所以に阿竭多(あかだ)仙人は十二年が間恒河の水を耳に留め、耆兎(ぎと)仙人は一日の中に大海の水をすいほす。此の如き得通の仙人は、小乗阿含経の三賢の浅位の一通もなき凡夫には百千万倍劣れり。三明六通を得たりし小乗の舎利弗目連等は、華厳・方等・般若等の諸大乗経の未断三惑の一通もなき一偈一句の凡夫には百千万倍劣れり。華厳・方等・般若経を習ひ極めたる等覚の大菩薩は、法華経を僅かに結縁をなせる未断三惑無悪不造の末代の凡夫には百千万倍劣れる由、釈の文顕然なり。而るを当世の念仏宗等の人、我が身の権教の機にて実教を信ぜざる者は、方等・般若の時の二乗のごとく、自身をはぢ(恥)しめてあるべき処に敢へて其の義なし。あまつさへ世間の道俗の中に、僅かに観音品・自我偈なんどを読み、適(たまたま)父母孝養なんどのために一日経等を書く事あれば、いゐさまたげて云く、善導和尚は念仏に法華経をまじふるを雑行と申し、百の時は希に一・二を得、千の時は希に三・五を得ん。乃至千中無一と仰せられたり。何に況や智恵第一の法然上人は法華経等を行ずる者をば、祖父の履、或は群賊等にたとへられたりなんどいゐうとめ侍るは、是の如く申す師も弟子も阿鼻の焔をや招かんずらんと申す。

 問うて云く、

何なるすがた並びに語を以てか、法華経を世間にいゐうとむる者には侍るや、よにおそろ(恐)しくこそおぼ(覚)え候へ。

答へて云く、

始めに智者の申され候と御物語候ひつるこそ、法華経をいゐうとむる悪知識の語にて侍れ。末代に法華経を失ふべき者は、心には一代聖教を知りたりと思ひて而も心には権実二経を弁へず。身には三衣一鉢を帯し、或は阿練若に身をかくし、或は世間の人にいみじき智者と思はれて、而も法華経をよくよく知る由を人に知られなんどして、世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて法華経を失ふべしと見えて候。

 問うて云く、

其の証拠 如何。

 答へて云く、

法華経勧持品に云く「諸の無智の人の悪口罵詈等し、及び刀杖を加ふる者有らん。我等皆当に忍ぶべし」文。妙楽大師此の文の心を釈して云く「初めの一行は通じて邪人を明かす。即ち俗衆なり」文。文の心は此の一行は在家の俗男俗女が権教の比丘等にかたらはれて敵(あだ)をすべしとなり。経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為(こ)れ得たりと謂ひ、我慢の心充満せん」文。妙楽大師此の文の心を釈して云く「次の一行は道門増上慢の者を明かす」文。文の心は悪世末法の権教の諸の比丘、我法を得たりと慢じて法華経を行ずるものの敵(あだ)となるべしといふ事なり。経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在りて、自ら真の道を行ずと謂(おも)ひて人間を軽賤する者有らん。利養に貪著するが故に、白衣の与(ため)に法を説いて、世に恭敬せらることを為(う)ること、六通の羅漢の如くならん。是の人悪心を懐き、常に世俗の事を念ひ、名を阿練若に仮りて、好みて我等が過を出ださん。而も是の如き言を作さん。此の諸の比丘等は利養を貪るを為(もっ)ての故に、外道の論議を説き、自ら此の経典を作りて世間の人を誑惑す。名聞を求むるを為ての故に分別して是の経を説く。常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向かひて、誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人、外道の論議を説くと謂はん」已上。大師此の文を釈して云く「三に七行は僣聖増上慢の者を明かす」文。経並びに釈の心は、悪世の中に多くの比丘有りて身には三衣一鉢を帯し、阿練若に居して、行儀は大迦葉等の三明六通の羅漢のごとく、在家の諸人にあふ(仰)がれて、一言を吐けば如来の金言のごとくをもはれて、法華経を行ずる人をいゐやぶらんがために、国王大臣等に向かひ奉りて、此の人は邪見の者なり、法門は邪法なりなんどいゐうとむるなり。上の三人の中に、第一の俗衆の毀りよりも、第二の邪智の比丘の毀りは猶しのびがたし。又第二の比丘よりも、第三の大衣の阿練若の僧は甚だし。
 此の三人は当世の権教を手本とする文字の法師、並びに諸経論の言語道断の文を信ずる暗禅の法師、並びに彼等を信ずる在俗等、四十余年の諸経と法華経との権実の文義を弁へざる故に、華厳・方等・般若等の心仏衆生・即心是仏・即往十方西方等の文と、法華経の諸法実相・即往十方西方の文と語の同じきを以て義理のかはれるを知らず、或は諸経の言語道断・心行所滅の文を見て、一代聖教には如来の実事をば宣べられざりけりなんどの邪念をおこす。故に悪鬼此の三人に入りて末代の諸人を損じ国土をも破るなり。故に経文に云く「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん、悪鬼其の身に入りて、我を罵詈し毀辱せん、乃至仏の方便随宜所説の法を知らず」文。文の心は濁悪世の時、比丘、我が信ずる所の教は仏の方便随宜の法門ともしらずして、権実を弁へたる人出来すれば、罵り破しなんどすべし。是れ偏に悪鬼の身に入りたるをしらずと云ふなり。
 されば末代の愚人の恐るべき事は、刀杖・虎狼・十悪・五逆等よりも、三衣一鉢を帯せる暗禅の比丘と並びに権経の比丘を貴しと見て実経の人をにくまん俗侶等なり。故に涅槃経二十二に云く「悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ。悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。何を以ての故に、是の悪象等は唯能く身を壊りて心を壊ること能はず。悪知識は二倶に壊るが故に。乃至悪象の為に殺されては三趣に至らず。悪友の為に殺されては必ず三趣に至らん」文。此の文の心を章安大師宣べて云く「諸の悪象等は但是れ悪縁にして人に悪心を生ぜしむること能はず。悪知識は甘談詐媚・巧言令色もて人を牽きて悪を作さしむ。悪を作すを以ての故に人の善心を破る。之れを名づけて殺と為す、即ち地獄に堕す」文。文の心は、悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧みにして愚痴の人の心を取りて善心を破るといふ事なり。総じて涅槃経の心は、十悪・五逆の者よりも謗法・闡提のものをおそるべしと誡めたり。闡提の人と申すは法華経・涅槃経を云ひうとむる者と見えたり。
 当世の念仏者等法華経を知り極めたる由をいふに、因縁譬喩をもて釈し、よくよく知る由を人にしられて、然して後には此の経のいみじき故に末代の機のおろかなる者及ばざる由をのべ、強き弓重き鎧、かひなき人の用にたたざる由を申せば、無智の道俗さもと思ひて実には叶ふまじき権教に心を移して、僅かに法華経に結縁しぬるをも翻し、又人の法華経を行ずるをも随喜せざる故に、師弟倶に謗法の者となる。之れに依りて謗法の衆生国中に充満して、適(たまたま)仏事をいとなみ、法華経を供養し、追善を修するにも、念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来たりて、法華経は末代の機に叶ひ難き由を示す。故に施主も其の説を実と信じてある間、訪はるる過去の父母・夫婦・兄弟等は弥(いよいよ)地獄の苦を増し、孝子は不孝謗法の者となり、聴聞の諸人は邪法を随喜し悪魔の眷属となる。日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず。
 適(たまたま)仏法を知る智者は、国の人に捨てられ、守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ、利生を止め、此の国をすて他方に去り給ひ、悪鬼は便りを得て国中に入り替はり、大地を動かし悪風を興し、一天を悩まし五穀を損ず。故に飢渇出来し、人の五根には鬼神入りて精気を奪ふ。是れを疫病と名づく。一切の諸人善心無く多分は悪道に堕することひとへに悪知識の教を信ずる故なり。仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別へずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず。是れを破仏破国の因縁と為す」文。文の心は末法の諸の悪比丘、国王・大臣の御前にして、国を安穏ならしむる様にして終に国を損じ、仏法を弘むる様にして還りて仏法を失ふべし。国王・大臣此の由を深く知ろし食さずして此の言を信受する故に、国を破り仏教を失ふと云ふ文なり。此の時日月度を失ひ、時節もたがひて、夏はさむく、冬はあたたかに、秋は悪風吹き、赤き日月出で、望朔にあらずして日月蝕し、或は二つ三つ等の日出来せん。大火・大風・彗星等をこり、飢饉・疫病等あらんと見えたり。国を損じ人を悪道におとす者は悪知識に過ぎたる事なきか。

 問うて云く、

始めに智者の御物語とて申しつるは、所詮後世の事の疑はしき故に善悪を申して承らんためなり。彼の義等は恐ろしき事にあるにこそ侍るなれ。一文不通の我等が如くなる者はいかにしてか法華経に信をとり候べき。又心ねをば何様に思ひ定め侍らん。

 答へて云く、

此の身の申す事をも一定とおぼしめさるまじきにや。其の故はかやうに申すも天魔波旬・悪鬼等の身に入りて、人の善き法門を破りやすらんとおぼしめされ候はん。一切は賢きが智者にて侍るにや。

 問うて云く、

若しかやうに疑ひ候はば、我が身は愚者にて侍り、万の智者の御語をば疑ひ、さて信ずる方も無くして空しく一期過ごし侍るべきにや。

 答へて云く、

仏の遺言に依法不依人と説かせ給ひて候へば、経の如くに説かざるをば、何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か。又依了義経・不依不了義経と説かれて候へば、愚痴の身にして一代聖教の前後浅深を弁へざらん程は了義経に付かせ給ひ候へ。了義経・不了義経も多く候。阿含小乗経は不了義経、華厳・方等・般若・浄土の観経等は了義経。又四十余年の諸経を法華経に対すれば不了義経、法華経は了義経。涅槃経を法華経に対すれば、法華経は了義経、涅槃経は不了義経。大日経を法華経に対すれば、大日経は不了義経、法華経は了義経なり。故に四十余年の諸経並びに涅槃経を打ち捨てさせ給ひて、法華経を師匠と御憑み候へ。
 法華経をば国王・父母・日月・大海・須弥山・天地の如くおぼしめせ。諸経をば関白・大臣・公卿・乃至万民・衆星・江河・諸山・草木等の如くおぼしめすべし。我等が身は末代造悪の愚者・鈍者・非法器の者、国王は臣下よりも人をたすくる人、父母は他人よりも子をあはれむ者、日月は衆星より暗を照らす者、法華経は機に叶はずんば況や余経は助け難しとおぼしめせ。又釈迦如来と阿弥陀如来・薬師如来・多宝仏・観音・勢至・普賢・文殊等の一切の諸仏菩薩は我等が慈悲の父母、此の仏菩薩の衆生を教化する慈悲の極理は唯法華経にのみとどまれりとおぼしめせ。諸経は悪人・愚者・鈍者・女人・根欠等の者を救ふ秘術をば未だ説き顕はさずとおぼしめせ。法華経の一切経に勝れ候故は但此の事に侍り。而るを当世の学者、法華経をば一切経に勝れたりと讃めて、而も末代の機に叶はずと申すを皆信ずる事豈に謗法の人に侍らずや。只一口におぼしめし切らせ給ひ候へ。所詮 法華経の文字を破りさきなんどせんには法華経の心やぶるべからず。又世間の悪業に対して云ひうとむるとも、人々用ゐるべからず。只相似たる権経の義理を以て云ひうとむるにこそ、人はたぼらかさるれとおぼしめすべし。

 問うて云く、

或智者の申され候ひしは、四十余年の諸経と八箇年の法華経とは、成仏の方こそ爾前は難行道、法華経は易行道にて候へ。往生の方にては同事にして易行道に侍り。法華経を書き読みても十方の浄土阿弥陀仏の国へも生まるべし。観経等の諸経に付きて弥陀の名号を唱へん人も往生を遂ぐべし。只機縁の有無に随ひて何れをも諍ふべからず。但し弥陀の名号は人ごとに行じ易しと思ひて、日本国中に行じつけたる事なれば、法華経等の余行よりも易きにこそと申されしは 如何。

 答へて云く、

仰せの法門はさも侍るらん。又世間の人も多くは道理と思ひたりげに侍り。但し身には此の義に不審あり。其の故は前に申せしが如く、末代の凡夫は智者と云ふともたのみなし、世こぞりて上代の智者には及ぶべからざるが故に。愚者と申すともいやしむべからず、経論の証文顕然ならんには。抑 無量義経は法華経を説かんが為の序分なり。然るに始め寂滅道場より今の常在霊山の無量義経に至るまで、其の年月日数を委しく計へ挙ぐれば四十余年なり。其の間の所説の経を挙ぐるに華厳・阿含・方等・般若なり。所談の法門は三乗五乗所習の法門なり。修行の時節を定むるには宣説菩薩歴劫修行と云ひ、随自意・随他意を分かつには是れを随他意と宣べ、四十余年の諸経と八箇年の所説との語同じく義替はれる事を定むるには「文辞は一なりと雖も而も義は各異なり」ととけり。成仏の方は別にして往生の方は一つなるべしともおぼえず。華厳・方等・般若、究竟最上の大乗経、頓悟・漸悟の法門、皆未顕真実と説かれたり。此の大部の諸経すら未顕真実なり。何に況や浄土の三部経等の往生極楽ばかり未顕真実の内にもれんや。其の上経々ばかりを出だすのみにあらず、既に年月日数を出だすをや。然れば、華厳・方等・般若等の弥陀往生已に未顕真実なる事疑ひ無し。観経の弥陀往生に限りて豈に多留難故の内に入らざらんや。
 若し随自意の法華経の往生極楽を随他意の観経の往生極楽に同じて易行道と定めて、而も易行の中に取りても猶観経等の念仏往生は易行なりと之れを立てられば、権実雑乱の失大謗法たる上、一滴の水漸々に流れて大海となり、一塵積もりて須弥山となるが如く、漸く権経の人も実経にすすまず、実経の人も権経におち、権経の人次第に国中に充満せば法華経随喜の心も留まり、国中に王なきが如く、人の神(たましい)を失へるが如く、法華・真言の諸の山寺荒れて、諸天善神・竜神等一切の聖人国を捨てて去れば、悪鬼便りを得て乱れ入り、悪風吹きて五穀も成(みの)らしめず、疫病流行して人民をや亡ぼさんずらん。
 此の七八年が前までは諸行は永く往生すべからず、善導和尚の千中無一と定めさせ給ひたる上、選択には諸行を抛てよ、行ずる者は群賊と見えたりなんど放語を申し立てしが、又此の四五年の後は選択集の如く人を勧めん者は、謗法の罪によって師檀共に無間地獄に堕つべしと経に見えたりと申す法門出来したりげに有りしを、始めは念仏者こぞりて不思議の思ひをなす上、念仏を申す者無間地獄に堕つべしと申す悪人外道あり、なんどののしり候ひしが、念仏者無間地獄に堕つべしと申す語に智恵つきて、各選択集を委しく披見する程に、げにも謗法の書とや見なしけん、千中無一の悪義を留めて、諸行往生の由を念仏者毎に之れを立つ。然りと雖も唯口にのみゆるして、心の中は猶本の千中無一の思ひなり。在家の愚人は内心の謗法なるをばしらずして、諸行往生の口にばかされて、念仏者は法華経をば謗ぜざりけるを、法華経を謗ずる由を聖道門の人の申されしは僻事なりと思へるにや。一向諸行は千中無一と申す人よりも謗法の心はまさりて候なり。失なき由を人に知らせて而も念仏計りを亦弘めんとたばかるなり。偏に天魔の計りごとなり。

 問うて云く、

天台宗の中の人の立つる事あり、天台大師、爾前と法華と相対して爾前を嫌ふに二義あり。一には約部、四十余年の部と法華経の部と相対して爾前は麁なり、法華は妙なりと之れを立つ。二には約教、教に麁妙を立て、華厳・方等・般若等の円頓速疾の法門をば妙と歎じ、華厳・方等・般若等の三乗歴別の修行の法門をば前三教と名づけて麁なりと嫌へり。円頓速疾の方をば嫌はず、法華経に同じて一味の法門とせりと申すは 如何。

 答へて云く、

此の事は不審にもする事侍るらん。然るべしとをぼゆ。天台・妙楽より已来今に論有る事に侍り。天台の三大部六十巻、総じて五大部の章疏の中にも、約教の時は爾前の円を嫌ふ文無し。只約部の時ばかり爾前の円を押しふさね(聚束)て嫌へり。日本に二義あり、園城寺には智証大師の釈より起こりて、爾前の円を嫌ふと云ひ、山門には嫌はずと云ふ。互ひに文釈あり、倶に料簡あり。然れども今に事ゆかず。但し予が流の義には不審晴れておぼえ候。其の故は天台大師、四教を立て給ふに四つの筋目あり。一には爾前の経に四教を立つ、二には法華経と爾前と相対して、爾前の円を法華の円に同じて前三教を嫌ふ事あり、三には爾前の円をば別教に摂して前三教と嫌ひ、法華の円をば純円と立つ、四には爾前の円をば法華に同ずれども、但法華経の二妙の中の相待妙に同じて絶待妙には同ぜず。此の四の道理を相対して六十巻をかんがうれば狐疑の氷解けたり。一々の証文は且つは秘し、且つは繁き故に之れを載せず。又法華経の本門にしては爾前の円と迹門の円とを嫌ふ事不審なき者なり。爾前の円をば別教に摂して、約教の時は「前三を麁と為し、後一を妙と為す」と云ふなり。此の時は爾前の円は無量義経の歴劫修行の内に入りぬ。又伝教大師の注釈の中に、爾前の八教を挙げて「四十余年 未顕真実」の内に入れ、或は前三教をば迂回と立て、爾前の円をば直道と云ひ、無量義経をば大直道と云ふ。委細に見るべし。

 問うて云く、

法華経を信ぜん人は本尊並びに行儀並びに常の所行は何にてか候べき。

  答へて云く、

第一に本尊は法華経八巻・一巻・一品・或は題目を書きて本尊と定むべしと、法師品並びに神力品に見えたり。又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書きても造りても法華経の左右に之れを立て奉るべし。又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし。行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし。道場を出でては行住坐臥をゑらぶべからず。常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱ふべし。たへたらん人は一偈一句をも読み奉るべし。助縁には南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸菩薩・二乗・天人・竜神・八部等心に随ふべし。愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず、其の志あらん人は必ず習学して之れを観ずべし。
 問うて云く、只題目計りを唱ふる功徳 如何。答へて云く、釈迦如来、法華経を説かんとおぼしめして世に出でましまししかども、四十余年の程は法華経の御名を秘しおぼしめして、御年三十の比より七十余に至るまで法華経の方便をまうけ、七十二にして始めて題目を呼び出ださせ給へば、諸経の題目に是れを比ぶべからず。其の上、法華経の肝心たる方便・寿量の一念三千・久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり。天台大師玄義十巻を造り給ふ。第一の巻には略して妙法蓮華経の五字の意を宣べ給ふ、第二の巻より七の巻に至るまでは又広く妙の一字を宣べ、八の巻より九の巻に至るまでは法蓮華の三字を釈し、第十の巻には経の一字を宣べ給へり。経の一字に華厳・阿含・方等・般若・涅槃経を収めたり。妙法の二字は、玄義の心は百界千如・心仏衆生の法門なり。止観十巻の心は一念三千・百界千如・三千世間・心仏衆生三無差別と立て給ふ。一切の諸仏・菩薩・十界の因果・十方の草木瓦礫等妙法の二字にあらずと云ふ事なし。華厳・阿含等の四十余年の経々、小乗経の題目には大乗経の功徳を収めず、又大乗経にも往生を説く経の題目には成仏の功徳を収めず。又王にては有れども王中の王にて無き経も有り。仏も又経に随ひて他仏の功徳をおさめず、平等意趣をもって他仏自仏とをなじといひ、或は法身平等をもて自仏他仏同じといふ。実には一仏に一切仏の功徳をおさめず、今法華経は四十余年の諸経を一経に収めて、十方世界の三身円満の諸仏をあつめて、釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に、一仏一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり。故に妙法蓮華経の五字を唱ふる功徳莫大なり。諸仏諸経の題目は法華経の所開なり、妙法は能開なりとしりて法華経の題目を唱ふべし。

 問うて云く、

此の法門を承けて又智者に尋ね申し候へば、法華経のいみじき事は左右に及ばず候。但し器量ならん人は唯我が身計りは然るべし。末代の凡夫に向かひて、ただちに機をも知らず、爾前の教を云ひうとめ、法華経を行ぜよと申すは、としごろの念仏なんどをば打ち捨て、又法華経には未だ功も入れず、有にも無にもつかぬやう(様)にてあらんずらん。又機も知らず、法華経を説かせ給はば、信ずる者は左右に及ばず、若し謗ずる者あらば定めて地獄に堕ち候はんずらん。其の上、仏も四十余年の間、法華経を説き給はざる事は「若但讃仏乗衆生没在苦」の故なりと。在世の機すら猶然なり。何に況や末代の凡夫をや。されば譬喩品には「仏舎利弗に告げて言く、無智の人の中に此の経を説くことなかれ」云云。此等の道理を申すは如何が候べき。

  答へて云く、

智者の御物語と仰せ承り候へば、所詮 末代の凡夫には機をかがみ(鑑)て説け、左右なく説いて人に謗ぜさする事なかれとこそ候なれ。彼の人さやうに申され候はば、御返事候べきやうは、抑「若但讃仏乗 乃至 無智人中」等の文を出だし給はば、又一経の内に「凡有所見・我深敬汝等」等と説いて、不軽菩薩の杖木瓦石をもってうちはられさせ給ひしをば顧みさせ給はざりしは如何と申させ給へ。

 問うて云く、

一経の内に相違の候なる事こそ、よ(世)に心得がたく侍れば、くはしく承り候はん。

  答へて云く、

方便品等には機をかがみて此の経を説くべしと見え、不軽品には謗ずとも唯強ひて之れを説くべしと見え侍り。一経の前後水火の如し。然るを天台大師会して云く「本已に善有り、釈迦は小を以て之れを将護し、本未だ善有らず、不軽は大を以て之れを強毒す」文。文の心は本と善根ありて今生の内に得解すべき者の為には直に法華経を説くべし。然るに其の中に猶聞いて謗ずべき機あらば暫く権経をもてこしらへて後に法華経を説くべし。本と大の善根もなく、今も法華経を信ずべからず、なにとなくとも悪道に堕ちぬべき故に、但押して法華経を説いて之れを謗ぜしめて逆縁ともなせと会する文なり。此の釈の如きは、末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや。
 又法華経の方便品に五千の上慢あり、略開三顕一を聞いて広開三顕一の時、仏の御力をもて座をたたしめ給ふ。後に涅槃経並びに四依の辺にして今生に悟りを得しめ給ふと、諸法無行経に、喜根菩薩、勝意比丘に向かひて大乗の法門を強ひて説ききか(聞)せ謗ぜさせしと、此の二つの相違をば天台大師会して云く「如来は悲を以ての故に発遣し、喜根は慈を以ての故に強説す」文。文の心は仏は悲の故に後のたのしみをば閣きて、当時法華経を謗じて地獄にをちて苦にあうべきを悲しみ給ひて、座をたたしめ給ひき。譬へば母の子に病あると知れども、当時の苦を悲しみて左右なく灸(やいと)を加へざるが如し。喜根菩薩は慈の故に当時の苦をばかへりみず、後の楽を思ひて強ひて之れを説き聞かしむ。譬へば父は慈の故に子に病あるを見て、当時の苦をかへりみず、後を思ふ故に灸(やいと)を加ふるが如し。
 又仏在世には仏法華経を秘し給ひしかば、四十余年の間等覚・不退の菩薩、名をしらず。其の上寿量品は法華経八箇年の内にも名を秘し給ひて最後にきかしめ給ひき。末代の凡夫には左右なく如何がきかしむべきとおぼゆる処を、妙楽大師釈して云く「仏世は当機の故に簡ぶ、末代は結縁の故に聞かしむ」と釈し給へり。文の心は仏在世には仏一期の間、多くの人不退の位にのぼりぬべき故に法華経の名義を出だして謗ぜしめず、機をこしらへて之れを説く。仏滅後には当機の衆は少なく結縁の衆多きが故に、多分に就きて左右なく法華経を説くべしと云ふ文なり。是れ体の多くの品あり。又末代の師は多くは機を知らず。機を知らざらんには強ひて但実教を説くべきか。されば天台大師の釈に云く「等しく是れ見ざらんは、但大を説くに咎無し」文。文の心は機をも知らざれば大を説くに失なしと云ふ文なり。又時機を見て説法する方もあり。皆国中の諸人権経を信じて実経を謗じ強ちに用ゐざれば、弾呵の心をもて説くべきか。時に依りて用否あるべし。

 問うて云く、

唐土の人師の中に、一分一向に権大乗に留まりて実経に入らざる者はいかなる故か候。

  答へて云く、

仏世に出でましまして先づ四十余年の権大乗・小乗の経を説き、後には法華経を説いて言く「若以小乗化 乃至於一人 我則堕慳貪 此事為不可」文。文の心は、仏但爾前の経計りを説いて法華経を説き給はずば、仏慳貪の失ありと説かれたり。後に属累品にいたりて、仏右の御手をのべて三たび諫めをなして、三千大千世界の外八方四百万億那由他の国土の諸菩薩の頂をなでて、未来には必ず法華経を説くべし。若し機たへずば、余の深法の四十余年の経を説いて機をこしらへて法華経を説くべしと見えたり。後に涅槃経に重ねて此の事を説いて、仏滅後に四依の菩薩ありて法を説くに又法の四依あり。実経をつひ(終)に弘めずんば天魔としるべきよしを説かれたり。故に如来の滅後、後の五百年、九百年の間に出で給ひし竜樹菩薩・天親菩薩等、遍く如来の聖教を弘め給ふに、天親菩薩は先に小乗の説一切有部の人、倶舎論を造りて阿含十二年の経の心を宣べて一向に大乗の義理を明かさず、次に十地論・摂大乗論釈論等を造りて四十余年の権大乗の心を宣べ、後に仏性論・法華論等を造りて粗実大乗の義を宣べたり。竜樹菩薩も亦然なり。天台大師、唐土の人師として一代を分かつに大小・権実顕然なり。余の人師は僅かに義理を説けども分明ならず、又証文たしかならず。但し末の論師並びに訳者、唐土の人師の中に大小をば分かちて大にをい(於)て権実を分かたず、或は語には分かつといへども心は権大乗のをもむき(趣)を出でず。此等は「不退諸菩薩、其数如恒沙、亦復不能知」とおぼえて候なり。

 疑って云く、

唐土の人師の中に慈恩大師は十一面観音の化身、牙より光を放つ。善導和尚は弥陀の化身、口より仏をいだす。この外の人師、通を現じ徳をほどこし三昧を発得する人世に多し。なんぞ権実二経を弁へて法華経を詮とせざるや。

 答へて云く、

阿竭多仙人外道は十二年の間耳の中に恒河の水をとどむ。婆籔仙人は自在天となりて三目を現ず。唐土の道士の中にも張階は霧をいだし、鸞巴は雲をはく。第六天の魔王は仏滅後に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・阿羅漢・辟支仏の形を現じて四十余年の経を説くべしと見えたり。通力をもて智者愚者をばしるべからざるか。唯仏の遺言の如く、一向に権経を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は、権経に宿習ありて実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をただすべし。利根と通力とにはよるべからず。


 文応元年〈太歳庚申〉五月二十六日  日蓮花押


 鎌倉名越に於て書き畢んぬ


 

 

 

 

 

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