聖訓一百題(第25)

堀 慈琳 謹講


日蓮ガ慈悲広大ナラバ、南無妙法蓮華経ハ万年ノ外未来マデモ流ルべシ。
     縮遺1509頁 『報恩抄』下


 ○此度は問答体に講ずる事と致します。


 問ふ、私は『報恩抄』を、再々繰返し拝読いたしますが、別して此前後の御文は、身を入れて読みも致し、諸師の御講義も御説法も幾度か聴聞致しまして、前文の

日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし

と大聖人様が仰せになったのは、印度出現の釈迦牟尼仏が「寿量品」で本地の久遠を示された其久遠一大円仏の本門の教主釈尊ではなくて、日本出現の凡夫僧身の日蓮大聖人であると深く信を付くべき事である事も、能く合点が参りました。其で今の御文と、直ぐ其下にある

日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳あり

無間地獄の道を塞ぎぬ

と云ふ二句の御文とを思ひ合せて、此は取りもなをさず、日本国より始まりて世界一同に尊信すべき本門の教主釈尊の内徳を開展せられた巧妙の御釈であり、自讃歓悦の御声であることも深く心底に徹しました。又、今の御文の

日蓮ガ慈悲広大ナラバ」 等とは、親の徳、

盲目ヲ開ケル功徳」 等とは、師の徳、

無間地獄ノ道ヲ塞ギ」 等とは、主の徳、

と云ふ事も御尤もで、此主師親の三徳を御一身に備へ給ふ大慈大悲の尊体は日蓮大聖人の外にはなく、『開目抄』の始終の主師親の御文も、『観心本尊抄』の末文も、何れも此と一対であることも、全然疑ひがありませんから、何故に他教団の人々が「本門の教主釈尊」と云ふ事と、「主師親の三徳」と云ふ事とを、別物に扱うて一大円仏と名を付けても、本仏と名を付けても、理想的の寧ろ空想に近い方に主付けんと為さるのは何故であらうか。

 矢張り『開目抄』は読んでも眼が開けぬので、『報恩抄』は読んでも宗祖への御恩報じが出来ぬのであらうと、自身の幸福を悦んで、限りなき法悦に浸りてをりますが、御笑ひくださるな、慾には限りがない。

 猶、此御文の下の「万年」と云ふ事と、「未来」と云ふ事と、「流るべし」と云ふ事を委しく承りたいと恩ひますが、先づ「万年」と云ふ事から聞かせてください。


 答ふ、「万年」と云ふことは、御書の中に到る処に出てをるので、大概は御存知の事であらうと思ひます。正法千年、像法千年、末法一万年と云ふて、釈迦仏が仏法在世界の年限を予言せられたのであります。

 正法千年と云ふは、釈迦仏の仏法が精神も型式も満足に行はれた時代で、像法千年とは、精神は亡びて型式だけが行はれた時代で、末法一万年と云ふのは、精神も型式も何れも満足でなく微弱な姿で、仏法目茶苦茶な時代が頗る永く続くと、諸経論に云ってある。

 今の御書の「万年」と云ふのは、此末法一万年の事であり、宗祖大聖人は末法万年の始めの231年に御入滅になった御方であります。                                                                                                                          
 尚、『摩耶経』等に云はるゝ正像末の三時を、『大集経』に云はるゝ五箇の五百歳と対照すると、能く此等仏法衰微の次第が明瞭になるから、図を鈎りて御覧に入れませう。

 『法華経』の中に「後五百歳」と各所に云ってあるのは、異説もありますが、五箇の五百歳の最後の五百歳、即ち仏滅後の2001年より2500百年迄で、末法万年の始めの500年であることは、御存知であらうと思ふ。


 問ふ、少し理解りにくうござります。仏暦の取り方にも依りませうが、現代は兎も角、末法に入りて1000年の内であり、又、五箇の五百歳は過ぎ去ってゐる事と思ふに、仏法界にも世法界にも、闘諍言訟は断へませぬのに、白法隠没とは見えませぬ。日本では50年前の廃仏騒ぎで、仏法漸滅と思ったのに、又盛り返した形がある。潰れそうで却って盛んになるやうな真宗、盛大になる噂ばかりでさほどにも無い日蓮宗、低級な天理教が大繁昌などは、何したものでせう。

 釈尊の予言もあてにはならぬ。仏法流布の日本・支那・印度各国、各其盛衰を異にしてるのが実歴史であるならば、正・像・末や五箇の五百歳は何処の国のことでありますか。日本の事とすれば支那の事でない。支那の事とすれば印度の事でない事になる。其れ計りぢゃない。年期や変遷の程度が、経々論是々になってをると云ふではありませんか。或人は此等の予言は、単に釈尊の警告に過ぎぬと云ってをりますのが、或は真実かと思ひます。

 答ふ、御尤ものお疑ひです。此等の盤根錯節を解き別けられたのが天台大師等の教相判釈と云ふもので、此を又一層吾人に理解りよくされたのが宗祖大聖人の各所の教相でありますが、宗祖巳後600余年の史実を並べて見ると、或は三時の弘経は警告であり方便であるやうに見ゆる辺もありますが、能く能く考ふれば実際であります。其は小事に探着せずして大局を見るべきであります。宗旨の三箇も宗教の五箇も仮設のものではありません。真剣の叫びで、矢張り三時の正・像・末は世にも人にも活きたる大週期でありますが、支那の古哲が云へるやうに「人盛んなるときは天に勝つ、天定まって人に勝つ」と云ふ道理に、人為が自然の大道理を狂はす事がある。平相国清盛入道が落日を扇ぎ返した世話のやうなもので、疾くに亡ぶべき衰ふべき非理邪曲の宗教でも、努力の粉飾で却って夕陽の輝きを添ふるものである。

 或る人類学者が云ったやうに、医学は人類改造の敵だ、病弱の者は自然に放任すれば早死して、強健なものが残りて強壮な良人種が繁殖すべき大道理である。此優生学が大に世界人類の良改造を為すのであるを、医学が種々に疾病を癒す方法を考へるので、強健に復せぬまでも、1年5年10年の寿命を不満足ながら延ばす事になる。人情と云ひ、慈善と云ふ方から見れば、其れが至当であらうけれども、優生改造の方から見ると人の寿命を延ばす医者は人類の敵だと云ふことになる。

 不健全の時代遅れの各宗教各仏教の大導師方は、努力して其宗旨の運命を延ばさるゝだけ、真実正当の仏教の大敵であるとも云へる。殊に此等の為に三時の弘経を妨碍せられ、釈尊の予言をも反古にする形になるのは残念の至りではあるまいか。

 けれども此等は長道中の中の一日一宿の照降何彼の思ひ設けぬ出来事である。自然は 「天定まって人に勝つ」 時、大道理の実現する時を信ずるがよからうと思ふ。


 問ふ、何とも気永な事を仰せらゝが、此について何か纏まった事を考へて居らっしやるか。


 答ふ、少しばかり考へとる。正・像・末の次第は、止むを得ぬ人情の堕落に任せた流転の場合で云はゞ降り坂であるから、何の努力も造作もいらぬが、自分は此を昇り坂に押し戻そうと思ふとる。此が吾人の念願である。否、宗祖大聖人の御遺命である。

和党共、二陣三陣と続け

と云はれたのは、此である。

 宗祖は日本国に出現して数々の受難に、既に死せる『法華経』の「勧持品」や「不軽品」の現文を活かされた。死せる『法華経』を活ける『法華経』と改められた。文字の経文に魂魄を入れられた。

 吾等は、宗祖1代30年の言行を活かすべく奮闘せにゃならぬ。其処で末法万年の仏法の闇黒時代を漸次に光明時代に改めねばならぬ。宗祖の点火せられた妙法の巨燈を世界の隅々までも明るくなるやうに、更に更に巨きく多くせねばならぬ。闇黒を幸ひに百鬼夜行と跳梁する悪教を、妙法の巨燈で眩死せしめねばならぬ。此が一面から見れば「末法即正法」である。釈尊仏法の末法万年の闇黒期の始めは日蓮妙法の正法の黎明期である。久遠即末法と云へば大業であるが、釈迦即日蓮と云ふたら小取舞はしで気が利いているかも知れぬ。最も斯うなるからには流転を許さぬ。成り放題を容るさぬ。惰容を許さぬ。不惜身命の緊粛の為通しであるべきで、正・像・末と流れ下るのが 「流転の三時」と名けて良いなら、末・像・正と次第に正気づくのは「還滅の三時、還源の三時」ではなからうか。流転、還源と、名目使ひをして良いか悪いかを知らぬ。自分が思ひ付いたのである。

 本山の中興、日有上人は其御時代を述懐して吾宗の末法だと云はれた。此は釈尊の末法を宗祖の正法と単的に見られた迄の事から出発した御言語である。万年と云ふ事、又は還滅の末・像・正と経由するなどの閑葛期を正法の終と見たいのであるけれども、此は大概の事で、賖促は猶教徒の勤惰如何にあることは勿論である。此で「藤に触れられたのではない。

 私は丁寧に考察し過ぎて、末法万年の其の末万年」の事は粗良からと思ふが、不備のところは「流ルべシ」の下で補ふことにしませう。

(未完)


                         『大日蓮』大正13年12月号


 問ふ、万年と云ふことは、どうやら分明ったやうであります。「未来」と云ふことを的確に御示しが願ひたい。幾年になりますか今では故人となられた荒木先生 と、現に健在してをらるゝ佐藤法師との間に問答があったやうに思ひますが、其は荒木さんが云はるゝには「万年の外未来」と云ふ此未来には大した深意はない。万年と云ふ重大な時間に多少の添物がある位である。其底意は、宗祖大聖人の本因下種の御化導は末法万年で尽きる。其から先は熟益時代で、其一定期が過ぎ、脱益時代の卒業となる。此万年の次期の熟脱の2時代は不断煩悩不離五欲の唯信行本因の時でない。見思、塵沙、無明の煩悩を伏したり断じたりする清浄禁慾の時代である。天台の六即の所判に従へば前のは理即・名字即時代、後の方は観行即・相似即、分真即・究責即の時代ぢゃから、末法万年とはガラリと趣きが異る。教主も凡夫僧を外相にする日蓮聖人ではない。爰に明確なる一期限が画せらるゝので、万年で全く本因凡夫の週期は尽きるのであるとの底意からの断定の様に思はれました。

 又、佐藤さんの方では、種・熟・脱の三益なんど云ふ名称は或方便に宗祖大聖が古人の説を使用せられた迄で、御自分の仏法の中には全く不用である。序に末法万年の語も不用のやうだ。寧ろ未来のあらん限り、即ち尽未来際まで無終期間が、宗祖の御和益期である。本因も本果もあったものでない、と云ふやうな御説であったやうに記憶してをりますのに、此議論は吾々としては大に興味を以て迎へましたけれども、何か依って起る動機が不純であったとかで、其れなりけりで、何れが何れとも結局がついてをらぬ。

 一時は其々内々左祖する方もあって、下馬評区々の中に、月を送り歳を迎へて、今では丸で噂にも出ないやうでありますが、一体、此 「未来」 と云ふのは何と見たら良いでせうか。


末法万年が即未来か。

未来のあらん限りが此の未来か。

何れか定めて頂きたいのです。


 答ふ、此は中々重大問題で、其当時、御二人に依って解決してもらへる事と心待ちに悦んだ私も其一人でありましたが、残念にも中止になりましたで、今に自分では能き分別が付きませんがね。

 併し、此等の重大問題を形付くるには何か依拠のあった方が、自分でも安心のやうであります。其れも依り所に依りけりですが、漫りに自己の理智やら又は胸臆に任せて自由な説明を加ふる事は、どうかすると誤謬の断定を来たす事にもなり、又、宗門が信仰を標榜する巳上は、禅宗流の超仏越祖の卓見は見合はするのが宜しかろうと思ふ。

 古聖も仏法の次第を立てゝ過去の七仏とし、最後の釈迦仏の仏法の終末を末法万年とせられて、今は減劫の時代ですから、弥々悪世の行きづまりを経て、増劫に移り、人寿八万歳の時に、次の仏として弥勒仏が出らるゝと云ふ事が通説となってをります。宗祖聖人も、此期間を

 「弥勒菩薩は都卒の内院に籠りて五十六億七千万歳を過ごし給へり」と仰せになってる。其所で釈迦より弥勒までは五十六億余年には仏法がない事になる。比は善世で仏聖人の御教訓を受くるやうな下凡はないから仏は出ぬ事にもなるが、大概は此永き中間を暗黒時代と悲観して「二仏の中間昏闇として」等の文句がザラに述べられてをる。

 宗祖聖人が、一面には「教相外づれ」等と仰せになりながらも囚はるゝ程、正・像・末の三時の弘経とも、種・熟・脱の三益とも仰せになってをるのは、大に味はふべき事ぢゃと思ひます。

 其処で、私等も、本因下種と云ふ事に取組りたい、末法万年と云ふ事に囚はれて居たい、と云うて、直下に天台の教相に亘して万年巳後は親行・相似等の伏惑断惑に進展するものぢやと骨張したくはない。正法千年にも一年十年の?除促が出来る。末法と云ふから像法の機根は許さぬと云ふ事はない。像法残機と云ふ事が末法の中で云はるゝ。万年が終末になったから本因下種の者は一人も仏法界に置かぬぞと云ふ、劇場のハネの如きことはあるまい。

 一応は斯く定めをいても、其処は其れ推移の支度が型の通りに運ばず、疾に退くべきものがヘパリツイて退かうとしない、進むべきものが未だ充分の準備が出来上らぬ等の手違ひもあることで、其縦容不定の所に、「万年の外未来」 と云ふ文字を充てたらどんなもんだらうかと思ひます。強ちに尽未来を骨張して本因下種を固執したり、末法万年限りと主張して、本果妙覚を憧憬するのも、何だか変なものと考へます。

 此は、自分には未だ此等の称奥を発く的確の法鍵を持たぬから、残念ながら不徹底である事を、御断りしてをきます。

 問ふ、今の御説は何だか御二人のを折衷せられた様で、曖昧に思へて何だか物足らぬ感じがしますが、何でせうか。

 答ふ、一往御尤も千万です。御一人御一人に就いて直に聞糺した訳ではありませぬが、多数の人の御内評には、荒木説より佐藤説に近い方だと云ふことを聞きましたが、若し尽未来を骨張するときは、末法万年の形はどうおつけになるつもりであるか、正・像・末も種・熟・脱も前方便としてサッパリと名目をも全廃なさるつもりであるか。私には此独断的な勇気は、中々出そうにありません。

(未完)


                         『大日蓮』大正14年1月号


 問ふ、「万年」と云ふ事と「未来」と云ふことは朧げながら理解りましたが、「流ルべシと云ふことは何云ふ意味でせうか。旧本には、本抄のも『八幡抄』のも「流布」となってをりますが、「流ル」と「流布」とに幾分の差異がありませうか。答ふ、此は大体経文の「広令流布」「広宣流布」の語から出たもので、流布の布を省きて流ると書いてあっても意味は流布と異りなく、又、広宣の二字がなくても、閻浮提の文字がなくても、閻浮としての全世界に広く流行することであります。

 『大集経月蔵分』に、「分布閻浮落品」と云ふのがありて、仏教の流布する国々の名を挙げてあります。流布と云ふときは源泉より流れ布くこと、分布と云へば源流より分れ広がることで、何れも同意味であります。

 問ふ、流れが段々に拡がって本源より支流支派が世界の各地に行きわたる時が、流布の終極でありませうか、広宣流布の終点は閻浮皆帰の時でありませうか。釈尊の仏教は兎も角、宗祖大聖の妙法は、現実の日本国の広布位で満足せずに全世界を目的とするとの事なら、広宣流布と云ふ範囲に自然に広狭が生ずる訳で、現今の如く日本国の中ですら、20分の一位しか(各教団を合せて)弘まってないのでも広宣流布と云へるでせうか。

 答ふ、厳格の意味では云へませんね。横に空間的に云へば、広宣でなくて狭宣ですからね。竪に時間的にして流布と云ふについても、古人は「流行」と「流溢」とに分ちて、流行り尽さぬのと、隅から隅から今き溢れたのにしてありますやうに、広空間の本義目的は閻浮提即現世界全体で流(時間)の終極は溢であります。其「流溢」の広布には、現今の趨勢では中々日暮れて道遠しの感があります。

 問ふ、或る時間を経て妙法が世界に行き亘る時が流溢の広宣流布と云ふ事なら、暫らく「流」と云ふ文字を借りて考へますに、此妙法の流に、滞ることや、乾くことや、涸るゝことはないでせうか。よしありとせば、其は流溢に至る道程中に、時々起るのでせうか。流溢し尽した上で流るべき所がないので、其処で沈滞するものでせうか。

 答ふ、能きお尋ねであります。道程中にも数々あるべきで、又、成満の上には必ず沈滞すべき事だらうと思ひます。
 始の道程中で申しますと、例を既往にとりますると、日蓮大聖の法運が、度々、壅塞せられてをります。留難は内からも外からも来ますが、内からのが痛手となります。神天上問題、国諌問題等で、日興上人対五老僧の不和、及び天目等の左傾は第一の内難で、法運が滞ってをります。日興上人の身延離山は、第二の内難です。永正・天文等の外線は却って反撥力を起して妨難とならなかった様であるが、永年に亘る本迹問題、種脱問題は、法運を塞ぐこと少なからず、内難の第三であります。不受不施の外難は、内部の動揺を誘起して、各方面に大疵を受けた内外難の第四であります。

 以上の外難には、流滞を来たしても一時で又回復する。内難は、一面の涸渇から来て流滞を来たす事となってをるから、容易に回復せぬ。御互が茲に深く留意せねば、千年万年たつたとて、広布の暁天は望むことは難かしい事である。

 次に、広布の大願満足して、全世界皆帰妙法の時となり、宗教も政治も何も彼も統一せられて、万民快楽の黄金世界が実現したる上には、何日となく文化爛熟し過ぎて、混沌界を現ずべきで、此時は末法だなんて云ふ名目は何人の考へにも消えてしまふ減劫でなくて増劫の域に入る。此善世が末法万年の内の或る時間から、所謂、次仏弥勒の世界に続くことであらうと思うたとて、まんざら夢物語ではなからうと思ふ。此時代は流溢に続いて起る流滞、流渇、流涸の時であるべきで、滞、渇、涸の文字は行溢の古説に私が補足して見たのであります。

 この場合を図に鈎れば、

 先づ此様な事にならう。いや此とて必ず斯うなるべきと云ふ理ではない。御互の怠慢から、広布が遅々して退屈千万でも三百由旬の化城を幻出する術さえ知らぬ愚僧の愚考であります。若し此様な説は蛇足だ無用だと一喝なさるなら、其はアナタは達士であり識者である。其様な方々が増々多くして一日も早く此の夢を覚ますべき大驚異の事実を見せてください。


                               『大日蓮』大正14年2月号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 荒木先生と佐藤法師との問答の、荒木は荒木清勇で、佐藤法師は佐藤慈豊である。
 両者の問答当時は、荒木清勇は日蓮正宗総講頭で、佐藤慈豊は大石寺在住の僧である。

 

 

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