秋元御書

 

 

筒御器を一具三十と、盞を六十を送って頂き確かに受取りました。

御器のことを、うつわものと読みます。大地のくぼんだ所に水がたまり、青天が浄ければ月も澄み、夜空に月が出ると大地の水も浄く見えますし、雨が降れば草木が昌えるのは自然の道理であります。

ちょうど器のくぼんでいるのは大地のくぼみのように、そこに水が溜まるのは池に水が入っていくように、その水に月影が浮かぶのは、法華経が我等信者の身中に入って御加護下さるようなものであります。

器には四つの失があります。一には覆といって、器のうつぶける(下向きに伏する)ことであります。またはくつがへること、または蓋を覆っていることであります。二には漏といって水の漏ることであります。

三には(う)といって汚れていることで、器の中の水がどんなに清くても、器が糞を入れて汚れた物であれば、誰も中の水を用いないのであります。

四には雑といって、たとえご飯は清くとも、糞や石・砂や土などを雑えたならば、人は食べることが出来ないのであります。
器は私達の身心を表したものであります。私達の心も口も耳も器なのであります。

法華経という教えは、仏様の知恵の法水を私達の心に入れられるのでありますが、実に難信難解の法であるために、法華経を聞いて、その法水を心に入れても、ある時は打ち返し、ある時は聞くまいとして左右の手をもって二つの耳を覆ったり、ある時は口に唱えないと、これを吐き出したりすることがありますが、これを譬えて言いますと器を覆して水が全然溜まらないような状態であります。

ある時は少しは法華経を信じているようであっても、また悪縁の誘惑に遇って信心が薄くなったり、あるいは信心を捨ててしまったり、あるいは信ずる日はあっても、時にはこれを捨てて信じない月があったりすることは、譬えて言えば器の水が漏れるような状態であります。
ある時は法華経を修行している人が、一口は南無妙法蓮華経と唱え、一口は南無阿弥陀仏と唱えるというように、信仰の上に正邪を混乱しており、清浄のご飯の中に不浄な糞や沙石を混ぜて、ご飯が役に立たないようなものであります。

法華経の経文の中に「ただ大乗経典である法華経だけを受持することを願って、法華経以外の経の一偈でも受けるようなことがあってはならない」と説き、信心の雑乱を誡められているのであります。

他宗の世間の学者は法華経に他経の修行を雑えてもよいと思っています。日蓮も一往は同じ仏教であるので、それもそうだろうと思いますが、経文は決してそうではないのであります。

それを譬えますと大王の種子を宿した后が、また民の者に嫁ぐならば王種と民種が混ざって宿ることになるので、このように上下雑乱する者は天の御加護もなく氏神のご守護からも捨てられて、遂にはその国が滅亡する原因となります。生まれた子供には王民二人の父がいることなり、王の子でもなく、民の子でもなく、人非人となるのであります。

法華経の大事とは、この譬えの通りであります。種熟脱の法門が法華経の肝心であります。三世十方の総ての仏は必ず妙法蓮華経の五字を種子として仏に成られたのであります。

南無阿弥陀仏や真言や小乗の五戒などは決して仏種とはならないのであります。法華経にこれらを雑えることは王種に民種を雑えたようなもので、不浄なものを入れた器に水や飯を入れることがないようなものであります。これは雑の者を釈しています。
上に述べられた覆・漏・掾E雑の四つ失のない器を完器と言われて、全き器であります。

池の水も器の水と同じであり、塹や堤が完全あるならば水が漏れることはないのであります、それと同じように人も信心の心が堅固で完全であれば、仏の平等大恵の智水を常に宿らされて乾くことはないのであります。

この度送られたこの筒御器は固く厚くて漏れることもなくて、その上塗ってある漆も浄らかであるのは、貴方の法華経の御信力の堅固であることを顕しているのかと思います。

昔毘沙門天は仏へ四つの鉢を奉って四天下の中に第一の福天と言われたのであります。浄徳夫人は雲雷音王仏へ八万四千の鉢を供養されて妙音菩薩と成られたのであります。

この度貴方も法華経に筒御器三十と盞六十を供養されので、昔の例に準じて考えますとその功徳に依って成仏されることは疑いないものと信じます。

日本国という名に十の名があります。扶桑・野馬台(やまと)・水穂・秋津洲等であります。それを分けると六十六の国と二つの島で成っています。縦の長さは三千余里あり、横の広さは百里とも五百里とも言われています。

五畿七道に分れ、郡をいえば五百八十六あり、郷をいえば三千七百二十九であります。田の代は上田は一万一千一百二十町から八十八万五千五百六十七町であります。その人数を言えば四十九億八万九千六百五十八人であります。

国内にある神社の数は三千一百三十二社あり、寺は一万一千三十七所あり、男の数は十九億九万四千八百二十八人であり、女の数は二十九億九万四千八百三十人であります。

その男の中でただ日蓮独り日本第一のものであります。何事が第一であるかというと、人から悪まれるということで第一の者であります。
その訳は日本国には国も多くあり、住む人の数も多いが、その心は皆一同に浄土の教えを信じ、口には南無阿弥陀仏と唱え、阿弥陀仏を本尊として信じて、十方の中に九方を嫌って、ただ西方の阿弥陀の浄土へ往生することを願っています。

たとえば法華経や真言を行ずる人も、戒律の教えを持つ者も、または智者や愚人であっても、その余の修行を傍らにして、正意の修行としては念仏の修行で、この世で罪業を消滅して西方浄土へ往生する謀としては、ただ弥陀の名号を唱えるに限ると皆が信じていますので、多いものは六万・八万・四十八万と唱え、少ない者でも十返・百返・千返と唱えています。

日蓮一人は阿弥陀を信じないどころか、阿弥陀仏の教えは無間地獄へ堕ちる業を作るものといい、禅宗の教えは天魔の所為であり、真言の教えは国を亡ぼす悪法であり、律宗や持斎などの戒律宗は国賊であるなどと破斥しましたので、上は御一人より下は万民に至るまで、日蓮を父母の敵、前世よりの仇敵と憎み、謀反夜討ち強盗などより、ある者は畏れ、ある者は瞋り、ある者は詈(ののし)り、ある者は打擲します。

日蓮をそしる者には所領地を与えて、日蓮を讃める者はその国から追放したり、ある時は過料にしたり、日蓮の信者を殺害した者に褒美を与えたり、日蓮自身を二度まで御勘気によって流罪に処せられました。

日蓮は謗法を呵責したために法難を招いた不思議の者であることは当世第一であるばかりではなく、今年は人王第九十代後宇多天皇の世に仏教が初めて日本に渡ってから七百年余年になるが、このような不思議の者はいまだ一人もいないのであります。

文永の大彗星や正嘉の大地震は日本国未曾有の天変地異であるが、日蓮もまた文永の大彗星や正嘉の大地震のように、日本国には未だかつて聞いたことのない不思議な者である。

日本国が始まってから今日に至るまで已に謀反の者が二十六人いました。その第一は大山の王子であり、第二は大石の山丸であり、それより第二十五人は頼朝であり、第二十六は義時であります。

その中に始めの二十四人は朝敵として朝廷から責められ、ある者は首を獄門に懸けられたり、ある者は山野に骸を曝して恥を千歳に残しましたが、後の二人は王位を傾けて、国中の実権を掌握したので、王法が尽きてしまいました。

此等の人々が謀反人として万人から憎まれたほどでは、まだまだ日蓮には及ばないのであります。

このように日蓮が法難に値う相を尋ねると、法華経には諸経中において法華を最第一と為す文があるにも拘わらず、そうであるのに弘法大師はその法華経を最第三と読み、慈覚大師は法華経を最第二と読み、智証大師は慈覚と同じく法華経を最第二と読んでいます。
今の叡山や東寺や園城寺の諸僧達は此等の先師の意を承けて、法華経を読む時は文の通り法華最第一と読んでいるが、法華経の義を取る時には第二第三の意で読んでいます。

公家や武家の人達が法華経を第二第三と読んでいるか子細の義理は分からりませんが、帰依している高僧達がこの義を持っているので、その意に随うと師檀一同の義になっています。

その外禅宗では教外別伝と云っており、これは法華経を軽蔑する言葉であります。

念仏宗は千中無一未有一人得者といって、法華経では一人も成仏する者はないと、法華経を高くあげて、かえってその成仏の功を失ったのであります。

律宗は小乗で戒律をもって国の宝としているが、正法時代において仏はこの小乗の戒律宗は免されていないのでありますから、まして末法無戒の時にこのような形式主義の小乗戒律を行じて国主を誑惑することなど免されていません。戒律をもって国主を誑惑することは妲己・妹喜・褒似の三女が三王を誑らかして国を亡ぼしたのと同じであります。

このような悪法が国内に流布して法華経を失っているために、安徳・尊成等の大王が国家守護の天照大神や八幡大菩薩等の諸~に捨てられて、安徳天皇は西海に沈み、尊成は島に流されたのであります。臣下や所従の者のために王位を傾けられたのは国家を指導する仏法が本末顛倒しているからであります。

朝廷にても法華経の御敵である念仏や真言等の悪法に御帰依されたのでありますが、それが悪法であること知る人がいなかったので、悪法の失を知ることもなかったのであります。古語に「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」と言われる通りであります。

日蓮は智人ではないけれども、蛇が竜の眷属として、雨の降るのを予知して、その心を知るように、烏が世の吉凶を計るように、日蓮は本化の菩薩として末法弘教の仏勅を受けているので、此等の悪法の失を深く考えたのであります。

この悪法の失を証明せんとすれば、上御一人より下万人至るまで悪法の信者であるので、忽ちにその怒りに触れ大難に当たるでしょう。その大難を恐れて謗法の者を見ながら呵責しなければ、必ず堕地獄の科を蒙ることは経文に明らかに誡められています。

法華経を習うには、必要な三義があるから能く心得なければなりません。その一は謗法の人であって、印度において勝意比丘・苦岸比丘・無垢論師・大慢婆羅門のような者がそうであります。

彼等は三衣を身に纏って一鉢を持って、二百五十戒を堅く持っていましたが、小乗の教えに執して大乗を誹謗した為に無間地獄に堕ちたのであります。

今日本国の弘法や慈覚や智証等の人達は、持戒や知恵は彼の比丘達と異ならないのであります。

これらの人々は但大日真言の経を第一と立てて、法華経を第二第三とするのであります。日蓮のいうことが百千の一つも当たるならば、これらの人達は無間地獄に堕ちて苦しんでおられるだろう。これらの人達は本朝の歴代の王臣一同に崇敬されているので、日蓮が今言葉で云うことさえ恐ろしい事であります。

まして文字に書き付けたりすれば、この事に依って後難はどうであろうと思いますが、仏は法華経は最第一の経と説かれいますので、仏説に違背して法華経を第二第三と読まれる人を聞きながら、帰依する人や国家の迫害を恐れて、この大謗法なることを云わなければ「是れ即ち彼れが怨なり」と云われている誡めに照らして、一切衆生の大怨敵なることは、経文や天台大師の釈に記載されているので敢えて云うのであります。

正法を建立するためには人をも恐れず時代も憚らず謗法を破折することは「我不愛身命但惜無上道」と云われているのは此の事であります。

不軽菩薩が法華の正法を行じて悪口杖石の難を招いたことは他事ではないのであります。不軽菩薩も決して世間の大難を恐れないのではありません。唯謗法を呵責しないで法華経の責めを蒙ることを強く説かれているからであります。

世間の例を見れば彼の曽我祐成と時宗の兄弟が、大将軍の頼朝の陣中であるのを省みず、敢えて危険を冒して父の敵である祐経を打ち殺したことは、父の敵に会って仇を討ちたいという思いが切であったと共に、父の仇を討てなかったという恥を後世に残すことが悲しかったからであります。これは謗人の相であります。

二に謗法の家というのは、一生の間に法華経を謗らず昼夜に法華経の修行している人でも、謗法の家に生まれたならば必ず無間地獄に堕ちなければならないのです。

例を挙げると印度の勝意比丘・苦岸比丘のように、大乗を誹謗した人の宗家に生まれ、その弟子や檀那と成った者達は、不本意であるが師と共に無間地獄に堕ちたのであります。

また世間の譬えを挙げれば、和田義盛が北条義時を滅しようとした時、義盛方なって軍をした者はさておき、母親の胎内にあって軍をしていない者でも、母が義盛方の者であったというだけで、出産を待たずに腹を裂かれて、その子まで殺されたようなものであります。

今日蓮がいうところの弘法・慈覚・智証の三大師が、最第一の法華経について、正しく無明の辺域だとか、虚妄の法だとか書いてあるのは、もし法華経が真実の大法であれば、三大師の流れを汲む叡山・東寺・園城寺・七大寺・その外日本国中の一万一千三十七所の寺々の僧達はどうなるのでしょうか。勝意比丘の先例のようであれば、宗家に生まれたばかりに無間大城へ堕ちなければならないことは疑いないのであります。これが第二の謗家の相を示されたのであります。

謗法の国というのは、謗法の者がその国に住むことになると、その一国の国内の者は皆謗法の者になって、そこは無間大城となります。
大海へ一切の水が集まってくるように、その国に総ての災いが集まることは、譬えると山に草木が集まり繁るようなものであります。
三災七難が日々月々に重なり来るようになります。飢饉が起こればその国は餓鬼道となり、疫病が重なるとその国は地獄道となり、軍が起こればその国は修羅道となるのであります。

倫理や道徳が廃れてしまい父母や兄弟や姉妹を簡ばないで妻としたり、夫とすることになれば、その国は畜生道と変じてしまいます。
それは死後に三悪道に堕ちるのではなく、生きている間にその国が四悪趣に変わってしまうのであります。これを謗法の国というのであります。

過去の例を挙げれば、大荘厳仏の末法や師子音王仏の濁世に住む人々のようであります。

また報恩経に説かれいる所に依りますと、亡くなった父母や兄弟や姉妹など総ての死んだ人達を食べたり、また生きている人を殺して食べたと云われています。

今の日本国もまたこのようであります。彼の真言師や禅宗や持斎等によって人を食う者が国中に充満しているのであります。これは専ら真言の邪法が国中に弘まった為に現れた亡国の相であります。

竜象房が人を食ったいうのは、萬の中の一人が露顕したので、大勢の人々が彼に習って、人の肉を猪や鹿の肉に混ぜたり、ある者は魚や鳥の肉に切り雑ぜたり、ある者はたたいて加えたり、ある者は鮨として売っているので、知らずに食べている者は無数であります。

それらの人々は真言の邪法を信じて法華経を謗った結果、天に見捨てられ守護の善~に見放されたのであります。最後にはこの国は他国から責められたり、自国の中では同士討ちをして、この国は無間地獄と成るでしょう。

日蓮はこのように、この国が無間地獄になるという失を予め見知していましたので、その原因が真言等の謗法の輩がこの国に充満しているからであると知りながら、これを呵責しなかったならば、一には自分も謗法に与同したという罪になり、その罪を脱れる為に、二には仏の呵責の恐ろしさ思った為に、三には知恩報恩の上から国恩を報ずる為に、この三つの理由から国主には、この謗法の国の相を諌暁して、一切衆生には、これを告げて知らしめたのであります。

仏教で不殺生戒というのは一切の諸戒の中では第一に重い戒であります。その為に五戒の最初にも不殺生戒が置かれており、八戒・十戒・二百五十戒・五百戒・梵網経の十重禁戒・華厳の十無尽戒・瓔珞経の十戒等も皆始めに不殺生戒が置かれています。世間の儒教にも三千の禁めの中に大辟という死刑が第一に重い禁めとされています。

不殺生戒に重きが置かれる訳は「遍満三千界無有直身命」といって、三千世界に遍満する珍宝をもってしても、一番大切な生命に替えることは出来ないのであります。

小さな蟻を殺した者でも尚地獄に堕ちるのです。まして魚や鳥を殺した者は尚更のことであります。生きた青草を切る者も地獄に堕ちるのです。まして人の死骸の肉を切る者は尚更のことであります。

不殺生戒はこのように重戒でありますが、仏教では法華経の敵と成った者を殺害するのが第一の尊い功徳であると説かれています。ましてや謗法者を供養するようなことが有ってはならないのであります。

このため昔仙予国王は謗法の五百人の法師を殺し、覚徳比丘は無量の謗法者を殺し、仏教の信者である阿育大王は十万八千の外道の者を殺されたのであります。

これらの国王や比丘は閻浮提第一の賢王と云われ、仏教では持戒第一の智者と云われた人達であります。仙予国王は今の釈迦牟尼仏であり、覚徳比丘は今の迦葉仏であり、阿育大王は仏道を成じられた尊い人であります。

今の日本国もまたこのようであります。戒の破持や有無も論ぜず、王臣万民の区別は無く皆一同に法華経を誹謗する者が充満する国であります。

その為に身の皮を剥いで法華経を書写されたり、自分の肉を積んで法華経に供養されたりしても、必ず国は滅び、自身は地獄へ堕ちなければならない大きな失があるのであります。

ただ亡国の根源である真言・念仏・禅宗・持斎等の謗法の行人を責め禁めて、その所領を取って法華経に供養すべきであります。

天台大師の三大部と妙楽大師の注釈書の本末六十巻を暗記して国主等には智者であると思われている人々が、知恵が及ばないためか、あるいは知っていても世を憚り恐れるためか、身は天台宗の大学匠でありながら、ある時は真言宗を称賛したり、ある時は念仏・禅・律等の権宗に法華宗を同じたりしたのは、彼の権宗の人々による謗法罪よりは、その罪は百千倍超えているでしょう。それは世間の例を挙げれば成良や義村等の謀反人の罪科に比すべきであります。

中国の慈恩大師は法華玄賛の十巻を造りまして法華経を讃歎しながら地獄に堕ちたのであります。この人は太宗皇帝の御師匠であり、玄奘三蔵の高弟であり、十一面観音の後身と云われている人であります。法華経を釈するのに、その言葉は法華経を讃歎されているに似てはいますが、その心は真実の法華経を爾前権経に同じた解釈をした為に地獄に堕ちたと言われています。

嘉祥大師は法華玄論の十巻を造って、法華経を爾前権経の意をもって解釈した為に無間地獄に堕ちる筈でありましたが、爾前の意をもって法華経を読むことを打ち捨てて、天台大師に帰伏したので地獄の苦を脱れたのであります。
今の天台宗の人々もこのようであります。比叡山は法華経の道場であり、日本国は伝教大師より以後は法華経流布の地だったのであります。

そうであるのに慈覚大師は法華を真言に同じたから法華の座主が真言の座主となってしまい、それに準ずる叡山三千の大衆もその所従であるので師弟共に謗法と成っているのであります。

弘法大師は伝教大師に依って法華の信者になられた嵯峨天皇を法華より奪い取って真言の信者としたので、朝廷は真言宗の寺と成ったのであります。

安徳天皇は明雲座主を師匠として右大将の源頼朝を調伏されようとしましたが、逆に頼朝に罰っせらた後に安徳天皇は西海に沈まれて、調伏の祈祷をした明雲座主は源義仲に殺されたのであります。

尊成王は天台座主の慈円僧正を始め東寺や御室の仁和寺やその他四十一人の高僧に命じられ、朝廷の中に真言の大祈祷壇を立てて右京権大夫の北条義時を調伏しようとしましたが、

七日目の六月十四日に京都方は負けて、天皇は隠岐の国や佐渡の島へ遷されて、祈祷した座主や御室等の僧は義時に責められる者もあり、ある者は自ずから思い死にする者もありました。

世間の人々はこのような下克上や本末顛倒の起こる根源を知らないので、日蓮がこれを見れば、国家の指導精神の教えに迷って、安国の大法である法華経を下して亡国の教えである真言三部の経を奉じたからであります。

今の日本が蒙古国より責められることになったのに対して、更に彼の不吉の真言の法を以て御調伏の祈祷が行われることをお聞きしました。また調伏行法の日記を見ても明らかであります。この恐ろしい事実を知った人が歎かないでおられましょうか。

我等がこのように正法の法華を誹謗する国に生まれ、大苦に値わなければならないことは、実に悲しいことであります。たとえば謗法の三義の中の謗身だけは自分自身の捨邪帰正によって脱れることが出来るとしても、謗家と謗国の失は自分自身の改心では脱れないのであれば、その失をどのようにしたらよいのでしょうか。

謗家の失を脱れようと思うならば、父母や兄弟に向かって捨邪帰正を教誡しなければなりません。教誡するとそれらの人々の怒りに触れて悪まれるかもしれないし、誠意が通じてそれらの人々を正信に引き入れることが出来るかもしれません。

謗国の失を脱れようと思うならば、国主を諫めて捨邪帰正を勧めるべきでありますが、必ず死罪か流罪に処される事を覚悟しなければなりません。

法華経に「我れ身命を愛せず、但だ無上道を惜しむ」と説かれており、また「身は軽く法は重し故に身を死して法を弘む」と釈されているのは、このことを誡められています。

久遠の昔から今日に至るまで仏に成れなかった人々は、今迄述べた様な事を恐れて、謗法の失を呵責しなかったからであります。過去の例を見れば、未来も亦同じ事でありましょう。この事は今日蓮が我が身に当てて見て深く知ることができました。

たとえこの事を日蓮から教訓を受けた弟子達の中にも、日蓮のように呵責謗法から来る当世の大難を恐れて、草の葉の露のようにはかない身に執着して不惜身命の覚悟が出来ずに、法華経の正信を退転する者もあり、あるいは心の中では信じていても身は他宗の者になっていたり、あるいは色々と口実を云って表裏が矛盾している者もおります。

法華経の文には「難信難解」と説かれおり、法華経を信解することが難中の難であることが、日蓮の現身の上に当てて見て、貴く覚えるのであります。

仏が説かれたように、謗法の者は大地を微塵にしたのよりも多くおり、法華経は信じる人は爪の上に載せた少分の土のように少ないのであり、謗法の者は大海の水のように多く、法華経の正信に精進する者は一Hの水くらいしかいないのであります。

それは天台山に竜門という滝があります。その滝の高さは百丈であります。春の始めになると魚が集まってこの滝を登ろうとするのでありますが、容易には登れないのであります。そのために百千の中に一つでも登った魚は竜に成ると云うのであります。

この滝の水が落ちるのは矢や電光が走るより早いので容易には登れない上に、春の始めに、この滝に魚が集まる頃には、この滝に漁師が集まって、その魚を取る為に百千重にも網を懸け、ある者は射て取ったり、ある者は水を酌んで取っていました。

その他には鷲・G・鴟・梟の鳥類や虎・狼・犬・狐の獣類が集まって来て昼夜となくその魚を取って食べるので、十年二十年の長い間に竜に成る魚は一つもないのであります。人間の上に例を挙げれば地下の者が昇殿を望んだとしても、下女が后と成らんと願っても容易に達し得ないのと同じであります。法華経を信ずることは、この例より遙かに困難であることを心得べきであります。

常に仏が誡めて仰せになられるのは、どのように仏教の戒律を堅く持っても、知恵が高くて一切の経や法華経に通暁している人であっても、法華経を誹謗する者を見ていながら、それを呵責し国主にその謗法の失を申し上げないで、人を恐れて言わないでいるならば、必ず無間地獄に堕ちるでしょう。

たとえば自分では謀反を起こさなくても、謀反の者を知っていながら国主にそれを申し上げなければ、謀反に与した罪を負い、謀反の者と同罪ということなります。

南岳大師は「法華経に反対する者を見ていながら、それを呵責しない者は謗法の罪を犯した者であるので、無間地獄に堕ちるであろう」と言われています。

謗法の者を見ていながら何も言わない者は、どのような大知恵者でも、無間地獄に堕ちて、その地獄が有る限りそこから出ることは出来ないのであります。

日蓮はこの誡めを恐れるために、国主を始め国中の謗法の者達を責めましたので、一度ならず数々流罪や死罪にまで及んだのであります。

今は過去の罪も消滅し謗法の過も脱れたであろうと思って、鎌倉を去ってこの身延の山に入って七年になります。

この山の有様は、日本国の中には七道が有ります。その七道の内の東海道にあり、東海道の十五箇国の中には甲州にあり、その甲州の飯野・御牧・波木井の三箇郷の内では波木井という所です。

この郷の内にて戌亥の方に入って二十余里の所に深山があります。そして北には身延山があり、南には鷹取山があり、西には七面山があり、東には天子山があります。その様子は板を四枚周りに立て巡らしたようであります。

この山の外回りには四つの河があります。北から南へ流れているのは富士河、西から東ヘ流れているのは早河であります。これらの河は山の後方にあります。山の前方には西から東ヘ流れている波木井河があって、その河の中に一つの滝があり、それを身延河と名付けたのであります。

この山の様子は釈尊が法華経を説かれた中天竺の霊鷲山をここに移して来たようでもあり、また漢土の天台山を移して来たように思われるのであります。

この四山と四河の中に、手の広さほどの平地があります。ここに庵室を構えて雨露を凌いで、木の皮を剥いで四方の壁として、自ら死した鹿の皮を取って衣として、春になれば蕨を折って我が身を養い、秋には果実を拾って我が命を支えていたのですが、去年の十一月より降り積もった雪が、今年の正月になっても、今なお消えずに残っているのであります。

庵室の高さが七尺なのに雪は一丈も積もっており、四方は氷で囲まれて自然の壁となり、軒のつららは道場を荘厳する瓔珞の玉に似ております。庵室の中は米が絶えて、雪が米の代わりに積まれている有様です。

このような深山であるから本より人も来ることもなく、雪が深く積もって道を塞いでいるので、問い来る人も無い処でありますので、未来の八寒地獄の業を現在の身に受けて償っているようであります。生きながら成仏出来なくて苦しんでいる様子は、雪山の寒苦鳥という鳥にも似ています。

長い間頭の髪を剃っていないので頭はうずらのようあります。氷に閉じ込められいるので、衣は鴛鴦鳥が氷の中で羽を結ばれいるような有様です。

このように艱難な場所でありますので、昔からの昵懇の人も訪問せず、弟子達にも捨てられていた処へ、この御器を頂戴したので、御器に雪を盛りつけてご飯と思い、御器に水を入れて、こんずという飲み物と思う私の気持ちをよく御察し下さい。また詳しく申し上げることに致しましょう。謹んで申し上げました。

弘安三年正月二十七日。日蓮花押。

秋元太郎兵衛殿御返事。