■ 寛 記 雑 々

 

臨終用心抄 

 (※身延・日重の見聞愚案記と等同もしくは似た内容が多々あり、この抄、全てが日寛上人のオリジナルではない。

しかし、当宗の本義から立ち返って依用した場合、臨終に対しての用心という重大な課題に対して実に貴重な御指南と解することができよう.。)

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■ 一、祖判【三十二 十一】に云く、

「夫れ以みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候しが、念願すらく、人の寿命は無常也、出る気は入る気を待つ事なし、風の前の燈(※露)尚譬にあらず、かしこきもはかなきも老たるも若きも定めなき習ひ也、されば先ず臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」と云云。

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※妙法尼御前御返事   弘安三年七月一四日  五九歳 1482

 夫(それ)以(おもん)みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚(なお)譬(たと)へにあらず。かしこ(賢)きも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし

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■ 一、臨終の事を属絋之期と曰ふ事。(??

糸+廣=絋(わた)

愚案(※0)【二 六】に云く、臨終の事を属絋之期と云ふは絋はわた也。臨終の時息が絶へるか絶へざるかを知らん為にわたのつみたるを鼻の口に当てて見るに息絶へぬればわたがゆるがざる也云云。意を取て思ふ可し。

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※0 身延・日重 見聞愚案記 元和年間(1615――24)

日重(にちじゅう、天文18年(1549年)―― 元和9年(1623年))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての日蓮宗の僧。若狭国の出身。字は頼順。号は一如院。

略歴 幼い頃に仏心院日bに師事して、日蓮教学を学ぶ。南都の教学をはじめ漢詩文や儒学も修め、本満寺12世となった。教学的には師日辰の折伏主義を排して摂受主義の教義を発展的に継承した。1595年(文禄4年)豊臣秀吉が主催した京都方広寺大仏殿の千僧供養会に日蓮宗として出仕するかどうかの問題では、宗門護持の立場から受不施を推進し、不受不施の立場を取った日奥と鋭く対立した。

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■ 一、多念の臨終、刹那の臨終の事。

愚案【二 八】に云く、多念の臨終と云ふは日は今日、時は唯今と意に懸けて行住座臥に題目を唱ふるを云ふ也。

次に刹那の臨終と云ふは最期臨終の時也、是れ最も肝心也。

臨終の一念は多年の行功に依ると申して不断の意懸けに依る也。

樹の先づ倒るるに必ず曲れるに随ふが如し等之を思へ、

臨終に報を受くる、亦復強きに従て牽く【弘一中四十四】文也。

故に多年・刹那に是を具足すべき事肝要也。

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■■ 一、臨終の時心乱るるに三の子細有る事。

@ 一には断末魔の苦の故。

断末魔の風が身中に出来する時、骨と肉と離るるなり、

正法念経(※1-1)に云く 

「命終の時、風皆動ず、千の尖(とが)き刀、其の身の上を刺すが如し。

十六分尚一に及ばず。

若し善業有れば苦悩多からず」云云、

顕宗論(※1)に云く、

「人の為に言を発し、他人を譏刺(きし=非難すること。そしること。)することを好み、実不実に随って人の心を傷切するは、当に風刀の苦を招くべき也。」

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(※1)説一切有部はゴータマ・ブッダの教説を解釈する過程で、膨大なアビダルマ哲学を完成させた。『六足論』『発智論』『大毘婆沙論』『顕宗論』は説一切有部の教義を述べた代表的な論書である。しかしながら、説一切有部が構築した教義は、ブッダの教えから逸脱したものとして、他の部派や大乗仏教から批判されることになる。

関連 説一切有部(せついっさいうぶ、サンスクリット語:sarv?stiv?din, sarv?stiv?da、パーリ語:sabbatthiv?da)は、部派仏教時代の上座部から分派した一部派で、同じく上座部系列である分別説部と並んで、もっとも多くのアビダルマ文献を残した。略称は有部。「あらゆる現象(諸法 dharm?)」を構成する基体として、有法、法体(ダルミン dharmin)を想定し、この有法(dharmin)は滅することなく、過去・現在・未来にわたって存在し続けること」(法体恒有、三世実有)を主張した。)

※1-1  正法念経=正式には「正法念処経」

原文 

命終わる時に刀風皆動き、皮・肉・筋・骨・脂・髄・精・血の一切を解裁(たちき)り、其れをして乾燥(かわ)かしめ、気は閉じて流れず、身既に乾燥(かわ)きては苦しみ悩みて死すること、千の炎の刀の其の身を刺すが如きも、十六分中猶一に及ばす。

若しは善業有らんに、死に垂(なんなんど)する時、刀風は微(かすか)に動きて苦悩多からず。

刀風を観じ已らんには實の如くに身を知らん。

日寛上人は釈子要覧から引用(孫引き)されている模様。その文が、上記の引用文。

十六分が云々 釈尊の寛容句 他にも事例が多件

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A 二には魔の所以。

沙石集(※2)【四 二十三】に云く、或る山寺の法師世に落ちて有る女人をかたらひ相ひ住みける程に、此の僧病ひに臥して月日をへにけるに、此の妻ねんごろに看病なんどし○故に意(こころ)易く「臨終もしてんず」と思ける程に○本より道心有て念仏の数返なんどしける者にて、最期と覚ければ端座合掌して西方に向て高声念仏しけるを、此の妻「我を捨てて何(いづ)くへをはすぞ」 と 「あら悲しや」 とて首にいだき付て引臥(ひきふ)せしけり、 

「あら口惜し、心安く臨終せさせよ」 と起ち上りて念仏すれば、亦、引臥(ひきふ)せ、引臥せしけり○引臥せられてをはりにけり、魔障の致す所にや。

又道念ありける僧、世に落ちて妻をかたらひ庵室にこもり居て、妻に知られずして持仏堂入り端座して目出度くをはりにけるを、妻後に見付て 「あら口惜し、拘留孫仏(※3)の時より付そひて取(とり)つめたる物をにがしける」 とてをそろしげなる気色に成て手を打ちて飛びて失せにけり已上。

爾前権門の行者さへ是の如し、況や本門寿量文底の行者は別して魔障有る可し、必ず生死を離るる故也。

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(※2『沙石集』(しゃせきしゅう / させきしゅう)は、鎌倉時代中期、仮名まじり文で書かれた仏教説話集。十巻、説話の数は150話前後。無住道暁が編纂。弘安2年(1279年)に起筆、同6年(1283年)成立。その後も絶えず加筆され、それぞれの段階で伝本が流布し異本が多い。記述量の多い広本系と、少ない略本系に分類される。

『沙石集』の名義は「沙から金を、石から玉を引き出す」ことをいい、世俗的な事柄によって仏教の要諦を説く意味である。僧侶の立場から経典を多く引用しているが、作者が博識であり好奇心に富んでいるため、単なる説教を脱化して興味津々たる文学作品となっている。

日本・中国・インドの諸国に題材を求め、霊験談・高僧伝から、各地を遊歴した無住自身の見聞を元に書いた諸国の事情、庶民生活の実態、芸能の話、滑稽譚・笑話まで実に多様な内容を持つ。その通俗で軽妙な語り口は、『徒然草』をはじめ、後世の狂言・落語に多大な影響を与えた。

完本注解は、「日本古典文学大系.85」(岩波書店)と、「新編日本古典文学全集.52」(小学館)に所収。)

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(※3
くるそん‐ぶつ 【拘留孫仏】 《(梵)krakucchandha-buddhaの音写》過去七仏の第四仏。賢劫(げんごう)の時に出現する千仏の第一仏。くるそん。

過去七仏(かこしちぶつ)とは釈迦仏までに(釈迦を含めて)登場した7人の仏陀をいう。古い順から

毘婆尸仏

尸棄仏

毘舎浮仏

倶留孫仏

倶那含牟尼仏

迦葉仏

釈迦仏

の7仏。いわゆる過去仏信仰の代表的な例。

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B 三には妻子従類の歎きの声、財宝等に執着するの故云云。

大蔵一覧(※4)【五 十五】沙石【四 二十六】に云く、

一生五戒を持てる優婆塞、臨終に妻をあはれむ愛執有りけるが、妻の鼻の中に虫に生れたり、此も聖者に値て此れを知れり。

致悔集(※5)下九に云く

盧山寺の明道上人は三大部の抄に執着有て、聖教の上に小蛇となって居れりと。

或る長者、金の釜を持ちたりしが、臨終にをゝしと思ひし故に、大蛇と成て釜の辺りに蟠(わだかま)る(※とぐろを巻く)云云。

元亨釈書(※6)【十九 十三】に引く。

或る律師は天井に銭二十貫文を持て、臨終に一念思出して蛇と成て彼の銭の中に住むと、

檀方の夢に告ぐ、彼の銭三宝へ供養すべしと。

告げの如く彼の銭の中に小蛇あり、哀(あわれ)に思ひ、法華経を書て供養してあれば後に夢に得脱せり云云。

去れば臨終には妻子或は心の留る財宝等見すべからず。

華を愛する者は小蝶と生れ、鳥を愛する者は畜生に生る等云云。

本朝語園四【八八 二十八】釈書【十九 十四】

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※4 大蔵一覧だいぞういちらん

「大蔵一覧集」ともいう。宋代、寧徳の大隠居士陳実の編。大蔵経の要文千百八十一則を抽出して六十門に分類し、項目ごとに頌をつけて見出し語とし、福州東漸寺版による千字文の経巻番号を付して検出に備えた類書。巻首に紹興丁丑(1157)に書かれた安定郡王令衿の序がある。編者陳実の伝は明らかでないが、令衿は宋の王室の一族で、円悟克勤に学んで超然居士と号した人。本書もまた経律論の書のほかに、多数の禅籍を引用していて、それらのうちにはまだ入蔵していないものもある。本書は、早くも鎌倉時代の始めに栄西が将来し、その『興禅護国論』の製作に利用している。五山版のほか、寛永の木活字本数種がある。中国では、『明史芸文志』に著録されて以後、誤って明代の書とされ、『四庫全書総目提要』百四十五の説もまた誤る。 (禅籍解題 234)

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※5 1618 元和 7.26 一如院日重(※前出)空過致悔集2巻を著す。

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※6 元亨釈書(げんこうしゃくしょ)は、鎌倉時代に撰せられた日本初の仏教通史で、漢文体で記したものである。

臨済宗の僧であった虎関師錬(1278年 - 1346年)著、30巻。1322年(元亨2年)に朝廷に上程されたことにちなみ、書名に「元亨」が冠せられた。収録年代は、仏教初伝以来、鎌倉後期まで700余年に及ぶ、僧の伝記や仏教史を記す。南北朝時代に大蔵経に所収された。活字翻刻本としては「大日本仏教全書」本と「国史大系」本がある。また注釈本としては江戸期の『元亨釈書和解』が著名である、参考書としては『国史大系第31巻 日本高僧伝要文抄・元亨釈書』(丸山二郎校注、吉川弘文館)等がある。

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■■ 一、問ふ断末魔の時心乱れざる用心如何。

答ふ、平生覚悟すべき事也。

@ 一には顕宗論の意に准ぜば他人を譏刺(きしすべからず、人心を傷切すべからず、此れ常の用心也。

A 二には玄【四 二十三】に云く、身本と有ならず、先世の妄想、今の四天を招く。虚空を囲むを仮に名けて身と為す文。

引きよせて むすべば柴の庵にて 解(とく)れば本の 野原なりけり。

水は水 火は本の火に 帰りけり 思ひしことよ すは(※)さればこそ。

※すわ〔すは〕[感]1 突然の出来事に驚いて発する語。そら。さあ。あっ。「―一大事」 2 相手が気づかずにいるときに注意を喚起するために発する語。そら。ほら。

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■ 「水は水」 とは、水は本の水と云ふ心也、「引よせて」 は先世の妄想也、

よせられし物は地水火風の四大也、死しても心法に妄想の足の緒が付て、亦結び合せて身を受くる也。

此れを十二因縁(※7)の流転と云ふ也。

一身の四大所成なる姿は

堅湿●(火+需=じゅ・あたた・める)動とて骨肉かたまりたるは地大也、

身に潤ひ有るは水大也、

あたたかなるは火大也、

動くは風大也、

此の四が虚空を囲みまはすが此の身也。

板柱等集りて家を作る如く也。

死後に身の冷るは火大の去る故也、

逗留有ればくさるは地大、去る故也、

切れども血の出でざるは水大の去る故也、

動かぬは風大去る故也。死ぬる苦るしきは家、槌にては頽(くずれ)るが如く、四大の板・柱・材木 面々に取り離す故に苦るしむ也、断末魔とは之れを云ふ。

此の離散の五陰と云ふ如く離散の四大也。

「すはさればこそ」 と読たるは苦なり、驚きたる処なり。

「解(とく)れば本の野原」 と読(よまる)るも、 「解(とく)る」 が離散する事、 「本の」 と云ふが法界の四大に帰りたる事也云云。

 是くの如く兼て覚悟すれば驚かざる也。

驚く事無ければ心乱るべからず。

B 三には常に本尊と我と一体也と思惟(しい・しゆい)して口唱を励むべし。

御書(※8)【十四 四十七】実に己心と仏心と一心なりと悟りなば臨終を礙ふるべき悪業も有らず、生死に留るべき妄念も有らず云云、

又【二三 三十七】(※9)縦ひ首をば鋸にて引き切り乃至霊山へはしり玉ふ文、金山二末三十二。

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※7  十二因縁とは、三界六道の迷いの因果を無明(むみょう)・行(ぎょう)・識(しき)・名色(みょうしき)・六入(ろくにゅう)・触(そく)・受(じゅ)・愛(あい)・取(しゅ)・有(う)・生(しょう)・老死(ろうし)の十二種に分けて表したもの。

@ 無明(むみょう)とは、 無始(むし)以来もっている煩悩のこと。

A 行(ぎょう)   とは、 過去の煩悩によって造る善悪の行業(ぎょうごう)のこと。

B 識(しき)    とは、 過去の行業(ぎょうごう)によって現在の母胎(ぼたい)に託(たく)する心のこと。

C 名色(みょうしき)とは、身心が胎内(たいない)で発育し、六根(ろっこん)を形成するまでの五陰(ごおん)のこと。

D 六入       とは、 六根を具足(ぐそく)して胎内から出生(しゅっしょう)すること。

E 触(そく)    とは、 幼児の時は苦楽の分別がなく、物に触れて感ずること。

F 受(じゅ)    とは、 やや成長して、苦楽を識別して感受すること。

G 愛(あい)    とは、 事物や異性に愛欲を感ずること。

H 取(しゅ)    とは、 成人して事物に貧欲(とんよく)すること。

I 有(う )    とは、 愛・取などの現在の因によって未来世の果を定めること。

J 生(しょう)   とは、 未来世に生を受けること。

K 老死(ろうし) とは、 未来世に老いて死ぬこと。

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※8 三世諸仏総勘文教相廃立    弘安二年一〇月  五八歳 1420

実に己心と仏心と一心なりと悟れば、臨終(りんじゅう)を礙(さわ)るべき悪業(あくごう)も有るまじ、生死に留まるべき妄念(もうねん)も有るまじ。

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※9 如説修行抄 文永一〇年五月   五二歳 674

縦(たと)ひ頚をばのこぎり(鋸)にて引き切り、どう(胴)をばひしほこ(菱鉾)を以てつヽき、足にはほだし(絆)を打ってきり(錐)を以てもむとも、命のかよ(通)はんきは(際)ヽ南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて、唱へ死にヽしぬるならば、釈迦・多宝・十方の諸仏、霊山会上にして御契(ちぎ)りの約束なれば、須臾(しゅゆ)の程に飛び来たりて手を取りてかた(肩)に引き懸けて霊山へはし(走)り給はヾ、二聖・二天・十羅刹女・受持者をうご(擁護)の諸天善神は、天蓋を指し幡を上げて我等を守護して慥(たし)かに寂光の宝刹(ほうせつ)へ送り給ふべきなり。あらうれしや、あらうれしや。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

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■ 一、魔の所以の用心如何。

答ふ、平生覚悟有るべし、

黄檗禅師の伝心法要に云く

「臨終の時、若し諸仏来て種々の善相有るとも随喜を生ずべからず、

若し諸悪現じて種々の相有るとも怖畏の意を生ず可からず。

心を亡じて円なら令む、是れ臨終の要也」云云。

随喜怖畏の意を亡じて但妙法を唱ふ可き也。

蜷川臨終に、

「三尊来迎せるを弓を以て之れを射る、則ち庭上に落つ、果して古狸也」云云。之れを思へ。

御書【二八 三十二】(※11)に云く、止観に三障四魔と申すは権教を行ずる行人を障るにはあらず、今日蓮が時具に起れり乃至御臨終の時迄御心得有るべき也文。

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※11 治病大小権実違目   弘安元年六月二六日  五七歳 1239

止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障(さわ)りにはあらず。今日蓮が時具(つぶさ)に起これり。又天台・伝教等の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさ(勝)りたり。一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。天地はるかに殊(こと)なりことなりと、御臨終(ごりんじゅう)の御時は御心へ(得)有るべく候。

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■ 一、妻子財宝等の用心如何。

答ふ、楽天が云く、

筋骸(※からだ)モ、本、実無し、

一束の芭蕉草、眷属、偶(たまたま)相依る、

一夕(※いっせき か)、林鳥を聞く 文。

三四の句は心地観経の意也、

彼(かの)第三に、 宿鳥、平旦、各、分飛す、命終別離、亦是くの如し 云云。

一覧【五 二十四】、五無反復経、沙石【七 九】に云く、

昔し仏法を求むる道人有りけり、山中を行くに二人の山左あり、

一人は臥して、一人は畠を作るあり。

「父子ならん」と立寄て見れば其の子毒蛇にさされて俄かに死せり。

父嘆く色なくて此の道人に語て曰く、

「其のをはする道に家あり、是れ我家也。其より食を持ち来るべし、

唯今此の子俄かに死せり、一人の分の食を持ち来れ」と告げてたべ、

道人の云く「父子の別れは悲しかるべし、何ぞ歎く色なきや」と問ふ、

答へて云く「親子はわづかの契り也、鳥の夜る林に寄合ひて明くれば方々に飛び去るが如し、皆業に任せて別かる、何ぞ歎かあらん。」

扨(さ)て彼家に至りて見れば女人食物を持て門に出づ、

右の次第を語れば扨(さて)はとて一人が食を止む、家の内に老女あり、

僧云く「彼の死するは其の子か」と、

老女「爾也」と云ふ、

「何ぞ歎く色なきや」、

母の云く「何ぞ歎くべき、母子の契りは渡しの舟に乗り行くが如く、岸に付けば散々になるが如し、各業に任せて行く也。」

又此女人に「死ぬる人は其の為に何ぞ。」

答ふ「我が男也。」

「何ぞ歎く色なきや。」

「何故に歎く可き、夫妻の中は市に行き合ふ人の如し、用事すぎぬれば方々へ散るが如し」と云へり、

時に道人「万法の因縁、仮なる事ぞ」と悟れり云云。

又財宝の事は在家出家ともに存生の時に書き置く可き事也、

されば在家は財宝に意懸けり。

とやせん角やせんと思ふて心乱るる也、

出家は袈裟・衣・聖教等、彼れに譲り、此れに譲らんと思ふて心乱る、

依て慥(たしか)に書き記す可き也。

此等の妄念有る可からず、然れば唯後世の事のみ成らんと存す可き事肝心也云云。

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■ 愚案記【二 八】沙石【九 十二】、経に云く

妻子・珍宝及び王位は命終に臨む時は随はず、唯戒及び施と不放逸とは今世後世の伴侶と為るなり云云。

人王六十五代の帝華山院(※12)は小野の宮殿の御女(おんむすめ)、弘徽殿(※13)の女御に後(おく)れさせ玉ひて、世の中は御意細く思食しみたれたるころ、粟田の関白(※14)未だ殿上人にてをはしける時、扇に此の文を書きて有るを御覧有りて御意を発し、世の楽しみは夢幻の程也、国の位も益無し、十善万乗(※15)の位を捨て永く一乗菩提の道に入らせ玉ひける、

既に内離を出でさせ玉ひける、夜は寛和二年六月二十三日有明の月くまなかりけるに流石御なごりも残りけるにや、

村雲(※むらがり立つ雲。一群(む)れの雲。)の月に掛りければ、我が願ひ既に満つ、とて貞視殿(※貞観殿か)の高妻戸よりをりさせ玉ひける、

夫より彼の妻戸を打付られける有難き御発心也、承るも哀れに待り候云云。

常に此の経文信受せば何ぞ着心(※執着心か)有らんや、着心無くんば心乱るる事有る可からず云云。


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花山天皇
花山天皇(かざんてんのう[1]、安和元年10月26日(968年11月29日) - 寛弘5年2月8日(1008年3月17日)、在位:永観2年10月10日(984年11月5日) - 寛和2年6月23日(986年7月31日))は、日本(平安時代中期)の第65代天皇。諱は師貞(もろさだ)。かつては花山院・華山院とも書いた。

17歳で即位。19歳で宮中を出て、剃髪して仏門に入り退位した。突然の出家について、『栄花物語』『大鏡』などは寵愛した女御藤原?子が妊娠中に死亡したことを素因とするが、『大鏡』では更に、藤原兼家が、外孫の懐仁親王(一条天皇)を即位させる為に陰謀を巡らした事を伝えている。

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藤原●(りっしんべ+氏)子 ふじわらの-しし

969−985 平安時代中期,花山天皇の女御(にょうご)。

安和(あんな)2年生まれ。藤原為光の娘。母は藤原敦敏の娘。永観2年(984)入内(じゅだい)。弘徽殿(こきでんの)女御とよばれる。懐妊したが,寛和(かんな)元年7月18日死去。17歳。贈従四位上。天皇はその死をなげくあまり,藤原兼家らの謀略にかかって出家,退位した。

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※13 弘徽殿(こきでん)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。転じて、弘徽殿を賜った后妃の称としても使われる。後者で女御の場合は「弘徽殿女御(こきでんのにょうご)」とも呼ぶ。清涼殿に近く、後宮で最も格の高い殿舎であり、皇后・中宮・女御などが居住した。清涼殿の北、登華殿の南。西庇は細殿と呼ばれ、『源氏物語』では光源氏と朧月夜がここで出会ったとされる。

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※14 粟田の関白

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※15

ばん‐じょう【万乗】 《「乗」は車の意。中国の周代、天子は直轄地から戦時に兵車1万台を徴発することができたところから》天子。また、天子の位。 

ばんじょう‐の‐きみ【万乗の君】天子。大国の君主。一天万乗。

十善 十悪=身に三とは殺・盗・淫、口に四とは妄語・綺語・悪口・両舌、意に三とは貪・瞋・癡、是を十悪と云ふなり。これを犯さないこと。

其の果報として大王に生じる。

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■ 臨終の事常に頼み置く可き事也。

愚案【二 八】、常に臨終を心に懸くる事肝心也、

在家は妻子亦は帰依の僧に能く云ひ入れて臨終と見れば能く勧めて給はれと、

出家は弟子等亦善知識と覚しき人に常に頼み約束して置く可き也。

 多くは其の期に及んで其の人、気よはらんと云って死期を用捨(※ 必要としないこと。やめること。)する事謂れざる事也。

若しよはりて一日二日一時二時早く死にたらば大事と思ふて勧むる者は大善知識なるべし云云。

たまたま経を読むも祈祷(※布施があがる読経という意か)になどと云ひ、病人に唱題を勧むるを祈祷にならんと云ふは愚の至り也。

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■ 臨終を勧むる肝心なる事。

致悔集下八に云く、臨終は勧むる人が肝心也。

譬へば牧の馬を取るには必ず乗り得て取る也、

乗るには必ずうつむかねば必ず落馬する故に、是非ともうつむかんと思ふとも廃忘してうつむく事を忘るを、そばより勧むればうつむきて取りすます、

其の如く病苦死期に責られて臨終の事を失念するをば勧むるが肝心也。

其の勧め様は唯題目を唱ふる也。

一、臨終の作法は其の所を清浄にして本尊を掛け香華燈明を奉る可き事。

一、遅からず速からず惟(ただ)久(ひさし)く、惟長く、鈴の声を絶へ令むる事勿れ、気尽くるを以て期とする事。

一、世間の雑談一切語り申す可からず。

一、病人の執心に留るべき事を一切語る可からざる事。

一、看病人の腹立て候事、貪愛する事語る可からず。

一、病人の近所に心留る可き資財等置く可からず。

一、唯病人に対して「何事も夢也と忘れ玉へ、南無妙法蓮華経」と勧め申す可き事肝心也。

一、病人の心に違ひたる人、努々(※ゆめゆめ)近付く可からざる事。惣じて問ひ来る人の一々病人に知らすべからざる事。

一、病人の近所には三・四人には過ぐ可からず、人多ければ騒がしく心乱るる事あり。

一、魚鳥五辛を服し、酒に酔ひたる人、何程親しき人なりとも門内に入る可からず、天魔便りを得て心乱れ悪道へ引き入る故也。

一、家中に魚を焼き、病人に嗅気及ぶ可からざる事。

一、臨終の時には喉乾く故に、清紙に水をひたして時々少々宛潤(えんじゅん=あてがって潤す)す可し、「誰か水」などと名づけてあらあらしく多くしぼり入る可からざる事。

一、唯今と見る時、本尊を病人の目の前に向へ、耳のそばへより、「臨終唯今也、祖師御迎ひに来り給ふ可し、南無妙法蓮華経と唱へ給へ」とて病人の息に合せて速からず遅からず唱題すべし、已に絶へ切っても一時ばかり耳へ唱へ入る可し、死ても底心あり、或は魂去りやらず、死骸に唱題の声聞かすれば悪趣に生るる事無し。

一、死後の五時も六時も動かす可からず、此れ古人の深き誡め也。

一、看病人等あらく当る可からず、或はかがめをとする事、反すゞゝ(がえす)有る可からず。

一、断末魔と云ふ風が身中に出来する時、骨と肉と離るる也、死苦病苦の時也、此の時、指にても当る事なかれ、指一本にても大磐石をなげかくる如くに覚ゆる也。

人目には左程にも見へねども肉親のいたみ云ふ計りなし、

一生の昵(なじ)み(近づいて慣れ親しむ。なじむ。)只今限り也、

善知識も、看病人も、悲しむ心に住すべし、疎略の心存す可からず、古人の誡め也。

惣じて本尊にあらずば他の物を見す可からず、妙法にあらずば他の音を聞かす可からず云云。

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■ 一、臨終に一念の瞋恚に依って悪趣に入る事。

一覧(※大蔵一覧・前出)【五 十五】云く

阿耆陀王(※1)と云ひし人、国王にて善知識にてをはしけるが、臨終の時、看病人、扇を顔にをとせしに、瞋恚を生じ、死して大蛇と生れて迦旋延(※2)にあいて此の由を語ると云云。沙石【四 二十六】に引く。

私に云く、此意に依て死期に顔に物をかくるに荒々と掛く可からず、或はかけずとも云云。

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※1 釈尊九横の大難 B馬麦・・・阿耆多王請いに応じた釈尊が500人のとともに毘蘭邑へ行ったところが、王は遊び戯れて釈尊が来たことを忘れてしまい、90日間も食事が出されなかったので、馬の餌となる麦を食べて飢えをしのいだという難。

迦旃延(かせんねん)は、釈迦の十大弟子の一人。論議第一と称せられる。

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■ 一、御書【十八 二十二】又不慮に臨終なんどの近き候はんには、魚鳥なんどを服せさせ玉ひても候へ、よみぬべくば経をもよみ及び南無妙法蓮華経とも唱へさせ玉ひ候べしと云云。

已に不慮の時之れを許すを以て知んぬ。兼て臨終と見ば之れを服す可からず、尚是れ臭気なり、況んや直ちに服せんや。

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月水御書   文永元年四月一七日  四三歳 305

又不慮(ふりょ)に臨終なんどの近づき候はんには、魚鳥なんどを服せさせ給ひても候へ、よみぬべくば経をもよみ、及び南無妙法蓮華経とも唱へさせ給ひ候べし。

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■ 一、臨終の相に依って後の生所を知る事。

金山二末 三十五に諸文を引く、往見。

御書【三二 十一】に云く、法華経に云く如是相【乃至】究竟等云云、

大論に云く臨終に黒色なるは地獄に堕つ等云云、

守護経に云く地獄に堕つるに十五の相あり、

餓鬼に七種の相あり、

畜生に五種の相あり等云云、

天台大師摩訶止観に云く、身の黒色をば地獄の陰に譬ふ等云云【乃至】天台の云く白は天に譬ふ等云云、

大論に云く赤白端正なる者は天井を得ると云云、

天台大師御臨終の記に云く色白と云云、

玄奘三蔵御臨終の記に云く色白と云云、

一代聖教を定むる名目に云く、黒業は六道に止り、白業は四聖となる云云。

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1482

  妙法尼御前御返事    弘安三年七月一四日  五九歳

 御消息に云はく、めうほうれんぐゑきゃう(妙法蓮華経)をよるひる(夜昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしゃう(高声)にとなへ乃至いきて候ひし時よりもなをいろ(色)もしろ(白)く、かたちもそむ(損)せずと云云。

 法華経に云はく「如是相(にょぜそう)乃至(ないし)本末究竟等(ほんまつくきょうとう)」云云。大論に云はく「臨終(りんじゅう)の時色黒きは地獄に堕(お)つ」等云云。守護経に云はく「地獄に堕つるに十五の相、餓鬼に八種の相、畜生に五種の相」等云云。天台大師の摩訶止観(まかしかん)に云はく「身の黒色は地獄の陰を譬ふ」等云云。

 夫(それ)以(おもん)みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚(なお)譬(たと)へにあらず。かしこ(賢)きも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべしと思ひて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんが(勘)へあつ(集)めて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並びに臨終の後とに引き向けてみ候へば、すこ(少)しもくもりなし。此の人は地獄に堕ちぬ乃至人天とはみへて候を、世間の人々或は師匠・父母等の臨終の相をかくして西方浄土往生(さいほうじょうどおうじょう)とのみ申し候。悲しいかな、師匠は悪道に堕ちて多くの苦しのびがたければ、弟子はとゞまりゐて師の臨終をさんだん(讃歎)し、地獄の苦を増長せしむる。譬へばつみ(罪)ふかき者を口をふさいできうもん(糾問)し、はれ物の口をあけずしてや(病)まするがごとし。

 しかるに今の御消息に云はく、いきて候ひし時よりも、なをいろ(色)しろ(白)く、かたちもそむ(損)せずと云云。天台云はく「白々は天に譬ふ」と。大論に云はく「赤白端正なる者は天上を得る」云云。天台大師御臨終の記に云はく「色白し」と。玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)御臨終を記して云はく「色白し」と。一代聖教の定むる名目に云はく「黒業は六道にとゞまり、白業は四聖となる」と。

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参考 地獄に堕ちる15の相

@ 集まった自分の身内に対しても、険しく猛々しい目つきで睨む。

A 手で空をつかんで、もがき苦しむ。

B 筋道の通った思考を失う。

C 恐怖のあまり、涙を流して泣き叫ぶ。

D 大小便が垂れ流しとなる。

E 苦しみのあまり、目を固く閉じてしまう。

F 苦しみのあまり、手で顔面を覆って悶絶する。

G 異常な食欲が出て、狂ったように飲み食らう。

H 身体や口から腐敗臭が漂い出る。

I 恐怖のあまり、手足を震わせて怖れおののく。

J 鼻筋が曲がって、凄まじい形相となる。

K 白目を剥きだしてしまう。

L 目が血走って真っ赤に変色する。

M 顔面を伏せて、苦しみ、うめく。

N 苦しみのあまり、身体を屈めて悶絶する。

(守護国界主陀羅尼経)

補足

「破れた皮膚から膿が流れ出したり、全身に熱い汗をかいて苦しむ。」(新編363頁)

「狂乱して絶命する。」(新編314頁)

「眼、あるいは耳、鼻、口、毛孔などから、血を吹き出す。」(法華伝)

「死後、遺体の色がどす黒く変色し、皮膚が収縮して骨がはっきり顕れる」(新編1023頁)

「遺体が固く硬直し、ずっしりと重く感じる。」(新編1290頁)

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■ 一、他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。

中正論【八 六十】に云く、縦ひ正念称名にして死すとも法華謗法の大罪在る故に阿鼻獄に入る事疑ひ無しと云云。

私に云く、禅宗の三階は現に声を失ひて死す、真言の善無畏は皮黒く、浄土の善導顛倒狂乱す、他宗の祖師已に其れ此くの如し、末弟の輩、其の義知る可し、師は是れ針の如し弟子檀那は糸の如し、其の人命終して阿鼻獄に入るとは此れ也云云。

■一、法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事。

安心禄 十六 問ふ、若し臨終の時、或は重病に依り、正念を失却し、唱題すること能はず、空しく死亡せば悪趣に堕ちん哉。

答ふ一たび妙法を信じて謗法せざる者は、無量億劫にも悪趣に堕ちず。

涅槃経に云く、四依品の会疏【六 十二】我れ涅槃の後、若し此くの如き大乗微妙の経典を聞くことを得、信敬の心を生ずること有らん、当に知るべし是れ等は未来世百千億劫に於て悪道に堕ちず已上。

二十巻徳行品会疏【二十 十八】若し衆生有り、一経を耳に振れば劫後七劫悪趣に堕せず已上。

涅槃尚然也、況や法華をや。

経力甚深なる事、仰で信敬すべし、

況や提婆品に云く、浄心に信敬し疑惑を生ぜざる者は地獄・餓鬼・畜生に堕せず、十方の仏前に生れん云云。

信敬と云ふは五種の中には受持の行に当る、況や行を加へて妙法を唱へんをや、

御書【十一 初】(※1)一期生の中に但だ一返の口唱すら悪道に堕ちず、深く信受すべし云云。

私に云く、神力品に云く、我が滅度の後に於て応さに此の経を受持すべし、是の人、仏道に於て決定して疑ひ有ること無し云云。

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※1 法華題目抄   文永三年一月六日  四五歳 353

問うて云はく、法華経の意をもしらず、義理をもあぢはゝずして、只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて、一日に一返(ぺん)、一月乃至(ないし)一年十年一期生の間に只一返なんど唱へても軽重の悪に引かれずして四悪趣(あくしゅ)におもむかず、つひに不退の位にいたるべしや。答へて云はく、しかるべきなり。

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■ 一、臨終に唱題する者は必ず成仏する事。

先ず平生に心を懸け造次顛沛(※とっさの場合と、つまずいて倒れる場合。 わずかな時間のたとえ。)にも最も唱題すべし。

亦三宝に祈ること肝要也。

又善知識の教を得て、兼て死期を知り、「臨終正念・証大菩提」と祈るべき也。

多年の行功に依り、三宝の加護に依り、必ず臨終正念する也、

臨終正念にして妙法を口唱すれば決定無有疑也。

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■ 一、伝教大師一大事の秘書修禅寺決 四丁 

「臨終の一念三観は、人臨終に断末魔の苦、速かに来て、身体に迫る時、心神昏昧にして、是事非事を弁ぜず、

若し臨終の時に於て出離の要法を修せずんば、平生の習学、何の詮要か有らん。

故に此の位に於て、法具の一心三観を修す可し、とは、即ち妙法蓮華経是れ也。

臨終の時、南無妙法蓮華経と唱へば、妙法の功に由て、速かに菩提を成じ、生死の身を受けざらしむ、是れ爾(しか)し仏力・法力・信力也。」

 

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■ 一、文句【四 七十二】云く、那先経に云く

「人死に臨み南無仏と称すれば泥梨(ないり=地獄。奈落)を免るることを得、とは如何(いかん)。

人一石を持して水上に置けば石必ず没すること疑ひ無し、

若し能く百の石子を持て船上に置けば必ず没せざるが如し、

若し直爾(じきじー直ちにそのままに)に死すれば必ず泥梨に入る、石を水に置くが如し、

若し死に臨みて南無仏と称すれば、仏力の故に泥梨に入らざら令む、船力の故に石をして没せざら使むるが如しと云云、種脱云云。

御書【五 二十九】に云く、「提婆達多は世尊の御身より血を出だせしかども、臨終の時には南無と唱へたりき、仏とだに申したりしかば地獄に堕つべからざりし云云。


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※  撰時抄 建治元年六月一〇日  五四歳 867

提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども、臨終の時には南無と唱へたりき。仏とだに申したりしかば地獄には墮つべからざりしを、業ふか(深)くして但(ただ)南無とのみとな(唱)へて仏とはいわず。

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又【三二 十二】云く

「又法華経の題目を臨終の時二返唱へ玉ふ云云、法華経第七に云く於我滅度後○無有疑云云、妄語の経々すら法華経の大海に入りぬれば法華経の御力に責められて実語と成り候、況や法華経の題目をや。白粉の力には漆を変じて雪の如く白くなす、須弥山に近く衆鳥は皆金色となり候也、法華経の題目を持つ人は一生乃至過去遠々劫の黒業の漆変じて白業の大善と成る、況んや無始の善根皆変じて金色となり候、然るに故聖霊は最期臨終に南無妙法蓮華経と唱へさせ玉ひしかば一生乃至無始の悪業変じて仏種と成り玉ふ、煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏と申す法門は是也云云、此の文法力也。

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※ 1482

  妙法尼御前御返事    弘安三年七月一四日  五九歳

御消息に云はく、めうほうれんぐゑきゃう(妙法蓮華経)をよるひる(夜昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしゃう(高声)にとなへ乃至いきて候ひし時よりもなをいろ(色)もしろ(白)く、かたちもそむ(損)せずと云云。

法華経に云はく「如是相(にょぜそう)乃至(ないし)本末究竟等(ほんまつくきょうとう)」云云。大論に云はく「臨終(りんじゅう)の時色黒きは地獄に堕(お)つ」等云云。守護経に云はく「地獄に堕つるに十五の相、餓鬼に八種の相、畜生に五種の相」等云云。天台大師の摩訶止観(まかしかん)に云はく「身の黒色は地獄の陰を譬ふ」等云云。

夫(それ)以(おもん)みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚(なお)譬(たと)へにあらず。かしこ(賢)きも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべしと思ひて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんが(勘)へあつ(集)めて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並びに臨終の後とに引き向けてみ候へば、すこ(少)しもくもりなし。此の人は地獄に堕ちぬ乃至人天とはみへて候を、世間の人々或は師匠・父母等の臨終の相をかくして西方浄土往生(さいほうじょうどおうじょう)とのみ申し候。悲しいかな、師匠は悪道に堕ちて多くの苦しのびがたければ、弟子はとゞまりゐて師の臨終をさんだん(讃歎)し、地獄の苦を増長せしむる。譬へばつみ(罪)ふかき者を口をふさいできうもん(糾問)し、はれ物の口をあけずしてや(病)まするがごとし。

しかるに今の御消息に云はく、いきて候ひし時よりも、なをいろ(色)しろ(白)く、かたちもそむ(損)せずと云云。天台云はく「白々は天に譬ふ」と。大論に云はく「赤白端正なる者は天上を得る」云云。天台大師御臨終の記に云はく「色白し」と。玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)御臨終を記して云はく「色白し」と。一代聖教の定むる名目に云はく「黒業は六道にとゞまり、白業は四聖となる」と。此等の文証と現証をもってかんがへて候に、此の人は天に生ぜるか。はた又法華経の名号を臨終に二反となうと云云。法華経の第七の巻に云はく「我滅度の後に於て応(まさ)に此の経を受持すべし。是の人仏道に於て決定(けつじょう)して疑ひあること無けん」云云。

一代の聖教いづれもいづれも、をろ(愚)かなる事は候はず。皆我等が親父、大聖教主釈尊の金言なり。皆真実なり。皆実語なり。其の中にをいて又小乗・大乗、顕教・密教、権大乗・実大乗あいわかれて候。仏説と申すは二天・三仙・外道・道士の経々にたいし候へば、此等は妄語(もうご)、仏説は実語にて候。此の実語の中に妄語あり、実語あり、綺語(きご)も悪口(あっく)もあり。其の中に法華経は実語の中の実語なり。真実の中の真実なり。真言宗と華厳宗と三論と法相と倶舎・成実と律宗と念仏宗と禅宗等は実語の中の妄語より立て出だせる宗々なり。法華宗は此等(これら)の宗々にはに(似)るべくもなき実語なり。法華経の実語なるのみならず、一代妄語の経々すら法華経の大海に入りぬれば、法華経の御力にせめられて実語となり候。いわうや法華経の題目をや。白粉(おしろい)の力は漆(うるし)を変じて雪のごとく白くなす。須弥山(しゅみせん)に近づく衆色は皆金色なり。法華経の名号を持つ人は、一生乃至(ないし)過去遠々劫(かこおんのんごう)の黒業の漆変じて白業の大善となる。いわうや無始の善根皆変じて金色となり候なり。

しかれば故聖霊、最後臨終に南無妙法蓮華経ととな(唱)へさせ給ひしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給ふ。煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)、生死即涅槃(しょうじそくねはん)、即身成仏と申す法門なり。かゝる人の縁の夫妻にならせ給へば、又女人成仏も疑ひなかるべし。若し此の事虚事(そらごと)ならば釈迦・多宝・十方分身の諸仏は妄語の人、大妄語の人、悪人なり。一切衆生をたぼらかして地獄におとす人なるべし。提婆達多(だいばだった)は寂光浄土の主となり、教主釈尊は阿鼻大城(あびだいじょう)のほのを(炎)にむせび給ふべし。日月は地に落ち、大地はくつがへり、河は逆しまに流れ、須弥山はくだけをつべし。日蓮が妄語にはあらず、十方三世の諸仏の妄語なり。いかでか其の義候べきとこそをぼ(覚)へ候へ。委(くわ)しくは見参(げんざん)の時申すべく候。

 七月十四日                     日蓮花押    

妙法尼御前申させ給へ

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大論【二四 十四】「臨終の一念は百年の行力に勝れたり、心力決定して猛利なること火の如く毒の如し、少なりと雖も大事を成す、人の陣に入りて身命を惜まざるを名て健と為すが如しと」云云、臨終には信力猛利の故に仏力・法力も、ともに弥々顕れ即身成仏するなり、譬へば好き火打と石の角とほくちと此の三寄り合て火を用ゆるが如し云云。

【二二 十四】又【二八 三】云く「此の道に入りぬる人にも上中下三根はあれども同じく一生の内に顕るる也、上根の人は聞く処にて覚り極って顕す、中根の人は若しは一日若しは一月若しは一年に顕す也、下根の人は、のびゆく所がなくてつまりぬれば一生の内に限りたつ事なれば臨終の時に至って諸の見へつる夢も覚めてうつつになりぬるが如く、只今迄見ゆる処の生死妄想の邪が思ひ、ひがめの理りはあと形もばくなりて本覚のうつつの覚りにかへりて法界を見れば皆寂光の極楽にて日来賤しと思ふ我が此の身が三身即一の本覚の如来にてあるべき也。」

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※ 十如是事   正嘉二年  三七歳 105

此の道に入りぬる人にも上中下の三根(こん)はあれども、同じく一生の内に顕はすなり。上根の人は聞く所にて覚りを極めて顕はす。中根の人は若(も)しは一日、若しは一月、若しは一年に顕はすなり。下根の人はの(延)びゆく所なくてつま(詰)りぬれば、一生の内に限りたる事なれば、臨終の時に至りて諸(もろもろ)のみえつる夢も覚(さ)めてうつゝ(寤)になりぬるが如く、只今までみつる所の生死妄想の邪思(ひがおも)ひ、ひがめの理はあと形もなくなりて、本覚のうつゝの覚りにかへりて法界をみれば皆寂光の極楽にて、日来(ひごろ)賤(いや)しと思ひし我が此の身が、三身即一の本覚の如来にてあるべきなり。

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御書【三二 二十二】日蓮が法門だに僻事に候はゞ臨終には正念に住し候はじ文。

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※ 上野殿御返事   弘安元年四月一日  五七歳 1219

日蓮が法門だにひが(僻)事に候はヾ、よも臨終には正念には住し候はじ。

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御書【十三 二十八】我が弟子の中に信心薄く浅き者は、臨終の時阿鼻の相を現ずべし、其の時我を恨むべからず等云云。

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※ 顕立正意抄   文永一一年一二月二五日  五三歳 750

日蓮が弟子等又此の大難脱(のが)れ難きか。彼の不軽軽毀(ふきょうきょうき)の衆は現身(げんしん)に信伏随従の四字を加ふれども猶先謗(せんぼう)の強きに依って先づ阿鼻大城に堕し、千劫(せんごう)を経歴(きょうりゃく)して大苦悩を受く。今日蓮が弟子等も亦是くの如し。或は信じ或は伏し、或は随ひ或は従ふ。但名のみ之を仮りて心中に染まらざる信心薄き者は、設ひ千劫をば経ずとも或は一無間(いちむけん)或は二無間(にむけん)乃至十百無間疑ひ無からん者か。是を免(まぬか)れんと欲せば各薬王(やくおう)・楽法(ぎょうぼう)の如く臂(ひじ)を焼き皮を剥(は)ぎ、雪山(せっせん)・国王等の如く身を投げ心を仕(つか)へよ。若し爾(しか)らずんば五体を地に投げ遍身に汗を流せ。若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め。若し爾らずんば奴婢(ぬひ)となって持者に奉(つか)へよ。若し爾らずんば等云云。四悉檀を以て時に適(かな)ふのみ。我が弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は臨終の時阿鼻獄(あびごく)の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず等云云。

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■ 一、末法本未有善云云【十一 四十七】云云。

■ 一、末法在世下種一人もなき事【二五ヲ 四】云云。

外二四教行証御書に云く、今末法に入り在世結縁の者一人も無く権実の二機悉く失せり、此の時は濁世たる当世の逆謗の二人に初めて本門寿量品の肝心南無妙法蓮華経を以て下種とす、是好良薬、今留在此は是也文。

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※ 教行証御書  建治三年三月二一日  五六歳 1103

今末法に入っては教のみ有って行証無く在世結縁(けちえん)の者一人も無く、権実の二機悉(ことごと)く失(う)せり。此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に、初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為(な)す。「是の好き良薬(ろうやく)を今留めて此に在(お)く。汝取って服すべし。差(い)えじと憂(うれ)ふること勿(なか)れ」とは是なり。

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■ 私に云く一には在世を去る事遠きが故に、二には現に濁世の衆生なる故に、三には仏鑒(かんがみ)て本化を以て下種の導師と定むる故に、四には威音王仏の像法と釈尊の末法と同じき故に文已上。

臨終用心抄終。

 

   寛延元戊辰暦八月二十七日在山之砌り書写し奉り畢んぬ。

         大日蓮華山門流優婆塞 了哲日心

弘化三丙牛八月栗木仁兵衛日敬本には題に臨終用心抄とありて、奥に富士日寛師説法也とあり、嘉永五年壬二月中旬広察本には寛師の名なし、臨終用心抄とはあり、此の二本共に了哲本とは同じからず、又転写の為の相違にあらず、或は聴聞者の覚書なるが故に互ひに繁簡(繁く、あるいは簡略)あるものか、更詳。

昭和十一年十月七日朱校を加へ【原本になり】了ぬ。

日亨 在判。