いま私たちがやるべきこと〜2030年の信仰

 

「安心・安全」の未来@

 

久住寺執事 児玉光瑞

 

○ 高齢者にやさしい

「安心・安全」という言葉は、今や重要なキーワードです。平易な言葉なので、あまり気にしない方もいるかも知れませんね。バブル崩壊前後から徐々に増えはじめ、2000年を超えた頃から、多用されはじめました。大災害や列車事故などが連続して起きはじめたからです。かくして現在はありとあらゆるところで「安心・安全」が謳われています。

日本はひと昔前と比べ、高齢者が暮らしやすい社会へと変わりました。今や世間のどこをみても高齢者、正確には65歳以上の高度経済成長期を生き抜いてきた方に使いやすいデザインとなりました。九州の片田舎でも、9割以上の高齢者が携帯電話ないしはスマホを持っています。モノだけではありません。介護保険制度は団塊の世代が高齢を迎える際の危機感から始まりましたし、世の中には高齢者向けのサービスで溢れています。テレビ・新聞だって、広告を見たら一目瞭然ですね。子供・若者向けの広告は激減しました。もはや団塊の世代向けのメディアヘと変化したのです。それではY世代・Z世代と呼ぱれる10代〜20代はというと、ユーチューブのようなインターネットを介した媒体を視聴しているのです。

○ やさしいとは?

 IT技術の進化に、取り残されている感を抱く方も多いかも知れませんね。しかし、社会の一つひとつをみると、団塊の世代に適した社会へと確実に変化しました。それなのにその実感がなく、取り残されている感じがあるのはなぜでしょう。高齢者に本当にやさしいのでしょうか。勘の鋭い方はすでにお気づきかも知れませんね。日本は高齢者にやさしくなったのではなく、経済活動の顧客が、65歳以上の団塊の世代に変化しただけなのです。人口の多い世代に販売したほうが儲かるからです。国会議員は、その方が票が入るからです。さらには、大物政治家や大企業の役員はその多くが65歳以上の高齢者だからです。要するに、今の日本は、65歳以上の高齢者によって治められているのです。

 「やさしい」とは、私が敢えて使ったまやかしの言葉です。「やさしい」も「安心・安全」と同様に、平易な言葉ですが、その使われ方に思想的な変遷があります。特にバブル崩壊前後に、歌謡曲などに多用されました。そこに深遠なる思想があるわけではなく、「フワツとしてるけど、耳さわりよく使いやすい言葉」です。かくして、 「地球にやさしい」 「安心・安全な街づくり」といった、どうとでも解釈ができるけど耳さわりのよいキャッチフレーズが流布したのです。

○ 本質を見極める力を

 地球は「やさしくして欲しい」なんていいません。環境汚染をすると人間か困るから、賢い人が伝わりやすいキャッチフレーズを考えただけです。日本は確かに昔と比べれば、格段に高齢者の利便性が向上しました。しかしそれは、本当に「やさしさ」なのかよく考えなければなりません。

 コロナ対策を例にとると、感染拡大を抑えるのであれば、感染拡大させている人から打つのが合理的です。それが若者であれば若者を、夜のお店であれば夜のお店から行うのが合理的です。しかし、 「日本らしいやり方」は、死亡リスクが高い順でした。自力で外出できない寝たきりの高齢者に、大変な思いをさせてワクチン接種させ、一生の思い出になるはずだった子供の修学旅行を本当に中止しなければならなかったのか。年齢以外に別の切り分け方はなかったのか。「ウィズコロナ」ではなく、ただただコロテを怖がっているだけでは・・・。

750年前、日蓮大聖人はすでに「当世の学者は…」と事の本質を理解できない社会を嘆いておられます。

 現在の社会は、表面上の言葉で判断してはいないか、正しく考えられているのか、「事の本質」をよく考えてみましょう。

 次回へ続きます。

 

 

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