エウレカ!(我、発見せり)

 

第86回 野蛮人のように

 

高橋源一郎

 

 

映画『野蛮人のように』で、ヒロインの薬師丸ひろ子がチンピラヤクザの柴田恭平にいうセリフが「野蛮人!」。もちろん、愛をこめて、である。

名ピアニスト・中村紘子の伝説の名エッセイ集『ピアニストという蛮族がいる』(中公文庫)は、こんなふうに始まっている。

「この私自身をも含めてこのピアニストという種族について、気取っていえば神話的感慨、社会的公正を期していうならば、洗練された現代の人間とはまことに異質な、言ってみれば古代の蛮族の営みでも見るみたいな不思議な感慨、を、或る感動と供笑と共に催すことがある」

それはなぜか。彼らは、みんな、3、4歳の頃から毎日6、7時間もひたすらピアノを弾き続ける。膨大な「オタマジャクシ」の群の、その1つ1つの音に魂をこめて。その結果、通常の社会人の感覚を持たない人間になるのである。

 真っ暗な舞台の中央に置かれたチェンバロ。照明は、そのすぐ横のランプだけ(!)。そこに不思議な服を着て、しずしずと宗教的な儀式をするかのようにゆっくり歩いて登場するランドフスカ。

基本から練習を始めたのが24歳なのに、アメリカで史上最大の人気ピアニストになった上に、最後はポーランドの首相になったパデレフスキー。

第1次大戦後の平和会議でフランスのクレマンソー首相と会った時の会話が、これ。

「あなたが本当にあのピアニストとして著名だったパデレフスキーさんですか」

「ええ」

「そして、今はポーランドの首相?」

「ええ」

「おお、お気の毒に、なんたる転落でしょう」

「スペインのショパン」と謳われたイサーク・アルベニスは1歳でピアノの手ほどきを受け、4歳で即興演奏を公開、6歳のときパリ音楽院の試験官の前で演奏して、うならせたが、ポケットからボールを出して会場の窓ガラスにぶつけて割り、マジメな教授たちを脅かしたため入学は出来なかった。そのまま、父の言いなりで演奏旅行を続け、やがて9歳で家出、南北両アメリカをまたにかけた演奏旅行を続けた。カジノで弾き、金を山賊に奪われ、乞食にまで落ちぶれた。11、2歳の頃である。

アイリーン・ジョイスは辺境の地、オーストラリア・タスマニア島の大自然の中で生まれ育った。唯一の友だちが草原で拾ったカンガルーだった。6歳の頃、山の中で小さなハーモニカを吹く男と出会った。それが「音楽」との出会いであり、その男の口から「ピアノ」という言葉を聞いたのがピアノとの出会いだった。7歳の時、尼僧が弾くピアノを聴いたアイリーンは、仲良しのカンガルーを連れて外でハーモニカを吹き、金を集め、尼僧からピテノを習った。そして、桁外れの才能の持ち主であることが知られたアイリーンは、レコードとコンサートでロンドン中に興奮を巻き起こし、さらに、その美貌で映画スターにもなり、毀誉褒貶の生涯を送った。

そして、指を強化するために牛の乳しぼりを敢行し、そのあげく「牛乳の紙パック」を発明してしまったド・パッハマンは「演奏中に間違うと、自分の問違った方の手をもう一方の手でピシャリと叩いて大声で叱る」ことでも有名だった。

一方、完璧な演奏を求めて演奏会を拒否し、レコーディングだけに命をかけ、その録音中のウナリ声で有名だったグレン・グールドは、皇夏でも「オーバーコートを羽織りマフラーを首に巻き、手袋をはめていた」。それは、ちっともものを食べないので血糖値が低かったからではないかと言われてている。

上には上がいる。ベネデッティ・ミケランジェリだ。彼が、有名なブゾーニ・コンクールが開かれる、辺鄙な田舎町ボルツァーノに住んでいるのは「この町に庄む年上の人妻に夢中になつたから」だし、コンサートのために4度も日本の上を踏んだのに、予定通り日程をこなしたのがたった1度だけで、いつも突然キャンセルしてしまうのは、彼の言い分では「私は大変に高額のギャラを貰っている。それなのに不充分な演奏をしたら、聴衆に中し訳ない」からなのだ。たぶん、調子が出なかったのだろう。

誰になんとといわれようと、自分らしきを絶対に失わない「蛮族」たるピアニストたち。

だから、最後に中村さんはこう書くのである。

「社会がどう変ろうと、誰かなんと言おうと、私たちピアニストという蛮族はラクダのように悠々と進んでいく・・・今日も一日中ピアノを弾いてしまうのだ。あくまでも蛮族らしく信じ難いほどの真面目さで、そして滑稽なほど心をこめて、まるで或る素朴な、そして限りなく豊穣な太古からの人間の魂の最奥の夢でも育んでいるかのように」

さて、我々はどうか。あらゆるものが便利に、すぐに、簡単に手に入る、こんな時代に、野蛮さをすっかり奪われたままで。

 

 

 

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