エウレカ!(我、発見せり)
第65回 ひとが生まれる
高橋 源一郎
「ひとが生まれる」とは、どんな意味だろうか。犬 も猫も生まれることに変わりはない。いや。犬や猫が生まれることと人問が生まれることに違いがあるとすれば、それは何だろうか。それを考えるために、 鶴見俊輔さんは『ひとが生まれる』という本を書いた。ちなみに、これは「ちくま少年図書館」という シリーズの一冊。要するに、子どものための本だ。
本の中で、鶴見さんは5人の日本人をとりあげた。 中浜万次郎(ジョン万次郎)、田中正造、横田英子、 金子ふみ子、林尹夫、である。わたしは2人の名前 を知っていたが、他の3人は知らなかった。その中 の一人について書いてみる。金子ふみ子である。
「金子ふみ子は、明治36年(1903年)、横浜 で生まれた。父は佐伯文一といい、寿署の刑事だっ た。母は金子とくの。彼女が母方の姓をとって、金 子ふみ子という名でとおしたわけは、父が彼女を籍に入れてくれなかったからで、彼女は長いあいだ籍 のない子どもだった。母の金子とくのは、ふみ子を私生児として届け出たいと思ったが、それさえも、 父の佐伯文一が許さなかった」
そんなふうに金子ふみ子は人生を始めた。母からも父からも養育を放棄され、文字通り転落してゆく 家族の道連れにされて生きた。満6歳になっても小学校に上がれなかった。戸籍がなかったからである。 ふみ子は、遊び友だちが、歌を歌いながら自分の家の前を通って学校にゆくのを見送った。その時の痛いはどの孤独を忘れたことがなかった。
「父は字が読めたが、子どもに教えてくれず、母は文字をまったく知らなかった。ふみ子は、母が買い物をしてもって帰ってきた包紙の新聞をひろげて、 字を教えられないままに、目分の考えたことをかってにそこにあてはめて読んでみた。こうして彼女の教育は、家庭によって与えられたものでなく、国家によって与えられたものでもなく、目分自身によるものとして、現われた」
貧困のどん底にあって、ふみ子は、ある家のゴミ ための中に「こげついた真っ黒な飯」が捨ててあるのを見てひろって食べたこともあった。やがて、ふみ子は母の実家に流れつき、小学校にいれてもらえることになったが、そこでも。いつも除け者にされ た。「教室では一番よくできたのに、ふ子はみなのもらう成績表をもらうことがなかった」のである。
7歳の頃、朝鮮から父方の祖母が迎えきて、ふみ子は朝鮮に渡り、足かは7年を過ごした。祖母は 過酷な人で、なつかないふみ子を嫌い、その7年の間、女中として使い、せっかんをし続けた。
「ある夏、彼女は自殺を計って、家をぬけ出した。 腰巻をひろげて、それに石を入れて腹にまきつけ、 たもとに石をっめて川にはいろうとする。その時、 頭の上で急にアブラゼミがなきだした。
なんという美しい自然であろう。なんという平和な静はさであろう。そう思った時に、急にふみ子は 悲しくなった。
『祖母や叔母の無情や冷酷からはのがれられる。けれど、世にはまだ愛すべきものが無数にある。美しいものが無数にある。私の住む世界も、祖母や叔母の家ばかりとは限らない。世界は広い』」
この瞬間、金子ふみ子という、ひとりの「ひとが生まれ」たのである。強い意志をもって、自分自身の足で歩くことが、何よりも大切なことだ、と考える人間が生まれたのだ。彼女は自分をいじめ、虐げるものすべてに復讐をしようと誓った。どんなやり 方でか。学問をし、この世界を誰よりも深く知ることによって、である。
「私は死の国のしきいに片足踏みこんで急にきびすを返した。そしてこの世の地獄である私の叔母の家 へと帰った。帰ってきた私には、一つの希望の光が ――憂鬱な黒い光が――輝いていた。そうして今は、 もうどんな苦痛にも耐え得る力をもっているのだった。『私はもう子どもではなかった。うちにとげをもった小さな悪魔のようなものであった。知識欲が猛然として私のうちに湧き上がってきた』」
朝鮮から帰国した金子ふみ子が、それからどんな 生涯をたどったのかは、先頃、公開された映画『金子文子と朴烈』に描かれている。金平ふみ子は、学び、学び、学び、戦い、やがて「大逆事件」の被告 として逮捕され(冤罪だとされているが)死刑を宣告された。その直後、無期懲役に減じられた彼女は、 それを潔しとせず、刑務所の中で自殺する。最後の置き土産として獄中で書かれたで原稿用紙千枚もの 『自伝』の最後に、彼女はこう書いた。
「私は今で平静な冷やかな心でこの粗雑な記録の筆をおく。私の愛するすべてのものの上に祝福あれ!」