エウレカ!(我、発見せり)

 

 

第56回 その意味、知ってますか?   

 

高橋源一郎

 




 ほとんどの日本人は、ご飯を食べる際、毎回「いただきます」という言葉を使っているはずである。もちろん、最初から最後まで黙って、ただ食べるだけという人もいるだろう。そういう人は、たとえば夫であったら、ほぼ必ず、妻は「この人といつか離婚してやる」と思っている可能性が高いので(わたしの父親の場合がそうでが……)、気をつけてください。

もちろん。わたしも、毎食きちんと「いただきます」と声を出してから、ご飯をいただいてます。

ところで、つかぬことをうかがいまずが、「いただきます」って、どんな意味だか知っていますか?いや、意味を理解した上で、その言葉を使用なさっています? なんとなく、料理を作ってくれた人への感謝の意味が含まれている、と思っていませんでしたか? あるいは、「いただく」は「食べろ」の丁寧語じゃないの、とか思っていませんでしたか?

でも、どっちも間違い!

なんてことだ。ぜんぜん気づいていなかったのである。『訳せない日本語』(大束尚川著・アルファポリス)を読むまでは。

「本来『いただきます』の前には『いのちを』という言葉が隠されているのです。……私たち人間は、動物、野菜、空気中の細菌やウイルスを含め、他のいのちの犠牲なくしては生きていけないのです。言い換えるならば、私たちは常にさまざまな『いのち』に支えられて『生かされている』のです。この意味を踏まえると、まず『いただきます』と□にして思うべきことは、『申しわけない』という他のいのちへの懺悔なのです。すると自ずと頭が下がりまず。そして、そこから感謝が生まれてくろのです。ですから、一案として英訳は『I am so sorry for taking your life and greatly appreciate receiving your life.』(あなたのいのちを奪ってしまい、申し訳ありません。有り難く『いのち』を頂戴いたします)と表現できると思います」

ああああっ……いままでなんて無神経に「いただきます」といっていたのだろう。ほんとうに反省します。

では、次は「いってきます」である。

当然、みなさんはどこかへ出かける際には、この言葉を発するはずである。朝、家を出るとき、会仕からどこかへ営業に出かけるとき、無言で出かけたら、誰も気づかない可能性があるし、「いただきます」と同様に、「絶対離婚してやる」と思われるだろうから、ぜひともやるべき。もちろん、わたしも、必ず「いってきます」といっております。じゃあ、意味は? いや、だから、ただの伝言じゃないの?

違います。ぜんぜん。

著者の大束さんも、実は、最初のうち、ただの挨拶だと思っていたのである。だから、「アメリカで生活を始めた当初は、どこかへ一方的に『行くこと』や『出発すること』を強調する言葉として、『I am going}(行きます)、『I am leaving』(去ります)、〔I am off〕(出発します)』と言っていたのです。しかし、実際にネイティヴの方がこのような表現を使うことは、めったにありませんでした。その代わりに使っていた表現が、『See your later』(また後で会いましょう)や『See your around』(またね)でした。これは再会の願いが込められたとても素敵な表現で、ただどこかへ出かけることを伝えるニュアンスで使う日本語の『いってきます』より、よほど温かみのある表現だと感心していました」

ここまで読むと、英語の方が日本語よりいいじやん、となってしまうでしょう。でも、、違うのだ。

「しかし、これは私の誤解だったのです。日本語の『いってきます』に漢字を当てはめると『行って来ます』となり、『行って帰ってくる』ことを意味します」

そう、日本語も、英語と同じく「また後で会いましょう」の意味だったのだ。

それで驚いてはいけない。大束さんはさらに考えたのである。

日本語の熟語の多くは、仏教に由来している。というか、仏教的な考え方が根底にある。「また後で会いましょう」といったとき、いったい、どこで再会するのか。もちろん、朝、家を出た人は、運が良ければ、夕方か夜には帰ってくる(ブラック企業にお勤めでないことを祈る)。けれど、遠くへ旅立っ人は、いつ帰ってくるのか、無事に帰ってくるのかわからない。なんでも、仏教用語には「倶会一処」という言葉があって、それは「いつか浄土で会う」という意味なのだそうだ。煩悩だらけの人間でも、いつか仏になり、浄土で生まれ変わって再会する。そんな意味が「いってきます」の奥底には流れている。なんて壮大なスケールの言葉なんだろう。これはもう、絶対、明日から、重々しく、深くお辞儀をし、両手をこすり合わせながら、「いってきます」といおうと思う。心配される……かもしれませんが。

 

 

もどる