エウレカ!(我、発見せり)
第55回 カッコいい教科書
高橋源一郎
世の中には、「教科書なのに面自い」ものがある。いや、「教科書なのにカッコいい」ものが。それが、今回、ご紹介する「あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書」(アーネ・リンドクウィスト、ヤン・ウェステル 川上邦夫訳 新評論)だ。
ちなみに、わたしたちの国の「中学校の社会の教科書」のタイトルを見てみよう。「新しい社会 歴史」「中学社会 歴史 未来をひらく」「中学社会 公民 ともに生きる」「中学社会 公民 的分野」「新中学 公民 日本の社会と世界」・・・。誰からも文句を言われぬ美辞麗句、という感じだろうか。でもって、こっちは「あなた自身の社会」。なんだか、真正面から話しかけられているような気がするではありませんか。ちょっと頁を開いてみよう。第1章が「法律と権利」。第2章が「あなたと他の人々」。で、その第2章を読んでみる。「1・グループ」と書いてある。いきなり、ひとりの少年が、寄ってたかっていじめられている衝撃の写真が載っていて、こんな文章が添えられている。
「写真をごらんなさい。ここに写っている様子は、特にめずらしいものではありませんね。いじめは、どの学校でも起こっています。この写真を見て、あなたけ何を考えますか。あなたは誰に同情しますか。その場にいたら、あなたはどうしますか。
ほとんどの人は、いじめられている人を助けてやらねばと強く思います。しかし現実には、そこにあえて割って入るうとする人は稀です。私たちは恐れるのです。もしそうしたら、次には自分がいじめられることにならないかと恐れるのです」
この文章を読んだ上で、さらに設問が課せられている。
「友達がいじめられているとき、あなたはそれをただ見ていますか。あるいは、彼女または彼を助けようとしますか?」
直球の質問が中学生たちに投けかけられている。こんな教科書を使っている学校では、「いじめ」も少ないんじやないかな。そんな気がするのである。
さて、第2章の「1・グループ」の次は「2・なに者かでありたい」。すごい。とても、教科書とは思えない言葉づかいだ。「5・女の子と男の子」では、当然のように、恋愛についての深い意見、あるいは同世代の中学生たちの声が紹介されている。「恋愛とセックスは切り離せないものです。私は、セックスはとても人事だと思います」、これはもちるんこの教科書を読む中学生自身の声。そればかりか、本文に添えられた注意書きの中に「あなたが自分の性について悩みがあるときは『性についての情報全国協会』、または『性の平等についての全国協会』に相談しなさい」とあって、連絡先まで書いてあるのですよ(!)。さらに「6・若者とアルコール」や「7・若者と麻薬」では、麻薬やアルコールがなぜダメなのかを科学的に説いてくれるし、第4章「コミューン(日本の地方自治体と考えていいだろう)」では、政治参加についても書かれていて、こんな記述も。
『人は一人では無力です。何かに彫響を与えたいとき、成功を勝ち収るのは他の人々と一緒にやるときです。多くの人々が集まりデモをすれば、統治者はより真剣に耳を傾けようとします」
でも、きわめつけは、第5章「私たちの社会保障」に掲載されているドロシー・ロー・ノルトの「子ども」という詩だ。社会の教科書に詩。それでいいのだ。
「批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる
しかし、激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる
称賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる
可愛がられ抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を感じとることを おぼえる」
日本の中学の社会の教科書も、これにしてください。