第五十五回中央             教化研究会議基調講演 

 

日蓮宗のイノベーション

 

赤堀 正明

 

 私の講演では、先師が、さまざまな社会状況の中で仏教を求め、広めるために、どのようなイノベーションを興してきたか、それを見てみたいと思います。 評論家の若葉みどりさんが、人類の考えを一変させた人として、『芸術新潮』に次の三人を挙げているのを拝見しました。まず一人目は、カール・マルクス(1818〜1883)です。カール・マルクスは、「資本家は支配者で、労働者は支配される側の人間である」と説きました。この階層は変わらないという世の中の通念を、実は虐げられている労働者が一番偉いと言って、革命を起こし、それまでの世の中の仕組みを一変させた思想家です。 二人目は、アルベルト・アインシュタイン(1879〜1995)です。アインシュタインは、「空間と時間というのは異なったものとされていたのを、それを空間と時間は同じ次元で捉えられ、しかも、状況により変化するものである」と説きました。時間などというのは不可逆のもので、しかも、一定のものであるというのを、これは仏教の教えとも近いのですが、時間そのものも長くなったり短くなったりすると捉え、全く今までの通念を一変させた思想家です。 三人目は、ジークムント・フロイト(1856〜1939)です。フロイトは、それまで「正常」と「異常」とい

 

う二元化から人間を捉えていたのを、「人間の心の奥には、おぞましい、ドロドロした異常な世界も内包している」ということを明らかにしました。「人は神の善なる子である」というのを、性のリビドーによって、人間は突き動かされている。心の奥には誰もが、そうしたものを持っていると指摘した思想家です。 次に、今日のテーマである「イノベーションする仏教」について話を進めてまいります。2500年前の釈尊、そして、2000年前の法華経、750年前の日蓮聖人、700年前の日像上人、350年前の元政上人、現在の私について、「社会状況」「問題点の把握と深化」「価値の創造」「変革の実現」という、イノベーションを興していく順序を要略した4つの視点から話を進めていきたいと思います。 まず初めに釈尊です。私は、釈尊は、人類史上最大のイノベーターであると受け止めています。なぜならば、人間の存在の根源的な意味を明らかにし、人間は、自ら至高の存在である仏になれると、人類史上、初めて宣言された方だからです。 「社会状況」について、釈尊の時代は四姓各別と言うように、僧侶、貴族、庶民、そして不可触賤民という4つの階級社会、差別社会で出来上がっていました。宗教的には、神と人の媒介者のバラモンを中心とした宗教です。神と人間の間にバラモンという媒介者が入り、その人に供養、布施することによって救われるという宗教です。「問題点の把握と深化」は、人は生まれながら自由で、平等であるべきではないか。宗教的には、媒介者は必要ない。媒介者を通して救われるのはおかしい。そして、ここから「価値の創造」につなげると、血や財産や職業や地位によって人を評価してはいけない。自らが成長するのであり、媒介者を必要とする宗教は間違いであるという考え方になります。そして「変革の実現」としては、その人の行いのみによって、人は評価すべきである。「天上天下唯我独尊」というのは、そのことの宣言でもあり、神に依らない人権の宣言です。「生きとし生けるものは幸いであれ」。神を含む何者にも左右されることなく、人は幸せになることができる。そして、来たる末法までの指針を、釈尊は法華経に示されます。 次に、法華経を含む大乗仏教についてです。「社会状況」は、ゾロアスター教等の影響で、阿弥陀如来。これはアミターバ、無量光、無量の光の如来という意味です。これは、どう見ても太陽を象徴していると考えられます。それから、大日如来も、太陽そのものであります。こうしたゾロアスター教などの影響を下に、多くの仏が並び立ち、多くの異なる教えが乱立していた時代です。 「問題の把握と深化」は、釈尊はヒンズー教からは、ヒンズー教の神の一人として位置づけられ、仏教内でも過去からの諸仏の一人として位置付けられていました。これは、「過去七仏」という信仰もあり、「妙法蓮華経序品第一」の中に、そうした経緯が織り込まれています。諸仏の中の一人ではないという認識です。そして「価値の創造」としては、仏とは、此土に人間に生まれなければならない。人間として生まれ、成道した者こそが、仏と呼ぶべきであるという考えに転換しています。我々と同じ条件でなければ、我々は仏教を信仰する意味がありません。そうでなければ、自業自得果という仏教の教えから外れてしまいます。釈尊こそが他の全ての仏を説き顕し、全ての教えを開顕し、統一する。能説能顕の仏であると、価値を捉え直され、そして、「変革の実現」としては、法華経に、三世、十方の教えと、諸仏を統一する久遠実成釈迦牟尼仏として、釈尊を位置づけられたわけです。 写真㊀は、自坊である常不軽寺所蔵のガンダーラのレリーフです。真ん中に座られているのが釈尊です。そして、両脇に諸仏・諸菩薩が立像で並列されています。これは何を意味しているのかというと、諸菩薩は、未来に仏になる弥勒菩薩を代表とする未来に仏と成る諸菩薩。そして、諸仏は、過去七仏に象徴される、過去の悟りを開いた仏です。このレリーフでは、その真ん中に釈尊だけが座った形で、特別に位置づけられ過去・未来の仏の統合を表しています。恐らくは、紀元前後から百年ぐらいの間、法華経が成立した頃に制作されたレリーフであると推測されます。 次に、日蓮聖人です。「社会状況」は、ちょうど今、NHK 

 

『鎌倉殿の十三人』で放映されていますように、兄弟同士、あるいは親が子を殺すという時代です。ちょうど貴族から武士の時代に、貴族の宗教から武士の宗教に転換しつつあった時代です。法然上人、道元禅師、栄西上人、親鸞上人などが続出した時代でもあります。ドラマに出てくる比企氏や平賀氏という、日蓮聖人を取り巻く人々も、こうした動乱の中に巻き込まれております。 「問題点の把握と深化」は、人々と国に安心と安穏をもたらすには、此土、現世に立脚する正しい仏教を立てて、此土を浄土にする必要があると帰結されたのです。そして、「価値の創造」では、此土こそ、我々が仏になれる場所である。修行し、業を能転できるのは、現世だけである。死後の成仏は難しいとされ、それまでの浄土優位の仏教を一変させました。 「変革の実現」としては、「立正安国論」に社会の事象にのっとった形での事の一念三千を明らかにし、世の中に仏教の世界観を訴えたのです。もう一点は、大曼荼羅による諸経・尊格の統一です。弘法大師は中国から四種曼荼羅を持ち帰りましたが、その四種類の一つが大曼荼羅であり、その中に有名な胎蔵界と金剛界という二種の曼荼羅があります。この二種の曼荼羅を統合するというのが弘法大師の使命でありましたが、これを成すことはできていません。なぜならば、それを統合するには、法華経の宝塔品の二仏並坐の思想が必要だからです。日蓮聖人の大曼荼羅は、金剛界、胎蔵界という二つの大きな流れの世界観を統合する。全ての教えと、全ての仏菩薩という尊格を統合する。それを成し遂げたのが日蓮聖人の大曼荼羅なのです。 次に、日像上人(像師)です。像師は、日蓮聖人の直弟子でもありますが、それこそ、我々が考えると、日蓮聖人と異なる考えを持たれていたのかと思える部分もあります。「社会状況」というのは、武士の世が商人に変わる。商人が台頭しつつあった時代であります。そういう変化の時代の中にあって、自由な発想が求められてきていたのです。 商人は救われないのか。商人というのは、日本の四姓の中では、士農工商として一番下に位置づけられています。商行為というのは、百円のものを千円で売るということなので、畑を耕して百の仕事で初めてお米ができるというものとは全く構造が違います。今日、百円のものを、あした千円で売る。そのまま聞けば詐欺のような、そうした捉え方をされていたのに対し、像師は、法華経の法師功徳品の中にある「資生業等皆順正法」。全ての生産、物を売ったりする行為は、皆、仏教である、仏法の教えであるという商行為の位置づけをされました。「商売も仏教」なのだと、発想を転換されたのです。恐らくこのことが、当時の京都の町衆の中に取り入れられ、京都の過半数が法華に改宗したという事態を招いたのではないかと考えられます。 「価値の創造」では、自分の体験から日蓮聖人の仏教を捉え、人に伝えることこそが大事であるとされたのです。単にお経文を説くのではなく、時代背景、自ら置かれている立場から仏教を捉えていくという姿勢が、非常に強く見られます。「変革の実現」を見ていくとそれがよく分かります。まず、「波揺題目」です。これは、鎌倉の由比ヶ浜で百日寒修行をして、感得されたと伝えられています。皆さん、この写真②の右側のお題目を見ていただいて、いかがでしょうか。日蓮聖人のお題目と全く違って、デフォルメされて、いわゆる「書き文字」です。そばつゆのラベルに書いてある字のような、図案化されたお題目です。皆さんが見て、恐らくは「こんなものを像師が書いたのか」と思われるような、日蓮聖人のお題目とは全く異形のお題目をお書きになっています。

 この右側のご本尊は、岡山の蓮昌寺に格護されているご本尊です。蓮昌寺の寺壇が、「ぜひ像師に来ていただきたい」ということを像師に伝えたところ、どうしても京都を空けることはできないとの返事です。そこで、岡山の蓮昌寺の檀信徒が、それぞれ紙を持ち寄り、

 

   

 

 

 

七十五紙を、京都の像師に送られました。おそらく各人、各紙毎に「ご本尊を染筆いただきたい」とお願いしたのです。ところが像師は、七十五枚を一紙にして、縦七メートル、横四メートルの巨大な本尊を描き、蓮昌寺に送られたのです。不動愛染の種字もデフォルメされて、これを見れば、お題目は単なる教えではなくて、象徴でもあるということが、見て取ることができます。 左側の宝塔は、京都の七口に存在した石塔の一つです。七口は京都に入る街道が七つあることを意味しています。像師が教化した石工が「何か布教のお手伝いを」と言われたときに、像師は「京都に入る七口にお題目の宝塔を作ってくれ。そうすれば、京都に入る人は、誰もがお題目に触れるではないか」との経緯から、作られた題目塔なのです。現在、数か所に残存しておりますが、これは、京都の宝塔寺、像師の荼毘所に移された題目塔です。 次に、一塔両尊の本尊に関して見ていきます。恐らく皆さんのお寺も、一塔両尊の形式でお奉りしているお寺は多いと思います。ところで皆さん、よく考えていただきたいのは、一塔両尊は、日蓮聖人は造像されていません。恐らくは、像師が京都に赴かれて、他宗の伽藍あるいは本尊をごらんになって、殊に弘法大師が造立された東寺の立体曼荼羅を拝見した時に、「大曼荼羅の紙幅では、荘厳に欠けるところがある」と気づかれて、大曼荼羅の中尊部を取って一塔両尊を中心とする立体形式の本尊を造像されたとも考えられます。当然、日蓮聖人の内意として、像師に御遺命があったとも推察されます。これは、大きな決断であったと思われます。それが、現在まで続いていることにもなります。 それからもう一つ、京都五山の送り火です。日蓮宗の松ヶ崎の湧泉寺というお寺で、お盆の時の送り火として始められたということが、歴史上、唯一確実な史料です。「鳥居」それから、真言宗は、弘法大師が始めたと言っていますが、そうではないのです。皆さんは「鳥居」「大」、「船形」の絵・字をどのように読み解かれていますか。これは、私が京都にいる時に、法華宗真門流の管長を務められた林日邵猊下からヒントをいただきました。 鳥居というのは、尊いものを祀る象徴です。T字の木上に鳥が止まっているのが中国の雲南省で発見されていて、それが鳥居の原型と言われています。それから、「大」は、大乗妙法の「大」です。「船形」はどうですか。乗り物です。「乗」という漢字は、点火した火では画数が多くて表現することが難しいので、船形で表したのです。読んでみてください。「大乗妙法」と読めるではありませんか。一番右の「大」は、恐らく後から付け加えられたものです。像師はこのように、教えを視覚的に人々に伝えるということで、それまでになかった、イノベーションを興された方です。 最後に、元政上人です。「仏教を楽しみ、仏教で楽しむ」生き方をされた先師です。「社会状況」は、世の中は安定しているが、平安の世になれて僧は堕落し、修行する所もない。元政上人は、それまでの日蓮宗と大きく転換した時代に生まれられています。皆さんご存じのように、江戸時代というのは、日本の歴史の中で最も安定した時代です。しかし、安定したからといって、人間が成長するわけではありません。元政上人が当時書いた詩の中には、痛烈に僧侶社会を批判したものが多くあります。なぜそれが一般の人に読まれるようにならないのか、私には不明です。又、余談ですが、私は、元政上人の和歌よりも漢詩を好みます。 「問題点の把握と深化」において、一点は、祖師の時代とは違うということを認識し、宣言しています。そう思う方は、これまでたくさんいます。でも、それを公に発言し、実行するのは、万人に一人であります。元政上人は、そのことを認識したうえで、宣言されています。こういう言葉です。「高祖師を師とすと言えどもその跡を師とせず」。日蓮聖人を尊敬して敬うけれども、同じようにするわけではないと言われたのです。今でも、追体験といって、できないのに、国家諌暁や立正安国を語る方々もいます。そこを元政上人は、はっきり「時代は異なっている」ということを宣言されたのです。 「吾が性狂愚を病む」という言葉もおっしゃっています。これは、禅宗の一休禅師、それから、臨済宗の良寛和尚が、自らを「狂」「愚」と位置づけています。親鸞上人も愚禿と自称されています。世の中が狂っているときには、自らが狂っているということは、正当性の主張でもあります。「世の中で私一人異なっていても、私はその道を貫く」というのが、狂愚という言葉に潜めた意味です。その意味で元政上人は、日蓮宗の流れの中にあって、他の僧侶と同じようなことをしたのではなくて、日蓮聖人の真意を汲んで、世の中がどうあろうと、日蓮教団がどうあろうと、

 

「自らはこの道を歩む」と宣言されたわけです。 「価値の創造」としては、歌も詩も仏道であるとされています。元政上人以前、あまり作詩・作歌を楽しまれた方はおりません。歌を詠んだり、詩を詠むことは、僧侶としてはふさわしくないと言われてきていたからです。これを逆転させ、今の時代、僧侶も作歌や作詩をたしなみ、それを楽しんで仏道とする。そのように捉え直したわけです。上人の頂相に「即身成仏 万法是師」の讃が添えられています。「全ての存在は、私が仏になるための先生である。全ての存在が私を仏に導いてくれる」、との意味です。 先ほど、元政上人は詩や歌が好きだと話ました。元政上人は持律堅固と思われていますが、お手紙などを読んでみると、和歌の集まりに行って帰ってこない。何日も帰ってこないので、お弟子が、「元政上人、いいかげんに帰ってきてください」「瑞光寺が、このままでは主人がいなくなってしまいます」とのお手紙を出されています。あるいは、『温泉遊草』といって、有馬温泉に湯治に赴いた紀行文なども残されています。今では、一般で膾炙されていた真面目一辺倒の元政上人と異なり、自由闊達な元政上人像が明らかになっています。 「変革の実現」として、幾つか見てまいります。元政上人の本門三宝本尊。これは、草書体で書かれていますが、前例のない書体です。又、両尊を南無本師釈迦牟尼仏、南無高祖日蓮大菩薩とされ、本門の三宝をもって本尊とされています。これは、今日、分かりやすく帰依する対象を明確に表したものとして位置づけられます。晩年に「十楽」の詩を作られています。一楽は「私は命を得て人となった」。そして、十楽には、「未だかって菩薩の道に想いを寄せず、ただ仏となる道を尊んでいる。なお心に仏界が具足する観心ではなく、全く私自身が仏であると信じている。私は、この十楽を得たことを限りない喜びとするものである」。仏教は楽しいものだ。こんな楽しい仏教に出会い、今日までその中にいられたことを、なんと喜ぶべきことかという上人の人生賛歌の詩です。 最後に、私のイノベーションについて簡単に触れます。「宗学のリアリティ」と題しました。現在の「社会状況」は、「三離れ」として、トーマス・ルックマン(1929〜2016)が言う「見えない宗教の時代」。瀬戸内寂聴さんが指摘された、「寺は風景になってしまった」。最近では鵜飼秀徳さんが、「寺院消滅」という言葉を語られています。仏教が見えない時代です。「問題点の把握」としては、人々は、七人に一人が精神的不安を抱えて、心の平安が求められているのに、法要とボランティアでは人は救われないのではないかと考えます。 その中で、イノベーティブな寺づくり、リアリティのある教えを行っています。島根県から200年たった古民家を移築して、その土間を使って、本堂を作っています。これは、3Rという、リ・デュース、リ・ユース、リ・サイクルにのっとったものですが、私はこれに「クリエイティブ」という言葉を加えたいとひそかに思っています。それから、「新しいお寺に世界最古の釈尊像」。紀元百年後頃に造られたガンダーラの釈尊像をお奉りしました。これも、新しい、誰も知らない、誰も来たことがないお寺です。来た人が、仏教とは何か分かる象徴として、釈尊像を求めて、このガンダーラの釈尊像に出会ったわけです。 それから、「何をやっているかハッキリ分かる看板」です。山門の傍に立てられた看板の四面です。このお寺がどんな寺で、何があり、どんなことをしているか分かり、今、やっていることを発信できる看板です。夜も十時までライトアップしています。普通、お寺の看板というと寺名だけですが、誰でもができ、イノベーションにつながる一つの入り口になるかと思い紹介させていただきました。 次に、「三離れに応えるお墓」です。このお墓は、集合型樹木葬墓として位置付けられ、白木蓮を中心に、一基で八十個の墓石が配置されています。手前から四段階で、徐々に収容量が増えていきます。それから、このお墓を取った方は皆、檀家と私は考えます。ただ、檀家としての縛りはほとんどありません。でも、法事をする人は、いたします。檀家でも法事をしない時代なので、檀家としての縛りはない方がよいと考えて、このような形態を取っています。逆に、墓じまいをする人が、新たに取る方が増えるお墓でもあります。現代的でシンプルで美しく、多様性に応えられるお墓の形態だと考えます。約2年弱で、70程、建墓されました。 最後に、30段階の階梯の講義です。「幸せとは何ですか」から始まります。日蓮宗で通常行われている講義はどうでしょうか。仏教の歴史から入ります。そうではなくて、一般の人が求めているのは、自分自身の、今、抱えている悩みや苦しみを、どう解決したらいいのかにあります。それを仏教で解決できるのならば、仏教の教えは、受け入れられるのです。その意味で、「幸せとは何ですか」、「人はなぜ怒るのでしょうか」、「仏教は悩みや苦しみを解決します」。こうした形で、約30段階の講義を作っています。仏教を知り、幸せになるために必要な項目を30章にまとめ、この30章を学べば、日蓮仏教の概要が分かり、教える人も教えながら学べるという形態を取り、60回でも90回でも講義できる、そうしたテキストを作成しつつ、講義しております。これは、3段階がほぼ教学の全体に渡ることを示した配当図であります。 此所に一貫しているのは、教学の何がリアリティをもたらすのかということです。教学はそれを知ることは勿論ですが、教えがその人の苦悩を解決し、迷雲が除かれ、眼の前が明るくなるというリアリティを感じるところに意味があるのです。 日蓮宗の先師たちは、さまざまな状況において、さまざまなイノベーションを興してまいりました。どうか今日一日、イノベーションについて考え、そして、「今、イノベーションを興すのは私である」という信念を持っていただきたいと願っております。

 

 

 

 

もどる