記念講演



 
 新しい死の文化を求めて


Alfons Deeken
(上智大学教授)


 今ご紹介にあずかりましたデーケンです。生まれたときはドイツ人でした。あとでフランス、イギリス、アメリカなど、12カ国で生活して国際人になりました。日本に骨を埋めるつもりですから、心の中は日本人です。現在は上智大学で主に「死の哲学」を教えています。ですから上智の学生が私について話しますと、大体「死の哲学のデーケン」といっています。最近は何でも省略しますから、「死哲のデーケン」といっていますけれども、デーケンという名前が示すように、本当に「何もデーケン」です。今日は皆さんと一緒に「新しい死の文化を求めて」というテーマについて考えたいと思います。

 昨夜は懇親会にお招きいただいて、とても楽しい体験でしたけれども、そこでこの研究会議がもう30回目だということを聞いて、大変感激しました。実は私が日本に来たときは、日本語が全然できなかったのですが、日本語学校の先生は、本当の日本の文化や歴史、宗教を理解するために、ぜひ一度身延山に行ってみるようにといわれました。それで私は早速身延山に行きました。それが私の最初の日蓮聖人との出会いと申しましょうか、とても深い体験になりました。それ以後も何回も行きましたが、そういう意味でも、今日は皆さんと一緒に、これからの宗教の役割とか、あるいは宗教の大きい使命である「新しい死の文化」、それは私の解釈でいえば、同時に「新しい生の文化」であるということですが、このテーマを考えられることをうれしく思います。


     T、生きがいの探求

 私たちは死について考えれば考えるほど、生きる時間が限られていることを意識して、時間の尊さを認識できるのではないでしょうか。ですから自分の限られている時間をどういうふうに有意義に過ごすか、つまりどうしたら生きがいのある人生を送れるかを考えましょう。
 私たちがいつか死ぬのは確実です。ですから、今限られている時間の中で、生きがいを探求することは私たちの大きい課題でもあります。宗教家はもちろん、私たちは長年、「死」というテーマをよく研究してきたのです。けれども、20世紀に入ると、世界中で「死のタブー化」が進みましたから、その結果として、生きがいについても十分に考えなくなり、そのために生命尊重の考え方にもずいぶん悪影響が出たのではないかと私は思います。

そこでまず「潜在的能力(ヒューマン・ポテンシャル human potential)の開発」について考えましょう。私も長年このテーマを研究していますが、例えばスイスの心理学者ユングは、人間は自分の潜在的能力の大体50パーセントを開発して、あとの半分は使わずにおきっぱなしにしているといったのです。しかし最近の専門家は、もっときびしい見方をしています。例えばアメリカの心理学者ウイリアム・ジェームスは、「自分の潜在的能力の10パーセント以上を使っている人に、私は今まであったことがない」といっています。これをいいかえれば、自分の中の可能性の90パーセントを使わずに眠らせたままにしていると言うことです。オットーという心理学者になると、普通の人間は潜在的能力の5パーセントだけ開発し、あとの95パーセントは使わずにおきっぱなしにしているといいます。ですから、私たちにとって生きがいのある人生とは何であるかを考える時、まず自分の中に潜在している貴重な能力の可能性を、意識して開発するアプローチが大切です。

 これは自分自身の課題に挑戦する道でもあります。私は北ドイツのオランダに近いところで生まれました。ブレーメンとオランダの間です。ですからよくオランダにも行きました。ほとんどのオランダ人は、ドイツ語、フランス語、英語とオランダ語の四つの言葉を普通に話します。その後大学院に入るためにアメリカに行った私は、多くのアメリカ人が英語しかできないのにびっくりしました。これはどうしてでしょうか。オランダ人はみんな頭がよくて、アメリカ人はみなばかかといえば、そうではなくて、やっぱりオランダ人には挑戦があるのです。自国内から30分もドライブすればすぐドイツです。南はフランス、ベルギーに接しているし、北に海を渡ればすぐイギリスでしょう。ですから、他国語ができなければ何も始まらないという挑戦があるから、その挑戦に対する応戦として、どんどん自分の語学能力を開発してきたのです。アメリカ人は英語で世界中通じますから、挑戦を受けず、従って能力を開発できなかったのです。

 これを私はもっと広い意味で人生にあてはめたいのです。私たちにとって苦しい体験も一つの挑戦です。例えば癌ですね。ご存じのように今、日本人の28パーセントは癌で亡くなります。癌になる人はもっと多いでしょう。癌で死ぬのは大体4人に1人ですから、この会場でいえば、4分の1はちょうどこれぐらいでしょうか。みんないやな顔をしますね、それではこっちにしましょう。癌になるのはある意味で生涯で最大の挑戦です。もちろん誰でも癌にはなりたくないですね。しかし私たちは人生の途上でどんな苦しい体験をさせられるかを、自分で選ぶことはできないのです。
 実は私も3年前に悪性の癌だという告知を受けました。人間には避けられないことです。しかしその後の状況に私たちがどう対応するかは、ある意味で自分で選択することができるのです。それを私は今「ヒューマン・ポテンシャル」にもあてはめたいのです。私たちには苦しい体験が必ずあります。それは避けられませんが、問題はそれにどう対応するかということです。例えば癌を告知されても、自分の生きる時間の有限性を意識して、それからをもっと精一杯生きるようになるという可能性もあるのです。ですから「新しい死の文化」は「新しい生の文化」であるとあらためて強調したいのです。

 自分の生き方を選択する上で、オプティミストであるかペシミストであるかで大きな違いが出てきます。苦しい体験の中で、どっちを見たらよいか。例えば今私はこのグラスでちょうど半分水を飲みましたけれども、ペシミストはいつも上の部分を見て、ああもう半分終わったとうつむきます。けれどもオプティミストはまだあと半分もあるとニコニコします。もちろん私たちの生きる時間は、限られています。けれども、まだあるのです。何年か何ヵ月かは分からないけれど、まだ生きる時間はある。少なくとも今、生命をいただいて生きていることに感謝する。こういう基本的な態度で、現実的に死について考えることが大切なのです。したがってただ死を待つのではなくて、限られている時間を無駄にしないで、その時間の中でまだ自分なりにできることを精一杯やる、つまり自分の使命を果たすことが望ましいと思います。

 私は昭和7年の生まれですから、ちょうど小学生時代に第2次世界大戦を経験したのです。当時のドイツはナチス政権下でした。その中で反ナチ運動の精神的なリーダーであった哲学者アルフレッド・デルプ神父は、ヒットラーの命令で逮捕され、37歳の若さで死刑にされました。ベルリンの刑務所で処刑される前に、彼は一つの美しい文章を残しました。彼は、人間はただどれほど長く生きるかではなく、どれほど生きがいのある人生を過ごしたかのほうが大切なのだとはっきり言明しています。「もし、一人の人間によって、少しでも多くの愛と平和、光と真実が世にもたらされたなら、その一生には意味があったのである」という言葉です。彼の思想は5冊の全集に遺されています。この彼の最後の言葉は、人生の一つの基準としてすばらしいですね。私たちも例えば毎晩寝る前に、今日一日生きがいのある人生を過ごしたかどうか、この基準で反省をすることができます。今日の私の努力によって少しでも多くの愛(仏教では慈悲)と平和や、光と真実が世にもたらされたならば、今日の私は意義のある日を過ごせたわけですが、もし逆に自分のことばかり考えて、けんかしたり他人を中傷したり、真実のかわりに悪いうわさを広めたりしたなら、その一日は、意義のある人生ではなかったことを反省しなければなりません。

 そういう意味でも私たちは、これからの時代を創る宗教家として、勇気をもって、死のタブー化を打ち破ってゆかなければなりません。これは宗教家としての私たちの使命でもあります。基本的な人間体験として、身近な人の死や、自分自身の死に直面することの意義を考え、それに基づいて新しい人生の生きがいを探求できるのです。それを広く一般社会に認識させていくことも私たちの大きい使命ではないかと思います。

 昨日ウィーンでヴィクトール・フランクルが亡くなりました。92歳でした。ご存じのとおり彼はアウシュビッツのユダヤ人強制収容所の苦しい体験から、精神科の医者として生きがいについて非常に深く考えるようになった人です。戦後に彼は、ドイツ語でロゴテラピー(英語ではロゴセラピー)という新しい考え方を開発したのです。ロゴセラピーについて簡単にいいますと、アウシュビッツのような極端な苦しみの中でも、生きがいのある人は生き残れたのです。彼自身もどうしてもまた奥さんに会いたいとか、ここでの体験を分析して書きたいという希望を抱き続けたのです。そうした生きがいのなかった人はどんどん亡くなりました。アウシュビッツの地獄から還って彼は戦後たくさんの著述をしました。その基本的なポイントは意義の探求です。彼の解釈ではなぜ人間は病気になるか。主な原因の一つは、生きがいがないからだということです。人間は生きがいを失うと、ノイローゼになるというのです。ですから、それを癒す道は生きがいの探求であるといっています。ロゴスはギリシャ語で「意義」、セラピーはもちろん「癒す、療法」ですから、ロゴセラピーは人生の意義を見いだす、生きがい探求による療法です。フランクルは、自身の体験をふり返って、ニーチェの言葉をよく引用しています。「なぜ生きるかがわかっていれば、どんな生き方でもたいがいは辛抱できるものだ」。これは彼自身のモットーにもなったわけです。

 私たちは、死を意識して、自分に与えられた限られている時間で、自分なりの使命を果たすことが求められています。生きがいのある人生とは、より豊かな自己実現を目ざすことです。ライフワークを通して、自分の使命を果たすことです。もともとドイツ語や英語で「仕事」という言葉は、次のような意味をもっています。英語のヴォケーション(vocation)、あるいはラテン語のヴォカツィオ(vocatio)の語幹となるヴォカーレは「呼ぶ」という意味です。また私の母国語のドイツ語で「仕事」はベルーフ(Beruf)で、ルーフェン(rufen)から出ています。意味は同じように「呼ぶ」です。つまり人間は、一人ひとり一つの使命を果たすために呼ばれている、それぞれに一つの使命感、天職というものがあるということです。その使命を果たすことによって、生きがいのある人生を過ごすことができるとも言えます。ですから「仕事」はただ単なる仕事ではなくて、一つの使命を果たすために呼ばれている、天職であるのです。今日本にはアルバイト紹介の『ベルーフ』という雑誌までありますけれども、本来ドイツ語の「ルーフェン」は、「呼ばれている」「ベルーフ」も「天職」とか「一つの使命」という意味だったのです。

 例えば同じ仕事をやっていても、仕事に対する基本的な態度は人によってさまざまです。有名なストーリーがあります。パリのノートルダム寺院を建てるとき、3人の労働者は重い石を運ぶ同じ仕事をしていました。だれかがその三人に聞いたそうです。「あなたは何をやっていますか」。一人は、「私は重い石を運んでいます」といったそうです。ただその仕事のつらさにしか関心がなかった。二人目の人は同じ質問に対して「私は家族のために働いています。そのおかげで今、子供も学校に行けるようになりました」といいました。同じ仕事だけれども、最初の人よりもう少し広いスケールで自分の仕事を解釈していますね。次に第三の人に「あなたは何をやっていますか」と聞きますと、彼の答えは「私はノートルダム寺院を建てている」だったそうです。大寺院を建てるのは何百年もかかるのが当然です。ですから自分が生きている間にはとうてい出来上がらないでしょうけれども、その使命感はすばらしいですね。自分は一つの大きいプロジェクトの協力者であるという意識をもっていた。例えば仕事そのものは大したことではなくても、自分は一つの大切な役割をになっているという充実感は大切なことです。私たちは、これからもっと温かい日本の社会をつくるために、自分の仕事に意義を見いだしたいものです。この仕事はより温かい病院の雰囲気をつくるのに役立つとか、末期患者への心のこもったケアのためのボランティア活動に使命感をもっているとか、いろいろな仕事の場があります。人の上に立ってすべてのシステムを改善しようとするのではなくてよいのです。一人ひとりがその人らしく働ける小さな場で、精いっぱいボランティアとして働くのもよいでしょう。後のシンポジウムでもでるでしょうけれども、より温かい末期医療のあり方を考えるには、ケアする側がしっかりした使命感をもっていることが望ましいのです。


     U、生と死を考える

 日本人は大変教育を重視する国民です。私たちは試験の前には当然勉強するでしょう。新しい試験を通れば、また新しい訓練を受けます。ところが長い人生において一番難しい試験、一番苦しい試練は何でしょうか。これは明らかに身近な人の死を体験することと、自分自身の死に直面すること、この二つでしょう。そのための教育が今一切ないことを、私はいつも不思議に思います。小学校から大学までこういう一番大切な教育が欠けている。しかもみんな死を体験するのです。そのための心の準備や教育が全然ないというのは、日本の学校教育に不足している点でしょう。

 私の母国ドイツでは、全国の学校で毎週、2時間ある宗教の時間の中で、「死への準備教育」が行われています。そのためのすぐれた教科書が、大体20冊くらいでています。宗教の時間というのは、キリスト教だけではなくて、広く仏教の死生観や、ヒンドゥー教なども取り上げて、生徒たちに死について考える刺激を与えるための課目です。ですから特定の考え方を押しつけるのではなく、いろんな考え方がある中から自分で考えて自由に選んで下さいというやり方です。私はその20冊の教科書を分析しましたが、大変よく出来ています。しかもそれによって生命尊重の教育ができるのです。死について教えることによって生命を尊重する教育になるのです。

 もちろん日本では、学校教育の中に宗教の時間を取り入れるのは非常に難しいと思います。ただ私はこれからは、どうしても何らかの形で学校の中で「死」についての教育を行なうべきだと考えています。昨夜も私はこの後のシンポジウムにでられる伊藤先生と話しましたが、長年の死のタブー化の結果として、医者は患者の側に心の準備がないので、なかなかコミュニケーションが難しいといわれました。そういう点でも、私たちは宗教家として一つの大きい使命を担っているのです。例えば医者は一生懸命、末期患者のケアを勉強しています。ですから、私も医学会からよく講演を頼まれます。看護婦も大変よくターミナル・ケアを勉強しているのです。そして日本の看護婦さんはすごく親切ですから、この間も地方の看護協会から電話があって、「ターミナル・ケア」について講義して欲しいというのです。そしてもうホテルをとりましたといいます。「どのホテルですか」と尋ねると、やはり「ターミナル・ホテル」でした(笑い)。

 そういう意味で医療従事者は今一生懸命やっていますが、問題なのは一般市民が全く死について学んでいないことです。いくら医療関係者が、もっと理想的なターミナル・ケアを目指して研究し、一生懸命やろうとしても、もし患者の側に心の準備がないと無理です。例えば医者以外の患者の家族たちが死をタブー視していたら、医者は患者にもう治らない癌だとはなかなかいえないのです。ですから、そこで宗教家の存在が、心の支えとして必要になってくるのだと思います。「死への準備教育」によって、一般市民が死のタブー化を乗り越えて、死について自由に考えられるようになってほしいのです。

 例えばドイツ語には、「死ぬ」という概念をあらわすのに二つの違う言葉があります。一つは動物が死ぬときに使う「フェアエンデン」です。フェアエンデンはただ「だめになる」という意味です。動物は年をとればだんだん体が弱くなって病気になり、やがて死にます。一方通行的にだめになる動物的な死がフェアエンデンです。しかし人間については絶対にフェアエンデンとは言いません。人間の場合は「シュテルベン」を使います。どう違うかといいますと、例えば肉体的な衰弱のプロセスは人間も動物と変わりません。人間も年をとって弱くなって、病気になって終わります。肉体的プロセスは同じです。ところが人間は肉体的には衰弱のプロセスの中にあっても、まだ人間として成長できるのです。ですから「シュテルベン」は運命的に死を待つのでなく、自分で死までの生き方を選んで死を迎えるのです。これが「死への準備教育」が目指していることです。つまり動物のようにただだめになるのではなくて、積極的に最後まで人間らしく生きる、これが「人間らしい死に方」です。

 実例をあげましょう。私は毎年、上智大学で「生と死を考えるセミナー」を2日間開きます。例えば鈴木裕子さん、当時35歳の再発乳癌患者で、あと2カ月ぐらいだと医者にいわれていました。私は彼女に、医療関係者を含めて800人くらい集まりますから、もしよろしければその人たちの前で、あなたの「乳癌との闘い」について話したらいかがでしょうかと頼みました。彼女は大喜びで、ぜひ話したいといって800人の前で自分の乳癌との苦闘ぶりを話してくれました。たくさんの医者も涙を流して聴き入りました。彼女は、自分の話によって後で医者たちが、他の若い乳癌患者の複雑な気持ちをもう少し理解して、人間的なレベルでコミュニケーションできるように少しでも役に立ちたいということでした。そして40日後に亡くなりました。そのときちょうど36歳だったのです。しかし死ぬ前に何回もいいました。「ああ、少しでも他の人のために役に立ててよかった」と。今36歳で自分は死ななければならない。これは運命的なことです。だれも救うことはできない。しかし「少しでも役に立つことができた」というのは、これは自分の選択です。もちろん癌告知がなかったら、ただ退院の日を待って、時間をむだに過ごしたかもしれません。大勢の患者は癌告知を受けずに、貴重な人生最後の時間を無駄に過ごすことが多いでしょう。

 日本の伝統的な価値観は、他人に迷惑をかけないことですね。これはすばらしいことですが、どちらかというと、人間はみんな「ただ迷惑をかけないだけでなく、もっと積極的に役に立ちたい」と思うものです。私は何百人もの患者の死をみとったのですけれども、私がいつも感じたのは、患者の大きい悩みの一つは、ただ他人に迷惑をかけるだけで、もう何の役にも立たないということでした。特に若い患者は他人のために何かで役に立ちたい気持ちが強いのです。ですから彼女も「役に立つことができてよかった」といって喜んだのです。

 つまり「いかに人間らしく死を迎えるか」ということは「いかに最後まで人間らしく生きるか」ということになりましょう。これもいかに生きがいのある人生を過ごすかと同じ意味になります。

 ここで特に宗教家としての一つの大きい使命は、一般市民に人間らしい死に方とはどういうことか、考える刺激を与えることだと思います。ハウ・ツウ的でなく自分の死生観を見直すことが大切です。それによって死はただ運命的に待つことではなく、積極的に最後の日々をどう過ごすべきかの選択になります。最近はよく「インフォームド・コンセント(説明と同意)」といわれています。これは医者は病状を十分に説明して、患者の同意を得て治療に当たることですが、私は「インフォームド・チョイス」、つまり十分な「インフォメーション」を受けて、患者が自分で、「チョイス(選択する)」の方がよいと思っています。

 つまり医者は患者の状態をよく説明した上で、具体的な選択肢を示します。例えば総合病院で、このまま治療を最後まで続けてほしいか、あるいは在宅ケアを望むか、ホスピス施設に転院するか、などです。さっきビハーラという説明もありましたが、大体総合病院での治療、施設のホスピス、あるいは在宅ケア・ホスピスと、三つのチョイスがあるでしょう。総合病院で化学療法などを最後まで、スパゲッティー姿になっても、ただただ延命を希望するか、あるいはホスピスケアを選ぶか、これも在宅と施設のホスピスに入るなどがあります。

 アメリカでは、最近はほとんどが在宅ケア・ホスピスです。施設のホスピスよりも在宅ケア・ホスピスが圧倒的に多いのです。おそらく全米のホスピスの90パーセント以上は在宅でしょう。アメリカもしばらく前までは日本やドイツと同じように、最後の日々は病院で過ごすのが普通でした。でも最近アメリカでは、やっぱり畳の上で――アメリカでは畳はほとんどないわないですけれども――、つまり自分のベッドで死を迎えたいという考え方が主流になっています。これもまた人間らしい死生観を求める、新しい死の文化の実りだと思います。人間らしい死に方とは何か。スパゲッティー姿で冷たい機械に囲まれて最後の日々を過ごすか。あるいは慣れ親しんだ環境で、自分のベッドに寝て、口に合った食事を食べて、何よりも愛する人々と一緒に最後の時を過ごすかという選択をできることが、アメリカの新しい死の文化のひとつの成果だと思います。

 私たちは、そういう啓蒙教育活動によって、人間は自分なりの死を迎えることができることを学び、最後まで人間らしく生きるにはどうすべきかを考えだせるのです。これは宗教家としても非常に大きい意義のある分野でしょう。

 この「死への準備教育」は4つのレベルを並行して行います。第1は「知識のレベル」です。教育はどの教育でもそうですが、まずしっかりした知識を身につけることが必要です。それと共に、価値観のレベル、感情のレベル、技術のレベルも大切です。昨夜の懇親会の席でもいろんなディスカッションができました。最近は脳死の判定や、臓器移植、安楽死や尊厳死など、ただ知識のレベルだけではない、価値観のレベルが問われます。しっかりした価値観を身につけることが第2です。第3は感情のレベルです。私たちは例えば歴史の講義を聞きますと、あまり感情的な反応はないのですけれども、死という言葉を聞きますと、必ず恐怖とか不安とか、感情的な反応があるのです。

 アメリカのある調査によりますと、一般市民よりも医者のほうが、死に対する恐怖が強いという結果がでました。医者が死への恐怖を抱いていたら、患者とあまりコミュニケーションできないでしょう。患者が自分の癌について話そうとしても、医者がその話題を避けるようではどうしようもありません。ですから私は特に宗教家の一つの役割として、死に対する過剰な恐怖や不安を乗り越えるための援助を提供しなければならないと思います。これも宗教のもつ一つの大きい使命でしょう。今までに私が会った患者の中にも必要でない恐怖や不安に悩むケースが多かったのです。

 私は今まで、世界じゅうの200以上のホスピスを視察しています。私は毎年日本の医療関係者と一緒にホスピス視察ツアーをやっています。去年はカナダ、2年前はオーストラリア、ニュージーランド、今年はこれからドイツに行きます。多くのホスピスで私は医者に聞きました。患者がホスピスに入る前の、最初の面会のときに何をいっていますかと。そうするとたくさんの医者が同じことをいったのです。ホスピスに入る段階で、患者は普通3〜4週間の余命と考えられています。患者はもちろんみんなそのことを知っています。そこで医者は、「私はあなたに二つの約束をします。一つは最後まで痛みなしで過ごせるようにします。つまり疼痛緩和をしっかりやります。第二の約束は、最後まで一人ぼっちにならないように、いつもだれかがそばにいます。」と約束します。ホスピスに入る患者の一番大きい恐怖は何でしょうか。一つはいろんな痛みでしょう。別に肉体的な痛みだけでなく、精神的な苦痛も多いのです。第2は孤独に対する恐怖だと思います。最後のときに一人ぼっちにされるのではないかという不安です。ですから医者がまず、「あなたが今いだいている不安は、心配しなくても大丈夫です。しっかりした疼痛緩和をしますし、決して一人ぼっちにはしないように、必ずだれかがそばについています」というと、皆安心して喜びます。

 聖ヨハネ・ホスピスの山崎章郎先生も、9年ほど前に私のホスピス視察ツアーに参加した一人です。今聖ヨハネ・ホスピスは、20床ですから、20人の患者でしょう。そのために100人のボランティアがいます。ですからもし必要なら、必ずだれかが患者のそばにゆっくりつきそっていられるのです。

 これから私たちは、特に宗教家として、患者の心の問題、精神的ニーズに応える努力が必要ですが、その一つとして恐怖や不安を和らげるための援助は欠かせません。数年前に私は2年間厚生省の「末期医療に関するケアのあり方の検討会」委員のメンバーとして働きました。そこでいつも私の隣に座っていた武田文和先生は、埼玉県立癌センターの総長ですが、彼はよくいっていました。「日本の一般病院の、半分以上はしっかりした疼痛緩和をしません。不十分です。痛みに苦しみながら死ぬ人は大変多いのです」と。ちょうど1年前に武田先生と学会で会ったときには、大学病院で今しっかりした疼痛緩和をしているのは大体48パーセントだといっていました。大学病院ですら、52パーセントは不十分だということです。最後の段階になってもモルヒネを使わない医者が多いのです。ですから癌の末期のひどい痛みに耐えながら亡くなる人が多いので、患者はすごく心配していますね。

 もちろん疼痛緩和や、肉体の治療は医者の役割です。私たちにはできませんが、場合によっては私たちが、医者に訴えてもいいかもしれません。例えば極端な肉体的な痛みで苦しんでいる患者に、心のレベルでやるべきことは何もできません。痛くて痛くてもう他のことは何も考えられない。私は患者の心のレベルでもやるべきことはたくさんあると思いますけれども、そのための条件は、できる限り必要でない痛みを和らげることです。

 そして第4は技術のレベルです。これは、具体的に末期患者のあらゆるニーズに対して、どういうふうに応えるかというスキル・トレーニングです。

 日本語で「死」といいますと、多くの人は肉体的な死、バイオロジー的な死(biological death)を考えますが、私はこれを四つの側面に区別します。第一は心理的な死(psychological death)、第二は社会的な死(social death)、第三は文化的な死(cultural death)、第四が肉体的な死(biological death)です。

 まず心理的な死というのは、患者がもう一切生きる意欲をなくしたら、それは肉体的な死の以前に、すでに心理的な死を体験させられることになります。皆さんも老人ホームなどでいろんな高齢者に会うでしょう。いきいきと美しく老いる人も多いのですけれども、逆に心理的な死を体験した人もたまにいます。できるだけそうならないように、最後まで肉体的な延命だけでなく、心理的な延命を図ることも大切です。これは宗教家の役割です。人生に生きがいをもって最後までいきいきと生きる心理的延命については、医者よりも宗教家が必要でしょう。これは心のレベルの問題になります。病院の中でスパゲッティー姿にされている患者は、心のレベルでは、もうほとんど生きる意欲を失っているのではないでしょうか。

 第2は、社会的な死です。ドイツの中学生、高校生向けの教科書の中の一つの大きいチャプターは、「ソーシャル・デス(社会的な死)」です。その内容は、あなたのお父さんやお母さんがいつか入院したとき、あなたが見舞いに行かなくなれば、お父さんやお母さんは社会的な死を体験させられます。肉体的に死ぬ以前に社会的な死を味わうのです。一人ぼっちで、最後の時を過ごす不安がどんなにつらいものかを考えさせるのが社会的な死という一章です。これを読んで生徒同士でよくディスカッションさせています。

 例えば最近私は、いろんな老人ホームでこういう話を聞きます。親がホームに入ると、子供は最初の一年間くらいは、毎週とか毎月のようによく来るのです。しかし2年目、3年目になりますと、お母さんの誕生日とかお正月とかしか行かない人が増えてきます。みんな仕事が忙しいからといいますが、本当の理由は何でしょうか。仕事が忙しいのは建前です。本音は年老いた親をみるのが怖いのです。もし病院で死に直面しているお母さんやお父さんを目にして、そばに2時間も座っていたら、私もいつかはこうなるのだと自分の死を考えさせられます。実はそれが怖いので、仕事が忙しいからといって見舞いに行かないのです。それは20年以上も苦労して、子供を育てた親たちにとって、社会的な死の体験になります。

 そして第3文化的な死というのは、もし病院の中などに一切文化的なうるおいがなければ、結局それは文化的な死につながります。皆さんもいろんな病院の状況をよく知っているでしょうけれども、やはり病院の中というのは、文化的な延命のためには何かが足りないのです。

 そこでもまた私たちは、宗教家として人間全体を考えるでしょう。今までの病院では、医者はどっちかといえば肉体的な面での専門家として、疼痛緩和などを扱ってきました。もちろん最近のホスピスの医者は本当にすばらしく、ただ病気だけではなくて、人間全体を診ています。そこでこれからはもう少し宗教と医療との対話が必要です。患者を1人の人間として、全人的なアプローチから見てほしいのです。

 今、日本人の平均寿命は世界一でしょう。日本の男性はドイツの男性よりも長く生きるようになった。ですから私は日本にきました(笑い)。賢いですね。最近はいろんな医学会で私はときどき講義します。そのあとで、いろんな医者が「なぜ人間は長生きするようになったか」という研究発表をたくさん行います。これを私はいつも興味深く聞いています。ある発表によりますと、毎日泳ぐ人は平均寿命より6年長生きするそうです。私も毎朝泳ぎます。今朝も5時から上智大学のプールで泳ぎました。ですから6年長く生きるでしょう。そして毎日歌を歌う人はプラス4年だそうです。私も毎朝泳いだあと、シャワーを浴びながら大体3つの歌を歌います。今朝もちゃんと歌いました。ですからプラス4年でしょう。それからユーモアのある人は、プラス5年だそうです。この間全部計算したら、今のところ私の寿命は137歳になりました。長く生きるというのはすばらしいですね。

 さっきもいいましたように、私は2年間厚生省の末期医療検討会委員として働いたのですけれども、いつも厚生省の新しい統計を調べています。昨日も今日の講義のためにわざわざ一番新しい日本の統計を調べました。もし書きたいなら、これは昨日の厚生省の統計です。それによりますと、現在の日本人の死亡率は100パーセントだそうです(笑い)。これは一番新しい統計です。やっぱりいくら肉体的な延命をしても、だれでもいつかは必ず死ぬのです。ですからこれからの大きい課題として、肉体的延命と同時に、心理的、社会的、文化的な面での延命、いいかえれば人間としての総体的な延命を考えなければなりません。

 ここにも宗教の大きい使命があると思います。総体的な延命は、人間全体を対象にして、人間の心理的、精神的、文化的なレベルを総合してなされるべきです。医学的な面だけではなくて、教育とか宗教とか文化とか、すべてを含めた総体的な延命でなくてはなりません。これは学際的なアプローチで、つまりいろんな専門家とか医者とか看護婦とかソーシャルワーカーとか宗教家などが協力して、患者の「クォリティ・オブ・ライフ」の改善に尽くすことです。「クォリティ・オブ・ライフ」を私はいつも「生命や生活の質」と翻訳します。生命だけでも生活だけでもない両方の質という意味です。最近までの総合病院ではクォリティよりも量的なアプローチ、少しでも長く肉体的な生命を延ばすという考え方が多かったのです。これからは、宗教がいつも人生の質を重視してきたように、ただ量的な考え方だけではなくて、クォリティ・オブ・ライフ、生命や生活の質を改善する努力が大切になります。これは今まではもちろん、これからも宗教の役割です。また、あとのシンポジウムにも具体的に祈りとか、癒しということがでてくると思います。

 ここで少し音楽療法や、芸術療法、読書療法などを具体的に紹介しましょう。

 日本人は特に音楽的センスに恵まれている国民だと思います。ですから音楽療法によって、かなりクォリティ・オブ・ライフを改善できると思うのです。例えば死に直面している場合であっても、祈りや瞑想や音楽が、心の癒しとなることが多いのです。人間はいつも時間の中で生きています。時間には過去(パースト)・現在(プレゼント)・未来(フューチャー)の三つの次元があります。もし今死に直面して苦しんでいても、人間にとって、過去はただ過ぎ去ったことではなくて、過去の幸せの日々を再体験することができるのです。それは音楽を通してのことが多いと思います。私たちはみんないろんな曲に特別な思い出をもっています。例えば自分がいつも自信たっぷりに歌っているカラオケの曲だとか、なつかしい子守唄や結婚式でみんなが歌ってくれた曲など、特別な意味をもつ曲がたくさんあります。

 実は私は上智大学の管弦楽団の顧問です。10数年前のある日、偶然の機会があって、名指揮者故カラヤンが上智大学にきて学生のオケを指揮してくれました。彼は上智のオケをかなり高く評価してくれて、翌年の青少年音楽祭にベルリンへ招待したのです。私もその時、100人の学生と一緒にベルリンへ行きました。フィルハーモニー・ホールで演奏したのですが、その時のオーケストラのメンバーの100人の学生にとって、ベルリンのフィルハーモニー・ホールでカラヤンの指揮で演奏した曲は一生涯忘れがたい意味をもっているでしょう。その曲の一節でも聞けばすぐ学生時代のその光景を思いだすはずです。

 こうした音楽療法などによって、私たちは死に直面している患者であっても、今までの人生の幸せな日々を再体験する機会をプレゼントできるのです。末期患者はよくペシミスティックになって、私の人生は失敗つづきでだめだったと、自分の過去にまでネガティブなイメージをいだく人が多いようです。現在の苦しみのために、何でも暗いメガネを通して見てしまうのです。ですから周囲の人が患者の話をよく聞いて、すばらしい人生でしたねと、積極的に励ますことも一つの心のケアになります。
 同じように未来も、単なる未来ではなくて、私たちは希望をもって現在から未来を想像の中で味わうことができます。例えば皆さんも近いうちに旅行する計画を立てていれば、目的地や日程について、テレビ番組を見たり、ガイドブックを読んだりしながら、今でも楽しめるわけです。過去はただ過ぎ去ったことではなくて、患者の現在の苦しみを超える貴重な宝物であり、未来も単なる未来ではなくて、希望をもって味わうことができるのです。私たちは音楽療法などの全人的アプローチによってもっと患者の視野を広めたり、深めたりしたいと思います。

 音楽療法について感激した実例の一つは、オーストラリアのホスピスでの話です。シドニーのホスピスに一人の若い女性が入院してきて、乳癌の末期であと3週間くらいの余命だと診断されました。4人の小さな子供の母親でした。ホスピスの音楽療法士が、お母さんはどういう趣味がありますかと子供たちに聞きますと、みんな一致して歌が好きですと答えました。そこで音楽療法士は小さなテープレコーダーを枕もとにおいて、もしよろしければ子供たちのために歌を録音してはいかがですかと言ったそうです。そうすると彼女は夢中になって8時間ものテープをつくりました。亡くなる日には4人の小さい子供がベッドを囲み、みんな涙を流しましたけれども、最後に母親は自分の録音テープを1人ずつに渡して静かに亡くなったのです。この母親は本当にすばらしい死に方でした。子供に対する愛と思いやりを示しながら最後の日々を過ごしたのです。もし癌告知がなかったら、ただ退院の日を待って時間をむだにしたでしょう。子供にとっても本当にすばらしいプレゼントです。母親が亡くなった後も何回もテープで母の声を聞きながら、またお母さんの愛を深く味わうことができるのです。

 次はアート・セラピーです。私はサンフランシスコのエイズ・ホスピスの中に入ってびっくりしました。美術館のようです。壁は全部、患者が死ぬ前に描いたラスト・ピクチャーです。患者の中の希望者だけに、ボランティアが絵を描くことを教えています。やっぱりみんな何かを残したいのです。さっき私は潜在的能力の可能性の話をしましたが、大勢の人はやはり何かを作りたいと考えています。人間にとって創造力はすばらしい宝物です。今入院中の患者にも、毎日廊下の絵を見ていると、「ああ彼はこういうことがいいたかった」「こういうことを残したかったのだ」と、描いた人の心境が伝わります。ホスピス全体に豊かな芸術的雰囲気があふれていて、それは患者の文化的生命の延長にもつながると思います。
 bibliotherapy(読書療法)というのは、日本語なら俳句でもよいですし、詩や短編小説でもよいでしょう。今、ドイツのホスピスや病院では、読書療法が非常に盛んです。ドイツ語ではシュピーゲル・フンクツィオンといいます。その意味は鏡の機能です。鏡というのは、死に直面している患者が、自分の人生を文学作品を鏡として、それに映すように見られるからです。シュピーゲルはドイツ語で「鏡」です。フンクツィオンは英語のファンクション(機能)と同じ意味です。私たちは今、死に直面している患者に、直接説教などはできません。「もう少ししっかりしなさい、男らしくしなさい」とはとてもいえないでしょう。しかし間接的に文学作品を鏡にして、そこに映る自分を反省できれば、最後の段階であっても、すばらしい人格成長があり得るのです。

 私はニューヨークのホスピスなどで読書療法のテキストとして、よくトルストイの『イワン・イリッチの死』をとりあげました。日本でも文庫本になっていますが、その中で死を前にしたイワンの心境に一つのコペルニクス的な展開が行われます。コペルニクス的というのは、前の見方と正反対の見方になることです。彼はそれまでいつも私に周囲の人は何をしてくれるかとばかり考えていました。自分中心的だったわけです。ところが最後になって、突然、あ、私が死ぬときは、私だけでなく妻も子供もみんな苦しんでいるのだと悟り、家族に対して私の方から何かできることはないかというふうに変わったのです。それはコペルニクス的というか、本当に宗教的な回心のようなことでしょう。やはり最後に人間らしい本当の価値観をみつけられたのです。ところが私が見ていて、患者はこれを読むと、あるいは場合によって患者自身ではもう読めないので私が朗読するのを聞いて、二つの違う反応があったのです。一方では、「あ、これはおもしろい文学作品ですね。しかし私とは関係ない。」という人がいます。しかし、ある患者は、「ああ、なるほどこういうこともあるのですね」と自分をふり返ります。自分の自己中心的な姿を『イワン・イリッチ』に重ねて見て、「ああ、やっぱり家族のことをもっと考えなければいけない」とか、「ああ、あまりにもわがままで自分勝手だった」と反省します。私たちは患者に直接そういうことはいえないでしょう。しかし読書療法によって間接的な教育はできるのです。これは患者の心のケアにもなります。
 ですから私は、音楽療法や芸術療法や読書療法などのアプローチによって、患者の「クォリティ・オブ・ライフ」をかなり改善できるのではないかと考えています。

 私はいつも、宗教は基本的に心のケアが一つのメイン・ポイントだと思っています。特に死を前にした患者には、心のケアが非常に重要なのですが、それが現在はほとんど欠けているのではないでしょうか。例えば癌を告知しないと、患者は何も自分の状態を知らないので、未解決な問題も解決、あるいはどういうふうに最後の日々を過ごしたらよいかも考えられません。
 このあとのシンポジウムでは、癌告知や、コミュニケーションというテーマについてももっと詳しくでると思いますけれども、私は「死への準備教育」の一つの基本的なポイントは、コミュニケーションだと思います。コミュニケーションがなければ文化はないのです。ですから、医者と患者とのコミュニケーション、患者と家族とのコミュニケーションは、「新しい死の文化」を考える上でのメイン・ポイントです。人間的な心の通うコミュニケーションがあれば、患者のクォリティ・オブ・ライフは高く保たれます。つまり「死への準備教育」は、よりよい「コミュニケーション」の土台として必要なのです。

 上智大学では、毎年460人が私の「死の哲学」を受講しています。それ以上はコンピューターが受け付けません。その460人の学生の中で毎年だれかの父親が亡くなるというケースが起こります。例えば6月頃に一人の学生がきて、「先生、私の父はもう治らない癌だと分かりました。医者は癌告知したくないと言っています。どうしたらよいでしょうか。この夏休みに私は田舎に帰りますが、秋にはもう父と会えないでしょう」と相談されます。私はそういうときには、「まず家族の中でできるだけよく話し合ってコンセンサスを得ることです。あなたも死の哲学を勉強しているのですから、よく家族と相談して、コンセンサスができてから、家族と一緒に医者に頼んでお父さんに伝えてもらって下さいね」というのです。

 そして、10月か11月頃にその学生が私の研究室にきて、「先生、先週は欠席しました。父の葬式でした。先生のおかげで夏休み中に癌告知をしたあと、私は今まで知らなかった父を深く知ることができました」と報告します。癌告知のあとで、初めて大人のレベルで父と話せたそうです。大学に入るまでは大体、お金が必要なときばかりだということが多いのです。子供がお父さんと話すのはお金が必要なときだけのようです。しかしラスト・サマー(最後の夏)に、今まで知らなかった父と、本当に初めて大人のレベルで話すことができたのです。そして父親は一生懸命、自分の価値観や理想や夢などを息子に伝えました。これは息子にとって一生の貴重な宝物になります。

 そこで私は「新しい死の文化」の価値観が大切になってくると思います。現在は大勢の人が自分の病状も知らされず、さよならを告げたり、感謝を伝えることもできないで亡くなります。ですからあとで後悔する家族が多いのです。そういう最後の段階での深みのあるコミュニケーションを築けることが、これからの新しい死の文化の美しい成果になると思います。それは残される人へのすばらしい心のプレゼントです。お父さんはこういう人だった、こういうことを考えて、こういう理想を抱いていた、こういう価値観をもっているお父さんだったということは、子供の生涯を通じての貴重な思い出になるでしょう。

 そこでも宗教の役割は大きいのです。大勢の患者は、最後の段階でまた新たに宗教的価値を発見するかもしれません。もしかしたら前は仕事が忙しくてあまり宗教に関心をもっていなかった。あるいは時間がなかったけれども、今自分の生きる時間は限られているとわかって、人生で本当に大切なのは何かと真剣に考え出すでしょう。子供もそういうきっかけで父親と話し合う中で、宗教の意義を深く考えるようになることが多いのです。ですから、癌告知は、ただ病名を告げるか告げないかという狭い範囲ではなくて、コミュニケーションという広い枠の中で考えたほうがよいと思います。

 この間、私は地方で講義したとき、非常に悲しい体験をしました。看護部長があとで私のところにきて、涙をこぼしながら語りました。最近父親が彼女の病院で亡くなったのです。彼女は一年間、東京で特別にターミナル・ケアを勉強して今、その病院の看護部長になっています。お父さんが同じ病院に入院したとき、彼女は当然、癌告知を望んだのですが、主治医は「いや、お父さんは知らない方が幸せだ」といったのです。そして彼女の兄も医者ですが、その兄も同じように「もちろん父さんにいわないで下さい。知らない方が幸せだ」といったのです。ところが亡くなった日に、娘である看護部長はお父さんの日記を見つけました。彼は2カ月間、毎日日記を書いていたのです。その中には「娘はせっかく東京でターミナル・ケアの勉強をしたというのに、何も話してくれない」とか、大きい字で「孤独」と何度も書いてあったのです。別の日には、「今日は息子がきたが、何年間も大学病院の医者をしていても、コミュニケーションは全くできないのか。つらい。さびしい。」と、そういう言葉が亡くなる前日まで続いていたそうです。

 「知らない方が幸せです」と私たちはよくいいますが、大部分の患者は自分の状態を知っているものです。「知らない方が幸せ」ではなくて、知っているけれどもコミュニケーションができないのだから、それはよけい「孤独」ですね。私はずっと孤独というテーマを、特に老人問題で研究したのですけれども、普通私たちは一人ぼっちだと孤独だと思うのです。しかし、もっと恐ろしい孤独は、人と一緒にいながらコミュニケーションができない状態でしょう。このお父さんは、毎日お嬢さんと会っていながら、何も話ができなかった。その上何回も医者の息子が見舞いに来るのに、やっぱりつまらない話ばかりでした。「今日はよいお天気ですね」といった比較天気学の話くらいです。来週にも死ぬかもしれないならもう少し深い心のレベルでのコミュニケーションをしたいと、このお父さんは希望していたのです。私たちも宗教家として、最後の段階の心のレベルのケアでは、コミュニケーションをいかに深めるかが一つの大きいテーマになりましょう。

 もちろん癌告知をする前から、アフターケアを、だれがどういうふうに行うか、サポートの仕方まで、よく考えておかなければなりません。
 私の妹の実例を挙げましょう。ドイツにいる私の妹の一人は、10年ほど前に主人を胃癌で亡くしました。手術したのすが、もう手遅れだったそうです。医者は自分にはアフターケアの時間がとれないので難しいといって、告知を神父に頼みました。妹の一家もカトリックですから、カトリックの神父が家族全員に、残念ながら治る可能性はないと告げました。妹の手紙によりますと、神父は妹の主人が亡くなる日まで毎日来て、少なくとも20分は患者のそばに座って心の支えになってくれたということです。その神父のアフターケアがなかったらとても耐えられなかったろうと妹は手紙に書いています。

 ですからそういう意味でも、癌告知のあとの心の支えは非常に重要だと私は思います。

 次は、悲嘆教育(grief education――特にプレ・ウィドウフッド・エデュケーションの必要性についてです。ここまでは主に末期患者にとっての新しい死の文化のあり方について述べましたが、今度は、家族や遺族のための新しい死の文化の意義について考えましょう。
 今年の3月に私は、ワシントンDCで開かれた4年に1回の「国際死別と悲嘆学会」に参加しました。そこではたくさんの新しい統計も発表されました。いろんな国で、配偶者が亡くなってから、残された夫や妻の死亡率はどれぐらい上がったかという発表を、私は非常に興味深く聞きました。今までは、妻が亡くなると、残された夫は病気になって死ぬことが多いといわれていたのですが、今の新しい統計では、夫が先に亡くなると、特に若い妻が病気になることが多くて、死亡率も上がっているという発表があったのです。ですから明らかに、患者が亡くなると、残された人たちの健康が損なわれる危険性が高いのです。

 またアメリカの統計でも、子供を亡くした親の離婚件数は非常に多いのです。ですから私たちは、子供が亡くなったあとの親の心のケアをもっと重視すべきです。例えば夫婦の間ではうまくやれなくても子供のためにがまんしている夫婦は大勢います。ところがもし子供が亡くなれば、もうがまんする必要がなくなり、お互い同士を責めることが多くなります。
 東京の一つの実例を挙げましょう。高校を卒業した息子が家で家族とちょっとビールで乾杯したあと、これから友達とのお祝いパーティーにいきますから、車の鍵を貸して下さいといわれて、父親は鍵を渡しました。30分後に警察から電話があって、息子が交通事故で亡くなった。しかも酔っぱらい運転だといわれました。たしかに父親は鍵を渡しています。もし父親が何か自己弁護をしたら、様子を見ていた妻は夫を責めるでしょう。2人はもう離婚しました。もう一つも、悲しい実例です。父親は息子に東大に入ってほしかったのですがダメでした。しかし少なくとも私には立派な私立大学だと思える大学に入ったのです。彼はいきいきと勉強し、クラブにも入ってよく活動していたのです。しかし、毎晩のように父親は、「本当は君に東大に入ってほしかった」といいつづけたのです。そして息子はついに自殺しました。私がこの息子の母親に会ったとき、彼女はもう離婚していました。彼女は、私の1人息子を殺した人とはもう一緒に生活できませんとはっきりいいました。ですから、自殺のあとで残された人たちへのケアは、その悲嘆のプロセスが大変複雑なのですごく難しいのです。

 ですからこれからはもっと、家族が亡くなってからの遺族へのケアを重視すべきです。今それについてあまり詳しく説明する時間はありませんが、悲嘆のプロセスを乗り越えるのには、大体一年くらいかかるのです。愛する相手を失ってから立ち直るまでのプロセスはただ受け身的にならず、積極的な努力が必要です。

 Geteilte Freude ist doppelte Freude, geteiltes Leid ist halbes Leid.「共に喜ぶのは二倍の喜び、共に苦しむのは半分の苦しみ」というのはドイツの有名な古いことわざです。このことわざのように、相手を失った人たちが集まって、お互いを支え合うために、私は15年前から東京で「生と死を考える会」をつくりました。それは今沖縄から北海道まで、全部で40も同じ趣旨の会ができています。それぞれ毎月集まってお互い同士が語り合うのです。多くの会では住職さんも運営委員として協力しておられます。この会は宗教には関係なく、第1の目標は死への準備教育の普及促進です。第2はホスピス的なケアのあり方の研究実践。第3は死別体験者の支え合いの場ということです。これも心のケアとして大きな意義を持っています。

 


     V、思いやりと愛に満ちたユーモアを

 私は「文明」と「文化」をはっきり区別します。文明というのは物質的な技術のレベルの総体的成果です。例えば医学における手術の技術とか、あるいは今年のパソコンやカメラや車は去年のものよりよくなるでしょう。ですから文明のレベルは一方的に進歩します。けれども文化は必ずしも進歩するだけではないのです。文化というのは心のレベルとか価値観に関わります。ですから必ずしも、今年新しく作られた曲がモーツアルトの曲よりもすぐれているとはいえないのです。むしろ逆に、芸術的なレベルでいえば、モーツアルトやベートーベンの時代の方がすばらしい作品が遺されているといえましょう。あるいは今の芥川賞受賞作の小説が、必ずしも夏目漱石の作品よりもすぐれているとはいえないのです。
 ですから私は、文明における死と、文化における死を区別したいのです。文明のレベルでいえば死と医学の戦いの中で肉体的延命のための技術はどんどん上がりました。けれども人間らしい死に方として、文化のレベルでいえば死のタブー化は決して進歩ではなく、むしろ堕落だったと思います。長年、死について考えようとしなかった結果として癌告知もできなくなり、人間的なコミュニケーションが少なくなりました。これは文化のレベルでいえば退歩といえます。

 ですから、21世紀に向かって、特に宗教家は、人間全体として、死の文化の発展のために、これから大きい使命を担ってゆかなければならないと思います。

 そのための具体的なアプローチとして、「内面への道」ということを考えましょう。私たちは若いときにはどちらかといえば業績とか、財産とか、社会的地位など何をもつかを一生懸命に考えます。

 しかし、私たちは何を「もつ」かよりも、いかに「ある」かを大切にしたいのです。これは私の恩師でもあったフランスの実存哲学者ガブリエル・マルセルの説です。どういう地位や財産をもっているかではなくて、人間としていかに生きているかということの方が大切なのです。末期医療においても、そういう人間としての基本的な価値観は非常に重要なポイントです。
 次は、「思いわずらいからの解放」ということです。宗教の一つの役割は、必要でない恐怖や不安からの解放ではないでしょうか。だから私は自分でコントロールできることとコントロールできないこととを区別します。自分でコントロールできることは一生懸命やります。しかしコントロールできないことにはあまり自分のエネルギーを無駄に使わないのです。老人ホームで、よく年寄りは朝から晩まで道楽みたいに心配しています。明日雨が降るか降らないかなどは、自分では全然コントロールできないでしょう。コントロールできないことをなんで今日から心配するのでしょう。私のスローガンは晴れてもアーメン、雨でもハレルヤです(笑い)。

 次の苦しみの意義については、あとでシンポジウムにもでると思いますので、割愛して次は希望についてです。人間は死ぬまで何らかの希望をもっていますが、その対象はどんどん変わるのです。例えば病気になって診察を受けますと、まず癌でないことを希望します。そして癌だと診断されると、次の段階として、悪性でないことを希望するでしょう。私もそうでした。そして悪性の癌だとわかると、次はまた手術によって切除できるようにという希望を抱きます。しかしもしそうした希望がすべて失われて、例えばホスピスに入るとなればもう治る可能性がないことがわかります。そのときも希望の対象はまた変わるのです。最後までできるだけ痛みなしで生きることと、いつもだれかがそばにいることを希望するようになります。この最後の段階で、キリスト教徒は永遠に対する希望をいだく人も多いのです。

 最後は「ユーモアの役割」です。私は「新しい死の文化」は「新しい生の文化」であるといいました。新しい生の文化を考える上で、これから精一杯生きるために大切なのはユーモア感覚を身につけることです。初めに私は潜在的能力を開発することについて話しましたが、私は誰でももっているけれども、十分に開発していないのがユーモア感覚だと思っています。私たちはみんな豊かなユーモアの能力をもっています。若い学生たちは、よく笑ったりして、とても明るいのです。ところが残念ながら、中年期になると、だんだん顔の輝きが少なくなって、年をとると共に、ますますくそまじめな顔になります。本来は逆であるはずです。みんなもっと、貴重な潜在能力であるユーモア感覚を開発すべきでしょう。それが本当に人間らしい生き方だと思います。

 もともとユーモアというのは、医学的な概念でした。ラテン語のフモーレスが語源で、人体の中の液体、体液の意味です。中世には、ユーモアは健康のためにとても大切だと考えられていました。
 アメリカのある実験によりますと、ねずみをストレスの多い環境におきますと、90パーセントは癌になるのです。しかし快適な雰囲気におきましたら、癌になったのは7パーセントだけだったそうです。動物はストレスが多すぎると、必然的に病気になることが多いようですけれども、人間はストレスがあっても、ユーモアがあればストレスを緩和して健康を保てます。ユーモアがないとストレスを緩和できないので、ユーモアは健康管理のためにも大切です。

 日本では、よくジョークとユーモアを同じ意味で使うでしょう。私はいつも区別します。ジョークは頭のレベルの技術です。言葉の上手な使い方やタイミングのよさから出てくるのがジョークです。けれどもきついジョークは場合によって相手を傷つけます。だれかが転んだといって、みんなが笑っても、これはユーモアではありません。必ず傷つく人がいます。私の解釈では、相手に対する思いやり、これがユーモアの原点です。ユーモアは相手への愛と思いやりの表現です。私たちはだれかに愛や思いやりを示したいなら、相手が何を期待しているか、何を希望するかを考えます。みんなが期待しているのはストレスの少ない温かい環境でしょう。

 私はときどきテレビなどでユーモアについて話しました。例えば今の学校のいじめの問題や校内暴力などが起こる原因の一つは、学校全体の雰囲気がまじめすぎるからだと思います。ですから先生方がもう少し明るくユーモアのある対応をできれば、生徒たちももっと喜んで学校へ行くでしょう。登校拒否も少なくなると思いますし、いじめも減るのではないか、と話しましたら、いろんな中学校の校長先生たちから、「ユーモア感覚について、中学校の教科書に書いて下さい」といわれました。しかも国語の教科書にです。「え、外国人の私が国語の教科書に書くなんて、冗談じゃないか」と思ったのですけれども、一応書きました(笑い)。これは当時の中学二年生の国語の教科書の中に、「ユーモア感覚のすすめ」として載りました。ところが教科書ですから文部省の認可が必要でしょう。ですから文部省は非常にまじめに私のユーモアを分析しました(笑い)。80人の先生方が読んだそうです。しかし問題になったのは内容ではなくて、最後のページでした。そこに私は当然「アルフォンス・デーケン、上智大学教授」と書いたでしょう。ところが文部省は、中学生がこれを読んだら、あとでみんな上智大学に入りたくなるのではないかと心配しました。結果として慶応や早稲田もつぶれますし、まじめな東大も困ります。ですから安全第一で「上智大学教授」を消しました。今はもうこの教科書は使われていませんが、そこには「アルフォンス・デーケン、ドイツに生まれ、現在は日本で生活している」と書いてありました(笑い)。それで慶応や早稲田も安心したと思います。

 また、人間は笑うことのできる唯一の生物であるといわれています。私はドイツでの子供時代にそれを初めて聞いたとき、さっそく私の猫が笑うことができるかどうか、一つの実験をしました。その頃私は12匹の猫を飼っていました。わが輩は猫が好きでした。私は12匹の猫を全部並べて、その前でいろんな変な顔をしたのですけれども、一匹も笑ってくれなかったのです。もっともみんなドイツの猫でしたから、ドイツ人と同じようにあまり頭がよくなくて、私の実験の目的を十分にわかってくれなかったのかもしれません。この間、四国の大学の医学部でこの話をしたとき、一人の学生が手を挙げて、先生、私の猫は笑うことができますといったのです。四国の猫は大したものだと思いました。猫も犬もいろんな感情を、全身で表現しますが、人間の顔の表情ほどの豊かさはありません。人間は顔の表情だけで「アイ・ラブ・ユー」と伝えることができるのです。
 最近のある専門家によりますと、私たちの毎日のコミュニケーションの93パーセントまでは無言のコミュニケーションだといっています。ですから私たちは、これからの高齢社会を豊かに生きるためにも、無言のコミュニケーションとして笑顔や心のこもった態度で周囲の人に接して行きたいと思います。

 もう時間になりました。最後にドイツで一番有名なユーモアの定義は、「Humor ist, wenn man trotzdem lacht.」(ユーモアとは、「にもかかわらず」笑うことである)ということです。ユーモアとは、「にもかかわらず」笑うことであるの意味は、私は今苦しんでいますけれども、その苦しみ「にもかかわらず」、相手に対する思いやりとして笑顔を示す、ということです。それは相手に対する思いやりのユーモアです。

 ですから宗教家の一つの大きい役割として、私たちはみんな自分は苦しんでいる「にもかかわらず」、相手に対して思いやりとして大いにほほえみをうかべましょう。相手のためを思って向ける笑顔は本当に温かい心の態度ではないでしょうか。ご清聴ありがとうございました。